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ひどいことをされてきたのに助けるという運命
2026-06-03 23:19

ひどいことをされてきたのに助けるという運命

私はずっと家族に尽くしてきた運命なのだな。気持ちや時間やお金を尽くしてきたのに、大事にされなかった、雑に扱われた、裏切られた、見放された、そんなことをされても、困っていたら、苦しんでいるのをみたら助けてしまう。放っておけない。これはなんだ?宿命なのか?義理や同情でなくて、嫌々ではなくて、これって、自分が好きでやってると気づいて笑う。
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サマリー

長年、家族、特に母親との複雑な関係に苦しんできた語り手は、経済的・時間的な犠牲を払い続けてきました。かつては縁を切ったものの、再会後も続く母親の依存に対し、自身の内面が整ったことで、嫌々ではなく自ら進んで助けるという新たな境地に至ります。この経験を通じて、自身が世代間の負の連鎖を断ち切る「ストッパー」としての役割を担っていることに気づき、今後は自分を大切にし、尊重してくれる人との関係を築いていきたいと語ります。

家族との複雑な関係と経済的負担
はい、こんばんは。ちょっとね、連続して母の話をしているんですが、それぞれ皆さんもいろんな親子の関係があるかと思うんですが、
まあ一部のね、仲のいい方には、私と母の関係というのは話しているんですが、あんまりね、その、私、家族の話をこう、
悪いところというか、愚痴とか不満とかね、悪口みたいなことを言うのがちょっと嫌なんですよね。
嫌なんですが、世間で言われる毒親っていうやつ、毒親って何ですかね、こういろいろあると思うんですけども、暴力を振る親とかね。
暴力もいろいろ種類があって、昭和の時代にはね、ビンタとか、ビンタとかはされてましたけどね、頭を叩かれるとか。
でも本当にこう、あざが残るぐらいに虐待するとか、そういうのを除いては、ちょっと怒られて頭を叩かれるとか。
いやまあそんなんはいいんですけど、怒られて叩かれるとかいうのはね、ありましたけど、そういうことではなく、
ちょっとお金にルーズというかかなり、私がすごく苦労したというような親子関係だったんですね。
本当に貧乏だったんですけど、私が養ってずっと私がお金を出してきたっていう
家族やったというか、家族全員にね、なんでこう次から次へと私がこんな出さないといけないのだというような運命だったわけなんですよ。
過去の絶縁と再会後の葛藤
で、こうあまりにもね、お金をこう取られるので縁を切ってたんです、実は。
20年間ね、何かこう殴られるとかそういうことじゃなくて、このまんまだと時間とかエネルギーとかお金を奪われるなと思ったから離れてたんですよ。
でね、数年前にね、やっぱり産んでもらったことには感謝しないといけないから、そのことだけお礼を言いに行こうと思って、
自分が整ったから、余裕ができたからね、会いに行ってありがとうみたいなこと、元気かみたいな感じで話しかけて、そこからの付き合いなんですよ、母とね。
で、もうあんたには迷惑かけないわと、もう本当にごめんな、本当に情けない親でごめんと言ってもらったんですよ。
そこからのこの3、4年っていうのがやっぱり迷惑をかけてくるんですよね。迷惑を本当にもう何々が壊れた、冷蔵庫壊れた、エアコンが壊れた。
やっぱり、お金をもう貸すって言ったら返せないからね、出すっていう感じでやってきて、私はね、親孝行のつもりで出してきたんですけど、
で、私も今会社員じゃないので、めちゃくちゃ余裕があるわけじゃないから、そんなに出せないところを出してきたし、今回もね、倒れたことによって仕事も休んで、ずっと病院通ってっていうことで、時間もお金も使ってるわけじゃないですか。
状況への新たな視点と自己認識
今日の話はですね、また同じ状況になっているけど、20代の時はそれがもう嫌で嫌でできなくて縁を切ったわけなんですけど、その時と同じ状況なのに、私は大丈夫というか、見えてる世界が全然違うんですよ。
どういうことかというと、親がどうあろうが、状況がどうあろうが、自分が整ってたら対応できるんですよね。周りにどんなひどい人がおろうが、どんな劣悪な仕事環境であろうが、家族環境であろうがね、自分が整っていれば対応できるっていうことです。
それで気づいたんですよ。今回もね、悪くとったら迷惑かけやがってと、どうしてくれるんだみたいな愚痴とか不満が出そうなんだけど、私ね、この音声でもそう言ってるけど、なんか大変だったんだけど、
