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2025-03-03 37:54

不正のトライアングルと半身で生きることの関係

サマリー

このエピソードでは、不正のトライアングルについて詳しく解説し、個人や社会におけるその影響を探ります。また、反身で生きることの重要性についても言及され、個人のバイオリズムや社会的評価との関連が議論されます。人事業務における退職のリスクとその原因について考察しており、特に報酬、衛生、意義の3つの不満が退職に与える影響を不正のトライアングルになぞらえて説明しています。報酬、意義、衛生の観点からコミュニティ活動の意義を探求し、三宅嘉穂著書の「半身で生きる」の概念が複数の文脈での生き方に関連することを考察します。特に多様な活動において限られたリソースをどのように配分するかが議論されています。不正のトライアングルについての考察を通じて、複数の文脈で生きることがもたらす困難さと、それに対する理解の重要性が提言されています。

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フェスティナ・レンテ、この放送は、スロースウィーズクリエイターズSWCのコミュニティメンバー、ワーパパCTO🦥がお送りいたします。
不正のトライアングルの解説
昨日のケンスさんのライブ配信で、不正のトライアングルというお話がありましたと、
これをベースにちょっとお話ししてみたいなと思いまして、配信しています。
今回の放送の前半では、不正のトライアングルの説明をして、
それに関連して、人のバイオリズムとか、社会的な人の評価とか、ケアに関わってくるお話をしてですね。
中盤では、そこからちょっと向きを変えて、会社や組織に人は何を求めるのか、
転職のトリガーってどういうところにあるのか、みたいな話をつなげて語ってみてですね。
あと、そこからコミュニティ活動のバランスの話までいきたいなと。
最後に、三宅嘉穂さんが、なぜ働いていると本が読めなくなるのかという本の中で、
反身で生きるという話をされていますが、それについて最後触れてみたいなと思います。
まずは、不正のトライアングルの話から入ります。
不正のトライアングルは、動機、機械、正当化という3条件が揃うと、
不正が発生しやすいというようなお話でした。
不正というのは、例えば会社のお金の応料とか、不正会計をしたりとか、水増し請求をしたりみたいな、
やってはいけないですよね、というふうに社会的に規定されていることをやることが不正かなというふうに思います。
こういったことが起きると、一般的な解釈では、不正をした人は悪い人だから不正をしたんだ、みたいな。
この人は元々悪い人だったので不正をしましたよね、みたいな俗人的な解釈をしがちだと思います。
この不正のトライアングルの大事なところは、その人が悪い人かどうかという話ではなくて、
複数の条件が満たされることによって不正が発生しますよね、というふうなメカニズムの話です。
動機と機械と正当化が揃うという話ですけど、それぞれ説明すると、
動機は例えば、お金がなくて生活に困っています、今とか、
けがや病気によって一時的に多額の医療費が必要になっちゃって困ってますとか、
不正会見の場合は会社からものすごいプレッシャーをかけられていますとか、
こういったのが動機としてあり得ますと。
この動機がある状態で機械に恵まれてしまうと、不幸にもという感じですね。
機械としては監視カメラがここにはないんですとか、
データを簡単に改ざんできるような状況になってますとか、
不正をしても見つからなさそうな状況というのが機械ですよね。
お金が落ちてて誰も見てなさそうみたいな感じですかね。
これが機械としてあると。
動機と機械が揃った状態で、かつ自分を正当化するロジックがあると不正が起きると。
正当化は例えば、自分はこんなに大変な思いをしているんだから報われて当然だよねとか、
この不正をすることは実は組織のためにすごくいいんだとか、
みんなどうせやってるだろうとか、このお金は落ちてるお金とかですね、
