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Order No.115 "社会×あおちゃん"
2026-07-18 52:43

Order No.115 "社会×あおちゃん"

今回も「百年酪農」からあおちゃんと楽しくおしゃべり😆

店長の長年の謎でもある『社会』についてフカボリ👀✨


『社会』は何のためにある?

『社会』に所属してる感覚はどこで形成される?

前回の『エゴ』と今回の『社会』はどうやって調整される?

などなど🤔


感想や、あなたにとっての『社会』についても教えてね💁‍♀️


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感想

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サマリー

今回の「思考の喫茶店」では、「百年酪農」からゲストのあおちゃんを迎え、「社会」というテーマについて深く掘り下げていく。店長のつじりさんは、長年「社会」への興味の薄さと理解のなさに悩んできたと語る。あおちゃんは、家族から始まり、地域、学校へと広がるコミュニティの集合体として社会を捉えつつも、その全体像や自分との関係性が掴めずにいると明かす。一方、事業を始めたことで、社会の仕組みや支えがあってこそ成り立っていることを実感し、「社会の一部」であるという感覚を持つようになったというつじりさんの変化も語られる。 議論は、「社会の歯車」という比喩に焦点を当て、歯車になれない人も含めて社会を構成する一員であるという視点や、社会が何のために存在するのかという問いへと展開する。生存戦略としての集団生活の維持、多様性の尊重といった生物学的な視点からの考察も示される。また、個人を尊重する現代社会において、エゴと社会との関わり方、そして「サステナブル・エゴ」という概念についても議論が交わされる。最終的には、エゴも社会の一部として受け入れられ、共存していくことの重要性が示唆される。

「社会」への疑問とゲスト紹介
思考の喫茶店へようこそ。
ここは、店長のつじり犬と愉快な仲間たちが、
お客様と一緒に自分の思考を深めていく喫茶店です。
いらっしゃいませ、店長のつじりです。
従業員のうたです。
アルバイターのりこです。
今日はこのメンバーで営業していきます。
今日のお客様なんですけれども、
こんにちは、あおちゃんです。
百年楽能からあおちゃんが来てくれました。
はい、お邪魔します。
よろしくお願いします。
教育っぽい話になってるから、
このまま私が知りたい社会というものについて、
教えてほしいなって思うんですけど。
「社会」の捉え方と個人との関係性
教えれるかな。
教えて、あおちゃん。
みんなが思う社会って何かなっていうのを、
ちょっとしゃべりたいなって思うんですが、
小学生からね、小学校の中学年くらいからですかね、
社会っていう教科があって、
ずっと勉強はしてきて、
社会人にもなってこの年まで来たんですけれども、
自分の辞任としては、
社会に興味がなさすぎて、
社会と向き合ってこなくて、
社会が結局よくわからないんですよ、私は。
でも、コミュニティみたいな方がむしろわかりやすくて、
一番小さな社会って家族で、
自分が子供時代から接する順番で言うと、
ご近所さんとか学校とか、
どんどん大きくなっていって、
それの集合、一般、
社会みたいな感じなのかなっていうぐらいの認識はあるんだけど、
社会がよくわからなさすぎて、
興味もあまり出なかったし、
今でもあんまり、
みんな社会貢献がとか、
社会をよくしようとか、
日本社会がとかって言ってるけど、
社会の中にいるのにね、みんな。
って思ってるのね。
だから、自分から見た社会でいいんやけど、
今日の英語もさ、
自分一人であれしたいこれしたいって言ってる英語は、
良い英語というか、
ただ言ってるだけみたいな感じで、
社会の中でその英語を達成するかどうかみたいな話が、
結構話で多かったと思うんだけれども、
結局、
自分と社会はどういう関係性なのかとか、
自分は社会の一部なのか、
社会が自分の一部なのか、
よくわからないなと。
みんなどう思って社会生活してるの?
っていうのを聞いてみたいなと思った。
事業経験から見る「社会の一部」という感覚
俺は自分が社会の一部やと思って生きてるかな。
どこでその感覚を得るの?
そういう感覚になったきっかけとかってあるんですか?
