26.06.29(月) #1531 お葬式で感じた非日常とあたりまえでない日常
2026-06-29 14:57

26.06.29(月) #1531 お葬式で感じた非日常とあたりまえでない日常

26.06.29(月) #1531 お葬式で感じた非日常とあたりまえでない日常



・喪服って何?20年前の喪服が入るのはコスパ良いが、役割がよくわからん、。

・集まる人が、故人を思い出す。つながりを具現化する。

・デジタル写真とご遺体が共存するエモい環境

感想

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サマリー

語り手は身内の葬儀に参列し、非日常的な体験と日常のありがたさを改めて感じた。20年以上前の喪服を着て、デジタル写真と遺体が共存する会場の雰囲気に時代の変化を感じる。また、お経を聞くとドリフのコントを思い出してしまい、笑いをこらえるのに必死になる自身の「儀式に対する不謹慎な感情」に気づく。この経験から、人生は当たり前ではなく、限りある時間の中で生きていることを実感し、日々の大切さを再認識した。

葬儀への参列と非日常体験
おはようございます。ひでだんです。 ポッドキャストを始めていきます。よろしくお願いします。
このポッドキャストでは、お金、時間、健康をテーマに、自分らしく自由に暮らすためのヒントを毎日一つずつお届けしております。
みなさんのそれ、いいねが増えるきっかけになったら、めちゃめちゃ嬉しいです。
昨日日曜日なんですけど、ちょっと身内の不幸があり、急遽、おつやに行くことになりまして、家族揃ってね、行ってきたんですけれども、
そうですね、なかなか非日常というか、そんなに人生、今50年近く生きてきたけど、そんなにお葬式、おつやっていうのも経験がないもので、
突然の友人の死だとか、別れみたいなのもあるし、今回はそうなんですけど、身内だけども100歳近い大王城ですよね。
なので、悲しいけど、来る時が来たね、みたいな感じの場合と、2つあると思いますので、今回は後者の方なので、割とね、まろやかな雰囲気、
合給する、身内友人合給するというんじゃなくて、よく頑張ったね、今まで、だとかもそうだし、行った会場で久々に会う親戚だったり、仲の良かった人たちがワイワイ集うような雰囲気だったので、どちらかと言えばアットホームだった。
そういう雰囲気を味わってきたので、ここでお話ししていきたいなと思います。
喪服と時代の変化
格好なんですけど、模復ですよね。模復も、普段はミニマリズムをここで唱えている私からしてみれば、一番捨てれないやつで無条件で残している。
必要頻度で言えば、もう明らかに即捨てのポジションである模復が、ようやくここで活躍できる、活躍というほどじゃないけど、役に立つ時が、使う時が来たのね、みたいな。
そんなことで久しぶりに模復に袖を通すんですけど、作ったのが20年以上前の模復なんですよ。
ありがたいことに、体重も身長もあまり変わらないか、体型も変わっていないので、入るは入るんですけど、何せ20年前なんで、デザインが古いんですよね。
模復にデザインセンスを取り入れるなっていう話ですけど、肩パッドもちょっと張っているような、なんか昔の、ジュリアナ東京はちょっと言い過ぎだけど、模復なんでね、関係ないけど、
あの時代、バブルよりちょっと後は後なんですけど、雰囲気的には肩パッドも入っているのかな、肩幅がでかいんですよ。でもシルエットもダボダボ。ウエストとかは肩幅とかウエストとかは入るけど、やっぱりデザインが古い。
っていうのも久しぶりに、最近スーツとか着るけど、やっぱり言ってもどんどんスリムにシュッとしてきたスーツに身を包んでたんですけど、それがやっぱり時代を経てるなっていうね。
だし、普通のスーツと違う漆黒の、普段のスーツはどっちかというとちょっとこう、灰、ダークグレーみたいな感じだけど、本当にもう漆黒、もうあのアンミカが赤が200色、白200色あるよっていうやつの、黒にも何種類もあるんだみたいなね。
