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感想
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サマリー
この放送では、まず中学校の吹奏楽部が全国大会を目指して競い合う様子が語られ、その規模の大きさに感銘を受けている。続いて、過去のラジオ放送でゲストの声がうまく拾えなかった反省から、後藤隆貴先生との対談を再収録し、来週配信することが告知される。この対談では、倉林誠一郎日記を中心に、演劇史や演劇と経済について語られる。 後半では、「言葉の外来語」というテーマで、日本語に入ってきた外来語の持つ複雑さや、本来の意味が失われている可能性について掘り下げていく。特に「資本」「個人」「民主」という3つの言葉を取り上げ、それぞれの語源や意味の変遷を解説。例えば、「資本」はラテン語の「caput(頭、首)」から派生した「capital」に由来し、元々は「首都」という意味も持つこと、そして富が集まる中心地としての「首都」から「資本」という意味合いが派生したことが説明される。「個人」は英語の「individual」や「personal」に対応するが、日本語の「個人」という言葉が持つニュアンスと本来の意味とのずれについても考察される。最後に「民主主義」について、単なる多数決ではなく、一人ひとりが尊重される社会を目指すものであること、そして公務員こそが民主主義の担い手であるべきだと強調される。この放送は、言葉の持つ意味や、社会を形成する上で重要な概念について深く考える機会を提供する。
00:11
文字起こしでは、笑い、含み笑い、ため息、息をのむ声、拍手など、はっきり聞こえる非言語音を 存在しない反応は補わないでください。
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中学校吹奏楽部の熱気と今後の展望
F.C.東京の拠点ですよね。味の素スタジアム。サッカーのね。
それよりもっともっと先でございます。府中というところがございますけれども。
府中の森芸術劇場という劇場があるんですよね。そこで東京都の中学校の水素学部が一堂に会しましてですね。
そこで大会をやっとったもんですからね。そこへ出てたもんで。
さっきまでそこにいたんですよ。
まあすごかったね。この話しだしてるとすごく長くなっちゃう気がしますので、ざっくり言いますけれども。
水素学部ってね、私ね、お友達で何人かいましたけど。
全然大会とか行ったことなくて、やっぱり盛んなんだなと思いましたね。
日本って割と今更っていうことだかもしれないけど、音楽盛んなんだなと思って。
なんかね、これだけの人数の人が子供からね、子供のうちからというか中学1年生からもうすでに音楽に取り組んでいて。
だって都大会ぐらいのレベルというかスケールになりますと、8日間。
8日間、1週間以上やるわけですよ。大会が8日間もあって。
しかもおそらくなんですけど、府中の森芸術劇場でやるのが8日間のうちの6日間か、5日間かな。
それで他の地域の練馬文化センター、練馬でおなじみの、今度は劇団ドラが公演をするって言ってましたけども、9月にね。
那久那研修院ね、練馬文化センターの大ホールでやると思うんですけども、練馬文化センターでやって3日間。
それでその後、府中の森芸術劇場で5日間、というわけです。
その中から14校選出されて、今度は本選ですね。都大会の本選というのをやって。
その中でまた5校、5つの中学校に選出されて、今度それが金沢に今年は行くそうです。
東日本大会、金沢でやるそうです。
そこで勝ち抜いた何校かが、おそらく今度は全国大会となるわけです。
全国大会というのが、水素学部の世界では甲子園みたいな、毎年毎年全国大会をやるというところが決まっているみたいで、
これが静岡県の浜松にあるアクトシティね。アクトシティ浜松。
なんかね、あの私ども、私どもじゃないや。まだ抜けない。
俳優座劇場でね、プロデュース公演で公演打つときにアクトシティでね、お芝居やったこともあるので、
なんかね懐かしかったというかね、アクトシティでやるんだって。
しかもそれが中学の水素学部の甲子園みたいになっていると、毎年毎年やるということらしいので、目指せアクトシティということらしいんですよね。
なんかそんなことも考えると、息子も芸術の世界、私は演劇、息子は音楽ということになるわけですけれども、
そうやって精神をね、芸術にかける。
とてもなんかこう、カエルの子はカエルじゃないけど。
なんかね、頑張ってほしいなと思いますし、もう私もできる限りですね、そういうイベントごとには見に行ってですよ。
これで参加したいなと、こういうふうに思っておるわけです。
頑張れよ中学生ということでございますけれども。
後藤隆貴先生との再収録と倉林誠一郎日記
でですね、それとですね、ちょっとこれは告知のような形になりますけれども、
この前の倉林誠一郎日記の特集を先週ですか、この月当時にシアターボンドでやらせていただきましたけれども、
その時のゲストに出ていただいた立教大学の講師で、日本近代文学の博士号を持たれている、
後藤隆貴先生という方がね、なんか非常にね、こう言っちゃあれですけども、私と馬が相ましてですね。
まあまあ仲良くさせていただいてるんですよね。
で、倉林さんといえばやっぱり宮沢さんを置いて他にいないとかって言ってくださって、
本を送ってくださったりしたんですけども、シアターボンドに出てくださって、
いろいろお話聞いたんですが、ちょっとね、後藤先生の声が全然拾えてなかったということがとても悔いが残りましたので、
私ね、おかわりだと、後藤先生おかわり!ということで、来週やります。
もう一回ね、後藤先生とのおかわり配信、やらせていただきますが、今回は同じ鉄を踏まないようにですね、
収録してまいりました。これが今朝なんですけども。
後藤先生をね、ある私が用意したレンタルスペースに連れ込みました。
なんか怪しい。言い方が怪しいけどね。来ていただいて。
それで、1時間半も喋っちゃいましたけど、音はめちゃくちゃ綺麗に収録できましたので、
ちょっとね、前回の配信の内容と結構重なる部分もあるかと思うんですけれども、改めてですね、
倉橋誠一郎ギッキの話、それから後藤先生の話などなどですね、語ってまいりましたので、
これを編集してですね、来週のこの時間に流そうと、配信しようと思います。
私はもちろんライブでいますので、ただそれをペッて流すだけじゃなくて、前半と後半ぐらいに分けて、
それで簡単な紹介とかね、あと後日談とかなんかね、そういうのを交えつつですね、
今日撮ってきた音声をまた綺麗に編集し直して、それを皆さんに聞いていただきたいなというふうには思っております。
自分で言うのもあれですけど、やっぱね、ちゃんと面と向かってね、倉橋誠一郎さんを中心として演劇史とか、
それから演劇と経済とかね、あとはこの演劇、倉橋誠一郎ギッキというのが1947年から1952年というね、
この5年間の中、倉橋誠一郎が1日1日書き記したプライベートな日記を報告した本になっているので、
なんかね、やっぱり戦争の話とかね、あとくしくも今朝というかね、81年目ですか、
怒りの広島、広島に原爆が落ちた日なわけですよね。
なんかそんなことも少し話しつつですね、戦争の影がある中で敗戦のね、まだ色濃い1947年から52年という社会の中で、
それでも倉橋誠一郎という人は、その新劇の理念を追求し、そして奔走し、
いろんな悩みを抱えながら劇場建設を達成していくというね、この5年間というのは非常に劇的なというかね、ことがありますのでですね、
そこら辺のところもバッチリ聞いてまいりましたのでですね、
今後期待でございます。来週ね、改めて倉橋誠一郎日記についての話みたいなことでやらせていただきますので、ぜひ聞いていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
番組紹介とスポンサー紹介
でもう全然、全然今日余裕がない中でかけてきてようやくやったのでですね、
さっき、いつもはね、配信する前に1回ファミリーマートに寄ってですね、
軽く大握りとかね、ちょっとしたお菓子とかお茶とか買ってね、それで備えつつ、実は食べつつ飲みつつやっているんですけれども、
今日買う時間がなくてですね、
ここの近くにある自動販売機でですね、カルピスソーダのね、でかいやつ買ってきて、ちょっと久々飲みたいと思いますが、
その前にそうだ、
オープニングやっちゃいましょう。オープニングやってCM入れてる間にカルピスソーダ飲みますので、
これ別に言わなくていいよね。
すいません。オープニングやってCMをしてから本題に入りたいと思いますので、
今宵もよろしくお願いいたします。
この配信は、20年以上民間劇場で働き、劇場が閉館したのをきっかけに、
劇場のことなら何でもプロデュースする会社に転職した私が、そもそも論であれこれ考えて話すラジオです。
劇場はきっと答えをもらいに行く場所ではなくて、一旦立ち止まって問いを見つける場所。
この配信もリスナーの皆様にとって、問いを見つける場所になれればいいなと思っております。
学校法人、宗教法人、医療法人、社会福祉法人、劇場も劇団もそのすべての役割を担っているはずなのに、
芸術法人がないのっておかしくね?というわけで作ってみました。
芸術法人シアターボンド。
この空想が現実になるその日まで。
芸術法人シアターボンド代表宮沢の配信ラジオをどなたさまもよろしくご引き。
この配信は、
鶴岡市民劇場、藤枝市民劇場、一般社団法人名古屋演劇館紹介、
NPO法人町田演劇館紹介、稲沢演劇館紹介、
加藤健一事務所、東京演劇アンサンブルの提供でお送りいたします。
愛知県稲沢市、戦国三永月の筆頭、織田信長の生まれ故郷とされ、
767年、飛鳥時代から続く神宮裸祭りでも有名。
また、市内には日本最大の銀卵の生産地としても有名な素笛地域があり、
喫茶店のモーニング文化の源流でもある地域。
自然の恵みと心の豊かさ、人が輝く文化創造都市を掲げる稲沢市に、
今年で創立30周年を迎える稲沢演劇館紹介があります。
良い演劇を多くの人たちと、
館員一人一人の手で年6回の霊会を主催。
前の霊会よりも、館員の数を増やして劇団創造団体を迎える全霊会クリアを重ねるために、
常に事務局には活気があふれています。
楽しく、そして力強く、
人と人との繋がりで演劇の灯火を守り続ける、
稲沢演劇館紹介にぜひご入会ください。
稲沢演劇館紹介
町田演劇館紹介は、1984年2月に身近な町田市民ホールで演劇を定期的に見て、
日々の生活の中に心の潤いを持とうという趣旨の下、18名で準備会が発足しました。
身の回りの人や各種団体に会の趣旨を根気よく伝え、少しずつ賛同者を増やし、
同年11月に知人会総趣味スケッチブック、会員数560名、
1985年1月には文学座マリウス、会員数700名の両講演を成功させました。
そして1985年3月には会員数999名となり、
創立霊会として劇団青年座どん底を2ステージで上演し、
同月の創立総会を経て、正式に町田演劇館紹介が発足しました。
2016年2月には法人格を取得し、NPO法人町田演劇館紹介として活動を行っています。
演劇を地元で見続けたいという会員の思いが会を支え、
40年以上にわたり多様なジャンルの作品と出会い、感動を会員相互で共有しています。
また、若い世代に舞台芸術の魅力を知るきっかけを届け、
将来の歓劇文化を支える仲間が増えていくことを願っています。
その取り組みとして、高校生、大学生、専門学生などを無料で招待し、
若い世代が気軽に芝居に触れ合える環境を整えています。
町田演劇館紹介
はい、というわけで、今日も元気にやっていきたいと思いますけれども、
劇場プロデューサーとしての新たな役割
やっぱり新しい職場にどんどん慣れ始めております。
それで晴れて、文化事業をプロデュースする部署じゃなくて、
本当に劇場をプロデュースする部門という部署があるんですけど、
そっちに8月から移動になりまして、本格的に劇場を作る人になりました。
なので、本当に、本当にって今日多いな。
だから今まではお芝居のこと、言ってみればお芝居のことだけ考えていれば、
いいお芝居ってなんだろうとかね、あの役者さんいいなとか、
あの演出家と一緒に芝居作りたいなとかね、
あのお芝居、自分はいいと思ったんだけど、
そうでもなかったな、みたいなのもあったし。
あとは、いろんな劇団の制作の人たちを中心に仲良くしていただいて、
それで斉藤さんとか中山さんとか、一緒にナシゴレンやってくれたメンバーとかね、
