1. 邦楽ぬ。《夜鷹なオトナの音楽談話》
  2. 夜鷹な雑。仄暗い沼に闇堕ちし..
2025-02-13 1:00:56

夜鷹な雑。仄暗い沼に闇堕ちした昨日から這い上がり話します

「自分らしく生きなさい」とアドバイスする

おばさま方の言葉がまったく入ってこない


大人世代の人に観て欲しいふたつの学校ドラマと

フランス映画の話をしてみました。


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私のお誕生日お祝いしてください!や

感想、質問お待ち申し上げております。


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感想

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00:02
こんばんは、こんばんは、こんばんは。
奈落の底から這い上がってね、こうして今日、話ができているこの喜びを分かち合いたいと思います。
昨日もね、収録していて、2時間ぐらい、いや、いい感じでね、まったり話せたなと思って。
で、保存ボタンをね、押そうと思ったらさ、なんか、どっかのタイミングで収録ボタンがね、オフになっていました。
結局さ、何だろうね、独り言で終わったというね、ものがあって。
いやー、なんか、やる気がなくなってしまって。
あんまりにもやる気がないから、昨日はね、前日に作った残りのカレーにさ、目玉焼き乗せてね、ってやりました。
うまいね。やっぱりカレーはさ、2日目がうまいよ。
うまいんだけど、2日続けてカレーライスって、やっぱりちょっとダメだね。
1日ぐらい置いて、カレーならまだいいんだけど、2日連続でカレーはね、ちょっとしんどい。
だから一郎がさ、なんか毎朝カレーをね、食べていたみたいな話があるんだけど。
いや、どんだけカレー好きだよ、インド人がよ、一郎みたいなことをね、思うんだけど。
カレーは好きなんだけど、毎日カレーは食べれないね。
2日目のカレーは美味しいんだけど、連続ではね、食べれないな。
カレーはさ、いいんだよな。どうでもいいんだよ、カレーの話なんか。
それよりもさ、最近自分よりも人生を長く生きてきた人たちとか、またもうすでに亡くなっている方たちが残している言葉。
ああいうものを見たり、読んだりして、いいこと言うなとかさ、そういうふうに思うことが増えてきたのね。
まあそれだけは俺のもう寿命ももうそんなに長くないからみたいな、まあそんなことを思ったり思わなかったりするんだけども。
最近ね、こう自分の中で少し変わってきたものがあって。
例えば、キンキンだと、この間キキキリンさんのね、残している言葉みたいなものがTikTokを見ている中で出てきてさ、で見てたりしたんだよね。
03:15
で、どういう話かというともう覚えてはいないんだけど。
でも以前はさ、妙にキキキリンさんが言う言葉っていうのが心に残るとかね、いいこと言うなみたいなものがあったんだけど、この間見てて全然なんか入ってこないんだよね。
むしろうざいやみたいなふうにまでね、ちょっと思ってしまって。
で、キキキリンさん以外でも割と俺よりも上の年代の人とかもう亡くなっている人たちが残している、特にその女性の言葉だよね。
以前はね、そういう人たちの言葉もいやいいこと言うなとかね、思う場面が多かったりしたんだけど。
なんかね、最近はもう全然入ってこなくて、いやまた何言ってんだこのバカみたいなことまでね、ちょっと思うようになってしまったんだよね。
ねえ、なんでなんだろうなーって。
今日さ、考えてたりしたんだけど。
まあ一つは、なんかこれが高齢化の兆しなのかなみたいな、もうなんでもかんでも腹立っちゃうみたいな。
コンビニの店員さんに腹立ててね、駅員さんに腹立ててさ、近所散歩しているわんこに腹立ててみたりとかね、エレベーターボタン押しても降りてこねえのに腹立ったりとかさ。
してね、暴れまわっているおじいちゃんいるじゃん。
ああいうおじいちゃん化現象なのかなみたいなことをね、思ったりはするんだけど。
まあそれはなんかあるんでしょう?体質が変わるとか、なんか脳のなんかあるんでしょう?そういうものがあるから。
あのー、まあしょうがないっちゃしょうがないんだよね。
あれってそういう風な、もともとの性格があったからああいう風になったとかさ、好き好んだああいう風にいつもね、お怒りモードになったというわけではなくて。
まあやっぱり体の老いとかね、変化があるからああいう風にならざるを得ないみたいなものがあるからさ。
まあおじいちゃんがね、街でとかさ、スーパーで暴れちゃってっていうのはさ、まあちょっと優しい目でね、見てあげてほしいなとは思うんだけどさ。
まあそういうような、よくね、女性でいうと高年期障害みたいなことがあるように、まあ男性にもね、ああいうようなことがあったり、またよりこう年をとっていくとさ、こういうね、お怒りモードになるということもあるのかなって思ったりはするんだけど。
06:08
まあ自分自身ではね、あんまりそういうことはまだね、ないんじゃないかなとは思ってるんだね。
思っているっていう時点で、もうね、静かに進行しているのかもしれないんだけど。
でもそんなに俺は別に、毎日何かにお怒りモードでさ、生活しているわけでもないし、なんかわけのわかんないネットニュースとかね、SNSを見てさ、
こんな納得いけない、USAIDだっけ、USAIDっていうの?あれを見てさ、いやもう日本のこの関わったね、岸田元総理とかさ、納得いかないわ、もう悪口かえちゃおうとかさ、そんな気にはさ、1ミリもならないんだよ。