でも事業を起こしたのは大きいと思う。
事業を起こして数年経つ。
年数が経つにつれどんどんそう思ってきたかな。
それまではただただ楽能家になりたい。
会社に出勤したくない。
家にいたい。
牛だけ飼っていて牛乳絞ってれば、
牛乳取りに来てくれて、
お金が入ってきて最高じゃん、
ぐらいにしか思ってなかった。
その頃は全く社会を利用する人、個人だった。
だんだん逆になってきたかな。
そういう社会の仕組みがあって、
牛乳を飲んでくれる人がいて、
楽能をやらせてくれる地域があるから、
やれてるんであって、
そういった環境とかを維持、
存続させないとやれないんだ、
っていう風に思うようにだんだんなってきてからは、
逆転した。
なるほどね。
活かされてる。
活かされてる感覚。
「社会の歯車」という比喩と多様な役割
社会の歯車なんて言い方もあるけどさ、
一部なんじゃない?
本当に歯車だなって思う。
でも、社会を壊す歯車にはなりたくないな、
っていう感覚かな、今は。
歯車だな、大きさとかいろいろあるし、
何なら買いが利くか利かないかとか、
そういうのもあるの。
なんかさ、
よくその社会の歯車っていうワードを耳にするたびに、
ずっと違和感があって、
歯車になれない人だっているじゃん。
でもその人も含めて、今、社会で、
機械に例えてるから、
機械だって歯車だけで成り立ってなくて、
歯車を止めるピンだったり、ベルトだったり、
いろんなパーツを組み合わせて、
一つの機械が一つの営みをやってる、
という認識になると、
歯車になれなくても、
社会を構成する一人なんじゃないって、
私は思うんだけれども、
機械で言うとさ、
機械って何か目的があって、
この作業をするために作られた機械だけれども、
じゃあ社会っていう機械は、
何をするために作られてるんですか?
面白いね。
目的は何なんですか?
個人的には集団生活かなって思う。
社会の動力源と生存戦略としての集団生活
生存戦略。
社会維持。
維持。
集団生活を維持するために作られてる。
かなーって私は薄ら思ってはいたけど、
そこが出発点かなっていう気はして。
サステナブル。
サステナブル。
これ何によって駆動されてるか、
要は動力の部分を把握してる人って、
いないんじゃないかな。
それが動力だって。
ほら、歯車は隣が動いてるからか、
私も動くんだからさ。
それでいいのよ。
私は右回り。
だけで。
それでいいのよ。
歯車の役割ってそれだけだから。
全てを、世界図を把握してる人なんか本当にいないというか。
本当にね。
そこを俯瞰できてる人とか。
それを全部理解する必要がない。
あなたは右回りしてくださいって言われて、
生きていけるのが社会っていうか。
それでも生きていけるっていう意味では。
みんなが生きていくためにいろんなことを分担して、
やっていきましょうっていう分業をして、
それで回っていくっていう感じ。
何のために回してるかって、
分かってる人はいないんだろうけど、
でも、人間が生きていくための、
維持装置っていうのはだいたいあってんじゃないかなと思う。
人間が集団として生きていくため。
自分の形を認識してるパーツであれば優れてると思いますけどね。
「社会の歯車」の比喩とエゴの役割
歯車であれピンであれ。
自分はこの大きい機械のここの形、この部品っていうのが分かってるなら、
それは役割を全うしてると思うけど。
そうじゃない。
大抵社会の歯車って比喩するのはさ、
変えがきいて機械的に淡々と動いてみたいな、
そういう意味合いで言われるからさ。
それこそ役割とか何も分かってなく、
ただ機械的に動くだけみたいなね。
言われ方するからさ。
でもこれからの時代エゴが大事なら、
そういう自分が社会で果たしてる役割みたいなものを認識してる人の方が、
幸せというか、
自分のエゴとの向き合い方とか社会との付き合い方。
距離感も人それぞれか。
難しいと思うよ。
自分のエゴを通すためにあえて歯車になってる人もいるだろうし、
歯車になりたいっていうエゴではないとは思うんだ。
いるかもしれないけど。
もう何か考えたくない。
ただ言われたことだけやってたいみたいな。
あるっちゃあるんだろうけど。
別のパーツになりたいみたいなエゴはあるかもしれないけどね。
それはあるだって。
そっか。
市民・県民・国民という所属意識の形成
社会って何ですか?っていう話じゃないけど、
自分の家族はわかるじゃん。
自分が生まれた、死で育って、
じゃあそこの市民ですか?みたいな認識。
市民とか県民とか国民とか、
そういう認識ってみんなどこでできてるの?って思ってて。
その組織っていうか、
社会のさらに分小さくしていったやつね。
そういう、私は生まれ育った泉市という場所で、
教育を受けたみたいな認識はあるけど、
市民かって言われると派手って思うし、
大学から神戸に出て、神戸に住んでて市民だったけれども、
市民っていう認識はあまりなく、住んでるみたいな。
神戸に住んでるみたいな。
神戸で働いてるとか、
どことこで働いてますみたいな認識ぐらいの感じしかなくて、
当事者性みたいな。
ここが私の土地ですみたいな。
所属してますみたいなのがあまりないってこと?