頻繁に会っては飲んで、いろんな話を聞いてもらったり聞いたり、
そういう、あとは演劇館紹介の皆さんにも頻繁に会いに行ってですね、
あの動向を聞いたり、今はどういうことをお考えになっているのかとかね、
どういう芝居がいいと思っているかとかね、
まあなんかそんなようなことを、東京の劇場で一緒にお芝居見たり、
それから礼会で各地回りながらね、交流させていただいたり、
などなどそういうようなね、人生が、
23歳から45歳まで、そういう生活を送ってきた私なわけですけれども、
まあガラリと変わりましてですよ。
自治体の方々、それから民間でもね、
企業の方々が自社ビルの中にとかね、
それから自分の地域に劇場を作ろうとか、
あと今ある劇場が古くなってきていて、
まあ耐震工事だとか、それからね釣り天井、特殊天井というね、
天井のなんかそういうのもあるんですけども、
あとその文化施設とは地域にとってどういうものなのかとかね、
なんかいろんなことを考えてね、それで提案する役回りというかお仕事ね。
こういう文化施設、これからは大切になっていくと思うんですけどねとかね、
この地域の特性はこういう特性があるから、
こういうふうに文化施設を活用してみてはどうでしょうかとかね、
なんかそんなようなことを考えて提案する人なんですよ。
なんかやっぱりこの俳優座劇場という偉大な、
みんなが愛してくださった、しかも俳優座劇場がなくなるっていうね、
その歴史的なこの出来事の最後の瞬間に立ち会った私がですね、
今度はいろんな地域にもう1回新しい劇場を作っていくね、
そういうお仕事の一端を担っている。
あと数年間はまだデッチドンですけどね、
そんな大冗談に構えているようなことじゃないですけど、
でもそういう仕事に就いているということがね、
何かこうちょっと変な言い方になりますけども、
こう罪滅ぼしというかね、
罪滅ぼしたこともないかな。
失ったものは取り返す、みたいな。
そう、なくしてしまったものは作り直す、みたいな。
俳優座劇場だって大切なもんだったし、
でも時代の嵩勢でね、いろんなことがあって、
なくなってしまったけれども、
その分、その悔しい分新しいものを作ってやるんだっていうね。
そういうような意気込みでね、
これからはぼちぼち、
ぼちぼちなんだ、結局ね。
こんなに狡猾な理想を語っていながら、
ぼちぼちなんやかって思いますけれども、
そんなに気負ってもできるもんじゃないから、
勉強しながら、それから人の話をよく聞きながら、
そういうことをね、やっていきたいかなっていうふうに
今は思っております。
そんな中でですね、
倉林誠一郎日記から見る理想の劇場
やっぱりね、いろんなことを考えますけれども、
演劇の世界から一歩外に出て、
改めて思うのは、
倉林誠一郎日記が出版されて、
日々、日々、倉林さんと一緒に何かそういうことを考えるというか、
倉林さんの日記の中でも、
35歳から40歳という時期の日記なもんですから、
倉林さんの若い、
倉林誠一郎って写真のイメージもあるから、
かなりお年を召された巨匠っていう感じのね、
イメージを持たれていると思いますし、
私も実際そうなんですけれども、
60歳とか65、70くらいのね、
あの倉林さんのイメージなんですけれども、
バリバリの35歳から40歳の倉林さんの日記なので、
やっぱりね、頭の回転がというか、
なんて言えばいいんだろうな、
感受性が高いっていうのかな。
細かいことまで色々気づいて、自分なりにそれを受け止めて、
で、それによってまたもう考える
いとまもなく次の行動に移しているみたいなね。
なんかそんなような、こうピンピンしている。
ピンピン?
その、うん。
なんていうのかな。
反応がいいというかな。なんかやっぱ若い。
そういうような倉林さんの姿を見るにつけ、
やっぱり自分もね、こうであらねばならないなっていう風に
改めて思いますし、全然触手は違いますけれども、
どこかこう、倉林さんが目指したところ、
あんまりはっきりとしたワードは出てないですけど、
例えば生活者ため、生活、言えない。
生活者のための劇場とかね。
これぞ新劇の劇場なのであるって書いてありましたけれどもね、
晴れ着の姿でね、
高級レストランが劇場のロビーとかにあって、
キラキラしたような、そういう高級な晴れ着、
同じこと言ってるな。
高価なね、プラチナチケットのようなの。
特別な時間のね、特別な体験っていうことじゃなくて、
そういうのも大事ですけれども、
それよりももっと暮らしに近い劇場というかね、
そういう演劇のあり方、劇場のあり方っていうのはね、
やっぱり理想的だし、そういう劇場が作りたかったというわけですからね、
プラバイスエイチローという人はね。
そういうところをやっぱり目指していかなきゃいけないし、
自分も実際その今の自分の生活を変えに見てもですね、
そういう劇場があったらいいなというふうに思いますしね。
やっぱりそこには市民たち自身の力で何か文化活動をしていて、
そこに自分たちの力で商業主義に偏らないね、
商業主義を真っ向から否定するわけじゃないけど、
商業主義の反商業主義でありながらも、
なんとかかんとかどうにかこうにか自分たちの努力で
演劇活動を続けている劇団の人たちが変わる変わる生活の場に来てね、
それで今我々はこういうことを考えているんだとかね、
こういう芝居を作りたいと思っているんだみたいなね、
そういうのが来たりしてね。
いいじゃないですかね、そういう生活空間というのはね。
そういうのを作りたいなというふうに思いますし、
失った分は取り戻すんだという気持ちで今はいるわけですけれども。
現代社会における自由と民主主義の危うさ
そんな中ですよ、やっぱりそういうのが大切だってね、
なかなか思いづらくなっている。
やっぱり自由であり、そして民主主義であり、
しかも個人が尊重されるべき国なわけですね、生活というかね。
この国の社会というのは自由であり、そして個人が尊重されており、
そして民主主義であるはずなのに、
何かその辺がぼんやりし始めているなと。
思ったんですよね。
やっぱり自分自身もいろんな自治体の方と接することが多いので、
何かこうね、自分なりにですけどもね、
自治体の人とお話しする機会がこれからどんどん増えていくので、
だからこそちゃんとね、そういう蔵林さんのように理想というか、
自分はこういうことを考えていて、
これのためにお金が必要なんだとか、
社会にはこういう文化の施設が必要なんだとかね、
俳優座劇場のような劇場が必要なんだみたいなことを、
しっかり言えるようにしておきたいし、
何かそれがこうすごく力を持たない世の中になってきてやしないかっていうね、
ちょっとそういう怖さというかね、
そういうことあんまり大切にされてないなみたいな、
それよりももっと大事なのは税収の高さとかね、
それから少子感への対応とかね、
あとはもう言うなれば文化事業の収益性みたいなね、
だからその一個一個のそろばん感情ね、大事ですよね、これもね。
それはだって自分で稼いできたお金で好き勝手にやるわけじゃなくて、
自治体の方々は税だわけですから、
住民の方々が一生懸命働いたところからお金を集めているわけですから、
それをどういうふうに使うかっていうのは、
むしろなんか自分のお金を使うよりも大変な何かプレッシャーというかね、
責任とプレッシャーみたいなものを感じている方もたくさんいるんだと思いますけれども、
だからこそみんなで集めたお金をちゃんとしたことに使いたいっていうね、
意識は多分あるんだと思うんですが、
じゃあそのちゃんとしたっていうのは何って言った時に、
やっぱりどこか目先のというかね、
言い方しちゃうとあれだけど、
ここは商業施設にした方が収益性がいいから、
まず商業施設の敷地面積をこれだけ確保して、
その端々にちょっとした公共施設をとかってね、
やっぱりそういう発想になるんですよね。
ならざるを得ないというか、
そうじゃなくてみたいなね。
なんかそんなようなところから、
じゃあそもそもさっき言ったような、
個人として尊重されるということだとか、
それから自由で民主な政党、自由民主党なんてところもありますけれどもね、
本当に自由で民主党なのかって思うところもあるじゃないですか。
これは皆さんそうだと思いますけれども、
じゃあ自由と民主ってちゃんと意味分かっているのかなっていうこともありますし、
そういうのは全部自分に返ってくるわけですから、
じゃあ自分はちゃんと分かっているのかなって思うと、
意外とふんわりしているというか、
そこをもう少しちゃんと整理しとかなきゃダメだよなというふうに思ったわけでございます。
「言葉の外来語」テーマ導入と「資本」の考察
なので今日は外来語の話をさせていただきたいと思います。
先週ですね、外来語には気をつけろというタイトルでやろうとしたらですね、
やれなかったんですよね。
なぜかというと先週も言いましたけどね、
前週の配信の録音を聞いていただきたいわけでございますけれども、
私がずっとやりたいやりたいと思い続けた成果という作品を、
いよいよ2023年に実現させたわけですよね。
それが今、中北陸ブロックの旅公演を終えて、
今は静岡県ブロックを回っているという状況なわけですけれども、
見ていただいた方の感想を語るスペースみたいなのが配信されて、
それをじっくり聞かせていただいたので、
それに反応したいなということで、
結局聖なる炎の話ばっかりしてしまって、
この外来語の話には入れなかったものですからね。
今週改めて外来語の話をさせていただきたいと、こういう思考でございます。
なので、この内容に関しても、思うところがある方はぜひコメントをいただければと思います。
リアルタイムでのコメント以外にも、
聞いたその日が配信日ということで、
録音で聞いてくださる方もたくさんいらっしゃると思いますので、
聞いたときで結構ですので、聞きながらコメントを残しておいていただければと、
こういうふうに思っております。よろしくお願いいたします。
実はですね、この外来語っていうのはね、難しいんですよ。
改めて考えるとね、
じゃあ例えば、今日は外来語って言っても、たくさん日本語の中には外来語ってあるので、
3つに絞ってね、話させていただきたいと思いますが、
それがさっき言った、民主主義の民主っていう言葉、それから個人という言葉、
あとは資本主義の資本という言葉、この3つを取り上げて、
1つ1つ考えていきたいなというふうに思っているんですが、
順番としてはですね、資本、資本から入って、個人という言葉に入って、
最後、民主というところで終わりたいというふうに考えているんですけれども、
1個1個これ考え始めると、実はね、
例えば資本って言われたときに、え、資本ってなりますよね。
資本ってだってお金でしょっていうね。
それぐらいしか浮かんでこないっていう方もいらっしゃると思います。
私もそうなんですよ。資本主義とかってね、
言ったときに、資本?資本主義とお金主義ってどう違うの?みたいな。
なんかそういう発想になりますし、
じゃあ少しね、青年期にね、マルクスに出会ったことのある貴重な体験を持ってらっしゃる方々いらっしゃるじゃないですか。
マルクス主義、マルクス・エンゲルスの書かれた世界的に有名な本ね、
といえば資本論っていうのがありますよ。
これがまたもう世界一の大著というかね、読み解くだけで一生かかるんじゃないかぐらいね、
難解でありながら文量も半端ないっていうね。
資本論なんて手出しちゃうと、もう資本論から出てこられねえじゃないかぐらいにね、
思うスケールの大変こう山脈のような大著がありますけれども、
それをね、青年期にお勉強なされた方に関して言えば、資本っていうのはね、宮沢くんっていうふうにね、
一加減あると思います。これはぜひね、教えていただきたい、宮沢にね。
教えていただきたいんですけれども、現状私はですね、資本って何?って言われたときには、
お金?資本主義ってありますよね。だから資本主義って言うとだから、
みたいな感じにね、ちょっとぼんやりしとるわけですよ。
これ良くないなと思って。で、調べてくる中で、
これはむしろ今日私が話そうとしているような種本と言いますかね。
私のために書いてくれたの?この本っていうぐらい、大変勉強になる本に出会いまして、
これをまずは紹介したいんですけれども、今日のね、お話しする内容のほぼ全ては、
この本から引用いたします。その引用の中から私が考えたことを交えて話していきたいと思うんですけれども、
本のタイトルがですね、日本語の宿命という本でございます。
公文社新書、新書本ですね。
日本語の宿命、サブタイトルが、なぜ日本人は社会科学を理解できないのか?