だから、そこまでにはまだ俺はいってないんじゃないかなとは思ってるんだけど、ただね、なんでこういうふうに、ある程度その、俺よりも年上の女性とかまあ同年代ぐらいのね、女性たちの言葉がもう全く入ってこないし、
いや何言ってんだこのババアみたいに思うのはね、だいたいさ、やっぱり女性のああいう人たちが言っている言葉って、まあやっぱりなんか自分らしくみたいなね、自分が楽しくとか小さな自分が楽しめる幸せを見つけてみたいな、割とその自分なんだよね。
自分自分っていう言葉に溢れてるんだよね。それは子育てを終えて、今までは子供にね、時間や手間暇をかけてきたんだけども、子供たちが成長した大人になり、そしたら今度自分のためだけに使える時間やね、価値観みたいなものができてくるから、それをね、楽しくいきましょうみたいな。
割とそういう言葉が多いんだよね。でさ、なんかね、俺は全然その言葉がね、いやもう入ってこないし、むしろなんか自分らしく楽しんでいきましょうみたいに言われると、いやちょっとなんかうるせえわみたいに思ってしまうんだよ。
自分自身の中では、自分らしくというよりも、いまだに誰かのために役立ちたいとか、誰かのために自分ができることであれば手伝いたいとかね、そういう思いがあるんだよね。
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だから、まあ大げさに言うとさ、自分を犠牲にして誰かのために役立ちたいっていう思いがいまだまだあるんだよ。だからなんか自分のことだけを考える生き方というものにあんまりその共感をしないんだなっていうことを思うんだよね。
だから以前はなんかああいう人たちの言葉がなんかすんなり入ってきたりしたのは、まあそういう時期でもあったということでもあるのかなと思ってね。だからまあ自分らしさみたいなものがなかったから逆にその言葉がさ妙にこう染み入るみたいなものがあるんだけど、ここ最近はあんまりそういう感じがなくてね。
むしろ誰かのためにとか誰かと共存しながらみたいなね、ものの方がいいなと思えるようになってきたんだよね。だからなんか入ってこない。
ただね、そこで自分自身はすげえ立ちが悪いなって思うのが、この自分らしく生きたいみたいなさことって今まで俺一度もなんかこう考えたことがないんだよね。
いや自分らしく生きたいとか自分らしく、自分というものを貫きたいとかさ、思ったり考えたりしたことが一度もなくて、だから自分らしく自分らしくって正直よくわからないんだよね。
何がそんなに自分らしくないのみたいな。でもそこにいるのは自分じゃん。自分は自分でしょみたいな。自分生きとるんちゃうのみたいな。関西弁でいうところの自分言うとるやんみたいな。自分と言いながら相手を示すようなさ。
だからもうそこにその人が存在しているわけだしね、生きているわけだから、もうそれだけで自分らしいんじゃないのっていう。自分らしいというか、らしいとからしくないとかではなくて、自分そのものじゃねえかって思うんだね。
その人の頭の中で、いや今の自分は違うんだとかさ、いろいろ言うんだけども、でももうそこにあなたが存在しているんだから、それはらしいとからしくないとかそういう問題じゃなくて、もう自分自身そのものだろって思うんで。
そういうそのいろんな悩みや葛藤を含んでの自分でしょっていうものがさ、そもそも俺自身の中にはあるから、この自分らしくっていう考え方がさ、正直もうなんかようわからないんだよね。
12:04
だから最近の歌とか聴いていても歌詞とかああいうものを見ていても、いろいろネットに溢れている悩んでいる人たちのものを見てもなかなか自分らしく生きれないとかね、自分らしく成長したいとかそういうものをいっぱい見たりするんだけど、いやそれがもう正直わからない。
わからないって言った時にさ、これね、立ちが悪いのは、多分ね、多分ねじゃないんだよ、自分自身、俺自身が考えたことがないっていうのは、自分自身がね、日々わがままにさ、生きている、実践しているからなんだなっていうことを思ったりしたんだよね。
結局さ、わがままなんだよ。自分らしくとか本来の自分でありたいっていう生き方を貫くとか考え方を貫くっていうのは、単なるさ、わがままなんだよ。単なるわがままと言ってしまったらアレかもしれないけど、単なるわがままなんだよ。自分の都合しか結局考えていない生き方にあるんじゃないかなって。
俺はね、思うの。だからそれはさ、何気に俺、日々当たり前のようにそういう過ごし方やそういう付き合い方をしてるから、自分らしくということに違和感を感じるんだけど、なんだかんだで俺は勝手気ままに自分都合で自分らしく、自分が過ごしやすいことだけを考えて生きている。
だから他人のね、その自分らしくっていうふうに言葉にすることに違和感を感じる。要は俺は言葉にしなくてもいいほどに毎日を自分都合で生きているっていう、それを実践しているからなんだなって思ったの。
だから結局さ、わがままなんだよね。わがままに生きている人は自分らしくみたいな悩みってないんだろうなって思ったの。
だからああいうふうにね、特に女性の人たちが言葉として残しているものを見たり聞いたときに、いやなんか、下せねえわみたいなねことが多いんだよね。
でこれ面白いもので、逆に自分よりも先輩たちの男の人の言葉っていうものの中にはさ、あんまりその自分らしく生きてほしいとか、そういう言葉ってないんだよね。
15:02
例えば最近すごく刺さる言葉をね、毎回話してくれるなっていうのがいさらしいんだろうとかさ、あの人の昔の国会での答弁とかさ、都知事時代の記者とのやりとりとかね、またいろいろ男子と話しているものとかさ、ああいうものを見ていくと、
