00:07
こんばんは、ほかひびとラジオのTaitoです。 前の回は、
僕がやってるDiscordでお便りをもらってっていう感じだったんですけど、そのお便りをくれたのが、最近ブチ上がったこと、ブチ上がっていることみたいな感じで、
友達の写真を撮っている人がくれたんですけども、 いや、今考えるとナイスプロンプトだなぁと思いますよね。
その人はね、
会うだけで元気になるみたいな、結構ハッピー野郎なんですけれども、
なかなか西海岸のアメリカにいたこともあったりとか、サーフィンやってることもあったりとか、
写真もね、すごいいい写真撮って、僕らが下北で活動している写真とか、めちゃくちゃその彼の写真が多いんですけれどもね、
最近ブチ上がっていることを喋ってっていうプロンプト一発で自分の元気が出たっていうのはね、
本当に彼の持つパワーだなと思って、改めてグルービーだなと思ったんですけど、
グルービーで言うとね、グルービーって、僕が勝手に呼んでるだけっていうよりは自称っていうか、すごいグルービーな人なんですよね、本当に。
インスタのアカウントとかもね、グルービーっていうのがついてたりとかして、サーフィン、サーファーっぽい感じですよね。
で、僕がね、思ったのは、その写真をね、これまでいろんなイベントを外、外部でやってたりとか、
オープンマイクのイベントをよく話しているやつだったりとか、本当にいろんな写真をね、その彼がね、撮っていって、それがバーっとアーカイブで残ってるんですよ。
もうそろそろ、あの、4年間ぐらい、その、そういうぽいっていう場所ではイベントやってきたんだけど、下北沢の。
で、それがね、なんかウェブサイトに使われたりとか、それこそ新聞で使わせてもらうときとかに、ちょっと写真使わせてくれないとかって言ったりとか、
前、友達と、あの、ラジオをやって、あの、2人でね、マルビトラジオっていうのをやってて、一時期YouTubeで動画もやってたんですけども、
その時にもね、ちょっとあのイベントの時のこの映像を使わせてほしいみたいなのをね、あの、頼んでね、
まあその、彼にね、お願いしたりとかしててね、もう、まあイベント僕らの、あのイベントの写真はね、彼が結構、あの多くの、なんだろうな、記録的瞬間をね、
あの、残してくれててね、すごいなと思うんですけども、すごいなっていうか、本当に最高だなと思うんですけれども、
なんか、なんて言うんだろうな、あの、まあ当然その写真をね、あの、やっている人ではあるから、そのクレジットとかは大事につけるし、彼の表現物であるっていうのは、あの、前提の上で、なんかいろんな媒体に、それこそYouTubeだったりとか、新聞だったりとか、ウェブサイトだったりとかに、あの、写真がこう、なんだろうな、使われていくって、なんかすごい写真の流通としてすごい美しいなと思ってて、
03:13
まあ実はこのホカイブトラジオのプロフィール写真も、彼に撮ってもらったものなんですけど、もう本当ね、あの、気づいたら、気づいたらいい写真撮れてて、あれ、みたいな、もらったらね、なんか、ああ、こんなに撮ってたんだ、みたいな感じになる、なんか素敵な写真家なんですけども、
なんかそういう、なんだろうな、その創作物の、あの、回り方っていうのはね、なんかある種一つ、なんか、なんか考えられるポイントがあるなぁと思っていて、
昔、あの、なんか、アンダーグラウンドプレスシンジケートっていう団体があって、で、あの、60年代ぐらい、60年代、70年代とかに、あの、当時、その出版が禁止された人たちが、地下出版っていうか地下新聞みたいなのをたくさん作ってたんですよね。
その中で、あの、要は、別々の新聞がたくさんあるんだけど、なんか似たようなコアの部分は共通しているみたいな時に、その写真とか、あの、なんだろうな、あの、図像っていうかね、イラストとかを共有して、天才可能な、あの、なんか組織にしようみたいな感じで、最初5社ぐらい、5社、5市ぐらいが新聞提起してて、でもどんどんどんどん広がって、最終的には、
2500市ぐらいの新聞がね、国境を越えて、その中に使われている素材を使っていいよっていう契約のもと、いろいろ、まあ、その創作物というかね、あの、掲載するコンテンツが共有されてたっていうね、話があって、なんかそういうのもすごいおもろいなと思ってて、