役割は一体何だろうみたいな。
学級の中で何の委員にも所属してないみたいな感じ。
みたいな。
社会が複雑すぎて、
当事者意識がない人、私みたいにが多い。
なんとなく税金払ってる。
社会人として最低限に必要とされる、
働いて税金を納めて、
みたいなことだけをこなしていれば、
とりあえず生きていけるじゃん。社会的にも。
それで、自分が良ければよし、みたいな感じで、
生きてる人の方が多いんじゃないのかなって思ってて。
そうなると、自分の認識も、
一般的に言われる社会人はこなしてるけれども、
そういうぐらいだと、それこそ社会の歯車にしかならなくて、
みたいな。
とか、社会のために社会貢献しようとか、
地域貢献しようっていうのは、
地域が自分の所属である、
自分にとって大事な場所、
みたいな感じの認識がないと、
なかなか貢献しよう、
みたいな気持ちにならないんじゃないのかなって、
ずっとなんとなく思ってて。
それでいくと、私は、
日本語話してるから日本人です。
日本に住んでるから日本人です。
関西弁喋ってて、
関西で生まれ育って、
働いてたから関西人です、
ぐらいの認識しかなくて、
なんか、文化的に、
文化的にそれを踏襲してるから、
みたいなぐらいしかなくて、
社会の一員です、
みたいな感じはあんまりないんやけれども。
職場における役割認識と社会貢献
でも職場での役割は認識してたんじゃないですか?
職場でこれをやることが私の仕事。
職場という社会か。
職場という社会は比較的もう役割が明確。
入るときからこれをやってくれますよね。
名文化されてるしね。
私はこれをやりますって履歴書に書くしね。
契約書があるしね。
その職場がもしかしたら、
もっと町とか市とかとリンクしたことをやろうとしていた。
そこに知らず知らずに関わっていた。
ことで社会とリンクしているっていうのはあると。
そういうときに、
社会としての会社の理念とかが
社会貢献であるみたいな感じで。
目打てればそこに所属する時点で
コンフリクトしないかなって思うけど、
なんとなく就職しちゃって、
今からこういう社会貢献しますみたいな感じで言われると、
えっ?みたいな人もいたりとかしない?
しそうだなって思ったり。
特に今、企業が社会貢献することをより良しとする風潮があって、
ただその会社の成長だけじゃなくて、
喚起に貢献することをより企業として評価されるみたいな風潮?流れがあって。
よりそういうところに力を入れようとする企業も多いんじゃないのかなと思うけど、
今までやってた仕事に加えてそういう地域貢献だみたいなことを急に言われても、
そんなつもりで働いてたわけではなかったんですが、
みたいな人とかそれでいるかもしれないなぁとは思うけど、
そういう時に、でもその企業がある地域とか、
さっきあおちゃんが言ったような、この地域があるおかげでこの企業が成立しているとか働けるみたいな風に思えれば、
別にそこはそんなに苦労しないのかなって思うけど、
そういう企業ばっかりでもないような気もするし。
社会って何ですか?うたさん社会何ですか?
