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  2. Order No.93 "親友×あんちゃん"
2026-02-14 49:44

Order No.93 "親友×あんちゃん"

今回のお客様は、三粒に種のあんちゃん🥦『親友』って何なん?って思ってるあんちゃんの友達観について楽しくおしゃべり😊あなたは『親友』っている?それってどんな存在?🤔感想や、あなたにとっての『親友』についても教えてね💁‍♀️


あんちゃんの声をもっと聴きたい方はコチラ🎙️

https://open.spotify.com/show/3v9SMbiiuk94BNgLCNzIOz?si=Lhh8DegCRsKlhk09xMQzYg

サマリー

今回の「思考の喫茶店」では、ゲストにあんちゃんを迎え、「親友」とは何か、そして人間関係における「友達」や「親友」の定義について深く掘り下げていく。あんちゃんは、自身が「親友」という言葉に疑問を感じている理由として、友達の定義が人それぞれ異なり、明確な「儀式」や確認なしには成立しないのではないかと考察する。特に、大人になると関係性が複雑化し、SNSでの繋がりも増える中で、何をもって友達と呼ぶのか、その境界線が曖昧になっている現状を指摘する。また、恋愛における「お互いを意識し始めた時」という定義を引き合いに出し、親友もまた、一方的な思いだけでなく、お互いの認識や確認があって初めて成り立つ関係ではないかと推測する。 議論は、見返りを求めない関係性や、相手との心の距離の取り方へと発展する。ノリコさんは、見返りを求めずに相手を大切にする姿勢を美しいと語る一方、あんちゃんは損をしたくないという感覚から、見返りを求めてしまうと自身の「器の小ささ」を認める。子育ての経験や、職場での人間関係を例に挙げながら、相手の行動に気づき、それに対してどう反応するかで関係性が変わることを示唆する。最終的には、人それぞれ心のハードルや人間関係における価値観が異なり、自分を守るために壁を作ることも必要であり、無理に変える必要はないという結論に至る。相性やタイミングも重要だが、根本的な価値観が人間関係を大きく左右するという見解で締めくくられる。

気まぐれサラダと野菜業者さん
思考の喫茶店へようこそ。
ねえ、店長。
はい。
そろそろさ、店長の気まぐれサラダ、買えない?
あー、確かに、結構、なんか、一般的な野菜しか使えてなくて、あまり変わり映えしないと。
ちょっと気まぐれ感欲しいです。
ねえ、気まぐれ感欲しい。
欲しい、欲しい。
ちょっと変わった野菜を使うとか。
そう、そう、そう。
そう、キャンディーが欲しい。
おしゃれなやつ、おしゃれなやつ。
あ、いいね。
どこで買えばいいの、そういう野菜って。
どこにあるんだろうな。
カラン、クロン、クラン。
お野菜いかがですか?
え?
え?
お野菜?
ちょっと、ちょうど、ちょうどいいところに。
お野菜業者さん。
え、何、何、何を売ってるんですか?
ロマネスコとか、あと、
ロマネスコ。
あと、オレンジ色のカリフラワーとか、
紫色のカリフラワーとか。
おしゃれ、おしゃれ。
花ズッキーニもあります。
ズッキーニ?
はい。
ズッキーニ。
いいじゃん。
いいじゃん。
いいですね。
産地はどこですか?
産地は、
静岡県です。
あれ、静岡県、静岡県のおしゃれ野菜農家。
いや、ていうか、この声なんか聞いたことあるよね。
聞いたことある。
そんな気がする。
あの、しろさんに似てると思ったけど、
しろさんに似てると思って間違えた。
そんな、そんないい声ですかね。
しろさんだったら、召喚人で来るから。
そうそうそう。だし、お野菜だし。
あんちゃん登場とテーマ設定
あんちゃん?
これ、
あんちゃん?
あんちゃん?
どうも、あんちゃんです。
あんちゃんや。
三粒二種のあんちゃんですね。
はい、そうです。
こんにちは。
こんにちは。
お野菜ありがとうございます。
ちょっと、野菜売ってもらう前にお話ししなきゃ、店長。
え、いいんですか?
はい、ぜひよろしくお願いします。
早い。話が早い。
やったー。
じゃあ、どうぞどうぞ。
奥の席、奥の席どうぞどうぞ。
座って、座って、座って。
わー。
わー。
お客さん来てくれた。
このお店は至高の喫茶店といいまして、
お客様がメニューから選んだメニューについてお話ししましょうっていうお店なんですけれども、
あんちゃんもお話ししてくれますか?
