1. 古代の福岡を歩く
  2. S9 21回目は伊都国歴史博物..
2024-02-18 29:46

S9 21回目は伊都国歴史博物館からです。

糸島には伊都国の王墓いわれる遺跡が3つあります。
三雲・南小路遺跡、井原鑓溝遺跡、それに平原遺跡です。
実は、これらの遺跡の様々な遺物を一堂に展示してあるところが糸島にあります。
伊都国歴史博物館といいます。
主に3階の展示物をじっくりみていきますと、糸島の王墓のことががよくわかります。
そこで、今週からこの伊都国歴史博物館の展示物を紹介していきます。
御案内は糸島ふるさとガイドの三苫節代(みとま・せつよ)さんです。
3階の展示室の入り口は大変こった作りになっていて、エスカレーターで上がってすぐ目の前に、糸島の山の風景が飛び込んできます。
海鳥の鳴き声も聞こえ、櫓の音もします。糸島半島に海から上陸する気持ちになります。
ここから王墓のいろんな出土品が目に飛び込んでくるのです。
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00:09
古代の福岡を歩くシーズン9
遥かな昔、海の道からそして陸路を通じて福岡には様々な文化が入ってきました。
その足跡を訪ねる古代の福岡を歩くシーズン9
この番組は、宮間市の企画協賛、
餃子のヤマハチ、道の駅村方、
草と共に生きるオーレックの提供でお送りいたします。
こんばんは、坂田周代です。
今週から伊都国の王墓を紹介していきます。
伊都国の王墓は三久目南障子遺跡、
岩原槍溝遺跡、平原遺跡とありますが、
これらの遺跡の様々な遺物を一堂に展示しているところが伊都島にあります。
伊都国歴史博物館といいます。
主に山外の展示物をじっくり見ていきますと、
伊都島の王墓のことがよくわかります。
そこで今週から、この伊都国歴史博物館の展示物を紹介していきます。
ご案内を、伊都島ふるさとガイドの水戸間節佑さんにお願いしました。
展示室から入っていきます。
まず、応募がある伊都島の場所の説明から聞いていきます。
山の状況がよくわかるのですが、
セフリ山系から、岩原山からつながる水梅地川と川バルガラ。
川バルガラ。
ちょうど三角巣みたいになっているここが三久目岩原地域なんです。
三久目岩原地域に、その中で三久目に最初の王様のお墓が作られた、
王様のお墓が見つかったというところで、
山側のこのあたりに弥生の人々の暮らしが発達していったのではないかと思われます。
03:00
それから一番最初に王墓が見つかったのが三久目南障子遺跡ですか。
そうです。
それからその次は川を登ってくるような形であるのが岩原。
岩原やり溝。
三久目南障子の北側、山側になりますけれども、そちらが岩原やり溝という地域名です。
そこで見つかったのがだいたい1900年前の王様のお墓です。
そして時代的には一番新しい感じになりますが、平原遺跡といいますね。
平原は三久目から見ると西側になります。
西側の曽根丘陵というちょっと小高い丘になっているところなんですけれども、
そのふもとにあります。
そこが平原遺跡、1800年前の王様のお墓というふうに紹介しております。
川が南へ向いて一番東にあるのが川原川。
そして一番西にあるのが津波寺川。
その二つの川にだいたい挟まれたようなところにあるんですね。
もう一つですね、平原の王墓につきましては、
津波寺川と曽根丘陵を挟んだ西側に雷山川があります。
三本の川がセフリ山系の雷山から流れてくる雷山川、
岩原から流れてくる津波寺川、川原川というふうに三本の川がありますところです。
そして南北の長さとしては1キロちょっとあるということですね。
それから東西にしては600メートルぐらいということでいいんですかね。
面積は40ヘクタールぐらいのところというところですね。
こういったのを頭に入れながら展示品を見ていきたいと思います。
ではご案内をお願いします。
そして3階の展示室へエスカレーターで移動していきます。
大島半島が左右に広がっているということで、
この地図は本当によくできていますね。
今説明していただいた二条岳が右側にありまして、
岩原山、雷山、そして高須山、茅屋山と、
06:03
一番左側に毛穴の音があるという図ですね。
ここから入っていくんだね。
そうですね。こちらのエスカレーターは真っ暗でちょっとした仕掛けがありまして、
大陸から渡ってきた人々が渡ってくるときの船に乗っている様子を再現してくれておりますので、
海猫が鳴いて歓迎してくれていたり、ギコギコ言っているのは貝。
貝の音なんですね。凝っていますね。
上陸した方々が一旦糸島半島を見たときこのように見える風景を再現してくれています。
まずここでちゃんと頭の中に入れていただいて、そして館内に入ってきます。
三階に来ました。三階に入って、普通は展示品に目を奪われて気がつかないんですけれども、
よく見れば天井に大きな石がありますね。岩ですかこれは。