っていうね、なかなか刺激的なタイトルがついておりますけれども、
日本語の宿命、なぜ日本人は社会科学を理解できないのか?
もう日本人が社会科学が理解できないのを前提にしたような言い方になっておるんですけれども、
公文社新書というところから出ている本で、筆者がですね、薬師院ひとし先生というね、
この方ね、学者なんでございますけれども、とってもなんていうの、筆がですね、
すっとボケててですね、とっても面白い関西のりの方なんですよ。
真面目な話してるかなと思ったら急にボケが入ってたりしてね、
とってもユーモラスな先生だなというふうに思うんですが、
薬師院ひとし先生というね、貴族のようなお名前ですけれども、
この方ね、大阪維新の考え方に真っ向から対決姿勢を見せている、
気骨のある先生でございます。
で、その著作の中にもですね、橋積みに気をつけろだっけな、それこそね。
橋本元代表で、大阪県知事でしたっけね。
橋本徹というね、徹でいいんだよね、橋本徹がですね、
押し進めた社会の公立主義とかね、橋本が考える考え方みたいなことに真っ向から挑んでいく先生なんですよ。
で、私が支持しておりました、令和新選組の応援をしている先生でもあった。
これはね、本を読み終わってからね、この人どういう人なんだろうと思って調べたら、
そうだったんだっていうふうにね、後から知るわけですけれども、知ったわけですけど、とっても面白い方。
で、他にもですね、日本語の宿命以外にもですね、ちょっと今ちゃんとタイトルを出さなきゃなと思って、電子書籍の一番後ろを開こうと思ってるんですが、なかなか開かなくて、ちょっと今焦ってるんですが。
あ、出てきた出てきた。
薬師院ひとし先生、1961年大阪生まれの先生で、手塚山学院大学リベラルアーツ学部教授をされていると。
で、京都大学大学院の教育学研究科博士後期課程を中退して、京都大学の助手、それから手塚山学院大学専任講師、それで同大学助教授を経て2007年より現職と。
で、著作にですね、民主主義という錯覚とかね、それから社会主義の誤解を解くとかね、英語を学べばバカになるとかね、なんかいちいち気になるタイトルの本を書いてるんですよ。
で、橋本主義、ハシズムを許すなという本を教著で出されているという先生の本でございます。
今日取り上げさせていただくのが、日本語の宿命、なぜ日本人は社会科学を理解できないのかという本でございます。
ぜひね、何それ面白そうじゃんと思ったら、私のね、このコメント欄に後でね、Amazonのリンクを貼らせていただきますので、そこを踏んで買っていただくと、なんと宮沢にですね、3円ぐらい、3円ぐらいチャリンって入るシステムになっておりますので、
ぜひお買い求めいただくのであれば、一旦宮沢のリンクを押して、そこからAmazonに入っていただいて、で普通にAmazonで買い物していただければ助かります。
このね、シアターボンドの活動資金としてその3円は使わせていただきますのでよろしくお願いいたします。
皆様だけが頼りでございますので一つね、踏むだけですからね、宮沢に直接お金を渡すとかね、そのリンクから入ると、宮沢にあげる分Amazonの購入価格が高くなるとかそういうことは一切ないんですよ。
ただ、宮沢のリンクを踏んでAmazonで買い物していただくだけで、通常通りAmazonで買い物していただくだけで結構ですので、よろしくお願いしたいと思います。
Amazonアソシエイトというサービスなんでございますけれども、よろしくお願いいたします。
ちょっとカルピスソーダ飲みますので一旦CMです。
省内平野の南部に位置する東北最大面積を誇る市町村
ユネスコ食文化創造都市鶴岡
江戸徳川始天皇の一人、堺忠嗣の孫忠勝が
人民に優しい地方政治を行い、天保が決まっても堺家に治めてほしいと
領民たちが幕府に寂訴した
三方領地替え組織運動でも有名な珍しい地
蚊の文豪、藤沢周平の生まれ故郷であり
その著作に度々登場する海坂藩のモデルとしても同じ
歴史と文化とたくさんの美味しい海の幸、山の幸に囲まれた鶴岡にも市民劇場がある
鶴岡市民劇場は昨年60周年を迎え
緩い運動体質から脱却し、さらに日本演劇の民主的発展に寄与するため
とにかく何でも自分たちの頭で考えることから始めたいと事務局長の井原氏さんは語ります
庄内平野のど真ん中で演劇の灯火を守る鶴岡市民劇場にぜひご入会を
はい、というわけでその言葉外来語につきということで
メインに入っていきたいと思いますけど
まず取り上げたいのが資本という言葉でございます
資本ね、資本ってそもそもやっぱりですね
このもやっとする言葉というか
あれそもそもどういう意味なんだっけってなる言葉って
日本語じゃない、もともとの日本語じゃないことがね
まあ多いわけでございますよ
で、しかもですね
外国語を、外来語をですね
日本語の言葉に置き換えたり
それから日本語の言葉がない場合は
別の中国語の
中国の書物の中から似たような言葉を持ってきて
当てはめて
それで使ってる場合もあるわけなんですよね
ここがね、実はかなり複雑にしている原因なんでございますよ
で、それをやったの誰って言ったら
だいたいがですね
明治時代の政治経済の学者さんたち
だとか
あとはもう福知大地さん
福知源一郎さんとかね
それから福沢諭吉さんとかね
あと西天音とかね
なんかそういうほら、キラ星のごとく輝くね
もともと幕末の維新志士たち
明治維新の立役者たちが海外に留学して
で、言葉を
この概念を日本で根付かせようということで翻訳して
で、今でもそれを使っているという状況があるわけでございます
そうするとね
そういう明治に生きた知識人たちっていうのは
基本的には海外の外国語も堪能でありながらも
漢籍と言いますけども
中国語のね
そういうこう
中国から渡ってきた漢文とかね
そういうものの知識も堪能なわけですよね
だから漢文の知識の中から言えば
これが一番妥当かなみたいなところで
当てはめている場合が多いそうなんですよ
だからそうなってくると
もともとの漢籍の意味合いも分かっているし
外国語の意味合いも外国語として理解しているので
そうだね
この言葉だったらこれが妥当だよねっていう全体像が分かっていれば
ちょっと意味がずれてるなっていうぐらいは
まあまあまあということで使えるわけですよ
全体像が分かっているから
けれども
いやもう明治のね
そういう人たちと同じ知識量を得ようなんていうと
これはね
もう私らのね
庶民ではね
ちょっともうついていけないわけでございますよ
だからもう
世の中にもあるものとして
その言葉を勉強し
そして使っていくわけですよね
なのでその言葉がどういういきさつで入ってきて
どういう言葉を当てはめて
で今の言葉になってるっていう
全部を一個一個ねまたね
掘り返して考えないと
実は全然分からないんですよ
でこの日本語の宿命という言葉の本のね
前説じゃないや
前書きにも書いてあったんですけど
じゃあ例えばというね
この話面白いなと思うので引用させていただきますが
外来語の翻訳と意味の変遷
ストライキってありますよね
ストライキね今あんまないけど
昭和の時代はねしょっちゅうあったと聞きますよ
ストライキね
労働運動ですよね
特に労働組合が
経営陣に対してベースアップだとね
こんなにクソ働かせやがってね
なのに報酬はこれだけなんておかしいじゃねえかって
春党なんてね
ありますけれども今でもね
打決しなければ
これぐらいのベースアップをしてくれなければ
交渉決裂だって言って
お仕事するのを意図的に止めちゃうみたいな
で赤旗を持ってフランス式って言うんでしたっけ
この8の字でこうやってね
給料上げろとか言ってね
デモンストレーションするね
ストライキっていうのはありますけど
あれねあの言葉ね
もともとストライキっていうのは
ストライクという言葉なんですよ
で野球のね
みなさん野球知らないけど
大丈夫かな
ボールをほらピッチャーがバッて投げるじゃないですか
そうするとキャッチャーがボールをパシャンとキャッチする
もしくはバッターがね
ボールをパキンと打つという
あのストライクと同じ言葉なんだそうですよ
ストライキがね
同じストライクから来ているけれども
全然意味合い違うじゃないですか
これどういう戦いで
ストライキとストライクが一緒なのっていうね
なんでそれが日本語のような意味で
労働運動の言葉と
それからストライク
一緒になっているんだと
そういうね調べてみると面白いんだというような
入りがあるわけですよ
そもそもそのストライクというのは
ストライクだけじゃなくて
ボールの方ね野球の方のストライクというのは
ストライクアウトという意味で
ストライクを使ってて
なんとかっていうねことなんだそうです
ちょっと野球の話は私分からないので
まあまあまあとにかく
ストライキとストライクが同じ言葉だとかね
あとはほら
私はほらバイクをね運転するじゃないですか
そのバイクのことを
マシンという風に言いますけれども
君のマシンかっこいいねとかね
僕のマシンちょっとこうなんですよとかね
マシンという言い方しますけれども
あのマシンという言葉ね
ミシンと一緒なんですよ
だからこのミシンという言葉を英語で書くと
マシンって書くんですよね
マシンと日本語で言ってる人も
言ってるその日本語もやっぱり
マシンという英単語から来ていると
僕のマシンがさあって言って
ミシン出てきたらびっくりするじゃないですか
それと同じで何かこうね
もともとはその言葉だったのに
日本語の中に入っていくと
全然意味が変わってきたり
違う意味になったりするような
現象が起こっているんだと
翻訳語外来語にはね
マシンとミシンぐらいだったら
そうなんだ同じ言葉なんだとかね
あとストライクとストライクって
なんでなんだっけとかっていうくらいだったら
まだしも資本とかね
自由とか民主とかね
そういうこう社会を形成する上で
とっても大事な言葉の中にも
そういう変な誤解というか
日本に入ってきた時に
別の言葉とくっついたり離れたりしてしまって
本来の意味を失っているっていう場合が
往々にして多いと
だからそういう
基本的な言葉で
実はこういう意味もこういう意味も
あってみたいなところはちゃんと抑えておかないと
あらぬ方向にどんどん
本来の意味とは全然違う方向に
進んじゃうようなという
怖さがあると
そこは意識しなければなと
なんでこういうね
もう少し大切にしなきゃなと思うかというと
やっぱりね先週の話もそうなんですけれども
じゃあ翻訳ものをね
お芝居で作ろうとした時に
あの聖なる炎の
内容でね
ストーリーの展開で
聖火っていうのって
変じゃないかってなって調べてみたら
いやむしろ聖なる炎
いや聖なる火
聖なる炎の方がいいんじゃないかなみたいなことで
