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episode.72 手網焙煎 歩里人珈琲 前編
2025-08-27 1:42:45

episode.72 手網焙煎 歩里人珈琲 前編

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episode.72 手網焙煎 歩里人珈琲 前編


ゲスト▷ 手網焙煎歩里人珈琲 岩本克也さん


今回のゲストは手網焙煎歩里人珈琲の岩本克也さんです。


どうぞお聴きください💁‍♂️


talk topics


手網焙煎/高校で心機一転/鹿児島大学へ/お父さんの存在/美術部/就活全敗/富夢想野とジャランジャラン


番組のオープニングとエンディングの楽曲はお寿司のともみさん @osushinotomomi のアワーヤングです。


楽曲が気になった方はお寿司のともみさんの通販サイト、Spotifyをチェックしてみてください。


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00:19
有田市のコーヒーショップARCの上田です。この番組は、和歌山で活躍するゲストの方にインタビューしていく番組です。
kisenradio第72回です。本日は、葛城町にあるポリトコーヒーで収録しています。本日のゲストは、ポリトコーヒーの岩本克也さんです。
岩本さんの生まれから現在に至るまでのルーツや現在のこと、これから計画していることについてお聞きしていきます。
よろしくお願いします。
岩本さんよろしくお願いします。
ではまずは、岩本さんから自己紹介してもらってもいいですか?
葛城町でコーヒーとピザのお店をやってます。ポリトコーヒーの岩本と申します。
よろしくお願いします。
手網焙煎、ポリトコーヒーですね。
正式名称は?
最初スタートした時はポリトコーヒーだけだったんですよ。
手網いつやめるかわからなかったんで。焙煎機に行ったら店の名前変えないといけないじゃないですか。
なので手網焙煎って付けるのを怖がってたんですよ。
でも40近くになってきて、ちょうど今から8年ぐらい前にお店を始めてるんですけど。
その時は33歳とか32歳とかですけど、今40ですよね。
この辺りになってきたら、もう自分の人生に手網しか残ってなかったみたいな。
周り見たらあれ?いろんな人生の形があったはずやのにみたいな。
30前半ってまだまだ色々変えれるみたいなイメージあったんですけど。
あれもうないな。これ手網で死ぬしかないみたいな感じになって。
もう覚悟が決まって、店の名前に手網焙煎って入れるようになったんです。
最近付けたんですか?
そうですね。この2、3年以内ですね。
なるほど。そして呼び方というか、
岩本さんの呼び方はいつも通りポリトさんで。
ポリトさんでいいみたいです。
なるんですかね。
野良犬みたいな感じですよね。
過ごしてる場所によって名前変わるみたいな。
スタジオジブリの耳をすばせばっていう映画がありましたけど、
あれに出てくる太っちょ猫の、あの子ムーンちゃんで呼ばれたりとか、
別のとこやったら別の名前で呼ばれたりみたいな。
あんな感じだったんですよ。
小学校の時はガンボって呼ばれてて。
中学校も岩本なんでガンボ。省略でガンボって呼ばれて。
03:01
ちょっとあんまり好きじゃなかったというか。
でもみんな呼んでたんでそれで。
高校でポンちゃん。そっから大学もポンちゃん。
こっち来てお店というかイベントごと始めてポリトになって、
今はポリトさんになってしまったっていう感じですね。
なるほど。
じゃあこのラジオでもポリトさんでいらしていただきます。
よろしくお願いします。
ポリトさん出演していただくのは前回リスナーお便り会をやったんですけども、
その時にリスナーさんからポリトさんの話が聞きたいっていうことでリクエストいただいて。
聞いてないんかな?
あら聞いてない。
最後の最後まで聞いてないんか。
そうだったんですね。
ポリトさんのことも気になるし、
ツリシのお父さんのことも気になるみたいな連絡いただいて。
僕よりたぶん親父の方がめちゃめちゃ話が面白いと思います。
ポリト そうなんですか。
いやもうほんまにね、
やっぱり僕にとっては超えられない壁ですからね。
そびえ立つ壁。
ポリト はい。
じゃあそのお父さんのこともちょっと後ほどルーツの部分とかで。
どこまでいけるかな。
ポリト いろいろ聞かせてもらえたら。
あんまり言いすぎたら親父も嫌な顔するしな。
ちょっと一応許可されてる部分だけはいけるかな。
ポリトコーヒーと言いますとコーヒーロースターホッピングの
収録でも何度か出ていただいたんですけども。
ポリト すいません、もうあの時は制御不能になったところ。
一部制御不能になった部分がありまして。
いやいや、僕もちょっと視界能力不足で。
ポリト 冷や汗をかいてましたね、もう。
けどなんかポリトコーヒーさんといえばやっぱり先ほども言われてた
手編み売船っていうことだよね。
ポリト はい。
でなんかその手編み売船で
ポリト そうくんが言うには和歌山で一二を争うような豆を焼くっていうことで。
ねえ、その基準っていうところがすごい難しいんですけど、
コーヒーの評価方法っていろいろあるんで、いろいろあるって言っても
点数評価ができる世界もあるんですよ。
山地で採れたコーヒー豆って何点ぐらいなんよみたいな。
その点数評価の軸で焼いたときに比較的点数が高くなる焼き方みたいな
とかこう焼いたらこういう点数になるみたいなのを結構長い期間かけて勉強してきた
っていうところがあるんで、それも後で流れで説明することになると思うんですけどね。
そんな手編みでやばいコーヒーを焼いているポリトさんの
これまでどういう人生を歩んできたっていうのかっていうルーツから
ちょっと教えてもらいたいんですけども、まずポリトさんの生まれはどちらですか?
ポリト 僕は和歌山市の陰部。
陰部。
06:01
ポリト 陰部。分かりにくいですね。あの場所は分かりにくいな。
ナルタキ団地の奥の方やから岡崎と花山の間ぐらいのところですね。
なるほど。
ポリト クライミングジムの和母さんがあるところですね。
なるほど。あの辺なんですね。
ポリト そうなんですよ。
子供の時のポリトさんってどんな人やったんですか?
ポリト どこから話しましょうかね。
どこから?
ポリト 記憶がやっぱり3歳ぐらいから微妙にあるんですよ。
強い刺激が入ったら覚えるんですよね。
けどざっくりどんな子供やったみたいなんて?
ポリト だから4歳まで。陰部から岸川へ行くまで。
岸川へ行ってからちょっとキャラクターっていうか変わるんですよ。
ポリト 陰部にいてる時っていうのは両親が学校の先生だったんで。
二人ともが。
ポリト 二人とも小学校の先生だったんで、やっぱり仕事忙しいじゃないですか。
ポリト なので子供の時に保育園ではなくて、母方の祖父母に預けられたんですよ。
預けられたから。日中は。姉は保育所行ってたんかな。
僕は2歳3歳とかなんで、まだ手元でというか親元で育てるみたいな昔の考え方だと思うんですけど。
陰部から本当に10分ぐらい、15分ぐらい走ったところに岡崎って小手坊?
分かりますかね。東高校とか。
はい、分かります。
ポリト あそこの近辺に祖父母が住んでて、そこへ預けて、
お母ちゃんは東山道とかの小学校に勤めに行くみたいな。
東山道だったかな。どっかは忘れたけど。
一転でまたおじいちゃんおばあちゃんのところから回収されて、陰部に戻るみたいな、そういうルートですね。
その間、4歳の時に引っ越しみたいな。
ポリト そうですね。それまではやっぱりお坊ちゃんですよね。
みんなに可愛がられてみたいな。
ポリト それはもう多分記憶ないんですよ、あんまり。
深いことがなかったんです。
自分がしんどいなって思うことも多分なかっただろうし。
それぐらいの年だったら。
ポリト 本来ですけど、でも幼少で痛い思いしたりとか、怖い思いしたりとか、
電車見たりとか、すごい楽しかったみたいなこととかはパーンって頭の中に記憶に残ってるんですよ。
近所の人の家のエレクトーンの下に入ってかくれんぼしてるとか、
09:04
平に登って立ってるとか、三輪車乗ってるとかみたいな、
そういう幼少幼少の記憶が残ってるという感じですね。
でもお坊ちゃんですね。
4歳以降はどんな感じなんですか?
ポリト 4歳以降は保育所ですよね。
岸川町ってちょうど団地できたばっかりで、いわゆるベッドタウンですよね。
和歌山市の。
振興住宅地みたいな、たまニュータウンみたいなやつの和歌山湾みたいなイメージやったんですけど。
長山団地っていうのがあって、うちはそことは違うところに住んでた、長原っていうところに住んでたんですけど、
住んでたんですけど、長山団地のちょっと下のところに長山保育園っていうのがあって、
私立の保育園があって、たぶん働いてる人向けの。
働いてる向けのって言ったら他のところも働いてる人向けやけど。
子供働き家庭みたいな。
ポリト なんか条件が良かったんでしょうね、両親にとっては条件が良かったから、そこで預けられることになったというところですね。
そこからですね、ちょっと暗い部分とか負の部分が目覚め始めるみたいな。
負の部分目覚めるの結構早めですね。
ポリト 早いですね。
どういうことですか?
