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和歌山市のアウトダーショップ、キセンランドトレイルの白石です。
有田市のコーヒーショップ、ARCの上田です。
この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio第75回です。今回は、和歌山市にある本町文化堂で収録しています。
本日のゲストは、本町文化堂の嶋田翔太さんです。
嶋田さんの生まれから現在に至るまでのルーツや現在のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。よろしくお願いします。
嶋田翔太 よろしくお願いします。
というわけで本日は、美味しい和歌山編集長の牧さんの気になる人ということで、本町文化堂の嶋田さん登場です。
まずは嶋田さんから自己紹介と、本町文化堂ってどんなお店なのか紹介してもらってもいいですか。
本町文化堂という歌い文句としては、今週のジャンプから江戸時代の和本までを扱っている。
新刊と古本の両方の書籍を扱っている本町文化堂という本屋をしている嶋田翔太です。
よろしくお願いします。
嶋田さんは本屋さんやってるだけじゃなくて、本屋さんでポッドキャストを本町文化堂からこんにちはもされていて、
いい感じの本屋さんしながら人気ポッドキャストもやってる人ということで。
恐れ多い。
っていう嶋田さんにリスナーさんから質問を募集しまして、結構いただいてるんですけども、
そのリスナーさんからの質問を白石くん読んでもらってもいいですか。
一人目ですね、コータクトさん。フードセンター言わせで売ってる生わさびは今でもチューチューしてますか?という質問です。
なるほど。
これ何ですか。
なかなかそれなのね。
これはチューチューしてたんですか?
これはね、多分この質問をしてるのはうちのポッドキャストのリスナーさんだと思うんですけども、
フードセンター言わせという和歌山市にあるすごいイケてる食料品店がありまして、
そこは和歌山の名産物であるとか、農作物、野菜、果物とかジビエとかを扱ってるすごくイケてる食料品店があるんですけれども、
そこで扱ってるわさびがすごくおいしいという話をして、番組の中で。
あまりにおいしいからこのわさびはチューチュー、わさびだけをねぶっているだけでも酒の魚になるよみたいなことを言っちゃったんですけれども、
嘘ではない。
ただ実際食べるときは本当にごめんなさい、調子乗ってると思われるかもしれないですけれども、
お刺身とかと一緒に食べさせていただいたりしてるかな。
03:01
マットな食べ方をしてますよと。
そうですね。
ただチューチューするだけでもおいしいことは間違いないし、そういうわさびだからもちろんお刺身につけてもおいしいし、愛用してることは間違いないです。
なるほど。
コータクトさん納得していただけましたかね。
真似してチューチューするよりもお刺身と一緒に食べていただいたりした方がいいですよと。
おそらく健康上もそちらの方が良い気がします。
第2通目いきますね。
特命希望の方からです。
本町文化堂では色々なイベントをしていますが、まだやっていないもので、こういうのをやりたいというものはありますか。
なるほど。
そうなんですよ。
本町文化堂という本屋をしてるんですけれども、店の2階がイベントスペースになっていて、そこで落語会をやったりであるとか、映画の上映化をやったりであるとか、
あとは時々本の著者さんを真似てトークイベントをやったりしているんですけれども、やりたいことというか、やれてるのかどうか問題というのがあって。
例えば落語のイベントをしますと、ありがたいことに赤字ではない。
ただやっぱりそこではもうちょっと落語に興味ある人も増やしたいし。
だから今やってることが、若山で落語会をすると落語ファンの方が来てくれたりはするけれども、
じゃあでも落語ファンって若山ってすごいパイが限られてるから、それをどうやって広げていくか、そのパイを。
っていうのは多分全てのイベントが一緒で、映画の上映会もそうだったりするし、
結構メディアの取材とかで落語会やったり、映画の上映会やったり、イベントをやってる変わった本屋さんみたいなので、紹介していただくことは増えてきたんだけれども、
じゃあでもそこが実際に映画を見に来ようとか落語行こうとか、そういうのに繋がってるかどうかと言われるとちょっとやっぱり際どいところがあって、
なんかやってるのはいいよねってみんな思ってくれるけど、それで終わっちゃうところがあるから。
じゃあこれから新しいジャンルを増やしていくっていうよりは、今やってることをもうちょっと深めたり広げたりとか。
やってるということでとどまっちゃうとそれで終わっちゃうから、なぜやるのかっていうところが多分今後課題になってくるのかなという、やれる場所はできたけど。
今やってることはもう全部島田さんの好きなことっていうか趣味っていうか。
でもそれはありがたいことに映画とか落語とかは本当に元からやりたくてイベントスペース作ったところがあるけれども、
結構場所菓子で利用してくれる人がいたりとか、それは全然自分の思ってなかったことであるとか、
あとは一緒にこんなイベントやりませんかみたいなので声かけてくださったりもして、
だからそれは自分の中でも常に面白そうだなと思って、それがやりたいことになると広がっていったりするっていう、
自分の趣味だけじゃないよそからも入ってきてくれるっていうのはありがたい状況ではあるかな。
06:00
なるほど。場所菓子でっていうのはどんなイベントとかがあったんですか?
場所菓子は。
イベントというか、どんな利用が多かったのかなって。
そうですね。例えば日本酒の会をするとか、図鑑イベントをするであるとか。
っていうのは自分だったら出てこなかったものが、向こうからここだったら使えるなこの場所みたいな。
なるほど。
っていうところかな。あとはそうだな、やりたいのは県外から若手の研究者を呼びたい。
研究者。
なんで今の本の著作さんのイベントとかだったら、結構本を書かれてる学者の先生とかが来てくださったりするんだけど、
ありがたいことに本を出している、年上の50代60代の大学教授であったりする人たちは、
結構余裕があったりして、その慈悲でも来てくれたりするの。
っていうのは本の紹介兼、そもそも本に書かれてること、自分のアカデミックな専門領域を広めたいみたいな。
そういう意識を持たれてる方が多くてやってくださったりするんだけど、
本当はでも同い年ぐらいの若手の研究者の人で面白いことやってる人いっぱいいるから、
を全然招きたいんだけど、さすがに東京とかからだと、地方の本屋さんでイベントやってるとこみんな悩んでると思うけど、
なかなかペイするのが難しい。
今だったらそれをするためには、例えばオンライン配信をして、
そこでチケットを売って、ある程度の収益を上げるみたいな手もあるんだけど、
それがなかなかめんどくさくて。
システムの利用とかも登録だったり。
それは完全にサボってるだけだから。
それはちょっとやりたいなというのは思ってはいる。
具体的にこんな人とかって今いるんですか?
