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#92 あなたは正しいの?と言われるとき
2026-05-04 12:18

#92 あなたは正しいの?と言われるとき

芝大神宮・散歩・あなたは正しいの?・正しさの規定・具体性の欠如・モヤモヤ・自己開示・不誠実・思考の巡り・言葉の瞬発力・トレーニング・100回目前・自己認識・自己発見・聞き返す楽しみ・淡々と続ける

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サマリー

今回のエピソードでは、パーソナリティが芝大神宮周辺を散歩中に、他者から「あなたは正しいのか?」と問われる状況について考察します。具体性のない問いかけや、自己開示をしない相手とのコミュニケーションの難しさに触れ、自身の正しさは自分で規定するものであるという考えを示します。また、ポッドキャストの収録を自己開示のトレーニングと捉え、思考を巡らせ、言葉の瞬発力を鍛えるプロセスを楽しんでいる様子を語っています。最終的には、他者の評価よりも自分が録音を聞き返して楽しむことを重視し、淡々と続けられる習慣になっていると締めくくっています。

散歩と収録の近況
今日は、芝大神宮のあたりを散歩しているのですが、
この大門のあたりにも、芝大神宮とか、新橋の方に大通りを歩いていくと、日比谷なんとかだったかな、ちょっと忘れちゃいましたけど、
そんな神社があって、都心の高層ビル、高層ビルとほどでもここはないですけど、
ビルの合間に突如現れる、落ち着いた空間、すごいいいなって感じですね。
近くに像状寺もあるし、この辺は割とこういう寺舎仏閣みたいなのが残っているエリアなのかなという感じですけども、散歩中ですね。
特にまとまったものもないかなというところなんですけど、
前にまとめて毎日のように収録していた週があって、結構なんだか取りためてしまったので、
ちょっとしばらくすごく撮りたい内容があんまりないなという感じで、ちょっと過ごしている、ここ最近という感じです。
「あなたは正しいのか?」という問い
それでそんなところなんですけど、人に自分がどう見られるかみたいなところに関して、
他者からあなたは正しいのかみたいなことを言われることってそんなにないかなというふうには思うんですけど、
最近そういうことがちょっとあるのかなという気がしていて、
自分の正しさって結局は自分で規定するものだと思うんですけど、
でも周りから見てどうなのかっていうのは自分じゃわかんないですよね、やっぱり。
それで、あなたは正しいんですかみたいなことを言われるときに、
ただなんだろうな、それって結構具体的に何がどうっていうのを伝わらないと、
何でしょうね、そこの部分の話がつながっていかないというか、
一方的に疑問形だけ提示されても、結局はじゃあ何なんだっていうところがよくわからなかったりする。
そういう状況にはちょっともやもやしますよね。
じゃあコミュニケーションがどうなるのかっていうところで、
具体的に言われる側から具体的にこれこれこういうことがこうで、ここが違うと思ってますみたいな形で言ってもらえれば話はすごいわかるし、
そこから話をしていく、コミュニケーションをとっていくっていうことができると思うんですけど、
そういう具体的な投げかけはないんだけど、
あなたは正しいのか、正しいのかというか、あなたが正しいのかはよくわからないけど、
ここの場の中ではあなたについていくしかなさそうだから一旦そうするねみたいな感じがあったりして、
なんかちょっともやってしますよね。
何か言いたいことあるんだろうなっていう。
そのものにもちょっとどうかと思いますけどね。
これはついていくしかないんですねみたいな。
ついていくしかないかどうかはそれ確認してみないとわかんないじゃんっていう感じなんですけどね。
苦手なコミュニケーションと自己開示
やっぱりこう自分が苦手とするのってこう自己開示をしない、しようとしない相手とのコミュニケーションが結構難しい気がするんですよね。
もともと嫌いな人っていうか、
人の苦手なタイプみたいなのを聞かれたときに必ず答えるのが、
自分のことは自己開示しないのに、人のことはねほりはほり聞いてくる人っていうのを毎回答えるんですけど、
これはもう本当に本当に嫌だなっていう、そんな相手ですね。
不誠実だなって思いますね。
自分のことは話したくないけど、人のことはずけずけと面白がって聞いてくるみたいな。