ポリト 今でも覚えてるんですけど、保育園に入って、初日でたぶん同級生引っ叩いてるんですよ。
初対面の同級生を引っ叩いて泣かして、しかも女の子。
引っ叩いて泣かして、クラス全員から囲まれて詰められてるみたいな。
イーヤーヤーコーヤーヤー、先生に言っちゃおうみたいな。
あの呪文がフワーって迷って、もう人を殺めてしまったぐらいの追い詰められ方をするっていう初日を覚えてるんですよ。
よく覚えてますね、幼稚園の時のこととか。
ポリト だからすごい強い刺激やったんでしょうね。ものすごい強かったと思います。
そっからなんかこう、やっぱり自分が知らないルールでとか感覚で動く人たちっていうのと、
自分がそこに合わせに行くのか。
前は合わせてくれてたんですよ。
親戚とか甘い、もう甘々に育ててくれてたんで。
お出かけしたらもうネルネルネルネとUFO食わせてくれるみたいな。
もうほんまに甘やかされてたんだろうなって思うぐらいに。
そこから突然その人間関係を測らなければいけないみたいなところに行ったんですよね。
なんでそのいわゆる同じ性格好の子たちと喧嘩しないじゃないけどなんかこう距離感を測りかねるみたいなことは多かったですよね。
12:09
なんかそれ感じるにしても早い気がしますね。
そこまで考えないでいいのにみたいな。
今でも言われますけど、みんなからそこまで考える必要ないって。
そんな状態で幼稚園過ごして小学校にみたいな。
小学校、だからもうそれ引きずってますよね。
だって人間関係一緒ですから。
ちょっとなんか仲間外れにされたりとかそういう。
いや、そんなのはないんですよ。
ただ勝手に僕自身がすごい距離感に悩んでるんですよね。
みんなそんなに何も考えてないはずですよ。
そうですね、幼稚園児やったら。
今だって自分の子供を見ててもそんな考えてないよなみたいな。
こんな楽やったんやなみたいな。
喧嘩してもみんな忘れてくれるんやみたいな。
僕自身がその初日に女の子を引っ叩いたっていう記憶を今でも覚えてるんですから。
だからもうそれが失敗なんですよね。
自分の中でもやらかしなんですよ。
忘れられないやらかし。
積み重なっていくんですよ。
そしたらそれがもう日々の中で先生に怒られたとか
なんかありますよね。
誰かと喧嘩したとかっていうのもあったのかもしれへんから。
だからもし覚えてたらどうしようなんですよ。
あのことを覚えてたら、今も覚えてたら、もし思い出されたらみたいな。
そしたらどうなるんやろみたいな。
ふわーっていう不安がやっぱあるんですよね。
でも遊んでたら忘れるんですけどね。
最初の入り口だけですよね。
最初の参入障壁じゃないけど。
遊び始めたら普通にフラッとに遊んでしばらく遊ぶんやけど
ふっと自分一人になってその人たちと離れたら
なんかふわーって。
うわーどうなるんやろみたいな。
いう不安感が出てくるみたいな。
そんな感じですよね。
いきなりなんか行きづらそう。
小学校はそのまま地元というか。
そうですね。西岸小学校っていうところですね。
小学校時代はどんな感じですか?
だから基本的にはなんかビクビクしてるんですよ。
ビクビクって言うほどでもそんなに別に誰かのことを怖がったりとかっていうのはそこまでないんやけど
1,2年生とかは特に遊んでるだけなんでね。
でもなんかちょっとずつなんかその
自分が好きなことっていうのがだんだんわかってくるというか
小学校1年生の時ちょうどねスーパーミニの時代ですから。
スーパーミニでスーパーマリオワールドが
あのヨッシー出てくるやつですね。
あれをお父ちゃんがクリスマスに買ってくれてみたいな。
ああいう時期なんで友達の家行ったら
15:01
スト2やってる子もいてたりとかゼルダやってる子がいてたりとかみたいな。
カービィやってる子とかゲームボーイやってる子みたいな。
いろんなゲームを持ってる子がいてるんでその子の家に遊びに行って
僕の知らないゲームを見せてもらう。
やることはない。ただ後ろの方でアイスクリーンながら見せてもらうっていう生活ですよね。
小学校の間はそんな感じ。
あとは友達の家に行って農家さんの友達が近所にいてて
その子の家でナヤを改造して自分らの秘密基地にしたりとか。
そこで猫を追いかけて猫が1日に何回マーキングするかみたいなのを数えるみたいな。
その辺りから今の売生につながるみたいな。
そういうロジック探しというか論理探しみたいなのを小1ぐらいそれぞれ確か。
だから覚えてるんですよ。めっちゃ記憶に残ってて。
そんなこともしてましたね。
でもやっぱり近所の子たちと自分の家の周りの子たちと秘密基地みたいな作って遊んだりとか。
あとはRPGごっこみたいなね。
FFですよ。ファイナルファンタジーの3とか4とか5とか6とかみたいなスーファミの前世紀の時に
家でやっぱりゲームする時間って限られるじゃないですか。
何時間までみたいな感じで決まってたらできないんで外でその続きをするんですよ。
近所に深夜くんっていうお兄ちゃんがいててそのお兄ちゃんがもう遊び名人というか1個上なんですけど。
そのゲームをベースにした遊び作りをするのがすごい上手なお兄ちゃんで。
その子と一緒にゲーム遊びを外でやる。
だからクエストみたいなんで何か集めてきたらこれと交換するみたいな。
武器と交換するみたいな。そういうのをやってみかん畑走り回って。
なんか葉っぱ何枚集めてみたいな。これを監禁してみたいな。
何かやっつけてみたいな。空想遊びみたいなとか。
すごい好きでしたね。
あれは忘れられへんな。
お父さんとお母さんが学校の先生やったらその家庭ではどういう感じの教育方針っていうか。
教育方針っていう方針。
こう育てようとかこうならないといけないとかってそういうの決まりは特には多分両親も決めてなかったというか。
ほんまに子供らしくのびのびと育ってくれたらええんちゃうかっていう。
ケガっていうか大きなケガせんと病気もなく育っちゃまあよかろうっていう感じの人たちですけど、
やっぱ学校の先生なんで何かそういうところは出るのかな。
でもあんまり覚えてないですね。
なるほど。
中学校も地元の岸川の中学校ですか?
そうですね。
そうです。
18:00
中学校時代とかはどんな感じなんですか?
本当同じとこ行きたくなかったですもんね。
やっぱり小学校の時なかなかの荒れ具合やったんで。
小学校で荒れてたんですか?
ねえ言われへんすけど言うてもいいんかな。
まあ言ってみてください。
じゃあP入れていただきたいんですけどPだらけになれへんかな。
Pだらけになるな。
僕自身も仲良くしてて話してたはずやのに、
急に話してくれなくなるんですよ。
声かけても話してくれなくなるんです。
突然。
なんでかわからないじゃないですか。
原因探しをしてもどう考えても床に落ちた消しゴムを拾わなかった程度しかないんですよ。
なんで僕は今話をしてくれへんねるみたいな。
そんなんが2,3週間続くんですよね。
2,3週間したら普通に戻るんですよ。
でもまた何日かしたらまたふっと話してくれなくなる時があって。
それは誰か特定の一人ってことですか?
特定の子なのかな。
でも特定の子であったとしても他の子もそうなるかもしれへんと思っちゃうんですよ。
ってなってくるとだんだん怖くなってきて。
だから自分のクラスがあったとしたら
自分のクラスに居場所がなくなったら隣のクラスに逃げてそこで大富豪やってるんですよね。
差し落としやったりとか。
大富豪やったりトランプやったり鵜乃やったり差し落としやったりとかみたいな。
別のクラスで遊んでてほとぼり覚めたらまた戻ってくるみたいな。
それがしんどくて。
なんで中学校同じとこ行きたくないみたいな。
でも受験勉強とかはしてないんで私学は行けないじゃないですか。
だから附属?
附属へ行けば全然違う環境で真っさらな自分とみたいな。
シャバに出たらみたいな犯罪したわけじゃないけどな。
でもそうやって違う環境に行こうって思ったんですけど
なんか行けなかったんですよね。
申し込みが違ったんかな?
遅かったんかなんかわからへんですけど。
結果的に行かなきゃいけない。
地元の中学校へ行くってなったんですよ。
卒業式が終わってその日の夕方に骨折っていうね。
なんでですか?
自転車で走ってて対向車みたいなのがあってそれを避けようとして溝に落ちたんですよ。
そのまま溝に落ちて右腕複雑骨折って斜めに折れて。
ギブスやって振動与えたらダメよって。
そうしたら斜めになってるのが徐々にずれてきて隙間空いたら手術ですね。
嫌じゃないですか。
その春休みはもうほんまに身動き取れないというか。
21:03
この次元爆弾を抱えた右腕と一緒に生活せなあかんみたいな。
そのままギブスした状態で中学校が始まるんですよ。
マイナススタートですよね。
おのっけからマイナスですよね。
どうでした? 中学は。
中学校は小学校からちょっと荒れてたんですよ。
中学校が荒れないわけないじゃないですかっていうぐらい。
でも荒れてるって言っても障害事件とかそんなことは特になかった記憶はあるんですけど。
でもやっぱりなんか、なんやろうな。
なんか僕の中では荒れてるというかルール違反をする子たちはすごく多かったかなっていう。
具体的なルール違反は何なのかはもう具体的なのは避けますけど。
避けますけどでもやっぱりなんかちょっと怖いなっていう。
そうかみんなそうなんだみたいな感じですよね。
中学校の時なんか部活とか勉強とかどんな感じの子やったんですか?
勉強は塾行ってましたね近くのアニモエース学院っていうところがあって。
うちの姉も行ってたんで。
そことクラブはハンドボールですね。
ドッジボールの延長みたいな感じで。
小学校の時にドッジボール流行ってる時期が多分ドッジ断兵とか。
今ドッジ断兵ってやってますよね。
続きみたいな。
今やってるんですか?
