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皆様おはようございます。今日は5月6日、水曜日。 ゴールデンウィークの最終日ですね。
ちょこっとはちみつラジオのけーこです。今日は、個人的なお話、ちょっとさせてください。 実はね、今日5月6日は父の命日なんです。
亡くなってからもう14年になるのかな。 72歳で大腸がんでした。
父は三重県の山藍の村で生まれてね、 頭は多分結構いいタイプだったと思うんだけれども、
兄弟が多くて、上の学校に進まずに、そのまま就職をしたっていう話を聞いています。
そこの会社、三菱重工という会社なんですけれども、 そこの中にいたこと、そこで働けたことをすごく誇りにしていた人でした。
いわゆる昭和のサラリーマンなので、 本当に24時間働けますか、みたいな働き方を親族やってました。
自衛隊関係の仕事も多くしていたので、それぞれの全国の基地を飛び回ってて、
出張に一度行くとね、しばらく帰ってこないみたいなね、そんな働き方をしてました。
でもそれはそんなに嫌なことじゃなくて、 父にとってはそれが人生そのもので、
会社に自分の時間も人生も捧げて頑張ってた人だったんだろうなって思います。
私は4人姉妹なんですけれども、その3番目っていう話を前もしたかもしれないんですが、
父っ子だったんです。小さい頃は父が出張に行くと、いつも父と寝てたので寝れなくなっちゃって、
そんな時に、今でも覚えてるんですけど、母が父人形なるものを作ってくれて、
父の顔っぽいのを作ってくれて、それに父のパジャマを着せて、それで一緒に寝てたことがある、
うん、ふうでした。
そんな父がね、やっぱりそんな24時間働けますか?の働き方をしていれば、
無理が重なるわけで、何だろう。
十二市町開業とか異開業とかはね、もうしょっちゅうやってましたし、
あの、お家のトイレが真っ赤かに染まってるのを見たことあるんです。
で、それとか、あと、えっと、心筋梗塞を起こしたりとか、心筋梗塞はね、確か青森か北海道に行ってた時に起こしちゃって、
で、コンビニの駐車場でその状態になってしまって、意識を失って、
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コンビニの店長さんが気がついてくれて、救急車呼んでくれて、それで一命を取り留めたっていう、そんなこともありました。
で、そんなこともあったので、私、あの、看護師いいなって思ったような、そんな記憶があります。
この、大腸がんになってからも、えっと、大腸がんから、あの、白血病的な症状も起こして、
で、あの、多くの皆さんのね、あの、輸血とかさせていただいたりしたり、うん、して、長く治療させていただいてたんですよね。
で、えっと、父が通ってて、最後入院させてもらってた大学病院も、
ほんとすっごい看護師さんとかお医者さんがおられて、すごく丁寧にたくさん支えていただいた、うん、と思ってます。
あの、すご腕のね、ナースさんとかが、あの、もう血管、普通の人だと血管取れないんですけれども、
その人だけはスッと、あの、採血や、えっと、点滴の針入れることができて、
えっと、ほんとはその方はもう定年でおやめになった後も、なんか父の受診日だけわざわざ来てくださったりとかしてて、
ほんとにありがたかったなぁと、神のような人だなぁと思ってました。
で、えっと、ただ、そんな父の最後はね、あの、正直見ててとってもつらそうだったんです。
まず、えっと、こう、体が思うように動かせない、いいけれども、
でも身の置きどころがなくて、楽な姿勢も見つからなくて、どうしていいか、みたいな、そんな様子で、
で、あの、医療って命をつなぐこと、命を救うことが前提だもんだから、どうしても死が負けのような扱いになってしまって、
でも、その中で過ごす時間、そういう前提で過ごす時間がね、本人にとって本当に良かったのかなっていうのは、
ちょっと、あの、その時から疑問に思ってました。
で、なので、あの、もっと違う関わり方があったんじゃないかなっていう気持ちを引きずりながら、
父が亡くなった後もずっと持ってたっていう感じですね。
その経験があって私は、あの、お家で見送るっていうこととか、
あとはその人らしい最後をどうやって過ごすかっていうことにすごく興味を持ってしまって、
えっと、みどりの勉強をしたり、えっと、ホスピスの関係のことを調べたり、
今のおしまいに向き合う活動っていうのにつながっているんだろうなって思っています。
そんな父が亡くなったのがね、このゴールデンウィークの最終日、5月6日で、
その当時はまだみどりの日なかった気がするんですけれども、
ちょうど5月の6日で何か振替休日かなんかでお休みだったんです。
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私その頃、もう子供もいたので、あと仕事も忙しくて、
お見舞いもそんな長い時間行けなかったんだけれども、
ゴールデンウィークだったもんだから最後の方の数日間はね、
なんか病院で一緒に過ごすことができて、
泊まりとかもさせてもらってっていうことができて、
嬉しかったなっていうふうに思っています。
最後5月6日の日は、5月5日の夜泊まってたので、
6日の朝にね、母が交代できて、
じゃあ今日は私がいるから大丈夫って言って、
お家帰って休みなみたいな話をされて、
お家に帰ってお風呂に入って、でもなんか戻らなきゃって思って、
主人に子供たちのことも頼んでね、引き返して、
そしたらやはり呼吸が怪しくなってきていたので、
いろんな方々に連絡を取って、最後に立ち会っていただけるように調整して、
みたいなそんなことをすることができました。
そういう意味でね、父ってものすごく段取りを大事にする人だったので、
最後まで父が整えていったなって今でも思っています。
その時に、うちの母って身内の霊が見えるタイプの人らしくって、
私が一生懸命連絡を方々にしている中で、
黒いもやがとか、お迎えがとかずっと言っていたのを何となく思い出しました。
今日はそんな父のことを思い出しながら、
そしてこれって私の今の活動の原点なんだなと思って、
ちょっと振り返りましたので、そのお話させていただきました。
ゴールデンウィークの最後の日にこんな長々とお話を聞いてくださって、
最後まで聞いてくださった方がありましたらありがとうございます。
それでは、今日も良い一日をお過ごしください。ではね。