シンガポールで暮らすマレー系の人々のワンシーンを切り取った作品。そこには私たちの知らなかった葛藤もあれば、人間が生きていくということへの信頼感もありました。
【紹介した本】
・アルフィアン・サアット(著)、藤井光(訳)「マレー素描集」書肆侃侃房
・野崎泰伸「『できなさ』からはじまる倫理学」大月書店
【わたしのBunkamuraドゥマゴ文学賞】
https://www.bunkamura.co.jp/bungaku/mybungakusho/article70.html
【よりぬき】
・シンガポールのマレー人社会の話
・スケッチのように日常の場面を切り取った作品
・多民族社会で生きるとは
・「他者と共に豊かに生きる」とはどういうことか
感想
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サマリー
本エピソードでは、シンガポール在住のマレー系作家アルフィアン・サアットによる短編集『マレー素描集』が紹介される。この作品は、多民族社会シンガポールにおけるマレー系住民の葛藤や、人間が生きることへの信頼感を、スケッチのように切り取った日常の場面を通して描いている。また、身体障害を持つ著者が自身の経験から倫理学を考察する『できなさからはじまる倫理学』も紹介され、自身の経験外の事柄への理解を深めることの重要性が語られる。読書を通して、自身の視野を広げ、他者への共感を深めることの価値が強調されている。
オープニングと近況報告
生物学者と書店員のインターネットラジオ、本の虫のススメ。
本を偏愛する生物学者の椿と、書店員の佐藤が、本にまつわるあれやこれやをゆるっとお届けします。
今回も始まりました本の虫のススメ。 学生の方はもうすぐ夏休みが近づいている頃でしょうか。
そろそろね。 確かに大学生の方とかやと、もしかしてもう始まってるかな。
わからんかもしれんよね。で、ちょっともうなんか昔のことすぎてわかんなくなっちゃって。
確かに確かにそうやな。でもまああれですよね。夏の盛りになってきてる頃ですよね。
そうですよね。ちょっとね、タイムラグがあって、収録を何本か取りだめてるんで、ちょっとね時差があるんですけど。
きっと暑いと思うんですけど、体調大丈夫ですか皆さん。 本当に、なんか日本の夏本当に暑いから。
あのヨニゲ書房で着物を着てるんですけど、なかなかやっぱ暑いのは、あのクーラー聞いてるからね大丈夫なんだけど、なかなか着物は暑い。浴衣でも暑いなって感じですよね。
動いたらね。 そうそうそうそう、結構暑いよ。
ずっと座ってたらねいいけど、やっぱり本届いて、並べてとかね、いろいろ動くから。
そうなんですよ。
『マレー素描集』の紹介
椿さんはどう?最近プライベートでは本読んだりとかできてる?
結構ね、なんかバタバタしててあんまり読んだりしてなかったんだけど、一冊ちょっとそんなに長い本でもないので、読んだものがあるので、
ちょっとそれがすごく、なんか面白いっていう言葉で表現していいのか難しいんですけど、すごくでも心に響いたので、ご紹介したいと思います。
椿がすごい可愛い。 すごい素敵でしょ、綺麗で。
可愛い。魚さんに風船かな?
銅って言っていいのかな?魚の銅周りのところに紐がくくりつけられてて、風船の下に魚がふわーって、風船に吊り上げられて漂ってるような表紙ですね。
しかもなんかその架空のね、虹色みたいな魚で、それがお空に、多分空だと思うんですけど、本当に綺麗なスカイブルーの背景に浮いてるみたいな感じですね。
で、この本タイトルがマレーソビョーシュ。ソビョーってスケッチのシラフの数に絵を描くの。架空でソビョーシュ。
あれですよね、絵の具とかで描かない、鉛筆だったりペンとかで描いてるようなデッサンだったり、そういうのをソビョーって言いますよね。
だからもう本当に英語だとマレースケッチーズっていうタイトルなんですけれども、それをマレーソビョーシュと訳している本で、著者がアルフィアン・サートさんというマレー系のシンガポール人の方が書かれた本です。
で、役は藤井光さんという方がしているものなんですけれども、これ実はあの、私今シンガポールに住んでるんですけど、
シンガポールに、私の夫の転勤というかについてくる形で、シンガポールに引っ越したんですけど、それが決まった直後ぐらいに買って、ちょっと呼んで、
でもなんかすごい、刺さるように痛くて、ちょっとその時は読めなくて、だから婦人が決まってからだと、1年は経ってないんですけれど、でも半年以上寝かしててようやく読んだみたいな本ですね。