そうですね。実はこれは糸島市にある特徴的なもので、
弥生時代の始まり、2500年前に大陸から渡ってきた人々がこちらでお亡くなりになったときに
糸島で埋葬されたときのお墓の形態を示しております。
お亡くなりになった方を埋めまして、四隅に頭の大きさぐらいの小石を置いて、
大きな大きな石で蓋をします。なので捧げる石のお墓、四隅墓と言います。
古代ケルト語でヨーロッパが原点です。ヨーロッパから中国を経由して、
朝鮮を経由してこのお墓の形態、四隅墓が糸島にたくさん残っております。
たくさん残っているうちの一番大きいのが、今さっきえっとおっしゃった、天井にあるんです。
ハリボテ。
大きさが5トンあります。
5トンもあるんですか。
5トンもあります。落ちてきたらちょっと怖いですね。大丈夫です、これは。
本物はこちら博物館の西の方にあります三社神社というところ。
三社神社この間行きましたね。
あれですね。
5、6メートルありますかね、長さがね。
大きな岩でした。
こちらになります。
この四隅墓から展示が始まるということで、
まず一番最初に出現した王墓ですね。
それが三久保南障子王墓といいます。
弥生時代およそ2000年前、王墓から発掘された展示品です。
まず三久保南障子遺跡からは巨大な亀冠が発掘されました。
一号亀冠と二号亀冠という名前が付けられています。
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ここは一号冠と二号冠というふうに書いてあるんですが、
これは2つの亀冠が発見されるということでよろしいでしょうか。
はい、そうです。
それでまず一号冠からいきますか。
一号冠、一号の棺と書いてありますので亀冠のことなんですけれども、
約2000年前の弥生時代の伊都国といわれた、
この時代の最初の王様のお墓の中身ですね、副装品ということです。
出てきたものがすごかった。
すごかったです。
すごかった。禅冠時代といいますので、中国の前の冠と書きます。
紀元前に約20年に秦の始皇帝が亡くなった後に
劉邦が建てた漢の国、そちらの国の王様からもらったといわれております禅冠卿。
王様の棺の中から35枚、隣の王子様の亀冠から22枚、合計57枚が発見されました。
江戸時代1832年、三駒村の農庁三戸正四郎が畑の土を取って地面を掘ったところ亀冠が出土したと。
当時発見されたときに福岡の黒田藩の青柳種信さんとおっしゃる黒学者の方が
こちらのことを出てきた鏡その他をすべて卓本に取ってくれていました。
その後王母の位置も忘れ去られ異物つまり服装品もどこかに行ってしまっていたのを記録としては残してありました。
大正時代に中山平次郎博士によりまして現地調査が行われて
この三駒南正四郎のここが江戸時代に発見された王様の跡だよということは分かりました。
分かったんですけれどもそれからさらに時が経ちまして昭和50年になって
前原市と福岡県の教育委員会で発掘調査を初めてされました。
だから江戸時代に偶然見つかったんですけど大正時代まで場所が分からなくて昭和の50年になってやっと発掘調査がされた。
昭和の時代に発掘調査されて出てきたのが今お目にかけております鏡の一部なんですね。
少し欠けておりますのでこれがどうしてそこのものかって分かったかというと
江戸時代に青柳種信が残した託本とこちらの欠片がぴったりと合いました。
そういうことで間違いないここが江戸時代に発見された場所だよねということで
12:00
三久保南庄寺という場所だったので三久保南庄寺
約2000年前の伊都国の最初の王様のお墓だねというふうにご紹介しております。
よく託本を取っておられたですね。貴重な託本ですよね。
これがなければ確認はしにくかったかと思いますね。
そしてこの一号王墓から大変貴重なものが出てきたというのがここにあります。
まず近藤使用飾り金具というやつで四葉ですよね。三葉じゃなくて使用というのが四葉です。
四葉の飾り金具これはどういったものですか。
こちらは中国の皇帝から贈られた恐らく官王家、中国で位の高い貴族の方だけが入れる官王家の飾りなんです。
こちらに写真、イラストで官王家で見せてくれておりますけどその飾りの部分なんです。
近藤使用座飾り金具といいます。
直径4、5センチありますね。そのくらいの四葉になっています。
これが一つと。
8個出てきたんです。昭和の時代に8個出てきております。
しかしこれは亀冠ですよね。亀冠から出てきたというのはどういうことですかね。
当時北部九州は埋葬するときの亀冠で埋葬しておりましたので木冠で木の棺がもらったとしてもどう使うんだろうともしかしたら使い道がわからなくて
従来どおり亀冠に入れたんじゃないかなと想像ですけれども。
そういう貴重なものが近藤使用座飾り金具とちょっと覚えにくい名前がついていますね。
それからその横にガラスの壁というものがあります。
これも大きさが15、6センチ台かな。12、3センチくらいの円形のものですね。