本出されてる先生で、
キムユジンさんっていう、今東京の大学で教えてる先生がいるんだけど、
同い年で登録させてもらってて、
その人はインドネシアのポップミュージックを研究されてる方。
インドネシアのポップミュージックって全然ピンときてないんですけど。
分かりやすいところで言うと、
マジア全域で山下達郎っぽいシティポップが結構東南アジア全域で流行ってて、
それを日本だったら、
タイのバンドとかインドネシアのバンドで山下達郎みたいな音楽をしてると。
これは日本の音楽の影響だと。
だから日本のシティポップブームが今あって、
シティポップブームがすごいっていう、
日本すごい文脈で語られることが多いんだけど、
それは本当に嘘じゃなくて、
タイのシティポップと言われてるバンドでも、
本当に達郎とかが日本語で歌ってるバンドとかもあるし、
インドネシアでもあったりするんだけど、
それとは別に、
インドネシアにも、
達郎が流行ってる時代に、
達郎っぽいシティミュージックっていうのが、
インドネシアで生まれて、
インドネシアでも流行ってて、
09:01
今のインドネシアのミュージシャンが、
自分たちの国の70年代の音楽をリバイバル的にやると、
それが今の日本のシティポップとすごい近いみたいな。
それぞれ育っていった文化なのに、
すごく近いものになってるっていう。
だから全世界で結構、
シティポップ的な音楽っていうのはあって、
なんでそれを単純に日本のシティポップすごいじゃなくて、
都市的な音楽ということで、
もう一回ちょっと新しい見方を提示しようとか、
こういう研究をされてる。
面白そうですね。
めちゃくちゃ面白い。
インドネシアの70年代の音楽、
ウルトラかっこいいんで。
ただ、ポッドキャストは音源が流せないんですけど。
そうですね。
ファリスRMっていう
ファリスRMっていう
F.A.R.I.Sかな。
で、R.Mっていうミュージシャンがめちゃくちゃかっこいい。
それは今の人ですか?
70年代
80年代前半くらいかな。
テラワキラのルビーの指輪みたいな曲があったりとか、
でもそれはパクってるんじゃなくて、
偶然っていうね。
なるほど、ありがとうございます。
そうっていうような研究者の人とかを呼びたい
うん楽しみ
なるほど
では続きまして
はい続きまして
ラジオネームオマーさんからですね
こんばんはオマーと申します
こんばんは
本町文化堂の島田さんに質問です
私はカツツジを読むのがすごい苦手です
買ったら満足しちゃいます
でも読みたい欲はあります
この前も読めそうな小説を10ページで終わってしまいました
そんな私にでも読めるトレーニングなどがあれば
教えていただきたいです
なるほど
ちなみに漫画は読めます
とのことです
10ページで終わる小説を読めばいいと思います
今でもありますよね
そうこれは本当に
そう皮肉でもなんでもなく
10ページで終わる短編章ですごい面白い小説っていっぱいあるから
そっから手をつけてみるのもいいし
あとは無理にカツツジを読まなくとも
例えば漫画は読めると
視覚的な情報はいける
あるいは例えば音的な情報はどうかとか
だから今だったらAmazon Audibleとか
YouTubeとかでも
朗読とかもあると思うから
そういうところから入ってみるのもまたアリだと思うし
無理に読めないものをチャレンジするっていうのは
やっぱりその当初はしんどいかなっていう気がする
例えば300ページのものを読めたから
次は500ページに挑戦しようとかはあると思うんだけど
まず始めは本当に10ページ読めるなら
10ページの小説とか
そのところから始めてみてはいかがでしょうか
なるほど
そんな小説ビギナーの人に
なんかおすすめの作品とかありますか
はいありがとうございます
片川小作家の川上博美さんというね
小説家の方がいらっしゃるんですけれども
川上博美さんが出されている
この辺りの人たちっていう短編集がありまして
12:01
この辺りっていう
どこかにありそうだけれどもどこにもないような
ちょっと不思議な地方の街を舞台に
いろんな物語が展開される群蔵劇のような形なんです
でもだいたい一つのお話が4ページか5ページで終わって
ぴったりですね
そうそれはそれで完結してる
全部の話は一話完結なんだけど
それがでも緩やかに繋がっていくみたいな
全部を読み通すとまた違った情景が見えてくるみたいなのもあるんで
これはすごいおすすめです
何がおすすめかというと
この本が文春文庫から出てるんですけれども
本町文化道島が帯を書いております
すげえ
じゃあ尾間さんぜひって感じで
ぜひ本町文化道で買ってくださいと
そうですね
ありがとうございます
お次の質問ですね
ラジオネームプロニートさん
こんばんはいつも楽しく拝聴させていただいています
ラジオネームプロニートと申します
島田さんのポッドキャストもとても楽しませていただいています
ありがとうございます
さまざまな分野に詳しい島田さん
今一番興味のあることやものがあればお聞きしたいです
よろしくお願いします
とのことです
興味あることは結構本当に日変わりで変わっていくんだけど
今すごい本気でやりたいのは
詩銀
エロ詩銀の
エロ詩銀ということでしか知られていない
それも我々世代ちょっと下になると
分かんないじゃないですか
そうか
ざっくり言うと漢詩を
不詩をつけて読むというのが詩銀なんですけど
やりたいのよ
まだやってはないというか
やってはない
どこから始めたらいいのか分からない
確かに
詩銀を
教室とかないんですかね
関西だったら詩銀の愛好団体みたいなのがあるみたいだし
大学によっては詩銀部みたいなのもあるらしいんだけど
詩銀なんでまたやりたくなった
北学園じゃないですか
北学園ですかね
雄康二郎の悲願花っていう映画があって
1958年の映画なんですけれども
そこで1958年の社会の中で
40か50ぐらいの大人たちとか
我々がもう少ししたらそうなるであろう大人たちが
中学校の同窓会みたいなので集まって
ちょっと医療館とかに集まってるんだけど
そこでお前久しぶりにあれを歌ってくれよって言って
同級生の一人に劉知秀という役者さんがいるんだけど
詩銀を歌わせるっていう場面があって
そこで劉知秀が
クスノキマサツラ 如意輪堂の壁板に
時世の諸数の図に台筋っていう
漢詩を詩銀でロローと歌うのよ
これがどういった内容かというと
クスノキマサツラ 昔の武将ですね中世の
15:01
が天皇に忠誠を誓うみたいな
そういう漢詩だり歌なんだけど
1958年で歌ってるのが
当時の40代50代後半
だからみんな戦争経験者で
戦中はその歌っていうのが
