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古代の福岡を歩くシーズン10 遥かな昔海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン10 この番組は餃子のヤマハチ
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お待ちしております。
こんばんは、坂田周大です。 先週、糸島市の万葉の里植物園を紹介しましたが、今週からその糸島の伝説を紹介していきます。
なお、糸島の伝説は、糸島新聞社発行の海底版 糸島伝説集を参考にお送り致します。
ご案内を、糸島ふるさとガイド会長の吉丸克彦さん、 水戸間節佑さん、岩田久美子さんにお願いしました。
今週はまず、その糸島の玄関口にあたる 福岡市西区千里の三所神社近くに伝わる伝説です。
神社の境内で吉丸さんに伺います。
西区の千里というところに来ました。
千里飛び石という、飛び石があるというところに来ました。
ある年の三日の日に、正月の用意をしちゃったんです、その集落は。
ところがね、ものすごい音で、空が曇ってですね、耳をふさぐらい大きな音がしたんです。
そしてドーンと落ちてね、見たらその石が落ちとったと。
これは鋼雷から飛んできたんだ、朝鮮の方からですね。
そういう石がここに突き刺さったと。
で、正月の用意をですね、間に合わんで、
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それでその締め縄をね、普通の家は正月用に締め縄を張るじゃないですか。
それが間に合わなくて、それ以来ここの集落は締め縄を正月に張らないという言い伝えがあります。
その鋼雷から飛んできたという、千里という、これは地名ですか?
千里飛んできたということから、地名がついた。
千里の飛び石というわけですね。
どこにあるんですか?
あっち側ですね。
裏っかね、あ、見えました。
1メーターちょっと高さですね。
そうですね、1メーター20くらいあるんじゃないですかね。
横幅もそのくらいの幅ですけどね。
同じくらいですね。
厚さは3センチくらいですかね。
その石に締め縄が張られているという。
これですか?
はい。
この集落も正月になっても1年中締め縄を張られています。
締め縄は張らないんです。
張らないんですか。
私も確かめに来たことがあります。
それはやっぱり張っていなかったですね。
そうですか。
面白いですね。
それは千里の飛び石。
いつ頃の話なんですか?ずいぶん昔。
もうずっと昔でですね。
いつの時代か書いていないですね。
これと同じ時期に宇田川にお敷田という四季田んぼ。
そこにも同じ時に飛んできたんだと。
それは平たい石でですね。
そういうふうに本には書いてありました。
そういう石がここにあるということですけれども。
いつの時代かはちょっとわからないですね。
まあどうなんでしょうね。
飛んできたというか何かがありそうな感じがしますけどね。
多分考古学的にあれじゃないですかね。
四石坊の上石かなと思ったりするんですけど。
よくわからないですね。
そうかもわかりませんね。
薄いでしょう。
薄いですね。
大きいからですね。
ここに千里の飛び石の由来というのが書いてあります。
村の西一丁余り。
これ三条神社後でしょうね。
そうですね。
他の間に縦岩がある。
横が五尺、縦六尺余り。
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後来より千里の陶器を経て北利市上にこの名ありと。
この村は正月に締め名を飾らった。
民節にしっかりと言う。
締め名を飾らないというのは飾る暇がないという。
そういう石があったためにですね。
ずっとそれ以来締め名を飾らないと。
私も確かめきたんですけど、確かにそうでした。
わかりました。
そういう石があるということですね。
後来からはるばる飛んできたという石の話でした。
今度も後来に関係の深い話です。
夏にお伝えした安住野の八面大王の話の中にも
首塚という伝説が出てきましたが、
糸島にも残る首塚の話です。
甲来寺というバス停から高須山の尾根に登ってきました。
お話を岩田さんに伺っていきます。
糸島の甲来寺というバス停から
およそ10分ほど山登りしたところに
首塚という塚があります。
ここは糸城の5番目の暴露と言いましたっけ。
糸城にはちょうど高須山の尾根になります。
この尾根上に暴露が5つあります。
第1暴露、第2暴露、
すぐそこ、これから50メートル先くらいに
第5暴露、暴露といわゆる見渡す、
見張りのための場所ですね。
この糸城は奈良時代、756年から68年まで
12年間かけて築城された
古代中国式の山城です。
中国式といいますのは
他に大野城とか座財府水城と
朝鮮式山城がございますけれども
この糸城は築城の初めに
木々の牧々、検討士に2回行かれた方です。
2度目に帰られてから
座財府の第二となっておられて
その時にこの糸城の築城の任に当たったわけです。
それでその後2年間木々の牧々が担当し
その後には西駅の今江見氏という方が
この方はもう糸城の専門の官職で
この築城に当たっております。
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これですね、職日本儀に書かれています
築城からその経緯、場所などがはっきりしているということで
日本でもわりと珍しいんじゃないかなと
あまり例を見ない糸城
その糸城の後を再利用したのが
中世でこの地を治められた原田氏です。
その原田氏の時代のお話がこの首塚にあたります。
そうですか、だいたいこの首塚って誰の首塚なのか?
