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#160 世代間の分断、乗り越えるの無理ですか?▼ポッドキャスト特別企画「あなたは幸せですか?」後編▲
2026-07-19 56:07

#160 世代間の分断、乗り越えるの無理ですか?▼ポッドキャスト特別企画「あなたは幸せですか?」後編▲

ポッドキャスト特別企画「あなたは幸せですか?」後編です!

【出演】山田俊介(報道部)山田桃子(営業企画部)

【ゲスト】南出吉祥さん(岐阜大学地域科学部教授)

★番組の感想を送ってみる(→⁠⁠⁠⁠⁠⁠https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSeToaghzx1YR_2IYtxmJbt9Fofj5tsKLvYuLp4zFiC9VgQzTA/viewform?usp=sf_link⁠⁠⁠

★公式X!(→⁠⁠⁠https://x.com/Gifunp_kkkg⁠⁠⁠⁠⁠)

★併せて聴きたい♪ #156 【新人さん回・後編】世代間ギャップの話を振ってみた(→https://open.spotify.com/episode/0W1b0m1KgmlJvmuM78ZUZ7?si=eyZZ9ONhR3-07ZzNgfsDmQ

感想

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00:05
幸せですか幸福のヒントでいただいたメッセージを元に考える幸せについて 後編に入っていきたいと思いますが
前編はね割とほっこりしたメッセージもいろいろありながら ちょっといろいろ掘り下げ掘り下げしていくと
まあね今の時代について 物思いにふけりたくなるようなこともありながら
あったんですが
残り2人 2件メッセージを紹介しながら
引き続き幸せについて考えていきたいとおもいます では
ながらがわさん82歳男性の方です 昭和18年に生まれ戦争中戦後の苦労は親から口コミで聞くばかりで何の苦労も知らず
しかし お金はなく
高校生活もアルバイトに明け暮れ就職先も会社が新規開発した商品の営業で毎日仕事に 追われフラフラ気がつくと翌日になっていたこともたびたびでした
会社も今のようなパワハラなんて言葉もなく 上司に嫉妬された場面を何度見たことか
成績が上げられないんなら会社を辞めろ お前の代わりはいくらでもいるんだが上司の口癖でした
それこそ24時間働けますかを辞で言っていました 家庭を全く帰り見る暇もなく丁寧
今に至り気がつけば子供さんには成長し現在は家庭再燃を行いながらのんびりと生活しています あの苦しかった40年を取り戻すかのように幸せで幸せでこれ以上の幸せはありません
これも現役時代の苦労があったためと今でも会社に感謝しています 働き方改革で生活した人たちは
私のような幸せを感じる時が来るのであろうかと思っております
なかなか 世代を象徴するというか
その世代代表みたいなことを言ってしまっていいのかわからないですけれど 私この82歳の長尾川さんと割と同じテンションです
全然違いますよ
24時間働けますかみたいなのを字で言っています
確かに周りから昭和の働き方って指摘されたことは今の時代にあって
エイバイアンスドームみたいなことですか
03:01
そう ワークライフバランスを聞かれた時にどっちも100%って答えてみんな
えっそれって 超えてる?200%はないけどみたいな
はいっていう顔をされた
それまずあるのが同じようにすごくバリバリ働いていて その後定年を機に
何されるかわかんなくなって燃え尽きちゃう同世代も結構多いっていうのがあるかなと
気がしていて 逆にこの方はそこがすごいんですよね
家庭作業をちゃんと自分で見出して 自分で見つけてみえるんですよね
40年ずっと会社のためにずっとやっていったら 定年しても何かしなきゃっていう風になって
そういうのがなくなってしまって 自分が抜け殻になってしまうっていう人も結構いる中で
この人はこの人の幸せを見つけてやれてるっていうことがまずすごいなとは思いましたね
こんだけバリバリ働いていた頃は私もちょっとわからないので その世代感覚としてちょっとわからないところがあるので
ここまで働き詰めだと 自分イコール仕事みたいな形になってしまうのかなと思って
その仕事が削ぎ落とされた時に自分って何なんだっけとかって わかっちゃうんじゃないかなとかってね
なるんですよね結局これってね
24時間家庭作業してるわけじゃないですか
そういうことですよね
その勢いで向かってるかもしれないですね
次はこれだって
確かにずっとビニールハウスが見せる
でも私は長良川さんは82歳ですけど
私の世代40代後半とか50代の方の特に採用担当の人とか人事の方とか
中間管理職って言われる人たちも
長良川さんとの中で今の若い子
本当に幸せと感じる時が来るのかなみたいな
視点っていうのはあるんじゃないかなって思ったりしますね
苦しい思いちょっとしんどいけど成長したとか
怒られたりとか営業だと会社で成績悪くて怒られ
お客さんのところに行って営業したけど
なんか怒られちょっとしたミスでも怒られみたいな
でもそういうのを頑張って乗り越えて
長良川さんは今の幸せがあるみたいな
06:01
この40年間頑張ってきたからこそ今があるみたいな
それをおそらく今の中間管理職の人たちとか
そういう先輩の下で働かされてきた人たち
長良川さんみたいな人たちが上司だったりする方の下で働いてた
我々みたいな人たちとかはやっぱり
そういう上司にそうやって教わってきたんで
そういう感覚がどっか身についちゃってるんですよね
染み込んでいる
なんかそれが正解だみたいな
やっぱり社会に出てすぐ
会社に貢献するとはこういうことだみたいな
社会に役立つとはこういうことだみたいなことを教わって
それこそ24時間働けますかみたいな
それが微徳というか一生懸命頑張っている
っていうような見え方の
そういう社会の中で20代頑張ってやってくると
今時代が変わってワークライフバランスとか
働き方改革ってなってるのもむっちゃわかるんです
それもいいことだなって思うんですけど
どっかの心の奥底の方では
本当にそれで成長
自分が成長するっていう感覚とか
成長したから自信が持てるとか
いろんなことできるようになったっていう
感覚を感じないままで
本当にこの子たちはいいのかなって
若い子たちを見るっていうのは
なんかわかる気がする
あれですよね
昭和?