悪い人が悪いことをして稼いだお金なはずなので奪っても問題ないでしょうとか、
そういった正当化できる理由が思いついてしまうと不正が起きてしまうと。
この不正のトライアングルの理解をすることで、
メリットとしては不正を起こさないためにはこれらの条件が揃わないようにするといいよねみたいな話になるかなと思います。
例えば会社組織であれば社員の給与をしっかり高くしておくみたいなことで動機を持ちづらくするとか、
あと監視カメラやデータの改善を見つけられるような仕組みを作っておいて、
不正したら絶対にバレるよねみたいな状況を作っておく。
これで機会を生じさせないとかですね。
あとは正当化が起きないように教育と言いますか、コンプライアンス教育みたいなのをしたりとかしていくと。
こういったことが不正のトライアングルという考え方を使って防止策として取られていくみたいな話があるようです。
ここまでが不正のトライアングルの説明でよくされることかなと思うんですけれども、
個人的に大事かなと思うことは、悪い人だから悪いことをしたよねというふうな単純化をしないってことかなと思っています。
ポイントは誰でも条件が揃ってしまえば不正をしてしまう可能性があるっていうところですね。
個人レベルの影響
人間ってバイオリズムとか波みたいなものがありますよね。
例えば2月とか3月とかは子供の卒業式とか入学式とかがありますと。
確定申告もあって忙しいですみたいなので、イライラしちゃいますみたいなことはよくあるかなと思います。
4月に向けていろんな出費がありますよね。
体操着揃えたりとか、習い事を新しく通うのでその入学金を支払うとか、
確定申告で確定させた税金を支払うみたいなこともあって財布事情も厳しくなってしまうと。
そうすると世の中的に絶対に減税しませんよみたいな国の強い方針が流れてたりしますけど、
そういったものを目の当たりにするとお先真っ暗感が出てつらいみたいなこともありますよね。
あと研究では一時的にでも所持金とかが減ると貯金額が減るとIQが下がるみたいなお話も研究もありますし、
こういったものがコンボで重なったときに不正をしないまでも機嫌が悪くなったりとかやる気がなくなったりとか、
他の人に強く当たったりみたいなことは起きてしまうのかなというふうに思います。
こう考えたときに個人レベルで気をつけたいなというふうに思うのが、
自分も簡単に悪い状態に陥ることがあるよねという理解をすること。
そして他の人も同様に一時的にでも簡単に悪い状態に陥ることはあるよねみたいなふうに寛容になることが大事なんだろうなというふうに思います。
ここまでが個人レベルの話ですね。
社会レベルの話につなげていくと、
社会的な視点と無知のベール
今みたいなシンプル理解な考え方がメリット暮らしとか能力主義とか自己責任論みたいな、
この辺りがYouTubeで話題になったりしますけれども、
そういったもの、メリット暮らし、能力主義、自己責任論が強いような今の時代にすごくつながっているんじゃないかなというふうに思います。
一方でこの辺りをうまく距離を取るためにはシンプル理解をせずに不正のトライアングルみたいなメカニズムだよねっていうふうに理解することがすごく大事なんじゃないかなと思っています。
このメリット暮らしとかはもうちょっと語ってみると、
社会的な評価が得られない人とか貧困状態に陥っている人とか、
組織に馴染めない人とかに対して、自己責任だから仕方がないよねみたいに語ったりするものですよね。
なんですけど、これは冷静に考えてみると、
例えば周囲の環境の都合で教育機会が得られなかったとか、塾に通えなかったとか、
学校まですごい距離があってとか、
あとはヤングケアラーの方が勉強のために時間を取れないとか、
そういったことは往々にしてあるかなと思うんですよね。あるいは病気になってしまうとか。
私も忙しい時とかはいろんなことを同時並行でやるわけですけど、
そうすると脳みそが熱を持っているなみたいな感じることがあります。
そういう負荷が過剰になると、何らかのタイミングで何かしらの障害を持つみたいな可能性ではゼロじゃないなというふうに思ったりします。
