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こんばんは。こんばんは。こんばんは。ちょっと待って。耳がかゆい。こんばんは。話す前にさ、耳かいとけっていうね、ことなんだけども、今日はですね、んー、温かい。温かい日はね、アーモンドミルク。
昨日ね、収録しているときに届いたアーモンドミルクで、今朝ね、カフェオレを作ってみたんだよね。ドトールのさ、アイスコーヒーとね、混ぜて作ったら、美味しかったなぁ。
あのね、他のやつでも試したんだけど、薄めのやつだとね、なんかアーモンドの匂いが、ものすごい先立つんだよね。でもドトールのコーヒーはさ、ダークローストだから、割とその、本当のコーヒーの匂いがするっていうのはなぁ、あのペットボトルに入っているさ、安いコーヒーあるじゃん。1リットルでも90円、80円ぐらいで買えるような。
あれでやると、ちょっとね、アーモンドの匂いが立ちすぎるんだけど、ドトールのね、ダークローストと混ぜたら、美味しかった。
あの、アーモンドミルクは無糖なんだよね。甘くないやつを買ったから、甘くはならないんだけど、でも、ほんのりやっぱりなんか甘さを感じるんだよね。あのアーモンドの甘さみたいなものを感じるんだけど、美味しかったね。
あとあのアーモンドのね、匂いもしたりもして。いつもあの、牛乳で割っている方は、ちょっとこう、違ったものでね、割ってみるといいよ。豆乳でもやったんだけど、豆乳はね、美味しくないんだよ全然。
アイスコーヒーでね、豆乳で割ったりして、カフェオレじゃなくて、豆乳で割るやつね。あれはあんまり美味しいと思えなくてね。このアーモンドミルクはいいね。
ということで、こんばんは。毎回自分の上げたトークを何回も聞くんだけど、なんかすごい適当な話をしてるなっていうものがあって、それってどうなんかなって思ったのね。
自分の考えとかね、そういう記憶をたどってとか、そういう曖昧でもいいようなものは、まあ百歩譲っていいんだけども、例えばちゃんとした情報ってあるじゃん。
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いついつにこういうイベントがありますとか、何々がいつ発売されますとか、有名人とかね、歌詞やバンドの名前であるとか、その情報として間違えてはいけないようなものもね、結構なんか適当な配信をしてるなという感じがあったりしてさ。
一応名前とか日付みたいなものはね、調べるんだよね。調べて話したりするんだけど、それでもその後に変更になるということもあるし、俺が違う情報からそれを間に受けて話しているということもあったりして。
このなんかね、精度がない話ってさ、たまたま聞いていただいてさ、でそれを信じてね、その人になんかアクションを起こさせるようなことがあったりしたら、なんかすげー迷惑だよなーとかね、そう思ったりも。
だから、まあ友人間とか知り合い間であればさ、間違った情報を話したとしても修正できるということもあるし、笑い話で笑わせられるということもあるし、喧嘩になるようなこともあるんだけど。
こうして特定の人が聞いているもので何か発信をしていくときって、そこら辺の情報の精度ってね、もっと気にしなければいけないんだろうなーっていうことを思うんだね。
だからね、逃げているっていうところも正直あって、ヨタガノ雑誌っていうふうに透けてるのは雑談の中での話だから、その話の中に出てくる細かな情報とか名称であるとかっていうのは間違えることがあるし、
その場の思いつきで話していることの方が多いから、そこら辺の情報の角度に関しては雑談だから許してねっていうね、そういう甘いがあるんだよね。
だから雑談ってつけてないものは、本当にね、あらすじを書いてみたり、ちゃんと話すものをね、した書きしてというものがあるんだけどね。
なんか雑談に関してはね、そこら辺の情報の精度が緩いなって自分自身聞いててね、と思ったり。
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で、その配信というものをどういう位置づけで捉えるかという、その発信する側の思いと受け取る側の思いってやっぱり違うじゃん。
発信する側は、俺のこの発信しているものの考え方で言うと、もう本当に自分が話したいことを話したいし、その時々に思ったことを話したいから、まあ雑談っていうこともあるし、
情報の抜けやかけがあるのもほんのり許してねっていう、そういうものがあるんだけど。
でも聞いている側の人からするとさ、本当にああいうテレビと同じようなクオリティで受け取る人もいるわけだよね。
テレビとかラジオで放映されているものとこういうユーザー配信で話しているものを同じものとして聞いているっていう人もいるし、まあ所詮素人だよなっていうふうに聞いている人もいるし、
結局それは受ける側がさ、その人の配信に対してどういうふうに聞いているかとか受け入れているかっていうものの違いがさ、みんなにあるからね。
だから長く聞いていただいている方は、こいつはいつもこんな調子で話してるから、付き合ってやろうというふうに思っていただけてるのかなとも思うし、