その言葉の中にさ、いやなんか自分らしくとかね、自分の好きなようにみたいなさ、言葉ってあんまりなんか出てこないんだよね。それよりももっとその他人に優しく接するような言葉であるとか、
あとはその信念を持ったね、ぶれない真やね、自負みたいなものがあって、それについての言葉であるとかさ、そういうものが多いんだよね。だからなんか自分らしくみたいな言葉って出てこない。
やっぱり石原慎太郎もさ、結局俺と似たようなもので、わがままな人で自分がやりたいことをずっとやってきたりした人生じゃないかなって思ったときに、そういう生き方をしてるからさ、自分らしくみたいなそういう悩みとかっていうのは多分なかったし、
いや、ようわからんだみたいな、そういうものがあったんじゃないかなって思うんだよね。だから割と歳をとってからね、男の人でああいうふうに様々に俺自身の中に残る言葉を残している人のものを聞いたりすると、
まあほとんどがあんまり自分らしくとかね、自分の好きなように思い通りにみたいな、そういう言葉よりも、自分のその信念的なものであるとかね、その人に優しくするようなことであるとか、
まあ当たり前のその日常みたいなものに感謝するとか、そういうなんか自分自身の信念やそういうものがある分だけ周りに目を向けられるというのかな、そういうものがあるなって思うんだね。
だから結局はさ、自分勝手で生きてきた人、そういうものを意識せずとも、そういうその付き合い方とか生き方しかできてこなかった人っていうのは、多分自分らしくどうのこうのみたいな思考をしないんだろうなっていうふうに思うんだよね。
だからそれがなんかね、ちょっと今ねこうやって自分でツラツラと話していて、確かになんかちょっとね面白いなと思ったのが、
女性は歳をとっていくほどね、自分らしくというか自分自身に目を向けていくようになり、男の人は他者に目を向けていく、他のことに目を向けていくっていう、そういうなんかね違いがあるのかもしれないね。
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だからこれは多分逆転するんだろうな。結局女性の場合は、例えば結婚してお子さんを産んだりすると、自分のための生き方じゃなくなるわけだよね。
子供に向ける思いや時間の方が圧倒的に人生の大半を占めるからさ、そういうものから解放された時にやっぱり自分らしく生きるっていうね、ものになっていくっていうその転換がある。
一方で男性の場合はどうなんだろうな。あんまり変わらないんじゃないかな。変わる人もいるよ。お子さんができたりして、お子さんのために生きる父親とかね、そういう人たちもいっぱいいると思うんだけども、根本としてなんか割と男は勝手に生きているようなものがあるんじゃないかなっていう。
だからそれがどんどんどんどん丁寧になったりすると、自分の居場所みたいなものがなくなっていった時に、自分はその社会には必要とされていない人間なのかなっていうものに悩んだりする。
それで引きこもる人もいれば、逆に他人にとかね、今までとは関係ないところに目を向けて新たな趣味や新たな人の出会いを求めていくという人もいるんだけども、でも基本的に男はずっとわがままな生き物なんじゃないかなって思うんだね。
いつまで経ってもなんかガキっぽさが抜けきれないみたいなね。まあ今でいうところの高等寺みたいなさ、おっさんがね、多いのかもしれないなーって思うんだね。
面白いね、この変わっていく感じ、擬態していく感じ。オタマジャクシェがカエルになるような感じだよ。さらぎ番から稲妻メフィみたいなもんだよ。変わっていくんだよね。
まあでも、いつも自分の中にあるのはさ、結局人はさ、だいたいプラスマイナスゼロで終わるんじゃないかなって思ってるんだよね。いいことばかりでもないし悪いことばかりでもなくて、ちょうどプラスマイナスゼロぐらいが最後ね、自分の命が途絶えるときに、
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まあそれぐらいになってるんじゃないかなっていうふうに思うとさ、まあそういうふうに変化していくとか擬態していくっていうのも結局はなんかプラスマイナスゼロに長尻が合うようなものでね、あるんじゃないかなって思うんだな。
まあだからね、そういう変化考え方とかね、怯えるようもないし、まあしょうがないよね。受け入れていくしかないからね。例えばじゃあ自分自身が認知症になるとかさ、さっきのね、おこりん坊のおじいちゃんになるとかさ、そういうこともさ、もうどうにもこうにもならないわけだよね。
自分自身ではもうコントロールできないわけだからさ、嫌が多でも受け入れざるを得ないんだけども、まあその時にね、そういう状況であってもサポートしてくれる家族がいるかいないかっていうのはね、大きいかもしれないね。
だからやっぱり、なんだろうね、誰かと一緒に生きていくとかね、交流を持つとかさ、そういうものっていうのは、まあやっぱりもっともっとね、ハードルが下がった方がいいだろうし、そういう場に出ていくなり、作るなりっていうね、ことをしないとね、ならないんだよね。
っていうものがあるんだけど、まあ女の人はさ、うちのおふくろもそうだったんだけど、なんかあの、ね、区の集まりみたいなものとか、あの高齢者の人だけがね、集まるような、なんか教室みたいなものとかさ、もうほいほいほいほいね、喜んでいってたりして、女の人は割とそういう年をとってからのその友達作りとかね、コミュニケーションを積極的にやるみたいな、
ね、ものがあるんだけど、一方、男の人はもうデブ症だからさ、全然出ていかない。で、結果的に孤独になっていくっていう人が増えていくんだけど、でも、その日々生活をしていく中で、まあ自分の生活系の中でさ、必ず行く場所があるでしょ?