はい。よろしくお願いします。
ありがとうございます。
じゃあ、
あんちゃんにお話ししてほしいメニューはですね、
親友、偏屈、深掘りを用意させてもらったんですけれども、
どちらのお話からしていただけますか?
ずっと思ってたことがあったんですけど、
親友って何なん?
っていうことで、親友でお願いします。
ありがとうございます。
じゃあ、親友について深掘っていきましょう。
「あんちゃん」という名前の由来とモノマネ
それじゃあ、本編。
はい。
店長の辻リーヌと愉快な仲間たちが、
お客様と一緒に自分の趣向を深めていく喫茶店です。
あんちゃんっていう名前は、どこから来たんですか?
もう、名前は本当に適当で、
もう、ひらがなの最初と最後を取ったっていう感じですね。
へー。
へー。
AからZみたいな。
はい。
えっと、あいうえお。
単純でね。
はい。
自分と全く関係なくだ。
はい。名前はもう一切関係なくですね。
逆にその発想すごいな。
うん、ね。
全然関係ないとこから取るの、思いつかないかも。
もう本当に何も思いつかなかったんで、
なんかそういう感じにしました。
へー。
へー。
ちょっと予想外なとこから来た。
面白い。
分かる分かる。
面白いね。
なんかあの、ひとつ屋根の下っていうドラマ。
そう、それさえ。
えぐちどすけがね。
あんちゃんってね。
ドラマの名前が出てこなくて。
そう、ずっとそれだと思ってた。
ね。
違った。
ちょっとモノマネなのかよく分かんないやつやってたよね、店長ね。
よく分かんない。
よく分かんないやつ。
できんけどって言いながら言ったやつを。
ごにょっとモノマネチックな言い方してたなって。
一応真似ようとしてみたけど、全然似てなかった。
うん。
うんって。
うんって何?
似てないんだよ。
なんかちょっと面白くて。
多分あんちゃんが真似したほうが似てるよ、そういう意味で。
いや、まあ男性ですからね。
え、いいですか?
はい。
いいですかって何?
え、モノマネしてもらっていいですか?
あー、モノマネですか?
そういう、そういう。
そういういいですか?
こちゃぶり。
やってもらえますかって。
どうって言っても大丈夫ですよ。
ダメならダメ、ダメならダメで全然いいです。
全然やります、はい。
先生がやってくれるんですか?
じゃあ、いきます?
はい、お願いします。
似てる。
似てる。
なんか面白かった。
思ってたよりちゃんとやってくれて。
どこで声出していいのか。
すいません、最初ちょっと入っちゃったわ。
熱い。
一気に汗が。
ありがとうございます。
これはやったことあるんですか?
一応三種でもやってますね、はい。
なんかそうですよね、なんかそう。
なんか聞いたことある気がして。
え、でもこんなに尺は使ってないですよね。
いや、全く。
全く同じものをやりましたね。
あ、本当ですか?
はい。
聞き流しすぎ。
あれあれ、聞き流しすぎだった。
多分まだ十過ぎぐらいだと思いますけど。
十過ぎか。
はい。
そっか。
前半ですね。
じゃあ、もう一回ちゃんと聞きます。
はい。
はい、ありがとうございます。
ありがとうございます。
そう、なんか福山真春の真似したことある気がしたんだよ。
これか。
これでした。
そんなあんちゃんの。
恋愛トークと親友の定義
志向の喫茶店って聞いてくれてます?
はい、全部聞いてます。
ありがとうございます。
じゃあ、この質問してもいいかなって思うんですけど。
はい。
あんちゃんの恋愛はどこからですか?
えっと、実はですね。
この志向の喫茶店の恋愛について収録しました。
え?
なんと。
嬉しい。
嬉しい。
お便りとか。
あ、そうですそうです。
狂気の参加日連続配信。
狂気の。
めっちゃ嬉しいよ。
お便りとかコメントだとやっぱ文字数がかなり多くなるし、
伝えきれない部分あるなと思ったんで。
かつ、沢ちゃんの方が恋愛トークとか恋愛相談とかをしてほしいっていうのがあるんで。
じゃあ、もうそのトークテーマについてちょっとしゃべろうって言って。
なんなら今日撮りましたね。
すごいタイミング。
ほやほや。
じゃあそれは待った方がいいんですかね?
