思考の喫茶店へようこそ。
ここは、店長のつじり犬と愉快な仲間たちが、お客様と一緒に自分の思考を深めていく喫茶店です。
さっきチラッと出たんやけど、メンヘラ気味のお友達
のりこのね、はむしろ依存してるんじゃないかっていう、それはやきもちではなくて、その友達に対して依存してるんじゃないかっていう話がチラッと出たんやけど、
いやなんかちょっと前に朝勝部で、朝勝部っていうね、私が参加してるXのスペースで朝5時から喋ってるところで、依存と執着の話が出て、
依存と執着の何が違うかみたいな話。
依存は良くないけど、執着も良くないのか、両方良くないのか、でも依存しないと生きていけないよね、みたいなこととかいろいろ喋ってて、
で、そういうのを聞いてなのか知らんねんけど、ちょっとその後でまりまりちゃんがさ、
仮説を立てた。
なんか言ってた、なんか言ってたけどよくわからなかった。
面白い仮説を立てて、
自立から、自分で立つの自立ね、自立からマイナス、自立マイナス、自分への信用、自信とかね、そうそうそう、
依存を引いたら依存で、自立マイナス相手への信用、イコール執着っていう、
面白いこと言ってるなぁと思って。
ちょっともうちょっと解説していただいていいですか、まりまりちゃん。
あのですね、はい、つまり自立っていうのは私、自分への信頼とか自信と他者への信頼自信両方相まってできるものだと思っておりまして、
自立というものをそもそも、
だからそこからどちらかがないと依存執着に分かれるんじゃないかと思ってね。
自分の信頼とかが欠けてたら相手に依存してしまうし、
相手に対する信頼が欠けていたら、それは執着に偏っちゃうというか、
執着に偏るのは、自分に執着するってこと?
なんかね、親子関係でもちょっとこう例えて考えてさ、
だから子供のこと信頼しないと、親が執着しちゃうっていうか、できないと思ってるから、
変に過干渉になったりとか、ある意味執着っぽくなるかなって。
これが逆に自分に自信がなくて、子供に寄りかかっているような感じだと、
子供に依存しているような依存に偏るかな、みたいな。
って思ってね。
これも私、恋愛に置き換えたらすごくわかりやすいなって思って見ててさ、
自分を信用してないってことは、自分で自分を制御することをしないみたいな。
なんで、自分のコントロールを自分から外すと、依存になるよねっていう。
相手に任せて、相手に自分の采配を任せてるみたいなのが依存。
じゃなくて、逆に相手をコントロールしようとするとかさ、
が恋愛における執着でよくあるかなって思うけど、
それって相手を信用してないとかにも、感情としては類似してるかなと思って。
相手を信用してない、私が思ってる通りになればいいって思ってるみたいなのが執着なのかなって思ったら、
なんかわかるなって思って。
これがすべての人間関係とか、人間関係以外のものに通じるかはわかんないんやけど、
だからさっきのヤキモチの話で出た、その友達、すぐすねちゃう友達はさ、
だからその友達の行動に自分の感情を任せてるわけ、依存してるわけじゃん。
相手の行動によって、自分がどうするかじゃなくて、
相手の行動によって自分のすねるかどうかを委ねてるみたいな感じでいう意味では依存なのかなって思って。
逆にもっとこう相手をこうした方がいいよとかって言ってくる。
相手に依存させようとしてくるような人は、ある意味そこに執着、その関係性に執着してるとも言えるし、
強依存っていうのもなんかあるから、これはこれでめんどくさいなと思うんやけど。
どっちも相まっちゃうとって感じかな、強依存。
強依存ってお互いに依存してるってことやからね。
強依存はこのさっきのマリマリちゃんのあれにはハマらないんだけどね。
強依存か。
強依存は依存のそもそもの意味の方が近いなと思って。
依存ってだからその人そのものなしでは生きていけないみたいなものが多分依存のそもそもの意味で。
そういう意味でお互いに寄りかかっているとか、お互いにお互いの存在に依存しているのが強依存。
っていう意味ではちょっとその自分を信用してるかしてないかみたいなものにはとはちょっと違うかなと思う。
距離の問題かな、距離が近すぎちゃって強依存。
なるほどね。
この強依存が悪いかどうかはまた別問題ですね。
依存とか執着が悪いものとして語られがちやけど、別に必ずしも悪いものではないと思うし。