時代とマッチしてて
いわゆるちょっとしたエリートの中の流行歌みたいになってたのね
だからそれで劉知秀が
少し時代がずれてるかもしれんぞって言いながら
その歌を歌うわけ
でみんなそれをそれまで宴会してたのが
劉知秀が詩銀を歌いだすと
みんながそれをしみじみ聞くんだけど
それは自分の若い頃を思い出してるのもあるだろうし
ああいう戦中の時代を思い出したりとか
みんなが時代とか自分の過去を詩銀で振り返ってるっていうのが
なんかすごいイケてるわけよ
これがもし我々世代で
それがクスノキマサツラ
如意輪堂の壁板に時世の章
ソスルの図にダイスみたいなのを
70年前に歌ってたのが
今だったらそれが例えば
じゃあ少し時代がずれてるかもしれんぞみたいなので
そこで結名詩の友達を歌いだしたら
いいんやけど
いいのよ
そうっすね
でもちょっと詩銀をやりたいみたいな
大人としての生きり
笑
ずっと友達
だから時は経ちとかでもいいんだけど
なるほど
ええけどさっきなんか日替わりで結構
興味が変わるってこと言ってたんですけど
なんすかそれは映画とかインプットして
めちゃくちゃ影響される
すぐ影響されるから
なるほどが今詩銀ってことなんすか
詩銀半年前は山登りだった
笑
ありましたねそんな時
すごい山登りしたい時期あった
来てもらってよかった時にね
そうなんですよね
絶対行けます次
また次山登りに興味が向いたら
ぜひそろそろ涼しくなってきて
向き出すことだと思うんだよね
確かにそうですね
ありがとうございます
そして次は
既選ラジオメンバーからのインサイダー質問ですかね
はい
ごめんなさいインサイダー質問どこ行ったの
Qさんからの質問です
Qさんからの質問で
島田さんの思う良い店ってどういうお店ですか
ということです
これは自分が行きたい店なのか
自分の店をこうしたいのかも
はい
ちょっと両方聞きたいですね
両面聞いてみたいですね
わからん自分の行きたい店を
極論良い店だから行くみたいなのはないから
なんかこう行ってるうちにそこが
良い店になってるみたいなところは
あると思うのよね
だからすごい定義付けが難しいし
多分店ってみんなさ偶然行くもんじゃん
和歌山に何千軒と居酒屋があって
自分が通ってる店はその中と比べて
一番良いから通ってるんじゃなくて
たまたま通った店が
たまたま色んなものが雰囲気があったりとか
入れが近いとか
18:01
すごい色んな要素が重なってくるから
一概に言えないのがすごい難しいよね
確かに
あんまり遠かったら良い店でも
なかなか行きにくかったり
遠くても行きたい店もあるけれども
しかも毎日行きたい店なのか
年に一回行きたい店なのかとか
縁だったり相性もありますし
色んな条件によって
そうなんですよね
けど今通ってる店の中で
良い店と言われて
一番最初に思い浮かぶ店っていうか
そんなあります?
これマジで難しい
マジ難しい
何か最近行って良かったなみたいなところとか
最近Qさんのところで
神よって言っていただきましたね
ありがとうございます
久しぶりにというか
中学生以来に利用員に
Qさんって既選ラジオで
いつもパーソナリティをされてる
利用者さんのお店に行ってきたんですよ
やっぱり良いね利用員
そうですね
ヒゲ剃りの
あのジョリジョリした音の快楽というか
やっぱり最近の利用員すごいなんか
気づけばこの20年間行かない間に
進歩がすごいから
その文化としてもすっごい面白かった
えーどういうところですか?
例えば顔剃りとかでも
単純にヒゲ剃るだけじゃなくて
なんていう
虫タオルに香りが
フリグランスが付いていたりだとか
まあもろもろ
なんかすごい良かった
最近の良い店は
アーカイブスっていうことですね
あれすごい良かったね
あんまりせんけどアーカイブスで
髪を切ってもらった後
写真を撮って
売れて店のインスタとかに
上げてくださるやつ
あるのがすごいのが自分が
すごいかっこいいなと思って
普段はしないのに
ちょっと店のツイッターに
載せてみたりしちゃったからね
そうなんですね
良い気持ちになって
そうそうそう
かっこよかった
素晴らしいですね
それも含めて
やっぱり時代の変化というか
もうあるけどもちろん
良さを感じているという
今は言ってる側からの
話なんですけど
この店やってる側の
島田さんとして
何か良い店っていうか
どういう形を目指してっていうんですかね
自分の店として
自分の店はい
良い店というか
結局良い店かどうか
どっち本屋やからさ
本間の基準は
自分の欲しい本があるかないかだと思うのよ
その欲しい本というのは
決めてた本だけじゃなくて
何かしら興味関心を
引かれるものがあるかないか
そこがまず大前提にあるとして
ただいろんなイベントとかをやる上で
お客さんとして
いろんな方に来てもらう上で
一番思うのが
来たお客さんが
自由を感じられるというか
疎外感を感じない場所にしたい
っていうのはある
どういうことですか
21:00
なんとなく分かるような気もするんですけど
だから例えばちょっと前ぐらいに
独立系書店界隈でよく言われてたのが
これは世間一般的にも
そういうことを打ち出してる本屋さんも
増えたけど
例えばコミュニティスペースを作りたいとか
いろんな人が集まれる場所を作りたいとか
それはしたくねえなっていうのは
すごい思う
というのもやっぱりいろんな人が
集まってくれて
コミュニティって場ができると
どうしてもそこでこの場のノリが生まれて
必然的にヒラルキーが生まれるわけよ
それに会う人会わない人もいるだろうけど
なんかやっぱりさ
一番最悪なのは
そうして場のノリができると
その場のノリの中のヒラルキーの
一番中心にいるのが
自分みたいになってくるよ
自分と会うか会わないかみたいな話もなってくるし
だから自分に会わない人は気にくくなるし
それ以上に新しく入ってきた人も
すでにいる人たちに気に入られなければ
場に居にくいであったりだとか
そこまで思ってなくても
その場のノリを理解できないと居づらいとか
そういうものは作りたくないから
来た人が本当に誰に気兼ねすることもなく
もちろんお互いに店と客としての
最低限のマナーで居るとかは別なんだけど
自分の思うままに
好きに振る舞える場所ではあって欲しいなと思うし
本来はそんなもんだろうと思うしね
なるほど
立ち読みしてたら
ずっと漫画を読んでたら
おばあちゃんに叩きで怒られるとか
そんなのはいいんだけど
そうじゃないその場のノリ的なもの
暗黙の了解みたいなものは作りたくないし
ない店がいいかなって思う
確かに
確かに過ぎますねそれは
思うところがありますか
思う?