本当に奥底では
分かり合いなさを持っているってことですよね
その若年層というか今の働き方に対する
あまりにも違うじゃないですか
そうな
ただずっと風景気続いてるじゃないですか
この長良川さんの時って結構高度経済成長の時と
頑張ったら頑張ったいい思いもあるし
馬鹿騒ぎもしてるわけですし
焼肉食べにわざわざ韓国まで行くみたいな
そういうバブリーなこともあるわけですよ
でも私が社会に
超氷河期世代なんですけど
入った頃にはもうそういうことは全く見えてない
でもなんとなく頑張ったらいけんじゃないの?
みたいなのは少し残ってるわけですよ
多分大学生ぐらいの時は
いろんな金融機関がバタバタ倒れて
もう世紀末だなみたいな
世紀末感があった
ノストラダムスの予言とかもあったし
何の月に滅びるんでしょ?みたいなね
だから20代はもう死ぬんだぐらいの感じの
刹那的に生きてました
09:04
でも頑張ったらまた
ああいうバブルみたいなのに戻せるんじゃない?
みたいなのが
誰も口にはしてなかったと思うんですけど
どっかにあった
だからそういうパワハラもあった
セクハラもあった
24時間働けますか?みたいなのが
良しとされてる先輩たちを見ながら
ついていったっていうところ
だったのがみたいな
自分がその世代になると
だから一生懸命仕事するにも理由があって
しんどいこといっぱいだったけど
そのしんどかった分成長もできたというか
自分のいい経験として振り返れるものになってるよ
っていうところも
分かってほしいなっていう気持ちもある
ということですよね
ですね
逆にも別に24時間働かなくていいから
成長すると楽しいよ
楽しくなるよ
っていうところだけ
そこだけ伝えれたらなって思ったりは
しちゃいますね
その際の成長って
どの尺度なのかっていうのも
本当に
一律客観の成長っていうのがあるわけではなくて
っていうのが
その前のエピソードでも
何を幸せと感じるのかっていうのは
かなり人によって違ってくるっていうことの差は
結構あるのかなっていうことと
同じ仕事の中でもね
仕事で何を成すか
仕事のどの部分に力を注ぐのか
っていうことは
差が出てくるし
あとは仕事と家庭と他のこととか
さっきはお弁当を作ってた話とか
むしろ家事の方に力を注いで
そこに幸せを感じていて
多分この長々さんはそっちの成長はいたわけにおいて
仕事の成長っていうのを大事にしていた
っていう部分かなっていうのはある気がしますね
そうやって社会自体が
会社自体もどんどん伸びてた時代と
さっき言った低成長になってくると
何が違うかっていうと
会社の成長というよりは会社が続くこと
そもそも存続するのかどうか
さらにその会社で自分が生き残れるかどうか
っていうことの方がよりリアルな話になるんですよね
やっぱり就寝雇用って言われても
就寝雇用って前に会社が続くの?みたいなのがあるし
確かにそういう話はしますよね
だからそこでどういう戦略を取るかというと
12:02
そこで成長を目指して上をトライしていくというよりは
下手なミスをせずにやり過ごす
こっちの方がより合理的だし
戦略的な行為になるっていうのは
個々人は頑張る人もいて頑張らない人もいるんだけど
仕組みとしてはそうならざるを得ない
上を目指して頑張るっていうのは
成功すればそれが成果になるんだけど
一方でやらかしちゃう
ミスを犯すっていうリスクも背負うんですよね
っていうことがあるので
頑張ってもそれが成果を得られるか分からないけど
ミスをすればもうここにいられなくなる
排除されるっていうのはよりリアルだ
挑戦するっていうこと自体を起死するっていうのは
割と自然な流れでもあって
これが個々人の選択というよりは
社会環境構造に規定される部分なんだろうなっていう気がします
実際に24時間頑張ってやってきたから
今幸せを感じられてるんだけど
一方で同じように24時間頑張って
潰れていってしまった人もおそらくはいるはずで
そのリスクを避けるっていうのも一つ
リストラの時代もありましたもんね
40年の中には
リストラ以前に会社が続くとか
みたいな状況もあるので
チャレンジしてそのチャレンジが
ある程度報われることが
多かったと言えるかどうか分からないですけど
みんなが同じ流れにある程度沿って
チャレンジングな世代と
今の時代の働き方として
リスクを避ける
リスク回避優先っていう
この二つの働き方って
完全に相対するものになってしまって
ただどうですかね
異なる世代が
分断に至らずに
ある程度融和して
何か組織であったり
共同体であったりを作っていくってことは
やっぱり難しいんですかね
一つになれば
その後の幸せに繋がっていくことって
いろいろあるんじゃないかなと
お話を伺っていて思うんですけど
長良川さんのメッセージを
読んでいても思うんですけど
その辺りのヒントっていうかね
南手先生に頂けたりするといいのかなと
思ったんですけど
そこはやっぱり
前回の時に見たエピソード
なんかはすごいヒントになる気がしていて
やっぱり個別具体的な
この活動とかこの営みとか
誰々さんっていうところに即した