まあ買い物に行くとかさ、じゃあ病院に行くとかね、そういうところでいいから、まあなんか一言、二言、言葉を交わして、ね、顔見知りになるところからね、始まっていくっていうことでもいいんじゃないかな、要はさ、なんかね、うちのおふくろがやってたみたいに、なんかみんなの集まりにね、積極的に参加するっていうのはハードルが高いわけだから、日常その生活している中で、
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毎日行くような場所がここでね、顔見知りになって、これで人とこう繋がっていくみたいなさ、そういうもので、なんかね、いいんじゃないかなって思うんだね、まあいいんじゃないかなっていうか、そういうところから人の繋がりをね、構築していくというか、まあ緩くね、持っていくっていうことでもね、いいんじゃないかなって思ったりするんだな。
ちょうどね、この間見ていたTikTokで面白いなと思ったのが、アメリカのさ、85歳だったかな、あの男性がいて、ご近所にさ、なんかいついつに、あのうちでパーティーするので招待しますっていうさ、あの招待状を自分家のご近所にね、あのー、配られているっていう、そういう高齢者の人の動画がさ、
アップされたんだって。そしたらそれを見た、あの世界中の若い子たちが、いや私も招待してみたいなことでね、バズったらしいんだよね。結局なかなかそういう風に、こう、ご近所付き合いがなくなった今の、この気迫なね、人間関係の中においては、
ああいう風におじいちゃんがさ、嬉しそうにね、いやいついつのうちでパーティーやるから招待状持ってきたよって言って、家にね、来てノックして招待してくれるっていうことは、むしろなんか、嬉しいというのかな、自分がなかなか外に出れないから逆にそういう風に誘われることで、うちからね、引っ張り出してくれたという、
そういうなんかある種の、なんか喜びみたいなものを、今のね、特に若い子たちなんかそういうことで感じたりするんだなっていう、それだけ、まあネットでね、様々な人と繋がってるとはいえ、何ていうの、実態として、そういう風に家まで来てさ、誘ってくれるっていう、その行為自体が、この気迫化しているような、繋がっているんだが繋がっていないんだがね、わからない人間関係、
よりはね、ものすごく濃厚でね、あの太い繋がりみたいなものをね、感じたりするんだなと思って、まあ結局、そのおじいちゃんはね、TikTokだかインスタだかで、まあライブ配信をしながら、そのなんか私も世界中からさ、私も招待してって言った人たちとね、まあ一緒にその招待状を渡した日にね、パーティーを楽しんだらしいんだけどもね、
いやなんかいい話だなと思って、まあそんな風にさ、そのおじいちゃんみたいにね、積極的にご近所に招待カードみたいなものを持ってね、あの、誘うということはできないにしてもさ、でもこう、日々ね、生活している中で、かわわせるような人って必ずいるわけだからね、そういう小さい中でもなんか、
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人との繋がりをね、感じられるようなものを、もう少しずつね、増やしていくと、いいんじゃないかなとかね、思うよね、まあ残念ながらさ、やっぱり仲の良かったね、あの学生時代の友人や、また仕事仲間とかね、自分より年上の人たちってやっぱりどんどんどんどん、こうね、なくなっていくということもあるからさ、
やっぱり、自分と深い付き合いをしてきた人たちって、残念ながら減っていく一方だからね、だからといってね、また新しい友人を探すということもなかなかね、思い苦しいみたいなさ、ものがあるし、いや100人友達がいるからすごいっていうわけでもないしね、
でまた不思議なものでさ、お金があるときって、そんですげー寄ってくるんだよね、だからああいう芸能人とか見てると、いやなかなかその芸能人で、いや私の誕生日パーティーでこんなにみんな集まってくれましたとかね、お祝いもらいましたみたいな、ああいうものをよくね、見かけたりするんだけど、
それって本当にその人のことをね、思ってお祝いしてるんかみたいなものがね、俺はいつもあるんだよね、結局その人のお金やね、名声みたいなものがなくなったら、ああいうふうに集まっている人たちの大半っていうのは、まあ離れていくんで、ほとんどが離れていく。
でもその中で一人二人ね、そういうような名声もなくなり金がなくなっても、それでも気にかけてくれる人がね、稀にいるんだよね。
まあそういう人とだけさ、最終的には付き合っていけばいいんだろうなって思うからね。だから金があったりとかね、名声がある時に寄ってくる人っていうのは、まあ大体離れていくからね。
なんかね、すげえ容赦されたりさ、いやもう大好きですとかさ、もう一生あの友達でみたいな、高校生みたいにさ、君は僕のずっともだよみたいなさ、こういうふうにね、言ってくるような感じはさ、まあ大体離れていくからね。
いらねえんだよ。100人も200人もね、友達なんかいらねえんだよ。本当にね、大事なのはずっとね、別に金の関係もなければさ、名誉とかね、そういうもので寄ってくるだけの関係ではなくてさ、まあいつでもね、声をかけたり話しかけれるね、友人がさ、もう3人でも4人でもね、いればいいんだよ本当に。
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まあ最初の話が、何だったっけ、まあババアの話が入ってこないっていう話が、口が悪いな。
でもやっぱりさ、あの感じるのは、まあ今回のその様々にフジテレビや永井くんの話題が、いまだね炎上してるでしょ。でYouTubeとか見ると、もう本当にさ、毎日毎日、もう毎日毎日、毎日毎日だよ。
