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こんばんは、ほかひびとラジオのTaitoです。 こんばんは、ほかひびとラジオのTaitoです。
普段はアート業界で働きながら、夜は下北沢で新聞を作ったり、ラジオを撮ったり、編集者として活動しています。
このラジオはね、ちょっとダラダラ喋る可能性もあるんで、1.5倍再生とかを推奨してますね。
前回は、波っていうので、出来事は遅れてやってくるみたいなね、取り返し、現在になった時には取り返しがつかなくなっているみたいな話でね、現在っていうものについて話したんですけどね。
一つ例として、現在を1両編成で捉える時もあれば16両編成で捉える時もあるみたいなね、電車を例にして現在を例えたんですけれども、それは要は1両編成で進み続けているということですね。
ちょっと分かりづらかったかもしれない補足ですけども、常に進み続けているんだけど、それを1両編成で捉える時もあれば16両編成で捉える時もあるっていうのが、現在の幅、時間軸っていうものをどう捉えるかっていうね。
5年で捉える人もいれば、50年で捉える人もいれば、1週間で捉える人もいれば、1日で捉える人もいるみたいなね、そういう話なんですけれども。
現在っていうのはね、英語ではプレゼントって言うんですけれどもね。
プレゼントっていう要はギフトもプレゼントって言うじゃないですか。
なんかそれも、世界は雑魚でできているっていうね、本の中で。
僕はこれは結構本当に、なんだろうな、インパクトファクターが高いっていうか、すごく影響を受けた本なんですけれども。
基本的には、何かを受け取っているっていうことに気づいた時に初めて雑魚が完了するっていうか。
すでに過去から未来に向かって投げ出された雑魚っていうものに気づくっていうところから生きるっていうことが始まるっていうことを言ってるんですけど。
それはまさに過去からのギフトっていうかプレゼントっていう感じがして。
まあなんだろうな、現在を感じるって時には、まあそれこそね、人間関係でどうのこうのみたいなのがあったとしても、
この人から、この人が過去に言った言葉っていうのは波のように今になってやっとわかるみたいなことがあるじゃないですか。
まあ親から言われたことだったりとか、学校の先生が言ったなーってことだったりとか。
あのね、過去に音楽の先生からもらっていたことっていうね、すでに受け取っていたことみたいな。
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まあ言ったらその過去の先生から学んだことみたいなことをね、喋ったこともありましたけど。
自分が受け取った時にはもうそれを返却するっていうかね、返すことはできないんですよね。
ありがとうっていうこともなんだろう、なかなかできないっていうのがありますよね。
なんか、まあそれの一つの例として、僕は子供の時から文通をしていて、
その文通の相手は祖父だったんですけれども、祖父からね、手紙がよく送られてきてたんですよ。
縦型のね、線が入った、外線が書かれた手紙を引きたいでね、ツラツラツラーと。
字が上手な祖父だったんでね。
送られてくるんですけれども、元気ですか?みたいな感じでね。
学校はどうですか?とか友達はできましたか?みたいなのが来るんですよ。
最初の方こそね、こういう部活に入りましたよとかね、席替えがありましたとかね、いろいろ書いてたと思うんですけれども、
当時のね、小学生、中学生、高校ぐらいまでね、多分手紙は届いてたんですけれども、
なんかそういう時期の、たかんな時期のね、少年、青年にとって、
体だけには気をつけてくださいとかって、そういう言葉ってね、なんかあんまり刺さんなくって、
なんか結構長い文章が書かれてて、なんか読みづらいし、なんか返信するのも奥だな、みたいな感じでね、
お返しの手紙を書くのをね、やめちゃってたんですよね。
で、なんかいつか書かなきゃなーとか、なんかこう、二十歳になった時に、まとめてこう、ちょっと小説じゃないけど、こんな人生でした、みたいな感じで送ろうかなーとかって、
いろいろこう考えたことはあったんですけども、結局なんか祖父が亡くなったんですよね、そのまんまね。
それで、もう最後に、なんだろうな、本当に、なんだろう、普通に喋れないみたいなタイミングでは、もう取り返しがつかなかったし、
その手紙の返信っていうのは結局、なんだろうな、遅れずじまいで、一方的なものになってしまったんですよね。