そうですね。月曜日に配信します。
あ、なんと。
嬉しいですね。
番組としてやってくれるのはめっちゃ嬉しいですね。
そこでの補足とか、あそこで言い切れなかったことをここでポソッと言っていただけたりしたりしませんか?
そうですね。一応結構恋愛についてというより自分が思ってるというか、
二人というか相手がいての話をしたんですけど、
恋愛についてじゃなくなったかなとは思いつつ。
だけど、一応恋愛はどこからスタートだと思うとか、終わりはあると思うとかっていう話はして。
なんで一応質問の答えで言うと、恋愛の始まりはお互いが意識しあった時かなと私は思ってます。
あ、ちょっとじゃあ私に近いですね。
そうですね。
私以外だね、だいたい。
片思いは入らないってやつですね。
まだ付き合ってないんだけど、意識し合ってる状態から恋愛かなっていうふうに思います。
両方思い的な。
そうですね。
なんかこの恋愛について、このメンバーで喋ってるときに感じてたことを、
なんかどっかでこういう感じのことを思ったなと思って思い出したのが、
三種で親友とかいるみたいな話をしてて、
でもうちで友達っていうテーマで話してるんですけど、
なんか親友って難しいなみたいなのを思ってて、
そのときね、友達っていうテーマで喋ったときとか三種で親友の話をしてるときに難しいなって思ってた感覚と、
恋愛っていう話をして、いや恋愛ってふわっとしすぎじゃないみたいな結論になって、
それと似てるなと思って、
だから結構お互い、それこそうちら親友だよねとか、
うちらお互いに思い合ってるよねみたいな感じにならないと成立しない者たちだなって思うように思ってて、
だからそういう意味で言うと親友っていうのも、
片思い的に私はこの人のことを親友だと思っているみたいな人もきっといるかもしれないし、
お互いにうちら親友だよねみたいなことを、
儀式みたいな意志の卒をもって親友って思ってる人もいるんじゃないかなって思ったんですよね。
っていう話でした。
なんかやっぱ確かめ合う儀式が必要なところなのかなと思っていて、
それこそ付き合うために告白という儀式が必要だし、
親友っていうところのハードルの高さが多分各々であって、
軽くではないですけど、うちら親友だよねって言ってくれる人がたぶんそばにいてくれたら、
親友っていう儀式を共有できた感覚にたぶんなれて、
親友っていうコミュニティに入った感覚になれるんだろうけども、
なかなかそういう人がいなかったら、親友って何なんだろうっていう疑問を持ったまんま、
ふわっとしてる人たちが多いのかなと思ってて、
ましてや自分は友達すら何?って思ってるタイプなので、
その友達はたぶんもっとふわっとしてるというか、
その儀式すら必要ないものであるからこそ儚いなと思っていると、
そのさらに深いところにある親友はたぶんもう何?っていう疑問につながっちゃう。
神聖化されてる。
友達の定義とハードルの違い
ふわっとしすぎて何だろうみたいな。
サンタネの友達会を聞いてて、
友達がなかなかできにくい人からすると、
友達っていうのを気軽にそういう存在を作れる人からする、
友達っていうのがなかなかできない人からする、
友達が簡単にできるって言ったらなんだけど、
できやすい人からすると親友って思えるくらいの存在が、
友達がなかなかできない人からする友達なのかな、みたいな。
パドルの段違いっていうか。
定義が全然違うというか、
友達をどういう、どの範囲を友達と呼んでいるのか。
例えば、SNS上でやりとりをする関係の人たちとか、
月1回のみに行く人か、週1回のみに行く人なのか、
遊びに行こうと思った時に誘える人とか、
何かしらのカテゴリーというか、
こういう人がだいたい友達っていうのが、
人それぞれバラバラだったりして、
私は結構気軽に、わりと友達っていう言葉を使いがち。
多分何を持って友達って言ってるかって、
多分顔を知ってて飲んだことがあるとか、
そのぐらいでも。
そういう人を知り合いっていうのか、
はたまたフォロワーって言っちゃうのか、
っていう言葉の違いかなと思ってて、
その辺がみんなバラバラだったりするのかなと思って。
友達っていう言葉に結構とらわれちゃったりとかすると、
友達がいませんみたいな、
ちょっと卑屈なように聞こえるけどね。
思ってるレベルとかハードルがそれぞれ違うのを、
友達っていう言葉に当てはめようとするから、