客観的に自分を見れるので、めちゃくちゃ疲れたし、めちゃくちゃ嫌やったしね、もう大変やったんですけれども、いい経験したなという感じで、今の私の気持ちがね、母があと2,3週間後くらいに退院できるんですよ、先生の話では。
ご飯もちゃんと食べてるし、前よりも元気になったというか、前回話したけどね、パワーアップして戻ってきたみたいな、80の母が。
こうなってきたら、母はさらに一層私に感謝をしてるんですよ。本当にあんたにはお世話になった、迷惑ばっかりかけて、本当にごめんと言われたから、確かに迷惑もずっとかけられてきたなって言ったんですよ。
けれども私は、生まれてきたのは、やっぱり親を助けるために生まれてきたのかなって言ったんですよね。ほんなら、それでも限度あるわなって、助けてもらってばっかりやって言って泣いてたんですよね、親が。
でね、そういう状況なんですよ。これね、皆さんね、また親が皆さんの病気になったりとか、助けないといけない時に皆さんはどうしますっていう話なんですけど、これなんか正論で言うと、親から助けるのは当たり前、子供が親の面倒を見るのは当たり前っていう正論があるじゃないですか。
でもね、家族のいろいろな事情っていうのは、やっぱり見れない過程っていうのもあるのかなっていうね。私はね、結構ひどいことをされたり裏切られたりしたのに、相手が悲惨な目にあっていると、ほっておけないから助けてしまうっていう性格なんですね。
そういうことをずっとやってきたんですよ。すごいひどいことを言われて、ひどいことをされたのに、やっぱり助けてしまう。今回もそれでね。ほんでなんか嫌々やってるんじゃなくて、もう自然にやってるんですよね、それを。
これは母のことだけじゃなくて、夫のこともそうですけど、嫌々やってるんじゃないんですよ。やりたくて見てるし、やりたくてやってることなんですね。でもそういうね、なんか宿命みたいなものなのかなって思ってて、やっぱり全部は好きで作ってるわけなんですよね。
母の退院とささやかな喜び
ほんでね、母のことにおいては、これからが大変ですよ。また退院できるって言っても、いやおめでとうございます、退院おめでとうございますってね、若くないんだから、おめでとうじゃないわけなんですよね、実は。
だって一人でやっていけないだろうし、もうまず買い物はいけないし、また私が行かないといけないわけですよね。私が買い物をして、ある程度作っといて、冷蔵庫に入れてみたいな。冷蔵庫もちっちゃいから入らないし、買い替えなあかんかなぐらいの感じになってるんですよね。
時間もかかるし、またお金もかかるみたいな状況じゃないですか。で、病院に通院するにはついてきてみたいなね。で、ついて行ってタクシー乗ってみたいな。またお金もかかるし、時間もかかるじゃないですか。で、この状況どうですかね、皆さんどう思います?
私の正直な気持ちを今話したいと思うんですけど、母が退院して家に帰ってね、何が楽しみって聞いたときに、マクドナルドのポテト食べたいって言ったんですよ、病院で。今病院食のお粥とか食べてるからね。そっかポテトかと。
で、私はね、アイスも食べたいって言ったら、うんアイスも食べたい。で、病院で話してるときに、かずこちょっと病院の先生にアイスをコンビニで買ってきてほしいと。食べてもいいか聞いてくれるって言われて、聞きに行ったらダメって言われたんですよね。
やっぱり分飲食しか食べたらダメでね、あんまり変なものを与えてね、また変になったらダメなんで、アイスが食べたい、ポテトが食べたいと言ってて、それ夢見てるわけですよ。で、私はね、それを聞いて、その夢早く叶えてあげたいなと思ったんですよね。
で、病院退院して一緒に家ついて帰って、帰ったら掃除してなって言われてて、家を。ほこりだらけじゃないですか。1ヶ月空けてたからね、1ヶ月ぐらいか。で、私は掃除をして、買い物行って、食べ物買ってきて、でさ、アイス食べようかと。
で、今梅ジュースをつけてるからね、この梅ジュースも母に飲ませてあげようと思って作ったんですよ。で、これ梅ジュースを持って行って炭酸で割ってね、乾杯お疲れ様でしたって言って、アイス美味しいなって言って、食べるのが楽しみになってるんですよ私。
頭おかしいんかなと思いますよ本当に。どれだけひどいことを、どれだけね今まで何回何年迷惑をかけられて奪われて、何にも特に何かを買ってもらったわけでも、なんかしてもらったわけじゃないのに、何を私は一体またしようとしてるのか。
弟との対比と自身の引き受け癖
本当に頭おかしいと思う。なぜかというとね、弟が来た時に弟は一切何もしてくれなかったの。自分の家族は立派に育ててるけどね、自分の家族のことだけで、ああもうちょっと用事あるし帰るわみたいな。
で、びっくりすることに、なんかお見舞い金みたいなね、俺何もできひんし、長なんですよ。俺何もできひんし、これちょっとっていくらか包んでくるとか、なんかお花持ってくるとか、もうちょっとしたお菓子持ってくるとか、したらいいやん。嫁もいいんやから。