僕はそれがすごい心苦しくて、既読無視みたいなね。
もらってるけど、それをその時に返せなかったっていう、すごいなんか罪悪感っていうか、後ろめたさみたいなのにね、結構苛まされて、祖父が亡くなった時は本当に悲しかったんですよね。
で、これまでもらった祖父からの手紙っていうのは、全部ファイリングしてるんですけど、それを読み返しながらね、
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ああ、みたいな、こういうことを気にかけてくれたのに、自分はその時に受け取れなかった、でも今初めて受け取れたなーみたいな気持ちになったりとかして、
そういう過去から未来に閉じられた憎悠っていうのは、受け取った時点ではもう返せないんだなーっていうのをね、すごい感じましたね。
なんかその憎悠、世界を憎悠できているっていう本の中でもね、サンタクロースの正体っていうね、あの回があって、
サンタクロースっていうのはね、憎悠をしたっていうことを受け取った側に知られてはいけないと。
受け取った側に知られた瞬間にそれは不才の義務を生むっていうことを言うんですよね。
マルセルモースっていうね、学者とかが憎悠論っていうのを書いたりとかしますけど、憎悠っていうのは同時に不才だったり呪いにもなるっていうね、
変報戦の原理みたいなのもありますけど、返す義務っていうのを負うんですよね。
だからこそ後ろ目立たさが発生して、返さなきゃ返さなきゃって常に思ったりとかするっていうのがね、憎悠の難しいところでもあるんですけど。
それを例えば魚買うから1000円ねとかわからない、適当に言いましたけど、みたいな感じで要は交換という形でその場で完結させるのが、
いわゆる交換経済と言われるもので、憎悠経済っていうのはすごく時間軸っていうものを持ったものなんですよね。
なんか一個、これはさっきの僕の祖父の話に近い話なんですけども、
なんか午後5時の徘徊人みたいなね、16時の徘徊の合理性っていうね、章っていうかがあるんですけど、
それはどういう話かっていうとね、めっちゃざっくり説明しますけど、
なんかこう、ぼけちゃった、おばあちゃんかな、お母さんかな、なんかぼけちゃったと。
それでなんか病院に入るんですけれども、認知症になっちゃってね、病院の先生の言うこととかなかなか聞けないんですよね。
それで毎回ワッて起き上がって、病院の中をうろうちょろ徘徊するんですけれども、これはどうしたもんかねって病院の人たちは困ってたんですよね。
それでいろいろね、どういう理由で徘徊しちゃうんだろうっていう原因を詰めたら、それが毎回16時にね、徘徊するっていう習性があると。
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なんで16時になったら徘徊したがるんだろうなっていうのをね、またさらにさらに突き詰めていったら、
それが16時になったら、そのおばあちゃんですよね。
おばあちゃんは、本当に娘が小さかったときに、おばあちゃんがお母さんだった頃かな、ちょっとわかりづらいからになっちゃったけど、
16時になったら娘の小学校か幼稚園かなんかの迎えがあるから、それを体に染み込ませていて、
本当に亡くなる直前になっても、16時になったらパッて起きて徘徊して、要は娘を迎えに行かなきゃっていう行動をとってたんですよね。
本当に認知症になったりとかすると、記憶が曖昧になったりとかして、
本当に幼児対抗するっていうか、過去の記憶がずっと残ったりとかってするじゃないですか。
それこそ、僕の祖父も亡くなる前に、本当になんだろうな、
おばあちゃんですよね。つまですよね、おじいちゃんからしたら。
一緒にデートに行くみたいなことを思い出して、電話をかけたりとか、手紙を書いたりみたいなことをつい言っちゃってて、
どこにいるの?みたいな感じでボケてたんですけれども、そういうことがあるんですよね。
ちなみに言うと、電話をかけるみたいなので、確か20代だった頃の記憶になってるんですよね、祖父は。
それで、おばあちゃんに電話かけるぞってなって、なんでいないの?ってなったら、
ここにいるよとか言っておばあちゃんが顔を出すと、いやいやお前じゃないってなって、
若かりし日のおばあさんじゃないから、あんたじゃねえよっていう感じで跳ねのけられるんですよね。
それでわざわざ病室の外に出て、もしもしとか言って電話をするみたいなね、小芝居みたいなのをね、