生物学的視点から見た社会と多様性の必要性
いや、私の考える社会はもう最初に言った集団を維持するための仕組みだから。
なんだろう、結局は全てにおいて、
社会で作られているもの、ルールだったりモラルだったり、
そういうものは全て人間が集団で生活するために必要だとされて、
制定されたものだと思っていて、
やっぱりさっきのエゴの話につながるかもしれないけど、
人間が好き勝手にね、自分でやりたい通りにやってたら、
まあ崩壊しますわなっていう。
結局それって、種を存続させるためには不要なものっていうか、
エゴが。
ただただ自分のエゴを貫き通すためだけに生まれて生きるのであれば、
やっぱりそこってその先の発展は見えづらいよねっていう。
そう、なんかね、それはね、
生物学者かなんかどっかの人がそれを、
その生物学的な視点からそれを説いた人がいて、
なんだっけな、最初の疑問は、なんか子供の相談室みたいな感じだったんだけど、
なぜ多様性を認めなきゃいけないのかっていう話だった。
なぜ障害者とか、そういう人たちを残さなきゃいけないんだみたいな話からだったんだけど、
地球にいる生物全ての中で、
人間より圧倒的にパワーを持ってて、
力のある生き物っていうのはこの世界にたくさんいて、
人間一個人では到底生きていけない環境なのね、地球っていうのは。
肉食動物の世界とかで、
弱肉強食の世界でいうのであれば、圧倒的に人間は弱者なわけよ。
たった多分一人とかの個体でいたら、
死んでもおかしくない、全滅してもおかしくないレベルで弱い。
その中で人間が生み出した生存戦略っていうのが社会システム。
集団として集まる、一致団結する。
能力をみんなで集結させて、いろんなものを作って、
壁を作るみたいなのができる。
さらに多様性を認めること。
自然界で足が速ければだけじゃなくて、
足が遅くても生きていける。
動くことで生きていった生き物もいれば、動かないことで生きていった生き物もいる。
いろんな多様性があるっていうのを発見したことで、
いろんな人がいたら生きていける可能性が
あるかもしれないから、
社会の中でそういう人たちを守っていくからっていう話だったのね。
なので、生きていくために社会性がある。
多様性を認めて何かの可能性。
足が速い人が全滅する可能性もあるし、
遅い人が全滅する可能性があるっていう。
がんがもしかしたらいつかそれが何かのきっかけで、
あと目が見えない人が生きていける世界とかね、
そういうのを認めていって、
いつかそこで人間が生き延びられるチャンスがあるかもしれないから、
いろんな人を認めましょうね。
みんなが生きていけるようにしましょうねっていうのが、
人間の生存戦略なんですよっていう話だったんだけど、
私はそれが一番納得いくというか、
子供向けにそれは説明してたけども、
それ一興なんじゃねえかなと思う。
なんかさ、学校で教えてほしかったとして、
学校教育と自己効力感、そして社会との関わり
なぜ人間が社会を形成しているかみたいなのは、
もちろん大事かなって思うんやけど、
現実問題として、
自分が社会でどういうふうに役に立てるのかみたいな、
社会貢献を良しとするのであれば、
じゃあ私は今所属している社会に対して、
こういうことができますよねみたいな、
なんかその自己効力感みたいなものを、
学校で教えてほしかったなって思うのが最近。
でも結構、学校とかはさらにそこって
シビアに伝えてきてんじゃねえかなと思う。
それこそ逆に言えば、
頭が良くったって悪くったって生きていけますよっていうのは
教えてくれないじゃん、基本は。
どうなの?