依存はそのものごとなしでは生きていけない、完全に頼っている状況。
執着ってどっちかって言ったらこだわりみたいな、そのものごとに対して個室的にこだわることみたいな感じかな。
そうでなければならないみたいな意味合いの方が強いかな。
気持ちの矢印としては私逆ないね。だから依存と執着って。
依存は外に向かって自分の気持ちが行ってるし、何なら体がこう寄りかかってるしみたいなイメージで、
執着はむしろ自分に対してものを引っ張ってこようとするみたいな。
自分にこうすごく矢印が向いてて。
なるほどね。
なんかしがみついてる感じ。
しがみついてる。
でも私話聞いてて、ツジリーヌの今の感じに近くて、依存がどちらかっていうと受け身っぽい雰囲気を感じていて、
自分の諸々を相手に委ねている印象があって、
執着はどっちかっていうと、自分がこう動く、相手をそれこそ本当にコントロールするとか、
私の方に来なさいみたいな。
自分が行くんではなく、相手に来させるみたいなイメージはちょっとあるな。
自分の動き方の違いみたいな。
意思決定を相手にするか自分がするかみたいな。
イメージはちょっと話とか聞いてて、今ずっとぐるぐる考えてたけど。
依存が相手に意思決定を委ねてる感じ?
イメージ的にね、私の。
結局その自分の中に軸とか、その自分の中に意思決定権とかそういうものがないから、相手に完全に委ねてる。
けども、それによって感情も非常に引っ張られてることも多いので、非常に不安定な状況。
自分への信用がないってまさにそうだなと思って。
信用がないだけじゃなくてさ、
自分のコントローラーを相手に渡してるぐらいあるんじゃないかなって思ってて。
信用がないだけなら、さっきのヤキモチもそうやけど、自信がないからヤキモチ焼いちゃうとかぐらいで終わるかなって思うんやけど、
私がどうしたらいいかあなたが決めてみたいな。
そういう関係性が依存かなって思うよね。
ヤキモチだけじゃなくて。
それでいいって、そういう人に限ってさ、多責じゃね?
コントロール渡してるもん。あなたがそうしたからでしょ。あなたがそうさせたんだよ私にって言えるから。
言えるもんね。
自分責任を負いたくないんだよね。まさに。
だから任せてるって思うね。
責任ってさ、責任っていうテーマもちょっといつか喋りたいなって思ってて。
責任って難しいんやけど、だから自分がしたことは自分の責任やん結局。
でもなんかその、自分がしたことに対して責任を持ちたくないから、相手のせいにするタイプと、そもそも何もしないタイプみたいなとかあると思ってて。
責任を持ちたくないっていう気持ちも、あんまり否定しなくてもいいかなとは思うんやけど。
だからそもそも自分のポジションをちゃんと認識できてないと、そうやって多責になったりとかするのかなっていう。
なんか自分が依存してることすら、相手にコントロールを委ねてるっていうことすら、自分で認識できてれば、
自分がこうなったのは相手に自分のコントローラー渡してるからこうなったわけで、それは結局自分の責任だなって思ってたら依存っていうのかな。
いや結構防衛本能としてそうやって相手に委ねて多責志向になる人が多いから、多分無自覚でもあるんだろうけどね、コントローラー渡しちゃうっていうのは。
子供って基本そうだと思ってて、子供って特に親が面倒見がいいタイプだと。
でもそれって子供がそうっていうより親がコントローラー奪ってるからじゃないの?
まあまあまあそうなんやけど、でもそれでいいって思って育ってたらさ、大人になっても自分のコントローラー誰かに渡して。
コントローラーの生き方が分からなくなるな。
そうそうそう、で自分が自分でコントロールすることも分からなくて、みたいな。
それは親の育て方っていう話にもなるかもしれないけど、でもどっかでさ、そんな親に育ったとしても、どっかで自分で自分のコントローラー握って自分の責任で生きなきゃいけない瞬間は来るわけで。
本当だよね、自分のコントローラーってたびたび形変えるじゃん。次の人生大器どうやって操作するの?みたいな感じ。
人生ないわけじゃん。
分かんないときとか、まじで目標のコントローラーほどどうやって握ればいいのか分かんないみたいなのあるじゃん。
確かに。六股でね、どれを握ればいいのか。
アップデートされてくるからね、自分もね。
なんで真ん中と、どっち握ればいいの?みたいな。
どうやって操作すんの?