亡くなる寸前までやってたんですけど、すごい面白かったですね。
まあまあまあで、さっきの話に戻ると、僕のおばあちゃんじゃなくて、
16時に徘徊しちゃう本に書いていたおばあちゃんというのは、娘のために歩き回ってたんだってことに、
娘はその時になって気づくんですよね。はーって、だから16時になったら歩き回るのか。
で、それは病院の中では不可解な行動だと思われてたんだけど、
それは私のためだったんだってことに、その時になって初めて気づくっていうね。
だからそこで要は、亡くなる直前ですよ。
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意識が朦朧としてる。認知症でボケちゃってるっていうところまで、
体に染み込んだぐらいの娘に対する愛っていうのをバーっと一挙に受け取るんですよね。
それは受け取りきれないぐらいの大きな不才っていうかね、
なんか悲しみだと思うんです。悲しみっていうか喜びっていうかだと思うんですけどね。
いやー、そうやって誰かが与えたものっていうのは本当に受け取った時にはもう返せないっていうのはね、切ないですよね。
はい、しみじみ話になっちゃいましたけど、これは。
これが午前3時の僕の語りですね。
こういう感じになっちゃうみたいですね、この時間になると。
みたいなのがあって、Pay it forwardっていうね、
映画のことも書かれてるんですけど、
要は先に支払うっていうか先に渡す、先に贈与するみたいなのはね、
よく言われること、Pay it forwardしようとかってよく言われますけど、
要は贈与を最初に与えた人っていうのはね、
なんて言うんだろうな、これ不思議なんですけれども、
自分が贈与者であるってことが分かった瞬間に存在できなくなっちゃうみたいな不思議な話も書かれていて、
贈与ってものが後患に落ちないためには、贈与は未来に向けて投げられるもので、
贈与を受け取る側っていうのは、現在から過去のものを受け取るっていうのがね、
そういう贈与的なるものの時間軸だっていう話を書いていて、
これは面白いなと思いますね。
それは例えば人間関係性で、人間関係の中で、
俺はこれやってやったじゃねえかとかって言って、それを受け取ってないみたいなことも、
本当に贈与っていう観点から見るとナンセンスな話で、
自分が渡したって思ってるものは、自分ではもう受け取ってくれたってことには気づけないと。
それが正しい形なんだってことで、
そもそも普通に人間が生きているみたいなことっていうのは、
すでにあらゆる贈与をもらってるんですよね。
それは人の成り立ちっていうのも関係していて、
他の生物とかといろんな生物とかと違って、人間っていうのは脳が大きいから、
成人するまでにものすごい時間がかかるわけですよね。
だから本当に最初から社会的な存物っていうか、
全く無力な存在っていうのは、誰かによって加護されないと、
自分で生きていくっていうところまで到達できないんですよね。
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だから自分が本当にすでに意識を持ったっていう時点では、
すでに多くの贈与をもらってるわけですよね。
でもそれはまさに、親の心をこしらずみたいな言葉もありますけど、
あるべき形なんだっていうのが贈与の本質だなっていうのを思うんですけれども。
自分も過去の人間関係とか恋愛とかの中で、
いつか時が経てば分かるはずって言われてたいろんな物事に対して、
なわけねえだろっていうかね。
いや、俺とあなたは違うんだ。僕とあなたは違うんだっていうことをね。
言ってたぐらい傲慢な時もあったっていうか、今でもそうかもしれないんですけれども。
結局、今になって分かることっていうのはあるから、
お前も年取ったら分かるよっていう言葉は本当だなっていうのをつくづく思いますね。
いや長くなっちゃったんですけれども、ちょっと贈与に関する話でしたね。
いや、既に受け取ってるってことに気づくと、
それは返す場所がないから、他の誰かに返したいなっていう気持ちになりますよね。
それは贈与をくれた人に返せないっていうのはすごい悲しいっていうかね。
自分はこれだけ与えたのに自分には返ってこないんだっていうのをね、
思ってしまったり思わせてしまったりとかっていうのはありますけれども。
そういうもの?そういうもの?なんだろうなっていうのは思います。
はい、なんかしんみりしちゃいましたけれども、今回はこんな感じです。ありがとうございました。