アートの片隅で、こじらせシアターです。
ということで、再度本編の特典魔王キャナリーさん、お願いしまーす。 はい、音楽と演劇の共通点を探ろう。
一番スムーズにやったー! やったー! 初日あげました! 初日あげました! 初日読め!
4回目だね!
ということで、今回私が喋らせていただくんですけれども、 一番音楽から遠いところにいると思うんですけど、私。
この中でですね。
やっぱり一応考えてきまして。
でもね、これね。
実はね。
私も音楽と演劇の違う部分から話してみようというところにやっぱり行ったんですよ。
すごい!
なんか頭の中にベンズ、丸が2つ重なってて、重なるところもあるけど重なってないところがあるよみたいな感じのイメージがあったんで、
重なる部分を語るにはこの重なっていない部分を考えたらいいんじゃないかという考え方で行ったんですけど、
それ見事にアオキさんが先に。
まさかに。申し訳ございません。 正義されたんで。
確かに4周目の人は大変ですね。
不利なのよ。
まあまあまあ、でもなんかそういう話と。
もう一つは考えてわかったのは、やっぱり全部被ってるとはいえ、作品によってグラデーションがかなりある。
演劇だったら演劇の抽象度とか、演劇の言語をあんまり使わない芝居とめちゃくちゃいっぱい入れる芝居と変わってくるし、
例えば歌がある音楽でも歌の抽象度、めっちゃリアルな体験からわかりやすい言葉を用いて歌う曲と、
断片的なことしかわかんないくて想像力がいっぱい入る余地があるみたいな曲とかだとやっぱり違うので、
そういう作品によってグラデーションがあるっていうことが僕の中で一つ明確にあったので、
それでも音楽と演劇でちょっと遠い部分。
全く違うってことはないんだけど、遠い部分があるんじゃないかと思われたのは、やっぱりメロディーがあるっていうことがあって、
メロディーは言語の壁を越えやすいんやと思ったんですね。
どうしても僕がやってるお芝居が言語的なものが多いから、
例えばふなちゃんのダンスとかだとかなり国境を越えやすいよね。他の人が見てもわかりやすい。
ミュージカルもそうだな、歌がわかればなんとなくわかったり、オペラなんかもそうだよね。
そして特に音楽って、歌があろうがなかろうが、
俺、英語の曲聞いちゃって、かっこいいって思っちゃう、みたいなことは、
これはね、やっぱりぶち抜けて強いなって思ったのが。
たしかに。
もちろんね、ハリウッドの映画を見て、かっこいいなとかすごいな、素晴らしいなって思うんだけれども、
やっぱり外国音楽を聞いて、なんかわかんないけどすごくいい。
たしかにね、歌詞でなんて言ってるかあんまりわかんないけど、みたいなね。
そこの越えやすさ、全く越えないとは言わないですけど、ゼロではないと思うんですけど、
ストーリーが全く入ってこないわけじゃないですか、英語がわかんない状態でハリウッドの。
そうですよね、めっちゃいい曲だと思って聞いてたら、ただのクラブでナンパしてる曲だと思って。
そうそうそうそう。
そういうのラップランスでそこからわかるからね。
えー!みたいな。
でもなんかめっちゃ乗れるみたいなことがあると、やっぱりそれはすごい歌の力、音楽の力があるなって感じちゃうんですよ。
たしかにね。
私もブロードウェイミュージカルが日本に来るっていうので見に行った時も、
どこだっけ、アクトシアターかな?横に字幕が出るやつ。
あれの時に結局どうしたらいいかわからない。
本能的に字幕って見ちゃうじゃん。言葉が分かれたやつ見ちゃうから。
見るんだけど、でもなんか、何見に来たんだっけ?ってなっちゃって。
そうなんだよね。
芝居やってると表情とかさ、見たいのに、細かい処分まで見たいんだけど、ちらつくってなっちゃう。
そう、文字がずっとちらついてるみたいな状況で、立ったらないほうがなくて。
もうね、そっちのほうが見た目良くない。
僕、新国立劇場のオペラの女演、兵隊さんとかの役でアイダとかね。
新国立の作品だからもう世界トップオブトップの人が来て、
脇も日本のトップオブトップみたいな人が来て、
オペラなんか聴いたことがあるけど、大人になってから聴いたら、
はぁー!イタリア語1個も分かんないけど、歌声が素晴らしすぎる。
ソプラノが高いとか、テノールがかっこいいとか、バスが渋いとか、レベルを超えて、
すごい!みたいな。
圧を伝えやすい、振動的な意味でね。
伝えやすいかもしれない。音楽って。
バスの人の声なんか、自響きだもんなって思っちゃって。
楽器だもんな。はぁー!すっごいわこれ!みたいなことは、
1個も言葉分かんないんだけども。
楽器とすれば音楽になってると思うし、オーケストラもすごいんですけど、
あれはちょっとね、平気で言語の壁を越えてきちゃった体験もあったので、
これはやっぱりキャナエさんとアオキさんのお二人にも聞いてみたいんですよね。
言語の壁を越えた音楽の衝撃とかあります?