急に病気になるっていうのは本当にあるみたいなので、
そうなった時にその辺りのバックグラウンドを考慮せずに、
自己責任だよねっていうふうに言ってしまうのはやりすぎかなというふうに思います。
確率論的に自転車とか自動車が突っ込んできて大怪我を負ってしまうみたいなことも認めないわけであって、
そういった時に自己責任だったねとか、
でも僕ら関係ないから頑張って生きてね、ちゃんちゃんみたいな、
そういった社会はさすがに問題があるのかなというふうには思ったりします。
なので再分配によるセーフティーネットみたいなものは必要だなって思いますし、
ケアのための制度や仕組みみたいなものも大事なんだろうなというふうに思ったりしています。
ここで個人動力不足だよねとか、
例えばあいつは昔悪いことをしたやつだからバチが当たったんだよねみたいな単純化したストーリー理解をしてしまうと、
いざ自分がババ抜きのババを引いたみたいな確率論的に悪いことが重なって、
弱者側に行ってしまったみたいな時にシンプル地獄になるんだろうなというふうに思います。
政治思想の中に無知のベールっていう考え方があってですね、
すごく私好きな考え方なんですけども、
無知のベールっていうのは何か議論をしている時に、
相手も自分もどんな属性を持った人間なのか全く分からないっていうふうなベールに包まれてますよねっていうふうな仮定をしてみると、
いわば自分が強者側か弱者側か分からないわけですよね。
そういうふうな状態で物事を語るとフェアになるよねっていうふうな考え方が無知のベールです。
自分が社会的に強者なのか弱者なのか分からない状態で何か社会制度を決めなきゃいけないっていう制約を設けると、
誰かが極端に得をして誰かが思いっきり損するみたいな制度を考えてしまうと、
自分がババを引いてしまう可能性があるわけですよね。
なのでそういった自分が何者か分からないっていうふうに仮定した状態で前提で物事を考えると、
格差が生じづらいようなフェアな制度を考えるようになるよねっていう話が無知のベールですね。
この考え方がすごく大事なんじゃないかなっていうふうに思ったりしてます。
メリットクラシーとか能力主義、自己責任論みたいなものは、
それを言う側は自分は絶対に弱者になるわけがないっていうふうに思っていないと取れないスタンスだと思うんですよね。
なんですけどそのスタンスを取っているとランダムでトラブルに巻き込まれた時に自分で自分の首を絞めちゃうみたいなことになって危険だなというふうに思ってます。
というのが前半の不正のトライアングルからの話ですね。
中盤の話に入るんですけれども、会社に何を求めるのかとか、転職は何によって起きるのかみたいな話があるかなと思っていて、
これが不正のトライアングルとちょっとリンクするなと思っていて、次の話に移ります。
私自身会社員として3つの会社で働いた後に独立して、かつ今メインで仕事をしている会社でCTOをしていますと。
人事業務の重要性
その中の業務としては人事業務もあってですね、会社経営の中で人事はすごく重要なパートですと。
CTOとしてエンジニアが多い会社なので、そこを受け持っているというところもあるんですけれども、
なのでそういったところもやっていますと。
その関連もあってですね、取引しているお客さんとかと評価制度の話とか、社員のエンゲージメントみたいな話もよくしますと。
システム開発しているんですけど、開発しているサービスの種類が人材採用系のサービスをやっていまして、
なのでそれもあって採用とか転職とか人事に関連する話題が結構身の回りに多いんですよね。
その前提の上でというか、その環境効果においてよく向き合わないといけない困った問題というのが退職ですね。
退職はすごく困るんですよね。採用ってめちゃくちゃコストがかかっていて、採用活動そのものがすごく大変なんですよね。
面談設定したりとか、求人出したりとか、応募がなかったらどうしようって言って次の手を探すとか、
そういったものにすごく時間が取られますし、もちろん面接も時間がかかるし、技術試験とかもやったりしているので、