アンミカさんありがとう、みたいな。
黒の質も、なんかそこで久しぶりに、あ、真っ黒着てるな、みたいな。
もうあって、もう服、中はシャツとかですけど、なんか珠珠を持ってね。
もうね、何、それも20年前に一緒に買ったのかな。
いつ使うのこの、なんか、白断?よくわかんない。
黒白断の珠珠みたいなのを取り出して、ポケットに忍ばせてね。
で、会場に行きまして。
親族との繋がりとデジタルの進化
で、会場に着いたら親族、私も一応親族なんですけど、親族、たとえば身内の近所の人が集まってて。
親戚とかでもそんなにね、普段会わない親戚とかも来てるので、
ここが、あの人たち兄弟なんだ、みたいな顔の面構えを見ながら、
ここは親戚だよね、みたいな、勝手に一人で神経衰弱みたいなのをやりながら。
すげえ不謹慎な話してますね、今ね。
ここで繋がりがね、あるんだなと。
で、亡くなった個人の方の家っていうんですか。
あれも、最近はデジタルが発達して、顔は本人だけど修正なんかも加えて、
服も普段こんな洋服着てない、和装洋装の洋服、洋装なんかしたことないのに、
なんかこう、はめ込みでね。
でも全然こう、切り抜きじゃなくて合成写真っていう感じじゃなくて、すごい自然にね。
こんな感じで今アレンジできるんだ、みたいな。
デジタル進んできたねっていうのもあるし、
祭壇にはね、ご遺体がね、中見てないですけどご遺体があると。
デジタル、最新のデジタルを生かしながら、そこはそこで原始的なご遺体を祀るみたいな。
そういうのも、なんかちょっとこう、すごい雰囲気が、
なんていうかな、あ、そういうコラボの仕方もあるのね、みたいな。
儀式における不謹慎な感情
で、お坊さんですか、お坊さんがやってきて、一礼してお経を唱えるんですけど、
世代なんでしょうね。
お坊さんがお経を読むっていうと、ドリフのコントとか志村けんの声に聞こえてくるんですよね。
ほんと不謹慎なんですけど、お経を読まれてると、笑いがちょっとこみ上げてくるんですね。
全然ふざけてる感じもないけど、なんかお経の抑揚みたいなんとかが、
もうなんかどっかでダフンだって言ってんじゃないかって、空耳みたいなのも聞こえてきて。
で、ちょっと笑いが出てきたなと思うと、それを抑えるのがもう必死。
もうダムが決壊してるのを村人たちで抑えてるような感じ。
だけどもう自然の力ってそんなもんじゃないんでね。
もうね、決壊してしまうんですよ。
それを耐えるのがもうすごい、もうほんとに不謹慎なんですけど、
それを耐えるのがむちゃくちゃ汗をかくというか。
だからちょっとああいう緊張と緩和っていうか、緊張の場っていうのはね。
ビシーンとした場もそうだし、お経が流れてますとか、
ここは悲しい雰囲気ですっていうのの真逆の笑いがこみ上げてくるっていうのはね、
すごいちょっと苦手な場所ですね、ほんとに。
もう20年くらい前になりますけどね、祖母が亡くなった時にむちゃくちゃ悲しかったんですよね。
もう涙も出てますって言うんですけど、やっぱりお坊さんのお経が始まると、
なんかその抑揚もそうだし、周波もよくわかんないけど、
なんかでっかい珠みたいなのを親族10人くらいで回すんですよ。
でっかい珠みたいな玉がいっぱいついてるやつを輪になってぐるぐる回すんですけど、
なんか珠みたいに玉の中でも2つくらいでっかい玉があるんですよね。
で、回ってきたその玉のところででっかい玉が来たら、
なんかみんな餌食をし始めるっていう謎のルールができてきたんですよね。
それを見てたらもうおかしくておかしくて、まずこのでっかい術をなぜみんなで回すと。
そしてさっきできたであろうルール、そのでっかい玉が目の前に来た時に謎の餌食をするっていう、
なんか謎のルールがもうおかしくて、
もう涙も出てるし笑ってるしっていう感情がバグった状態になってしまって、
なんかもうね、ああいう緊張するというか静寂と、