不才が生じるのかなと思って。
なるほどね。
当てはめようとするからっていうのは確かにありそうですね。
子供の時ならさ、
クラスメイトの中でもよく遊ぶ友達とか、
一緒にいる時間が長い人が友達ぐらいの認識だし、
学校か家かみたいなぐらいしかコミュニティがなかったから、
なんかわかりやすかった気がするんだけど、
大人になって今のSNSとかで普通に人とつながれる時代になると、
よくわからんっていうレイヤーが多すぎるし、
関係性もやっぱりSNS上でしか付き合いのない人と実際に会う人とではやっぱり、
情報のやり取りの親密度とかも全然変わってくるが故に違うなと思って。
そうね、友達会した時も、
私たちは友達ですか?みたいな恥ずかしい質問を投げたぐらい、
私もそこはやっぱり自信持って友達だよねって言えないタイプなんで、
ふんわりさせとくみたいな感じなんで、
もちろん親友もいないよなって思ってたんですけど、
結構そういう大人は多いんじゃないかなっていうか、
改めて考えたことないだけで、
いないっていうのは自分が寂しくなっちゃうから言えないみたいな、
っていう人は多いんじゃないかなって想像しますけどね。
自分はよく3人とか5人とかになった時に、
自分以外の2人ずつが仲良い、そこに加わってるやつみたいな、
そういうタイプだったんですよね。
なんか、いつも3人とか5人とかで集まるんだけども、
特段他の2人が仲良いみたいな。
なぜ奇数なのか。
なんかそういう感じだったんですよ。
で、別にそこに何も不満もないし、
何も特に思うことはないんですけど、
自分のそういう立場で思うと、
友達とか親友とかっていうのは、
リアルで会う必要があって、
かつ年齢が比較的プラマイで近い相手でしか、
友達って言いにくいみたいなところはあるなと思っていて、
10個上とか20個上とか、逆に下もそうですけど、
そういう人と友達とは言わないよなって思うし、
実際に顔を合わせてお話を、
ネット上とかオフラインの状態とかでもいいんですけど、
そのSNS上だけで友達って言っていいんだろうかっていうところは、
結構思うんですよね。
そういう定義が自分の中であるから、
みんな友達をどこまでカウントして言ってるんだろうっていう疑問はあったっていう。
今もその気持ちは?
今もですね。
だから、その友達だよね、私たちって言える人、眩しいなって思ってますね。
言い合いができるのって相当ハードルが高いなって。
大人になるとそれって言わないっていうかさ、
子供の時とかだったらまだ友達になろうよとか、
同じクラスとかだったら無邪気に言えるけど、
大人になってからその辺ってなんだろう。
恥ずかしいよね、普通に。
言うこともないし、それこそSNSとかオフラインで会う人とかと、
そういう文化自体がまだ歴史としても浅くて、
そういう人たちをどう呼び合うかみたいなのがまだないんだろうなっていうところで、
気恥ずかしさみたいなのとか、
友達という定義に当てはめていいものなのかっていうのが。
大人になってからの友達っていうのが特に難しい。
友達っていうワードは子供にしか当てはまらないような気がしてきた。
「友達だよね」と言い合える関係性
私はここまで聞いてさ、
こっちが友達だよね、親友だよねって言って、
そうだねって言われたらそれでいいんじゃないかって思っちゃってたんだけど、
みんな真面目やんと思って。
なんかそれは恋愛の時と一緒だけどね。
温度差を感じてしまったけど、
それでいいじゃんって私は今思ってしまった。
定義がみんな様々すぎて、
それを同じようにするっていうことはもう無理だなと。
不可能に近いから、
じゃあこう言ってそうだねっていうこのやりとり、儀式のようなものがあれば、
もうそれで成立するものなのかもふわっとと思ってしまいました。
儀式までたどり着いてるからね。
儀式までたどり着ければその時点でもう友達なんだよ。
世間一般でいうところにね。
え?ってなったら、あ、え?なんだね。
出るんだな、そこでって思いました。
それはメンタル強い人しかできんやつ。
マリマリさんが、
マリマリさんが、
儀式を全然得意としてるから。
確認っていう儀式ね。
勝手に始めれちゃうっていう強み。
何にでもだね、ここまで聞いて思いました。
それは強みより、本当に生きていく強みだと思う。
みんないろいろだわ、考え方。
すごい勉強になる。
友達で結構話深まったから、もうこのまま行くけど。