より原文に近づけていきながら
日本語でも覚えやすいタイトルに
するわけですけども
でもやっぱりサクレットフレームの
サクレットっていう言葉って
日本の社会の中ではあんまり使わないので
やっぱりサクレットっていうのって
わからないですよね
特にキリスト教じゃないと
聖なるっていうのの意味の
サクレットっていう言葉がホーリーとどう違うのか
みたいなことっていうのはやっぱり
比べて
母語の人たちに
サクレットっていうのはどっちかっていうとこうで
ホーリーっていうのはどっちかっていうとこうだから
こういう意味合いとかこういうニュアンスがあるから
やっぱり聖なるっていう言葉だとして
日本語でね聖なるっていう言葉で
訳するんだとしても
全然ニュアンスが違うんだよって
ちゃんと説明してくれればわかるんだけど
聖なるっていう
意味の中にもこういうニュアンスの聖なると
こっち側のニュアンスの聖なるっていうのがあるよね
みたいな
言葉英語とか日本語とか
フランス語とかドイツ語とか中国語とか
言語が変わるごとに
それぞれの言語の
思っている特徴みたいな
やっぱりものがあって
やっぱりその言葉
外来語につき
その男凶暴につきから来ておりますけどもちろんね
ちょっとね
意識したいよなと思うわけでございます
で資本なんですけども
「資本」と「首都」の語源と意味
資本って
もともとですね
原文はというか英語で言うとですね
これ英語のラテン語から来てるそうなんですけども
資本という言葉っていうのは
キャピタルと
言うんですよ英語でねキャピタル
キャピタルって
キャピタルって聞いたことあるよなと思うわけですよ
キャピタル
なんだっけなと思って
見てみるとですねこれが
今少し話題になっている
首都
福祉とうんちゃがっていうのがね
なんかゴリ押しで可決しちゃいましたけれどもね
福祉と
私ね
いいなと思ったのがやっぱり京都の人たち
偉いなと思ったんですけど
我々京都の知事さんだっけなあれね
会見で
何言うてはんねんと
これ宮沢の威厄ですよ
何言うてはんねんと
今でも京都が首都です
何が福祉とやねん
全然それ福祉となんて
なる考えはありません
って言ったと
やっぱ京都の人たち
気概があるなと思いますよね
我々が首都だから今でも
その通りですよでもね
なんですけども
元々キャピタルというのは首都という意味
なんですよこれがね
なんで資本という意味になるかと
ここがよくわからない
だって日本語で首都とそれから
資本っていうのは全然違うじゃないですか
でも英語というか元々の言葉では
同じ言葉を使うわけですよ
だから
英語の宮沢がもし英語を
話す人で今日ね
出てこねえな
今日ちょっとキャピタルの話を
したいと思いますなんて言ったときに
聞いてる人たちはキャピタル?
キャピタルってどっちのキャピタルみたいな
資本の方をそれとも首都の方を
みたいな多分そういう感じになるはず
なんですよだから
同じ言葉でも首都っていう言葉も表すし
それから資本という言葉も表すので
意味がね
ぐちゃって一緒になってるというか
同じ言葉なので
文脈でね
キャピタルの方ね
キャピタルじゃなくてみたいな
そっちのキャピタルじゃなくてこっちのキャピタルの方ね
なるっていうね
このやりとりすごく演劇的だなと思うわけですよね
特に別役ミノルさんの
作品を思い出すわけですよ
今日ここで帽子屋さんのお茶会が
開かれると聞いていますけれども
もしかしてここは帽子屋さんのお茶会ですか
いえ違います
ここは帽子屋さんのお茶会です
帽子屋さんのお茶会ではありません
そうですかけっきりここが帽子屋さんのお茶会かと思って
みたいなやつあるじゃないですか
別役ミノル
帽子屋さんのお茶会よりですけど
私ね
死体を探していまして
死体ですか困りましたね
あなたが引きずっているのは
死体ですか
私が引きずっているのは死体ではありません
ただの死体です
てっきりそれが死体かと思ってお聞きしましたけれども
失礼いたしました
死体ではないんですよね
ただの死体です
これも別役ミノルの
お芝居ですけれども
キャピタルですか
キャピタルじゃなくてキャピタルの方なんですけど
キャピタルの方ですね
そっちのキャピタルじゃなくてね
みたいなことですよ
全然日本人にとっては分からないじゃないですか
資本の話それとも
首都の話ってなるわけですよ
これはね有識自体なんですよ
じゃあなんでこの資本という言葉がね
キャピタルという言葉から
資本という話になるかっていうと
そもそもこの
キャピタルという言葉がですね
これ英語なんですけれども
日本に入ってきたのまでちゃんと記録されているらしくて
これがね文革2年
幕末ですよ
文革2年
1862年に日本に
初めて入ってきてそれで
ある方が
キャピタルといえば首都だという風に
訳して
今まで日本には首都なんていう言い方はなかったから
これは海外と同じような言い方で
首都という言い方で東京を呼ぼうと
いうようにしたわけなんですけれども
そもそもこのキャピタルという言葉はね
ラテン語のですね
キャピタル
すみません
ラテン語の読み方難しいんだよな
ラテン語の
キャピタリス
キャピタリスっていうそうなんですよ
語源がね
そのキャピタリスの
ラテン語の
キャピット
キャピットという言葉の
派生形なんだそうですよね
キャピットというもともと言葉があって
ラテン語でねそれの派生形が
キャピタリスという言葉で
このキャピタリスという言葉が
語源となって英語でキャピタルという
言葉になったんだと言うんですよ
このキャピットというのは
ラテン語で頭とか
首という意味があるそうなんです
頭と首どっちやねんってなりますけど
実はラテン語系の言葉では
頭と首ってあんまり
言葉で
区別しない文化なんだそうですよ
これがね日本でもちょっと
引きずっているのは
単独主意っていうのと
先頭に立つっていうので
どっちも1位のことを言うじゃないですか
これね
あんまり聞いたことないからわかんない
例えば宮沢
チーム宮沢先頭に立ちました
これで単独主意です
ペナントレースの先頭に立ちました
これで単独主意
頭なんか首なんか
どっちやねんってなるじゃないですか
でも1位のことを言ってるわけですよね
だからそれと同じように
英語でもあんまり頭と首って区別しないそうなんですけど
それもそもそも
キャピットという言葉が
頭と首を表してるからなんだそうなんですよね
でキャピタルは
派生系のキャピタリスという言葉が
語源となってキャピタルになってるわけですけど
同じようにですね
もう一つほぼほぼ
日本語になってる言葉で
キャプテンという言葉がありますね
これもキャピット頭首から来てるそうなんですよね
キャプテン
キャピタルとキャプテンっていうのは
同じ言葉から
派生して
2つの言葉になってるそうなんですよ
キャピタルそしてキャプテンね
このキャプテンっていうのもさっきの単独主意
先頭に立つと同じように
頭取りっていうのと頭を取ると書いて
頭取りというのとあと狩猟
狩猟
首が領土
首が領土じゃないか
狩猟っていう言い方ありますよね
宮沢族の狩猟は誰だ
俺だみたいなのあの狩猟ね
やっぱり頭とか首から来てて
そのグループの頭首
首頂
頭取りから来て
船長とか貴重とか首相
みたいな言葉になってると
頭的なとか首的な
みたいな意味合いからキャピタルっていうのが
首都というね
首の都と書いて首都
っていう言葉になったそうなんですよね
このキャピタルを日本語で
訳す時に
首都ってあえて首って
実はつけなくてもいいわけですよね
だって都って言えばいいんだから
東京をこれから新しい
都にするっていうのも全然意味は通るし
一文字だけで済むわけですよ
都ね
わざわざ首の都って書いて首都って
しないでも都一文字
キャピタルを都という風に翻訳すればいいものを
わざわざ首の都
首都って言ったっていうのは
その翻訳した人自身が
やっぱり英語の文化に堪能で
キャピタルっていう言葉はやっぱり
キャピットから来てるわけだから
頭の都か首の都みたいな
頭脳というか
そういう意味合いをつけなければいけない
っていう感覚が動いて
それで首都っていう言葉にしたんだと
言うんですよ
でもじゃあなんで資本が
それがキャピタルになるのかっていうと
これがまた英語の世界でも
いろんな派生系があって
キャピットっていう言葉が
キャピタリストになったりキャプテンになったり
キャピタルになったりするわけですけども
それと同じように
都という
まずキャピタルの意味が
首都っていうことになっていて
じゃあその首都というか中心というか
頭みたいな
都の都の中の都に
やっぱり資本主義が
18世紀ぐらいから始まった時に
物とかそれから理順とか
お金みたいなものがどんどん集まってくると
都の中の
首級というか
一番キャプテンね
都のキャプテンの首都に
どんどん富が集積していく
みたいなイメージから
これが資本になっていったんだという
わけなんですよ
だからまず首都という意味合いがあって
そこに富が集まっていってるから
その富を今度は
なんていうの
表す言葉としてもそれをキャピタルで表そう
ということになっているので
英語圏の人が
資本キャピタルって言った時には
首とかそれから大きな
街とか首都とか
そういうもののイメージが一緒に頭に浮かんでいながら
資本主義とはキャピタルとは
話をしているわけですよ
日本人は
資本主義の話をする時に
頭に首都が出てきたりはしないですよね
ここが大変だよなと
難しいよなと思うわけです
どうしても英語で話している人の
言葉のイメージというか
表現しているものの中に
首都と資本が
同じ言葉なわけだから
頭の中にちょっと首都っぽい資本が
なにそれ
首都っぽい資本って
意味わかんないですけど
同じ言葉なので出てきているわけですよね
頭のどこかに
あとキャプテンね
唐鳥とかね
首とか頭っぽい感じのイメージで資本って言ってるわけですけど
日本人はそうじゃない
資本は資本
首都は首都で全然違うわけですよ
ここのズレが
もしかしたら日本人が本当に
日本語の宿命なわけですからね
本当にその
資本という言葉を理解するために
どうしても
日本語では首都とそれから資本が
全然違う言葉になってしまうために
本当にそういうニュアンス的なところをつかめないまんま
バラバラの状態で
それを理解せざるを得ない
それは日本語の宿命なんじゃないかというわけなんです
難しくないですかこれね
「個人」の語源と日本語でのニュアンス
だってしょうがないんだけどね
しょうがないんだけど
だってキャピタルじゃないんだから
日本語でも首都もそれから資本も
言い方やめて全部キャピタルにすればいいじゃん
っていうことでもないわけですよね
日本語は日本語で
体系というか
別の言葉との関わり合いの中で