え?やんないんです
実は
なるほどですね
じゃあリスナーさんからの質問は
こんな感じなんですけど
ありがとうございました
リスナーさんからの質問通して
ちょっと島田さんの人となりも
分かってもらえたような気もするんですけども
島田さんが現在に至るまで
どんな感じの人生を歩んできたのかっていうのを
ちょっと教えてもらいたいんですけども
まずは島田さん生まれはどちらですか
生まれは
生まれが和歌山です
多分岩手だと思う
マジで物心がついたのが
14歳か15歳ぐらいで
それ以前の思い出が
誇張じゃなくほぼないのよね
ただデータとして分かってるところもあるから
父親は昔岩手市に家を持ってた
買った結婚する前ぐらいに
多分そこに住んでたはずなんだけど
生まれたばかりの頃は
でも保育園と幼稚園は和歌山市内で通ってる
24:00
物心ついた時は和歌山市内の
マンションに住んでたんだけど
それが1歳なのか2歳なのか3歳なのかっていうのは
ほぼ覚えてなく
そんな感じです
岩手市で出生して和歌山市内の保育園
幼稚園小学校に通ってる
家庭環境はどんな感じなんですか
独り子
お父さんとお母さんと島田さんと
各家族の独り子です
どの辺のエリアに住んでたんですか
実家が小学校の区で言うと
大新
ちこの辺ですね
そうなんです
県外の人には分かりにくいんですけれども
和歌山の中心です
すごいのみ屋街というか
まあそう半家街
でもだから大新小学校って
クラスの中でサラリーマン家庭の方が
少なかったもんねやっぱり
のみ屋の子とか
のみ屋とあと問屋さん普通に
とか職人さんだったり
今はちょっと減ってますけど
やっぱりあの辺はそういう問屋さんだったり
職人さんの町
そうそう文房具屋さんであったり
たて具屋さんであったりとか
中心お町の学校ってよく言うんですけど
小さい頃のがどんな感じやったとか覚えてます
ほぼ覚えてないよね
なんか親から聞かされたエピソードとか
それがちょっとあんまり
親に聞いときます
父親も知的に入ってるんですけれども
でも多分その物心がついてなかったっていうのは
一人っ子で結構ね
父親とも母親とも年齢が離れてるの
85年生まれだけど
当時としてもだいぶ遅かった方の生まれで
父親も40超えてたし
母親も30代後半っていう
で一人っ子
だから社会との繋がり方がわからないというか
今思うと小学校から中学校にかけては
何のルールで動いてるのかわからないゲームに
参加してる感じ
だから遊びも
一人遊びが多くなるわけよ
で例えばこれが兄弟とかがいると
ファミコンをするにせよ
おもちゃで遊ぶとしても
遊びというものが
人間関係と必ずセットになってくるところがあるじゃない
だからそういうのがなかったのよね多分
だから未だに人付き合いはすごい苦手やし
そうなんですね
ちっちゃい時から本好きやったんですか
本がある環境ではあったし
今の記憶はないんだけど
多分何かしら一人で本を読んだりであるとか
一人でレゴブロックで遊んでいたりであるとか
そういう感じかな
別に小学校もいじめられたりとか
孤独に過ごしてたわけではなく
なんとなく友達たちと
27:02
みんなで集団で遊んでる子供たちの中には
いたんだけど
でもそれもいたっていう感じ
主体的に何かをしたっていうよりは
いた
なるほど
なんかしっくりこない感じかな
自分の居場所を集団の中で作れない
でも集団に全く馴染めないわけではないから
集団にいるけど
なんかしっくりこず何をしてるんだろうみたいな
でもなんとなくは合わせてというか
そうそう最低に合わせることはできる
そして中学校から地弁に行くんですよね
はい
若山で一番の進学校
そうですね
地弁若山
そうですね
当時はぶいぶい進学校として
いらっしゃっていた頃の
地弁学園若山ですね
今はそこまでじゃなくなったそうですけれども
そうなんですか
結構話によると
これ地弁行ったのは何でっていうか
それもなんとなくなんだよね
本当に中学校後半ぐらいまで
本当に社会のルールがわからないまま
主体性がないままに
なんかいたっていう感じだから
受験勉強とかも
めっちゃ頑張ってしたとか
そんなんでもなく
なぜ地弁に行ったのかもよくわからない
親が入れたいとどのタイミングで思ったのか
なんとなく受験をして
なんとなく入った感じ
へえ
地弁ってどんな感じなんですか
ええ?