そこの評価とかもちろんフィードバックとかもするので、そこにもすごく時間がかかると。
いざ採用が決まって入社していただきましたみたいになると、年収の4割くらいを人材プラットフォームとかに押し払いして入社していただくみたいなことになったりするので、
時間も現金もすごくお金がかかるんですよね。
そうやってリソースをかけてようやく採用できた人が会社に慣れてくれてパフォーマンスも出て戦略として頼りになってきたねみたいなタイミングで、
ポッと退職してしまうと組織としてはかなり痛いんですよね。
だからといって転職活動している人は転職活動しない方がいいよとは思っていなくて、会社がマッチしなければもちろんガンガン転職活動した方がいいなというふうには思うんですけれども、
会社の都合としては活躍してくださっている方が退職したらすごくワーってなるわけですよね。
なので基本的に会社側はなるべく退職が発生しないように、会社組織側があれやこれや手を尽くすわけですよね。
これがリストラ段階みたいになると話は変わるんですけど、そういう状態じゃない時、平常時において退職が発生しないようにすごくいろんなことをすると。
その中での体感としては、転職とか退職とかってある3つの条件のうち2つが失われた時に退職や転職が発生するなというふうに思っているんですよね。
退職リスクの要因
この条件が何か揃ったら起こるというのが不正のトライアングルに似ている部分があるなというふうに思ってこの話を持ってきています。
その3つの条件、転職・退職に関連する条件が1つ目が報酬に対する不満、2つ目が衛生に対する不満。
衛生というのはクリーンですみたいな感じですかね。
3つ目が異議に対する不満ですと。
報酬は例えば給与に対する不満で、衛生に関する不満はブラック企業かホワイト企業かみたいな感じですかね。
異議みたいなところはやりがいに通ずると。
これら3種類の領域に関する不満が3つのうち2つがアウトになると一気に退職リスクが高まるというふうに考えています。
3種類の不満が揃うともう数え役満ですねみたいな感じですね。
この3つの条件はもうちょっと細かく見ると内的な理由と外的な理由があるなというふうに思ったりしているんですけれども、
それも含めてもう1回細かく説明したいなと思うんですけど、
報酬というのは大きく役職や実績みたいな外から見てわかりやすい外的なものがあるのと、
外からはあまり見えづらい給与みたいなものですかね。
こっちは自分の資産が増えるみたいな意味で内的なものがありますと。
この報酬に対する不満が高まると一つ転職を考え始める可能性がちょっと高まると。
外的に見える役職や実績というのは社会資本にプラスになるようなもので、
給与、内的な給与というところは金融資本にプラスになるものというふうにもう解釈できるかなというふうに思います。
2つ目の不満として衛生面があるかなと思うんですけども、
この衛生面は外向きに関連しては人間関係に問題があってつらいとか、
嫌な奴と顔を合わせるのがつらいみたいな、
ちょっと外的な自分の外側とのタッチポイントの関連性に関連するダメージがあるよねというのと、
内向きにはハードワークしすぎて体がつらいとか、危険な作業や深夜作業が多くて危ないとか、
そういった肉体ダメージ系ですよね。
そういった内的と外的な不満があり得るかなというふうに思います。
意義に関する不満は、外向きには社会に対して何かしらいい価値が提供できているかどうか、
みたいなところに対して疑問があるみたいなのが不満に感じるところですよね。
詐欺をしているみたいなものは外向きに対してはすごく良くないことだなとなるわけで、
詐欺まがいの仕事をしているというところは意義に対してマイナスに働くと。
内向き、意義に関する内向きのところは自己成長につながっているかとか、
自分が好きなことができていて楽しいかみたいな、
そういった自分にとっての内向きの価値提供ができているかどうかというところができていないと不満に感じると。
こういった3種類の条件、報酬に対する不満、衛生に対する不満、意義に対する不満みたいな、