で、内容は、タイトルのソビョーっていうのが言い得て妙なんですけれど、その短い数ページぐらいの、なんだろう、場面の切り取り、印象的な、例えば、
本当にいろんな場面を、シンガポールの湿り気が感じられるみたいな、すごい人間に対するまなざしっていうの、土地に対するまなざしっていうのを、業館からもうすごく滲み出るみたいな本で、
どのスケッチ、スケッチとあえて言わせてもらうんですけれども、どのスケッチもすごく本当に、聖地に細部まで描き込んでないからこそ胸に迫ってくるみたいな内容なんですけど、
っていうのも、このアルフィアン・サートさんっていう方は、シンガポール生まれの方で、詩人として結構もう25年以上活躍されてる方なんですけれど、
なんだろうな、その、やっぱりこのシンガポール社会っていうのの独特さっていうのが、やっぱりその、私は今住んでるけれど、全然違う立場で来て、一時的に本当にまだ半年ぐらいしか住んでないので、
すごいまだシンガポール社会っていうものがよくわかってないんですけれど、でもなんかこれを読んで、なんかすごい、その、シンガポールってもう地理的にはマレー半島の先端にあって、
どっからどう見ても、マレーシアの文化圏なんですけど、住んでる人の大半、7割ぐらいだったかな、は中華系の方なんですよ。
だからあの、まあ紅葉語の一つも中国語でもあるし、まあマレー語もあるんですけど、英語、マレー語、中国語となんだっけ、タミル語だ、タミル語のその4つあるんですけど、でもやっぱり街の中に歩いていても、明らかに中国語を話す人が過半数以上、やっぱり7割のその、
中国系の方っていうのは、やっぱり中国語を使って生活してるんだなっていうのを、すごいあの肌感覚としても感じる街なんですよ。
でそんな中で、やっぱりその、明らかに地理的にはマレーシアに近接しているにもかかわらず、橋を渡って、マレーシアから橋を渡ってシンガポールにひとたび入ると、そこは言ってみれば、中国文、中華文化圏というか、にまあかなり近い。
もちろんその、まあなんか独特の文化の混合が起こっていて、その100%というわけではもちろんないですけど、そのある意味、マレー人、マレーシア人の方に、マレー系のルーツを持つ方にとってはすごい複雑なねじれがある土地でもあって、
シンガポールに住む、というか海外に住む、中国の外に住む中華系の方の方をカジンって呼ぶんですけれど、カジンの方の方がコネクションとかがやっぱりシンガポール社会のその上層部と強かったりとかで、
まあもちろんそれだけじゃないと思うんですけれども、結構その、成功するにはカジンのふりをしなきゃいけないのか、みたいななんかその葛藤のシーンが描かれているような短編があったりとか、なんかその普通に、
シンガポールという国が世界に発信している多様性、いろんな民族がいるけどみんなが尊重しあって生きているっていう、まあまあそれはもちろんその一面ですべてを否定するものではもちろんないんですけれど、
そうじゃない?やっぱりその多数派ともともとそこにいたはず、多数派だったはずのマレー系の人たちっていうのの間で、どうしようもなく生じてしまう摩擦とか悲しさとか、
そういうのがその一つ一つのシーンは本当に2、3ページでスパスパッと短いんですけど、その短さゆえにそこがガッと金属同士がすごい勢いで触れ合ってしまって、火花がちょっとその火花を全部捉えてるみたいなさ、
そういう鋭さがある作品でなんだろう、すごいだからあの、読んでくれって感じなんですけど、なんか私が説明するっていうよりも、例えばすごい印象的な話はたくさんあるんですけれども、
少女が、マレー系の少女が作文で優秀賞を取ったっていうような短編があるんですけど、その中で彼女はムスリムの少女なんですね。
だからあの、イスラム教の方ってことね。そうそうそうなんですよ。なので基本的には、基本的にはというかそのイスラムの教えではその異性、男性と直接から肌を触れ合わせてはいけないっていう
仕切りがあるんだけれど、でも大統領は男性だと、あのその少女を渡して握手するっていうシーンになって、でその少女はそのことも分かって壇上にもちろん上がったんだけど、
でも実際その場になるとやっぱりちょっとできないっていう風になってしまって。で、そのさ、その少女を渡すっていう時って、その別に直接肌と肌が触れ合うわけじゃないじゃん。
そう、そうなんやけど、少女を渡した後、握手するっていう、ごめん言うの忘れてた。あ、そっかそっかそっか、握手する、そっかそっかそっか。っていうセレモニーになってて。ああ、なるほどなるほど。
で、それがあの分かっててだから上がったけどやっぱりできないっていうのでなってしまって、それがすごくあのブレーだ。もうマレー系全体がだからこの社会でそういうことをするから過激だっていうような、急ダウンを受けるんだみたいなことを少女が言われたりとか。