へえええええええ
想像のできない世界っていうか
中学校も本当に
いたっていうだけ
へえ
そこにいたっていう
なんか中学の中で
なんだろう 例えば
小学校の中だと
いただけとは言いつつ
ある程度お勉強はできたわけですから
だからクラスの中でも
勉強ができる子みたいなキャラたちは
あったのが
地弁に行くと
勉強ができるキャラですらないのよね
ああ全員できるから
できるやつめっちゃできるからみたいな
はいはいはい
かといって最下層でもないぐらいの
完全にすべてが何もない
すべてが何もない
モブみたいな感じ
へえ
立ち位置的にはどうやったんですかクラスでは
そうだからそのクラスの立ち位置みたいなのも
なんかよく理解できないというか
中学に入ると
小学校って小学校1年生
みんなが物心ついてない時から
自然にコミュニティが形成されていくというか
なんかそんな感じやけど
中学になると
しかも県外とかから
大阪とかから来るわけですよ
あと和歌山県全域からそれとか来ると
やっぱりその中で
自我が確立されてる子
いわゆるイケてる子たちは
自分のノリをクラスに作っていくとか
30:00
学年に作っていく
その子らが
ルールを作っていくわけよね
その子らのゲームが出来上がって
フィールドには目立った子たちが出ていくと
それをスタンドで見てるみたいな
へえ
中高時代好きやったこととか
そうなんてあるんですか
どうなんだろうね
中学ぐらい後半ぐらいから
ようやく自我が確立されてきて
小学校とかね
好きなものを好きとも認識してなかったような
気がするんだよね
そうですかね
なんとなくやられて
選択肢が少ないしね
なるほど
小学校の頃好きだったものって言われると
すごい難しかったり
あとはやっぱり兄弟がいないからさ
結構兄弟がいる子って
お兄ちゃんから新しいカルチャーを
摂取したりとかさ
聞きますねそれは確かに
あるじゃないですか
ファミコンとか一つとってもね
ボンボンを読んでた子がジャンプに移行するみたいな
ちょっと背伸びしたカルチャーみたいなのが
新しいカルチャーを摂取するみたいなのが
あると思うんだけど
そういうのが全くなかったし
もう一個言うと小学生がみんな
コロコロコミックに熱中してる時
自分はボンボン派だったわけで
圧倒的なマイノリティとして
そうですね
やっぱりコロコロ派がちょっとミー派というか
90年代はもう小学校の文化って
ほぼコロコロだったわけですよ
ミニ四駆
ビーダマン
後半になるとベイブレードが出てくるかな
そうですねベイブレード世代
僕らはちょっと入ってないぐらいですかね
私もほぼやったことないけど
あとはミニ四駆いったかな
そうですね僕はベイブレード
ビーダマンベイブレードみたいな
さんいくつでした
36の歳です
ちょっとしたか
ちょうど切り替えぐらいですよね
ミニ四駆ビーダマンハイパーヨーヨーぐらいですね
ハイパーヨーヨーや
そうハイパーヨーヨーとかみんな遊んでるときに
自分はボンボンを読んでたから
ボンボンってガンダムとか
ガンダムですよね
今ほどガンダムがサブカルチャーとして
オシャレじゃなかったりする感じですよ
SDガンダムとかね
SDガンダムとかで遊んでた人に
なるほど
それはマイノリティというか
なんかみんなと違うなっていう感じはあったんですか
ついていけねえなこのノリみたいな
なるほど
別に嫌いとかじゃなくて
自分の周りに自然と入ってこなかった文化だったりして
そういうのが
なんとなくなじめなさはあるみたいな
メジャーなカルチャーに対して
あたたかのようにミニ四駆とかビーダマンとかって
基本的に友達と遊ぶ前提になってる
まあそうですね
対戦とかなんですよね
そうそうそう
なるほど
けど今でこそ島田さんは本とか音楽とか
33:00
落語とかいろんなカルチャー好きなわけなんですけど
その辺の目覚めっていうのはどの辺になるんですか
この辺もちょっとあんまり
あんまり
謙遜とか照れとかじゃなく
本当に覚えてないところはあって
中高ではもう結構ずっと勉強みたいな
いやもう勉強はしてなかったよ
勉強はしてなかった
だから中学3年生ぐらいから
自我が芽生えたんだけれども
多分中学の2年生ぐらいから
一人で映画館とかは行き出してた気がする
へえ
だからその中で
ある程度自分の好きなものっていうのが
認識されてきたというか
小学校の頃も映画とかは
すごい見てたし好きだったし
多分今になって思えば
確かにめちゃくちゃ金曜ロードショーを録画した
VHSとか見てたなっていうのは
すごい思うから好きだったんだろうっていう
でもそれが形を持って
自分が主体的に好きというので
それが行動を伴って
認識され出すのが中学ぐらいかな
だからその後に一人で映画館に行くであるとか
一人でレンタルビデオをやってたの
当時はUAがありましたから
UAがありましたね
まだあるか
UAつたやとしてレンタルビデオはやってるか
レンタルもうほとんどないんじゃないですか今
ほとんどやってないよね
ゲオがやってるかなっていう感じですけど
そうですね
でもやっぱり一人で何か見たりとかってことが多かったというか
そうですね
今って結構それを広めようっていう感じはあるじゃないですか
それに対してその頃は一人でずっと接種する
接種するし
その時は別に誰かと共有しようっていう感じでも
なかったっていうことなんですか
そんなになかったし
一つ上世代になるとテレビでジャッキーチェーンの映画がやってると
翌日は学校でみんなジャッキーごっこしたみたいな
そういう話を聞くけどそういう世代でもなかったし
あとは当時我々の小学校時代って
バスで遠足とか行ったら
常にディズニーのアニメが流れてるみたいな時代だったじゃないですか
アラジンとかライオンキングとかをひたすらディズニーのアニメで見るみたいな
家にもディズニーのアニメのVHSテープを持ってる人って
今よりも多かった気がするんだけど
うちでも結構親と年齢離れてるから
親も親でそういう若いカルチャーじゃないから
小学校の頃見たディズニーの映画って
60年代のアニメじゃなくて実写やったりするよね
ディズニーの実写が
実写 メリーポピンズであるとか
シキバンバンであるとか
あとはその時代のミュージカル映画とか
雨に歌えばとかパリのアメリカ人とか
やっぱりちょっとその世代としてはずれてた感じ
そうそうそう
今で言うと大人っぽい映画を見ていたのと
あとはこれが初めて読んだのが
小学生か中学生かが覚えてないんだけど
36:00
淀川長原さんの
僕が天国でも見たいアメリカ映画100っていう本があって
それは単純に淀川さんが好きな映画について語ってると
100本ぐらい紹介してるっていう
当然淀川さんなんで
古い映画が中心になってくるよね
あそこにはマニアックな映画
今ごと別にマニアックでもないんだけど
金曜ロードショーとかでは書からないような映画
