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#21  3年ぶりに学校へ。週1時間から復帰した私の話
2026-05-02 10:15

#21 3年ぶりに学校へ。週1時間から復帰した私の話

【概要】
うつで教員を退職してから3年。「もう戻れないかもしれない」と思っていた私が、週1時間だけ学校に復帰することになりました。

何度も断ったのに、なぜか断らせてもらえなかった仕事。その裏にあったのは、想像以上にあたたかい人たちの存在でした。

周りから見たら小さな一歩でも、本人にとっては大きな一歩かもしれない。

そんな気づきをお話ししています🍋

タイムスタンプ
二子玉川の河川敷より:初めての屋外収録と「断らせてもらえなかった仕事」の話
15年の教員生活と、鬱による退職という大きなショック
回復の兆しと、同じ教科の先生からの「週3日」の誘い
突然の目眩と体調の揺り戻し、そして自信の喪失
異例の交渉:週1回1時間、内容も自由という破格の条件
「穴を開けたら申し訳ない」という責任感と決死の断り
先輩教員が教えてくれた「回復は揺らぎながら進むもの」という真理
若手教員の言葉:「倒れてもいい、ただ一緒にやりたい」
3年ぶりの現場復帰:1時間が限界の「ウルトラマン」状態
10代の荒々しいエネルギーと、同僚たちの「おかえり」
かつてのフルタイムの自分と、今の「小さな一歩」を刻む自分
不登校のママへ:本人にとっての「小さな一歩」の計り知れない重み

#五十嵐花凛さん#音プラ#スタエフ#音声配信#不登校ママ#心が軽くなる話#小さな一歩#復職ストーリー
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サマリー

うつ病で教員を退職してから3年、週1時間から学校に復帰した井上れもんさんの体験談。何度も断った仕事だったが、周囲の温かいサポートと「回復は揺らぎながら進むもの」という言葉に後押しされ、小さな一歩を踏み出した。本人にとっては大きな一歩となった復帰の経験から、周りから見れば小さく見えることでも、本人にとっては大きな意味を持つことを語っている。