海外の人のライブとかも結構見に行ったりするけどね。
その時に確かにMCを含めて、わかる人はドって湧いたりしてるわけで、
アメリカンジョークみたいなことを多分言ってるんだろうけど、
なんとかでワラワラ!みたいな感じになって、わっかねー!みたいな感じではあるんだけど、
なんか陽気な気分にはさせてくれるし、
そこからのその曲のかっこいい動揺、せでなんとかでなんとかでって喋ってたのに、
そこからおー!気が付いたら歌になってる!みたいなのとかもあるし、
あとは、私がボーカリストとして思うのって、
英語と日本語って発音が全然違うから、
そこはこう、日本語は2つの音、
例えばTAだったらTとAがあるけど、
Tだけで発音することって基本的にはなくて、
でも海外のやつってやっぱTが発音されたりとか、
Kが発音されたり、クッとかティッとか、
そういうことがあったりとかするから、やっぱそのグルーヴ感が全然違う。
歌詞書いてても、ここにはやっぱり英語をどうしてもはめたいな、みたいなところもあるし、
そこは結構違いでもあるというか、日本語の。
でもその発音の仕方の一番耳心地がいいところ、
それはたぶん滑舌ともまたちょっと違うし、
伝えようとするとそれこそミュージカル的というか、
みなさん!みたいな、もうディズニーランドみたいな。
ディズニーランドって言っていいのかな?
愛がある!みたいな感じというか、
ショーとして見せる感じにはなっちゃう。
そこに自分の表現とか、もちろんそれには歌唱力が必要だし、
そこのバランス感ってめちゃくちゃ難しいなっては思うところでもある。
言葉での抑揚の付け方が難しい。
歌詞とかも、それはもしかしたらミュージカルとかの舞台をやってきたからかもしれないけど、
よく言われるのが、赤トンボ、夕焼け小屋かな。
あれも赤トンボっていう言葉に、赤トンボっていうメロディーが入っている。
それってあんまり違和感。めっちゃ違和感。
多分ミュージカルとかの曲に仕当てられてる方とか、
割とそういうの気にされてる方もいるような気がする。
日本語役になるんじゃない?
例えばブラウドアイミュージカルとか劇団式とかやったりしたら、
あの違和感とかね、そこをなくす日本語師の人たちはすごいと思う。
どう考えたってさ、日本語にしたらちょっとバサッみたいな感じになるじゃん。
海外のやつとか、アニメとかもそうだし。
え、そうなの?
