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「相対音感の幸せ」
2026-07-12 09:55

「相対音感の幸せ」

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サマリー

このエピソードでは、絶対音感の価値について疑問を呈し、歌唱におけるキーの柔軟性の重要性を主張しています。SPEEDのキー変更や歌手が高音域を維持することの困難さを例に挙げ、歌手がその日の最適なキーで歌うべきだと提案。絶対音感を「舌が肥えた状態」に例え、柔軟なキー設定の必要性を訴え、特定のキーに縛られることへの懸念を表明しています。

絶対音感の価値への疑問
こんばんは、しゃべ練やります。今回のテーマは、「絶対音感」です。 今から絶対音感について否定的な話をしますと言うと言い過ぎなんですけれども、絶対音感というものについて、すごいこう、
価値があるというふうに言われるのに対して、そこまで価値が持ち上げるというのは、ちょっとどうなのかなという意味で、マイナスというよりは、プラスの、プラス100ぐらいのところをプラス30とか20とか、なんならプラマイゼロぐらいの感じというような意味合いで、
捉えるというような感じの話をしたいと思います。
歌手のキー設定と高音域の課題
前日のしゃべ練で、スピードのデビューが7月22日から8月5日に変わりましたと。
最後の最後にまた途端場でアップデートをした、入りましたみたいな話があったという話をしたと思うんですけれども、その時にどうもキーを上げたっぽいんですね。
スピードの島袋裕子さんはですね、非常にハイトーンボイスが魅力ということだと思うんですけれども、それでそれよりパンチを効かせるためなのかなということで、キーを上げたというのがあります。
あるみたいなんですね。
こういうのって、キーを上げるとパンチは効くし、刺激的ではあると思うんですけれども、そういうのは結構ちょっとなというふうに思うんですよね。
最近も相子さんだったかな、昔書いた曲がキーが高すぎて年齢が重ねていく中で歌うことが難しくなってくる的な話をされていたかなというふうに記憶しています。
絶対音感というかキーを高くするということについて、その時に最も魅力的な音域、音が出る音を選択して高い音で出すということ自体はそれでいいかなと思うんですけれども、
その後、年を重ねていって何十年とか経った中で、それと同じようにキーが出ないというのが例外もあるかもしれないですけれども、難しくなってくるというのがマジョリティというか、
そっちの方が普通ということだと思ってまして、それを無理にキーを高くするというのも高い音を維持するように頑張って苦しそうだなと思いながら見るのもちょっとなって思うし、逆に下げたらいいわけですよねと私は思うんです。
ただ下げた時に、下げちゃったね、がっかりだね、これじゃねみたいな話になっちゃうのが、私たちはすごく残念というかに感じますよね。
それはその時のその人にとって最も良いパラメーター、良い形の音が出せる音の高さで歌えばいいじゃないと思うわけです。
キーの柔軟性とテクノロジーの活用
それはAが440Hzなのか、もっと先430Hzなのか、そういうのはその一番中心となるキーがあって、そこから上下にどれくらいの音の幅が出せるか出るかというので、
もちろん音域がすごく低い音からすごく高い音まで出せると幅が広がっていいとは思うので、それはその人の歌唱力という意味では素晴らしいなと思いますけれども、
一番高い部分とか、キーを絶対値として考えるっていうことは、僕としてあんまりそこ、そんなにその数値重要ですかねというふうに感じます。
それこそ何十年単位とかじゃなくて、その日その日、毎日ですね、一番最適なキーで、それこそ1Hz単位で調整して、今日はこれぐらいでいきましょうとか言って、もう微妙に上げたり下げたりして、全然いいと思うんですよね。
そうなった時に出てくるのは、もちろん楽器とバンドで合わせるという時にそれに合わせられないというのはあると思う。楽器の種類によって上げやすさ、上げにくさ、いろいろあると思うので、そんなに自由自在に変更できないというのはあると思うんですけれども。
今はね、テクノロジーも進化してきて、楽器もどんどんエレクトリックな楽器であれば、そこはもう自由自在で、その周波数に縛られずに自由に音域、音階で調整しながら演奏できるんじゃないかと思ってるので。
それで、どんどん日によってね、今日は調子にね、ちょっと上げますかとか、ちょっと下げますかとかいう感じでいいんじゃないかと思うんですよね。
それはなんだろうな、すごい大リーグのピッチャーとかね、時速何キル、今日はすごいストレートがね、スピードが速いですねみたいなことを言ってるような感じで、今日は高くて、素晴らしいと言えばいいし、今日はちょっと低めですねって言って、低めでちょっとネガティブな感じになっちゃうかもわかんないですけども。
歌の魅力でね、その微妙な違い、上がったり下がったりするっていうことを、もっと上がった方がいい、高いキーは魅力的っていうのはあるとしても、それは上がる時もあれば下がる時もあるっていうことについて、
今はあまりにも人が周波数に合わせなきゃいけない人が高すぎるっていう、そういう感じで思います。
絶対音感と個人の価値観
次に出てくる話としては、絶対音感を持っている人の話ですね。絶対音感を持っている人にとっては、周波数が変わるっていうことが気持ち悪く感じちゃうと思うというか、私は持てないんで、私は実感としてはわからないですけども、そういう話を聞いたりしてそうなのかなというふうに思うんですけれども、
それは僕の中ではですね、すごい舌が超えて高級な料理であれば、舌のセンスとかね、あとファッションとか色のセンスとかがめちゃめちゃ高まってですね、安物じゃ満足できなくなって、すごい高級、超高級なものでないと満足できなくなってしまった人的な感じだと思うんですね。
それはそれですごい素晴らしい、すごいセンス、そういう方がすごい能力を発揮して、よりよいクリエイティブなことをしたりとか、そういう能力の高さ、センスの鋭さみたいなところを持っているっていうことは賞賛され、賞賛に値するという考え方もある、そういう価値観もあると思うんですけれども、
僕の場合はですね、普通のもので普通においしくいただけるのであれば、それで基本的にいいかなという考え方もあると思っていて、そういう考え方によってですね、キーとか周波数とかいうのはもっと柔軟であっていいかなというふうに思います。
結論と個人的な動機
ということで、要するに何が言いたいかというと、ひろこちゃんは高いキーで苦しむのを見たくないという話でした。ということで今回のしゃべ練は以上です。ではまた次回。
09:55

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