何もなくて、顔を出して、なんか憎たらしいこと一言二言言って、帰るわみたいな。で、謝るっていうのもないし、お礼を言うっていうのもないし、びっくりした。その割り切りにね。
じゃあ本当にこの話は家族の恥を晒すようだけど、弟はマイペースすぎるし、さっぱりしすぎてね、これだけ境界線引いてくるんやなってことに、もう呆れちゃって怒りよりか。
なんかもうただ面白い、何も考えてないやつみたいな、そんな感じなんですよ。ちょっと見習いたいくらいでね、私ってやっぱり引き受けすぎなんやなと思ってね。弟にも散々いろんなことをしてあげたのに、特にお礼もなくっていうね。
じゃあもう、何なんですかね。してあげたのにとか、でも思うぐらいだったら、もうしない方がいいのかもしれないね。これからの人生はね。だからそういう引き受け癖の人生を卒業しようかなと思っててね。
母の生還と満たされる心
母のことだけは、せっかくの生還して、あとプラスアルファのボーナスタイムみたいなもんじゃない?母の人生って。あんな大手術で蘇ってきたって、ちょっとね、私どんびきしてるんよね、結構。
なんで生き返ったん?っていう感じがしてて。でもね、あのまま亡くなってても別に、私はそうですか、お疲れ様でしたと思うんだけど、生き返ってね、この間3時間ぐらい病室で喋ったんだけど、すごくいい感じだったのよ、母が。
母が私に感謝してて、優しくて、今まで生きてきた中で一番ちゃんと会話ができたというかね、話を聞いてくれたというか、なんかね、ちょっと変な話だけど、これだけやってきて、私はただ母が私の話をゆっくり聞いてくれたっていう時間だけで満たされてたのよ。
どう思う?この私のハードルの低さ。これだけで私喜んでる。母が喜んでありがとう、あんたのおかげやわって言ってくれたことが嬉しい。そして退院できて、一緒にアイスクリームとかポテトを食べられることを私は楽しみにしてるのよ。
どう思う?これ。毛投げで尊い。なんかアホっていうのと、神ひとえよね。素晴らしいのか、私はアホなのか、頭おかしいのか、皆さんはどうなんですか?
もうね、お世話になった親だったら、やっぱり親にお金かけてもらって、すごい育ててもらった感謝の気持ちで親を見るっていうようなご家族の方は本当に羨ましいですよ。それが普通だと思うんですけど、私みたいにね、親からひどいことをされてきた人間が、やっぱり親を見捨てられずに、また助けるっていう運命になってるんですね、今。
それが嫌々やってるんじゃなくて、別に見捨てることはできるんですけど、でもそれをしないで楽しんでるっていうね。
で、その梅ジュースこれ持って行ったら、母の分もつけとこうと思って、またつけ始めて、持って行ったら喜ぶやろうなとか、もう一台新しい冷蔵庫を買ってあげようかなとかね。
何なんだろうね。なんかやっぱりこう、痛がって苦しんでるところをかわいそうや、助けたいってもう心の底から思っちゃうんですよ、私。なんかそういう人間みたいで、いやこれね、いい人間とかじゃないと思うよ。ただのなんかもう、アホやなぁと思いますけどね。どうなんですかね。
幸せの再定義と今後の人間関係
いやでもね、今ちょっと本当にね、なんて言うの、何の不満もなく、なんか整ってるっていうか、いいんですよ、これが。
人の幸せってわからないね。何が幸せか。なんかこう、お金持ちの両親からもたっぷりとお小遣いをもらって、ブランドのものを買ってもらい、こう、満足、何て言うの、それが幸せとも限らないというか、私はそっちは要らないんですよね。
与えたいという人生なのかなぁ。けれどももう、怒ってる自分もいるしね、やっぱりやりきれないなっていう自分もいるから、これからの人生はね、例えば新しく出会う人に尽くしたりとか、そういうことはしないと思うんだけど、やっぱり切り替わったみたいな感じがあって、これからはなんかこう、大事に扱われたいなっていうのはすごい強く思うんですよ。
お金とかじゃなくてね。今、このサロンを始めてからは、サロンに来てくださる方とか、私とね、このスタッフで関わってくださる方は、ものすごく私を大事にしてくださるじゃないですか。一人残らず。
そうなってきたから、もう変わってきてると思うんですね。だからまあ、母とかその家族とかは、その古い名残というか、もうちょっと最後まであれしますけれども、やっぱりこれから私が、もう母もね、どんどん亡くなっていって、家族も全員亡くなったら、今度はもう新しく、なんかこう、人間関係を構築したいなと思うんですよね。
もうやっぱ引き受ける、尽くすというような、自分を雑に扱う人っていうのはもう切っていきたいなっていうね。でもまあ、母は産んでくれたから、親なので、大切に、最後まで感謝して見届けますけれども、ようやってきたなと。