今はオンラインで漫画でやってますけど。
ほんまにあの時のノリのまま。
それでドッジボールが流行ってて流行りに乗っちゃうタイプなんですよ。
ミニ四駆とかも別にその。
そんな流行ってたんですかね?
なんか知らんけどミニ四駆の大会とかもありましたしね。
ミニ四駆は流行ってましたね。
ドッジボールも大会あって。
でもね岸川の中岸小学校。
岸川町って小学校4つあるんですよ。
西岸小学校、東岸小学校、西東、中岸。
時たら北岸のはずなのに丸須っていうね。
丸須小学校って。
その4小学校があってこの中の中岸小学校ってところがドッジボールバケモンみたいに強いんですよ。
中岸ストロベリーズっていうのがいてて。
でもあのドッジボール見たことあります?
ドッジボール普通に見たことありますよ。
ワーって投げますでしょ。
あのガチのドッジボール見たことあります?
ガチのドッジボールってありますか?
ガチのドッジボールは真横に並ぶんですよ。
いわゆるそのチーム。
AチームBチームって戦ってたら
AチームBチーム普通だったらもうみんなバラバラでワーキャー言いながらこう逃げ惑うじゃないですか。
違うんですよ。
よく訓練されたドッジボーラーは真横に並ぶんですよ。
24:00
真横に並んで中腰で完全にハンターハンターのレーザーって
レーザーのあのポジショニングなんですよ。
1人かけたらもうザッて真ん中に寄るんですよ。
でボールが反対側に行ったら
その中腰のまま180度クルッて反転するんですよ。
クルッて回ってそのまま相手を威圧するんですよ。
いつでもお前のボールは俺が取るぞみたいな。
足元に来るやつもこう中腰になってるんで下も行けるし上も行けるし。
完全に鉄壁防御みたいな。
ソルジャーですよね。
岸川だけでそんなハンターハンターですかね。
いや知らんけどでも中岸ストロベリーっていうのがもうほんまに化け物みたいに強い。
で小6の時に
すいません中学校行ったので小学校に戻って
小6の時にドッジボール試合出ると。
運動神経めっちゃいい組の1軍と
でただ出てみたいだけの2軍みたいになって。
でその2軍の方がストロベリーズと当たったんですよね。
もう秒殺ですよね。
もうあれは秒殺じゃない逆殺ですよ。
もうあのほんまに
ボールがこう反対側にパーンて渡って
渡ってパッてキャッチしてパッていった瞬間
ズーンって言うんですよ。
全員が180度クルッて回るんですよ。
ズーンって
ズーンって
ズーンのたんびに1人ずつ減っていくんですよ。
めっちゃ怖い。
でその中岸ストロベリーズの連中と同級生になるわけですよね。
でそのストロベリーズでいてた子も
ハンドボール部に何人か入ってくるんですよ。
ハンドボールってドッジボールの進化系やったんですか?
いや全然違いますよ。
違うけど多分考えてること一緒やったんでしょうね。
ボールを掴んで投げるっていう。
あれが多分バスケとは違うんで
やっぱり握りしめるとか
ガッて使えて相手に向かって投げるっていうのは
やっぱり楽しいなっていうのがあって
でハンドボールに行っちゃうんですよね。
なるほど。
ポリトさんは結構活躍してみたいな感じだったんですか?
運動神経終わってますもんね。
速く走れたとて真っ直ぐしか速く走れやみたいな。
典型的なあれですよね。
だからただ動き固いんで
多分使い勝手良かったんでしょうね。
分かりやすいから動きが。
だから先生からポストっていう
相手陣地内に入って
いわゆる敵の動きを封じる役割があるんですよ。
ポストっていう。
そこに当てがわれてただただもみくちゃんにされてましたね。
押されて出て行けみたいな感じで
そういう感じでしたね。
結構中学校はクラブ活動頑張ってみたいな感じだったんですかね。
クラブと塾ですよね。
塾頑張るっていうほども頑張ってないかな。
27:03
クラブ、塾、友達の家行ってゲーム見る。
またゲーム見るんですよ。
いい感じの中学生活で。
そうですね。
なんだかんだのびのびやっとったっていう感じですよね。
なるほど。で、高校はどこ行くんですか。
高校は近代付属和歌山ですね。
賢い。
賢いんかな。
賢いと思います。
塾でもそんなに成績めちゃくちゃ良かったわけじゃないんですよ。
でもそんなに勉強せいへん
勉強時間は取らないんですけど
なんかコツみたいなのを掴んでからはスムーズに行くんですよ。
だから定期テストとかでもやっぱりほんまに3取ることほぼないみたいな。
ほぼ5みたいな。5でちょっとちらほら4あるみたいな感じで。
数学なんかも塾でやってるんで。
でも理科社会とかもめちゃめちゃ良かったんで。
でも近代付属って理科社会使えないんで。
そこ僕の時は数を書くだけかな。
しかも2日制で1日目と2日目で試験問題がガラッと変わるんですよ。
1日目はちょっと簡単で2日目はほんまに手もつけられへんぐらい難しいみたいな。
その初日でいかに満点取るかみたいなのが鍵になってくるところで
僕だけ満点取れなかったんで塾で。
そんな落ちたなっていうイメージですよね。
ところがなんか微妙に引っかかって補欠レベルで入学みたいな。ギリギリ。
なるほど。
近代ったらもうそれまでのちょっと嫌やった荒れた地元の子たちとは別れてって感じで。
荒れたっていうかみんな困ってたんでしょうね。
みんな迷ってたんやろうな。
やっぱりいろんな難しいこといっぱいあったんで。
生徒さんだけじゃないし社会的な問題もいっぱいあったんで。
あれはまあ時代的にしゃあないよなって思いますけど。
そんな時代やったかな。
だってオムとかね。
まあまあありましたね。
そうそうそう阪神大震災とか。
ああいうなんか価値観がグラッと変わるような出来事っていうのがやっぱり要所要所で起こっていってたんで。
それに伴ってやっぱりあったけど。
まあそんな感じかな。
ここ入ったらまあリセットというか自分の中では新規一点っていうのはまさに新規一点っていう感じやったですよね。
ところがですよ。
金服って新学校やったんですね。
めちゃめちゃ新学校ですよね。
僕まあほんまにだから学年のビリぐらいで入ったみたいな。
点数的にはイメージ。
でまあ誰かからも言われたんかな。
30:01
なんかそういう記憶があるんですけど。
最初のオリエンテーションってあるんですよ。
確かですけどあの紀北青年の家っていうところでみんなで合宿オリエンテーションみたいなのが4月の頭にあって入学してすぐ。
みんなでまあ泊まってそこで体を動かしたり試験したり。
でその試験ってボコボコですよね。
宿題もエグかったですけど。
宿題エグいオリエンテーションエグいでそれ終わったら普通なんか体育測定の時期じゃないですか。
なんかゆっくりなはずじゃないですか。
もうフルですよね。
火曜日に英語の文法の試験ミニテストがあるんですよ。
水曜日に漢字のミニテストがあるんですよ。
ミニテストって言って進出漢字だけではないと思うんですけど。
漢字ターゲット1900とかっていう問題集って覚えるやつ赤シートついてて何回でも繰り返しできるやつ。
あれを入学の時にパンと渡されて。
それの38ページ目まで試験みたいなが毎週あるんですよ。
1回で360とかみたいな。
僕漢字苦手なんですよ。
小学校3年生の時くらいに漢字が嫌すぎて。
むしろ遡ると小一の時に漢字嫌いすぎてカンニングしてるんですよね。
思いついたんですよ。
小一の時に漢字ってなんてこんなに難しいややこしいものがある。
どうやってこのテストを乗り越えようみたいな。
いつまでたっても丸になれへん。覚えられへんし。
そうか机に書けばいいや。
すごいクラシックカンニング。
再テストみたいなんで夕方残されてる時にそこの机にこっそり日記を書いてあった漢字をチラッと見て映してるのをバレてめちゃくちゃ怒られる。
片山先生にめちゃくちゃ怒られるみたいな。
そういうぐらい漢字が嫌いやって。
小三ぐらいに三日寝た母が漢字の勉強も時間とってやってあげんとみたいな感じで漢字の問題集買ってきて。
土曜日とか休みの日に一緒にやろうねって優しく言ってくれたのに全く乗り気にならないですよね。
その漢字嫌いでうちの母もこれは苦手なもうしゃあないかなみたいな感じでいてて。
中3の時に受験すると一気にプー受けるってなった時にやっぱり苦手な漢字をなんとかせなみたいな。
33:03
もう実力テストとか中学校の実力テストとかでも全然漢字できないんですよ。
読みしかできない書きは全くできへんみたいな。
よしこれは小学校の2年生ぐらいからやり直さなあかんと思って。
1年発起して小学校の漢字みたいなやつが上にあったんで母がやろうとしてくれたやつ。
それがさっと出してきて小学校2年生のページのカラスが鳴くっていう漢字。
口辺に鳥って書くやつ。
鳴くが書けなかったんですよ。
手震え始めてわなわなわなわなわな震えて目から涙が垂れてくるんですよね。
俺こんなにできへんかったんやみたいな。
小学校2年生のことが俺はできないんやみたいな。
鳴くっていう漢字が書けずにリアル鳴くみたいな。
違う漢字やけどみたいな。
そんなぐらい漢字が嫌いな人間が高1であと1週間で380個の漢字をどうやって乗り越えるか。
しかも合格せえへんかったら永遠に再試験あるんですよ。
100点になるまで。
100点とか80点超えるまで。
キンプってその時まだルールギリギリやったんかな。
別の科目の先生は自分の作った小テストクリアできへんせえと家に泊めたっていう。
それでクリアするまでやったみたいな。
いう話を1回聞いたことがある。
