00:00
おしゃべり本棚。 この時間は福岡のRKB毎日放送のアナウンサーによる朗読をお送りします。
家庭の幸福 その3
太宰治
放送開始 父は平然とタバコを吸い始める
しかし火がすぐ消える 父はそれに気がつかずさらにもう一度吸い
そのまま指の間に挟み 自分の答弁に耳を傾ける
自分が予想していた以上に自分の答弁が会長に録音せられている まずこれでよし退化なし
館長における評判もいいだろう 成功である
しかもこれは日本国中に今放送をせられているのだ 彼は自分の家族の顔を順々に見る
皆誇りと満足に輝いている 家庭の幸福
家庭の平和 人生最高の栄冠
皮肉でも何でもなく まさしく麗しい風景ではあるが
ちょっと待て 私の空想の展開はその時にわかに中断せられ
変な考えが頭脳をかすめた 家庭の幸福
誰がそれを望まぬ人があろうか 私はふざけて言っているのではない
家庭の幸福はあるいは人生の最高の目標であり 栄冠であろう
最後の勝利かもしれない しかしそれを得るために彼は私を悔しなきに泣かせた
私の寝ながらの空想は一転する ふいと次のような短編小説のテーマが思い浮かんできたのである
この小説にはもはやあの役人は登場しない もともとあの役人の身の上も全く私の病中の空想の書さんで
実際の見聞でないのはもちろんであるが 次の短編小説の主人公もまた私の幻想の中の人物に過ぎない
それは 全く幸福な平和な家庭なんだ
主人公の名前を仮に津島修二とでもしておこう これは私の戸籍名なのであるが
03:06
下手に仮名を用いてうっかり偶然実在の人の名に似ていたりしてその人に迷惑 をかけるのも心苦しいから
そのような誤解の起こらぬよう私の戸籍名を提供するのである 津島の務め先はどこだっていい
いわゆるお役所でありさえすればいい 戸籍名なんて言葉が今出たから
それにちなんで町役場の戸籍係りということにしても良い 何だって構わね
テーマはできているのだから あとは津島の務め先に応じて筋書きの肉付けを工夫していけば良い
津島修二は東京とかのある町の役場に勤めていた 戸籍係りである
年齢は30歳 いつもニコニコしている
美男子ではないが血色も良くいわば妖精の顔である 津島さんと話をしておれば苦労を忘れると
俳句係りの老女が言ったことがあるそうだ 24歳で結婚し長女は6歳
その次のは男の子で3歳 家族はこの二人の子供と妻と
それから彼の老母と彼と5人である そうしてとにかく幸福な家庭なんだ
彼は役所においてはこれまで一つも間違いをしでかさず 模範的な戸籍係りであり
また妻君にとっては模範的な弟子であり また老母にとっては模範的な高校息子であり
さらに子供たちにとっても模範的なパパであった 彼は酒も煙草もやらない
我慢しているのではなく欲しくないのだ 妻君がそれを全部闇屋に売って老母や子供の喜ぶようなものを買う
ケチではないのだ 夫も妻も家庭を楽しくするために全力を尽くしているのだ
もともとこの家庭は北多摩郡に本席を有していたのであったが 亡き父が中学校や女学校の校長としてあちこち典任になり
家族も共について歩いて亡き父が仙台の某中学校の校長になって3年目に病死したので
津島は老母の里心を察し 亡き父の遺産のほとんど全部を気前よく投じて
現在のこの武蔵野の一角に 8畳6畳4畳半3畳の新築の文化住宅みたいなものを買い
06:07
自分は親戚の者の手引きで三鷹町の役場に勤めることになったのである 幸い千歳にも合わず
二人の子供はまるまると太り 老母と妻との折り合いもよろしく
彼は日の出と共に起きて井戸端で顔を洗い その気分のすがすがしさ
思わずパンパンと太陽に向かって柏でを打って礼拝するのである 老母妻子の笑顔を思えば買い出しのお芋六貫は重くはなく