そうですね、なんか驚しいような名前ですけれど
これ実はですね、原稿のおり
原田氏が戦った相手方、モンゴル兵
モンゴル兵ですけれども
モンゴルはその時も世界各国を支配されていて
原稿でこっちに来たのが朝鮮半島の高麗の兵が
主だったと言われておりまして
文江の駅と高山の駅と2度ほど原稿がありましたけれど
一度文江の駅では原田氏をたねているという方は
戦死なさっているんです。
その後の高山の駅の時に
お父さんの原田氏が戦って
高島でですね、戦いして
野古の島でもということも聞いておりますけれど
その地でいわゆる捕虜として連れてきた
モンゴル兵、高麗兵ですね
その兵の方々を中川で首を打ったと
言われておりまして
その首をこちらに持ってきて
ここでその礼を慰めるために
柄を立ててともらったと
言われているのがこの首柄です。
先日ですね、今年は原稿750年ということで
慰霊のツアーの方々が来られて
今このようにお花が添えられておりまして
ここでですね、原稿に関しては
糸島の千里寺さんがですね
深い関係がありますので
御住職が来られてここでですね
お参りをしていただいたという経緯もあります。
先ほど千里の石のところで
高麗から飛んできた石だという伝説が
残っているということですけれども
それでこの辺に高麗の伝説というのは
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各地にいろんな伝説があるんですかね。
はい、そうなんです。
ここでその礼を弔って首柄を立てたというのが
元々は原田氏が高麗の兵衛の方々を
弔うためにこの地に高麗寺を立てたというのが
朝鮮半島の高麗の高麗寺のです。
今は高麗高い来る寺と書きますけれど
この地名にもなっているのが
原田氏が建てられた
モンゴル兵衛を弔うために
建てられたのが高麗寺が
今名前に残っているということです。
お寺は?
お寺はですね、ここにあるというような
形がまだどこかはっきり分からないんですけど
この辺りだろうということは間違いないようです。
それで大体この辺りに高麗から来たという
言い伝えがいろいろあるんですね。
はい、そうでしょうね。
その碑がですね、石碑ですね。
石の碑になっています。30センチぐらいの。
ここに一個だけポツンと
建てられておりまして
両袖に花がちゃんと飾ってあります。
高須山の尾根にあります首塚でした。
今度は糸島から福岡市西区に少し入ったところ
明治原に行きました。
糸島では大変有名な方
宮崎泰田さんの話です。
吉丸さんに伺っていきます。
ここは福岡市西区の明治原という
女原と書いて明治原と言いますけれども
いうところに来ています。
ここにですね、後ろが
池になっていますね。
ところにポツンと一軒
平屋が建っています。
河原吹の家です。
宮崎安定書斎というふうに書いた
建物が一つ一軒建っています。
これはどういうふうな方ですか?