自分の学年から先輩だったか忘れた。
それは忘れたんですけど。
それぐらいまでするみたいな感じなんで。
何が何でもクリアせなあかんみたいな。
鳴くの漢字書けんかっただけで泣いてた人間がその300超える漢字しかも熟語ですよ。
苦手の嵐をどうやってクリアするかっていうので。
もうなんでこんな学校来たんやろうとかってうめき声あげながら。
夜中の1時とか2時まで漢字やるんですよね。
それが最初の1週間目でした。
ごめんなさいこんな長い話してまだ入学1週間目までしか喋ってないみたいな。
結構勉強はずっとハードやった感じなんですかね。
そうなんですよね。ハードっていうかそれが日常みたいな。
岸川線あのめちゃくちゃ揺れる岸川線乗りながら漢字のあれをやってみんなやってるみたいな。
満員になっていかに早く椅子に座るかみたいな。
椅子に座ってたらテスト勉強できるんで。
じゃあ部活とかやってる間もなく勉強みたいな。
ナイスナイスナイス。ところが金プって文部領土を謳ってる高校なんで。
サッカー強いし剣道やるしラグビー強いしみたいな。
36:03
すごい。同級生にもそんないっぱいいてました。
じゃあひたすら勉強の高校生活みたいな。
勉強とゲームですね。
ゲームはまだ好きだったんですね。
ちょうどだってFF7とかFF8とか。
高校ぐらいでちょうどプレステとか。
そうそうプレステとかプレステ2に移行する手前ぐらいとかですね。
だから僕はアークザラッド2とか。
ご存知ない。
ゲームが苦手であんまりやってないですよね。
すいませんもうアークザラッド2に関してはもうほんまに味せえへんくなるまでやりましたね。
隠し要素多すぎるんですよ。攻略本に載ってない隠し要素が多すぎて。
それを解読するのに多分5週ぐらいやってますね。
めちゃくちゃやってる。
RPGみたいな。
そうそうぬるいゲーム好きなんですよ。
もうほんまに努力でなんとかなるみたいな。
アクションとかやったら何回も何回も失敗してなあかんじゃないですか。
失敗するの嫌なんで。
とにかく勝てへんボスいてたらレベル上げまくって。
秒殺できるぐらいまでレベル上げて次進むみたいな。
そういう慎重派。
じゃあコツコツタイプみたいな。
そうですね。
それをずっと繰り返すんで。
だから新しいゲーム次から次へみたいな感じじゃない。
高校の時に将来は何になりたいとか
そんなんとかあったんですか。
将来何になりたいとかは特に
1,2年生の時は特になかったですよね。
でもなんか頭使う仕事?なんやろうな。
体使う仕事ではないなっていうのは
なんとなくハンドボールやってた時の記憶から
わかるじゃないですかっていう感じですよね。
でも具体的なイメージっていうのは特になかったですよね。
でも高1の時に化学?化学の方ですね。
化学の授業の時に先生論破したんですよ。
どういう?
電子軌道ってわかります?
全然わかんないっす。
原子っていうのがあって
原子の中心に原子核っていうのがあるんですよ。
陽子、プラスの電荷を持つ陽子っていうのと
それ中性子っていうのがあって
そっからちょっと離れたところに
電子っていう粒がくるくる回ってるんですよ。
なんかふわっと記憶がありますね。
その電子っていうのはほぼスピードは高速なんですよ。
だからその電子が1秒間に
30万キロみたいな地球8周分ぐらい回るスピードで
くるくる回ってる。
その回ってるのでボール状に見えてるんですよね。
っていうことは時間を止めると
ピタッと止めた瞬間
39:00
めっちゃ小さい粒になるわけじゃないですか。
本来原子っていうのは
ちっちゃい粒が高速回転して
外側が物があるように見えてるけど
時間をピッと止めた瞬間
僕らの目では見えないぐらいの
ちっちゃい粒2つ3つになるわけじゃないですか。
っていうことは時間を止めたら
時間停止するみたいなピタッてするかもしれへんけど
先生時間止めたら全部透明になるんじゃないですかみたいな。
みたいな話を先生に振って
先生がもう喋れなくなるみたいな。
なんてこと聞くんやみたいな。
その時に先生が黙ったのがめっちゃ気持ちよかったんですよね。
やったみたいな。
いやな生徒ですよね。最低ですよね。
先生を試そうとしたわけじゃないんですけど
純粋に疑問に思って
そういうふうに聞いた時に
先生が答えられなかったっていうことは
先生の経験を自分の質問が超えたみたいな。
感動というかやったぞみたいな。
自信が出てきたんですよね。
空当たりから頭でバトルするみたいな。
知識とか経験を超えたところで
何か一歩いってパンと踏み出したら
ワクワクする世界が待ってるんやみたいな
自覚がそこで出てくるんですよ。
すごい初めて聞く話。
ごめん。
すごい珍しい。
珍しいんですかね。
珍しい。
そういうの好きな人ってそういう感覚なんですかね。
そうなんでも
みんなが思う方向へ進まなかったですよ。
もうだからこの子は勉強ができるんやみたいな
勉強コースみたいな
研究者コースみたいなの上っていくかって言ったら
ちゃんと要所要所で折れていくんですけどね。
やっぱりそこは人間らしく言ってます。
そこから大学進学っていう感じですかね。
そうですね。大学進学。
大学は鹿児島大学へっていうことなんですけど
これは何でまた鹿児島に。
京大行きたかったんですよ。
京都大学。
京都大学。
近代付属若山って結構面白いサッシを毎年作ってて
自分の実力ないし実力以上の結果を出したり
すごいいい取り組みをした生徒さんは
インタビューされるんですよ。
卒業の時に後輩のためにメッセージ残すっていうサッシに
そのインタビューが載るんですよね。
そこでこういう勉強の仕方したら
42:02
こういうふうになりましたみたいな
実例みたいなのを後輩に託していくみたいな
そういうちょっといいシステムがあって
それにやっぱり京大行ってる人が少なかったんですよ。
東大、京大ほんまに年に2人とか1人とかしか行ってないみたいな。
勤務って中等部あるんですよ。
いわゆる中学校から高等部へ上がってきた。
そのクラスには入れないんです。
普通の生徒さんは高校から入ってきた子は
そっちの教室に入れない。
違う生き物というか言い方悪いな。
校舎も違うみたいな。
教室も違いますね。
だから違う、でも同じ高校生なんですよ。
もう一つ、新ADっていうクラスがあるんですよ。
僕らが言ってたのはADっていう。
今はちょっと違うと思いますけど。
新ADっていうのは元初の段階から
高校入学の段階から違う試験なんですよね。
でもめちゃくちゃ賢い。
選抜中の選抜みたいなのが入るクラスがあって。
そこもADクラスは絶対入れないんですよ。
中等部がたぶん2クラスあったから
たぶん4,50人いてて。
新ADも2,30人いてて。
ADが200人ぐらいいてる。
僕はそこのADクラスっていうところだった。
京大とか東大行くのは
もう新ADと中等部からしかほぼ行ってない。
ADクラスからはほとんど出ないみたいな。
でも1人いてたりとかするんですよ。
なんか思ったんでしょうね。
自分もそこに行ってみたいって。
ちょうど高校2年生かな。
入学の時ほぼビリぐらいで入ったって言ったんですけど
その1年生の初めての中間の時に
上から8番取ったんですよ。総合点で。
いわゆる小テストを乗り越えたっていう自信。
苦手科目である漢字を一発クリアして
そこから1回も落としてないんですよ。
これできるんじゃない?みたいな。
この漢字の覚え方を応用したら
他の科目にも全部行かせるみたいな。
そこから無双し始めたんですよ。
そんなに勉強時間かけなくても成績を出すための
ロジックみたいなとか
記憶の忘れないようにするためのコツみたいな。
どんなに頑張っても忘れるやつがあるから
それをどうやって覚えるようにするかみたいな
そういう取り組みみたいなのを
自分でいろいろ試行錯誤してるうちに
当然毎週のように英語の文法と漢字のテストで
45:00
その実験はできるわけですよ。
その実験方法を定期テストにそのまま転用したら
できるんですよね。
だんだん成績が上がっていって
気づいたらその1年生の終わり頃になったら
1位か2位しかないんですよ。
当然下位クラスと上位クラスみたいなのが
当然ADの中にもあって
下の方のクラスの上から1番、2番。
2年生から変入というか上のクラスに上がるみたいな
選抜チームに入れるみたいな
ADSっていうのがあって
そのADSクラスに入りました。
そこから
そのADSでも成績がガンガン上がっていくわけですよ。
気づいたら2年生の真ん中ぐらいで
すごい良い成績が出てきて
国立であればほんまにいろいろ選び放題で
宮廷大とかも行けるみたいなところになってきた時に
欲が出るわけですよね。
宮廷大行きたいみたいな
俺はできるかもしれないみたいな
でも壁がでかすぎたんですよ。
ほんまに過去も意味わかれへん。
どこから手つけていいかわかれへんみたいな。
そのプレッシャーに負けて
降参でぶっ壊れるみたいな。
でも半年ぐらい勉強できへんなって。
定期テストもどんどん成績下がっていって
お前どうしたんみたいな。
あれよあれよいう間にセンター試験がやってきて
勉強もほとんどやれてない状態で
でも今までの蓄積があるんで
受けられないっていう点数は取らなかった。
受けられないな点数は取らなかったんですよ。
でも合格できるかっていったら
二次試験でカバーすれば
ギリいけるけど
でもやっぱりちょっと難しいんじゃない?