頭は良ければ良いし、
頭の良い大学に行ければなお良しってやっていくじゃん。
だからそれが学校で、
だから勉強できてれば安心みたいな感じのスタンスで
勉強してきたけれども、
実際社会に出てみたら全然そういうわけで、
それで生きていける人だってもちろんいるけどさ、
学校の勉強できても、
だから自分が今言ったその、
社会に貢献してる感はないよって。
貢献し〜。
それは認識の問題。
認識の問題じゃないか。
認識の問題で、でもそれでも社会の一部として成り立ってるんだよみたいな話。
もちろん貢献することが良いことだと思うし、
日本の教育方針と社会における個人の役割
そういう人を否定するわけではないんだけれども、
そういう多様性みたいな話を今は特によく聞くけど、
どんな人だって社会に何らかの形でいていいと。
でもできれば役に立ちたいじゃん。
それも人によるんかな。
役に立ったね、ありがたいねって思われたいと思う生き物なんじゃないのかなって思うんだけど、
なんかそういう勉強できなくても、
足が速くなくても役に立ったねって、
思わなくても生きていける方がいいんだけど、
そう思える何かがあればよかったのかなって思ったり。
いいんじゃないか?これを教えるの。
今の社会、特に限定的に言うなら日本においては、
日本の生存戦略は、勉強ができる子、足の速い子が一番いいっていう。
そこを増やしたいからそういう教育をしてるんだと思うんだよね。
それがいいんだろうか。
もちろんその割合は増やす。そうでない人たちもいるけど、
受け皿はあるじゃんっていう感じ。
学校で優秀とされる人が必ずしも社会に出て、
貢献するとは限らない。
得たものと同じ評価を得るとは限らない。
生存戦略としては、よし足は環境に行かないと分からない。
社会って子じゃなくて、集団が生きていけるかどうかの話であって、
子の能力の影響はあるけれども、
子が生きることが目的じゃなくて、集団が生きることが目的だから、社会って。
その意識が欠落しつつある部分は結構見る。
確かに。
それだけで本当に動いてる人はいないだろうけどね。
個人尊重の概念と現代社会の課題
個人っていうものを尊重されるようになって、
日本っていう場所は、こんだけ人口が過密になるぐらい、
集団として生きることには優れた民族だったんだろうなって思うんですよ。
でも、これも外から来た概念かもしれないけど、
個人を大事にしようみたいな概念が入ってきたときに、
それをうまく扱えなくて、
いろんな人がいろんな自分勝手、エゴ、わがままを振りかざして、
権利だっつってやってるのが今なのかなって。
でもそれも含めて、だから社会に今度はなっていかないといけない。
今までは集団で生き残ることが社会システムだったけども、
今は多分その個人という概念をうまく取り入れても、
回っていける社会にならないといけない時代になってるのが、
むずいなって思って見てるんですが。
ツイジリーヌはどっちかっていうと、
歯車的な社会システムの方が楽な人なんじゃないかなって今、
ことか考えのが、社会と向き合ってこなかったって言ってたんですけど、
考えなくても社会の中に入れる方が楽。
だけど今は個人を尊重しましょうとかそういうのが、
多分そういうフェーズになってるからさ、社会が。
改めて向き合うきっかけになったんだろう。
だからアップデートしたいなって思うのもあるんだけども。
だからその理論でいくと、
個人は歯車ではいけないって言ってるようなもんじゃないの?
歯車で痛かった。
の方が楽じゃん。だからその社会システムを回す上ではさ、
いろんな都合がいいんだけれども、
それでももちろん、いい場所ももちろんあって、
でもそれだけではちょっと足りてないよね。
もうちょっと何か欲しいよねみたいな風に要求される場所も、
もう社会の中では多いのかな。
学生にはそうやって言ってる。
自分は歯車である方で、学生にはこう伸ばせとか言う。
どこまで行っても歯車なんじゃないかな。相当の人は。
歯車以外に何の選択肢があるの?逆に。
それこそ動力があるのか分かんないですけど。
学組。社会組。
あとはカジ取り。ハンドルを切る。
モーターでありガソリンである人もいるかもしれない。
いるかもしれない。
動力源。
歯車としての役割と自己認識の重要性
ほとんどは何らかの部品だと思うんですよ。
で、こう伸ばすとか、学校で勉強するっていうことの必要性は、
自分の輪郭、自分の立ち位置を把握するために必要な気はしているし、
その中で、自分の、例えば歯車だったとして、
歯車のサイズを変えるとか、形を変える、
場所を変える、変えたいって思ったときに発揮できるものかなと思うので。
歯車が噛み合わなくなるのは、たぶんいろんな社会の環境とか時代とかであるだろうけど、
それを自分で大きさとか、変化させられるかどうか、
自分の中に設計図をちゃんと持っているかみたいなところになるんじゃないかな。
自分が社会との、要は周囲の歯車と自分の歯車がちゃんと輪郭をつかめていれば、
噛み合わなくなってきたなって時にどう動けばいいかがわかるから、
対応できるとか。
例えばさっきのメゴの話でも、自分はこういう歯車になりたいって思ったときに、
環境を変えるのか、周囲も一緒に変えてしまうのか、
っていうことで自分のなりたいものになれる。
けど、その歯車、機械の部品であることを、
自体は変えられないっていうか。
そういった時に、エゴを突き通してもいい、社会の中で突き通してもいいけど、
噛み合わない歯車になっては持続的じゃないし、
そこにいられなくなるから、やっぱり社会を捉えつつ、周辺を捉えつつ、
自分がその中でできるものになる、なれるものになる。
それを叶えるための力をつけるっていうのは、勉強だったりするのかなって思います。
ちょっと明後日から学生に話すわ。
何を?社会の歯車について。
いきなり話し出したらうざい先生だな。
週末何やったんだって。
話し出したよ、先生みたいな。
絶対何かあったよね。
別の見方したら、勉強って社会の歯車、製造機よね。
学校がやりたいことはそうなのかもしれない。
昔はね、だけど、
学校は社会の歯車製造機?