シーンとした感じだとか、おごそかな厳粛な雰囲気っていうのがやっぱり苦手なんですよね。
咳払いするのもなんか気を使うしみたいな。
かといって絶対笑っちゃいけないじゃんっていうのがまた笑いが込み上げてくるっていうね。
そういうのもまた少しあったなと思って。
人生の有限性と日常のありがたさ
でもさっきも言ったように今回の亡くなった個人の方はもう100歳近いんで、
家族、親族がいるんですけど、やっぱりもうね、7,80代、90代の人もいるっていうのもいるし、
4,50代も10代も20代もいるってなると、こうやって人生が終わりに向かって近づいていってるんだと思ってね。
順番で言ったら私は真ん中ぐらいかなと思うし、寿命で言ったら順番は真ん中だけでも、
明日事故で死ぬ、病気で来年亡くなるっていう可能性も十分あるので、
どう考えると、やっぱり生きてるって当たり前じゃないんだなっていうのをね、
改めて人の死をもって自分の性を感じるっていうね。
これがこう、やっぱりさっきも言ったように、親族、友人とかの、近所の人の繋がりもそうだし、
自分の性、亡くなった方は性を、なんていうかな、死をもって性を伝えるみたいな、
それを勝手にこの三列車が感じているだけかもしれないし、
本当に伝えようとしている、勝手に汲み取っているのかもしれないけど、
それを改めて知る良いきっかけになったなと思って。
今、人生100年時代って言っておりますが、戦国時代であれば人生50年。
私はもう戦国時代であればほぼ寿命ですので、思うと倍生きれるんだと思う。
もうなんならこの50年ボーナスタイムじゃないかなって思うと、
毎日の生き方もちょっと変わるし、ありがたいなと。
生きているって当たり前じゃないんだなっていうのを改めて気づいたなという。
学びとリスナーへの呼びかけ
そんな気づきをしましたし、私の儀式に対する不謹慎な感情っていうのも、
改めてここで出てきたなと思って。
本当は卒業式みたいなとか、今回みたいなお葬式みたいなね、
式関連のお細かなところが本当に苦手なんですね。
狭いところが苦手、暗いところが苦手っていうのもありますけど、
私はそういうお細かな場所がすごい苦手なんですね。
皆さんもそういった苦手なところだとか、
あとどうですか、お葬式、今回はおつやですけどね。
そういったところでの失敗みたいなもの、失敗エピソードみたいなものがあるかと思うんですけどね。
そういうのも含めて非日常を体験する。
できたらないに越したことはないですけど、
いずれ自分自身もそうですよね、そういう死というのは。
皆さん間違いなくやってきますから、その時期が早い遅いはありますけどね。
そうなった時、また身近な方が亡くなった時の心構えというかね、
そういうのを踏まえたら日常の会話とか繋がりとかもね、
もう少し見直すことができるきっかけになるんじゃないかなと。
そういった良い学びになったよというね、
少しお裾分け、良い話か不謹慎な話かよくわからないですけどね。
ということで、今日はそんなお話をさせていただきました。
何か皆さんのエピソードがあれば教えていただければなと思います。
最近またね、ポッドキャスト聞いてますよというのをチラホラお聞きすることがあります。
言われて嬉しい、ベスト3に入りますよね。
ポッドキャスト聞いてます。
あとなんだろうな、嬉しいこと、言われて嬉しいこと。
若いですね、嬉しいかな。
色々知ってますね、嬉しいな。知識があるねっていうのとか、若いですね。
素敵ですねとか言われるのと同じくらいポッドキャスト聞いてますよは嬉しいなと。
ここで言って、皆さんに言ってほしいと押し付けてる感じが今若干出てますけどね。
ですので、もし覚えてたらポッドキャスト聞いてますと言っていただけると私は喜びます。
ということで最後までお聞きいただきましてありがとうございます。ではまた明日。
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