そういうのを面白がってる感じの人とはちょっと付き合いたくないなって思いますね。
こんなポッドキャストを一人でやってますみたいなのって、
まさに自己開示の塊でしかなさそうなんですけど、
自分の場合は何でもかんでも結構喋っていっちゃうっていうところがあって、
たまにそれが余計な火種を生んだりするのかなっていうこともちょっとあるんですけど、
思考の巡りとトレーニング
人から自分が見られて、どう見られて、どう正しいかなんてそんなわかんないですからね。
自分の中の自分が思う正しさはちゃんと自分で持っておきたいですけど、
それが人からどう評価されるかっていうのは、
仕事の中での役割としてどうかっていうところはもちろん、
役割を果たしてないんだったらダメだねっていう、
そういうシンプルなところだと思うんですけど、
人として正しい、人としてというか、
漠然とした主語のでっかい正しいのかみたいなのは、
問いとしてどうなんだろうなっていう感じがしちゃいますね。
そういう思考って何なんでしょうね。
自分はずっと下手すると365日、24時間ずっとそんなことを頭の中では思考が巡っているような感じがするんですけど、
結構適当に済ましておけばいいようなことも、
実際には割と結構考え込んじゃったりするところは実際にはあって、
それでちょっと疲れちゃったりする。
疲れるっていうかなんだろうな。
時間、脳みその時間が持ってかれてしまって読書に集中できないなとか、
そういう副作用が自覚しているところなんですけどね。
でもそういうことずっと考え続けているからこそ、
言葉の瞬発力っていうか、
フリートークでも何でもそうですけど、
ちょっと話し合ってみるみたいな場の中で、
どれだけ自分としての言葉がスーッと出てくるのかみたいなところ、
そのトレーニングにはだいぶなっているんだろうなとは思うんですよね。
ポッドキャスト継続の理由
このポッドキャストももうなんだかんだで半年近くなってきて、
回数ももう100回目前としてきているところなんですけど、
毎回毎回結構自分の言葉のトレーニングみたいな感じはありますね。
とりあえずマイクつけてボタンを押して撮り始めるんですけど、
ここから先の展開ってやってみないと毎回わからないんで、
気づいたら全然違う話をしているっていうのももちろんあるし、
全然言葉が出てこなかったなっていう、
困らない回になったなっていうこともあるし、
全然考えてなかったけど、
喋り始めたら結構ペラペラ出てきて、
自分はこういう風に考えているのか、考えるのかみたいなのが自分でわかったりもして、
そういうのが自分は楽しめているんだけどなーっていう。
でも全然それはそういうタイプの人だよっていうだけのことなんでしょうかね。
あれかもしれないですね。
対人的なコミュニケーションみたいなのをちょっと何かしようと思ったら、
ポッドキャストやってみるっていうのはすごくいいんじゃないかなって思いますね。
それもあんまり用意しない状態でやるポッドキャスト。
別にそれはポッドキャストじゃなくて、
ただただ自分が喋っていることを録音するっていうだけでもいいのかもしれないんですけど、
ボタンを押した瞬間からちょっと意識的に喋り始める自分みたいなのを
自己認識して、自分を認識して喋り続けてみるっていう一種の鍛錬なんですかね。
自分はこれすごくやってて楽しいので、
ちょっと今日は何だかいまいちな喋り調子ですけど、
でも何だかんだアップロードしたらですね、
自分でアップロードする前もそうですけど、
自分で撮ったものを聞き返してっていうのを繰り返しやったりするので、
結局自分が好きなんですかね。
あんまりちょっとその感覚わかんないぞっていう方は多いかなとは思いますが、
自分が喋っているのを録音して聞いて、自分で聞いて何が楽しんでいるか。
そこは確かにあるかなっていう感じですね。
だからそれがあるから自分の場合は何だろう、
淡々とやり続けられるっていうのは、
人にどれだけ聞かれるかみたいなところよりも、
自分が聞き直して楽しかったらOKみたいなところがあるから、
何にもこう無理なことせず淡々と続けられるっていうところがありそうですね。
一個の習慣になった。
まとめと今後の展望
何だかまとまりは相変わらずないんですけど、
それでいいかなと思っているところです。
これで終わります。
ありがとうございました。
12:18

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