友達というテーマで。
人間関係やからさ、恋愛もそうやけど、
相手がいて初めて成立するもの。
だからこそ、相手を置き去りにして、
自分が勝手に友達って思っていいのかどうかとか、
親友って思っていいのかみたいな、恋人もそうだけどさ。
好きっていう気持ちは、友達にしろ恋人にしろ一方的に持てるけど、
関係性みたいな話になると、相手は置き去りにできないわけで、
じゃあ相手が自分のことをどう思ってるのかとか、
この関係性をどれくらい持続させようってお互いに思ってるのかみたいな
気持ちの確認ができないと、やっぱり一歩上の
ただの好きな人から恋人にとか、
ただの知り合いから友達にとか、
友達から親友にとかって、そういうグレードアップするときに
やっぱりお互いの何かしらの意思疎通がないと難しいんだろうなっていうのは
やっぱりアラダムって思った。
それをどうやって確認するかを、自分の中で
マリマリちゃんみたいに聞けばいいじゃんみたいな感じで確立できれば
そこは簡単なんだろうなっていう。
難しいよね。
でも、そうね。
なんかもう、SNSが
いや、でもどうかな。
自分の生活の軸がどっちにどれくらい振ってるかみたいなんで
だいぶやっぱりそこの重さも違うような気がするし
かんちゃんはお仕事で会う人の方が生活の軸がちゃんとあって
SNSはそんなに自分のことをそこまで発信したりとか
そこまで交流に軸を置いてないのかなって思うので
そういう意味ではやっぱりリアルに会った人が友達とか
自分の生活軸に合わせた判断基準みたいなものがあるから
そうなるのかなっていう気がして
私はもう今リアルに会う人より
SNS上で交流する人の方が多いし
実際にコメントのやり取りとかもSNSの方が多いし
実際に話す人より家族以外で話す人ってあんまりいないので
そうなってくるともうSNSが生活の私の中の一部になってて
SNSの中でコメントのやり取りすれば
友達って言ってもいいかなみたいなぐらいの雰囲気なんですけど
そこはやっぱり自分がどこに軸足を置いてるかに
だいぶよるだろうなって思ったんで
それが変わればまた自分の判断基準も変わるし
親友な
自己理解と「分かってほしい」という思い
あんちゃんって結構自分のことを
分かってほしいみたいな思いって結構強い方ですか?
いやーどっちなんでしょうね
あんまり本当のことを言ってこなかったかもしれないです
本当の自分って一体何なんだろうっていうのは常々思っていて
結構キャラクターが違うんですよね
小中の時と高校の時と大学の時と
社会人になった時とか
それぞれのステージで結構キャラクターが違うところがあって
自分の父親とか母親の前で見せる姿と
奥さんとか子供たちの前で見せる姿も全然違うし
どれがいつも自分なんだろうっていう風な感覚はいつもあって
どれも嘘じゃないんですけど本当でもないみたいな気がしている
だからこそ分かってほしいんだけども
分かってもらう自分を存在していると思えてないみたいな
だからこそ分かってもらえないだろうと思っているし
多分伝えても誰のことも分からないだろうなって思うと
自分も伝えることで分かってもらえるとは思えないみたいな
なんかすみません
いやいや分かります
今哲学だなと思って聞いてた
面白い
この間二郎さんが来た時も似たようなことを喋ってたんですけど
のりこも似たようなことを喋ってたことがあって
人の気持ちっていうのは結局自分の想像というか
本当には分からないよねみたいな話をしてて
そういう認識でかつ自分のことも分かってもらえないかもしれない
私も結構そっち寄りなんですけど
っていう認識でいると自分から開示することって控えめになるじゃないですか
ってなってると親友っていう儀式が2段階の必要な人に
なかなかそこまで発展するまでの親密度みたいな
自分のこと何でも開示できてとか
親友っていうイメージ
お互いが困った時に助け合えてとか
そういうのってハードル高すぎて無理じゃねって思ってるんですけど
まずそこからなのかなって思ってたんですよね
親友は欲しいか?見返りを求めない関係性
欲しいかどうかですよね
欲しいですか?親友とか
正直あんまり欲しいと思ってないですね
そんな気はしてた
だけど響きは羨ましいんですよね
キラキラしてます
キラキラしてるんですよ
分かる
親友いない?他のメンバー
親友って言える人
いない
私は一人いるよ
私もいると思ってるけど
でもそれはお互い親友だよねみたいな