成長とかを
具体的に見出していくっていうところ
なんじゃないのかなって気がしましたね
一人一人違うんだよっていうところに
15:00
ちゃんと着眼をするということなんですかね
ちょっとさっきの
この長良川さんたちの世代と
今の若い世代っていう風に言ってるけど
ちょっとそれってデカすぎるんですよね
なんか会社の評価基準とか
ある程度やっぱり
一律じゃないですか
この社歴でこの役職だと
これはできておいてほしいよねみたいな
やつに対してどこまでできてるかできてないか
みたいな評価基準になるので
それも多分
今の時代に合わせている評価基準
じゃないと思うんですよね
昔からだいたい決まっているフォーマットの中で
やってるので
それで測るのもちょっともしかしたら
違うかもしれないですよね
だから一般的なものに当てはめてしまう
最初に言ってたように同じように重なっていて
でも実は小さな幸せとか
あるいは成長の感覚っていうのもそうですけど
それは他社との比較というよりは
かつてできなかったことができるようになった
っていう一人一人違う課題らしい達成感
それって多分世代越えても
実は共通することはあるんだろうな
って気はしていて
なかなか新人の頃はできなかったことは
できるようになったっていう喜びはあったはずだけど
40年経つとそれもできて当たり前になっているので
今の若い子のちっちゃな成功体験とか喜びっていうのは
自分のことだと過去のことすぎて
実は気づけないってことがあるんだけど
そこに目を凝らして見て
それを一緒に喜んで
一体一緒に喜んでくれるってなると
じゃあ次はこんなのがあるよね
っていう風に差し出していけるっていう
そんな部分
ちょっとこれだと大きな
40年の歴史をちょっと語ってくれる
ちょっとスケールが大きくはあるんですけど
でも多分個別にこんなことができたとか
いうのって中田さんの中にもあるし
それと同じようなことって今の若い子の中にも
間違いなくあるっていうのを
スコープをちょっと大きくしすぎずに
見つけていくっていうことが
入り口になるのかなって思ってます
なるほど
分からずそうなんですよね
一人一人どんな状況に今あるかっていうのが
それぞれ異なるわけで
同じ世代にいるからといって
みんながそうではないっていうことで
やっぱり相手のことをよく目を凝らして
見ていかないといけないっていうのが
そもそもあるんだろうなとは思うんですけど
自分の職場を見渡してみてどうだろうか
っていう風に考えると
これなかなか話しづらいところもあるんですけど
やっぱり若手に対する眼差しの厳しさを感じるんですよ
18:05
上の世代を見ていると
そっちはそうかもね
表面的には優しくしてるんですよ
あんまりはっきりしたことを言うと
パワハラになっちゃうかもしれないとかって
結構引いてしまってるところがあるなとは思うんですけど
でもそもそも相手の状況とかを見ていれば
何かその状況に合ったアドバイスであったりだとか
じゃあ次これやってみるといいんじゃないっていうことだったりとか
多分上の世代の人たちって
やっぱりこの若い子にこれ言ったら
パワハラなるんじゃないかとか
なんとかハラになるんじゃないかみたいなのを
必要以上にビビっていて
向き合うことからも
逃げちゃってるところもあるんじゃないかな
どうせ言ったってわからないとか
やっぱり自分の中で言いたいことが
優しいことじゃなくて厳しいことだったりするじゃないですか
そしたら言っちゃうと
ハラシメントになっちゃうんじゃないかなとか
言いたいけど言えないよねみたいな感覚の方が大きくなっちゃって
結局言わないみたいな
それがどんどん距離感が離れていってしまって
もともと分かり合えないのに
さらに分からない者同士っていうか
もっと分かり合えなくなっちゃったり
この部分で悩んでる職場ってすごく多いんじゃないかなと思うんですよ
だからその上の世代が悪いとかでもそういうふうにも思わないし
私ちょうど今30代後半なので
40代50代と20代の間に挟まれる世代でもあるわけですよ
両方の言っていることが分かるので
両方の世代がもうちょっとうまく混ざり合えないかな
みたいなことを思いながら日々働いているところがあって
架け橋になろうとしてくれている
その架け橋世代みたいな言い方もできたりするのかもしれないですけど
直接50代の方が言いづらいのであれば
この30代というかこの間の世代をちょっと使うじゃないですけど
電子バトル的にね
逆にこの20代の方が思っていることを吸い上げて
40代50代に伝えるということもできるんでしょうし
双方向性がこの両端の世代でもう少しできてくると
うまくいくつまりは幸せにつながるんじゃないかなというのは
日々思いながらなんですけど
やっぱり難しいですかね
この感覚が結構やっぱり違うんかなということを
21:00
世代の中でも感じるし
別にこれ世代だけの話でもないし
やっぱりここに個別具体化しないといけないところがあるんだろうし
世代ギャップというのは多分いつの時代も起きていた話でもあって
やっぱりそれまでの社会の状況も違うし
