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イリカミネ
三菱電機
毎週火曜日のこの時間は、 神戸金史のCatch Upです。
昭和というと、
古臭いとか、
いろいろと揶揄されることが とても多いんですが、
僕は正に昭和の生まれなので、
いろんな人にとっての昭和像 っていうのがあると思うんですよ。
長かったですからね。
前半、20年まで戦争でしょ。
戦後の貧困の時期もあったし、
高度経済成長をどんどんして、
新幹線が通って万博ができて、
その頃に僕らは生まれていますけど、
僕らが知っているのは、その以降の昭和なので、
なんか上り調子の明るいっていう イメージがあるんですよ。
どんなイメージがある?昭和って。
皆さん、大人なイメージがありますね。
今の若者に比べると、
同じ二十歳を比べても、
音楽の、流行っている音楽の種類などが、
今よりすごく大人なイメージがあります。
それは確かに、
桃江さんとかの歌を聴くと、
10代でこんな歌を歌っていたのかと思うと、
確かに今の同じ10代の人が歌っている歌と比較すると、
大人びて見えますよね、昭和は。
石川されさん20代だったんだとかね。
びっくりしますよね。
確かにね。
僕にとっては、
ちょっと懐かしい時代なのかな。
バブルの頃って僕だけ学生時代だったので、
リアルタイムで見てますけど、
あれが昭和っていう印象よりも、その前の時代。
もう少しまっすぐしい時代。
大学時代に東京に行って見ていたのは、
古い商店街がまだいっぱいあってですね。
両側から売り出ししていると、
花飾りがついている商店街ってありませんでした?
ありました。
全然ないですよね。
それどころか、そのアーケードを取っ払っている商店街が増えたぐらいですからね。
アーケード自体もね、取れちゃって。
地域が結構賑やかだった。
お買い物カゴ下げた人たちがいっぱいいるみたいなね。
そんなイメージが僕の中では、昭和っぽい感じなんですよ。
今回見てきた映画、流氏という映画は、
まさに昭和だなと。
1970年代後半から80年代前半ぐらいのイメージですね。
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妻から勧められていたんですけど、
ザ・昭和だよって言われて、
絶対見なきゃダメだよって言われていって、
本当にその通りだったですね。
流氏って映画知ってます?
福岡出身の川島灯る漢人ですよね。
伝説の映画、厄座映画なんですよ。
厄座映画って誰か浮かびますか?
厄座映画はあまり見たことがないです。
よかった、どんどん出てきたらどうしようか。
全然イメージないから、橋行に厄座映画を。
僕らもあんまり実際的には見てないんですけど、
高倉健さんとかの任教ものを。
僕はもう深作金次さんの神儀焼戦で
シミュレーションが好きでした。子供ながらに見てましたね。
実力ものですね。
子供だったのかな?あんまり見てないんですよね。
神儀焼戦も何年か前にまとめて
サブスクで見たという感じで。
音楽はもちろん知ってますけどね。
龍二は名前は知ってました。
伝説の映画だとも言われて。
1983年に公開されて、40年になるので、
40周年で全国で公開されていて、
中須太陽でやってたので見てきたんですよね。
新宿が舞台で、
ヤクザモノの龍二たち、
若者の青春群像劇みたいな感じです。
主演が金子翔二さんと言って、
原作も脚本も手掛けている。
自分たちでお金を集めて何とか作って、
35ミリの本格的な映画なんですけど、
作ったのはみんな素人の若者ばかりで、
作り上げてその年の
映画コンクールをそうなめにしていく。
劇場公開された1週間後に、
金子さんはガンで亡くなってしまうんですね。
伝説の役者が作った伝説の映画。
そして様式美にあふれた映画が、
人形モノの高倉健さんとかのヤクザ映画だった。
その後実力モノの派手な銃撃戦みたいな。
そういうのとは全然違って、
ヤクザを突っ張っていく若者が、
家族のこと考えてやめようかなって言って、