教育方針とか。
集団行動とかっていうのを教えていくのはそういうところだけども、
義務教育館ではそんな感じ。
より高等学校とかになっていくと、
じゃあこうことして、
それでもあえて歯車になる人もいるし、
自分エンジンいけそうとか。
ハンドルいけますみたいな人もいるかもしれない。
どんどんね、その辺は精鋭になっていくんだろうけど。
社会とは役割なんじゃないでしょうか。
個人と社会の相互依存関係
自分が生きていくためでもあるし、
集団が生きていくためのシステム。
そのために地域貢献するとより良いみたいなことを言ってくるから、
じゃあ地域のために頑張ろうっていう人も一定数出てくるだろうし。
全員が全員そっち向かなくてもいいようになってるからね、社会は。
社会って個人がいないと成り立たないんだよね。
それをとても矛盾してるよなって思うときは。
生き抜く力がないからですよね。
そのために社会は必要だけど、結局その社会を。
社会は子に還元していくんじゃないの?
子が会社のために働いて、会社は給料を出してその人が生活できるっていうのは還元じゃん。
もちつもたれつじゃないけど。
両方必要な存在ってこと?
社会は個人が必要だし、個人も社会が必要だしみたいな。
そんな気はしている。
その認識を持ってる人はどれぐらいいるんでしょうか?
これ一般論?
いるんじゃない?
この世には賢い人たくさんいるし。
言葉としては認識している人が多いと思いますよ。
実感してるかは。
実感として、私には社会が必要だなって思ってる。
私程度の脳みそでたどり着けんだから、みんな思ってるに違いないって思ってるけど。
「社会」の認識と『ワンピース』からの示唆
俺はワンピースで見たらなって思ってますけどね。
織田先生が書いてんだらみんな知ってんじゃん。
アラバスタ編あたりで見たよなって。
じゃあ知ってる知ってる。みんな知ってる。
アラバスタなら。
教科書に載ってたわ、大丈夫。
ワンピース教科書。
やばい、教科書履修しれないやん。
国とは人であると。
素晴らしい。
コブラが言ってたわ。
コブラが言ってた。
あそこにああいうワードが出てた時点で、結構な人が認識してるはずなんですけど。
言葉としてはね。
全然私あそうなんだぐらいにしか。
そうだ。アラバスタ編見たら社会が学べるかもしれない。
なるほどね。
確かに。
社会システムへの気づきと感謝
何年前だ?