毎日新聞状態でさ、誰かしらがこの話題をしてるんだよね、そういう動画を上げてるんだよね。
で、そういう中で時々なんか口汚い人がいたりね、またなんかヘラヘラしながらさ、人を小馬鹿にするような感じで、あのヘラヘラこうなり笑いながら話しているおっさんとかいるんだけど、
ああいうものを見るとさ、いや人の不幸をね、てめえのさ数稼ぎ、再生数稼ぎのさネタにしてね、ヘラヘラさ、人を小馬鹿にしてね、笑いながら話している。またなんか口汚なくさ罵倒しているような感じっていうのは、いや本当にね、なんかもう見るに耐えないというか、
俺もうそういうものがさ、何回も何回もレコメンドされる日があるのね、そういう時はもうブロックするんだね。一応YouTubeでもブロック機能みたいな、ブロックだかミュートだかあるからさ、それでもうその人のチャンネルは表示しないみたいなことをよくするんだけど、
やっぱり誰が見てるかわからない場所でその口が汚いとか、ああいうものっていうのはまあかなり不快なんだよね。
俺自身がそういうふうに感じているにもかかわらず、自分自身は口が汚いというのは、これがまさにさっきの話のまんまなんだよ、わがままなんだよ、もう自分の都合でしか考えていないからさ、
いや他の人は聞きたくないけど、自分がね、そういうふうに口にするのはもういいじゃねえか、俺なんだからみたいな、そういうね、わがままな思いがあるんだよね。
これがね、自分自身のずるさなんだよね。まあずるさでもあり、弱さというか信念の無さみたいなものがあるんだよね。自分の中にもっとね、ぶっとい力があればね、そんなになんか自分のその口汚い感じで話すとか、そういうものはね、多分なくなっていくんだよ。
33:19
西原慎太郎を見てるとね、そんなことを教えられたりするんだね。あの人ってなんか頑固親父で怖い感じがあるじゃん。でもあの人が発している言葉、その土地時代のさ、ああいう記者会見とか色々ね、インタビューに答えているものとかを見ても、口汚くはないんだよね。物事ははっきり言うっていうことだけであって。
俺のようなさ、やっぱババアの話聞きたくねーよみたいな、こういう口汚さっていうのは皆無なんだよ。そこにあの人の中にぶっといやっぱり幹があるんだよね。自分の持っている考え方の太い幹があるからさ。だからね、そういう汚い言葉というものも発しない。要はそういう汚い言葉を発するっていうのはさ、まあ一つは教養の無さということもあるし、
あの、逃げのことまでもあるんだよね。やっぱり小賢しいしずるいんで、そういう汚いことをね、発しているっていうことはね。で、なんか発している時は一見こうね、気持ちいいみたいなさ、爽快感みたいなものがあるんだけど、でも後で自分のね、配信を俺よく聞くからさ、聞くと、いや聞くに耐えないわみたいなね、ことを思うんだね。
でも思ってもまた同じことをね、繰り返す。これがね、もう本当にダメなところ。自分自身はね。
だから最近なんかね、すごく思うのは、よく最近のね、自分自身の配信を聞いていると、新年であるとか、まあ今みたいなね、未期であるとか、自分の中のね未期とかね、そういうことをよく話しているなっていうのは、自分の中にはそういうものがないから、
まあある程度ね、そういう年齢になってきたということもあるし、別にこれからね、30年40年生きて、未来がずっこり明るいぜみたいな、そういう年齢でもないからね。
ましてや、閉じていくような年齢でもあるからさ、そうした時には、なんかね、もういい加減自分のね、軸となるような、信念となるような太いものがね、多分自分自身が一番欲しているんだろうなって思うんだね。
だから、いろいろね、様々な人のものを見たり、言葉を読んだりとかしてね、まあ影響されることもあれば、そういうものを取り込んでいって、実態があるようでないようなぶっとい何かをね、形にしたいんだろうね。
36:17
だが、俺が憧れているのが高田順二だからな。
まあ高田順二もわかんないよね。表面的にああいうチャランポランな感じではあるんだけども、あの人はあの人なりの多分生きていく中のなんかポリシーとかさ、そういうものは明確に絶対あると思うんだよ。
だからああいう風に残っているということでもあるからさ。あれが本当のなんかただのチャランポランのね、おっさんだったりしたらさ、さすがにあそこまでね、残ってはいないからね。
だから理想としては表面的には高田順二で、内面的に石原慎太郎みたいなさ、ああいう人になりたいわ。
なんかね、そんなことを思ったりしたら、ちょっと取り留めがないな。もうちょいこの話はサクッと終わるはずだったのに、なんかダラダラと長くね、話してしまったね。
昨日さ、その収録している時に話していたのは、あのドラマと映画の話をしてたのね。最近あの学園ドラマものがさ、立て続けに大当たりのドラマがあって、一つがあの今TBSでやっている日曜劇場のさ、三上先生っていうね、松坂トーリーが出ているドラマがあるんだけど、これがまあすごいよくできていて。
一つはね、脚本がオリジナルなんだよね。書き下ろしなんだよね。で、これを書いた脚本家の人がさ、あの何だっけ、新聞記者だっけ、あれを書いた人がね、書いてるんだよね。
だからまあ、その社会派、学園ものではあるんだけども、割とこう社会派な感じのドラマになっていて、松坂トーリーが文科省だったかな、官僚なんだよね。
でもそこから、まあ何て言うんだ、左線みたいなね、ものをさせられて、優秀な高校の教師になるんだね。新学校の教師になるっていうストーリーなんだよね。
だからただのなんか学校ものではなくて、官僚がそういう先生になるっていうね、その設定がまずすごく面白いなっていうことと、
高校で描かれているものは、松坂トーリーが毎回ね、あの言葉にしているのが、自分たちで考えてっていうことなんだよね。