するような下りというか、その少女が手を握手できなかったシーンから、その壇上から降りて家族に声をかけられるシーンとか、なんかそういうなんだろう、すごい象徴的なシーンっていうのがいろんなところで切り取られてて。
なんだろう、全部を描いたり何かを批判してるっていうわけではどれもないんだけれど、そのそういうシーンが出てきたっていうのの背後にある大きなものの手触りっていうのが、このたくさんあのいろんな角度からそのシンガポール社会で生きるということをスケッチしていって、
その一つ一つは、まあ断片なんだけど、全部を通して読むことで、そのキラキラマリーナ・ベイサンズみたいなんじゃない、そのマレー系のシンガポール人から見た私が住んでるこの国っていう実像がこう手触りとして浮かび上がってくるような、そんな本で。
だからその。
それはごめんごめん、そもそも素描集っていうことだけど、絵の素描が入ってるわけではない。
それは全くない。
前提として、全くない。じゃあ比喩としての素描というか、なんていうか、そのシンガポールを文章で描いた作品。
そうそうそうです。
OKOK。
そっか、なんかあれやね、こう、なんかこう気軽な感じでこう、ふーんって感じで読める本ではなさそうだけど、でもなんか、なんだろうな、そういう本を読む時ってあるよね、読む時ってあるよねって言うとなんかあれなんだけど、なんていうのかな、こう、読んだ方がいい時があるというかさ、なんというかさ。
うん、なんて言うんだろうな、まあでも美しい、美しいというか、その刺さるような痛みっていうのを感じたりもするけど、でもやっぱりその人間が生きているって感じる。
当たり前やけど、なんかこの国にもいろんな摩擦があって、痛みを感じながらご飯も食べるし、髪も切るし、学校にも行くっていう、まあ当たり前、本当に当たり前のことなんだけど、やっぱりその中でどういう痛みを感じているかとか、
どういう割り切れなさっていうのがあるかとか、そういうのってなんかやっぱり自分はここでは圧倒的なマイノリティーで、この社会にも馴染んでいるわけではないから、それをこう手触り感を持って感じられるっていうのはなんかすごい難しい言葉にしがたいんだけれど、
私のある意味、人間としてここに体を置くっていう、ここで生きるっていうことをどう捉えるかっていう、自分のその内的な問題にすごいリンクしてるというか、関わるもので、だからこそそう読むのに時間がかかったのかなって。
振り返って思ったりしましたね。
特にそのシンガポールに来て、直後とかだとさ、そんなにこう、まだそもそも自分がどういうその立ち位置にいるのかっていうことすらまださ、なんかこう飲み込めないっていうかさ、
ふわふわしてるよね。
本当のふわふわしてるからさ、半年間ここに身を置いて、その自分の立場とか状況っていうのが本当にこう浮き彫りになってきてからじゃないと読めない本だったのかもしれないね、それはね。
そう感じた。
マレー系であるとか中国というかカジンであるとか、それそうじゃないいろんな立場の人であるかとかによって、
別にシンガポールに限らないですけど、生きていく中で、他民族の社会の中で生きていく中での葛藤みたいなものって、
正直リアルに気持ちがわかるものではないというかさ、そういう民族的な意味ではマジョリティとして暮らしてるからさ、
余計に見えない、見もしないでいる部分っていうのをすごく突きつけられるようなものなのかななんてちょっと思いました。
なんかそうだね、でもなんだろうやっぱりその出てくる出てくるその場面場面出てくる登場人物登場人物やっぱりみんなその不条理な思いをしたりとかなんか割り切れないこととかがたくさん出てくるんだけど、
これは帯文にも書いてることで、これ解説か、解説にも書いてることでその通りだなと思ったんだけど、なんかそういうなんかいろんな状況に難しい状況に置かれたような人たちっていうのを描いてるわけだけど、
でもその根底にはその人が生きることに対する信頼や愛情といった感覚があるっていうふうにこの解説した方が書いてて、まさにその通りだなと思ってその
上滑りじゃないというか、ここに根付いて人が生きているということ、まあ当たり前なんだけれど、っていうのをその肌触りとして感じられる本だったので、まあその刺すような痛みっていうのはもちろんあるんだけれど、一方でこの島にも人がいるじゃないけど
なんか生身の、グローバル資本主義の最先端みたいな、なんかそういうで、なんかリッチリッチみたいな感じのイメージで、うわっていう気持ちがいく前は特にあったんだけど、