みたいなところまで
転がり落ちていって
センター試験の成績でいける大学っていうのが
ちょうど後期で
鹿児島大学の理学部の生命科学科ってところが
センター試験の点数だけでいけるんで
そのままスライドして合格みたいな感じだったんです。
なるほど。
鹿児島行きたくてとかじゃなくて
消去法的に行けるところっていうので。
そうですね。でももうその時に
もうすでにプライド高尾になってたんで
もうなんか俺は鹿児島大学で
やることがあるんやみたいな
必死に理由付けをして
ちょうど生物の
高校2年生の時に生物を選択したんですけど
その時にタミヤ先生っていう
ペンギンの専門家みたいな先生
アデリーペンギンっていう
目がすごい白目のない怖いペンギンがいて
そのアデリーペンギンの研究専門の先生やって
確か公室の秋篠宮殿下かな
秋篠宮殿下さんの元家庭教師みたいな
ことやってたって本人が言ってたんで
そのタミヤ先生の授業を受けた時に
48:03
生物の授業で触媒っていう考え方
触媒っていうのがご存知ですか?
全然存じてないです。
簡単に言うと
Aっていう物質があって
それをBに変化させる時に
それを手助けする物質って思ってくれたやつ
なるほど分かりやすい
例えば一番分かりやすいのは
あんかけ焼きそば食べてたら
あんかけ焼きそばのトロトロなくなって
シャバシャバになるじゃないですか
あれは舌の上にあるアミラーゼっていう酵素が
澱粉をちょきちょき刻んじゃってシャバシャバにしちゃう
ネバネバとかトロトロ成分をシャバシャバにしちゃう
っていうものなんですよ
広い意味でいくと
いわゆる澱粉を細かい糖に変える
手助けをしてるっていう
これも酵素っていう生体触媒って呼ばれるもので
触媒にはいくつもあって
無機触媒っていう金属でできたもの
金属酸化物でできたもの
だから車の排気ガスをきれいにするみたいな
触媒ってマフラーのとこに入ってある
それでそこをあったかい排気ガスがファーっと通ると
いわゆる有害な酸性油とかの元になるやつとかが
なるべく細かく砕かれてファーっと出てくるみたいな
その触媒何かの化学反応させる
触媒ってものがあるんだよっていうのを
それは生体触媒っていういわゆるタンパク質
アミラーゼですよね
今さっき言った唾液に含まれてる酵素とか
あんなものももしデザインできるようになったら
石油を自分で作れるやろと
こっちから二酸化炭素と水を入れて
それを触媒を通過させたら
こっちから石油が出てくるみたいな
そういう触媒を作ることができれば
ノーベル賞が取れるみたいな
いう話を田宮先生がしてくれて
触媒すごい
俺も世界を変えてみたいみたいな
みたいな気持ちになっちゃったんですよね
その触媒を研究するにはどうするかみたいなのを
いろいろ調べて
調べる時間が足りなかったので
間違った判断で鹿児島大学へ行っちゃう
鹿児島大学はどうでした?
いやもう青春ですよね
やっぱり小学校中学校の時ビクビクしてたんで
本来体験すべきことをやってないまま
年齢を重ねちゃったんですよ
51:02
結局青春って言ったら同学年の子たちと
心を通わせるっていうのが青春じゃないですか
そうじゃないですか
結構新しい
違います
彼女を作ってできたりとか
好きです早くしたりとかみたいな
どっか行こうぜみたいな
海行こうぜみたいな
自転車で行こうぜみたいな
あんまり言語化したことなかったんで
言われてみたらそうかもしれないですね
なんかそういう経験っていうのが
やっぱり怖かったとか
人間関係が怖かったとかっていうので
自分でブレーキかけてた部分が多分あったと思うんですよ
そこの部分っていうのが大学入って
亡くなると同時に
自分自身がその葛藤というか
若い頃の思春期の時の葛藤っていうもの自体を
その時期に体験してないわけやから
それの幸せが大学で来るんですよね
だからもうその
自分がいわゆる勉強っていうのを理由にして
逃げてた部分っていうのが大学で
全部襲いかかってくる感じですよね
どういうことですか
なんでしょうねだから
ほんまになんていうんかな
どうやったら人を怒らせられるとか
どうやったら人怒るとかっていうのも
あんまりわからないですよね
だからその
しじまち人間じゃないけど
ほんまにふわふわっとした
やっぱお坊ちゃんなんでしょうね
お坊ちゃん頭なんでしょうね
だから誰かがやってくれるとか
誰かが世話してくれるみたいなのが
当たり前やったんかもしれへんですね
でも鹿児島大学入って
美術部に入るんですよ
急に美術
美術部
ここで親父の話になるんですけど
うちのお父ちゃんがやっぱり
すごいそびえ立つ壁なんですよ
自分の中で
超えられへんぐらいでかい壁
ですよね
一番わかりやすい話で言ったら
大学行くのに
自分の実家大学行くって言ったら
感動されて家追い出されて
大学の学費と生活費
全部自分で稼ぎながら
大学生活を送ったって言われたら
どう思いますっていう
すげーってなる
やばいですよね
それだけではないぐらい
ほんまに自分の力って言ったらあれやけど
自分のバイタリティで
54:00
切り開いていくっていう感じ
昔からいろんな苦労した話とかって
やっぱり聞かされて
若い頃は貧乏な
生活苦しい家に生まれたんで
その話とかも聞かされながら
自分はやっぱり親に守ってもらって
生きてきたみたいな
自覚がやっぱりすごい強かったんですよ
別に悪いことしてるわけじゃないんやけど
なんかほんまに自分の力で
自分は生きてないんやみたいな
いう感覚はすごい強かったですよね
だからその父が
長らくやっぱり合唱部に所属してたんですよ
高校と大学と合唱部に所属して
指揮宝っていって
いわゆる前でタクトを振る
の役割をやったりとか
あとは僕がやっぱり小学校低学年とか
幼稚園の時とかは
和歌山市民合唱団っていうのに所属してて
そこで指揮振ったり
あとは幕間いわゆる場面転換
背中の衣装を変えたりとか
団員の人らが裏で忙しく着替えてる時に
松永背中
うちの父が松永のところでギター一本で
何百人もホール
市民会館かな
和役の横にあったホール
旧ホールですよね
あそこのショーホールかなんかで
いっぱい満席のところで前に出て
みんなで歌を歌う
一曲みんな知らない歌を歌うっていうのを
歌唱指導っていうのをするんですよ
だんだんじわじわみんな探り探りやるじゃないですか
そういうのみんなで歌おうって
でも最後の方になってきたら
親父のギターと一緒にみんなでわーって歌うんですよ
すごい何百人をまとめるみたいな
すごい存在ですよね
めっちゃかっこいいって言うとあれやけど
かっこよすぎて僕にはできへんって
思ってしまったんですよね
僕はこうはなれない
素直に受け取れるのがすごいですね
なんかそこらへんブレーキ踏んじゃうんですよね
無理みたいな
僕はこの人とは多分生きる世界が
違うんじゃないかって思うぐらい
釣りは釣りでもほんまにめっちゃこだわりの人なんで
いろんな釣りあるんですけど
奇襲釣りっていうご存知ですか
奇襲釣り奇襲の釣りなんですよ
オキアミってエビに見えるんですけど
あれプランクトンなんですよね
エビみたいなプランクトンの一種を
57:00
砂と米ぬかを湿らせたザクザクのやつがあって
それでくるんで団子にするんですよ
その団子のままチャポンと海に沈めたら
その団子って普通グシャって崩れるはずやけど
しっかり握るとそのまま団子の状態で
そこまで落ちて
トンって海の底深くまで
糸がピンと張り詰めた瞬間衝撃役があって
ここがパカッと割れるんです
そしたら中からエビというかオキアミがパッと見えるんですよね
魚さんは食いつくわけですよ
当然ぬか団子の中には鮫魚剤っていうのが入ってあって
なんかおいしい匂いがするぞって言って
お魚さんたちがわーってつつくんですよ
つついてもつついてもわーってなかなか崩れてくれなくて
一番最後のところでパカッと割れたところで
パカッと開いたところで大きい魚がそれにガバッと食いついて
大物を釣るっていう
そういう釣りがあるんですよ 奇襲釣りっていうのが
その奇襲釣り
磯でやる奇襲釣りっていうやつの研究を
親父は小学校の時に熱心にやるわけですよ
親父は釣りの人なんで
ほんまに子供の時から釣り
ああいう釣りから始まって
親戚の人に白浜連れてってもらうとかして
釣りが本当に心の支えっていうほどなのかどうかわからへんけど
ほんまに心を開放させられる遊びというか
本当に自分の大好きなこと
釣りっていうのがあって
その釣りで奇襲釣りで丸い団子を作るんじゃなくて
楕円形の中切りっていう横棒みたいな
棒みたいな握り方をして
その割れるポイントを自在に操るっていう特殊技を
親父は確か持ってたはずなんですよ
それで一回釣り雑誌に特集されるっていうぐらい
そんな話も親父がその雑誌に載って
顔写真が載って
みたいなのが僕の中でもものすごく誇らしくて仕方ないんですよ
すごいかっこいいけど俺にはなれないみたいな
なぜなら僕はそんなに釣りが好きじゃないからっていう
そんな感じですね
だから親父が
お父ちゃんがやってたことっていうのを
なぞりにいっても彼を超えることはできないって
勝手に思ってたんですよね
なんで大学入った時に合唱部には入らない
釣り研究会にも入らない
何になるか何かやろうってなった時に
高校3年生の時に夜中ちょうど