要は生徒たちに主体性を持って考えさせるっていうことが大テーマにあるんで、教えとしてはね。
39:08
で、それ以外の設定というところでは、その優秀な東大合格者が大勢輩出するような新学校なんだけども、本当のエリートをこのままでは本当のエリートにはなれないみたいな、第1話まで話すんだよね。
このままでは単なる君たちは上級国民にしかなれないみたいなさ、まあそんなようなセリフがあったりとか。
またね、一番面白いと思ったのは、あの金八先生のさ、アンチテーゼなんだよね。
要は金八先生を見て、ああいうその熱血先生、自分の時間を厭わずね、生徒たちのためにせめて時間を費やすという、ああいう生徒に全力で向き合うっていう、
ああいう教師像が理想の教師像だというものにずっと囚われてきた、もう何十年だっていう話をしているところがあるんだよね。
要はああいう熱血理想の教師像というものが、教師を苦しめてきたし、また親に誤解をさせてきたというものがあるんだっていうね。
まあそういうようなセリフがあるんだよね。そこにもね、このドラマを作っているスタッフの人たちが、いや本気にね、今の時代にやれたらその価値観というかそういうものをもたらす教師像であるとか、教育の形であるとか、そういうものをもたらしているんだなっていう。
俺の時代には金橋先生がいてさ、まあ校内暴力だったりとかね、なんか妊娠だったりとかさ、ああいう時代があって、その時に金橋先生を見てさ、まあ生徒もね、大人も教師もね、影響されてというものがあったんだけど、今は昭和の時代の教師像よね、ああいったものはなかなか通用しないんだよね。
だから今は今の時代に合わせた、ああいう教師像じゃないんだよな、その子供への教育の仕方であるとかね、また今のその社会の仕組みみたいなものをね、教えるという、そういうドラマになっていてね。
まあ同年代の高校生や中学生の子たちが見るというものでもね、すごくいいし、もっと言うと俺は大人の人にこそね、なんか見てほしいドラマだなと思って。
三上先生っていうさ、なんかタイトルだけを見ると、いやおちゃらけた感じのドラマなの?みたいなものがあるんだけど、あの割とこうね、骨太のドラマで、原爆に関してのね、話をしている回もあったりして、いやここまでなんか踏み込んだなあっていうね、そんなこともあったりして、見ごたえがあるね。
42:08
すごい面白い。今TVerで1話から4話まで見れると思う。まだ俺もそのTVerで見てね、あの第5話目か今週かなんかまたやるからね。見ていきたいなって思った。
もう一つがね、あの空渡る教室っていうNHKの提示性を舞台にしたドラマがあったんだよね。これもまたね、めちゃくちゃに良かったんだよ。これはアマゾンプライムで見たのかな?
あの主演が久保田正隆っていうさ、ラジエーションハウスとかね、あれに出ていた彼が教師役なんだよね。でこの彼は元々JAXAとかに研究開発員としてね、勤めているような優秀な科学者だったりしたんだよ。
でもまあいろいろあって、この提示性の教師になるんだよね。で彼の目的の中には、この提示性の学校で壮大な実験をしたいっていう、それがあるんだよね。
でその彼がしたい実験が、もうずっとドラマの根底に横たわっていたりはするんだけど、まあこれはネタバレになるからね、話はしないんだけども、この実験がね、ものすごくいいんだよ。ものすごいこのドラマの一番のメッセージをはらんでいるテーマになっていて、これもすごい面白かった。
で提示性だからさ、まあいろんな世代の人たちが学校に来るんだよね。なんかホステスみたいな女の子がいたり、ちょっとやんじゃらな男の子がいたり、一世お方演じる、あの工場が閉鎖してしまった60代70代ぐらいのね、おじいちゃんみたいな人もいれば、フィリピン人のさ、飲食店みたいなものをやっている人が、
まあその提示性に通ってとかね、またなんか教室に行けない、ずっと登校はするんだけど、登校したらもうずっと保健室で過ごしているようなね、そういう心に傷を負った女の子がいたりして、あのまあ4人ぐらいかね、生徒がいるんだけども、この4人がさ、科学部に入るんだよね。
この久保田正隆は、この提示性に来て、まず科学部を作るっていうことからね、始めるんだよ。でその科学部で何をするかっていうと、目標を持たせるんだよね。
提示性って言うとさ、なんかあんまりこう賢くない人たち、子供たちが行くようなイメージがあるんだけども、なかなかその勉強に向き合えない。教室でね、先生が授業していてもさ、聞いてるのか聞いてないのかわからないみたいなね、そういう生徒が多い環境であるからさ、なんかちょっとね、昼間のね、学校に比べたらみたいなものがあるんだけど。
45:12
彼はこの科学部を作って、目標にさ、その学会で論文を発表するっていう目標を持たせるんだよね。でその生徒たちもさ、この科学というものに興味を持っていくというものが描かれて、その中、論文のテーマが教室に課税を作るっていうね、ものを研究していくんだよね。
それをずっと描いていて、最後、発表会みたいなね、ものまでたどり着くというドラマになっているんだけど、このドラマはね、割と俺が普段、なんでそういうふうに今の子たちは考えるんだろうみたいなね、そういうものを知る頻度が結構あったりして。
例えばちょっとやんちゃな男の子でいうと、表面的にはさ、まぁちょっとやんちゃな感じなんだよね。でもその彼にはさ、なんか障害みたいなものがあって、その人の話はめちゃくちゃ理解度が高くて理解できるんだけど、文字を読んで理解できないっていうね、その学習障害みたいなものがあるんだよね。
だから見た目だけでは判断できないというね、生徒がいたり。またあの、登校しても保健室でね、ずっと過ごすという女の子がいるんだけど、その子が同級生みたいなさ、ちょっとこう病んでる系の女の子と仲良くなるんだよ、保健室で。