このうちの1つがダメでも2つが満足できていればまあいいかというふうにみんな我慢しているんじゃないかなというふうな感覚があります。
例えばハードワークだけれどもスキルは身についているし、金払いがいいのでまあいいかみたいなところですかね。
コンサルの仕事とかはこういうイメージがありますし、
一方でお金はあんまりもらえていないけれども社会に対して価値をやっていることはすごくあるし、
ホワイト企業だし定時に買えるし有給も取りやすいねみたいな、なので精神衛生上もいいけどちょっと報酬は不満かなみたいな、
そういった場合も許容範囲と思って転職せずに働いている人は多いような感覚があります。
これが2つがダメになると、例えばお金はめちゃくちゃ稼げてるんだけども他人をめちゃくちゃ騙すような仕事をしているし、
人間関係も最悪な職場ですみたいな、ちょっと前に不正で問題があった会社とかありますけどそこの内情を聞くとそんな感じがありましたよねみたいな思ったりしますし、
別の例としては緩い職場でホワイト企業っちゃホワイト企業だけれどもあんまりお金は稼げないし成長もしないし誰からも求められてる気がしないよねみたいな、
そうなってくるとバランスとしては転職の方に傾くのかなというふうに思います。
程度差はもちろんあると思うんですが、こういった3つの軸で考えると今どの面で組織にどういった問題があるのかなみたいな分析がしやすいのかなという意味では、
やっぱり不正のトライアングルに似ているなって思いますし、それぞれの要素も不正のトライアングルにちょっと似ている部分があるかなというふうに思います。
ちょっときれいにバチコン当てはまるわけではないんですけども、ちょっと無理やりめに対応付けてみると、まず報酬の不満というのは不正の動機にリンクしやすいなというふうに思います。
お金が稼げないなみたいなのは分かりやすく不満のトリガー、動機になるかなって思います。
衛生面というのが機械にリンクしているかなと思います。
働く環境として悪いってことは、リテラシーとかモチベーションが悪化するような機械、悪いことできそうな機械みたいなのが多めな場所だとも言えるので、改善される機械が見えないという意味でも、衛生面が機械に多少はリンクしているかなというふうに思います。
意義は正当化にリンクしているかなって思います。
バランスの重要性
この仕事を続けてもしょうがないよねとか、社会に役立っている感覚がないよねみたいな、その意義がない状態だったら、不正をしてもしょうがないよねみたいなことにつながるのかなとも思います。
今のはそれぞれ若干無理やりな面はあって、報酬衛生意義、それぞれの不満というのは、それぞれ全て動機だったり機械だったり正当化の理由にもなったりするので、きれいに一対一になるわけではないんですけれども、つながっているかなというふうに思います。
この考え方が仮に一定意味がある、納得感があるよねってなったときに、クリエイティブ活動やコミュニティの活動というのも、この軸に当てはめてチェックしてみるのもいいかなというふうに思いました。
野間さんが、麻雀コンサルの一旦休止をされますという配信をされていましたけど、その中でバランス崩れている感覚がある中で、鳥居さんの放送を聞いて立ち止まりましたみたいなお話をされていましたよね。
これめちゃくちゃすごいことだなと思っていて、多くの場合はバランスを取ることの方が難しいんだと思うんですよね。
よくご自身で気づいたなというのと、そこからよく気づいた上で切り返しというか立ち止まるということができたなというふうに思って、さすが野間さんだなというふうに思っておりますが、
自己認知をしっかりして立ち止まって切り替えるというのは、なかなかできないことだと思うんですよね。
例えば、昭和や平成のサラリーマンと言われていた人のほとんどって、ほとんどでもないかもしれないんですけども、
イメージとしては家庭と仕事のバランスが取れていないことに違和感を感じながらも仕事を優先し続けてきたみたいなふうな解釈をしているんですが、