確認はしたことはないけど
私は親友だと思っている人
そっちの方が深みがあるね
そんなにそういう言葉がなくても
信頼しあえているような気がする関係
しあえているっていうのを
私の親友とか友達の定義が
お互いに思い合うっていうところから
絶対除外してるから
恋愛もそんな感じで言ってたよね
言ってた言ってた
出たー
私がその人をいかに大事にするかが大事であって
恋愛と一緒じゃん
相手から何よって思って
見返りは求めてはいないけども
でも何かあった時に連絡くれるとか
遠方にいるんだけども
帰ってきたら会えるって
年に1回でも連絡をくれるような人がいるのよ
いいね
何かとその子の出産祝いだなんだ
つったらじゃあこういうものが必要かな
っていうので送るとか
そういうのは常にやってるっていう形
ただ回数としては本当に年に1回会えるかどうかみたいな
距離だし
でもずっと10年以上関係が続いてるっていう人
親友と言ってもいいんじゃないかって私は思って
それは親友です
全てをその人に開示してるわけでもなし
何でも相談できているわけではないんだけども
いて気が楽っていうか
そこまで肩肘張らず話したいことは話すみたいな
関係かなと思う
いいよね
自分がどんだけその人のことを大事に思ってるかっていうのが
基準っていうのはすごく
恋愛においても友達関係においても
ちゃんと統一されてるのすごいなって思うし
そこに見返りは絶対に求めないのが
見返りを必要としないから
友達とか親友なんじゃないかって私は思ってるんだよね
無償なインチ会のね
そうだね
帰ってくるのが当たり前だと思ってないっていうか
それは思ってはない
そういう認識
違うのかな
見返りを求める心理と人間関係
やっぱり
あんちゃんどう思う?
いや私としてはその見返り求めないのすごいなと思ってます
全然見返り求めてますね
だよねあんたそんな感じがする
それ以外はコミュニケーションとしては絶対必要な気がしてて
コミュニケーションとしては
そうね
基準が偏っちゃうとね
基本だと思う
何を持って関係性を対等とするかみたいなものにも
繋がるような気がしてて
これはもしかしたら日本人だからなのかもしれないけど
見返りっていうのが何を示すのかちょっとわからんけど
物質的なものじゃなくてただ気持ちだとしても
やっぱり
もらった分だけ返さなきゃみたいな
感覚が日本人は割とあるじゃないですか
日本人だからっていうのを取っ払っても
何かしてもらったら返したいって思うのが
普通の人間としての感情だと思うんやけど
それが自分が自然とやってればやってる人ほど
なんであの人はしてくれないんだろうって
疑問に思うことは別に当たり前にあると思ってて
ただそれをしてくれないから
自分のことは好きじゃないんだって思うのか
そういうこともあるよね
その人はその人の都合があるよねって
ちゃんと割り切れるのか
その解釈がその人によって違うだけで
あれ?大丈夫?
聞いてる聞いてる
ぶつかってるよ
大丈夫大丈夫
ぶつかさせていいのかなこれ
怖ったよ今
それがノリコの考え方ってことでね
私はもらった分だけ返してるつもりなんだよ
もらった分だけっていうのは
もしかしたら
向こうは1もらってんのに
私が10返してる可能性もあって
払いすぎて
それの量とかの話じゃなくて
多分私の気持ちとしては
同じ量返してるつもりではあるんだけど
ノリコ氏からは返すのが当たり前で
でも相手から返ってこなかったら
もらってるから返したいっていう
まずもらうほうが先ってことか
あげたから返してじゃなくて
もらったから返したい
だからどっちが先か問題もあるか
気持ちを
気持ちをもので返すこともあるし
物もらったからじゃ何かっていう
遊びに行こうみたいな誘いとかを
そういうのをするっていうこともあるし
美しいと思います
違わない
そうなんやね
ノリコの人間関係に対する
すごい綺麗だなって思う
私だけなのかな
なんだろう
羨ましくもあるし
すごい良い人間関係に恵まれてきたのかな
勝手な想像するけど
良いなって思う
単純に
お土産と「裾分け」の心理
私がお土産を買うときと似てるなって勝手に思っちゃったんだけど
私どっか行くとみんなにお土産買いたくなるのね
どっか行ってきてすごい楽しかったから
その思い出をお菓子でも何でもちょっとでも裾分けしたいから
すごい大量に買ってきて
そのとき付き合ってるコミュニティとかで