あーしーみたいな。
そうなんだけどさ、みたいな。
そういう難しさ。日本語と海外の英語。難しさ、表現。
よくのっぺりしちゃうって言いますよね。
だからものすごくわかりやすい例で言うと、
このI love youって3つで3音で入るところ、
愛してるが訳されると、何個詰め込んでどこで切って、
後に持ってくのもおかしいしみたいなことのおかしさみたいなことは、
実に世界何カ国で放送されると。
あなゆきの時にものすごくレッドイットゴーのいろんな役バージョンがあって、
大変なんですみたいなことを見たことがありますけど、
その言葉にしないと受け入れてもらえないからジレンマでしょうけどね。
でも音楽の力はものすごくあって、その曲の楽曲の。
ものすごく時代にも全世界的に女性が一人で自立してみたいなことはすごく受け入れてるけども、
本当の原曲のこれはこうだっけみたいなまま届けられていくみたいなジレンマはあるかなという気がしますよね。
ここで作っててもしょうくんとかも感じることもあると思うけど、
しょうくんが曲を作って私が詞を当てた時の、
その曲の良さを逆に殺してしまう場合もあるというか、言葉で。
せっかくいいところを言葉でさらに相乗効果にできないパート、できてないパートみたいなこととかを
いろいろ見てるような気はするかな。
歌詞が返ってきた時とか。
難しいですよね、そこね。
今出てる音楽の力っていうののメロディー、あとはリズム、音楽にはハーモニーがあるよね。
これすごく三大要素なんですけれども、この中で今言った日本語と英語の違いってやっぱりリズムで、
アクセントの位置が違うんですね。
僕は青木ですけど、海外行ったらあおうき、船原、松とかってなるじゃないですか。
それって一番強いところが言葉の真ん中に来たりするんですよ。
3文字あったらその真ん中が一番強くなったりするんですよ。
これって音楽のリズムで言ったらワン、ツー、スリー、フォーって、次のワンでアが始まるんじゃなくて、
4の後ろから始まるんですね。ワン、ツー、スリー、フォー、青木ってなるんです。
分かりやすい。
ここの違いがめちゃくちゃあって、そこのやっぱりリズム感。
だからやっぱり英語を略すととんでもないことになるんですよ。
事故るよね。
そうなんです。これはほんと難しくて、日本語ってほんとに一番歌に乗せにくい言語なんですけど、
でも演歌聞いたら完璧じゃないですか。演歌って頭にこう、こういう感じなんで、
なんかそれにはまってるんですよね。
逆に海外の人が演歌歌えないとかってやっぱ安い。
なるほど。
マイケルのアとかサっていうのも全部ビートすごいバッチリ。
ドラムがハイハットでツクツクツクってやるような感じで、アっていうのが。
全部気持ちよいところに。あれはできない。
パンチャー、シクチョクは全部音に当たらない。
パーンっていうのも全部あれなんだ。
あれも全部マイケルの中では楽器が鳴ってるって言ってますよね、頭の中で。
それが言葉になっちゃうんっていうだけらしいから、なるほどなって感じだけど。
すごく自然なんですよね。
ドラムのビートとか、ギターのカッティングみたいな部分とかが全部リズムとして体に入ってるのが、
多分あの表現になってるというか。
いわゆる素人はそこの音しか、意味のない音しか拾えないんだけれども。
強拍しか拾えないからね。
結構僕、ギターを教えたりとかすることもあって、
よく思うのが、日本人って休符を歌わないんですよ。
ダーってやって休符があったら、休み。
休みじゃないんだよみたいな、拍数えてよみたいな。
3、4で次があるでしょみたいな。
運っていうのがない。
共感を読めってやつですよ。台本で言うと。
長い音符もそうですね。
4拍、ワン、ツー、スリー、アーって4拍伸ばすんだけど、
その4拍を数えてないから、アーって次が入れない。
とかってなるのが多い気がします。
逆にアメリカ人はそういうリズムがずっと入ってる?