あれですよね
9.11か
ワールドトレードセンターにビルがポーンと入って
1:00:02
ちょうどイラク戦争が始まった時ですよね
ちょうどラムズフェルト国防長官ですよ
国連で今からイランを攻撃するみたいな
宣言してるのを夜中の2時3時に目ギンギンさせながら
これから世界はどうなっていくんだろうみたいな
そういう時期にNHKで老人トーミっていう
あれは誰だ老人トーミは
ヘミングウェイですか
ヘミングウェイの小説のアニメが流れてたんですよ
僕はアニメが大好きで
典型的ですよね中肉中性で眼鏡かけてて
小太りで運動神経悪くてちょっと毛深いやつがアニメ好き
あとはチェックの服着てリュックサックを背負って
ポスター丸めてカバンにブスって刺してたら
もうまっさに秋葉原で歩いてるみたいな
そういう子なんですけど
普通のアニメよりかはちょっと変わったアニメが好きなんですよ
その老人トーミは確かアカデミー賞の
短編映画部門でアカデミー賞取ってるんですよねアメリカの
それは知らんと夜に流れてるのを見て
それ一枚一枚油絵をガラス板に油絵を描いて
それを1万6千枚か2万枚ぐらい撮影して
撮られた映像だったんですよ
それに目奪われて
すごいなって感動してしまって
油絵って言うだけでもすごいのに
それを動かしてしまうっていうのがやっぱり
確か作者はアレクサンドロペトロフとかいう人だったと思うんですけど
多分YouTubeとかニコニコ動画とかあの辺にあるんちゃうかな
今でも確かあったと思うんですけど
それで油絵っていうもの自体
えってすごいな面白いなって思ってんで
美術部に入ったっていう感じですね
長かったっすね
ごめんなさいね
編集典って何?って感じだね
どうしよう
いや面白かったっす
うち嫁さんからは編集典を意識しなさいって言われて
編集典なかったっすね
いやもうノー編集でお届けします
ほんまですかすみません
美術部入って
そうです美術部入って
こっから長いんですよ
だって僕が作られていくんで
小学校中学校高校っていうのはある種そこで部品ですよね
ある種動作力というか
物を考えるっていうこととか
そういう癖を持ってるとか
ちょっとネガティブな部分もあったり
ポジティブな部分もあったりとかっていうのが
部品がわーっとあって
それが全部大学の時に組み上がっていくんですよね
1:03:03
もうほんまに人間が出来上がっていくっていう
ほんまに人間ではなかったですよね
なんか不完全な
思春期未経験の不完全なものが
大学を通過すると同時に人間になっていくような
良くも悪くもですけど
そこからどうなっていくんですか
大学1年生の時に
まず人間関係ですよね
鹿児島ってお酒の国なんですよ
芋焼酎
酒の席というのが基本当たり前なんですよね
当然酒の席っていうのに参加していく時に
夜の11時とかに先輩から電話入ってきて
今クレアにいてるから5分でみたいな
行きます!
行くみたいな自転車で走って
クレアンってクレイジーアンクルっていう
僕らの思い出のバーガー
すごい安くて良いお酒を飲ましてくれるっていうバーガーって
そこに呼ばれて
僕はお酒飲めないんで
そこでストロベリーバナナジュースを頼んで
先輩から頭はたかれるっていう
飲めや!みたいな感じでパーンてはたかれるみたいな
大学1年生の時は合宿とかもあったりとか
結構美術部
うちの鹿児島大学美術部っていうのは
ガチの美術部なんですよ
なんなガチの美術部って自分で言っておかしいな
ガチの美術部
みんなちゃんと絵を描いたりっていう
そうなんですよ
いわゆる美術部って言ったら
アニメの好きな子って言ってるじゃないですか
いわゆる高校とか中学校とかやったら
絵っていうよりかは
それはイラストでしょっていうのを仕上げてくる
人も美術部にいてたじゃないですか
漫画描いたりとか
僕はそういうイメージなんですよね
姉が絵描いてたんで
絵描くの好きやったんで
でも美術部に姉もいてて
それの影響もあんのか
でも姉は画賞部行ったから
僕は絵に行ったけど
絵心ないんですけどね
そのイラストっていうものと
いわゆる美術表現としての絵画
っていうのは切り離しましょうという
イラストとか
かわいいキャラクターとかを描きたいんやったら
漫道へ行けと
1:06:01
漫道
漫画同好会
漫画同好会行け
鹿児島大学には漫道があるから
漫道行ったらいいやんって
丸美は
丸美って言うんですよ
美術部のことを
丸美は
丸美って場所は
ちゃんと美術をやるところだからみたいな
そういうちょっと後派な人たちがいてて
作品がでかい
百合とか絶対描かなきゃみたいな
百合
どれくらい
2畳ぐらいのサイズ
畳よりもでかいみたいな
畳1枚
180の
90ですかね
90ですかね
あれ2枚分ぐらいのサイズみたいな
をいわゆる
3回生とか4回生の人らは
描かなあかん
描くのが
それが
丸美の首相としての役割であると
4回生の仕事であると
みたいなぐらいの
勢いですよね
とにかくでかい絵を描くっていうのが
それでいて
会議も多い
とにかく
年間6回ぐらい展示会あるんですよ
それをどうするかみたいな
そうとか
それの結果どうであったか
搬入室とか準備とかっていうのが
筒がなくいったのか
来年の反省点はどうするのかみたいな
前期総会後期総会
大変っすね
実は鹿児島大学学友会美術部っていうのは
その時入学時点で47代目なんですよね
もう近々50周年を迎えるっていう
本当に優勝あるサークルというか
サークル等っていうのがあって
そこも24時間デイリー可能なんですよ
逆に言ったら泊まれるんですよね
そこで生活もできるんです
泊まりながら絵も描けるんですよ
酒盛りもできるしみたいな
そういうところで
組織運営じゃないけど
美術部っていうのを運営していくであったりとか
大学祭の実行委員とかも
ちょっと騙し打ちみたいな感じでやらされて
やっていくんですよね
でも鹿児島大学って
ややこしい場所で
どういうことですか
サークルって言ったら
昔学生運動ってありましたでしょ
1970年代80年代の時に
いわゆる民生とか
角丸派とか中核派とかあるじゃないですか
過激派の流れを組む人たちが
鹿児島大学その時ですけどいてたんですよ
角丸派の人たちが確かにいてたのかな
1:09:00
リアル世代というか
リアル世代の人たちが
裏で糸を引いて
いわゆる大学内にいてる
確か僕らの時
特殊なサークルのところが
乗っ取られるじゃないけど
なんかいてるんですよ
大学祭の実行委員とか大学祭の
テーマがまずいかついんですよ
必ず行政批判が入る
政府批判が入る
僕が美術部の部長をやって
その次の年4回戦になった時に
ポスターを
首相がポスターを書くんですよ
その年の大学祭の
美術部の首相しか書けない
そういう大役があって
その時のテーマが確か
第二次安倍政権
第一次か
第一次安倍政権で
安倍さんが海洋制大調演で
ちょっと休養に入る前あたりですよね
その時の
その時に安倍さんが
美しい国って言ったんですよ
美しい国を作りましょう
みたいなことを言った時に
大学祭のテーマを挙げてきて
これでポスター書いてくれみたいな感じで
依頼来たのが
美しい国の黒い影
立ち向かおう批判と想像の精神でみたいな
いいっすね
どうですか
ガチガチっすよね
実際今となってみたら
そこの批判は間違ってはなかったかもしれへんな
って思うところももちろんあるんですけど
当時は
きっつーだよね
きっつーこんなもんね書けるかみたいな
いわゆる角丸派って
いわゆる暴力っていう手段を取ってでも
政府を動かしていこうみたいな
過激集団だったんかな知らんけど
でもそんな関係ないから
殴り込みじゃなくて怒鳴り込んでいって
そこにいてる人らも
14回生とかなんですよ
18回生とかみたいな
むしろ数字何回生って出しても
大学放り出されてるんで
学生ですらないはずなんですよ
同じ生活法じゃなくて
完全に40代いってるぐらいの
おじいちゃんとかがいてて
その人らが大学祭の運営とかに
携わってたんですよね
X回生って言ってました
X回生
未知数ですよね
いい数字は代入してください
ご相当にお任せしますみたいな
1:12:00
その人のところに行って
泣きながら訴えて
大学祭のテーマを
無理やり変えさせたっていうぐらいの
情熱を持ってるんですけど
そんな感じの結構広派な
大学だったので
その大学祭も面白くて
みこしパレードっていうのがあるんですよ
今もあるんかどうか分からないんですけど
鹿児島市内の修養道路
国道県道修養道路の
一車線を丸々刈り切って
大学生が作った
手作りおみこしが練り歩くっていう
そういう一大パレードみたいなのが
僕らの時はまだあった感じですね
そんなことをしつつも
勉強の方では
科学の研究者目指してみたいな
って言ったらいいんですけど
あんまやってないです
あんまやってなかった
美術部の運営にも
心血を注ぎまくったといったあれですけど
もう自分のキャパオーバーですよね
だって人数も
20人とか30人とか後輩とか出てきて
釈迦力でやるしかないじゃないですか
別に自分自身まとめる力もないのに
鹿児島地区大学美術連盟の
委員長やってみましたとか
美術部の部長やってみましたみたいな
出来もせえへんことをやりに行って
ぶっ壊れに行くんですよ
その間も作品を描かなあかんくて