ほぼ全員にお土産渡すのが好きで
別にそれは見返りは確かに求めてないよなっていう
ただ私がみんなに裾分けしたいから
普段お世話になってるし楽しかったっていうのを裾分けしたいから
私はただお土産を買ってきて
わーってやるのが好き
なのにこれに近いのかなって今ちょっと考えながら聞きながら
私が好きな人たちに私が楽しかったから思い出を裾分け
大量にお土産買って
待っててみたいな
でもそれに対しては見返りは一切何も求めてないし
みんながありがとうって言ってもらってくれるだけで満足みたいな
そんな感じ?のりこ
どの職場にもお土産おばさんっているんだなって
お土産おばさん
これもだから日本人だから
社会人の基本ですから
お土産を買うのも楽しいし
配るのも楽しい
それを楽しんでやってるなら全然いいと思う
義務感でやってたら
別にそれはもう時代的にもういいんじゃないかなって思うところもなくはないけど
楽しくてやってるなら全然ウェルカムだし
プラザワーとしても
楽しくやってる
難しいな
あんちゃんの言う見返りを求めるってどういうことなんですかね
損したくないという感覚と心の余裕
今の話で言うと
どうなんでしょうね
でも
やっぱり
根本的にずっと
自分はあまり恵まれていない
感覚を持っていて
だからこそ奪われたくないみたいな
損したくないみたいなところも
根本として持ってるんですよね
だからこそ
自分が何かをしてあげたりとか
何かを与えたりとかしたら
少なからず何かが返ってこないと
やっぱり損している気分になっているんだろうなって思いますね
だから
見返りが欲しいというか
見返りを求めてしまっている
そういうふうに思うんで
たぶんそれが
ありがとうでもいいと思うんですよ
ありがとうとか
気持ちを伝えてもらえるだけで十分なんですけど
結局それが自分の労力に見合ってないと
それだけなんだって思っちゃうのは
たぶん器の小ささなんだと思います
重いよ
それはそうとは言い切れないですよね
そもそも自分にどんだけ余裕があるかとかにもよりそうだし
余裕ない中でもこんだけしたのにみたいな気持ちがあれば
それはそれなりの返しがないと
やっぱりがっかりしそうだし
あともしかしたら
気づいてもらえないことが不満なのかもしれないですね
自分が相手のことを思ってとか
先のことを案じて
何かを先回りでやってあげたりとか
気を使ってこういうことをしたのに
それに気づいてもらえてない状況
そういったときに
せめて気づけよっていう
そういう感覚があるのかもしれない
その気持ちは
友人関係とかではないけど
あるじゃん
人間関係とか職場とかでは
職場でよくあるよね
今の話で思ったのは子どもでさ
子どもって周りが見えてなくて
横におる親としては目が離せなくて
コップ倒れそうよけなきゃとか
また汚しそうとか服を袖を上げなきゃとか
そういうスタンスでこっちもいるんだけども
気をつけろよみたいなことをどうしても思う
それこそ親は当たり前の存在だからね
認識できてないからそうなってるわけで
それを認識しろっていう方が難しいのは分かるんやけど
でもさって思うんやけど
そうすると自分ばっかりが気にして
もやもやして
やらなきゃやらなきゃみたいな感じで
わたわたしてって自分ばっかりみたいな感じに
子育てしてるとなりがちで
これずいぶん昔にしゃべった気がするけど
自分で自分に声をかけるみたいな
お母さんコップ動かしてくれてありがとうって
自分に声をかけるみたいな
これをやった私えらいみたいな
自分に自分で声をかけると
そのもやもやはなくなるよねみたいな話を
昔聞いたことがあって実践するんやけど
っていうのを今思い出してて
ただそれが子供相手だからそれで済むんやけど
大人相手にそうなってくると
同じことできるかっていうと
いやちょっと微妙だなって思うし
仕事関係で付き合わないといけない相手なら
これも仕事のうちだなみたいな感じで
納得させるような気がするけど
そうじゃないけど
そうしちゃう相手とは
私はむしろ距離を取るような気がしてて
そう思ってしまう相手とは
なんで何か
何が言いたかったんやっけ
最近多いなこれ
なんかだから自分の心の持って行きどころを
どこに気持ちを落とせるかによって
その人との距離感も自動的に変わるというか
自分が一方的に
のりこみたいに
一方的にだったとしても
別に気にしないみたいなところに落ちるのは
やっぱり友達とか人間関係として