生きてきた環境が違うからというのはある
会社の文化の中で結構大きく違うのは
かつてはまだ同僚性が機能しやすかった人数的にも
だんだんそれが性供養を減らしていくという風潮がどんどん増えていく中で
それとさっきのSNSでも含めた個別化もどんどん進んでいくことで
同期入社でもグチったりとか
このふうに言われたということを解釈し合うというか
そういう横のつながりをつくりづらくなっている風潮はあるんじゃないかなという気がします
上司が部下のことを理解できないというのは
いつの時代もそうなんだけど
同僚同士横の関係でもなかなかそういうのを率直に話し合えるような
状況とか余裕が奪われてきているというのはあるんじゃないかなという気がする
若い子たちで20代の令和会を見に行ったりとかあるので
それもめっちゃ素晴らしい
冗談で私呼ばれてないけどとかっていつも言ったりするんですけど
そこでみんな私が思う若者が集まったら
たいてい上司の愚痴とか会社の愚痴とか仕事の愚痴
言ってるもんだと思ってたんですよね
でも聞くと仕事の話まずしないんですよ
愚痴言ってなくて
だから私のことも誰も悪く言ってなくて
かといって仕事悩み相談とかもしてるわけじゃなく
全くその全然
でもじゃあプライベートのことの何か真剣に話してるわけでもなく
本当にわりと当たり障りのない時代ですけども
愚痴とかみんな言ってないって言ってる時かな
わかんないけど
そういうバリアなのかもしれないです
わかんないですけど
ただ愚痴だけを言い合う飲み会ってきっと
もうそろそろ消えないといけない文化なんだろうなって気もしてますね
結局あれって何にも残んないんですよね
一人で溜め込んでもやるよりは
共有することでちょっと発散されたりみたいな
あんまり根本的な解決にはならないじゃないですか
ならない
それが楽しいんじゃないの
飲んで明日も頑張ろうやみたいな
24:00
そのメインの楽しさも知ってるからわかるんですけど
何の解決にもならない
また同じことで愚痴言いたくなるだけ
また次の日もまた次の日も
飲み会の燃料が溜まっていくみたいな話になってしまうという
確かに
っていうのはありますけれど
でもどうなんですか
やっぱりもう今世代でくくること自体が難説
みたいなこともやっぱり言われるじゃないですか
だからこそさっきのお話で
一人一人を見るっていうんですかね
なんかあれですね
上の世代も若い子たちを一人一人見る
個別具体的なところもあるし
その若い子たちも
そういうふうに見てくれるようになってもらえると
そうなんですよねきっと
双方向じゃないですかやっぱり
多様性って言いますけど
その人がいろんな配慮してほしいことだったりだとか
理解してほしいこと
自分が好きなもの関心を持っているものとか
そういう属性的なものをいろいろ持っているっていうのは
尊重されるべきだとは思うんですけど
だからその人がそれだけ分
相手のことも考えられているかっていうのは
結構それぞれ多様性の認識って違ってるなっていうのは思うんですよね
なんかその発信の仕方によったら
ただのわがままで終わるかもしれないもんね
相手の多様性も受け止められてるかなっていうのは
あまりちょっと疑問だなって関わる相手によっては思うことはありますよね
まず多様性が言われてる社会って
多様性がないから言われてるのがまずありますよね
そもそもそっか
スローガン的なことですよね
多様化されてると思ってた勝手に
多様化してる社会では多様性なんて言葉出てこない
それが当たり前だからってことですよね
っていうのがまずあって
そうやって言われてる割に社会に本当にそのキャパというか
広がっているかというとかなり危うしくて
ある種の特別扱いみたいな形の排除と
イコールの承認ってパターンが結構多いので
最初の発達障害なんかもそうですけど
現状者じゃない枠から外れることと
引き換えに得られる利益みたいな
それって多様性って話なのかっていう
確かに本当に多様性が認められている
誰にとっても認められている社会なのであれば
こんなに当事者の方苦しまないんじゃないかなっていうのは
いろんなマイノリティの方への取材を通じて感じてるところですね
なんでこの方こんなに苦しまなきゃいけないんだろうって思うと
やっぱり社会の中でまだ強量な部分があるというか
この人の好意部分をちゃんと認められる社会でありたいよね
27:00
一人一人でありたいよねっていうのを
結構感じることはありますね
例えば幸福、何に幸せを感じるのかって相当人によって違う
幸福っていうのは割と理解しやすい多様性な気がしますよね
受け止め難い多様性とかいろいろあったりするんだけど
幸せってかなり主観的なものだっていうのは了解されやすいから
その多様性を本当に進めていくための入り口には
もしかしたらなるかもしれないですよね
なるほど、意外なところで
何に幸せを感じるかは違うよね
どれが合ってる間違ってるところでもない
確かに
ただいろいろ議論してみたいに
それぞれ違うんだけど
だからほっといていいわけではなくて
社会の環境というか