年6回あるうちの
どの回でも大作を描かなあかん
どこにあるんですかそんな時間
勉強しながらみたいな
なるほど
でも留年するわけにはいかへんので
最低限のタイミングとあれを取りながら
卒業に向けて年齢を重ねていってしまうわけですよね
言うてる間にまた就職とか
そうなんですよ
でも就職なんか別に頭になくて
とにかく美術部みたいな
頭になっちゃってますよね
当然その学業のほうは
順調におろそかになっていって
でも研究室選ばなあかんじゃないですか
どこの研究室に所属するか
そこで目に留まったのが
光職場
職場はい
光職場ってなんやろ
実はその光職場っていうのは
簡単に言うと
光を当てると
水を分解して水素と酸素に分けちゃうんですよ
水素が作れる
水素自動車動かせますよね
1:15:00
水ってぐつぐつにいても水は水じゃないですか
水素って火つけたら燃えませんあれとか
エネルギーの塊ですよね
ある種
水からエネルギーの塊
ガソリンみたいなものを作れるんですよ
これ完全にタミヤ先生の言ってた
Aは二酸化炭素と水を混ぜて
それを通過させたらガソリンできる
っていうのと同じじゃないですか
光職場っていうものがあって
日光ないし紫外線を当てると
水ないし有害物質
環境ホルモンとか呼ばれるもん
固くて崩れにくいダイオキシンみたいなもんでも
時間かけて潰してくれるんですよ
それを研究してる先生が学部にいてた
もう俺には光職場しかないみたいな感じで
美術部もやりながら光職場の研究室に入ろうと決めて
いろいろ動いていって
無事そこの研究室に所属できるようになった
ところが一つ自分の中での
ターニングポイントになったかなっていう感じですね
光職場っていうのはすでにあるものじゃなくて
これから見つけようみたいな研究なんですか
そうなんですよ
もともとは1970年代ぐらいに東京大学で
本田先生っていう方と藤島先生
ノーベル賞候補ですね
もう毎年のようにノーベル賞候補に上がってます
その人が本田藤島効果っていうのを発見するんですよ
カメラの現像フィルムの研究をする研究室に
本田先生と藤島先生っていうのはいてあって
そこに酸化チタンっていう
いわゆるお化粧の材料とか
いわゆる白の顔料に使う酸化チタンっていうのを塗り付けて
それに紫外線を当てる実験をしてたら
酸化チタンの塗った膜の表面に
気泡が現れ始めた空気の粒が
なんか気体がくっつき始めて
それを集めてみたら水素と酸素だったんですよ
水を分解してるじゃないかと光が
これに光触媒っていうのを名前付けようっていうのを
今現時点で僕が学生の時で
東京大学の堂面一成先生っていう方がいてて
その堂面先生も毎年のように
ノーベル賞の候補に上がってるんですけど
その人は紫外線だけじゃなくて
太陽の通常の赤とか緑とか青とかっていう
可視光って呼ばれるのをそこに当てると
もうふわーって気体が吹き出してくる
可視光応答性光触媒っていうのを
もうすでにその時開発してたんですよ
今多分どっか新宿大学かなんかにいてはって
1:18:00
今実証実験の最中かなっていう感じですね
そういうすごい人に出会ってしまったんですよ
大学3年生4年生の
でも完全に自分を見失いますよね
だって自分いてなくてもよくないですか
そういうもんなんですか
もうやってるやんっていう
この人らもしくはこの人らのお弟子さんとかがいてたら
多分この研究分野ってずっと続いていくやろうなって
思っちゃったんですよ
やることないですよね
もう完全に自分自身が高校の時に抱いた
触媒っていう何かを科学変化させるっていう
願望というか科学変化をさせて
もう世界のエネルギー問題を解決できるかもしれないみたいな
夢がもうすでに取り組んで人いてるやんけみたいな
もう俺やることないやんって感覚になっちゃって
そういうもんなんですね
大学4年生終わって
大学院にも一応進学するんですけど
でももう何か違うなみたいな感じで
就職活動でもすっかって言って
こっち帰ってくるっていう
帰ってくるのは鹿児島で就職とかは考えなかったんですか
したら楽だったでしょうね
鹿児島ってやっぱり鹿児島大学一大ブランドなんで
鹿児島大学罰みたいなのがあるぐらい
ほんまに鹿児島銀行とか
テレビ局3つあるでしょ
KTVとか南日本放送みたいな
そのテレビ局とかいろんな部門部署に
やっぱ鹿児島大学っていうので結構信頼されて
就職活動ができる
そこで就職すりゃよかったんですけど
なんか自分って和歌山に両親残してるし
家族もいてるし
なんか帰ってくるもんやろみたいな
和歌山帰ってくるのが当たり前みたいな感じで
で帰ってきましたっていう
そっちで就職活動
そうですね ネームバリューゼロですからね
でもまあ国立大学なんで
国立大学でしょ
でもすいません 自分で入れたコーヒーを
ちょっとコーヒー屋らしい音が出ました
でも
就活どんな感じですか
学業やってない
だから自分の専門性っていうもの自体深めたりとか
勉強において自信があるっていうのが
高校の受験までなんですよ
大学の中での勉強っていうもの自体に
そこまで自信持てないんですよね
だから面接の時とかでもあんまり言えないんですよ
1:21:01
しゃべる内容が学業じゃなくて
美術部の話ばっかりなんですよ
しゃべればしゃべるほど矛盾しますよね
お前何しに大学行ってたんよって
落とされますよね
しかも大学院を中退してるんですよ
なんでやれへんかったん修士までって
なんで途中で辞めたん
どういう理由があったのって聞かれた時に
教授が僕がやりたい研究やらせてくれへんかったから
っていうのが一番の理由だったんですけど
それはそれで与えられた研究を自分でやればいいじゃない
って言われたらこっち何も言えない
落ちまくってみたいな
就職は人生で一度も全敗ですね
どこも内定というものはもらったことないです
お祈りメールしかもらったことないです
祈られてばっかり
大学入学するまでは
ずっと自分の中で実力が上り調子になっていくイメージなんですけど
大学を中退したっていうところと
美術部にのめり込んだっていうところで
自分自身のキャリアそのものっていうのは
完全にぶった切ったイメージですよね
終わったって感じです
全てがゼロになるっていうイメージにも近いですかね
そこからどうするんですか
就職もそこそこいいところも
いいとこまではいくんですけどね
でもやっぱり最終面接とか
ああいうところで疑われるんですよ
資質を
それが繰り返されて
中退アフロタナカって漫画知ってます?
アフロタナカシリーズ
スピリッツでやってたやつ
あれも結構壮大風な夢を描きながら
彼がいろんな社会に揉まれながら
いろいろな妥協を繰り返していって
今や結婚して子供いてるんかな確か
そんな感じで
就職もだんだん大手産ばっかり受けてたのが
違うところも受け始めて
自分は地元へ帰ってきたとか
和歌山で両親いてるからみたいなことを言いながら
他府県ばっかり就職行って
なにやら東京まで就職活動に行って
最初言ってたことは一体何やろうみたいな
妥協に妥協を重ねて
最終的に和歌山県警受けるんですよね
和歌山県警も体力不足やけど
なんとかいろいろ毎日走ったりとかして
シャトルランクリアして体力もクリアして
1:24:01
試験もクリアして
面接で一番最後に面接官と
ちょっといい争いになって落とされるっていう
そこからですよね
海南にトムソー屋さんって
ピザ屋さんというか
ピザとパスタのお店
あそこがバイト募集してるっていうので
募集あったんで
働きたいです
千と千尋みたいな感じで
ここで働かせてくださいっていう
なんでまた
よく通ってた客やったんで
母が好きやって
ここでバイト募集してる
僕はもう就職活動と言いながら
月に2,3回の就職活動しながら
家でオンラインゲームをしてるという
クズ生活を送ってるわけですよ
中夜逆転クズ生活みたいのをしてるので
自分でもやっぱりそれはあかんって
思ってたんで
でもバイトするって言っても
大学の時に一回
飲食店で買い送ってるんですよ
居酒屋兼定食屋みたいなところでバイトしてるんですけど
時給500円で働いてます
安っ
ほんまになんもできへんというか
そこの店長さんというか
大将から見たら
ほんまにグズやったんでしょうね
最初500円で働いてて
2ヶ月後にようやく620円に上がるみたいな
最終1年働いて650円しかもらえない
最低賃金より下っていう
もうないですけど
そこの定食屋はもうないですけど
でもそんな働き方しかしてない人間が
他のバイトなんかも怖くてできへんみたいな
どんな扱いされるか分かれへんみたいな
でもここやったら
なんか受け止めてくれそうみたいな感じで
そこでバイト働いて
いいよって
裏で洗い物と
ピザを焼く
仕事をやらせてもらうことになるんですね
そうなんですね
それどれくらい続くんですか?
3年ぐらい
めっちゃやってる
その間は兼計受けたりとか
就職はボコボコ落ちて
そこのパパちゃんって
イタミさんっていうオーナーさんに
いろいろ励まされながら
励まされたり
ポンちゃんどうすんのよこれからみたいな
これからこうしていきたいですみたいな話を
いろいろ聞かされながら
でもほんまに僕の
このお店でできる原点やな
やっぱりめちゃくちゃ影響を受けてますよね
どういうところですか?