で、なんか、その僕がこの前、あの、なんだろうな、編集部のみんなで作ったキリン新聞、ジラフっていうね、新聞に、あの、一つ、えっと、なんだ、サイケデリックロックバンドをやってるね、そのジラフっていうバーの店長、サッカー部の部長のマル君っていうね、あの人が書いてる歌詞を、あの、なんだろうな、
まあ、和訳して、僕が文章を書いたみたいなページがあるんですけど、それは、その、アンダーグランドプレスシンジケートっていうね、今、一つの、あの、当時、流行った60年代、70年、60年代の後半に流行った、あの、なんだろうな、新聞、地下新聞の一つのね、サンフランシスコーラクルっていう、まあ、ヒッピー向けの雑誌があって、それのページを参考にしてるんですよね。まあ、それは別にその、あの、関係ないけど、なんか、なんだろうな、まあ、当時のね、えっと、
まあ、その、地下新聞とかっていうのは、あの、まあ、場所が違ったりとか、あの思想、思想っていうかね、なんかこう、アプローチとは違えど、なんか一つの思想を、なんかこう、牽引してたみたいなところがあって、まあ、それが、あの、サンフランシスコーラクルの場合は、まあ、フラワームーブメントみたいなものだったりとかね、その、まあ、あの、なんだろう、政治の季節ですよね、60年代後半から70年代、70年にかけての、こう、盛り上がりだったりとかっていうのをね、こう、可視化していくっていう、
06:23
ものになって、そこにはこう、メディアがね、地下新聞なり、まあ、何なりのメディアが開催していて、その中身を支えるコンテンツっていうのが共有されていたっていうのはね、あの、すごい面白いことだなと思ってて、まあ、当然今ネットガール時代だから、まあ、必ずしもそういう、なんだろうな、広がり方がするわけではない可能性、ないのかもしれないし、あの、まあ、著作権の問題だったりとかね、いろいろ、
なんだろう、作家が守りたい権利っていうのはね、大事にする必要があるなとは思いつつ、なんかその創作物が、あの、人の手を渡って、あの、一つのミームっていうかね、記号と、記号というか、あの、なんだろう、共有財産としてね、シェアされていくっていうのはすごい面白いなと思って、なんか個人的には僕は自分が書いた文章だったりとか、まあ、自分が書いた文章、自分が書いた、作った、ね、画像とかっていうのはなんか、どんどん勝手に、なんだろう、リミックスされて、使われてってくれたら嬉しいなっていうか、
僕はそういうスタンスでいたいっていうかね、そうする人がいるかどうかを置いておいて、あの、なんかそれぐらいなものであったらもっと楽しいな、創作があって、あの、思ってるんですけど、
なんかね、あの、意味がこう、まあ、誤配みたいな話もしたけど、どんどんどんどん付与されてって、いろんな人の、いろんなこう解釈といろんな流れがね、あの、生まれてって、作品がこう、一人歩きしていくっていうのはね、
僕は肯定したい派っていう感じですね、まあまあまあまあまあ、それは僕が勝手に思いついたことですけれども、うん、いやー、そのね、なんか地下新聞っていうのもね、結構面白くって、インターネットアーカイブっていうね、ところでいろんな古いやつを見れたりとかするんですけれども、
あの、ビジュアルを見るだけでもね、あの、段組とか、今の、例えばインデザインとかイラストレーターとかだったら、絶対こういうの使わないだろうな、みたいなやつが、あの、いろいろ残ってたりとかして、あの、まあ、編集部でもね、あの、レファレンスとして使っていったりとかして、あの、デジタルに、デジタルにっていうかね、あの、ネット上、アーカイブとしてしか残ってないものっていうのをね、ある種、別の文脈で、あの、復活させるみたいなことをやりたいなーとは思ってるんですけどね、はい。
まあ、そんな感じですね、なんか、あの、いろんなね、動きっていうかね、あの、なんだろう、僕の観測してる周りでは、この人が新しく創作を始めたとか、表現を始めたとか、こういうプロジェクト、こういうビジネスを始めたみたいなのがね、あの、あって、まあ、そんなの誰の周りでもそう、誰もその周りでもそうっていうか、あの、別に、なんだろうな、自分に限ったことじゃないとは思うんですけども、なんか、そういう活動のすべてがね、もっとグルービーになってきて、
09:00
グルービーにね、あの、影響し合ってね、いくとね、面白いんじゃないかなーっていうことを思ったりしたっていうのと、あの、やっぱ、友達からは元気をもらうなっていうのを思いましたね。はい、ありがとうございました。