00:27
この時間は日替わりコメンテーター が独自の切り口で多様な視点を提案する
Catch Up、火曜日はRKB神戸金文 解説委員長です。
新聞時代の降り出しの時にこの 災害に私も遭遇して現地で延べ
で4年間取材をしたので鐘ヶ江さん とも親しくお付き合いをさせて
いただいたということがあります。 雲仙災害というのは非常に大きな
特徴があるんですよ。初期なんか 知らないと思うんだけど生まれる
前の話なので。普賢岳の噴火は198 年ぶりだったんですよね。でも
実際には江戸時代の噴火の10倍 もの溶岩が出ているんですよ。平成
新山という新しい山ができてしまう。 普賢岳とは別のね。200年ぶりの
噴火なんてよく言ってたんだけど そうではなくて雲仙火山としては
4000年ぶりに山ができる増山活動 が展開した火山噴火だった。4000年
災害ですから5年も続いて異例 の長期災害となった。そこに住む
人たちにとって非常に負担が大き かった。なぜそうかというと人が
住む地域に災害対策基本法が定める 警戒区域が初めて指定された。立ち入り
禁止なんですよ。罰則付きです。 被災していなくても出てってください
危ないからということでホテル が立ちがれになっちゃったり動物
たちがみんな死んじゃったりですね。 それに対して保障というのはない
という状態。法律災害だと言われた んです。この次に起きたのが福島
第一原発なんですね。その前に起きた 警戒区域に伴う災害だったと。そして
4つ目はメディアと火山学者に多数 の死者が出たことですね。これも
大きな問題になりました。そうい った中で1年間はずっと災害の記事
03:02
が新聞にはずっと出続けました ね。少なくとも。私もそこにずっと
参加していたのでよく覚えています。 その当時に知り合ったのが松下
英二さんと言って当時島原市の職員 労働組合の委員長でした。
当時は市食堂の委員長でした。
そうですね。ちょうど噴火した月 からちょうど委員長になりました
ですね。1990年11月からなんですね。 市長さんとはそれからもう一緒に
職員の立場で代表というような ことで非常に激務をされた。職員
ももちろん当然一生懸命働いて 頑張りましたけれども。やっぱり
91年の6月の3日の後に翌年の3月に 組合の定期大会を開いたおりに
ぜひ金谷市長に定期大会で来て いただいてご挨拶をしていただき
たいということでお呼びしたら 何と激励と同時に値切りと同時に
一緒に山に向かって負けないで 頑張ろうとおっしゃっていただいて
働いている職員たちも一度感動 してよし頑張ろうってみんなが
決意を新たにしてそれから4年 ぐらい戦って一緒にいけたなという
ふうに思っていますね。あとは 職員の私たちも労働組合ですので
職員の安全とか警戒区域の近くで 仕事をするとか場合によっては
中に入るとかということもあった ときにもちゃんと話を協議をして
くれまして健康診断もそれまでは 年に1回だったんですけども2回に
してくれたりして過重業務を過労死 を起こさないというようなところで
一緒に理解していただいたという ふうに思っています。
おつやの会場で一緒になってちょっと 外で話を聞いたんですけど健康診断
を1回だったものを年に2回にした というのはそうだったんだと思って
そういったこともしてたことは 知らなかったのではぁと思いました。
今6月3日って出ましたけど大火災 流が起きた日なんですよね。
43人が犠牲になるんですがそのときは 避難勧告地域があったんですよ。
そこは避難勧告という形で住民たち 危ないから出てってくださいね
ただしこれ勧告であって強制力 はなかったんですよね。
知事とまた違いますね。
そうなんですね。
そういう状態の中で金谷さんは だいぶそこは後悔しているところも
あったようですがただその後警戒 空気を引くのに対してはすごい
抵抗をしたんですよ。
住民への保障が定められていない。
これはねこんなことをしたらね 私たちはちょっと生きていけない
県知事が警戒空気をしてくれと 主張権限なので強く頼まれたときに
06:06
もうそれ以上になったらここから 飛び降りて私は死にますとまで
言ったんですね。
しかし大火災流の後警戒空気を 設定したということです。
これに伴って住民の苦悩はずっと 続いていくわけで金谷さんはそれを
背負ってたという部分があるんですね。
それからもう一人お会いしたのは 島原市にある九州大学の地震火山
観測研究センターの教授である 松島武さんです。
松島教授は91年の大火災流のちょっと 後に採用されてその後ずっと島原で
研究を続けてきました。
松島さんのお話を聞いてください。
災害のいろんなことを教育園に 残すべきだということを強く言って
ずっとあちこちから講演依頼を受けて 災害が終わった後も行って
災害記念館を作られてあそこの 名誉館長になられて
その後もずいぶん何度も何度も あちこち行ってらっしゃる。
なのでそういう点で災害の教訓とか いろんなことを残す重要な
太田先生もそういう意味でいろんな 本を書かれてましたけど
そういう点で金谷さんと太田先生は すごく人に残ってらっしゃる。
でもそういう方々もどんどん 亡くなっちゃうわけですからね。
我々がこの災害記念館という場所を ちゃんと残して
先輩たちの意思を継いで災害の教訓を 残していかなきゃならないなと
思いますね。
島先生が言ってた太田先生というのは