真ん中に少し空間があります。これはどういったものですか。
これがわかりやすく言うとCDのCDですよね。CDに似てるかなと思いますけれども全然違います。
壁です。壁というのはこれも中国の皇帝から貸しされたものです。
中国の皇帝も壁を持っています。ただし材料が違います。玉、宝石で作られた玉壁です。
それからこちらはガラスでできておりますのでガラスの壁。
三宮南正治の王様がもらったのはガラスの壁。
15:02
玉壁に関しては中国の皇帝は身分の高い自分の皇帝クラスに貸ししたりしたものです。
ガラスの壁につきましては身分の高い自分の高級武官とかそれからよその国の王様王族に貸ししたものがガラスになるんです。
なるほど。よその国の王様に。
材質によってその人の身分をわかるようになっているみたいですね。
壁につきましては皇帝が玉壁を持っていることによって全ての望みが叶うというふうに信じられておりましたので皇帝にとってはなくてはならないものだったそうです。
一つの玉をめぐって争いごとも起こったようなそういうお話も戦国時代の中国の話で残っております。
だから全ての望みが叶うので完璧の語源になったと言われております。
完璧の璧です。
壁の下に土じゃなくて王という字ですよね。
ガラスの壁これが見つかったということです。
ガラスの壁とそれから近藤氏王座飾り金具というのはこれは二つは皇帝から貸しされたものということですね。
そしてもう一つ左側にある変わったものがあるんですが朱月。
王様が埋葬されていたであろう亀冠の中は水銀朱で満たされていたそうです。
水銀朱と言いますのが左の方に説明をしてくれています。
水銀朱の説明からいきましょうか。
左の方に朱と弁柄というふうに弁柄と朱とちょっと違うということで説明が書いてあります。
まずこの朱の方は審写ですね。
中国では戦薬としても陳調されて朱の原料となる審写は大陸からの購入に頼っていた。
希少価値が高く我が国でも朱長倉の至高品とは書いてあります。
この真っ赤な色。
真っ赤とも書くんですけれども審写につきましては当時金と同じぐらいの価値があったそうです。
今の金と同じぐらい。
だからこのちっちゃい車例の中にいくつ入っているのか。金の価値が今1万円ぐらいですから。
これだけでも何百万ぐらいするじゃないですか。
数千万ぐらい。
だから大きな大きな亀冠にこれがとっぷりと塗られていたということになりますとすごいことが想像できますね。
18:04
だから王様にふさわしい審写であり亀冠だと福装品だということもここで想像することもできます。
そしてその横に石金というのがありましてこれは何をするものですか。
これは審写をつぶすL字型の石の金って書いてありますね。
審写を生成するときにすりつぶす道具です。
L字型でLの縦の方が15、6センチありますね。
横の方が10センチぐらいか。
そのぐらいの大きさですね。
これが石金、石で作ったもの、これで石を作っていくということですかね。
石ですね。
そしてここに原料名が書いていますが、石は硫化水銀、ベン柄は酸化第二鉄というふうに書いていますね。
ベン柄の方が薄いんですね色が。
薄いといいますか、ちょっと濁った赤ですよね。
だからどういうふうに説明するかなと思います。
審写の場合は完全な赤で、硫化水銀なんです。
ベン柄の方は酸化第二鉄、分かりやすく言うと鉄が錆びたら赤くなります。
あれだと思っていただいたら分かりやすいかと思います。
価値が全然違います。
水銀紙とベン柄同じように赤の原料ではあるんですけれども、価値が全然違うというところで、
王様のお墓にはこの水銀紙が使われています。
これが一号館も二号館も内部はこの赤だったということですか。
そうです。と言われております。
もう一つ鏡の中で名文が書かれているんです。
一号館の服装品。
服装品の中に鏡があるんですけれども、鏡に名文が書かれておりますので、
蓮子門明太経、括弧して清白経と書いてあるんですね。
清白、つまり清白を清くして君に仕えしも、
玄石の隆沢を急し、素縁にして火に忘れられるを恐れるという風にですね、
当時戦国時代の蘇治という屈原とかの有名な詩がこの鏡の中に、漢字で書かれています。
鏡の中に。
長木家、ちょうど2000年前にこの漢字を見ることができた伊都国の王様。
王様が漢字が分かった。
分かったかどうかは分かりません。
当時の日本に和国と言われた2000年前には文字はないと言われておりますが、
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こういう方々は中国から来た、こういう鏡の中に書かれている漢字とかを見た可能性があります。
理解したかどうかは分かりません。
今週は伊都国歴史博物館から、伊都島の王母から出土した遺物を紹介しました。
ご案内を、伊都島ふるさとガイドの水戸真雪代さんにお願いしました。
この続きは来週お送りいたします。