やめろよ、数えんなよ。
社会に興味なかった私が、
ポッドキャスト聞くようになって、
のおかげで、
なんかちょっとその、
社会ってこういうものでできてるんだなっていう一端を知れたりとかしたんやけれども、
なんかあんまり、
自分が生きてる分にはまだまだ全然実感としてないけど、
でも実際はちゃんとそのシステムとして動いてるから私は生活できてるみたいな、
なんかその、当たり前になってるありがたさみたいな。
矛盾したこと言ってるけど、
当たり前だけどそれがむしろありがたいみたいなことに気づくきっかけは、
きっと必要なんだろうなと、
思いました。
まる。
エゴと社会の共存可能性
いや、エゴはどうしたらいいんだ?だから歯車の中で。
いやでも、
考えてみる?そっか。
どうしようもないよね。
社会の中では生きていけない気がする。
エゴはだから社会に必要だって思ってもらえるように、
うまいことを表現すればいいんじゃないですか。
そのエゴを社会に必要ですよねって思ってもらえれば、
別に拒否はされないと思うので、
結局言い方とか、
言う裏でどういう行動をその人がしてるかとか、
そういうものかなって。
どういうエゴかにもよるな、今日の流れでいくと。
社会側から言うならやっぱ、
排除されがちだろうけど。
でも、
難しい。
必要じゃない?エゴは必要だと思う。
必要だけど、
社会的にいらないエゴ。
社会的にいらないからエゴって言われちゃうんだろうけど、
イレギュラーなことをするからエゴって言われちゃうんだけど。
それも結局、それも認めるっていうのが製造戦略だから、
多様性という中だったらね。
だけど、
難しいよね。
社会としては今のところ、あんまりにもイレギュラーなことを起こす人は、
排除対象になってるからね、今のところ。
個人的に、
一貫性のある、
力の強いエゴだったら、勝手に自分が、あたしここ入りたいやーっつって、
自分行きますって言ってガッと、
入ってって、周りをグリグリグリグリってやって、自分の形にフッてやっていくと思うんだよね。
結局それができないエゴは弾かれるだけっていう。
シー、サークルクラッシャーみたいなことも言うだろうしね。
最終的には、あ、ダメでしたって。
やっぱどうしても合わないものは排除されるし、
でもちゃんと、
エゴの力と社会の変化
言い方って言うかわからないけど、理屈が通っていて、筋が通っていて、
代替えになり得る歯車っていうのはきっと、
グッと入ってバーって周りの形変えていくんじゃないかなと思う。
やっぱりその形を変える過程で反発とかは絶対出てくるけど、
まあ社会って結構柔軟性があると思ってるから、
そういうところでグッとハマっていくんじゃないかなと。
押し通す力がある。
だって社会も変わっていくわけでしょ。
だからその変わっていくにはやっぱ変わったパーツも時には必要で、
変わったパーツだらけだと成り立たないけど、
だからそういう意味でそういうエゴも、
だから全部が全部ではないんだけれども、
どのエゴがそのパーツになり得るかっていうのは誰にも分からないわけで、
やっぱりそのエゴを別に、
表に出すこと自体は悪いことではないという社会認識が欲しいなって。
ただそれを弾かれたからって進めないとか、
それをブースから言わないみたいな大人な対応も大事だよねみたいな話。
エゴを出したからって叩かれないとか、
そういうのがあった方がよりサステナブルな社会になるのではないのかなと思ったりしました。
サッカーもさ、サッカーのルールの中で急にボールを手に持って走り出したからラグビーが誕生したみたいなさ、
いろいろあるじゃん、そういうのも。
そういうイレギュラーとかエゴも認めて行動してたら社会も変わるかもしれないしね。
その結果いいこともあるかもしれないし悪いこともあるっていうのが、
社会がどう見極めていくかっていうのが大事なんじゃないですかね。
行動と理屈、そして社会の柔軟性
結構理屈っていうよりは、私は結局それいいじゃんって思ってくれる人が周りにどれぐらいいるかじゃないかなって。
そうね、時とタイミングみたいなもんなんじゃないか。
サッカーからラグビーが生まれた話、今初めて聞いたけどさ、
諸説あります。
手に持って走り出したやつをさ、
お前ルール違反だろっていう人もいれば、それおもろいじゃん、やろうよみたいな感じで、
ノリよく遊び始めた人が他にもいるからラグビーができたっていうんだとしたら、
理屈ってむしろ後からついてくるんじゃないのかなっていう気もするんで。
先に行動とかそれがあって、後から社会ができていくみたいなのがあるかもしれない。
そのために最初に言ってみないと、どんな反応が返ってくるかもわからんし、
それがみんな怖いから、反応が怖いから言えなかったりとか。
基本はそれエゴって言われた瞬間にすいませんってなっちゃう人の方が多いから、
出る杭は打たれちゃう人が多いけど、打たれない杭も多分いるんだと思うんだよ。
そういう人が社会変えていくだろうしね。
打たれてもそのまんま立ってますみたいなね。
戻りませんよみたいな。
地盤が硬すぎて。
下から出てきちゃうかもしれないし。
そういうのもあるかもしれないから。
杭もいろいろという感じで、エゴと社会がどうなってんの?融合してんの?
融合した。
受け入れ合ってんの?
「打たれない杭」と社会変革
共存。
共存?