意味が徐々に規定されていくみたいな
網目のような
そういうネットワークみたいなものがあるので
そこにいきなりキャピタルでバーンって入れてきて
これが首都と資本の意味合いで
これから使おうと意図的にはできないので
難しいよなと思うわけですけど
同じようにですね
これは序の口なんですよ
キャピットという言葉がキャプテンとか
キャピタルになっていて
キャピタルというのはまず首都というね
都の中の首級というか
都の中でも一番重要な
それが首都という言葉になって
キャピタルという言葉になって
そこに富が集まったりしながら
富の力によって首都が発展していったから
これが資本という
キャピタリズムという
資本主義ということに繋がっていったんだよな
言われてみればね
大都会とか
グループ都の
党領みたいなね
首領みたいな
党取りみたいなところに
いっぱいお金とか人とかが集まってるから
資本主義っていうのができてきて
言われればね
そうかそうかってなるんだけど
これぐらいだったらまだいいんですよ
もっともっと厄介なことが起きてるのが
これが個人という
言葉なんですよ
資本と首都はね
まだそんな大した誤解は生まれていないけれども
キャピタリズムそしてキャピタルと
そういう風に展開していったんだろうなということが
分かれば
なんとなくね
資本というのは元で
事業の元でお金の集まりということだから
なるほどそういうことになるのか
というふうに思うんですけれども
個人という言葉はね
調べていくとどんどん
時空の狭間にはまってしまうぐらい
こんだけの
認識の疎後というか
誤解みたいなものがね
あったんだなと改めて勉強になるわけです
じゃあ個人
どういう言葉なのかというと
もともと個人という言葉は
英語では
インディビジュアルという
言葉がありますね
インディビジュアルという言葉を
日本語で個人という風に訳した
わけなんですけれども
個人って実はかなり不思議な言葉で
タクシーにね
個人ってついてますよね
これは日本語の宿命という本がね
一番最初に説明してくれるんですけれども
これも引用ですが
個人タクシーって言いますよね
個人タクシーって
どういう意味っていうと
個人経営のタクシーね
大きなタクシー会社の
何台も何台もタクシーを持っていて
会社がタクシードライバーを雇っていて
雇っているタクシードライバーを
その会社のタクシーに充てがって
経営している大きなタクシー会社じゃなくて
個人で
タクシーの
タクシーの営業権を
自分なりに得て
自家用車を
車用車というかタクシー用の
ナンバーに付け替えて
それで個人経営をしているから
個人タクシーって言うんですって言うけど
個人タクシーも会社なんですよね
ただ単にナンバーを付け替えて
それでタクシーですって言って
個人的に始めてそれね違法になっちゃうんですよ
だから本当の意味の個人タクシーでは
ないわけですよね
そうやってやっちゃうと白タクって言って
捕まっちゃいますからね最悪ね
個人タクシー
しかもあとはね
個人旅行って言うんです
言い方ありますよね個人旅行
これどういう意味かっていうと
団体旅行じゃない人を
個人旅行というわけですよ
バス旅行とかあるじゃないですか
バスツアーね
各々バスに乗って知らない人と一緒にね
バスツアーでバスに乗って
バスガイドさんがね
右手に見えますのが
アイズバンダイさんでございますとか
案内してくれながらなるほどあれがアイズバンダイさんかってね
なんでアイズって言ったのかわからないけど
そういう団体旅行に対して
いやこれ自分一人で行くんでみたいな
個人旅行っていう
言い方ありますけど家族旅行
は
個人旅行なのかっていう問題あるじゃないですか
だって家族で行くから家族旅行ですけども
何人もで行くから
団体旅行でもありますよね
しかも一つの家族だけで行く
家族旅行だったらまだしも
隣近所でね誘い合って行く
家族の合同の家族旅行の場合
団体旅行っぽい感じもありますけど
でもバスツアーじゃないんですよね
だから個人旅行なんですよ
これ難しくないですかこう考えると
個人旅行ってなんだっけってなりますよね
しかもあと
宮沢その体験はないですけども
団体旅行に一人で参加する場合
個人ですよね
だから
団体旅行に
参加している個人
だから団体個人ですよね
あれ何それってなりますよね
だから
実は個人って曖昧なんですよ
この範囲がね
しかもね
もっと難しいのが
インディビジュアルという言葉なんですけども
例えば個人データってね
個人データを流出させてしまいました
申し訳ございませんのあの個人データですけど
個人データっていうのを英語で言う時は
インディビジュアルデータって言わないんですよ
これ何て言うかっていうと
パーソナルデータって言うんですよね
だから個人っていう言葉を
日本語の個人っていうのを
英語で説明しようとすると
この場合はインディビジュアルって使うけども
この場合はインディビジュアルとは言いませんよってなるわけ
だから個人を表す英語っていうのが
2つあるわけ
何それってなりますね
え?え?え?ってなるとてもなるんですよ
宮沢はね
でじゃあインディビジュアルって
どういう意味かっていうことをもう少しね
調べていくと
そもそもインディビジュアルという言葉は
種族の中における
1個体の意味なんですよね
これかなりえ?ってなりますけど
例えばねコアラね
何でコアラなんだろうわからないけど
例えばだからね何でもいいけど
コアラっていう種族がいますかわいいねコアラ
コアラという種族の中の1頭っていう意味合いね
1個体1頭っていう意味合いは
西洋語ではインディビジュアルと言うんですよ
だから同じように
人間でも
人間ホモサピエンスね
人間の中の1個体のことを
個人インディビジュアル
っていうわけですよね
だからまあ1人というか
だから金持ちでも
貧乏でも力が強くても
弱くても家柄が上でも下でも
個人なんですよ
ここがねとっても大事なことで
コアラまあねでっかいコアラもいれば
ちっちゃいコアラもいるし大食いのコアラもいれば
ずっと寝てるコアラもいてでもみんな1頭なんですよね
個人
個人とは言わない人じゃないから
ココアラですよねこれはインディビジュアルですよ
で
個人の中でも金持ちとか
性格が良いとか悪いとか
人の話を聞いてくれるとか聞いてくれないとか
個性にあたる部分は
パーソナル
パーソナリティとか
パーソナルっていう言葉を使うので
個人にも2つあるわけですよね
でなんでこんなに宮沢が個人という言葉に
こだわってるかというと
憲法第13条でございますよ
憲法第13条ね
どういう条文だったか
皆さん覚えていますでしょうか
私覚えてなかったので今メモ取ってきたんですけども
憲法第13条というのは
全ての国民は
個人として尊重される
生命自由及び幸福追求に対する
国民の権利については
公共の福祉に反しない限り
立法その他の国政の上で
最大の尊重を必要とする
全ての国民は個人として
尊重される
わけですよ
この個人として尊重されるって
どういう個人として尊重されるんだ
って思うわけじゃないですか
ここで取り違えては絶対にいけないのが
インディビジュアルじゃなくて
エゴイズムの方ですよね
つまり利己主義ですよ
自分さえ良ければいいっていうね
個人
あいつ最近個人主義だよね
そうだよね
みんなはこう言ってんのに
あいつだけ違うこと言うよねとか
あいつだけは自分でいいと思ってて
一匹狼だよねみたいな
個人主義に走ってるよねみたいな
言い方ありますけど
その個人主義っていうのは
本来の個人主義と違うわけなんですよ
どういう風に違うかっていうと
さっきのね
インディビジュアルの話に戻りますけれども
個人というのは
金持ちであれ貧乏であれ
家柄が上であれ下であれ
同じ人間として
同じ一人の人間として判断される
だからあなたがどういうパーソナリティであっても
あなたのことを個人として認めますと
だから群れの中から
個人として切り離すっていう
考え方じゃなくて
一個人として尊重しますよ
という考え方が
個人という言葉には秘められてるわけです
パーソナリティとは別だから
エゴイズムとも別なので
インディビジュアルという言葉は
全体の中のメンバーの一人として認めます
という意味が込められてるわけですよ
ここがねとっても大事だなと宮沢は思うわけです
個人主義とか
個人が好きだとかね
個人タクシーとかね
なんか自由気ままで
同調圧力と全然関係ないところで
好き勝手生きてるみたいな
そういうニュアンスが日本語ではどうしてもね
出てくる個人的にとか
私個人としてはとか
他とは違いますみたいなニュアンスの
中にある言葉の意味合いがありますけども
でも実は全然違って
本来のインディビジュアルというのは
全体の中の一人
というね
全体の中のという言葉が
ニュアンスが含まれている言葉なんだと
だからフランス人とかがよく言うのは
家族は
個人主義の始まりだとかね
家族は他人の始まりだっていう
言い方があるそうなんですけども
それってすごくね
もう切り離すというか
家族っていう
社会の最小単位の中から
自立させて個人として生きていきなさいみたいな
あなたはもう大人なんだから
子供
とっても冷たいようなね
感じに思われるんだけど実はそうじゃなくて
あなたを
個人として認めますと
その社会を形成する
一人の個人として尊重します
っていう意味合いなので
本来はとっても冷たいんじゃなくて
温かい言葉なんですよね
尊重するわけですから全体の中の一人
あなたは一人です
個人ですっていうふうに言うわけですから
あなたは一人なんだよって言われると
日本語ではなんかすごい
なんか寂しいみたいになっちゃうけど
ちゃうちゃうちゃうちゃうと
みんなの中の一人前というかね
個人とか一人とかじゃなくて
一人の人間としてあなたを認めますという
意味合いがあって
さっきの憲法の条文に戻るけれども
全ての国民は
個人として尊重されるというのは
好き勝手やっていいよっていう意味合いじゃなくて
国民という
全体的な大きな
集団というか日本国民という
塊の中を形成する
一人としてあなたを尊重しますよっていう
意味合いなので好き勝手やれとか
やってはダメとかいう意味合いはなくて
メンバーの一人だよっていう
とっても温かい意味合いが込められているのに
どこか日本語では
個人って言われると
お一人様みたいなね
気楽だけども寂しいみたいな
そういう言葉
として使われてしまうのが
とても危なっかしいと
この先生は言うわけです
資本
資本ぐらいだったらまだしも
個人という言葉をインディビジュアルとパーソナルを
ごっちゃにしてしまうと
社会を形成する上で
とても大切なところを見失っているような感じ
しますよね
この話で一つ思い出すのが