古い映画だったり
その本を読んで憧れるわけよ
淀川さんが面白そうに紹介してるから
でも実際には見れないわけよ
配信もないし今みたいに
レンタルビデオにもそういう古い映画とかがあったりするわけでもなかったから
映画は好きでありつつ
実際に見て映画に熱狂してるっていうよりは
見れない映画に憧れてる部分の方が大きかった気もする
なるほど
そんな感じで中高を過ごしてっていう感じなんですか
高校楽しかった
高校ぐらいから思い出あるから
高校ぐらいからようやく語れるようになってくる
高校はどんな感じですか
高校は何がきっかけかわからないけど
一気に自我が芽生えるというか
ルールがようやくわかってきたっていう
だから主体的に振る舞うことができるようになったし
ルールもわかってきたし
そうすると自分の置かれてる状況っていうのは
ヒエラル系の中の状況っていうよりは
自分がこれは好きで
でもこれは人とは違うけれども
っていうことはこれは自分が好きなもんなんだみたいな
そういう意味で自分の立ち位置がわかってきたりして
アイデンティティが形成されてくる
やっぱりアイデンティティって
自分一人で形成されるもんじゃなくて
人との距離感であるとか
外部によって形成されてくるところもあると思うから
外部が見えてきたことによって
初めて自分が見えてくるみたいな
その時は自分の認識としては何が好きとか
そんなのあったんですか
ちょっと一緒に距離的に入れてても
いいですか今
編集で入れますかすみません
じゃあ高校時代の話ですかね
ここですねはい
高校は他に出来事とかあったんですか
中3か高1ぐらいから家にマンションなんだけど
和歌山市内のJコムが入ったの
Jコム
ケーブルテレビ
ケーブルテレビが入って
だからそこで一気に家にいながらにして
接種できる情報量が一気に増えて
だからスペースシャワーTVとか
MTVとかが見れるようになって
一気にいろんな音楽も知れるようになったし
当然15歳ぐらいになってくると
行動範囲も広がっていって
そのタイミングで和歌山市内に
服屋さんが一気に増えた時代でもあった気がするし
当時今は村栗町に服屋さんって
本当に2,3店舗もないのかな
そうですね思い浮かばないですね
39:00
ホームさんかなオムさんかな
があったりはするけれども
当時はこんな日じゃなくて
本当にブランド扱ってる正規店から
パチモン扱ってる姉村みたいな古着屋
古着屋じゃないねあれ
新品のパチモンを売ってる
セレクトショップ的なところが
もうあったし
服屋さん全体がもう増えた
増えた
あんまイメージないんですよね僕の
それはちょっと世代の差だと思う
わっと出てわっと減った
うんわっと出てわっと減った
当時めっちゃ流行ってましたもんね
めっちゃ流行ってた
ストリートブランドというか
そうストリートカルチャー全盛期
だったから地域としても
接触できるものが増えたし
あとは今でいうオンライン的な意味で
いろんなものが入ってきだしたりもして
だからそういうところで
見た目的にも服装というのも
アイデンティティに繋がってくると思うんだけど
というので選択できるものが増えていって
時価が確立されていくと
面白くなってくるという中で
ただでもうち中高一貫校なんで地弁って
中学から高校っていう区別って
あんまりないのよね
そもそも地弁って高1って言わんから
中4やから
中4
中学4年生やから
高3じゃなくて中学6年生なのよね
中6なのよ
だからそこに高校ではとかはないんだけど
でも逆に言うと
中学がすごい地味な校だったと思うのよ
地味というのは大人しいとかって言うんじゃなくて
あんまり普通に存在感が薄いみたいな
校だったのが
ちょっと高1ぐらいから調子に乗り出す
じゃあちょっとクラスの中でも
ちょっと明るいグループみたいな立ち位置になって
って感じですか
そうだから中学ぐらいまでは
やっぱり自我が確立されて
周りが分かってくるって言っても
地弁ってヤンキーとかほぼいないし
そんなにヒエラルキーとかってないんだけど
カーストピラミッドみたいなのが
ないんだけどそれでもやっぱり
目立ってるイケてる子たちはいると
その辺にうろうろしてるだけの校だったし
中学高校がずっと続いていくと
学校の中である程度
周囲からもこういうキャラみたいなので認識されて
それが自分の立ち位置みたいになってくるところが
あると思うんですよ
それが1個変わったのが
高1だから中4の時に
オーストラリアに短期留学するっていう
プログラムがあって
その学年で10人ぐらいだけが
1月オーストラリアに行ってホームステージで
現地の学校に通うみたいな
何を思ったかそれに行ったのよ
リザ行ってみると
それも地弁和歌山から10人じゃなくて
42:01
地弁和歌山と奈良地弁っていう
姉妹校があるんだけど
そっから5号ぐらいで行くのよね
さらになぜ私それに行けたのか
よく分かってないんだけど
選抜試験みたいなのがあって
試験に合格しなきゃいけないみたいな感じあって
私以外の子たちは
すごい賢い子たちが行ってたの
私はそこに紛れ込んだみたいな感じで
行くとどうなるかっていうと
学校の中のキャラ設定とかが
一旦完全にリセットされるよね
オーストラリアに行くことで
オーストラリアの中では
その1つ期間だけ
だから変な話
例えば校内で調子乗ってると
あいつ調子乗ってるわみたいな感じで
思われたりとか
無言の横髪があったりしたかもしれないのが
オーストラリアに行くと一切ないわけなのよね
そこで別にこのルールとかゲームは
中学とか高校の世界が全てじゃないみたいなこと
に気づいたし
だからめちゃくちゃ遊んだ
オーストラリアで
そうオーストラリアで
何して遊ぶんですか
オーストラリアとかに行くと
アメリカのドラマで見てたような
高校生活があるわけよ
本当にクラスは違ったのかな
でも現地の子と仲良くなったりして
その子の家に遊びに行ったりすると
家に遊びに行くというか
本当はパーティーとかやるのよね夜に
プール付きの家とかで
そこでは日本では未成年が
あまりたしなむことが良しとされていない
飲み物とかが出てきたりあるとか
もうちょっと諸々があったりするんだけど
こんなの全然ありなんやとか思ったり
あとパーティーでバンドが演奏してたりするから
自分もバンドやりたいなとか思ったり
その時に中2か中3くらいから
スペーシャワーTVとかMTVとか見て
音楽はすごい好きになってたの
自分も楽器やりたいと思ってギターを持ってて
オーストラリアにもギターを持ってたから
そのギターで現地で人好きだけやけど
コピーバンドやろうぜみたいなバンド組んで
ちっちゃいイベントでライブやったりとか
何でもやろうと思ったらできるのはやりたいこと
みたいなのは1個そこで感じたものはある
じゃあオーストラリアから帰ってきても
ちょっとキャラも変わってみたいな感じなんですか?
