『つみきのいえ』の物語と海中に残る家族の記憶
つみきのいえっていう絵本が、読むたびになぜかすごい心に残るんですけど、 何がそんなに引っかかってるんだろうなぁって考えてみたら、それが思い出の話だからっていうわけではなかったんです。
私たちhattoは、家族の絆をより濃く、より強くをコンセプトに使うほどに愛着が深まるものを、 夫婦二人の小さなアトリエからお届けしています。
この番組では、家族のこと、暮らしのこと、日々の出来事や、そこから考えたことを少し深く掘り下げながらお話ししています。
知り合いの保育士さんに教えてもらって買った絵本が、「つみきのいえ」っていう絵本なんですね。
この話を簡単に説明すると、海面、海がどんどん上がっていく街があって、そこにおじいさんが住んでるんですね。
おじいさんは、家が海に沈まないように、上に上に新しい部屋を作りながら一人で暮らしているっていうお話なんです。
ある時、部屋を作る道具を水の中に落としてしまって、潜って取りに行くことになるんですけど、
下に潜っていくと、昔暮らしてた部屋がそのまんま海の中に残っているんですよね。
その部屋を一つずつ降りながら、そこで家族と暮らしていた頃のことが蘇ってくるみたいなお話でした。
感動したとか悲しいとか切ないとかみたいな、そういう感じの言葉で説明がなかなかできないなっていうふうに感じてて、
なんでこんなに引っかかってるのかなと思ってちょっと考えてみました。
おじいさんが昔のことを思い出す話って言ってしまえばそうではあるんですけど、
物や場所が呼び戻す、何気ない時間の感覚
例えばこの昔の話を椅子とかに座って思い出すみたいなものだとしたら、
多分こんなに引っかからないと思うんですよね。
昔暮らしていた部屋がこの海の下に物理的に残っている、そこに実際に潜っていく。
かつて自分が家族と暮らしていた場所にもう一度この自分の体ごと入っていくっていう、
そこに私は多分すごく惹かれてもいるし、引っかかってもいるんだろうなと思います。
記憶って思い出そうとしても思い出せないことってたくさんあるじゃないですか。
普段はその存在すら忘れているような時間っていうのもあって、
でも昔使っていたもの、そのものに触れたりとかそのものを手にした時に、
急にその頃の感覚が戻ってくることってないでしょうか。
その時あった出来事を正確に思い出すとかっていうのとはちょっと違って、
こんな感じだったなぁみたいな感覚に近いもの。
これよく思うのが、残っていてほしいって思うものって特別な出来事とか特別なものよりも
普段の何でもない時間だなっていう風に思うんですよね。
今だったら、例えば息子今小2なんですけど、まだ手を繋いでくれるんですよね。
寝る時には本読んでとか言ってくれたり抱きついてきたりとか、
記憶がなくなっても時間はなかったことにならない
学校のこともすっごい楽しそうにいっぱい喋ってくれるとか、
そういう時間があるんですけど、そういう時間もいつかは過ぎ去ってなくなってしまうんじゃないかな。
今はすごい何でもないけどいい時間として感じているこういう時間も、
おそらくたくさん忘れていってしまう。
それはちょっと寂しくもあるけど、
でも全部を完全に覚えていたいとか、完全に残していたいってわけでもないんですよね。
なんか全部残ってたらそれは記録みたいなものに近くなる気もするし、
そうじゃないよなぁとも思うんですね。
積み木の家でも同じですけど、その時間そのものはもう終わってしまっている。
そこに戻ることはもちろんできない。
だけどこの昔の暮らしの中に実際にあったものに触れたりとか、
そういう場所が残っているっていうことで、
その時間が確かにあったっていう事実が感じられるんだろうなって思いました。
記憶がたとえなくなってしまったとしても、その時間がなかったことにはならない。
だから私はこの積み木の家っていう絵本のそういうところにすごく惹かれていたし、
引っかかっていたんだなと思います。
hattoのものづくりと家族の間に生まれるきっかけ
ここまで考えて、ハットで物を作っていることともやっぱりつながっているんだよなっていう風にも思うんですよね。
ハットではもともと家族の間に物を置くことで、
何かが生まれるきっかけを作りたいなって思っていて、
でもそこで何が起きるかまでは別にこちらで決めることじゃなくて、
この絵本に惹かれる自分とこういう物を作りたいっていう風に思っている自分は、
多分同じところからつながっているんだろうなっていう風には感じます。
今日も最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回お会いできたら嬉しいです。
ハットでした。