Popさんのポストの紹介
おはようございます、kannです。
フラワーリフレンズコスプレイという、コスプレNFTプロジェクトのファウンダーをしたり、カウンセラーをしたり、精神世界の話をしたりしています。
今日もkannのNFTライフを撮っていきたいと思います。
今日は7月の29日、火曜日です。
今日はですね、カードは引いておりません。
別のことを話したいなと思って撮っているんですけど、
話したい内容というのが、Popさんのポストをしていたことに関して話したいなと思いました。
Popさんは昨日どんなポストをしたのかというと、
Popさんはオーストラリアに住んでいらっしゃって、娘さんがいらっしゃるんですけど、小学生かな?
小学校でね、オーストラリアの学校って毎週とか毎月かわからないけど、標語みたいなのが発表されるんですよね。
その標語を精神世界の話を書いてあったりとか、
わりとやっぱりオーストラリアとかってそういう文化が普通にあって、
毎回Popさんが紹介してくれるたびに、
良い話だな、良い標語だな、こういう言葉を子どもたちは日頃から学んでいるんだなと思っているんですけど、
今日見たポストは、ちょっとXを見て勘弁しますね。
この役がありますけれども、
これはいつも良きサインのはずっていうね。
これが書いてあった下の方に、フラフリカンさんがよく言う、いつも最善みたいな考えに似ているかもって書いてあって、
まさにそうだなと思って読んでました。
これはいつも良いサインのはずっていうね。
だから人生でも何かが起こってね、
もう本題に入っておりますけど、何かが起こった時、良い時はいいんですけど悪い時も、
これは何か良い方向に向くために必要な出来事なんだって思うようにした方がいいということですね。
とはいえね、本当に辛いこと、人との別れ、それは生きていて別れることもあれば、
亡くなって別れてしまう別れもあるわけですし、
そういうのはすごく悲しいから良いサインなのかどうなのかっていうところも、
当人とかその時は分からないんですけれども、
だけど結局長い目で見た時には、それが良い結果をもたらしてくれるっていうことはありますよね。
だからこう、どんなことを選んでも間違いじゃないんですよ。
AとBとかCとかって、みんな考える時にどれを選んだら最善なのかってすごい考えるじゃないですか。
出来事の意味
これだとこうでこうで、これだとこうでこうでっていう、
良いとこ悪いとこを自分で考えて、最終的に良いと思うのが多い方を選びますよね。
それは全然間違っていないですし、
あとは何だろう、恐れからの選択と愛の選択っていうのがね、
スピリチュアの世界ではあるんですけれども、
愛の選択をした時には本当に最善だよねって思えたりしますし、
ただじゃあ恐れから選んでしまった結果っていうのは、
じゃあ全然ダメなのかっていうと、
ダメではなくて結局いずれ修正地点が来て、
良いことを何か選択するようになっているんだけど、
でもそっちの方を選んでしまうと、
結局自分が目的としているところまでたどり着くのに
ものすごい時間がかかってしまうということになるんですね。
だからこれは倫理天性の話で、
今世で自分の目的を達成されずになくなってしまうということになって、
それが来世でも持ち越されて、
それの願いがどこかで叶っていくかもしれないということもあったりするわけですよ。
だからこの長いスパンで見るって簡単に言うけど、
今世だけじゃなくて来世にも関係する、
来来世にも関係することなので、
それで言うならばやっぱり早く自分が生きているうち、
今世のうちに叶えたいじゃないですか。
それを望むのであればやっぱり人のためにとか、
ある選択をするっていうことが大事になってくるわけなんですよね。
だから短期間で見ると悪いことは悪いで終わっちゃうんですよ。
だけど長い目で見たときには、やっぱり人生長く生きていると、
あの最悪のことって実はいい結果になったんだなって、
後から思ったりすることもたくさんあるんで、
今一生懸命考えて選択したことは絶対間違いではないと思うんですよ。
長い時間かかって今世で叶わなかったとしても、
でもそれはその人の今世の学びであったりするし、
気づければいいんですけど気づけないとやっぱり、
それはずっとそのままモヤッとしたまま、
人生終わってしまうってことはあるわけで、
でもそれをしたくないんであればやっぱり、
自分が思ったことやりたいこととか、
本当にこの人に何かしてあげたいとか、
思ったことはすぐにやったほうがいいですね。
いつかタイミングが来たらとか、いつか何とかなるときって言っていると、
タイミングの合わせでずっとそれで終わってしまうっていうことも全然あるんでね。
こんな偉そうなこと言ってますけど、私も全然そういうことよくあって、
何かいつ言えるんだろうとか、タイミングが来たら言おうかなとか、
思っているうちに多分そのうちに言えなくなって終わっちゃうんだろうなと思ったり、
でもタイミングを待っていて自分が納得しているときは、
もしかしたらそんなに重要じゃないのかもしれないとか思ったりします。逆に。
だってすごい重要で絶対言いたいと思うことは絶対すぐに言うもん。自分は。
てか私はね、言うんですよ。
だけど何か相手の立場とか、顔エロじゃないけど何だろうな、
相手が今これ言ったら大変だろうなとか思って、
自分は思いやりを持っているつもりだけど、それは裏を返すと恐れがあって、
何か変なふうに思われたらどうしようとか、
相手が嫌な気持ちになったらどうしようっていう恐れから言っていないこともあったりするんですよね。
それはやっぱ客観的に見て自分でわかるんで、
そこで何かもやもやして言えないっていうことは、
別に言わなくていいんじゃないのってそこまでのことなんじゃないでしょって、
自分で自分に聞かせたりとかしますね。
やっぱり人って本気で何か向き合って何とかしたいとか、
伝えたいとか、行動したいとか、
そういう時って反射的にっていうか反応のようにできるじゃないですか。
でもそれがなかなかできないっていうのはやっぱり何か今じゃないのかなとか、
愛の選択の重要性
今じゃないんだとしたらこれは別にそこまですることじゃないのかなって思ったりね、
そういう判断をしたりもしますね。
っていうのでちょっと話ずれてますけど、
ポップさんのね、ポストの娘さんの小学校のこの標語、
これはいつも良きサインのはずっていうね、
この言葉すごくいい言葉なぁと思うので、
何かあった時ね、これは何かの良いサインなんだなって前向きに考えることが、
人生、自分自身を生きていく中で楽しくさせてくれる考え方なんじゃないかなと感じました。
なので私もね、結構前向きですけど、前向きちゃった時もあるかな、
結構グチグチ言ってる時もあるんですけど、実は。
でもまあ心のどっかでは、そうは言ってもきっとこれは自分に必要なことなんだろうな、
もうちょっと時間が経てば分かることだろうし、今は耐えようみたいな、
そういう感じではありますね。
なので全ては最善です。全ては間違ってない。全ては最善。
ただ、恐れからの選択を取ってしまうと長い時間がかかりますね、目的地に行くまで。
だから常に愛ある選択をしていくっていうね。
愛ある選択って何でしょう。
愛ある選択って何でしょうね、皆さん。
やって、言って、行動して、やってみて、自分がスッキリすることですよ。
何の曇りもなく、やってよかったなって思うこと、言ってよかったなって思うことが、
やっぱり愛ある行動と愛ある発言ですね。
っていうことだけお伝えしておきたいと思います。
ということで今日はポップさんのポストの娘さんの小学校の標語、
オーストラリアの学校の標語にヒントを得てお話をしてみました。
皆さんも全ては最善っていつも心の中でつぶやいて日々お過ごしください。
ということで、今日もお聞きくださりありがとうございました。
ではお仕事頑張っていきましょう。
いってらっしゃい。バイバイ。