復帰のきっかけ
皆さんこんばんは、井上れもんです。 元教員15年、今は不登校のお子さんを抱えるママたちの心が少しでも軽くなるような発信をしています。
今日はですね、初めて外で収録に試みています。 双子玉川の河川敷で、ちょっと天気もいいので、そこでやってみようかなと思ってお話ししてみます。
今日は、一度断った仕事をなぜか断らせてもらえなかった話をしたいと思います。
実はですね、私、何度もここでお話ししているんですけど、教員で15年働いてきたんですよね。
で、その職場環境がものすごい忙しくなってきた中で、体調崩して鬱になって休職、そのまま退職しちゃったんです。
すごい気に入ってた学校で、もう退職までいたいな、みたいな気持ちで働いてたんで、
すごい退職したのがショックだったんですよね。 休職期限が切れて退職になった時はもう本当にショックで、そこからさらに一段体調の悪化が進むみたいなことが起きたりしたんですね。
でも、少しずつ休んで良くなってきたなーっていう頃に、同じ教科の先生から、非常勤でね、戻ってみない?っていう声をかけてもらったんですよ。
で、その時ね、すごい体調が本当にいいなーって自分でも感じるぐらい、戻ってきてたんです。
で、最初は週3日くらいね、やってみないかっていう話だったんですよ。
で、やりますやります、みたいな感じで、週3日ってちょうどいいなーと思ったんで、快楽みたいな感じで戻ることに決まってたんですよね。
で、なんだけれども、それが去年の秋ぐらいですよね、そのお話があったのが。
体調の揺り戻しと断念
でも、やっぱりですね、こういう揺り戻しがあって、体調の中に。
で、それが自分の想像を、想像の反中外で起こるわけですよ。
ある日突然、グーンと起きられなくなったり、ある日突然目眩がわーって起きて、本当に寝込むみたいなことが普通に起きちゃうので、
やっぱり自信がなくなって、もう断りに行ったんですね。
ちょっとやっぱり、体調の揺り戻しがあるから難しそうだっていうふうに言ったんです。
でもですね、それを伝えたらですね、今度は、じゃあ週1回でもいいよって言ってくださったんですね。
でも、それでも私はもう不安で、やっぱり断ろうと思って、それでもちょっと、週1でも厳しいかもしれないって言ったんですよ。
そしたら今度は、じゃあ週1の中の、1弦から6弦とか全部持たなくてよくて、1時間1コマでもいいよって言われたんです。
しかもですね、授業も自分がやりたいものでいいよと、授業って、私が勤めてた学校って、中学校、高校とあって、必修と選択の授業があるんですね。
それも自分で選んでいいよと。で、何だったら、選択科目だったら、自分で教科名も決めて、内容も自分で決めていいよと。
そんなことある?って思うぐらい、全部こちらに合わせてくれたんですね。
全部ですよ、全部ここ、こっちに合わせてくれたのに、それでも私は、いや、こんなね、やっぱりでも体調が急に崩れたら、もういきなりこう穴を開けるわけで、
授業に穴を開けてね、1ヶ月、4週連続で休んだら、まず生徒に申し訳ないし、その授業をじゃあ誰がカバーするのかって言ったら、その教科の他の先生がカバーするわけで、その先生たちに負担がいっちゃうっていうのがもう十分目に見えてるわけですよね。
だから、週1回の一コマも自分が不安に覚えているものを、そこまでしてなんかやるのってどうなんだろうと思って、
本当にね、嬉しいお話だったけど、断ろうって、本当にこう決めて話しに行ったんです。
温かい言葉と復帰の決意
そしたらですね、その時に、その教科のね、教員の先生が、その先生もですね、あのやっぱり過去に病気をして、腹食して、なんとかこうやってて、今は元気になっている先生で、
そしたらその方が、やっぱり回復っていうのはね、揺らぎながら進むものなんだよって、元気になるのを待つんじゃなくて、揺らぎながらやっていくのも一つだよって言ってくれたんですよね。
さらにこう別の本当に若手の先生が、なんか途中で倒れても全然迷惑じゃないから、ただ一緒にやりたいですって言ってくれたんです。
なんか私はですね、なんかもう本当に60オーバーのベテランの先生と30代若手の先生たちに囲まれて、なんか本当に泣きながら、なんかこうその話を聞いてるみたいな感じで、
で、なんかもう何回も断ったわけですよ、私は。でもそれでもこんなにやろうって言われたから、もう私はもうちょっともう自分ではもう考えられることは考え尽くしたなと思って、もうこれは神のみと知るっていうのはこういうことかなと思って、
もうじゃあ本当に何の自信もゼロだけどじゃあやってみますっていう、なんか投げやり会みたいな最後はね。
で、3年ぶりに学校に戻ることになったんです。
復帰後の現実と喜び
で、それがこの4月で、で実際にですね、やってみるとやっぱり正直ですね、きつくって、こうあの本当に週1回1コマの選択授業を持ってるんです、持つことになったんです。
で、やってみるとね、気づいたんですけど、まあ90分授業持ってるんだけど、1時間60分が限界なんですね、私の中で。60分経つとね、こうめまいがしてくるんですよ。
で、今の私はこうウルトラマンみたいにエネルギーが1時間しか持たないんだなっていうことがわかって、ウルトラマン3分ですっごい爆発的なエネルギーだけど、まあ私はね、ウルトラマン、ウルトラマンをたとえに出すのがちょっとおかしかったですね、今。
でもそんな状態なんです。でもですね、やっぱりね、すっごい楽しかったんですよ、なんか。
もうまず10代のエネルギーを感じて、なんかこう荒々しくって元気で素直で不器用な感じのエネルギーが久しぶりだなと思って。
で、あとやっぱりその学校の中でもうすれ違う先生たちが本当お帰りってこう言ってくれて、もうなんか教科の人たちもみんななんかやっと全員揃いましたねみたいな言葉をかけてくれて、なんか本当にね、すっごい久しぶりに楽しかったんですよね、なんかきつかったけど。
昔の私はもうフルタイムで働いて担任もって、人事担当もしてトラブル対応もしてて、なんかよく働けてたなって思うんですけど、今の私は本当に週に1回1コマだけなんだけど、本当に小さな一歩を踏み出したなと思って。
で、本当に小さな一歩なんだけど、でもその小さな一歩を踏み出してみたら、なんかこう本当にこう楽しい、あー久しぶりにこんな楽しいことが体験できたわっていうことがあって。
小さな一歩の重要性
で、今回のことでね感じたのは、なんかこう周りから見たら本当に小さく見える一歩でも、なんか本人にとってはものすごく大きな一歩なんだなぁと思って。
で、きっとね、不登校のお子さんを見ているママさんもこんなことでいいのかなとか、こんな小さな一歩で大丈夫かなとか思う瞬間ってあるかもしれないんですよね。
あるかもしれないなぁと思って。でもなんかその本人にとっての小さな一歩って、実はその小さな一歩って本人にとってはすごく大きな一歩だったりするのかなと思ったんです。
というお話を今日は双子玉川の河川敷からさせていただきました。お聞きいただいてありがとうございます。井上レモンでした。
10:15

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