逆に所見で聞いてきたときはさ、いやすげえなんか適当な話をしてるよなとかね、そんなふうに感じたりもするんだろうなと思うんだね。
だからこれはもう明確に発信する側の姿勢の違いだよね、結局ね。
自分が本当にああいうテレビやラジオと同じようなクオリティを目指して、ある意味残していくような配信をしているものもあるし、
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俺のようにその日暮らしで消えていくような話のものもあったりする番組もあるしね。
だからその発信する側の姿勢がどれだけ聞いている人に伝わるとかね。
それによって受ける側が、この番組はこういうふうに聞けばいいとか、こういうものなんだなっていうふうに認識してもらうしかできないのかもしれないね。
面白くて難しいね。
昨日もさ、この前話した鈴木オサムと佐久間のね、鈴木オサムが残っているベスト10の5位から1位だったかな。
それを発表しているYouTubeを見てたりしたんだけど、やっぱりああいう番組を作っている側ってさ、
視聴者にはさ、いやすげえまたバカげたことをやって笑わせてくれているとかさ、
いや全然何も考えてねえで作ってるなとかさ、思うんだけど、
でも作り手側の方にはさ、やっぱりそれぞれの番組にかける思いとかね、
その番組としてオーエアするまでに至る労力とかね、時間があるわけでさ、
ポンってね、俺が目玉焼き焼くようにさ、できるものではないんだよね。
ただそれがああいうふうに番組でオーエアされたときに、どんなに作り手側の思いがそこに込めているものがあったとしても、
届かない場合もあれば届くものもあるんだけど、ただバラエティとかああいう番組に関しては、
よっぽどそのお笑いとかバラエティが好きな人であれば、いろんなそのシーンで演出の凄さであるとか、
芸人のね、その場のアドリブの対応の凄さとかね、そこまで感じたりね、読み取れたりはするんだけど、
ただ圧倒的にお茶の間でテレビを見ているさ、そうからすると、もうその番組が面白いか面白くないか、
この芸人さんが楽しませてくれるかくれないかというだけのことであって、そこにその芸の巧みさであるとかね、
作り手側の思いや苦労みたいなものっていうのは、そんなに感じないままにね、見ていると思うんだよね。
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だから結局何かものを発信して受け取る人がいるものっていうのは、
結局都度のつまりはね、受け取る側がそれをどう受け取るのかでね、全てが決まってしまう。
ただ作り手側、発信する側でいうと、自分はそういう思いで発信したということだけがね、
その意味唯一、続けていてよかったなとかね、やっていてよかったなとかね、また次に反映できるなとかね、
そういうものになるんかなと考えたんだよね。
やっぱりユーザー配信ってさ、本当に誰しもができるようになって、かなりの、大半がさ、
自分の思ったことや考えていることとか、そういうものを発信しているからさ、
基本その他の主観でしかないわけだよね、ほとんどにおいてね。
で、これほどまでに一般の人たちの主観が共有できるようになった世界っていうのはさ、
このネットが普及するまでっていうのはないからね。
こういうふうにネットが普及して、こういうSNS時代になってさ、
よりその人のああいう主観的な意見や考えを目にするようになるとさ、
いやーなんか、何言ってんだろうこの人とかね、いうことの方がやっぱりすごい多いんだよね。
すごいなんかためになったわとか、いいこと言うなとかさ、
そういうふうに思うことは、俺は限りなく少なくてね、
むしろ何言ってんだろうなっていうことの方が多いの。
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で、自分のこの配信を聞いていてもさ、
やっぱり自分自身がね、ちょっと同じような気持ちになるんだよね。
何言ってんだろうみたいな。
自分の配信が自分自身が一番楽しいし面白いと思っているから楽しめてはいるんだけど、
ただ何言ってんのかなっていう時はさ、あるんだよね。
だから結局自分もああいうふうにSNSに溢れている、
主観で物を言っている一人の人間と全く変わらないっていうものがあってさ、
それがなんかさ、なんか嫌なんだね。
そこに混ざりたくないっていうものがあるんだよね。
それもこの間やっぱりユーザー配信している子さんの人がいて、
その人は一時期すごい投げ銭で稼いでいたんだよね。
いつも投げ銭のランキングみたいなもので言うと、
1位とか2位にいるような人がいたりしたんだけど、
でもぱったり配信をしなくなったんだよね。
1年ぐらいからしなくなって、
もう1年ぐらいまたちょぼちょぼと配信をするようになって、
タイミングが合うときは見るんだけど、
その人が言っていたのはさ、
今ユーザー配信で投げ銭が当たり前になってた。
でもあんまそれやりたくないんだよねっていう話をしてるんだよね。