共存するエゴはサスティナブルなんじゃないですか。
共存できるエゴは良いエゴ。
流行語大賞狙いんじゃない?
サスティナブルエゴ。
どの界隈でやるの?
ポッドキャストですか?流行語大賞。
誰かとやんないかな。
たりき本が。
弾かれ、言ってみないと弾かれるか、はまるかも分かんないし。
言うこと自体は悪くないって言いたい。
エゴと社会の共存、そして「サステナブルエゴ」
同じくらい。
どうでしたか?青ちゃん。お腹いっぱいになりましたか?
はい。絶対これ聞き直したい。
もう何言ったか忘れちゃう。
無責任に喋っております。
サスティナブルしか覚えてない。
聞き直したいって言ってもらえたのは初めてかもしれない。楽しかったみたいな。
何喋ったかよく分かってないけど楽しかった。
覚えてないみたいなぐらいの感じでやってきたので。
その感想に逆にビビってますけど。
すごい面白かったですね。
ありがとうございます。
こちらこそ。
ゲストの感想と今後の展望
いいですね、メニュー頼んでみるものですね。
いつも持ち込みメニューお待ちしております。
何がいいかね。
ありがとうございます。
久しぶりの修学なので楽しかったです。
定期的に話したいです。色々。
こういう難しい話。
たまには嫌いだけど。
エゴと性格、そして「打たれる側」の経験
嫌いなの?ノリコ結構ノリノリで喋ってるかと思ってたけど。
今日はツボにハマった。
自分が英語だから。
そうなの?ノリコの英語話聞きたいの?
我がままに生きてると最近は思ってるんで。
ここで言いたいことは言ってるし。
言いたくないことは言わないし。
共感しないことは一切頷かないし。
絶対ここは分かるって言った方がいいっていう空気感とか絶対読まないし。
むやみに私ゲスト褒めないし。
俺は英語っていうより性格なんだよね。
社会的にこうした方がいいっていうことより自分が思ったことの方が大事って思ってるから。
新しい関連性出てきた。
性格なんじゃないかって思ったけど。
エゴと性格。
エゴは性格なのかどうか。
違うでしょ。
その性格は多分エゴを表に出すか出さないかくらいじゃない?
エゴが出やすい。
エゴ自体が湧きやすい湧きにくいも性格で。
その出たエゴを表に出しやすい出しにくいも性格で。
XY軸。
Zくらいまで。
どこに所属するかみたいな感じ。
要証言のこれね。
エゴもなくても社会としては生きていけるし、
エゴがあっても生きていける社会にならないと
社会としてのサステナビリティが失われるしっていうことですかね。
昔から結局私もデルクに打たれるタイプで。
分かる分かる。
なんとかだいぶ丸く分かったけどって感じ。
今の分かるはどっちの分かるなの?
のにこそうだなの分かるなの?
いや私もそうだなと思って。
打たれる側の共感の分かるなのね。
絵面が強いみたいだからただ立ってるだけでも
攻撃対象にされることがたまにあったり。
そっちなんだ。逆に攻撃されないけどな絵面の方。
どうだろうね。
舐められたくないっていうのはあったけど。
舐められたら終わりと思ってた時代もありましたね。
特に女性は舐められやすいので。
「小ありくい」の威嚇とユーモア
だいたい私が威嚇しても小ありくい程度にしかないんですけど。
小ありくい。
威力が小ありくいなので。
どんなに背を広げても小ありくいなので。
具体的な絵で。
ベースが小ありくい。
小ありくい。
めっちゃテンションつぼってる。
どっから出てきたん小ありくいと思ってた。
小ありくいの威嚇しかならない。
何の力もない。
最近見たんかなって感じですね。
何見たん?
小ありくい。
小ありくいの絵面は今すごく想像できた。
両手広げてる小ありくいですごくイメージできた。
イメージできた?
あれは確かにかわいい。
かわいいかわいいかわいい。
これかわいい。
威嚇してるように見えないってやつね。
見られないってやつね。
番組の締めくくり
ここは思考の喫茶店。
対話を聞きながら考える時間を楽しむ。
そんなひと時を過ごしてもらえたら嬉しいです。
本日はいかがでしたか?
またのご来店をお待ちしております。
52:43

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