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2025-08-25 12:25

アジアの戦後80年4 フィリピン残留日本人孤児の訪日を考える

元RKB解説委員長 福岡女子大学副理事長 飯田和郎
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今回の話題は、アジアの戦後80年4 フィリピン残留日本人孤児の訪日を考える、です。 Alsofeaturing, RKB
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03:06
フィリピンを取り上げたいと思います。 ただ、フィリピンという一つの国に限った話ではないんですよ。日本が戦後80年間遺留してきた課題が、橋本さんにこれから紹介してもらうニュースにも現れているような気がします。
はい、ご紹介します。 太平洋戦争後にフィリピンに残された日系2世、武井補瀬さん82歳が、戦後80年を経て初めて日本を訪問し、親族との対面を果たしました。 武井さんは本当に長い日々でしたと語り、早期の日本国籍取得への期待を示しました。
フィリピンに残された日系2世の男性、武井補瀬さんが、8月6日に訪日しました。 日本国籍を取得するために事前の調査ということで、フィリピン残留の日本人で言うと、今回初めて日本政府が訪日にかかる費用を負担したというケースなんですよね。
実はこの8月に私が最もハッとしたニュースなんですよ。私は合わせて10年間海外で特派員を経験したんですが、特派員一人一人にその土地でこそ取材できる、追いかけられるテーマってあるんですよね。
私の場合は中国に駐在していて、戦後残された日本人の子供の問題、つまり中国残留日本人孤児の問題に私なりにこだわってきました。東南アジアも同じなんですよね。かつて日本が周辺の国々へ押し出していって、日本人が拠点を築いた。
やがて戦争に負けて日本に帰れた人もいれば、現地で亡くなった方もいるんですよ。問題はその子供たち、残された子供たちが、とりわけ当時まだ幼い子供だったらっていうことなんですよね。
まさにこの竹井補正さんは現在82歳ということですから、80年前っていうのは2歳だったってことですよね。
そうですね。竹井さんは現在のフィリピンの中部に暮らしています。
敗戦の2年前の1943年、日本人の父親とフィリピン人の母親の間に生まれました。
大阪出身の父親は当時フィリピンで鉄道施設の技術者だったんですよ。
竹井さんが、補正さんがお母さんのお腹の中にいるときに、その父親は現地で消息無名になったけど、後になって日本の軍人として日本に帰ってきたことがわかったわけですよ。
調査に調査を重ねて、親族が大阪に住んでいることがわかった。
今回の日本訪問で、2歳の時別れたお父さんの墓参り、そして異母兄弟、お母さんの違う兄弟と対面を果たしたわけです。
06:08
竹井さんは念願の日本国籍の取得に関して、こんな風に語っていますね。
年齢的に自由に動けることが少なくなりました。早く叶うことを願っています。
戦前フィリピンに移り住んだ日本人男性と現地の女性との間に生まれた、いわゆるフィリピン残留日本人2世ということですよね。
そうですね。フィリピンには戦前たくさんの日本人が移り住みました。
竹井さんの父親のようにインフラ建設、またジャングルを開墾したり農園を経営したりしていました。
そして日本人男性と現地のフィリピンの女性との間に生まれた残留日本人2世というのが亡くなった方を含めておよそ3800人いるんですよ。
今も存命されている方のうちおよそ50人が竹井さんのように日本国籍の取得を望んでいるわけなんですよね。
田橋さん、この言葉を聞いたことありますか。
父系傑党主義、つまり父親の系統の傑党主義という言葉なんですよ。
これはかつての日本の戸籍制度でして、つまり父親が日本国籍を持って母親が外国籍の場合、生まれた子供は日本国籍と定めた制度なんですよ。
現在は父系父親系の傑党主義は改定されているんですが、こうなるとやっぱり竹井さんの場合は明らかに日本人なわけなんですよ。
ただ当時2歳でしかすかな記憶とかわずかな手がかりだけでは自分が日本人だという証明は大変な作業なんじゃないですか。
その通りですね。フィリピンと日本を結びつける。
この作業は日本の外務省や公道省だけでなく、民間のNPOなどが活動に携わってきました。
だけどやっぱりおっしゃるように戦後80年という時間の壁があるんですよ。
日本で新たに戸籍を作るため、断片的な情報だけで生まれた時の情報を集める、証拠を集めるというのはかなり難しいんですよね。
またですね、父親が戦後帰国した日本で、フィリピンとは別の人生をスタートさせているケースもあるんですよ。
竹井さんのように、いぼ兄弟と対面できたのは、稀なケースと言えるかもしれませんね。
念願かなって日本の国籍を取得して日本に帰国したとしても、多くの問題も存在するんですかね。
祖国日本とはいえ、経済的な問題、または言葉の問題もありますよね。
中国残留日本人孤児の2世3世にも同じことを言えます。
09:02
環境に馴染めず、孤立して、時には人の道を外すケースも少なくありません。
私はですね、強調したいんですけど、そこには何より、迎え入れる側の私たちの問題が大きく存在するような気がします。
彼らをよそ者、異端視する風潮が、今も存在しないでしょうかね。
7月の参議院選挙の時も見られたんですけど、この日本という国、また日本人をことさら強調する人たちがいるんですよね。
それは日本人の地、日本民族の地という、血統主義につながるかもしれません。
血統主義は、昔も今も多くの過ちを犯してきましたよね。
現地の父親や母親との間で生まれた残留孤児2世3世は、一部の人たちの言う日本人じゃないのか。そんなことないですよね。みんな日本人ですよね。
やっぱり協議の、つまり狭い意味の血統主義、排外主義って改めなくちゃいけないと私は思いますね。
戦後フィリピンをはじめ、アジアの国々では、日本に対する感情というのは激しかったところもあるかと思いますけども、
日本人としての執事を持ちながら、現地に残された人々の環境というのは、どういうものだったのかというのは、執事をあえて隠したという人も多かったんでしょうね。
はい、そう思います。
この8月、飯田さんはキャッチアップこのコーナーで、日本の周辺の国や地域にとっての戦後80年をシリーズ4回にわたって紹介してきましたね。
はい、ちょっと話は変わるんですけど、私は福岡市の中央区に住んでるんですよ。
今、東区にあるこの福岡女子大学まで、毎朝バスで通ってます。
今朝も福岡都市高速道路を走るバスから博多港を眺めながら、この大学に来たんですよ。
今日もいい天気でした。博多港には、終戦後、大陸から引き上げてきた方がいっぱいいらっしゃった。
船に乗って帰ってきたわけですよね。
辛い思いをした引き上げ者の中にも、存命されている方が数多いです。
ですから、身近にある毎日何気なく見ている景色にも、実は歴史が詰まっていると思うんですよね。
今日の紹介した話のように、戦後80年が経っても、今なお戦前から続く、それぞれの戦後を生きている人たちが、
日本にも、周りの国々にもたくさんいらっしゃるということは、やっぱり忘れちゃいけないと私は思います。
そして、今を生きる私たちが何ができるのか、そんなことを強く感じる、2025年の8月、そんな感じがしますね。
ここまで、元RKB開設委員長で、福岡女子大学副理事長の飯田和夫さんでした。
飯田さん、ありがとうございました。
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