ここで古代の福岡を歩くリポーターの中島理恵さんです。
こんばんは。
今日は福津市のカメリアステージ歴史資料館で行われている企画展のご紹介です。
シンバルの山、三十五分の時代というタイトルがついている企画展なんですが、
3月の4日まで行われているんですね。
その内容を福津市教育委員会文化財課の井浦恵さんに案内してもらったんですが、
この前方高円墳の三十五分なんですけど、
令和に入って、この分球が崩れたりしているところを修復するために、
ちょっとだけ、本当に必要最小限を掘る調査をしたんですよ。
そうしますと、この出土品の中から末期が出てきまして、
6世紀前半頃のものが出てきたので、おそらくこの三十五分を作り始めた頃のものじゃないかと。
大亀、大きな亀の破片なんかもあるので、古墳の周りとか、
上にこういったものが飾りなのかお祭りなのか並べられていたというふうにも想像できるんですよね。
この三十五分と同じくらいに作られた、
このシンバルの山古墳よりちょっと南にある、
須田天振神社の出土品というのも一緒に並べてまして、
さらにその後ろにその頃時代に起こった出来事の年表が添えられているんです。
そこにはこんな思いがありました。
遺跡から出てきたものの年代とか種類に終始しないで、
当時の人の姿が見えてくるような歴史の年表と出土品をうまくつないで、
当時の情景が思いがけるようにできないかなと思って工夫しているんですけれども。
なるほど。
その展示の中でピックアップされていたのが、
ちょうど三十五分が作られていた頃に起こった事件というか乱なんですが、
西暦527年の岩井の乱。
石垣に攻められた茅野諸国を救援するため、
警隊大尉が送った軍を畜死の君岩井が阻止してしまった。
警隊天皇が岩井を成敗するために出撃を始めた。
結果的に畜死の君岩井は負けちゃうんですけど、
24:02
その息子の屑子が菓子屋の土産を現状して死罪を免れたという話がありますが、
この辺のことについてさらにこんな風に考えてみたらどうですかと井浦さんが言います。
三十五分の築造した人、悲壮者。
64メートルぐらいの古墳ですから、
胸形の君と言っていいかなというぐらい結構有力な人。
天振神社古墳は80メートルですから、胸形の君と言ってもいいかもしれない。
そういった胸形地域でトップクラスの有力者で、
ほぼ岩井の乱の頃に生きている人たちというのは、
岩井の乱のことも知っているし、岩井に会ったことがあるかもしれないし、
警隊大尉のことも知っているでしょうし、
そういうふうにして見ると面白いんじゃないかなと。
なるほど。
新しい目の付け所だとワクワクしちゃったんですが、
実はこの岩井の乱の後、胸形地域の古墳に変化が出ているそうで、
被護地域、火の国、火の君の支配下のエリアですよね。
に見られるような特徴が出てきているんですって。
石室がですね、石棚ができてたりとか、彩色壁画などが出てきたりするし、
埴輪の模様も似ている。
さらに6世紀後半になりますと、胸形地域にも倉庫群が出てきて、
さらに直径15メートルぐらいかな、塩粉群が爆発的に増えるとおっしゃいます。
それがですね、6世紀後半の何かしらの社会の変化とか、
山東県の地方支配の仕組みの変化に反応した遺跡側から現れている
そのものなんじゃないかっていうふうに。
考えられるんですよ。
いろいろ想像してみるのが楽しいことなんですが、もっと楽しく想像したい、
そして古墳そのもので楽しみたいという人のために、
3月1日から20日まで福津の古墳祭りが行われるんです。
この期間中は戦竜の募集があったり、古墳のクイズが古墳周りで出題されてたりしますし、
カメリアステージのカフェコーナーでは古墳風カレーとか、古墳ワッフルとかというメニューも提供されるんですよね。
さらにディープに古墳を知りたい人にとっては、3月3日の日曜日にはカメリア会場でイベントが行われてまして、
その中で発掘最前線講座というのも1日3回行われてたり、
今度は3月17日の日曜日には古墳会場でイベントが行われるんですが、
その中で34号分の現地説明会を行われるので、直に今のシンバルの山古墳群が楽しめます。
詳しいことは福津観光協会にお問い合わせください。
中島理恵さんでした。
27:08
ここで番組からのお知らせです。ホームページのご案内です。
これまでの放送内容と番組を1回目からじっくり楽しむことができます。
RKBラジオのホームページの古代の福岡を歩くシーズン9のバナーをクリックしてください。
また、Apple、Google、Spotify、Amazonなど各ポッドキャストでもお楽しみいただけます。
この番組は、宮間市の企画協賛、餃子のヤマハチ、道の駅村方、草と共に生きるホーレップの提供でお送りいたしました。
ご案内は坂田周代でした。
ご案内のポッドキャストまとめサイトもチェック。
29:46

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