自分自身はさ、投げ銭が始まった頃にはね、
投げてくれ投げてくれっていう風に、
ある種そのリスナーを煽っていたりはしたんだけど、
あの時は周りが誰もやっていなかったから、
自分はね、ああいう風に煽って投げ銭をしてもらっていた。
それができたんだけど、
今は全員がね、もうかねくれかねくれ配信をしているから、
じゃあ前と同じようにね、
投げ銭してっていう風な配信はもう今はちょっとダサいからね、
したくないんだよっていう。
もう自分自身は周りとね、
同じような中でやりたくないんだよねっていう。
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そんな話をしてたりもしてさ。
まあその人も、
こだわりであるとも言えるし、
あまるじゃくとも言えるんだけどね。
ただその気持ちが、
少しわかるなって思ってさ、
なんか多くの人がね、
怒っているのであれば、
自分も怒ってみたりとかね、
悪態をついてみたりして、
注目というか、
聞いてもらえる人にそれで楽しんでもらえたらとかさ、
言うものがあって、
でもそれってね、
自分が一番意味嫌うようなさ、
人たちがやっていることと、
同じことをやっているわけだよね。
だからそういうことがね、
自分自身を振り返ると、
なかなかにダサいなって、
思ったりとかね。
結局はそのダサいことはやりたくないと言いながらもさ、
自分の中にある種の心霊がないからね、
揺らぐんだね。
だからそういうふうにダサいことに流されて、
やってしまうとかね、
そういうことが、
それを自分自身で感じてしまう。
ちょっとね、
聞いている方には、
いつも以上に面白くない話で、
自分が自分に向けての話になってたりする。
見機がないんだよね。
自分自身が思うのはね。
見機がないから、だから、
逆にそのいろんなことに興味を持つっていうのは、
見機がないから動けるとかね、
そういうものでもあるんだよね。
例えばぶっとい見機があって、
じゃあものすごい本が好きとかね、
ものすごい映画が好きとか、
そういうぶっとい見機があればさ、
よそ見はしないわけだよね。
枝葉の方に気が持っていかれることっていうのはないんだよ。
それは自分自身が、
この人はぶっとい見機を持っているなっていう人を見ていると言うとさ、
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やっぱり周りのそういう枝葉の部分って見ないもんね。
その一方で俺はもう枝葉ばっかりだもんね。
枝葉が好きすぎてさ、
もう見機をないがしろにしてね。
むしろ枝葉にしか行っていない。
だからもうずっとフラフラしているっていうさ、
そういうものがあるんだよな。
これは自分自身はさ、
こう何か大きい見機を持って、
しかも枝葉も見てっていうふうにね、
なりたいって思うんだけどさ、
たぶん死ぬまでできないんだろうなっていう、
その諦めもあるし、
それを正当化しているというね。
自分もいるんだね。
いやむしろそういうふうにさ、
いろんなものに興味を持てるであるとか、
新しい情報に触れて、
それを知らない人を、
いや遅れてるんじゃないかとかさ、
いうものって、
自分にはそういうぶっとい見機がない分だけね、
そういうものに逃げているとも言うし、
正当化しているっていうことが、
昔からよく言われるっていうか、
3,4人ぐらいの人にね、
言われたことがあるんだけど、
本当にお前さ、真剣に集中して取り組んだら、
もっといい仕事ができるのになっていうことをね、
言われたことがあるんだよね。
そんなふうに3,4人の上司であるとか、
そういう人たちから言われてさ、
それが自分自身はあんまりわからなかったんだよね。
そのよそ見しながらフラフラしている感じでも、
やってこれたというものもあるしね。
自分自身はやってこれたことにさ、
あんまり後悔はしていないんだよね。
むしろすごい楽しんでね、
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仕事ができているなっていうものがあるからさ。
ただ、自分自身はそれでいいのかもしれないけど、
周りの人たちはね、すべらからず、
そんなふうにフラフラしていながらも、
もうちょいお前がね、真剣にやればということで、
期待してくれていたんだろうなとはね、
思うとさ、その期待に応えられていない自分でいうのはね、
今になるとものすごい未熟だなとはね、
思ったりもするしね。
じゃああの時に本当にそのものにね、
一つに集中してやっていたらどうなっていただろうなとはね、
思うことはさ、ないんだよね。
なんか一つのことにさ、
本気で集中してやると、
もう自分自身がどうなるかっていうことがわかってるんだよね。
それがわかってるから、やりたくないんだよね。
やっぱり仕事やり始めの時にさ、
なかなかにその一方の仕事に集中して、
もう本気でやってたりしたんだよね。
その時にやっぱりちょっとパンクしたんだよね。
そのパンクしたようになってしまうのが怖いから、
100%とか120%くらいの力を出してね、やってしまうと、