さすがにそこでよくあるみたいに
日本に帰ってきてオーストラリア帰りてえみたいな
そこまではかぶれはしなかったけれども
なんか1個でもちょっとスイッチは変わったかなっていうのはあって
だからこうにこうさんは
別に自分に好きなように振る舞えばいいんだみたいなのが
ちょっとだいぶあったし
でもそれはそれですると
結構そんなに別に周りに抑圧されることもなく
45:02
別に自分は自分のルールでフィールドを作っていいんだみたいなので
そこでまた改めて仲良くなった友達とかと遊んだりとか
だからそこで初めて主体的に遊べたかもしれない
なるほど
中古そんな出来事があったりしながらも
本とかはずっと好きだったんですか?
本はずっと好きだった
やっぱりある意味本とか雑誌とかが全てだったところもある
そうですね
だからやっぱり当時の雑誌の持つ意味合いって今と全然違って
ファッションであれ音楽であれ映画であれ
まず入ってくる位置情報ってさ雑誌だった
そうですね
わけじゃないですか
でロッキングオンジャパンで音楽を知るとか
言いたい意味でその時は和歌山にタワレコが出来たりもしたけど
でも電車通学で和歌山駅から通学してたから
和歌山駅の本屋さんはほぼ毎日寄ってたし
とにかく雑誌はめちゃくちゃ読んだね
どんなの読んでたんですか?
当時やっぱり未だに好きだし
営業って言ったのはリラックス
シアターさんご存知ないですかねリラックスっていう
ちょっと知らなくて
結構時期も良い時期が短かったっていうか
リラックスは本当に0年代の
01,02,03ぐらいが一番良かったの
90年代からの雑誌だけど
0年代のリラックスは奇跡よね
そうですね
なんでちょうどその辺が僕も島田さんも
高校時代みたいな感じで当たってた感じなんですかね
だから一応東京を中心としたストリートカルチャー雑誌ではあるんだけど
服とか音楽とかそういうものの総合雑誌みたいになってて
流行りもどうとかいうよりも
その当時の編集者がすごいセンスの良い編集者だって
音楽を紹介するにしても今流行ってる音楽じゃなくて
例えばフリーソウルってイケてるよねみたいな
だから70年代8年代のレアグルーブの
フリーソウル特集をしようとか
あとはその海外のカルチャーとかも全然
レアグルーブのレコードと
あとは海外のこんな地域のコミュニティの紹介みたいなのがあったりして
かなり今のというか
要は流行をお伝えするっていう感じじゃなくて
自分たちがいいと思ってますよって
このカルチャーとかを紹介しながらっていう
だからリラックス的なカルチャーというものが形成されたと思う
雑誌独自の
オールラウンダーに
とは言え僕もたまに買ってたけど
買ってるのがかっこいいから買ってるみたいな
ああでもあったよね
高校では誰も読んでなかったから
それを読んでることがちょっと自分の中での特権意識というか
俺イケてる なぜならリラックスを読んでるから
そしてリラックスはいけてるからみたいな
あれめちゃくちゃ異常な雑誌だと今思えば思う
48:01
だから一冊丸々ハワイの海の写真しか載ってない方とか
雑誌ですよね
本当に今そこにあるかな
一冊丸々外使ってない
その波の号はホンマタカシさんという写真家の人が撮ってるやつで
今もめっちゃプレネがついて高くなってるっていう
それですね
これですね2003年5月号リラックス
ページをめくってください
本当に
どのページをめくっても
1日のハワイのどこかの海岸の海の写真が
すごっ
朝から日の出まで映り変わっていく情景とともに
紹介されてるっていう
カルチャー雑誌というか
普段は音楽だったり服だったりも
そう
これはだから一切しかも紙面に文字がないっていう
かっけーっすね
普段は例えば2005年5月号のリラックスは
サバービア特集とスヌーピー特集っていう
サバービアっていうのは東京のイケテルレコーヤーさんで
フリーソウルのそういう音楽のムーブメントを作ったレコーヤーさんなんですけれども
イケテルレアグループのレコードを紹介してるページもあれば
あとはソ連のムードに合った映画の紹介であるとか
すごい得意な雑誌
女優さんのグラビアとかも
ドジノエとはグラビアアイドルの
とか女優さんのグラビアもあるんだけど
それをさないまさしさんが撮ってたりであるとか
水着グラビアじゃなくアートグラビアとして
というかっこいい雑誌ですね
雑誌がありました
リラックスから受けた影響はすごい強い
そういうカルチャーとかも好きになりつつも
高校時代の島田さんは将来的にどうしようかなとか
そんなのあったんですか
特に何もなかった
知弁だからみんなが弁護士になりたいとか
一番分かりやすいのは医者になりたい子がさ
医学部を目指して頑張るんだけど
別にそういうのもなかったし
あとはやっぱり知弁によると東大兄弟を目指してなんぼみたいな
社会があるんだけど
別にそこも目指したいと思わなかったのと
目指すだけの努力をするという才能はなかった
そして大学は神戸大学に
中岡審大です
神戸大学を選んだ理由は何なんですか
自分の学力でそんなに頑張らなくてもいける
そんなに頑張らなくても神戸大学ってやばいですね
それは当時の知弁という学校のヤバさだったとは思う
51:03
確かに
高3ぐらいはほぼ学校行ってなかったしね
それ受験勉強でってことですか
ではなくて授業は終わってしまってるから
そう授業は終わってて
あとは本当に学校行く子はもちろん行ってるし
本当にトップを目指す子は
学校よりももはや塾に行ったりとか
自分で勉強するっていうことがあったから
そんなに学校に行くということをうるさく言われなくなってくるよね
受験が近づくにつれ
でも自分はその中で学校に行かずに普通に遊んでた
それは一人が多かったんですね
例えば周りの友達とか
周り勉強してた
ですよね
あとも2,3人だけ勉強してない組もいたから
そういう人たちとか一人とかね
一人が多かったかな