10時期に操作しようと思ってたのに、これ3Dだったみたいなやつね。360度どこでも行けるとかね、確かにあるな。
面白いな、そのコントローラー変わる説面白いな。話が変わっていくんだな。
そうね、だから依存と執着は表裏なのかな。
結構表裏一体な感じがするんだよね。
依存したいと思ってる人のその先には、相手のコントローラーを奪おうとする人がいるからその関係性が成り立ってる。
継続的に成り立ちやすいってことかな。
執着はどっちかって言ったら、相手のコントローラー奪うっていうより、たくさん持たんのに私A、Bしか押さないから、みたいな。
あんたもA、Bしか押さないよね、みたいな。
そっちっぽい感じがする。
面白いな。
ナッツがすごい。
なるほどね、選択肢を狭めるみたいな感じ。
私はこれしかしない、みたいな感じもする。
こだわりね。
昔はA、Bだけでよかったのに、次世代機になってボタンも増えてるのに、X、Y絶対押さない。
L、Rとか、L2、R2とか絶対押さない。
なんなら見えてないみたいな。
ファミコンの時代はA、Bしかありませんでした、みたいな。
そういうタイプ。
スティック回しません、みたいな。
例えるのおもろ。
それが執着、固執してる感じ。
あと執着の方が独占欲ありそうだよね。
そこはやきもちとか嫉妬にも。
そうそう、執着ある人の方がやきもち焼くんじゃないかなって。
なるほどね。
そんな気はする。
執着って独占欲なの?
独占欲もあると思う。
だからこうあるべき執着。
恋人同士は思い合うべきとか、他の異性とは目を合わせるべきではないとか。
物事に非常にこだわる。
こうあるべき、みたいなのに非常に肩にはめがちだったり。
自分の肩に相手をはめがちになる。
マイルールね。
執着の方が現実的?依存の方がふわっとしてるの?
いや、どっちも現実に普通にあると思う。
子供は親に依存する一方で、子供は子供なりの執着持ってるやん。こだわり。
子供によるけどさ、これも。
私って考えた時にさ、あんまり執着はしないな、一つの物事にと思って。
だから執着と依存で考えたら、執着の方がしないなって。
依存はしなくもないかもしれないと思って。
でもそれってこだわりがあるわけではなくて。
どっちかっていうと、例えばスマホ依存症とかもわかりやすいけど、
無意識下でそれに没頭してしまう状況とか。
依存ってツール?なんかをツールにしてんの?結局。
執着の方がそれを求めている感じ?
結構依存って実は買いが利く?
利く。
利くと思う。
執着の方が一途な気がしてきた。独占欲だし。
依存は買いが利く。
例えばそれが人だったり物だったりっていう場合は、依存先が多い人。
っていうのは結果的に自立につながる。
これ喋ったわ。朝霞粒で喋った。
いろんなことに少しずつ依存することで、結果自立になるよねっていう。
依存先が一つしかない人って、それにマジで逆にそこに固執してしまう。
その人しかいない。私にはそれしか頼るものがないってなると、
それがなくなった時に支えがなくなるわけよ。
支えの数なのよ。依存。
だから依存が1個しかないって思ってるってことだから、その人が。
本当はいろいろあるのに、その人が私が依存できる相手はこの人しかいないとか、
そこに執着するから、よりややこしいというか。
ってことか。だから依存と執着が共存することによって、
一番そこからも抜け出せないし、めんどくさいことになるみたいな。
あれかな?依存っていうものの中の一部に執着?