たぶん勝手に言葉のリズムとかもあるので、勝手にそれになっちゃってる。
これは本当に聞いてきた言語。
赤ちゃんだったら英語だってわかんないわけだから、
それを聞いて育てるとやっぱりそうなるんだよね。
全然聞き込んだことないけど、
アフリカンな曲はアフリカンに聞こえますもんね。
わかるみたいな感じはちょっとメロディーじゃないんだけど、
東南アジアっぽいなみたいなことって、
そのメロディーがわかりやすく提示されていないんだけど、
そんな感じがスーっていう風には認識しちゃいますもんね。
少なくとも我々の感覚の文化じゃないっていうことを
わかるっていう感じがあるので。
でもそれは業務形態的な話なんで、
それを置いといて。
でもやっぱり何を提示しているかといったときに、
言葉を使っていることとか、
グラデーションをグッと。
言葉を使わないみたいなことって、
差分にあるなと思った。
なんでやっぱ音楽のさ、かっこいいと思うんだろうな、
あの言葉分かってなくても。
なんなんでしょうね。
なんなんだろうね、確かに。
やっぱりちょっとしたミュージシャンのリズムの取り方とか、
グルーブの出方とか、そういうのがある。
素人だけだと、ギターかっこいいとか思っているわけじゃないですか。
全然分かんない。
1ミリもギターなんか触ったことないけど、
ギャーンっていうのがある。
外には出せないし、
でもそれが外に出せる人はギター触るんだと思うんだけど、
なんか分かんないんだけど、いいなーって。
ありますよね。
あるもんね。
かっこいいとか。
分かる。
共有するという感じがあるんですかね。
ライブだと一緒に盛り上がると。
それも大きい。
でも例えば演劇を見に行くのって、
私は本最近読書をするようにしてるんですけど、
本読んだりとかしてる時も一緒で、
本読んでる時は頭の中にそれがあるじゃん。
演劇とか見に行ってても、
そこで誰かの一言とかでグッてなったりするじゃん。
ちょっと前のめりになっちゃうというか、
そういう引き込まれる感じっていうか、
そこは共通項でもあり得るんだけど、
そういう場合もあるだろうし、
それがやっぱり良さ。
自分の中にパラレルワールドをもっと受ける感覚っていうか、
自分の世界では起きない、経験できないことを見せてもらうというか、
物語が一つ自分の中にできたみたいな気持ちになれるっていうか、
現実逃避みたいなところもあるかもしれないし、
そういうのの世界があるっていうのはまた違うところでもあるけど、
共通項でもあるのかね。
やっぱりその世界を逃げ場所というかするってことは、
村上春樹さんもおっしゃってるんで、
何かあったときの場所にして、
そこから何か得たり共感したりして、
実社会で生きていく力になればいいですよね。
それを物語を通して何かしらの共有があって、
それを支えにみんな生きていくじゃないですか。
僕が物語を提示しているっていうのも村上春樹さんの受け売りなんですけど、
それは物語としての共感性の強さみたいなことは、
物語とか演劇のドラマの強みなんですよね。
でも今キャナリーさんがおっしゃった、
お客様を巻き込む力ってやっぱ音楽のパフォーマンスの方が強くて、
観客、フォーマー側という明確な分かれがないと危険なので、
危険だったら進行ができないから、
これはもうギリシャ悲劇とかギリシャ演説お芝居みたいなところからずっとあるわけですね。
こっちが提示したいものがあるんだ、ギリシャの悲劇とか、
今ある政治家の何とか監督がこういうことをしてる、
これが果たして許されるのかみたいなことをモチーフにして、
バーってやって聴衆をどうだ、みたいなことがあるから、
これは明確に聞き手とやってる側が分かれてないと成立しないっていう前提が強くなる。
お客さんをその世界に巻き込むために演出が一番最初にあったように、
客席側に誰かいるみたいなことからスタートするみたいなことはあるんだけれども、
基本的に分かれたまま進んでいくことが多い。
まあまあ、そうか。観客という位置、場所。
パフォーマーと一体化になったら話進めらんねえかな。
確かにね。
ミュージカルでね。
いかにミュージカル音がウェーイってなっても一緒になるかもしれないけど。
モーツァルトとかコンスタンチューとか喧嘩してるシーンとかで
そうだそうだとか言われても静かにってなるもんね。
してなるじゃん。
青木さんがおっしゃったように拍手だったりブイングが飛ぶっていうのも
あくまでもパフォーマーと観客できっちり分かれた上でですからね。
一体化っていうのはやっぱり音楽じゃないと無理ですよね。
発散場所って言うとちょっとあまりにもやる方側としては雑にはなっちゃうかもしれないけど