でその女の子が、まぁいわゆるこう東洋法キッズみたいな感じで、最終的なこう一緒に死んでみたいな、そういうものを誘うっていうね、回があるんだよね。で最近こう時々ね、耳に入ってくるのが、まぁ友達と二人で自らの命をというものがね、あるんだけども。
あれがさ、正直俺よくわからなくて、二人でいればさ、いや誰かと一緒に死ぬっていうことってそんなに考えないんじゃないかなみたいなね、ことを思ってたりしたんだけど、でも逆に今二人でね、一緒に死ぬみたいなさ、そういう選択をする子が割と多いんだね。
そういう、なんでそういう風な考えに至るんだろうみたいな、そういう頻度みたいなものが描かれていたり、またなんかね、高齢者と若い人たちの分断化みたいなね、ものがあるんだけども、それを解決する方法の頻度が描かれていたりもして、
まさに今の時代のこういう若い子たちが、俺ぐらいの世代の人たちが、なかなかこうわからない、理解できない、解決できないみたいな、そういうものの頻度がね、ものすごい描かれているんだね。そこにこのドラマの俺は面白さをね、感じたりしたんだけどね。
48:07
結局この空を渡る教室もそうだし、三上先生もそうなんだけども、生徒に考えさせる、生徒が主体性を持って勉強していくとかね、深掘りしていくっていうことを描いているんだよね。
だから今の教育というものが、そういうね、主体性を持ってというものがね、今の教育にあるんだなということをね、教えられたりもしてね。
ちょうどなんかね、三上先生で、その番組を監修している人たちなのかな、教育圏のジャーナリストとかそういう人たちが集まってね、話しているものを見たりしたんだけど、その自主性と主体性は違うんだっていうね、話をしてたもんだね。
要は自主性っていうのは、ある程度その枠の中で自主的に自分が率先して、物事を考えたり遂行していくものね、自主性というんだね。
だから学校とか教室とか教師という枠があって、その人たちから指示がなく自分が考えて勉強するなり行動するなりするっていうことはね、自主性なんだね。
一方主体性っていうのはさ、そういう枠がないんだよね。学校とか教室とかそういう枠がなくて、そもそもその本人が興味があること、自ら判断して物事に取り組んでいくというね。
だから枠があるかないかっていうね、そういうことなんだなって俺は思ったりしたんだけど、今は学校という枠とか教室という枠はあるんだけども、でもこういうその生徒に主体性を持って、より自由な発想とか発言とか考えができる、そういう教育をね、しているというものがあるんだよね。
だから今は自主性というよりは主体性を持った子供たちを育てていくというのかな。そういう教育がね、まあ求められているみたいな。それをまあこのたまたまで三上先生と空渡る教室というものは、それをこう割とね、基本に描いてたりするんだね。
だからまあ今の教育っていうものがそういうものにあるんだなっていう、これはもう全然俺が見てきた中村雅俊がさ、やっていたね、あのなんだっけ、夕日学校の総理大臣とかさ、金橋先生の一連のシリーズとかから比べるともう180度違うよね、その子供たちの教え方とかね、取り組み方というものがね。
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それが今の時代をね、こうすごい表していて、そういうことに教育現場というかね、子供との接し方っていうのはなってるんだなっていう、それをすごいこうね、教えられたドラマで。
この2つはね、相当面白かった。是非ね、これはなんか、大人の人にこそね、井戸教育、俺みたいにさ、金橋先生見てさ、金橋やっぱいいこと言うわみたいなね。まあ確かね、今見ても、いやいいこと言うなっていうシーンはいっぱいあるんだよ。
でもあの時代とやっぱり今の時代はね、変わってきてるんだよね。それをこう、なんか知るきっかけになったりね、考えるきっかけになるようなね、ドラマだなって思ったりしたね。
まあこういうさ、様々な価値観みたいなものっていうのは、あの時代と共にやっぱり大きくね、変化してるからね。まあなんか、そのブレない道徳みたいなものはあるんだけども、でもやっぱりその人の価値観っていうのはさ、その時代や環境に合わせてやっぱり変化していくもので。
これって、自然となんか同じようなものがあるんじゃないかなと思うんだよね。要は自然が氷河期みたいなものがあって、じゃあいろいろさ、生き物がね、死んじゃったみたいなものがさ、まあ本当にあるのだとしたら、そういうところからさ、今こういうふうにね、地球の環境は草木が生えるようになって、人間が誕生したり生活できるようなものがあって、また今温暖化に向いているみたいなね、
ものがあるように。自然もさ、変化していくわけだよね。で、そこに変化して、それに対応しないと生き物は生きれないからさ、結局も対応せざるを得ないわけだよね。そうしないと生きていけないからさ、生きながられないからさ。
それと同じようなことで、価値観というものも変化していくから、やっぱり今の時代を生き抜こうとした時には、そこに合わせざるを得ないというのかな。そういうことをしていかないとね、なかなか、こうね、あのー、生きるのがしんどいとかね、弾かれてしまうとかね、そういうことになっていくんだなって思ったりしたね。
このね、2つのドラマは面白かった。あとね、話したのがね、これを最後にしよう。バルザック。お菓子じゃないよ。バルザックっていうお菓子とかさ、なんかガンダムとかでね、出てきそうなロボットの名前にあるんだけど、バルザックっていうのは19世紀のフランスの小説家なんだよね。