多くの人が幸せと感じやすいような環境整備っていうのは
多様性とは別に求められてくることだよなっていうのは
同時に見ていかなきゃいけない課題でもあるんだろうなという気がしますね
一定の同質性みたいなものを求められがちな
SNS先生の時代の中で
自分のここを理解してもらいたいんだけどなって
本当は思っていることがなかなか社会に対して
発信できないっていう苦しみもあるのかなと思ったんですよね
そうやって発信ができなくなると
社会の中で可視化もされないですから
こういった困りごとを抱えている方に対して
どうやって社会がアプローチしていったらいいのかなっていうきっかけも
見つからなくなってしまうっていうのは
この時代の負の側面もあるのかなと
幸せからはどんどん遠のいてしまうということになりうるわけですよね
社会が整備して
SNSとかも含めて整備してきたこと
個人が発信できるように
仕組みとしてはなっているけれども
発信しづらい状況だったり
仕組みだけ作っても
うまく機能できない何かがあったり
もしかしたらインクルージョンとか
誰一人取り残さないみたいなことも含めて
さっき先生おっしゃったみたいに
そうじゃないからそういう言葉が言われているとすれば
だいぶ自由じゃなくなってきているのかな
一つSNSと多様性の話でいうと
かつてに比べるとむしろSNSがあることで
自分だけじゃなかったんだっていうのを
発見できる機会がなっていると思うんですよね
周りの人はみんなこうだ
それで自分だけこうだと思ったんだけど
SNSの世界は無数に広がっているので
同じようで苦しんでいる人がいるんだということが
30:01
気づきやすくなったのはある
だけどやっぱりそれがものすごく数が多い中だと
多数派というのが普通だとされる
という中でむしろ普通でなければ
圧力が生じて動詞姿勢が高まっていく
というのも事実でもあるので
その病気性なんだろうなって気がします
行きづらいなって
私でも今の私が若い子になったとしたら
行きづらいなって思うなって思ってしまった
ただその中でも幸せもそうだし成長も
その人なりの成長感覚というのは絶対あるはずで
そこをちゃんとつかんでいくことというのが
やっぱり不可欠ではあるんだろうなって気がします
そうですね
そういう時代だからこそ
具体的にその人の
具体的にって結構大事かも
解像度を上げたいんですよね
相手を見る時のこと
ぼんやりとしか見てないのかもしれないなって
思うんですよ
誰かと関わる時に
しかも結構自分のフィルターを通しちゃうね
相手が本当にそうなのかどうなのかとは
ちょっと別でこう見えるとか
こういうタイプなんじゃないのかとか
それの延長線でこの世代でくくってたりとか
ゆとり世代とかZ世代とか
なんちゃら世代みたいな
そこに勝手に落ち着かせて
答えを置いてるだけで
実際そうじゃないかもしれないみたいなところまで
解像度を上げていこうという努力をしてないですね
私はちょっとできてないなって思って
それぞれがそういう習慣をつけていくと
よりみんなが幸せにというところに近づくんじゃないかな
というのは思ったりはしますね
それができる余力というか
時間的空間的な
そういうのが生まれて
いろんな業務に追い立てれば追い立てれるほど
解像度を上げている余裕がなくなっていく
というのが大きい気がしますよね
そうなんですよね
だから分かってはいるんですけど
なかなかそこに行けない理由が
自分の中であるという方も
いらっしゃるかもしれないですね
そんなわけで
最後のメッセージにしたいと思います
この方は今の話にもつながってくるというか
人とのつながりの大切さに気づいたという話なんですが
桜咲子さん25歳女性の方です
私が最近幸せだと感じたエピソードは
同じアパートの住民と
仲良しLINEグループができたことです
私は昨年の7月に新卒で
和歌山から岐阜にやってきました
33:03
慣れない土地と慣れない仕事での無茶がたたり
つい最近まで休職をしていました
今は元の職場に復帰して元気です
正直かなり辛い時期もありました
ですがひょんなことから
同じアパートに住む同年代同世代のお二人と
お友達になり
今とても楽しい近所付き合いが始まりました
みんな地元はバラバラ
旅行のお土産を渡したりもらったり
街の居酒屋で飲んだり
仕事は大変ですが
身近に頼れる人がいるだけで
なんだかもう少し頑張れそうです
といただきました
アパートが同じだけでは
なかなか人と人とがつながり
会えない時代に今なってますよね
隣の人と挨拶するぐらいじゃないです
下手したら挨拶さえ
相手には警戒されてしまうみたいなことだって
あり得るわけね
アパートだと特にそんな感じかもしれない
ひょんなことから
ひょんなことからの挨拶をあげたいですね
すごい楽しそう
絶対楽しいよなって思う
旅行行ったお土産渡し合えたり
しかも同じアパートだから
居酒屋行くのも歩いて行けたりしてるかなと思ったり
終電も気にせずに
大学生の寮の乗り
楽しそう
仕事で大変だろうけど
そこの仕事の解決にはなってなくても
こうやって頼れる人とか