1:27:01
イタミさんそのものが
言い過ぎじゃないと思うんですけど
和歌山DIY界の神ですよね
超えられない巨人です
そういうお店なんですね
トムソーヤって
建物全部作ってますもんね
きっとから
あそこの食器
全部作ってます
パパちゃんは
家族も含めてでしょうけど
柱そのものも
昔の木の電柱とかも
そのままそっくりそのまま作ってて
もう
まだ
トムソーヤの
今のお店の
上に実は
音楽堂みたいなの
作って
結局完成しなかったと思うんですけど
でも音楽堂みたいになって
ここでライブをするんやみたいな
構想まで聞かされて
こんな
僕やったらもう身一つあっても
何十年かかるか分かれへんことを
6年とか10年とかみたいな
スパンで
きっちり作っていくんですよね
ガラス細工もできる人やし
焼き物もするし
ピザ窯は焼き窯
陶芸用の窯くり抜いて
ピザ屋さんとパスタやってて
家族でやってるとはいえ
ほんまにすごい
しつらいですよね
カボチャのプリンっていうスイーツがあって
カボプリって略すんですけど
カボプリ注文入ったら
めちゃくちゃテレビに取り上げられたとかして
お客さん詰めかけてて
ゴールデンウィークとかほんまに
何時間も待ってるみたいな
ものすごい大繁盛してる時期に
僕も一緒に働いてて
赤井秀和が取材してくれたときかな
そんな忙しい時でも
カボプリの注文入ったら
ポンちゃん悪いなちょっと頼むわとか
トマトソース塗っといてって言われて
トマトソースチャーって塗りながら
パパちゃん外へバーンって出ていって
しばらくしたら戻ってきたら
花をハサミで切って持ってくるんですよ
近くに生えてる野草じゃないけど
ゆりの花とかみたいな
その時季節の花みたいなのを
高枝切りバサミでパチッと
ミモザ切ってきたりとかして
それをお皿にファッて添えて
出すんですよ
かっこいいな
かっこいいなっていうか
お客さんにやっぱり景色ごと
楽しんでもらいたいっていう
気持ちみたいなのがあって
ポンちゃんこれはどんなに忙しかっても
これはちゃんと描かせてあかんなや
っていうのを何回も見せてくれるんですよね
この考え方とか
そのものづくりとかに関する
1:30:02
イメージとかっていうのは
やっぱ彼から学んだこと
すごい多いですよね
ずっとずっと自分の中の柱みたいな
でも永久に超えられないですよね
言われてみればこのポリトコーヒーも
トムソーヤエッセンスじゃないですけど
なんなんですかね
空気感というか
あるような気がしますね
そうでありたいというか
結局憧れてしまったんで
それをやっぱり
どう自分の中で消化していくかっていうところですよね
そこはやっぱりいつも今も考えてますよね
その何歳ぐらいのときなんですかね
20代後半ぐらいをトムソーヤで働いて
26、27、28とかそんなんかな
そのあたりですよね
トムソーヤを辞めるっていうのは何かきっかけあったんですか
塾の仕事がそのとき始めてたんですよ
アルバイトから始めるんですけど
個別指導の塾で働き始めるんですね
警察資金落ちてから
もう自分には勉強を伝える
勉強を教えるってことしか残されてなかったんで
手持ちの道具でお金頂けるっていうのはそれしかなかったんで
でも農会とかGSとかみたいな大手さんは
全部メール送っても返事も受けえへんみたいな状態で
ちょっととある個別指導のところで働き始めたんですよね
そこが縁になって
ちょっとまた次の展開が起こるんですけど
どういう展開ですか
個別指導で働いてたときに
奴隷の先生がいわゆる非常勤講師なんですよ
中学校とかの
ちょうどリーマンショックの後なんで
緊急雇用対策みたいなんで
いわゆる各学校一人は
ティーチングアシスタントみたいなのを
緊急雇用で雇わなあかんみたいな
雇い枠みたいなのがあるよと
ヤンヤン先生 日中どうなん 暇なんって聞かれて
暇ですって 何もやることない塾なんで
だって4時ぐらいから来ればいいんで
4時までやったらいけますって言ったら
そうしたら岩手中学校の
ティーチングアシスタントの仕事あるから
来たらみたいな
で緊急雇用対策学で就職
就職というか臨時雇用みたいな
学校の先生もやってたんですね
1:33:00
ところが僕免許持ってないんですよ
ティーチングアシスタントなんで先生じゃない
生徒さんが分かれへんって言ったことを
ちょっと後ろでサポートするだけで
前で教えることはできない
でも廊下に落ちてるガム削ったりとか
めちゃくちゃゴミ溜まった掃除機掃除したりとか
図書館の昼休憩に図書館の盤やったりとか
そういう感じの雑用もこなしつつみたいな
次今度は技術音先生のお手伝い行ってとか
みたいな感じで半年ぐらいかなやるんですよね
その時にずっと気になってる場所があって
岩手の船渡って分かります?
船渡ってなんか橋がホテル伊東とか
そうそうホテル伊東から岸川の方に
大きく橋渡るじゃないですか
そっから岸川の方へ曲がると
反対方向行ったら和佐の茶豆さんのところに行く
そういうと違う岸川の方へ曲がっていったら
その道中のところに木のログハウスがあるんですよね
ジェイクの本社があったんかな
パチンコのジェイクって会社があって
佐川急便とか事務所とかもそのあたりにあるんですけど
そこの近くにログハウスがあって
そこのジャランジャランっていうところが
ずっと前から気になってたんですよ
どれくらい前から気になったかっていうと
うちの姉が高校生だから
僕が小学校6年生とか中学校ぐらいの時から
そこでジャズのライブをやってるという噂を
うちの姉が聞いてて
姉も僕もピアノやってたんで
その時に姉がジャズピアノがかっこいいみたいな感じで
ふわふわ思ってた時期があったみたいなんですけど
その時にジャランジャランっていう場所で
実はライブがやられてたっていうことだったんですよね
あの日のログハウスのところには
あんなちっちゃいけどライブハウスなんだっていうのを聞いてたのを
ふわっと思い出して
ふらっと寄ってみたんです
これがもう一つのターニングポイントって言うとあれですけど
どういうことですか
あのー
まあなんていうんかな
そこの青柳さんっていう方がオーナーさんなんですよ
なんて言ったらいいんでしょうね
ライブハウスなんですけど
即興音楽
音楽の即興性っていうもの自体を探求する
ライブハウスなんですよ
即興って分かります?
1:36:00
即興
まあ僕も分かりますって言って分かってるわけじゃないんですけど
即興音楽ってどんな感じのもんかみたいな
みんなでセッションしてみたいな感じですか?
でもセッションって結構コード進行とかあるじゃないですか
コード進行だからこう気持ちいいリズムとか
気持ちいいコード進行とかでジャンジャンジャジャンみたいな感じでやっていくみたいなのが
イメージする即興だったんですけど
もうそこはコード進行とかもなしですよね
完全即興
それは音楽としていい感じになるんですかね?
それがやっぱり音楽家と観客の仕事なんですよ
なんて言えないんですけど
僕自身もなんて言えないんですけど
形になっていくんですよ
音楽になっていくんですよね
聞いたことないフレーズなんですよ
その場その場の流れで出来上がっていくんですよね
でもどんなものをやったかはもう忘れるんですよ
もう次の日にはもう消えるんですけど
ただ記憶としてすごいものを聞いたっていう感覚だけ残るんですよね
それが僕の中でも感動的すぎて
ジャランジャランに入り浸り始める
岩中行って火曜日早上がりなんで
火曜日は塾行く前にジャランジャラン寄って
そこでコーヒー飲んでから行くみたいな
そこも手編み売船やる
そこでコーヒーに出会うみたいな感じですか?
そうですねコーヒーを飲み始めるっていうところですね
今はもう葡萄の仕事忙しい
葡萄農家さんなんで直売所もやってて
多分今年も8月の頭ぐらいから葡萄あるはずです
美味しいです
30種類ぐらいあるのかな
10月の末ぐらいまで葡萄ずっとやってる
本当にそれも美味しい
でも葡萄の作り方もちょっと即興なんですよね
葡萄の畑の草の茂り方とかもこだわりがあるというか
それによってか分からへんけど
やっぱりすごいはっきり香りが分かる
すごく甘くて美味しい葡萄を作り張る方なんで
美味しいです
なるほど
そこでコーヒーに出会ってどうなっていくんですか?
普通に客だったんですけど
ある時に岩本さん何か出してみえへんって言われて
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そこの葡萄農家さんなんで
秋に収穫祭をやると
収穫祭の時にそこで音楽のライブもすると
なんかそこで出してよ
なんかやってよって言われて
そこで何しようってなった時に
ちょうど家で炭酸水作る装置を
僕がその時家でネットで見た作り方のまま
炭酸水作る装置を作って
親父が焼酎割り飲んでたんですよ
でもその焼酎割りのソーダを開けて飲んだら
炭酸のたの字もないんですよね
ほぼ水やんみたいな
冷水シュワシュワがないんですよ
開けて閉めて開けて閉めて繰り返して飲んで
この炭酸気のづけた炭酸をこんな働いてくれてる
こんなろくでなしを買ってくれてる親父が
こんな炭酸で炭酸割りを飲んでいいはずがないみたいな
なんかもうこれは僕が作らなきゃみたいな
炭酸水を作る装置をネットで調べて
緑のボンベにレギュレーターかませて
アサヒのレギュレーターかませて
ペットボトルにノズルとか弁みたいなのつけて
それでガチャッと
当然それはネットにレシピというか
機械の作り方は載ってあって
安全性は度外しですけど
それで炭酸水作れるようになってたんですよ
それでマスターに
じゃあ壮大さんやりますと
やれやれ出せ出せって言って
で壮大さんを始めた
オーダーメイドの壮大さんってどんなかというと
踏まないだけど
01:42:45

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