ある。なんかこういう感じじゃない?円が一部重なってる。
で、それが重なってる部分のことを人は依存症と呼ぶ気がしてきた。
自分が寄りかかれるものと、自分が固執するものの重なった、この色が重なった部分が、
執着と依存の掛け合いが依存症。
その人しか頼れないっていうことに固執する状況ね。
アルコール依存症はね、アルコールにしか頼れないからね。
頼れないって自分がそう思い込んでしまう。
だからアルコールがなくなった時に、とてつもない不安に襲われる。
なるほど。不安になるからね。
それが依存症やね。パニック症状だったりね。
一つのことに依存することが執着。
うん。
物事ね。物に執着する。
そういう事象とか、こういうあるべきみたいなこと柄に執着する。
依存するっていう感じかな。
どっちも薄い、濃いみたいな、強度があると思ってて、
で、執着も、やんわりした執着。
これ欲しいなとか、こうしたいなとか、
欲にも近いかなっていうぐらいのなら、むしろこう行動するエネルギーになったりとか、
いろんなことしようってなるけど、
強すぎる執着が、だからその固執って呼ばれるものになってて、
そういう意味ではだから依存もいろいろ依存先があった方がいいし、
執着も、執着する先がいろいろあったら分散して固執しにくいとか、
そういうこともあんのかな。あんまり想像できないんだけど。
なんか一つのことにこだわるから執着っていうのかなって気がする。
どっちも一つに絞るから、そこにすべての力が集まって、
よくない状態になるのであって、
依存も執着もその矢印の先が分散しているのであれば、むしろいいのかなって。
やっぱこの世には完全に悪い意味の言葉なんてないわけですよね。
いいこと言った。
だから、過ぎるのが良くないんです。
実は薬ですね。
用法、用量を守って使えば薬にも毒にもという。
自分のバランスが重要ということですね。
大抵依存も執着も悪い方向で使われる。
使われがち。我々もその先入観がある。
どっちもあんまり良くない感じかも。
そもそも人は誰にも依存して、
自立って一人で何でもできますみたいなのを極端に考える人もいるけど、
そうじゃないよね。
それはね、それは孤立って言うんですよ。
そうだよね。
だから自立、他人ともちゃんと関わってないと自立にはならないと思うの。
共存です。
共存ですね。
共存、確かに。
依存ではなくて。
依存ではなくね、なんかいい感じに引っかかってきました。
共依存だとこうだけど、きっと共存だといろんな矢印がこうなってるんですよ。
共存が複雑で美しいよ。
共存、いい、いろんなものを含めて生きた方がいいわ。
いろんな依存先をたくさん作って、お互い自分もその依存先、いろんな人の依存先になることでうまく回っていく共存です。
執着を持ってていいの?
持っててもいい。
ただ分散しましょうって。
そう。
共存ね。
そうだね。
確かに。
執着。
何かに執着してますか?
執着を考えてる時に、執着に執着して考えちゃだめ。
いろんなものがここに考えないと。
まりまりちゃんに聞きたいんだけど、さっきその執着することがないって言ってたよ。
うん。
私も多分そっち側なんやけど、執着しないことに執着してるんじゃないかなって最初に思った。
全問答。
面白いんだから。
会員したいみたいなこと言ってる。
それは確かに辻リーヌがさっきさ、やけもち開かない人を選んできたっていうのは、そういうことかもしんねえって思った。
そう、執着してる。
執着しないことに執着してる可能性あるなって思ってさ。
避けているってことは、それに執着してんの?
それしかないって思って選択肢狭めてる。
全部ブーメランじゃん。
結局は、だからないものはないんだ。
そこにある話をしてるなら、その物事がすでに自分の中にもあると思って、その前提で喋んなきゃだめだね。
そう、だから、無自覚に人は依存もしてるし、きっと執着もしてるけど、
でも、無自覚であるってことは、ある意味その人の中ではそれが正解というか、心地いい状態な可能性もあるやん。
ただ、そこで人とか物に対してコンフリクトしてる、衝突してる場合があれば、
何かしら自分の中で、何かその認識が違ったりとか、無自覚な中の何かが悪さをしてる可能性があって、
自分を見つめてみる必要性はあるかなって思うんやけど、そんな気がしてさ、なんか、そんな気がしてきたと思って。
世界観が広がっていくどこまでも。
分散、全て分散。
エントロピーですかね。
この世はエントロピー。
何かに対して話すっていう話がだんだんと、その話の答えを見出すには、その話だけじゃ済まなくなってきた我々。
いろんな方向から引っ張ってくるからね。
つながってるしね。
できればその実体験から、具体的なところから抽象化にしてくるのが一番わかりやすいから。
それってこれもあるんじゃない?