なんだかもう少し頑張れそうですみたいに
40後半から行くと
その積み重ねだよって言いたくなって
恐怖作
でもわかる気がしますね
これと恐怖がかなり似てるんですよね
皆さんがそれぞれ別々の地元からやってきてるっていうことが
すごい不安を抱えて
そうやって似た部分があるからこそ
つながることができたっていうこともあるんでしょうし
ただ本当これもひょんなことっていう
きっかけがないと難しかったはずで
ずっとバラバラのままだったかもしれない可能性の方が
高いんじゃないかななんていうのは思ったりするんですけど
何かきっかけがあったとしても
それをちゃんとつかむ
それぞれがたぶん
つかんだからこそこれが続いてるわけで
きっかけって本当はもっといくらでも転がってるんだけど
そこで見過ごしたり
受け流したりしてることで
その先には進まないことって実はいっぱいたくさんあって
確かに私岐阜出身じゃないんですよねとか
和歌山出身なんですよねって
36:00
言うか言わないで全然あれですもんね
きっかけになるかなと
別れ道になりそうですね
ちょっとした勇気というか
自分のことをさらけ出すみたいな
っていうところからこういう
めっちゃ楽しそうな環境になってる
かつてってやっぱり
先ほどの永良川さんじゃないですけど
自分の身の置き場っていうのが
仕事場だけに固定されすぎてしまうようなところが
あったのかもしれないですけど
今ってやっぱりそうじゃないですもんね
家庭があって職場があって
第三の居場所みたいな概念が生まれてきている
定着しつつあるなっていう
サードプレイスとか言ったりもしますけど
この桜咲子さんまさにサードプレイス
住まいでもあるんですけど
住まいという機能以上に
居場所としての場所を自分で築いて
偶然に築いているんだろうな
というふうにも思いましたね
大人になってから友達って結構できにくいんですけど
このタイミングでできると
それぞれもしかしたら
ちょっと世代わかんないですけど
結婚して子供できてとかなってからでも
お付き合い続くかもしれない
こういうライングループはどんどん作りたいですね
ライングループっていうだけだと
父の側面も色々示されるじゃないですか
子供の小学校で
同じクラスで5つくらいライングループあって
朝起きたら未読50みたいな
ちょっと笑い事じゃないな
結構ヒヤッとしますよね
本当に規制考えてほしいって思ったりしちゃいます
海外ではそういう人も普通になってきてますけど
そういうコミュニティの在り方って結構色々あって
同じライングループでも質が違うよねっていうのは
割とあるあるで
例えばママ友の繋がりとか
子育てに悩みを語り合える側面もあるかもしれないけど
さっきも言った非加工しちゃうっていう振動さを生み出すこともあるし
そのグループだと
親としての自分しか出しづらいみたいなこととか
あとは地域コミュニティみたいな話もあるけど
そこだと世代間のギャップが出てくるとか
近所で同世代でさらに地元がバラバラっていう
これ以外にも多分ゲームの仲間とか
色んなのが多分あるんですよね
自分っていう人間の色んな側面でもって
グループっていうのがあったりもするのかもしれないですよね
39:06
私本当にちょっと面倒くさがるかもしれないですけど
それならもう自分を全部さらき出して
私割とママ友の中でも
子供抜きでさみたいな
子供たち家でゲームとか遊んで
ママたちだけでこうやってやらんとか
私が家に子供集まってる間に
いいよ美容院行ってきなとか
そういうちょっとこう
ママでもある
ママってこうじゃなきゃいけないよねみたいなもんもないでしょみたいな前提で
やったりするので
だから結構そこにいるママさんたちとか割とこう
家に来ても昼からビール飲んでるママもいる
基本的な親像って逆に抜けるような
そうですね
もう私がちょっともう
親っていうのは完璧な親みたいな
もう無理ですみたいなところも
鼻から宣言しちゃってるので
それって
自分の本当の姿とか心の中の声とか
弱いところとかダメなところで見せるのって
多分勇気はいると思うんですけど
でもそれを見せたりできる関係性っていうのを
身近に持っておくって結構
今のこのSNSが
自分の社会世界みたいになってる時だからこそ
大事なのかもなって思ったり
実在してるっていうか
SNS上でじゃなくて
LINEグループのエピソードにしてるけど
実はむしろたわいもないことを
会って話せるのがそっちの方が大きそうですよね
だと思います
街の居酒屋飲んだりとかも楽しそう
本当にLINEグループっていうだけとか
Xでやりとりだけはするみたいな
オンラインだけだとちょっと成り立たないことって
やっぱあるわけですよね
そこの方が逆にいい格好もしないし
しても仕方がないというか
見えちゃってるわけですから
リアルがすっぴんが
ちょっとした言葉のニュアンスでも笑えたりとか
微細なことに気づける表情とかさ
そこで一緒だなとか思ったり
それはこうなんじゃないって言ったりできる
っていうことの方が
なんだろうな
優しくなれる気がするな
あとこれ最後に
やっぱりそれでも仕事は大変だけど