ある意味その人がいろんな痛みを抱えながらも生きているっていうのをすごい感じられる本でもあったかなと思いますね。
『できなさからはじまる倫理学』の紹介と考察
ちょっとそれでちょっと話がずれてしまうんだけど、思いを連想した本があって、できなさから始まる倫理学っていう本ですね。
これホームスでちょっと紹介したかどうか、ちょっと自分の中でわかんなくなっちゃってるので、同じこと言ってたらあれなんですけど、私の文化村ジュウマゴ文学賞っていうサイトがあって、そこで東京の東急っていう施設が運営している文化村っていう施設があるんですけれど、
そちらの文化村さんが運営されているサイトで、書店員がそれぞれ文学賞を与えたいって思うような推薦図書をあげてお勧めするっていう内容で、
私はその5月に公開されたナンバー70っていうたくさん記事があるんですけど、ナンバー70のところにできなさから始まる倫理学っていうのをお勧めさせてもらったんですけど、
この著者は身体障害を持っていらっしゃるんですね。車椅子で生活をされている方が自分のできなさ、身体的な障害によってできないっていうところから倫理っていうものについて考えてみようっていう、そういう本なんですけれど、
このドゥーマ語文学賞、私のドゥーマ語文学賞にもちょっと書かせていただいたんですけれど、そこで私は障害っていうものがない方がいいものなんだっていうふうに、もしかしたらある意味一面的に捉えてたんですね。
っていうのは、自分自身も発達障害っていう障害を持ってるんですけれど、その障害があることで良かったことってあんまり今んとこない気もする。その障害によって得たものもあるけど、でも基本的に大変なこと多いなみたいな。
ない人生と比べられないっていうのもあるよね。
それはあるかもしれないね。でも障害っていうものはなるべく少ない方がいいんじゃないかっていう感覚があったけど、この著者さんは身体障害が二次障害で重くなってしまったっていう、
ある舞踊者について、障害を得た。得るって得点の得の得るですね。手に入れたっていう書き方をされてて。
なんかそのギフトみたいな言い方をなぜするんだろうって思った時に、でもその障害、車椅子になったことによって、車椅子でしか見られない景色だったり、ゆっくりした店舗だったり、助けてもらった人の優しさだったり、いろんなことが得られたからっていうようなことを書いていらっしゃって。
だからもしかしたら障害がない方がいいって思うことって、その障害を持っているその人の障害っていうのもその人の一部なのに、その人の一部を否定していることにもしかしてなっちゃうんかもしれないなーなんて思って、すごいハッとさせられたことがあったんですけど。
つばきさんの言ってたそのことについて、私はシンガポールっていう国の中でマレー系の人として、というかムスリムの人として生きることについてのすごい葛藤だったり辛さっていうものを理解できて、できはしない。
100%理解することはもちろんできないですけど、それも見方が狭いというか、見方が狭いっていうのはあれなんですけど、
そうか、私は民族的にはマジョリティとしてそこは見ずに済んできてしまってるのかもしれないなーなんてちょっと考えさせられましたね。
やっぱり私もだけど、なんだろう、まあみんなそうなんじゃないかなと思うんですけど、やっぱ自分の肌で体験してないことっていうのはなかなかその普段考えるきっかけがないから、
なんだろうな、その、気づけないというか、どうしても鈍感というか、まあ感じないことかなと思うので、そういう意味でもなんか読んでよかったなぁと思いますね。
そういうことって読書を通してもたらされる素敵なことの一つなのかなって思うんですよね。
本当に自分の輪郭が広がるような、本当にそういう感覚になりましたね。
まとめと番組告知
うーん、今回は何て言ったらいいんだろうね、一言でまとめる、まとめなくてもいいんだけどさ、なんか、そう、なんか、なんて言ったらいいんだろう、シンガポールで生きてる生身の人を感じられるような、そういう本ですかね。
そうですね。
そばきさんに紹介した。
はい。
なのであんまりそのシンガポールっていう土地のことを扱ってはいるんですけれども、そこから立ち現れてくるのはなんかある意味普遍的な人間っていうものでもあると思うので、
ぜひ手に取っていただきたい本かなと思いますね。
うんうんうんうん。
はい、といったところで来週も楽しみにしていただければ幸いです。
良い読書体験を。
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