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算盤が恋を語る話 その1
2023-12-09 15:33

算盤が恋を語る話 その1

0063 231209 戸川乱歩 算盤が恋を語る話 その1 朗読:田中みずき
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おしゃべり本棚 この時間は福岡のRKB毎日放送のアナウンサーによる朗読をお送りします。
江戸川乱歩作 算盤が恋を語る話
その1 〇〇造船株式会社会計係のTは
今日はどうしたものか、いつになく早くから事務所へやってきました。 そして会計部の事務室へ入ると、街灯と帽子を片絵の壁にかけながら、いかにも落ち着かぬ様子できょろきょろと部屋の中を見回すのでした。
出勤時間の9時にだいぶ間がありますので、そこにはまだ誰も来ていません。 たくさん並んだ安物のデスクに白く埃の積もったのが、眩しい朝の日光に照らし出されているばかりです。
Tは誰もいないのを確かめると、自分の席へは着かないで、隣の彼の助手を務めている若い女事務員のエスコのデスクの前にそっと腰をかけました。
そして何かこう盗みでもする時のような格好で、そこの本盾の中にたくさんの帳簿と一緒に立ててあった一丁のソロ盤を取り出すと、デスクの端に置いて、いかにも慣れた手つきでその玉をパチパチ弾きました。
十二億四千五百三十二万二千二百二十二円七十二千なりか。
彼はそこに置かれた非常に大きな金額を読み上げて妙な笑い方をしました。
そしてそのソロ盤をそのままエスコのデスクのなるべく目につきやすい場所に置いて自分の席に帰ると、何気なくその日の仕事に取り掛かるのでした。
まもなく一人の事務員がドアを開けて入ってきました。
「いやー、馬鹿に早いですねー。」
彼は驚いたようにTに挨拶しました。
「おはよう。」Tは打ち気者らしく喉へ詰まったような声で答えました。
03:00
普通の事務員同士であったらここで何か景気のいい冗談の一つも取り交わすのでしょうが、Tの真面目な性質を知っている相手は気詰まりのようにそのまま黙って自分の席につくと、バタンバタン音をさせて張簿などを取り出すのでした。
やがて次から次へと事務員たちが入ってきました。
そしてその中にはもちろんTの助手のエスコも混じっていたのです。
彼女は臨席のTの方へ丁寧に挨拶しておいて自分のデスクにつきました。
Tは一生懸命に仕事をしているような顔をしてそーっと彼女の動作に注意していました。
彼女は机の上のソロバンに気がつくだろうか。
彼はひやひやしながら横目でそれを見ていたのです。
ところがTの失望したことには彼女はそこにソロバンが出ていることを少しも怪しまないでさっさとそれを脇へのけると金文字で原価計算簿と記した大きな張簿を取り出して机の上に広げるのでした。
それを見たTはがっかりしてしまいました。
彼の計画はまんまと失敗に帰したのです。
だが一度くらい失敗したって失望することはない。
エスコが気づくまで何度だって繰り返せばいいのだ。
Tは心の中でそう思ってやっと気を取り直しました。
そしていつものように真面目くさって与えられた仕事に勤しむのでした。
他の事務員たちはてんでに冗談を言い合ったり不平をこぼし合ったり一日ざわざわ騒いでいるのにTだけはその仲間に加わらないで退室時間が来るまでむっつりとしてコツコツ仕事をしていました。
12億4532万2222円72千円。
Tはその翌日もエスコのソロバンに同じ金額をはじいて机の上の目につく場所へ置きました。
そして昨日と同じようにエスコが出勤して席につく時の様子を熱心に見守っていました。
すると彼女はやっぱり何の気もつかないでそのソロバンを脇へのけてしまうのです。
その次の日もまた次の日も5日の間同じことが繰り返されました。
06:06
そして6日目の朝のことです。
その日はどうかしてエスコがいつもより早く出勤してきました。
それはちょうど例の金額をエスコのソロバンに置いてやっと自分の席へ戻ったばかりのところだったものですからTは少なからずうろたえました。
もしや今ソロバンを置いているところを見られはしなかったか。
彼はビクビクしながらエスコの顔を見ました。
しかし幸せにも彼女は何にも知らぬようにいつもの丁寧な挨拶をして自席につきました。
事務室にはTとエスコただ二人きりでした。
今度のバツバツ丸はもうやがてボイラーを取り付ける頃ですが製造現化の方もだいぶかさみましたろうね。
Tは照れ隠しのようにこんなことを問いかけました。
臆病者の彼はこうした絶好の機会にもとても仕事以外のことは口がきけないのです。
ええ、コーチンを混ぜるともう八十万円を越しましたわ。
エスコはちらっとTの顔を見て真面目な口調で答えました。
そうですか。今度のはだいぶ大仕事ですね。
でもうまいもんですよ。そいつを倍にも売りつけるんですからね。
あ、俺はとんでもない下品なことを言ってしまった。
Tはそれに気づくと思わず顔を赤くしました。
この普通の人々には何でもないようなことがTには非常に気になるのです。
そしてその赤面したところを相手に見られたという意識が彼の方を一層ほてらします。
彼は変なからせきをしながら荒ぬ方を向いてそれをごまかそうとしました。
しかしエスコはこの立派な口ひげを生やした上役のTがまさかそんなことで狼狽していようとは気づきませんから何気なく彼の言葉にあいづちを打つのでした。
そうして双子と巫女と話し合っているうちに、ふとエスコは机の上の例のソロバンに目をつけました。
Tは思わずハッとして彼女の目つきに注意しましたが、彼女はただちょっとの間そのバカバカしく大きな金額を不審そうに見たばかりですぐ目を上げて会話を続けるのです。
09:07
Tはまたしても失望を繰り返さねばなりませんでした。
それからまた数日の間同じことが必要に続けられました。
Tは毎朝エスコの席につくときを恐ろしいような楽しいような気持ちで待ちました。
でも二日三日とたつうちにエスコも帰るときには本棚へ片付けていくソロバンが朝来てみると必ず机の真ん中にきちんと置いてあるのをどうやら不信がっている様子でした。
そこにいつも同じ数字が示されているのにも気がついたようです。
あるときなどは声を出してその十二億四千云々の金額を読んでいたくらいです。
そしてある日とうとうTの計画が成功しました。
それは最初から二週間もたった頃でしたが、その朝はエスコがいつもより長い間例のソロバンを見つめていました。
首を傾けて何か考え込んでいるのです。
Tはもう胸をドキドキさせながら彼女の表情をどんな些細な変化も見逃すまいと異常な熱心さでじっと見守っていました。
息詰まるような数分間でした。
がしばらくすると突然何かハッとした様子でエスコが彼の方を振り向きました。
そして二人の目がぱったり出会ってしまったのです。
Tはその瞬間彼女が何もかも悟ったに違いないと感じました。
というのは彼女はTの意味ありげな行詞に気づくといきなり真っ赤になってあちらを向いてしまったからです。
もっとも鳥様によっては彼女はただ男から見つめられていたのに気づいて、その恥ずかしさで赤面したのかもしれないのですが、
のぼせあがったその時のTにはそこまで考える余裕はありません。
彼は自分も赤くなりながら、しかし非常な満足を持って紅のように染まった彼女の美しい耳たぶをきもそぞろに眺めたことです。
12:03
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