何度も何度も言ってとても
恐縮なんでございますけれども
この前見た芝居で
東京演劇アンサンブルの
魔法老女
言うたびに吹き出しちゃうんですけども
魔法老女ポストキュアというお芝居の中で
引きこもっている娘の
主人公が
お母さんに対して私は
お母さんと他人になりたい
っていうねセリフが確かあったと思う
ちょっとウロ覚えだから
私はと他人が
東地方
他人になりたい私はとか
大筋としてはそういうね
セリフがあったんですよ
フランス人が見たらね
当たり前じゃないかこの野郎
家族は他人の始まり
フランス人の
基本なわけですから
そうですよ
なりたいじゃなくてもうすでにそうなんです
個人なんですあなたは
他人だよ
日本語でそうやって言われると
すごい切り離されたね
寂しい感じになっちゃうけど
そうじゃない
社会の一員としてあなたを認めているよ
そこを
同調圧力とか
村社会のところから
切り離されちゃうみたいな
これから個人として尊重されるんだ
いきなり村社会で生きてきた
日本人に言われると
周りの地域から
村八分にされるみたいな
そういうニュアンスが
個人という言葉には付きまとうんですけれども
でも本来の個人という言葉には
それは一切なくて
むしろ認めるという意味が強いんだと
ここは大事にしたいなと
宮沢これ思ったわけですよ
インディビジュアルという言葉は
実は人のことを包含するというか
包摂するというか
とにかく大事にする言葉なんだと
いうことでございます
もっともっとより厄介なのが
これどんどん厄介な言葉の順番に
選ばせてもらったんですけれども
キャピタルはまだ頭と首
そこに富が集まるから首都
という言葉から
資本という言葉
資本主義の資本になったんだね
分かった分かったぐらいでいいんですよね
個人というのは
コアラの
出てくるな
コアラの種族の中の
一個体という意味もあるぐらい
個人というのは
全体に対する数量的な
一個体という意味から
一見日本人の感覚からだと
とても冷淡に感じるような
あなたは個人だと親は他人の始まりだ
というのが
社会から切り離したような言い方に
聞こえるけれども実はそうじゃなくて
社会の一員としてあなたを
一人の個人として認めますという意味合いが
もともとあるわけだから
個人旅行も個人タクシーも
本当は使い方間違っとんねん
ということを覚えておかなきゃいけないなと
私は思ったわけです
もっとややこしいのが
「民主主義」の語源と本来の意味
民主主義なんですよ
民主主義というか民主
民主主義の民主という言葉なんですけど
これ
夢中になって話してたら
もう11時半だわ
ここから難しくなりますからね皆さん
もう少しだけお付き合いいただきたいんですけど
すいません
ここはちゃんと整理しておきたいなと思うので
話させていただきますが
民主主義の民主というのは
もともとどういう言葉かというと
デモクラシーですよ
デモクラシー
このデモクラシーというのは
英語ですけどもこれもともとギリシャ語の
言葉でデモクラティア
という言葉からこれ来てるんですが
ここまではいいですよねデモクラティア
がデモクラシーそれを日本語では
民主主義と訳したんだな
というのは分かるわけですけども
民主主義という言葉だけで
言うとですね
西洋語ではデモクラシーとか
それからデモクラティアに主義という
意味はないんだそうでございます
ここ大事なんですよ
民主主義という言葉じゃないんです本当は
じゃあどういう言葉かというと
民主性
制度の性という風に書く時もあるし
それから政治の性
民主性の性は政治の性って書くこともあるんだけども
イズムじゃないんですよね
そのデモクラシー
イズムじゃなくてデモクラシーなんですよ
だから民主性という
政治体制のことを言うわけですよね
イズムっていうと
どうしてもほら他のね
なんとかイズムかんとかイズムってあるじゃないですか
だからイズムイコール主義っていう風に覚えてますけれども
デモクラシーだけは
イズムってつかないんですよね
民主主義って言った時に
デモクラシーって畜語的にね
一語一語一語対応で
自然と覚えてますけれども
デモクラシーってのは主義じゃない
本当は主義じゃない
だから民主主義っていう言葉自体が少し
うんってなるわけですよ
民主主義ってなんだっけってなるわけだから
で
同じような明治期にね
これもやっぱり翻訳されたんですけれども
日本人がね
明治期に
とても曖昧にしてしまったのが
もう一つ似たような言葉で
共和制ね
共和という言葉があって
これね完全に混乱してるそうなんですよね
確かにそうなんですよ
共和国の共和ですよ
共和国っていう時と民主国
民主制っていうことがあって
どちらともどういう意味だっけって
考えると
ほぼほぼ同じことを言ってるんですよね
つまり全体による統治とかね
それからその
塾議における
塾議を経た上での
何かそういう
政治体制というか
一人の絶対権のある
独裁者とかね
権力者がいて
君主がいて
全部を自分の思惑通り決めて
で国を動かすみたいなのが
反対側にあって
共和制とか民主制っていうのは
民がねみんなで話し合ってとか
そういう意味が確かあるよね
くらいで終わってるわけですよね
だから民主制と共和制ってどう違うのって言われると
すごく悩むわけですよ
えってなるわけ
ここはね
実はとっても大事なところで
民主民主制っていうのは
もともとがデモクラシー
デモクラティアっていう意味合いで
これが全体による統治とかね
いう意味合いなんですけれども
共和国の共和というのは
リパブリックという
元々の言葉があって
実は全然違う言葉なんです
リパブリック
これね直訳すると
パブリックシング
リパブリックのリっていうのは
メールの返信で
レスってありますけど
再びとか返信とか
返すっていうね
リターンとかのリね
再びの意味合いのリではなくて
ラテン語で書くと
RESっていう書くらしいんですけど
リパブリックのリはね
何々のこととか
何々のことやものという意味合いの
リという言葉らしいんですけど
なのでリパブリックと言った時には
パブリックのもの
つまりみんなのものという意味合いがあるんだそうです
これが共和
共に和
和をもって尊しとなすの和ですけども
この共和っていう漢字も
どうなのと思いますけど
共有とか
そういう意味合いの方が強くて
つまりリパブリックと言った時には
みんなのものですから
イタリア共和国って言った時には
みんなのものたるイタリアという意味なんですよ
だそうなんです
みんなっていうのは何って言った時には
イタリアの国民を指すので
イタリア国民のもの
このたるイタリアという意味が
イタリア共和国という言葉なんですよ
つまりみんなの国
みんなのものという意味合いなんです
なんだそうです
リパブリックというのは
これデモクラシーと全然違うってなるんですよ
だからここが面白いなと思うのは
1789年に
フランスでフランス革命というものがありましたよ
断頭台ですよ
ルイ16世とマリー・アントワネットが
断頭台にかけられました
日本語で言うと
首切っちゃうわけだから
斬首台って言いそうなんだけど
なぜか断頭台って頭を切るって書きますけど
もうそれぐらいにさせてもらいますけど
ちょっと話ずれましたが
1789年にフランス革命があって
ざっくり言うと
フランス共和国ができたわけですけど
なぜかここで
共和国なのに皇帝ナポレオンが誕生しますよね
え?ってなるわけですよ
世界史に習ってたら
勉強してたらみんなが思うと思うんですけど
共和国なのに皇帝おるやん
皇帝ですからね
王様の上ですからね
エンペラーですから
ボナパルトね
ナポレオンボナパルトが体幹しちゃうじゃないですか
でもフランスは
共和国だというわけです
そこで整理すると
王様がいても
ナポレオンがいても
みんなのものだったらとか
みんなである国家
公共の利益を
追求するという
公共の利益を追求するよ
っていう人が統治していれば
国そのものが
みんなのものであれば
そこは共和制だと
難しいですけど
皇帝ナポレオンがいたとしても
国はナポレオンのものではなくて
みんなのものだと
しかも皇帝ナポレオンは
自分のためじゃなくて
みんなのために公共事業をやったり
公共の利益を追求する
政治を行うんだということに
国民と約束している
場合なので
しかも君主ではない
皇帝だから
共和制だった
みんなのものだから
イタリア共和国は
みんなのものたるイタリアだから
フランス共和国も
みんなのものたるフランスだから
取りまとめはナポレオンがやります
一応皇帝なので
やらせてもらいますけど
国はみんなのものだから
共和制になるわけです
共和制というのは
君主制の反対語じゃないわけです
君主がいても
国がみんなのもので
しかも君主がみんなのために
政治を行うんだったら
それは共和制なわけです
だから
王様がいても
共和制だけど
王様がいたらさすがに
民主制とは言えないわけです
だって民主主義じゃない
王様がいたら民主主義じゃなくなる
王様
民主主義というのは
個人の話に戻りますけど
憲法第13条をもう一回言いますが
全ての国民は
個人として尊重されて
しかも立法その他の国政の上で
最大の尊重を必要としている
というわけですし
その次の憲法第14条では
全ての国民は法の下に平等であって
人権 信条 性別
社会的関係において
差別されないと
第2項では
家族その他の貴族の制度は
これを認めないと書いてあるわけだから
本当の民主主義国家を作ろうとした場合
国王がいてしまってはおかしいんですよね
なんだけど
みんなの国であれば共和制ではいられる
全然違うじゃないですか
リパブリックという言葉とデモクラシーという言葉で
分けられているわけですよ
ここ日本人というか自分ですけど
日本人って言っちゃうと
主語が大きくなっちゃうから
そんなこと分かってるよ宮沢君
いう人がたくさんいてくれればそれでいいんですけど
私は全然知らなかった
この辺のところ
そうなのって
共和と民主って全然違うってなるわけですよ
で
さっきのリパブリックのことを
民主主義の本質と公務員の役割
共和というふうに訳したのは
これちょっと
意味分かんないよなと思うのが
リパブリックはみんなのもの
つまりね
やっぱり
イタリア共和国何度も言っちゃいますけど
みんなのものたるイタリアという意味が
イタリア共和国なわけですけれども
共和国って言われるとやっぱりね
ちょっと分かんないんですよね
共有国だったら分かる
みんなが共有している国なわけだから
みんなのもの
イタリアはみんなのものの国だから共有国
イタリア共有国だったら分かるけど
あえて共和国って何で訳したのって言ったときに
そこでさっきちょっとね
ちらっと言いましたけども