宮崎安定さんはですね、
お父さんが広島藩の藩士だったんです。
息子さんは安定、安定だと言うんですけど
福岡藩の2代目の
忠幸子に仕えた
25歳の時に仕えたんですね。
200個くらいいただいて
おったんですけど
30歳の時にですね、
要するに福岡藩の藩士を辞めて
そしてこの宮原に住んだんです。
そしてその宮原に住んだ後
農業をやろうということで
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勉強のためにですね、
要するに伊勢とか
それから紀伊とかですね
そこらへんにずっと
古老を訪ねて
聞いて回ったんです、いろんなこと。
そして自分もこっちに帰ってきて
いろんな作物を作ったりしながら
研究をするんですね。
中国の書物に
やっぱり農業書がありましてね
それを勉強して
そして元禄の
9年だったかな
1696年に
自分で農業全書と
農業全書、すごいですね、その時代ね。
25歳からずっと辞めてから
全国回って
今度こっちに帰ってきてですね
近くの農民と一緒に
田んぼを開くんです。
徳永とか千里あたりも
開くんですけど
安定開きと
呼ばれてるんですね。
相当広いところを開墾したようですね。
そういう業績があって
今で言うお金になる農業
というのを奨励したと
いうふうに言われておりますね。
そうなんですか。要するに農業をして
生活がやっていけるという。
はい、そういうことですね。
今の糸島農業高等学校は
昔は安定高校といったんです。
そうなんですね、安定高校。
宮崎安田田を通って
安定高校と行っておりました。
いいですね。
そういう時期が何年かあったんですね。
ここは書斎なんですけど
これは県の文化財に指定されております。
いい建物ですよね。
お墓も一緒に指定されておるんですね。
そうですか。
これは正確には
宮崎安定さんでもいいんですか。
安定って言うより本当は安定田なんですね。
本当は安定田。
では宮崎安定田書斎というふうに。
そういう書斎が一つここにありましてね。
なかなかいい佇まれですね。
ちょっと庭へ回ってみます。
ここはまた池が一復できますね。
そうですね。ゆっくりできますね。
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池があるとホッとする感じがしますね。
ホッとしますね。
ここにベンチも置いてあって
静かに過ごせるなという感じがします。
そしてこれを隣の
柿の木が
また黄色く色づきまして
いいですね。いい感じですね。
系統がありますね。
万葉時代はカラアイって言うんですね。
カラアイって言うんですか。
これから植えなきゃいけないんでしょ。
カラアイって言うんですか。
これが非常に美しい真っ赤なね。
そうですね。
江戸時代に農業全省を出したという
宮崎安定さんの書斎を訪ねました。
今度は糸島の西の方にあります
標高805メートルの
浮き竹の麓の浮き竹神社にやってきました。
浮き竹神社と書いてある石の片額の上には
鳥の姿らしきものが彫ってあります。
その横に大きな異常な木もあります。
この近くにも
いろんな伝説が残っています。
ちくしの富士に来てみれば
霞に孫を
雲の浮き竹という歌があるんです。
古来から。
西予報信ですか。
西予は九州には来たことがないので
あんまり歌が上手だったので
欅の板に書いて
このお庭の中にあるんです。
あるんですか。
音に聞く。
ちくしの富士に来てみれば
霞に孫を雲の浮き竹という歌があるんです。
いい歌ですね。
それがお庭の中にあるんですか。
下から見ると
高い感じですよ。
どれが高いですか。
この円額の上です。
石の円額がね。
鳥居の真ん中に書いてありますが
その円額の一番上が
鷹ですね。
鷹が掘ってあるという。
難しいですね。
ホークスの方がこちらに
お参りに来ると。
そうですか。
神宮高号はこの糸島には
3度にわたって来ているようです。
1度目は糸のあがたぬしの祖先にあたる
糸手に案内されて
朝鮮出兵の戦勝祈願に来ています。
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そして2度目は
羽二郎熊橋やタブラツ姫を滅ぼしたあと
カシグへ戻る途中。
3度目は朝鮮出兵の直前です。
この浮き竹神社には
2度目の唐津を経由してやってきたのではと
見られるそうです。
こういった伝承も残っている浮き竹の話は
来週お送りいたします。
なお、糸島の伝説は
糸島新聞社発行の海底版
糸島伝説集を参考にお送りしました。
今日の話では
後来から千里の道を飛んできたという
二つの飛来石の話が掲載されています。
ここで古代の福岡を歩く
リポーターの中島梨彩さんです。
今日は番組リスナーさんに
ピシャリの限定ツアーを
見つけたので紹介しようと思います。
糸島市観光協会が行う歴史ツアー
タイトルが
弥生時代の王と伊都国国宝応募めぐりツアー
見ごたえありそうですね。
11月30日の土曜日と
12月8日の日曜日と
1月18日の土曜日、3回だけの限定ツアーです。
JRの竹前前原駅発着になるのですが
このツアーの特徴について
主催する糸島市観光協会の
修宝さんがおっしゃっていました。
歴史と言っても全く分からない方から
ある程度は分かるけど深く知りたい方がおられると思います。
そんな方々に向けてのツアーを
作っております。
詳しい人もそこそこの人も両方楽しめるんですか?