1月に亡くなった運勢のホームドクターと 言われた太田和也先生ですね。
科学面では太田先生が。
そして実際の生活防災対策については 金谷市長が当初取り組んだという形です。
金谷さんはその後翌年に退任をするんですけども
選挙戦になっちゃってですね。
この災害が長期災害で続いている中に 選挙になるってことは
自分への不信任だというふうにも捉えて 出馬しなかったんですね。
でも髭をずっと伸ばし続けて
テレビに本当に毎日出てたんですよ。
今日写真持ってきましたけど
僕が書いた記事、当時毎日新聞で書いた記事ですけど
ここまで長く髭が伸びてまして
20数センチあってですね。
髭の市長として日本中の人が
金買いって名前分かんなくても
島原の髭の市長ってみんな分かるという状態でした。
今運勢の教訓という話が出ましたけど
いろんな教訓があるんですよ。
ちょっと一言では言えないんですけど
行政は行政でいろんな教訓があります。
こうした方が良かったとか、こうしたことが良かったとかですね。
いろんな教訓があるわけです。
大田先生も火山学者として
自然のことをもっと恐れるべきだということを強く言ってましたね。
09:04
メディアに対して批判を韓国が出したのに批判しなかったということで
僕らもずいぶん怒られました。
そういう中で私たちも含めて
あの時の取材の過程での教訓がいっぱいあって
それはその後10年間ずっと僕らは
マスコミ運営集会というのを開き続けてですね
住民との対話を続けてきました。
語り継いでいかなければいけないということで
生きて帰るということが大前提の取材でなければいけないし
想像をちょっと超えてたんですね。火山の規模がですね。
噴火の規模がですね。
大火災流があんなに何百メートルも伸びてくるとは思ってなかったけども
通して言えるのは行政もメディアも
政治に対してもですね
みんな教訓として考えなきゃいけないのは
金貝さんが言ってたんですけど
自然にはかなわないということを強く考えることだと
これ金貝さんが
運善不厳だけ噴火災害記録集の中で
災害の体験と教訓を構成に書かれたパンフレットの中で
対談している様子の記述の中にはっきり言ってましたね。
僕も本当にそれはそう思っています。
だいぶ防災対策も変わってきたとは思っていますけども
やっぱり痛恨の事故だったんですよね。
ただその金貝さんですが
冒頭に出てきた労働革命の委員長をしていた松下英二さんが
おっしゃってたんですけど
結構人柄として明るくて面白かったんですよね。
金貝さんってなんかこう
ちょっとお茶目じゃないけど
言い方悪いけど少し子供っぽいところも
なかったですか?
ありました。
ありましたよね。だいぶ年上の人に失礼ですけど。
はっきり明るくてジョークもおっしゃってですね。
大きな声でですね。
気さくな方だったので
子供が大きな子供みたいなね
気さくさがあったなというふうに思いますね。
派手なことも好きでしたよね。
そうですね。
髭伸ばして27センチですか。
剃るとき停止式って。
ありました。
ありましたよね。
金貝さんも出られたじゃないですか。
私も取材に行きました。
面の髭を剃るときに式を開く人って初めて見たんですよ。
目立つことは好きだったんですか?
そうですね。PRはすごくされておったし
誰かが表彰されたり
いいことして新聞とか載ったら
必ずその方には電話をされたりして
見てたよって感じで
頑張ってるねって感じで
声かけられるような
心遣いを持っている人だなと思いましたね。
でもそういう人だから
現金がたくさん集まったっていう面もありますよね。
そうですね。
12:04
そんな人だったんですよ。
髭をみんなでハサミを20人くらいだったかな
入れていって
お相撲の断髪式みたいな感じですね。
最後のおたぶさを切るじゃないですか。
ああいうことをお寺で開いたんです。
僕らは知って
これは何と思ったらいいのだろうなと思って
一応でも有名な人ですし
髭剃るっていうわけだから
金貝市長停止式って
市は髭って書くんですけど
停止式っていう記事を書いたんですよね。
でもそういった憎めないところとかもあって
その人が真剣に幸運禅を助けてくれと
府県だけ災害から戦っている人たちを助けてくれと
伝えたことは非常に大きな意味があって
230億円もの現金が集まってきたわけです。
これをもとに災害復興の原始としていったわけですので
非常に金貝さんのやったことは大きかったなと思います。
改めて参立した人たちもそんなふうにおっしゃってました。
ここまで神戸金部のキャッチアップをお送りしました。
卓後課の立川翔子です。
1週間のニュースの中から気になる話題を題材に
新作落語をお送りしているポッドキャスト番組
立川翔子のニュース落語
もう聞いていただきましたか?
政治家の問題発言や
動物たちの微笑ましいエピソードなどなど
落語の世界でお楽しみください。
Apple、Spotify、Amazonの各ポッドキャストで
立川翔子で検索してフォローお願いします。
またYouTubeでも聞くことができますよ。
さらに生放送でいち早く番組をチェックしたい方は
ラジコでRKBラジオ
立川翔子キーサイトを聞いてください。
毎週金曜朝6時半から10時まで生放送中です。
さらにこの立川翔子ニュース落語は
本で読むこともできます。
お近くの書店、ネット通販でお買い求めください。
本と音声両方で立川翔子のニュース落語
どうぞご引きに。