そもそもそういった方々はバランスを取れていないことに気づけていない人も多いでしょうけど、バランス取れていないなと思っていても、
突っ走ってしまった人というのも多いんじゃないかなというふうに解釈しています。
それが結果的に、例えば40代とかから60代のタイミングで、家庭との不和みたいな形で顕在化してきて、
熟年離婚になったりとか、子供にそっぽ向かれるとか、一緒に洗濯物洗わないでくださいみたいな、そういったことにつながっていたんじゃないかなというふうに思ったりしています。
これは個人の感想ですけれども。
これはやっぱり社会の流れがそうだったっていうのももちろんあると思うので、不正のトライアングルの話と似た構造があるんだと思うんですよね。
コミュニティ活動の意義
その人自身が悪いというよりは、いろんな条件が重なって、社会の流れと会社からのプレッシャーとかとかあって、そういうふうになってたんじゃないかなというふうに思いますが、それはともかく。
野間さんがとあるきっかけを元にパッと切り替えられたっていうのは、そんなに簡単にできることではないと思うので、
自分の活動を客観的に評価しやすいような枠組みとかフレームワークみたいなものがあるとすごくいいんじゃないかなというふうに思うんですよね。
その枠組みに当てはめて考えたときに、バランス悪くなってるかもしれないみたいなチェックに使えるようなものがあるといいんじゃないかというふうに思いました。
報酬と意義と衛生みたいなのがあったときに、例えばチーム手羽先でやっている学ぶってスーパー楽しいマガジンで考えてみたいかなというふうに思います。
まず報酬面ですね。報酬面としては、このマナスパのマガジンで何かコンテンツが跳ねてめっちゃ人気が出ましたみたいになったときに、
手羽先のメンバーが社会的に認知されて今後いろんな活動がしやすくなるよねみたいな報酬が考えられますと。
そこから派生して個々人で活動している有料メンバーシップに人が入ってくれるかもしれないとか、
また別の新しい仕事が舞い込んでくるかもしれないねというふうな期待ができるという意味だと、
報酬があり得ると、ちゃんと報酬が担保された活動になってますよねというふうなチェックが一つ入るかなというふうに思います。
意義という面では、マナスパのマガジンは学生さんだったり社会人をターゲットにしているわけですけれども、
そういった方々が学びを再び得る機会が得て、あるいはその学生さんがこういうふうに理解したらいいんだというふうに思うことで学習が加速するみたいな、
そういった形で社会的意義もあると。
その意義のところにもチェックが入るみたいなチェックポイントとして機能する。
衛生面に関しては運用のスタイルが関連するわけですけれども、
実はこの手羽先でやっているマナスパのマガジンは無理のない範囲でやろうねというふうな相位の下で運用されているんですよね。
なので例えば絶対に毎週更新しましょうとか、曜日担当を決めてしっかり回すぞみたいなのはしてないんですよね。
これやると普段の生活が破綻するリスクがあるのでそこまではしないと。
なので無理のない範囲で衛生面をカバーした状態でコミュニティ活動できてますかチェックみたいなのもここでチェックが入ると。
この3点が報酬が設計されていてやる意義もあって衛生面も確保されているみたいな3点のチェックが入っているコミュニティ活動はやったほうがいいでしょうし、
むしろこの3点が成立しないコミュニティ活動とか政策活動はちょっと考え直したほうがいいんじゃないかみたいな判断に使えるんじゃないかなというふうに思います。
半身で生きるの解釈
例えば自己犠牲的に自分に報酬が一切期待できないようなことはやめといたほうがいいよねみたいなことも考えられると思います。
SWCメンバーは回収を急がないので資金回収が結構先になる活動っていうのはあると思うんですけれども、そういったものは報酬は期待できると。
ただし、自己犠牲になって誰かに物事を支払って自分には一切リターンがないみたいな設計になってしまっているものに関しては手を出さないほうがいいよねみたいな。
ちょっとシンプルにくたびれ儲けみたいなのはやめておきましょうみたいな判断に使えるでしょうし、
