自己紹介と責任感について
皆さま、いかがお過ごしでしょうか?
Leave a Voice. 明日への電波
この番組は、僕、シンイチの声や言葉、思いを今に残しておく。
それらが電波に乗って、明日の誰かに電波し、
役に立ってくれたらいいなぁって思いで始めたポッドキャストです。
収録している今日は、2026年3月19日、木曜日、12回目の配信です。
僕って、もともと責任感が強い方だと思うんですよね。
人から任されたこととか、自分で引き受けた仕事といったものを
コツコツとやり続けることが得意な方で
途中で落っこり出してしまうっていうことは
あんまりなかったですね。
真面目な性格だからっていうのもあるんでしょうけども
それと同時に
そういうふうに、与えられた役割を
責任を果たすというのが、どうも好きみたいです。
それはもちろん、いいことで
やりたいなーって思ったことをやることができた。
実現できたっていうのはいくつもあって、よかったなーっていうことなんですけども
一方で、その責任感が強いというのは
こだわりを生んでしまって
そのこだわりとか執着といった面で
苦しんだ場面もあったかなーって思います。
この自分で責任を持つとか
自分で責任を取る
自己責任っていった言葉ありますよね。
その責任を持つことにこだわるっていうのは
自分で選んで責任を持つっていうふうに
自分で決めたから当然でしょうというふうな
観念って言うんですかね。
が、自分の中に強くあったからかなーって思います。
自分で引き受けたことを途中で投げ出してしまうということは
それを誰か他の人がやらなくてはいけないというふうになる
こういった意識があったのかなー
今よりも強かったかなーって思います。
これの延長線上の話になるのかどうかわからないんですが
「自己責任論」の考察
いわゆる自己責任論というのがありますよね。
いろいろグラデーションがある
この考え方のグラデーションってあるみたいですけれども
今のその人の置かれた境遇っていうのは
過去のその人の選択行動の結果であって
誰か他の人のせいにはできない
すべて自分の招いた結果であるというような言われ方しますよね。
かなり厳しい言い方ですけれども
今起きていることにはすべて原因があって
それは過去の自分が選択したあるいは選択しなかった
行動しなかったことも含めて
自分の振る舞いの結果
誰かから一方的にその過去の時点で被害を加えられて
今の不幸な境遇になったとしても
その被害を受ける可能性を減らすことはできたよねとか
例えば歩いて30分かかるけど安全な道を通らずに
危険だけど車にひかれる可能性は高くなるけど
10分で行ける道
その10分で行ける道を選んでしまったがために
車にひかれて大怪我をした
後遺症が残ったとか
でも30分かかる安全な道を選ばなかったから
その被害を受ける可能性が高くなったとも言えちゃいますが
やむを得ず何らかの事情があって
急がなくてはいけなくて
危険度は高いけど10分で行ける道を選んで
後遺症が残る交通事故にあってしまった
例えば愛する家族の行き死ににたどることができたとしても
その因果というのは無限にあって
やむを得ないこれを選ばざるを得ないという状況も
その中にはいっぱいあって
自分の選択の結果、自分のチョイスの結果ではあるけど
その選択、チョイスをしたことは
必ずしも本人の責任だけではないのではないかなって思います
つまりは他人のせいにできないは全て自己責任という方は
違うんじゃないかな
他人の責任の範囲は限られているとか
自己責任だとしても他責でないものは誰が追うものなのか
みんなで追うってことかなとか
本人の責任の範囲は限られているっていうのは言えそうな気はします
本人のせいにできないイコールギガ
自己責任論の広がりと影響
これからやろうとすることを
誰かのせい、自分以外のせいにすることはできなくなって
そういう予想が立って
結束してチャレンジすることっていうのが難しくなりますよね
閉塞感とか場合によっては精神的に追い込まれるっていうことにもなりそうで
実際にそういった自己責任論っていうのは
他人から、誰かからその行為は
あなたの行為によって今あなたに起きていること
あなたにその現象が起きているのだから
問題の解決にはあなた自身のリソースだけで対応してねっていうようですよね
実際この自己責任論っていう言葉が
使われ出したのが
生まれ出したのはイラックの人質事件
それとシリアの人質事件
中東で過激派組織に日本人が拘束されて
それに対して日本政府がいろいろ動いて
実際に予算を使った
お金を使ったから
それを批判する流れで出てきた言葉みたいですね
これは第三回で話した不安感
社会になんとなく広がっている不安感っていうのも
つながってくる話かなって思いますね
この自己責任論だけではないですけども
精神的に追い込まれ続けて追い込まれすぎた結果
その現れっていうのは
なんとなく大きく二つあるかなと思ってます
一つはこれが自分に向くパターン
統計とかなんとなくのイメージでもそうですけど
精神疾患や自殺といったものに結びつき
その方向に行くのが自分に向くっていうことで
もう一つはあまり昔はなかったんじゃないかなって言われ方もするんですが
他人に向くという自分以外にベクトルが向いていくっていう
自分は何も失うものがなくて
殺人とか互いに向かってしまうタイプ
最近だと今でも言うんですかね
無敵の人なんていう言い方もされたりするかと思います
この自分に向く他人に向くっていうのも
割と複雑に絡み合ってる気はして
自分に向きすぎた結果
現れとして他人に向いてしまうっていうこともありそうだったり
またここでも自己責任論的な考えっていうのは入り込んできてて
自分に向く分にはいいけど
自分だけで完結してね
その刃を他人に向けないでねっていう力学って言うんですかね
これは当然なんですけどもありますよね
精神的に追い込まれすぎてしまう人が増えれば増えるだけ
他人に向いてしまう人っていうのも比例して増えていくっていう風に
考えていいんじゃないかなと思います
つまりその精神的に追い込まれすぎてしまう人が
多く出てしまうような状況環境っていうのが
そもそも精神疾患や自殺や無敵の人を生み出しやすくしている
ということなのかなって
意識変革への期待と今後の展望
結構みんなの人間のマインドとか意識の話だったかなとは思うんですけど
そういった人の意識、社会のみんなの意識を変えようとしている試み
その変え方の手段っていうのは
これもまたグラデーションがあって
ストレートに変えようとするパターンもあれば
ただこうやって変えることができるんだよっていうことを示すことで
結果的に変わってくれることを期待するというようなやり方もあると思うし
僕が今受け取っているいろいろな考え方やり方ですね
実はポッドキャストから受け取っているものが多いんですけども
そういった試みとかチャレンジがですね
うまくいってくれたらなーって思いますね
僕もですね
自分なりになるべくこれからも応援していきます
いやーなんかまた難しいテーマを話そうとしてしまいましたね
今回もお聞きくださりありがとうございました
今日はこのあたりで
ではまた