自分自身がもう破綻するんだなっていう、
それをね一回経験してしまってからがさ、
厄介で出さないんだよね、力をね。
常に余力を持ってさ、やるようになってしまったんだよ。
それが50%であったりとかね、
いっても70%とかね、
それぐらいの勘に仕事をこなすようになってしまって、
それでもまあなんかうまくね、回ったりするんだね。
だからそれでいいんだなとは思いながらやってきたりとしてさ、
でもそうやって一つ一つのことをね、
自分の力半分くらいでやっているっていうことはさ、
そこにはぶっとい幹の練理みたいなものはね、できないよね。
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単純にさ、50%っていうことで言うと、
例えばじゃあ10年仕事してました。
でその10年間50%の力でやっていましたって言ったらさ、
5年分の年輪しかならないわけじゃん。
毎回毎回1年をね、100の力を出してやっている人はさ、
10年分の年輪にはなるんだけど、
自分自身は5年分の年輪にしかなっていないわけだからね。
どうしたってその日はさ、遅いよね。
同じ10年だったとしてもね、
その自分が理想としているというか、
自分がそんな風でありたいと思い描いているものと、
実際のね、今の自分の生き方。
もう過去はどうにもこうにもなんだけどさ、
今とこれから先になるんだけど、
これから先もね、これもまた厄介でさ、
もう未来に向けてさ、やるのがめんどくさいんだよね。
未来のためにいろいろね、準備してとか、
未来の自分に向けて意味の努力をするとか、
そういう風に生きれないというか、
したいと思ったとしてもできないんだよね。
それは性格なんだね。
性格でさ、その人の人生や生き様って、
当たり前っちゃ当たり前なんだけどさ、
性格で変わるよね。
ものすごい性格がこだわるとかね、
慎重にとかっていう人と、
俺みたいなその日暮らしでというのがね、
いいっていうタイプの人ではさ、やっぱり違うもんな。
そうか。
性格なんだな。
都度のつまりで。
なんかいろんな、
例えばね、自己啓発もさ、
本を読んでみるとか、
なんか勉強してみるとかさ、
いろんな人に出会ってみるとかね、
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そういうものはあるんだけど、
そういう外部からの影響を受けてさ、
都度のつまり性格が形成されていくわけでしょ。
その人の性格がだんだんだんだん、
多分生まれながらにしての性格というものもね、
あるんだと思うんだけどさ、
だとしても、
この性格がやっぱり人生とか、
いろんなものを決めるんだな。
当たり前ってさ、
当たり前かもしんないけど、
なんとなくさ、
思っていたのは、
自分の頭の中で考えて、
様々な選択をして生きてきたのかなとかね、
思ったりもするんだよね。
例えば目の前にさ、
赤と白いものがあって、
それを選ぶ選択っていうのは、
インスピレーションだったりとか、
自分の好きとか嫌いとかっていう、
頭の中できらめいたもので、
赤を選ぶのか白を選ぶのかっていうね、
そういうことをしてるんだろうなって、
思ったりしてたんだけど、
今こうしてツラツラと話していてさ、
そういうふうに赤を選ぶか白を選ぶかっていうことも、
それも、
最終的にやっぱりその人の性格によるっていうね、
ものなのかなって思うと、
生きている中ではいろんな選択の場面で強いられるわけでしょ。
その時にさ、
頭の中で考えているとか、
周りの情報によって決めているっていうね、
ものが一見あるように思えるんだけど、
でも一番最終的なところではさ、
その人の性格によって、
その選択をしている、決めているっていうことに、
なるのかもしれないなって思ったね。
自分の話しながらね、
過去を振り返ってみると、
自分の性格に起因して、
いろんな場面で、
仕事の取り組み方とか、
人との付き合い方とかね、
してきたんだなって。
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ちょっと、
もう全然、
あまりにもさ、
誰かに話しているという感じの回ではなくて、
自分が自分に話しているような、
今日の話になったんだけど、
自分の中でひとつね、
気づけたなっていうものが、
つまりは、
いろんな選択や、
ものの考え方とか、
行動でも、
何でもそうなんだけども、
それは全ては、
その人が持っている性格によってね、
決定づけられてきたし、
その人の性格によって、
生き様や人生というものがね、
決まるんだなっていう。
それをね、
理屈で理解した。
理屈で理解したら、
もうちょい年を取れば、
理屈ではなくてね、
もっとより体感として、
理解できるのかもしれないけどね、
今の俺の年齢では、
理屈としてそれを理解したということがね、
できました。
今日はこんな、
自分が自分に向けて話を、
つらつらとしてみました。
こんな退屈なトークンでお付き合いいただいて、
ありがとうございました。
おやすみなさい。