それもやっぱり映画とか
映画館に行ったりとか
それでいうと
これは本当に既選ラジオを聞いている若山のリスナーさんで
情報を持っている人がいたら教えて欲しいんですけれども
リトルレッドルースターっていう服屋さんがあって
リトルレッドルースターにめちゃくちゃ行ってたの
高校時代
どの辺にあったとこですか
昔のプラグの
本やプラグの
あの筋にあったの
ブラックリーチョーを抜けて
マルショーだった頃に
マルショーを過ぎて
復古小中学校に行くまでの間
に当時
ストリートブランド全盛期で
高校生って本当にみんなダボダボの腰パンして
オーバーサイズの服を着ている
時代に
あそこはどっちかっていうと
ちょっとシュッとした
だから今でいうと
今のポパイに近いような感じの
服もストリート系ブランドじゃなくて
結構定番のブランドを
どう着こなすかみたいな
そういう
提案をしている店で
どういうブランド扱っていたんですか
スニーカーで言うと流行りだす前の
アシックスとか
あとは
服は
バーバリアンやったかな
イギリスのラガー
ラグビーシャツのブランドだったりとか
あとフレットペリーとかも置いていったりしたと思うし
それと大阪で流行っている
ちょっと
ハイブラ寄りのブランド
とか
カジカジがすごい人気
カジカジと
共鳴する
形みたいなので
ある程度関西圏の
古着文化とあとは色んな服をミックスする
みたいな関西の着こなしみたいなのが
しかも京阪神それぞれに
あった
エリアによって
全然違った
カジカジ関西スタコレみたいな
スタイルコレクションで京阪神
あったりしたんだけど
それで大阪で
ブイブイ当時いわしてたブランドとか
そんなの和歌山に持ってきたりとか
54:00
多分だけど
そんなに流行ってなかったと思うのよ
実際
聞いたことないですもんね
当時通ってたっていうのは
自分は高校生だから17歳18歳で
店長さんも
今の自分の歳ぐらいな気がするんだよね
だからそれでよく
高校生の相手してくれたなっていうのはすごい
思うし毎回毎回
買い物するわけじゃないのに
音楽の話をしに行ったりだとか
服のことについて教えてもらうとか
ちょっとしたお兄さん的な存在
文化的な
っていう感じで遊んでもらったのが
やっぱり大学行き出して1年か2年ぐらいで
店閉めちゃったんで
今どうされてるかなっていうのがね
もしキセノ城聞いてたら
お便りくださいって感じで
なんか知ってる人がいたり
とかねしたら もう一回お店の名前いいですか
リトルレッドルースターっていう
リトルレッドルースター
今は多分自分も同い歳だけど
なかなか和歌山で
100%メジャーじゃないカルチャーを
扱ってた店な気がするから
多分戦ってたところってあると思うのよね
店長なりに
俺は
こっちの方がかっこいいしこういうのを広めたいみたいな
だから
その
勝負というか
そういうものが結果的に
どうなったのかっていうのもちょっと聞いてみたいし
あともう一個
覚えてるのがさ帝国座
っていう映画館が
あったんですよ
元キセンランドトレイルもそこの
あ本当だ そこに入ってたんですね
そうブラクリ町にあった映画館で
わしとか
白石
白石さんはちょっと違うか
上田さん世代だったらあそこでもののけ姫を見たり
見ました僕
小4ぐらいそんな感じ
めちゃくちゃ混んでたよね
めちゃ混んでましたねずっと見てる人いました
あとは
ゴジラとかも帝国座だったから
ドラえもんもゴジラだったと思われ
東宝系列の映画館やったから
結構行ってたかもしれない
で
その帝国座で
ここ自体ってすごい
映画も好きになっててでも映画の情報で
それこそキネマ旬報とか
雑誌で仕入れてると
和歌山ミニシアターなかったから
キネマ旬報とかを読んでると
和歌山で公開されない映画が
いっぱい出てくるわけ
だからたまに年に1回ぐらい大阪のミニシアターに
行ったりもしたんだけど
憧れはあるのよね
ある時にその帝国座で
夜に1回だけ
映画の普通の東宝配給の
映画が終わった後に
ミニシアター系の作品を
上映する時があって
それは新聞で読んで
新聞の映画欄で
行こうと思って行ったら
帝国座って覚えてます?
1階が森入りで
外に向かってチケットの売り場があって
チケット買ったら2階に上がって行くっていう
2階にはロビーがあるんだけど
1階の森入りは閉まってて
2階に上がると劇場の
57:00
ドアのロビーのところに
小さい机があって
そこで
多分やってたらオーナーさんやと思うけど
オーナーさんがそこで
盛り入ってると
客は1人やったのよね
夜のレイトショーで
今さら言ってる1999年公開の
キャラバンっていうチベットの映画
なんだけど
チベットから
ヒマラヤ山脈を抜けてインドの方に
死を織りに行くっていうキャラバン隊の
ちょっとドキュメンタリチックな
映画を1人で見たのを
すごい覚えてて
これも多分
普通に和歌山では
多分
興行収入は見込めない映画だったと思うのよね
でもそれを
やったっていうことは
多分当時帝国山も2000年以降って
やや映画館
っていうのの経営が厳しくなりだして
来た頃と重なってくるんだけど
その中で最後
本当に映画館の人ってやりたいことを
やってたんじゃないかなっていう
そのオーナーも今思えば
今自分の歳くらいだった気がするのよ
その代替わりした後だと思うのよね
あれはねすごい未だに印象に
残ってるというか
あの当時戦った人たちの
そういう
その後というか当時感じてたことも含めて
ぜひ聞いてみたいなみたいな
ブラックリチョーが最後
最後ギリギリ熱かった時代みたいな
熱かった時代だし
熱かったとは言いつつ
でもまたその文化的なもの
っていうのは
そんなに残ってなかったというか
むしろ無くなっていってる時の
過時だったと
なるほど
そんな
文化的なものがない和歌山から
神戸に行って
もう最高って感じ
最高よね
レンタルビデオにおいてのビデオの
本数が違った
はい