私はもう親孝行という意味では、思う存分やったので、もう誰からも何ももう責められることのない、本当に人生遅れたなと、ここまで思ってるんですよね。だからもうね、あとは気楽に生きたいですね。
繰り返される状況と母の過去
あんまりだから言いたくなかったけど、まさかこうなるとはなっていうね、恐れていたことが起こったんですよ。だからもう迷惑かけられたくない、もう嫌だって、もう私に邪魔しないで、みたいなね。
でも結局、邪魔されたというかね、もうああ、ああ、みたいな、やっぱり私に言われるんやって思って、でも嫌じゃなかったんですよね。やっぱ夢中で、いろいろ役に立つようにしたし、駆けつけて、毎日毎日通って、っていうのを、嫌嫌じゃなく、行くときも笑顔でね。
でね、母は私とずっと20年間連絡取れなかったときに、ちょっとした病院に行くときとかは、自分の姉ね、今すごく高齢ですけど、姉にお願いしてたんですよ。ちょっと姉に、お姉ちゃん病院に来て、みたいな。
姉は、めちゃくちゃ性格が悪くて、なんで私が来なあかんなよ、みたいな。あんたなんか面倒見たくないね、みたいな、ボロクソに言う人なんですね。だから母は、すごく雑に扱われてきたというか、ひどい扱いを受けてきた人なんですよね。
それを見てて、かわいそうやなっていうかね。なんかだから、なんだろうね、それやったら子どもたちを大切にしてよっていうのは思うんですけどね。
そうやって、まあね、でも母はおじいちゃんとおばあちゃんにね、すごい大事に育てられてきたのに、なんで私をもっと大事に育ててくれなかったのかなって思うんですけどね。
なんか女の子産んどいてよかったわーって言うけど、産んだ瞬間にわかるじゃないですか。女の子やって大事にしようって。なんで大事に育ててくれなかったのっていうことは思いますけど、大事に育ててないのに、こんな娘になって母を大事にしてるってすごくないですか。
世代間の負の連鎖を断ち切る役割
だからこれね、ストッパーみたいな感じでね。ずっと巡り巡る先祖代々の、例えばその虐待の家系だったら、親から虐待を受けた人は子どもにも虐待するとかもあるじゃないですか。
そういうストッパーみたいなね、この間お客さんが出してたストーリーに、重たいものを代々自分の子どもに引き継がす、その子どもも子どもができたら引き継がすじゃなくて、自分がもうストップさせて代々のやつを、しがらみを、重たさを、不幸を。
私はもうここで終わらせたんですよね。本当に悲惨でね、結構父親側の家系も母親側の家系も、本当に悲惨なんですよ、もう。不幸のオンパレードというか。それをもうね、止めたみたいな役割をしたんですよね、私は。
これってね、これができる人ってなかなか強い魂の人なんですよ。それをしないとそのやっぱりこの世界も変わっていかないじゃないですか、ストッパーがいないとね。ずーっとその悪が受け継がれていくっていうか、続いていくわけでしょ。
で、私はもう子どもがいないし、もうこれで終わりでね、よかったなと思うんですよ、この家は。あんまり家にね、こだわりはなくて、家の繋がりが大事とか、そこに全く執着はしてないしね。
自己肯定感とこれからの生き方
それよりかは、やっぱり他人さんの方が私を大事に扱ってくださったり、信頼関係っていうのは作ってきたので、やっぱり自分が辿り寄せたものでしょう、他人との付き合いっていうのは。それを大事にしていきたいなと。
これからまた新しく出会っていくであろう方とは、本当に新しい自分でね、今まではこんなちょっと引き受け癖のね、私で生きてきたけど、これからは大事に扱われたい。
全ての人から、私を雑に扱う人なんてもうすべて切ってしまいたい、そんな人ともう寄せ付けたくはないっていうのをね、強く思ったわけですよね。
でもこうやってきた経験は、すごく貴重やったんですよ。それをすることによって、ひどいことをされた、奪われた。けれども、私って強いなっていうことが知れた。
なんか本当に愛の深い、もうなんか素晴らしい人間やな、自分で思いましたよね。強い人間やなって。だからこれが自信になるわけですよ。
でまたサロンもね、把握がつくというかね、深みが増すので、また自信を持ってやっていけるし、発信もね、この人間のドロドロしたものを、まあ言っちゃったけど、これ配信するんかな。
まあ嫌なんだけどね、本当はね、こう言うのがね、なんかちゃんとこう面白い話とか素敵な話ばっかりをしたいんだけど、本当に悲惨な家庭で育ったんですよ。それでよくこんな素晴らしい人間になったなと思いますよ、本当に。
なんか自分を褒めたいなと思いますし、これからは自分を大事にしてくれる人と、大事にして生きていきたいと思います。
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