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で、まあ彼はいろんな小説を書いて、まあ映画化されたものもね、何本かあって、彼の作品の《幻滅》っていう小説が題材になった映画があるんだね。で、それを見たんだけども、いやすげーこれも面白くて、もう久しぶりに俺フランス映画見たなーっていうね、作品だったりしたんだけど。
きっかけはさ、またやっぱり石原慎太郎なんだよ。石原慎太郎が田中学園を票して、田中学園という人はバルザック的な人だったっていうね、話をしてるんだよね。で、バルザック的な人って何?って思って。
で、興味を持ってバルザックを調べていくと、その《幻滅》というね、映画にたどり着いたんだよね。だからまあ《幻滅》を見て、なんで石原慎太郎が田中学園をバルザック的な人というふうに票したかっていうと、やっぱりその現実主義者的なことであるとか、その野心を持っているねことであるとか。
結局はそういうふうに野心を持って成り上がっていくんだけども、最終的には国に、ああいうロッキーの事件で逮捕されるようなものがあるように、結局国の権力をすごい持ったとしても、国の圧力になって、それは立ち消えていってしまうというようなことも含めて、バルザック的というふうにね、石原慎太郎が言ったのかなって。
まあ俺はこの《幻滅》しかバルザックの作品を見てないからさ、全ての小説の中でそれがバルザック的というものに当てはまるかどうかっていうのはあるんだけど、俺はなんかそんなふうにね、映画を見て思ったんだけど、この《幻滅》がね、めちゃくちゃ面白かったね。もう全く今の時代と一緒なんだよね。
そのメディアのあり方であるとか、インフルエンサーが炎上するようなワードを使って人気を集めていく、人の注目を集めていくっていうことと、全く同じことをこの19世紀のフランスの新聞社が舞台になっているんだよね。
主人公の男の子が新聞記者というものにあるんだけど、その彼への仕上がり方、名前の売り出し方もまさにこの炎上するようなね、言葉とかそういう記事を書いていって注目を集めていくっていう。
どんどんどんどん名声を得てね、社交界みたいなさ、ものに入っていくんだけども、でもその社交界はもう地味猛暴な世界で、その彼は田舎から出てきたからさ、まあ言ってしまうと素朴な若者だったわけだよね。
でもその彼がパリに出てきて新聞記者になって名前が売れて社交界に入っていく。でもそこはネタミア、ソネミアね、そういうものが蔓延している世界なんだよね。で結局そこで彼は廃席されていってしまって、またね、傷ついた正真の心で田舎に帰っていくという。
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まあそういうようなざっくり言うとドラマなんだよね。だから幻滅というタイトルにあるんだね。彼はパリというところに夢や希望を持って出てきて、名声でね、名前も売れ金も入るようになった。でもそこにはね、やっぱり幻滅してしまう。夢や希望を描いていたその社交界やね、パリという場所をさ、自分にとってはね、やっぱり合わないね、場所だったんだよね。
だから幻滅して田舎に帰っていくというものを描いているんだけど、本当にね、このなんか今のね、インフルエンサーがね、話題になっていく、炎上していくような姿であるとか、新聞社というああいうメディアのあり方であるとか、あのまたこの政府とね、新聞社のやり取りみたいなことをね、描いているんだよね。
彼が入った新聞社というのは反政府なんだよ。で、後にその政府側につく新聞社が誕生するんだね。そういうところのね、その圧力のね、かけられ方とかさ、そういうものをね、いやまさに今の時代にも同じようなことがあるなと思って。
これが19世紀にさ、彼が書いた小説の中であるわけだから、これが100年経ってもいまだにね、変わらないものがあるわけだよ。だから人間というものは200年経っても300年経っても、こういうような形でずーっとね、生きていくんだよね。そう考えると人間って全く進化しないね、生き物なんだよね。
だからそこになんか、究極的にはさ、もう人間という生き物に諦めるしかないのかなって思ったりしたね。特にこのバルザックのね、厳密なんかを見てると、俺はなんかそういう答えにたどり着いたりしたな。
まあいろいろね、富を得たいとか名声を得たいというものがあるんだけども、結局様々なものにね、裏切られたり騙されたりして、まあ他の人のね、名声やそういうものを利用されるだけであって、なんかそういうものね、様々な人間関係みたいなものを諦めていかないと、結局この進化しない人間というね、生き物はさ、
そもそもそういう生き物だとして諦めていくものにしかね、ならないんだなって思ったりしたね。
ということでね、昨日はこの3本のね、なんかドラマやね、映画の話、あとなんか日産と本田の話とかね、いろいろあとスマホの話とか、すげーノリノリでしてたんだけど、もう今日はね、ここら辺にしておきます。
ということでね、ぜひ今日話したこの2本のね、楽園ドラマとバルザックの原物、時間がある時にね、なんか見てほしい作品だなあ、あんまり俺ね、見てみてみたいなことってあんまり言わないんだけども、あの自分がね、見た感想はね、言うんだけども、あんまり誰かにさ、あるいは見て見て見てみたいなことはね、あんまり言わないんだけど、
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このなんか3本はね、ぜひ多くの人に、特にね、俺ぐらいの世代の人たちに見てほしいなーって思えるね、ドラマや映画だったりしましたね。ということで今日はね、この辺で外ではね、いろいろ最近なんか工事が始まってね、工事の音が。ということで、おやすみなさい。
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