明治の人たちが頭が良すぎて
漢語のことについてもめちゃくちゃ詳しくて
共和という言葉はそもそも
その漢籍ね
中国の古い本の中にある
合議制の意味で
共に和して合議する
と書いて共和というね
この漢語が残っていたんだと
しかもこれが宗公と将公が
合議制で統治した
宗という国があってね
そこで出てきていたのが
共和という言葉だったので
なるほどリパブリックはこれに倣って
共和という言葉にしようと
で共和という
訳語にしたらしいんですけども
知らへんねんそんな宗公とか
なんでそんなつけたん
ってねやっぱり突っ込みたくなるんですよ
共和とか言われるから
よくわかんなくなっちゃうし
難しいよなみたいな
やっぱりね漢語の言葉に
引っ張られてしまうわけです
偉い人と偉い人が合議制で
決めて統治していたものが
共和制なのかなみたいな
じゃなくてそもそもリパブリックという言葉の中には
みんなのものという意味がある
わけだから
合議制で決めるみたいなことでは
なくて
合議制は合議制でまた別の言葉があるから
共和イコール合議制
という意味合いはないし
そもそも共和制は君主制の
反対語ではないよっていうね
いうことですね
このね少し
その視点からね国の言葉
ヨーロッパの言葉
ヨーロッパの国名をねおさらいしてみると
すごくよくわかるんですけど
国王がいるとか君主がいる国が今でもあって
ヨーロッパにはね
デンマークとかスウェーデンノルウェー
っていうね国王の国は
みんな国王とか君主がいますよね
しかもオランダベルギーね
それからあのね私が大好きな
ユナイテッドキングダムねUK
イギリスですよねやっぱいますよね
女王様がねスペインも国王がいます
ねなので今挙げたところは
みんなデンマーク王国スウェーデン
王国ねノルウェー王国オランダ
ヨーロッパ王国ベルギー王国
ユナイテッドキングダムそれからスペイン王国と
今でも王国と言います
けれども国王がいない国は
みんな共和国なんですよね
ドイツ共和国フランス共和国
イタリア共和国ポルトガル共和国
オーストリア共和国と
だから君主が今いるか
いないかで名前が変わっているだけで
あって君主性なのか
共和性なのかは一切関係が
ないわけですよねただ王様がいるところは
王国って言ってるだけで
王国ってついたら
君主性なのかって言ったらねそんなわけないんですよね
イギリスだっているけど
ロイヤルファミリーいるけど
あの人たち別に君主として
君臨してて国を全部動かしていて
自分の国だって主張しているわけじゃないので
共和性ですよ
どっちかって言ったらね
っていうことなんですよ
だからデモクラシーとリパブリックが全然違うのって
とても大事だし
その君主がいるいないが
共和性かどうなのかと関係ない
というのが非常に大事だなという
ふうに思うわけです
じゃあ
そろそろ時間も近づいてまいりましたので
最後の話に行きますけれども
デモクラシーって
どういうことなのかって思うわけですよね
私がかつて
超敬愛する
超先輩の
超飽きた無邪気
怒られるわまた
飽きた無邪気ひじかたよしき年
青年劇場というね劇場がございますよ
この私の配信ではね
必ず本名で言おうという
個人ルールがありますので
絶対に個人本名で言うんですけど
飽きた無邪気ひじかたよしき年
青年劇場というところに超先輩で
超大好きな
超福島明夫という人がいますよ
超なんていう人はいませんが
福島明夫という人がいますね
この方にですね私ね
後輩なんでバカな質問も言ったら答えてくれるだろうと
福島さんくらいの人だったら
思ったので福島さんと
民主主義ってどういうことですか
あえてぶつけてみたんですよ
そしたら民主主義ってどういうことですか
のかを聞かずにですね
一人一人が大切にされること
いうわけですよ
あの時の超福島さん超かっこよかったからね
でその
超福島さん
怒られる手だから
その一部始終はですね
今でもyoutubeの動画
劇ちゃんという動画をやっておりましたけど
そこで
福島明夫さんにロングインタビューをするという
企画で
撮影編集を行いまして
民主主義とは
というところで確か
ショート動画も作ったんじゃないかとね
思い出してますけれども
超福島明夫先輩が言うには
民主主義というのは
一人一人が大切にされる考え方だと
そこに尽きるというわけです
確かにその通りだなって今でもね
民主主義って考えるとその言葉が
頭にふっと浮かんでくるわけですけれども
今話している民主性なのか
それとも共和性なのかという
次元の話でそれを
適用させていくとやっぱりね
みんなによる統治
国を維持していく
国を動かしていくのを
みんなで行うこと
しかもそれが
みんなが大切にされる社会を
作ろうとすることが
デモクラシーなんじゃないかと
基本的には直接民主性とか言いますけれども
大原則として
全員による統治なわけだから
みんなが
話し合って決めたことを
みんなで実行すればいいわけですけれども
1億2千万人もいないか
1億1千何百万人か今はね
ざっくり1億2千万人の
全日本国民による
全員の統治っていったら
大変なことになるわけですよ
ここが一番難しいところで
全員による統治というのが難しいから
1億2千万通りの政策を
発表しなきゃいけなくなっちゃう
1億2千万人で
話し合わなきゃいけなくなっちゃうので
これはさすがに難しいだろうということで
間接民主性なるものを
みんなで考えて作って
1人1票の
投票を持って
選んだ人を
民主的な手続きで
選挙を行って
国民の代表者を
決めてその代表者の話し合いによって
代表者の熟議
話し合いとそれから代表者による
投票によって法律を
作ったりそれから
代表者の投票によって
選ばれた人に行政を
任せようということで
今日本という国は動いているはずなんですよね
つまりは多数決だと
なっちゃうわけです
数さえ取れれば
それで動かせちゃうって
どうしても考えちゃう人がいて
もともとデモクラシーというのは
数で決める
っていう考え方ではなくて
多い方が勝つとか
みんなが思っていることを
なるべく多くの人たちが
考えていることを実行しようね
っていう考え方じゃなくて
基本的にはみんなで統治する
全員による統治が基本なんだけども
今はそれができないから議会を作って
で議員さんをみんなで選んで
その選んだ議員さんに
話し合ってもらって
その話し合いだけじゃ決まらないから
さらにその議員さんの投票によって
政策なり
それから法律なりを作っていこうよ
そういう手続きが大事な
考え方の変遷が
大事な考え方なのであって
多数決イコールデモクラシー
じゃないんですよね
ここが非常に大事なことなんだろうな
と思うわけですし
ここでびっくりするようなことを
引用しますけども
これ一番勘違いしとるな
というのが
日本語の宿命の中にも
引用されているんですが
上山新一さんという
元運輸官僚で
現
公共政策の学者さん
公共政策学者さんがいらっしゃって
この方
愛知県とか京都市とか
北九州市とかあとは
堺市などで政策アドバイザーや
顧問を務めていて
その著作に
大阪維新という本を書かれている方
しかもこの大阪維新という
タイトルで
ピンときてると思いますけど
大阪維新というタイトルの本が
今の大阪維新の会の
基本的な考え方と指針ということに
制定されているそうなんですよね
つまり大阪維新の会というのの
考えの根本を作った人
が上山新一さんという方
らしいんですけれども
この大阪維新という本の中で
ちょっと引用しますが
民主主義は
市場経済
市場競争原理を
政治に応用しています
市場競争原理を
政治に応用しているんだと
例えば選挙や
多数決はマーケティングシェアを
たくさん取った人が勝つ
市場競争原理
そのものです
というわけですよ
もう一回読みますよ
民主主義は市場競争
市場というのは市場ね
市場原理の市場ね
市場競争原理に
民主主義は市場競争原理を
政治に応用しているんだと
例えば選挙や
多数決は
マーケティングシェアを
たくさん取った人が勝つ
市場競争原理そのものなのですと
完全に間違ってるよね
これね
間違とるで先生と
こんな人がですね
公共政策の学者で
運輸省の元官僚で
愛知県と京都市と
北九州市とそれから堺
堺市で政策アドバイザーを
やってるんですよ
これ大変なことなんですよ
もう一回言いますけど
デモクラシーっていうのはそもそも
全員による統治なわけですよね
デモクラティアから始まってる
古代ギリシャのポリスという
都市が一つの国だった
そこで生まれた考え方で
みんなで統治しようと
王様とか個人に
統治してお願いしてもらうのではなく
みんなによる統治だよ
そこから派生したデモクラシーという考え方
日本語では民主主義と
訳されている考え方は
一人一人が大切にされる社会だと
これは福島大先生が言うわけですし
なので
マーケティングシェアと関係ないんですよ
だから結果的に見て
多い方が勝つ
だから多い
ブランディングとかマーケティングをして
多く取れば勝ちなんですよ
これっていうのは
少数派
多数を取った人たちだけが勝っていて
多数を取れなかった少数派の人たちは
負けだから
見なくていいっていう発想になっていくわけです
つまりこれ
トクビルという人が
難しい話しちゃいますけど
トクビルという人が言った多数の暴政ですよね
暴政というのは
暴れる政治と書いて暴政ですけど
多数の暴政ですよね
少数派のことを支配する
無制限に簡単に
民主的な統治というのが
イコールマーケティングシェアとか
多数決みたいなことになってしまうと
無制限に少数派の意思を
支配してしまう
数字で出てるんだから従えよってなっちゃう
これは明らかに間違いだってことを
もう一回
みんなの中で
民主主義って多数決じゃないんだよってことを
意識したり
言葉にしていかないと
本当に大変なことになっていくだろうなと思いますし
私もここは
もう一回意識していきたいなと思うわけですよ
しかも
これ最後の話
日本人の感覚の中で
どうしても
感から民へとか言うじゃないですか
つまりは
有生民営化の時に言われたのかな
公共事業が
政治の汚職の
温床になっていると悪いことばかりして
公金をがっぽり
自分のポッポに入れて
自分の会社を
より有利にするために
政治家の先生にお金をあげて
便宜を図ってもらうみたいなのが横行しているから
もっと公共事業自身を
どんどん小さくしていって
小さな政府ということにして
全部民間の人たちにやってもらおうと
今民間の人たちすごく
力を持っているんだから
民間にあるノウハウとか
考え方みたいなものを
どんどん政治に活かしてもらおう
だから感から民へと言って
やったじゃないですか
小泉なんちゃがとか
から始まる事業
感から民へというのがありましたけれども
結果どうなった?