畑仕事水汲み 巻割
絵本の朗読子供の馬積木の相手 庵与は上手
つつましきながらも家庭は常に春のごとく かなり広い庭はことごとく打ちたがやされて畑になってはいるが
この主人ただの狂さめの実利主義者とかいうものとはこと違い 畑のぐるりに四季の草花や木の花を貧よく咲かせ
庭の隅の傾斜の白色レゴ本が卵を産むたびに家中に歓声が上がり 書きたてたら霧のないほどつまり
幸福な家庭なんだ ついこの間も同僚から押し付けられて仕方なく引き受けた宝くじ2枚のうち
1枚が1000円の当たりくじだったが もともと落ち着いた人なので慌てず騒がず
家族の者たちにもまた同僚にも告げ知らせず それから数日経って出勤の途中
銀行に立ち寄って現金を受け取り 家庭の幸福のためにはケチでないどころか
万金をも惜しまぬ気前のいい人なのだから 彼の家のラジオ受信機がラジオ屋に見せても修繕の仕様がないと宣告されたほどに破損
して この2,3年間ただ茶ダンスの上の飾り物になっていて
老母も妻も この廃物に対して時折愚痴を言っていたのを思い出し
銀行から出たすぐその足でラジオ屋に行き 躊躇するところなく気軽に受信機の新品を買い求め
我が家の所番地を教えてそれを届けるように依頼し 何事もなかったような顔をして役場に行き
執務を始める けれどもさすがに内心はウキウキしていたのである
老母や妻の驚き喜びもさることながら 長女も物心がついてから初めて我が家のラジオが歌い始めるのを聞いてその興奮
お得意 また坊やの目をパチクリさせながらの不審顔
09:05
一家の大笑い 手に取るようにわかるのだ
そこへ自分が帰って行って宝くじの秘密を初めて打ち明ける また大笑い
ああ 早く帰宅の時間が来ればよい
平和な家庭の光を浴びたい 今日の一日は馬鹿に長い
締めた 帰宅の時間だ
バタバタと記帳の書類を片付ける その時行き席切って酷くみすぼらしいみなりの女が出産届を持って彼の窓口に現れる
お願いします ダメですよ今日はもう
津島は例の苦労を忘れさせるようなニコニコ顔で答え 机の上をきれいに片付け空のお弁当箱を持って立ち上がる
お願いします 時計をごらん時計を
津島は上機嫌で言ってその出産届を窓口の外に押し返す お願いします
明日になさいね明日に 津島の御長は優しかった今日でなければ
私困るんです 津島はもうそこにいなかった
みすぼらしい女の出産に絡む悲劇 それには様々の形態があるだろう
その女の死なねばならなかったわけはそれは私にもはっきりわからないけれども とにかくその女はその夜半に玉川上水に飛び込む
新聞のとか版の片隅に小さく出る 身元不明
津島には何の罪もない 帰宅すべき時間に帰宅したのだ
土台 津島はあの女のことなど覚えていない
そうして相変わらずにこにこしながら家庭の幸福に全力を尽くしている だいたいこんな筋書きの短編小説を私は病中眠られぬままに編んだしてみたのであるが
考えてみるとこの主人公の津島周二は何もことさらに役人でなくても良さそうである 銀行員だって医者だって良さそうである
けれども私にこの小説を思いつかせたものは彼の役人のヘラヘラ笑いである あのヘラヘラ笑いの寄ってくる根源は何か
12:00
いわゆる官僚の悪の地軸は何か いわゆる官僚的という気風の風土は何か
私はそれをたどっていき家庭のエゴイズムとでも言うべき 隠移な関連に突き当たり
そうしてとうとう次のような恐ろしい結論を得たのである 曰く
家庭の幸福は諸悪の下 地下鉄ギオン駅から徒歩2分
rkb スタービル博多ギオンスタジオはポッドキャストなどの音声コンテンツの収録から 動画のライブ配信まで様々なニーズにお答えできるレンタルスタジオです
お問い合わせご予約はスタービル博多ギオンのホームページからどうぞ