あとは意義がないというかネガティブな結果が分かっているようなことにも手を出さないっていうのもチェックに使えますよね。
これはあんまり考えずにもそうかなとは思うんですけども、投資詐欺みたいなことですかね。
そういったものを持ちかけるみたいなことはやらないよねとかですかね。
これは倫理観でガードされるのであんまり気にしなくてもいいかもしれないですけど。
あとは衛生面ですよね。
自分の生活が破綻するようなものが想定できているっていうところに関しては手を出さないあるいはボリュームだったりリソース配分を調整するみたいなことを考えるきっかけになるかなと思います。
例えばそのキャッシュアウトしてしまうみたいな大量のお金をかけてチャレンジして結果的に回収できなくて生活が苦しくなるみたいなことを避けましょうとか、
家庭が崩壊するレベルなペース配分はちょっとやめておきましょう、ペース調整しましょうとかそういったチェックにも使えるので、
こういったところをチェックポイントとしての枠組みとして報酬とか異議とか衛生面っていうのを手元にチェックツールとして持っておくといいんじゃないかなというふうに思います。
ここまでは中盤ですね。これで30分くらい。長くなって申し訳ないですけど最後、
報酬の締めとして半身で生きるというふうな話を最後つなげてみたいかなというふうに思います。
この半身で生きるというのは三宅嘉穂さんの著書、なぜ働いていると本が読めなくなるのかという本の中で最後の方で書いてらっしゃったことですね。
半身で生きるの大義語で全身全霊というふうな話があって、この全身全霊というところから考えると2つの解釈に分かれがちだなというふうに思うんです。
半身で生きるか全身全霊かっていったときに1つの解釈としては時間を1つのことにフルコミットするかしないかみたいな
時間と体力の物理的リソースの配分に関する解釈っていうのが1つ目としてあるかなと。
もう1つは1つの文脈で生きるか複数の文脈で生きるかみたいな精神的リソース配分の解釈。
この2つの解釈があると思います。
もう一度言うと時間を1つのことにフルコミットするかそうじゃないかという解釈。
もう1つは1つの文脈で生きるか複数の文脈で生きるかというふうな精神的リソースの解釈ですね。
時間的物理的リソース配分の話だけしちゃうと仕事がんばるかがんばらないかみたいなシンプルな話になっちゃいがちだと思うんですけど
この本の中で三宅嘉穂さんが言ってるのはあんまりそっち寄りの話じゃないと思うんですよね。
どっちかというと文脈の話、複数の文脈に属しているかどうかみたいな話だと解釈してます。
複数の文脈で生きる
まず時間的リソース配分の話で1回解釈してみると
私の場合は仕事も家事も両方ゴリゴリにやっているわけですけども
正直多分どっちもめっちゃ頑張ってる方だとは思うんですよね。
そうなると仕事にかける物理的時間的なリソースは限られちゃったりするので
頑張ってないかというとそういうわけではないはずなんですよね。
少ない時間の中で一定のパフォーマンスは出さないといけないという前提のもと仕事をやっていますと。
その上で経営者としてい続けているということは一定のパフォーマンスを出せているとは思うんですよね。
なんですけど物理的リソース時間的リソースが限られている中で
複数のことを同時並行でやってパフォーマンス出すみたいなのは
はっきり言って一つのことにフルコミットするよりも
圧倒的に難易度が高いものだと思ってるんですよね。
例えばケンスさんとかコテンの深井さんとかも複数の活動を同時並行でやられていて
これってすごいめちゃくちゃ難易度の高いことだと思うんですけど
並行してやりながらパフォーマンス出していてそれは本当にすごいなって思ったりしていますが
いろんなことを同時並行でやるっていうのは
時間を調整しながらかけられるリソースが少ない中でも成果を出さないといけないという意味では
超難易度なわけですよね。
一方これちょっとあんまり攻撃的な言葉になっちゃうんですけど
正直一つの仕事だけを一辺倒にフルコミットしてやりますみたいなのは