けどなんかここ最近私がこう自分もライブをやってて
自分も見に行くライブだったり芝居とかを見に行く立場として
さっき小松さんが言ってたみたいにミュージカルやお芝居とか
例えば本を読むとかそういうものって絵に行く感じがするんですよ。
持って帰れる場所。
後からじわじわ聞いてくるというか
あの時の言葉がとかさそれこそとか表情が頭から離れないとか
そういうのがじわじわずっと聞いてくるもの。
でもライブに行く時ってそこに置いてくものって感じがするというか感覚的には。
例えば付き合い立てのカップルがいます。
初めてのお泊まりで彼氏の家にお泊まりに行きますって言って
歯ブラシ置いてっていいよって言われて
いいの?じゃあ歯ブラシ置いてくねって行くじゃん。
ここでしか使わない歯ブラシがそこに存在するじゃん。
なんかその気持ちになるっていうか
日々の日常にはないんだけど
週に1回彼の家にお泊まりする時にいる私の歯ブラシがそこにあるみたいな。
でもそれを持って帰るわけでもなくて
彼氏の家にあくまでも置いて帰ってまた日常を過ごすみたいな
そういう感じがする。ライブで見に行くと。
ここでやれる自分、発散できる自分とか浸れる自分がいて
それをあんまり外に持って帰るというよりも
よしまた次のライブに来るために頑張ってみせるか!みたいな。
持って帰ってもらうのか、置いてってもらうのかの差は結構あるかなっていうのが
見る側としてもあるかなっていう気がしますね。
しかも手渡しでやってる、それを受け渡してる感じがしますよね。ライブはね。
そこに何のヒレタンもなく彼が普通に置いてっていいよって
えーいいの!?っていうのがある感じっていうか
なんかそれが音楽のライブを感じることかなっていう気がしますね、最近。
今の歯ブラシのストーリーすごくエモいよね。
それで一本作れるよね。ドラマも作れるし歌詞も作れそうな気がする。
確かに歯ブラシあるからね、歌詞がね。
僕のだけボサボサになってくる歯ブラシがありますからね。
でもそういうことを言いたいのためにストーリーがあってみたいなことで
っていうのはね、分かりやすくあるなと思って
それの表現方法が違うなっていうのはね、分かりやすく今話したことができた。
置いてる側の歯ブラシもあるからね。置かれてる側のね。
それアンサーソングじゃん。
もう絶対女の子の歯ブラシがあるわけですよ。
もう来ない。
捨てられない。
シンクの掃除に使われるだけだから。
切ない。切ないよ。
置かれた歯ブラシ。
置かれた歯ブラシ。置かれた歯ブラシもあります。
歯ブラシ大喜利じゃねえよ。
もうね、見方がね、角度がね、違ってね。
それもいいかもしれない。
どう?置かれた歯ブラシ。
何?置かれた歯ブラシ。
曲作れそう。
作れると思う。
歯ブラシの毛羽立ち方。
意外と力強いな。
めちゃくちゃ力強い。
片目使ってるみたい。
柔らかめじゃないんだ。
何の話?
脱線、脱線。
脱線しました。
こんな感じかな。
じゃあ、一旦エンディングいきますか。
早いです。
どうでした?お二人。
めちゃくちゃ楽しかったし、
それぞれいろんなことやってきたからこそ感じることとか。
そうね。
ショクの貴重な話も。
そうね。
貴重なのかわからない。
貴重ですよ。
聞きたい、聞きたい。
この話が聞きたい。
まだまだ聞きたい。
ソロ回もあってもいいですよね。
私はちょっと喋りすぎちゃうんで。
いいんですよ。そんなこともない。
アキさんどうでした?
すごくいろんな視点でコミュニケーションって言葉を使いましたけれども、
すごく自分の幅も広がって、
引き出しも増えて、すごく嬉しい回ですね。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
今回4人なんで4回撮ったんですけど、
この後番外編をやってね。
10月が、木曜は5週あるんで、
ちょっとずれ込んで、
10月は10月で4本お出しできるかなと思うので、
それで番外編をこの後やってみたりなんかしようかなと思ってますよと。
ということで来週もお二人よろしくお願いします。
じゃあおふなちゃんエンディングをお願いします。
今週もコジラセシアターをお聴きいただきありがとうございます。
番組への感想はハッシュタグコジラセシアター、コジラツアヒラガナ、シアターはカタカナで、
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出演者のハガミになります。
コジラセシアターは毎週木曜日更新予定です。
来週もぜひお聴きください。
それではありがとうございました。
ありがとうございました。
ご視聴ありがとうございました。