もう少し頑張れそうって感覚も
これもすごいなと思って
しんどかった休職してた子どもも
もう一回やり直せ
42:02
頑張らなきゃっていう風になりがちなんだけど
それがもうちょいやれるかなっていう風に
ほどほどのところに抑えられてるのは
やっぱりこういうところでいろいろ話せる
関係ができてるから
って部分もあるんじゃないかなっていうのは
ちょっと邪髄ですけど思ったりしましたね
でもなんか無理してむっちゃ頑張ってるっていうよりかは
なんだかもう少しっていうところが
等身大の感じがしていいですよね
だから本当の自分を見せれてるっていうか
大事な気がする
いろんな方はなるべく
肩枠みたいなものは取っ払ったほうが
たぶんその人らしくいられるんでしょうし
だから鎧って表現もあったりしますよね
鎧をある程度脱ぎ捨てた状態でのほうが
本当の自分が出せるっていうところで
そういう場所をそれぞれが
なんと思ってたほうが
幸せには近づけるんだろうなっていう
結構だから鎧がないと生きづらい社会
っていうのもあるので
鎧を脱げっていうのも逆に暴力になるよね
なるほど
強要はできないですよね
自然と脱げていくみたいな
そういうことが結構いろんなこのエピソードの中でも
出てるような気がしますよね
ここは脱いでもいい場所なんだみたいな
こんなわけで5人の方のメッセージを紹介しながら
話を広げ膨らませしてまいりましたけれど
涙先生どうですかね
この全体の流れを通じて
総括的なことをおっしゃっていただいて
最後締めにできるといいのかなと思ったんですけど
いきなり
この辺がだから私は繰り返しになるかもしれないですけど
幸せとか幸福ってあくまで
主観、人々がどう思うか
幸せとは何か幸福とは何かって議論しても
実は答えが出ないほど多いですよね
誰かが幸福と感じているのに
それはごまかしだっていうのはおかしな話で
あくまで人々が何を幸福として感じているのかを探る
っていうアプローチが実は重要で
それを見ていくと
多くの人が幸福と感じやすいような社会と
そうじゃない社会あるいは場面とか
そういうことが結構出てくるんですよね
その具体的に考えていくときなんかは
世間一般とか社会っていう
大きなくぐりではなくて
具体的なその人にとって
幸せって何なのか
っていうことを見ていく
その人が感じる幸せを生み出し得るような
状況とか社会関係っていうのは
どういうふうに整理しているのか
みたいな
家族と何気ないやり取りをするっていうときには
その家族と一緒にいられる場があるから
幸せを感じられているよねっていう
その基盤を通っていく
45:01
だから人が何に幸せを感じるのかは
その人次第なんだけど
どんなものであれ幸せを感じられるような
きっかけとか環境を作るっていうのは
社会の課題でもあるよねっていうこと
だからマインドコントロールして
幸せにさせるっていうのは
コマセントというか
そもそも狙いではないよねっていうこと
その両面ですよね
だから一人一人の小さなエピソードを
積み重ねていくっていうことと
そういうエピソードが感じやすいような
環境を作っていくこと
この両面作戦が
社会には問われてくるのかなって気がしました
確かに
幸せって感じれる社会的基盤が
ちゃんと作れてるかどうかっていうのは
めっちゃ興味あります
個人個人で変えられることと
でもそれだけじゃ
変えきれない部分っていうのが
社会の中にあって
そういった構造の問題に
やっぱり目も向けていかないと
っていうことですよね
いつかまたそれやりたいね
なのでちょっと
お話は尽きないですけど
本当に繰り返し繰り返しまた
こういうテーマで
お話し合いができたりするといいのかな
もし可能だったら
学生さんとかでも
自分がこういうことに問題提起して
こういうことを研究してるとか
っていうのも話してもらえて
私みたいなおばさんも
おじさんも一緒に
混ぜて
いろんな企画の土台にしていけたら
いいなと思っております
今日はありがとうございました
ありがとうございました
ということで聞いていただきましたが
いかがでしたでしょうか
我々はひとまずですね
我々はすごい刺さってますよね
いろんなことがね
本当に
いろいろ反省する点も
やっぱり見つかったし
幸せって
一人だけ
個人で感じるものなんだけども
やっぱりお便りいただいた人とか
誰かのためにやって
子どものためにとか
そこに対して
幸せって感じてるエピソード
結構あったりして
話の中であった
人を思いやるとか
相手の立場になって考えるとか
行動するとか
そうするためにも余裕が必要だよね
でも先生の中でも
余裕って物理的な余裕とか
48:00
時間的な余裕とかって
時間的な余裕がない人でも
すごくそういうことできる人もいるし
物理的にお金ないとか
余裕ない人でも
ちゃんと相手のことを思って
やってる人もいるし
っていう言葉もむっちゃ刺さって
言い訳にしちゃうやん
余裕ないからって
仕事でもさ
家でもさ
それが自分で
余裕ないからって言葉を使う時に
一旦止まろうと
余裕って何なの?
私の中の余裕って何なの?