ヤクザをやめていくという、
等身大の若者が映っているんですよ。
その背景が全て昭和の映像なんですね。
気せずして、
この映画はその時代をきっちり
描き取っているという感じの、
時代が1つの主人公になっているような映画だなと思いました。
亡くなってしまった後、
伝説化していくんですけど、
金子障司さんは、
1949年に愛媛県の松山市の離島、
瀬戸内海に浮かぶツアージ島というところで生まれて、
その後高校中退して東京に行って、
リスクの呼び込みなどをしながら、
近くには暴力団の人たちもいっぱいいたという中に、
そういう世界で若者として生きてきた。
そこで演劇に飛び込んで、
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映画もやろうということになるんですが、
その周りにいろんな人がいたんですよね。
松田佑作さんとか、
松堅俳優さんたちがいるんですよ。
そういううっくつした若者たちがいっぱいいて、
すごいですよね。
すぐ近くにそういう人たちがいると。
金子さんのインタビューが載っているのを見たんですけど、
当時まだディスコの走りの頃で、
キャロルの矢沢なんとかと走り回ってたんだと。
そこへ通る女の子の呼び込みで、
あの辺のバンドはみんな仕切ってやったから、
何年前になるのかね。
とにかく松堅が体くねられて歌ってたんだからね、
なんてことを書いてます。
松堅萩原賢治さんが歌うララバイという曲が、
この映画の主人公になっているんですが、
主題歌になっているんですが、
この松堅のコンサートの帰りに、
新宿で昔のヤクザモンと出っかわして、
この曲のライブテープを聞かせたら、
ヤクザモンが泣いているのね、
これだと思って一気に脚本を書き上げたということです。
ヤクザ映画なのに主題歌は家族を思う松堅の歌。
子供と離れてみれば不思議なもので、
会いたくて気がめいる。
おもちゃあるかい、泣いたりするかい、
せめて歌うよ、マイベイビーララバイという歌詞ですよね。
これもヤクザ映画なのに、
この主題歌で行くということが、
今までと全く違うなという感じですね。
古い感じがするでしょう、音楽は。
どうですか?
そうですね。でも耳なじみがいいというか、
ずっと聴いていたいなと思いました。
松堅というと、僕にとっては17歳が違うみたいですね。
誕生日を見たら。
1950年生まれ。
金子さんもその頃。
松堅さんも50代ですか。
68歳で亡くなっているのかな。
たまたま家に松堅さんの本があったなと思って、
昔買った文芸別冊の
傷だらけの天才という。
傷だらけの天使になぞらえて。
この中をぺらぺらめくっていたら、
この歌の作詞作曲をした
松堅と一緒にやっていたギタリストの早見清志さんの
インタビューが載っていて、早見さんが
こうおっしゃっていました。主演の金子勝司さんがライブで
ララバイを聴いて、これで映画を作りたいと思ったって人づれに聞いている。
金子さんは脚本も書かれていて、
記念マジュンポーでは、本物の役割の
あの歌詞の一節をぶつけてみたと書いてらっしゃる。
この歌に出会えなければこの映画は作れませんでした。
作詞作曲の早見さんに感謝しますとあってね。
ああ、書いてあると思ってね。
こういうふうに記録に残る曲だし、
この曲からインスパイアされて映画が生まれている。
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この映画の出てくる主人公たちは
本当にいたいたしくも若々しくて
魅力的です。
バブル直前の東京を舞台にして
龍二という映画で本当に輝いていたのは
この主人公だけじゃなくて金子さん本人も。
そして作り上げて亡くなっていく。
伝説の役者による伝説の映画。
中須大夫劇場でやっているのは
今週の木曜日まで見たらんですよ。
明後日。
DVDでは出てますけどね。
ララバイはYouTubeでも聞くことができますので。
ぜひ。
ということで、
カンベ・カネムミのキャッチアップをお送りしました。