そうですね。ゼロからでも
ゆっくりと1日かけて歴史ガイドがついてますので
歴史ガイドの話を聞いていると
たぶん同じぐらいのレベルまでの理解度が深まると思います。
気軽に参加できそうでいいですね。
そしてディープにも知るようになれる
自分の成長があると思うんですが
このガイドは誰かなと思って聞いたら
この番組でお馴染みですよ。
糸島ふるさとガイドの水戸真哲夫さん。
古代の福岡は
アルクをリアルに体験できるというか
制作している津川ディレクターの気持ちが
味わえるツアーなんじゃないかと。
番組を追体験できますよ。
どこを回るかというと
午前中はタカス神社
去年国の重要文化財になりましたので
ここも含めてスタートしていき
伊都国歴史博物館では
鏡など国宝三昧なわけですよ。
1時間半ぐらい時間がとっているので
たっぷり学ぶことができる。
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この伊都国歴史博物館では
こういう見方もお勧めと修芳さんが言います。
しかも4階建ての1番目展望所があるんですけど
多分昔とあんまり変わらないんじゃないか
という景色が見れると思うので
その辺を見ていただくのも一つかと思います。
2世紀、3世紀の時代に
伊都国というのがあったんですけど
その時代も農耕していたわけですよね。
そこから続く伊都島の野菜、農産物だから
美味しいのは当然なんですけど
その頃と同じような景色だったんじゃないかと。
なるほど。
この見方ですよ。実はこのツアーのオープニングって
歴史じゃないんです。伊都祭祭直売所でのお買い物なんです。
そこいいですよね。
この一番最初の朝一に行きますよというタイミングが
さすが伊都島市観光協会です。
ちょっと遅れると物がなくなるくらいの人気の店なので。
さすがさすが。そして午後は
サザライシ神社に行き
三蜘南工事応募に行き、平原応募に行き
ってなるんですが、お昼ご飯も注目どころです。
伊都島の郷土食、そうめんチリ。
そうめんチリ。
江戸時代からあるんですが、長崎街道がシュガーロード
ずっと佐藤が通ったって言われてますが
その影響が唐津街道に回って
その影響がやっぱり伊都島に回るっていうのが
この料理のスタートみたいです。
伊都島にもやっぱりそこそこ砂糖が入ってたらしくて
その時代から鳥を育ててた
鳥の出汁を使って
ざらめ砂糖と醤油で味付けをしたスープに
伊都島のお野菜とか豆腐とか入れて
最後にそうめんを
入れて食べるっていう郷土料理なんですよ。
意外とハマると美味しいんです。
関東の方からするとちょっと甘いねって思うかもしれないですけど
ちょっと甘じょっぱい感じの鍋なんですけど。
甘い鍋なんですね。
好き焼き風ですが、あそこまでは濃くないんですよって。
ぐつぐつ炊いた中に
鳥とお野菜炊いた中に
そうめんを最後に入れるんですが
締めではなくて鍋の一つの具としてそうめんがぐつぐつ炊かれる。
全部一緒に食べてくださいと。
そうめんチリ郷土食なんですけど
今の通常営業でお店で食べられるところがないので
これはなかなかのチャンスなわけなんですね。
このツアー仕上げには雷山千里寺に行くんですが
なぜ仕上げが雷山千里寺か
実は私ちょっと聞いてきたんですけど
面白い話なので参加した人に
ガイドの三戸さんから聞いてほしいなという。
お楽しみだ。現場で。
愛知県の伝説とか歴史とか神話の世界とかが
全部入っていて面白い話がたくさん聞けるんですよね。
愛知県市観光協会の修吾さん曰く
これね農業と歴史がきれいにマッチングするツアーなんですよね
27:00
っておっしゃるんで
ぜひぜひかみしめていただきたい。
限定3日間だけのツアーなので
日付が11月30日と12月8日
1月18日の3回になります。
お問い合わせと申し込みは
愛知県市観光協会にお願いします。
電話番号が092322-2098
092322-2098です。
愛知県市観光協会の歴史ツアーについて
聞きたいんですって言ったら教えてもらえると思いますので
ぜひ出かけてみてください。
中島リアさんでした。
番組からのお知らせです。ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目から
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この番組は道の駅村方
餃子のヤマハチの提供で
お送りいたしました。
ご案内は酒田周大でした。
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