近いところに置けるし
こんだけやったのにみたいな感じに
思ってしまう人はやっぱり
人間関係としては遠いところに
どうしても心の距離を置きがちになると思うから
その気持ちの思うように
人間関係を置いていった結果が
今の自分みたいな感じでもいいのかなって
思いながら聞いてたんですけど
心のハードルと城の門
どうですか
そうなると近い人って誰かいますか
その感覚にいってこと
そうそうそう
でも確かに自分がさ
そうやったことで
もうなんでこんなにしたのにって思うよな
相手との距離は自分から離すよね
自分から離れていくわ
自然とそうなるかなと思う
近くにはいられないよね
そう思っちゃう相手には
向こうがどう思ってよと
そこはわかるな
そうなると周りから人がいなくなるとかないですか
もういなくなるんだろうなって思いますね
子供だったらまだ全然わかるし
職場だったらおいおいって思いながらも
仕事だから全然受け入れられるんだけども
やっぱそれが友達とか友人ってなった途端に
受け入れがたくなるんですよね
だからこそ離れてしまう
かなっていうふうに思うし
だからなんか
やっぱ自分は見返りを求めてしまっているんだろうな
っていうふうに思うし
もともとなんか
友達がいないことを
寂しいとも特に思っていない節があるんで
なんかやっぱり
会う人がいて
一人二人ぐらいいてくれたらいいなって
思ってるから
友人の
自分が思う見返りが
やっぱり必要なのかなって思いますね
心のハードルって
みんな誰しもあって
それって一重では絶対ないと思うんですよ
最初の人見知りじゃないかどうかみたいな
そういう話で最初の一番外の
壁がどれぐらい低いかみたいな
どんどん自分が心の距離が近いと思っている人として
入れるかどうかみたいなところのハードルって
やっぱりみんなそれぞれ違うと思っていて
あんちゃんは結構その心のハードルが高い方なのかなって
思って
自分の心をお城ぐらいに例えて
他の人が来た時に
どういうやりとりを持って
その城の門を開けるかみたいな
どこまで開けるかみたいな
そういうイメージを今聞きながら思っていて
あんちゃんのお城の最深部まで入れる人は
相当丁寧なやりとりと
気持ちのやりとりをしないと
そこに入れないんだろうなって今すごい思って
でもそれって自分を守る上で
そうしてるわけだと思うので
別にそこって変えなくてもいいんじゃないかなって
思ったりもするし
多分そこ変えると
やっぱり自分が傷ついたりすることが増えるとか
そこに持っていかれる
そのネンタルとか時間とかみたいなものを
コストだと思うかどうかみたいな
そういうのも人によって違うと思うので
もうそれでいいんじゃないかなって思いながら聞いてたんですけど
なんかあれですね
変屈男性のカウンセラーみたいな感じになってます
別に私なりにあんちゃんを理解しようとした結果
こういう認識になりました
でもなんか
相性ってことですか
相性
どこだと思うけどね
そのやりとりをお互いに見合ったものって
思わないと続かないわけじゃん結局
それがやっぱりスムーズにいく人と
いくら分かっててもできない人はいるわけじゃないですか
相性ってことですか
簡単すぎますか
相性とか価値観の違いとか
タイミングとか
運とかいろいろ要因があると思うけど
基本的にどういう価値観で人と付き合うかみたいなところは
大きいんじゃないかなって思うよね
カウンセリングのつもりではないです
そんな専門家でもない
なんか話を聞いているとそういうイメージが出来上がったなっていう話で
私も私が言われたことがあって
初対面の人とのバリアはすごく
大学生の時に言われた話なんですけど
パッと見ちょっと入りにくそうって思ったら
意外と入れるって思って入ってたら
ズドンって急に壁できたみたいなことを言われたことがあって
今それをすごく思い出してます
なかなかストレートに言われたね
壁が二重にあるよねみたいな話を
しかも後輩に言われて
なんでそういうイメージを今すごい思い出してました
私アンちゃんは変靴だと思ってないですよ
本当ですか?
自分で変靴って言い出したの何でかなって聞きたいぐらいなんですけど
変屈と人間関係の相性
今回も話がつきませんでしたね
この続きは次回の配信でまたいらしてくださいね
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