余裕の正体を突き詰めるというかね
分かんないのに勝手にね
分かんないから
余計言い訳にしやすかったんだよ
ぼやっとしてるから
余裕って人によってもいろいろ違うのに
そこは改めたし
先生の話を聞いた後に
ちょっと実践してみたりしちゃったりして
早速
この収録が午前中だったんですけど
午後仕事で
早速1日の中で
早速余裕っていう言葉は使わないし
相手の立場を考えて
なんか行動したり
言葉を使ったり
言葉のチョイスをね
いつもより意識してみたりとか
したらむちゃくちゃ相手が喜ぶわけですよ
やっぱり
ダイレクトに
あ、そこか!と思って
なるほど
そしたら
本当に忙しくてバタバタしてるんだけど
時間的余裕は全然ないんだけど
心の中に余裕が生まれるっていうか
それってね
ちょっとね私の中で
これ私の幸せエピソードだわと思って
そこに
回り回って自分の幸せに
特選回収できちゃった
確かに
回り回って
本当に
だからその人のことを考えていたはずが
なんならちょっと自分を削って
相手のことを考えていたはずが
回り回って自分の幸せになったんだな
なるんだなっていう
そこはなんか
あの
うん
実践して
実感しちゃいました
ちゃんと継続できるかなっていうのは
ちょっとありますけど
でもちょっとやっぱ
やってみ
やり続けるっていう
これでもなんか
そういう人が
本当に増えていったら
もっと生きやすくなったり
社会的な
その幸せで感じる基盤を
社会が作れるかのところに対しての
アンさんにもなるんじゃないかなって
思ったり
いや私もそれ思ったんですよね
やっぱなんか
社会の中
51:00
地域社会の中でも
いろんな衝突とか
分断とかってあると思うんですけど
それってやっぱり
それぞれのエゴとエゴの
ぶつかり合いみたいなところあるじゃないですか
なんかそこを
それぞれがちょっとでも
相手の事情だったりとか
相手がこうなってるから困ってるとか
こういう主張してるんだ
っていうことをお互いにこう
思いやるというか
しあえば
ちょっとずつその分断って
解けていくところがあるのかもしれないし
衝突は緩和されていくのかもしれないし
私その福祉の勉強をね
去年まで2年間してたんですけど
福祉ってこの
福祉っていう字がまさにその
両方とも幸せを意味する言葉なんですよね
福祉の死もあんまり
福祉って言葉以外で使わないですけど
幸いとか神の恵みとか
そんなような意味がある言葉なんですけど
なんかそこで学んだのって
もうやっぱ徹底的に相手のことを
理解しようとすることなんですよ
確かに
相手が何に困ってるのかなっていうのを
どうやったらその本音
引き出せるようになるのかなっていうのを
そういうところに技術があったりとか
能覚があったりもするんですけど
ベースはやっぱり相手のことを思うっていう
部分にあったりしていて
だからある意味ちょっと
間違ってなかったのかもしれないなって
そこを勉強したいなと思ったことが
なかなかそれを実践できてるかっていうと
なかなか難しいところはあるんですけど
ただ実践できてない部分があることを
自分の忙しさだとか
時間がないからだとか
そういう言い訳をしない方がいいんだろうな
っていうのは改めて思ったりはしましたね
先生との対話を通じて
確かに
人と関わる中で
その相手に投げかける言葉が
やっぱり変わってくるんでしょうし
その相手のことを考えたりしていると
確かに
身近な文壇とかでもやっぱり
世代の話をね
ここのポッドキャストでも
いろんな回でしてますけど
相手のことを思うと
違う世代に対する
呼びかけ方だったりとか
話し方っていうのは
多分変わってくるんだろうなとか思ったり
確かに
私も先生の話を聞いて
今の若者が生きづらいっていうところ
他者と自分を比較しちゃう
その他者っていうのが
クラスメイトとか
近所の子とかいう他者じゃなくて
スマホの向こう側の見えない不特定多数
それ聞いた時に
それはつらいなと思って
自分だったらそれは
嫌だってなったので
その辺でも
南手先生の
この回のおかげで
視野広がったなっていう感じがしますね
本当に南手先生
穏やかながらも
鋭く指してたなっていう
本当に的確でしたよね
54:00
無上限の一つ一つが
私の心にもいくつかの傷を
ありがたい本当に
でもなんかこうね
人が変わっていく時に結構
傷を負うことって付きものなのかなっていう
負荷をかけられて
ちょっと変わっていくみたいなことって
やっぱりありますもんね
まだなんか自分が成長できる伸びしろが
この50手前でもあるんだな
伸びしろですよ
まだ生きるわと思って
まだ成長できる
考え方次第でね
なんかいろんなことができたりとか
いろんな繋がりができたり
いろんな広がりができたりとかね
なんかそのための心持ちみたいなものを
学ばせていただいた
会話だったなと思いましたね
貴重な時間でした
本当にありがたい
皆さんはどうだったでしょうか
ということで
今回一旦ここで締めますけれど
またね
この回の感想とか皆さんからいただいて
それを紹介する回とかがね
あったりしてもいいのかなと
いろいろと捉え方があったと思うので
そうですね
ということで締めてまいりますが
リフ新聞ポツリスト聞かじは
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メッセージどしどしお寄せください
実践しましたみたいなもんね
どんだけ実践させたか
気になるので皆さんのご感想もお寄せください
ということでここまでのお相手は
消費支援分社報道部の山田純介と
営業企画部の山田桃子でした
そしたらまた
また
56:07

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