だから4人のエピソードから。
実体験必要だわ。
だからそう、話せる。
だからあなたは何に依存して執着していますか?っていうところね。
あそこから?
これがないと生きていけない。
え、人。
友達。
いいところからいきますね。
人間関係は依存かなって思う。ないと生きていけない。
でも自分、人って言うけど一人じゃないやん。
いろんな人に依存してる状態ならいいんじゃない?
それは依存とはある意味言わないかもしれないし。
そっか、でもね、これだけはないと生きていけないって思うのが友達なの。
これは執着?
そのないと生きていけないって思うことが執着なんだよね。
この概念が。
友達に執着してるというよりは、これがないと。
それ本当にないと生きていけないのかどうかは実証できないじゃん。
いや、やったことないな。
1ヶ月間連絡渡すとかね。
怖い。
ますます頭のおかしい奴らが帰ってくるじゃない?怖い。
怖い。
でもそういった意味ではだいぶ、私は昔ものすごい執着してたのはやっぱ職場かな。
農業やってる時、もう私には農業しかないと思ってたし、
高校大学で10年間農業やってきて、それ以外の職に就くっていうことを考えられなかった。
ここで骨を埋める覚悟で働いてたから。
じゃあ今その執着を捨て…
捨てたっていうか、捨てられて…
捨てられて…
ない状況に立たざるを得なかった時に、案外立てんじゃんみたいな。
気づいたわけね。
自立した。
すごい。
意外と泳げたみたいなね。
なるほどね。
だからもうマジで、転職とかも考えても、
他の就職先とか本当に考えられなかったみたいな感じだ。
なんかそれでいくと、私もっとそもそも論っていうかさ、
なんかその就活とかになった時に、
一応女に生まれて、結婚もするだろう、子供も産むだろうぐらいの、
それぐらいのふわっとした時の自分って、
働かない、外に出ていかないの無理って思ってたよね。
それは、社会人として自立してるべきとか、
働くにしてもオフィスよりは、
のりこと似てるけれども、外気に触れていたいみたいな。
とか、いろんな自分はそうじゃない自分が想像できないみたいな、
ふうに思ってた節があって、
で、まあ、うんよくそういうところに就職できて、
自分はもうここしか無理みたいなと、こういうふうに思ってた節もあったんやけど、
意外と自分でこれは選んだ道やけどさ、
意外とそこから離れて、
まあつらかった目もある、
メンタル的に結構しんどかった時ももちろんあるんやけど、
意外といけるなみたいな。
まだ仕事を特に決まって、
そもそも働いてなくて家にいる自分みたいなのも想像できないみたいな、
専業主婦とか絶対無理とかって言ってた20代だった私が、
今専業主婦もう1年以上やってますけど、
結論、結果としてやけどね、これは結果論なんやけど、
それでいいとはあんまり思ってないんだけども、
別にそこに対して、
金銭的な不安とかありつつも、
別にこれはこれで子供といれるしとか、
家にいる自分も別に悪くないなって思ってる節が最近あって、
これは結構なんか、
自分は外に出ることに執着してたんだなみたいな、
そういう自分しかありえないと思ってたなって気づかされて、
意外といけるでって10年以上前の自分に言ってやりたい。
言ってやりたい。
でもこれも慣れかもしれないけどね、
それこそ働き始めて、
子供できて初めて長期で仕事から離れた時って、
結構なんかもやったりとかしてたから、
慣れのような気もせんでもないし、
仕事の代わりに時間と心を砕く相手が、
子供というでかい存在がいるおかげで、
それが成り立っている可能性だってもちろんあるんで、
あくまで結果論ではあるけど。
結局結果論であるのは、
結局そういう状況にならずある終えないまで、
自分では行動できなくなるわけじゃん。
その執着すると。
だから選択肢が減るんだよね。
っていうか自分で減らしてるんだよね。
それはやっぱ考える必要がなくなるから、
それはそれで楽なのよ。
その選択肢しかないって思い込んだ方が、
行動する必要がなくなるから。
楽なのよ。
だから多分固執してこうあるべきって考えるのは、
楽なのよ、生存方法として。
なるほど。