ある意味ちょっとヌルゲーなんだなというふうには思います。
他の物事との時間配分とか特に気にせずにやれるっていう意味では
集中して一個やればいいのでそうなるとヌルゲーだなというふうに思ったりしています。
ヌルゲーって言うとシンプル解釈すぎるのであんまり良くないなと思っていて
なるべく言わないようにしてるんですけど
実際はいろんな人がいろんな制約の中で時間を年出して働いているわけなので
ヌルゲーではないはずなんですが
一つの仕事を一辺倒でやるっていうのは結構簡単にできちゃうと思うんですよね。
なんですけど本当はそうではないと
時間的物理的なリソース配分で考えちゃうと
こういうふうなシンプルすぎる解釈になっちゃって良くないなって思っています。
なのであくまでも複数の文脈があって
私たちはその中で生きてるんだなっていうふうに
前提で物事を考えた方がいいなというふうに思っていて
なので三宅嘉穂さんが半身で生きるっていう話をしたときに
すごいそうだなって思ったんですよね。
半身で生きるの話をしてる中で複数の文脈の中で生きるんですっていうふうに
三宅さんも書いていて
それだそれだって思ったんですよね。
複数の文脈がある
例えば家庭の文脈があって仕事の文脈があって
コミュニティ活動の文脈もあって
趣味の文脈もあるみたいな
その中でもさらに細かい文脈に分かれてたりしますよね。
家庭でも子供が習い事で頑張っている文脈があったりとか
食事や睡眠がしっかり子供がとれるような環境を作るみたいな文脈もあれば
一緒に遊んで楽しい思い出を作る文脈みたいなのもありますよね。
文脈っていうのは細かく見るとやっぱりめちゃくちゃ多くて
いろいろあるバリエーションある文脈の中で
並行して何かをやりながらみんな生きていってるわけなんですけれども
みんなそうやって生きてるんで
それぞれそういう文脈を持っているから
一つのことにフルコミットしないのはそれはそうだよねっていうふうに
ちゃんと尊重するのが大事なんじゃないかなというふうに思ったりしています。
なので平成とか昭和とかであった
一つの仕事だけにフルコミットしていないみたいなのは
ダメなやつだみたいな解釈だと
やっぱりシンプル理解すぎてそれは危険だなって思うので
人は複数の文脈の中で生きているので
無理できないものは当然ありますよねと
不正のトライアングルの考察
その上で自分の仕事も他人の活動も
限りある時間の中で選んでくれたものの一つ
文脈の一つだよねと
なので選んでくれたこと自体ありがたいから
フルコミットじゃなくても十分ありがたいんだと
選択してくれてありがとうというふうに
許容する認めるみたいなことが大事だなって思ったりしています
ここから不正のトライアングルの話に戻ると
そういった複数の文脈の中で生きているんだから
それは瞬間的につらいことだってあるでしょうよと
だって複数の文脈の中で生きてるんだから当然ですと
だからって不正をしていいわけではないんだが
この人は悪い人だから悪いとか
頑張れないから頑張れないとか
っていう話だと何も解決しないので
メカニズムを理解して不正を防止するような
仕組みを作ったりとか
頑張りやすいような仕組みを作ったりする方が
トータルでいいよねっていうふうに思ったりしてましたと
っていうふうな考え方をすると
俗人的なシンプル理解
この人はダメだよね
ダメな人だよねっていうふうな理解をするのではなくて
瞬間的にはいろんなことがあるよね
なぜなら複数の文脈で生きているから
っていうふうな考え方をすることで
この辺りが繋がって理解できて
いいんじゃないかなっていうふうに思ったりしていますと
ということでめちゃくちゃ長くなりましたが以上です
ちゃんと繋がってるのかな分かんないですけど
個人的にはこの辺がリンクしているんじゃないかな
というふうに思って話してみました
ということで長々とお聞きいただきましてありがとうございます
それでは皆さんスロスロスロースバイバイプー
ありがとうございます
37:54

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