これはまた別の話でちゃんとしたいと思うんですが
感から民へとか
あとは見と訪問の世界ですよね
おかみっていうのがいて
おかみが全部悪くて
悪大感で
感の人たち
警察感の感ですけれども
こういう人たちが
全部を
利権を握っていて
権力とか利権を握っていて
大きな大棚の悪い商人と
組んでいて
全部いいようにしちゃっていて
民の声は悪いお大感様には
届かないんだっていう
何かそういう感覚ってありますよね
私の中にもすごくあります
下々の民が
親国を懲らしめて
下々の民が苦しんでいるところに
ちょっと謎の
頭巾をかぶった
おじいちゃんと腕っぷしの強い若者侍を
二人連れてね
そんなことがあったのか
それは大変ですねって言って
ちなみにその悪大感どこにいるんですか
ここここです
皆さん無事でいてくださいねって言い残して
すけさんやかくさんや
ってこうなるわけじゃないですか
それでその悪大感を
懲らしめに行きますよね
大立ち回りが始まって
すけさんやかくさんは無敵なので
斬られても全然死なないわけですよね
公毛様に至っては腰が悪くて杖ついているのに
その杖でチャンバラやって
勝っちゃうわけですからね
悪大感たちのガードマンをね
バシバシやっちゃうわけじゃないですか
ブレモノとか言ってこのジジイとか言ってね
で
で
悪大感たちが懲らしめられて悔しいから
ヒトラヘロとかって言ったら
図が高いってこうなるわけですよね
もっと上の
このね
官のトップの弟みたいな
その弟じゃないか
五三家の
佐紀の副将軍とこうなるわけですよね
このもんだころが目に入らぬか
こうなるわけですけど
そういう世界観がちょっと日本人って生きてますよね
なんかね悪いとか
あとは
権力利権を持っているのは全部
官公庁とか
それから政治家とかね
なんかそっち側の人たちで
一般市民はとってもこうなんか
純粋で弱くて
それでなんかこう
悔しくて常にね
対決
官と民の対決
姿勢みたいになっちゃうんですよ
どうしてもね私もそうです
何かどうしてもお役人のことを
こうなんかやり込めて
お役人を辞めさせたり
傷つけたり退治してもらって
初めて民は幸せになっていく
みたいな世界観でどうしても生きがちなんですけど
でもねちょっとね
そこを考えると民主主義のことをね
絡めて考えると
確かにそうだなと思うのは
今のね昔の江戸時代は違いますよ
全然ねそれこそ悪大観がいた時代ですから
ねもう血筋とそれから身分
身分制度とねあとは
トップの将軍による任命で全てが動いてた
わけですけども今の公務員
ねそれから今の政治家
というのは中央集権
でありながらも真ん中に
ドカッとねなんとか将軍が
座っていてその人が全部支配
して決めてるわけじゃないですよね
むしろ真ん中に座っているのは
国民そのものなんですよねつまり民が真ん中に
座ってるわけですよ民主主義なんですからね
なので公務員
とかそれから政治家というのは
基本的には民主的な
手続きによって選ばれてるわけですよね
民主的な手続きによって
選ばれてその代表者がさらに
民主的な手続きによって
議会で熟議をして
でその中でまた民主的な
手続きによって
決定を下しているね
わけですよ民主主義の申し子
のはずなんです本当はね民主主義の
民主的な民主性の中で
勝ち得てね
人気を勝ち得たりそれからいいこと言ったりね
指示されたりしながら
民主的な発展じゃない
それは演劇館紹介で
民主的な手続きの中で
これが実現その人が
公務員であることを認めている
わけですから一番大事なのは
官とかね
お役員さんとか地方公共団体
こそが民主主義の
第一義的な担い手で
なければいけないはずなんです本当は
民主主義を実現するのは誰かって言ったら
国民ではなくて国民ももちろんそう
普段の努力で守らなきゃいけないんですが
第一義的には公務員
とか政治家が
民主主義を担って
なきゃいけないはずなんですよね
ここみんな忘れてないかっていうね
なんかねどうもね
大臣になったり
偉くなったりすると
急になんか国を背負って
なんとかとかね
国のためにはどうのとか
国の予算ではこうとかね
なんかすごい自分のお財布みたいな顔をし始めて
その金みんなから集めたお金だからなっていうのが
どこか忘れられてしまう
それから何かこう
さっきのねマーケティングの話じゃないですけど
自分のなんかその
手柄によって
王様みたいな感じになっちゃって
高市総理なんていい例ですけども
自分は一番の権力者なんだから
自分の言うことを聞けみたいな
違う違う違う違うってなるわけですよ
あなたが一番
第一義的な民主主義の
担い手なんですよ
王様じゃないんですよ
王様はもう辞めたんですこの国では
天皇陛下だとかね
君主制みたいなものは随分前に辞めております
そうじゃなくて
民主主義の国を作ろうと思って
憲法をね
まあ原作は書いてもらいましたけど
でもそこを
みんなで話し合って自分たちの憲法
ってことに決めてみんなでね
民主主義にしたわけですよ
これ忘れてもらっちゃ困るんだけどって
思うしでさっきの
日本国憲法の条文に戻りますけど
今日はね憲法13条
14条とね取り上げてきましたが最後
15条ね
日本国憲法第15条に何が書いてあるかというと
公務員を選定し
およびこれを罷免することは
国民固有の権利であると
第2項
全ての公務員は全体の
奉仕者であって一部の奉仕者ではない
第3項で公務員の
選挙については
青年者による普通選挙を保障する
第4項全ての
全て選挙における
投票の秘密はこれを犯してはならない
選挙人はその選択に関し
公的にも私的にも
責任を問われない
というふうなことが書いてありますが
一番大切にしなきゃいけないのが
第2項の
全ての公務員は全体の
奉仕者であって一部の奉仕者ではない
アメリカの奉仕者
でもない
トランプの奉仕者でもない
そこは書いてなかった
すみません今作っちゃった
そこは書いてないですが
一部の奉仕者ではない
全体の奉仕者なんです
それを決めたり任命したり
やめさせたりするのは
国民固有の権利なんですと
書いてあるわけです
つまり国民が決めるんだよと
公務員はね
民主主義の一番
第一線で民主主義を担わなきゃいけないのが
公的な人たちです
国民と
オカミという考え方じゃなくて
国民が
お願いねって
託した人たちなんですよね
しかも公務員というのは
全体の奉仕者なわけですから
国民の民主主義を
貫水するというか
国民が民主主義の
社会の中で生きていくために
奉仕する人たち
のはずなんです
そこが徐々に
摩耗していってて
国の言うことですから
権の言うことなので
うちら死なので
権の言うことの方が強くて
死の言うことは通りにくいんですよ
死の予算の規模はこれだけしかないので
こういうことは実現できなくて
当たり前な感じに言いますけど
待ていと
ちょっと待ていと思うわけです
全体の奉仕者であって
かつ何に奉仕しているかというと
民主主義を実現させるために
奉仕しているわけですよね
国民側も
市民側も
お役人さんってゆず聞かねえなとか
別の人に変えれば上手くいくんじゃないかなとか
どうしても役人に話すのって難しいよなとか
アゲインストな感じで
国民の中に要求があって
それをお役人さんに
聞かせるというか
通すというか
無理やりそこにねじ込むというか
国民の声はこちら側にあって
それを言うことで
国とか地方公共団体が
決めようとしていることを
運動によって潰そうとする
敵認定
うまく言えないけど
対決する相手みたいな
発想にどうしてもなってしまうし
宮沢の中にもその気持ちすごく強くあるんですよね
なんでそんなこと決めんねん
なんでここが大事な土地なのに
わざわざここに道路を通すんだよとかね
なんでこんなにみんなが大切にしている文化施設なのに
潰してもっと大きな
国際展示場みたいなものを
作ろうとするんだよとかって
具体的な問題になっていけばいくほど
国ととか
それから県ととか
市と市民みたいな
どうしてもプロレスのリングに上がる
みたいなイメージにどうしてもなってしまう
喧嘩する相手
言うことを聞かせる相手みたいな発想に
どうしてもなってしまうんだけど
でも本当はそうじゃなくて
一番大事に思っているのが
思わなきゃいけないなと今回思ったのが
公務員とか
政治家官とか
官僚とか
公務員でも何でもいいんですけど
そういうものこそが
民主主義の
一義的な担い手なんですよね
公務員が一番
市民でなきゃいけないんです本当はね
ちょっと言い方難しいけど
民主主義の担い手なんですよ
あなたは
国の思惑はとか言ってる場合じゃないんだよ
あとは市が実は思っているのは
とかじゃなくて
話がとてもエキサイトしてしまったので
この辺にさせていただきますが
これからね
はっきりとは言えませんけれども
劇場の話に
無理矢理着地させるならば
2029年までには
今年が2026年だからあと3年くらいで
全国にある
公共施設特に文化ホール
文化会館といったような
文化施設の約7割が
改修もしくは
閉館をしなければいけない時期に
差し掛かると言われております
全国でですよ
7割ですよ皆さん
ほぼほぼみんな潰れたり壊したり
作り直したりしなければいけない世の中
もう来ているわけですよ
今神戸の人たちも大変だというふうに
日々どういう運動が展開されているか
どういう
文化ホールの行方をとても心配はしている
わけでございますけれども
何かね
そもそも公務員の皆さん
頑張っている方々もたくさんいらっしゃいますし
全部が全部そうだとは言わないですけども
でもどこか
勘違いしてません?
というのがちょっとたまにあるので
ここは大事なところは大事と
公務員の人たちのことを一番大事に思っているからこそ
思い違いしないでほしいよ
というのが
今日の結論でございます
いかがでしたでしょうか
まとめと今後の活動
本日のその言葉外来語につき
そろそろ締めていきたいと思います
劇場は人間そして人間とは
思って話し合って忘れてまた思う生き物
劇場とくっつける劇場にくっつける劇場でくっつく
これからも社会と劇場をくっつける
ボンドの時間を続けます
芸術法人シアターボンドのラジオお相手は
法人代表の宮沢でございました
また次の配信でお耳にかかります
それではお休みなさい
今日も長くなってしまいました
また会いましょう
お休みなさい
02:25:26
コメント
スクロール