ビジネス書と短歌・詩の「余白」の違い
こんにちは、hattoです。 最近、短歌とか詩を読むことがあるんですけど、それを読む中で、ビジネス書との違いっていうのをすごく感じるんですね。
ビジネス書って余白がなくて、短歌とか詩には余白が多いなっていう感覚があるんです。 でまぁここで言ってる余白っていうのは、
単に文字数とか説明の量とかっていうことではないんですけど、 なんでそういうふうに感じるのかなっていうのをちょっと考えてみました。
私たちハットは、家族の絆をより濃く、より強くをコンセプトに、使うほどに愛着が深まるものを、夫婦二人の小さなアトリエからお届けしています。
この番組は、週に一度お届けするノートの記事に向けて、私自身の思考を整理したり深掘りするための下書き調です。
ものづくりの裏側や日々の暮らし子育ての中での気づきをお話ししています。 ビジネス書を読んでいて、余白がないなーって感じる時って、
どんなと、どういうふうな感覚かっていうと、なんか窮屈に感じるんですよね。 なんかやらされているみたいな感覚がしちゃうんです。
書いている人の考えを押し付けられているみたいな、とか、
行動を操られているというか、何かこういう問題があって、その問題はこう捉えて、その後どういうふうに行動すべきかみたいな、そういう道筋を決められていて、
そういうふうにしなくてはいけないみたいな、そういう窮屈さっていうのを感じます。
短歌や詩から生まれる「ひらめき」と自己解釈
じゃあ短歌とかはどうかっていうと、短歌は私も読むようになって日が浅いので、本当に意味がわからないことって多々あるんですね。
初めて読んで、どういう意味?みたいなっていうことがあるんですけど、それでも中には何でか気になって何度も読んだりとか、こう眺めていたりすることがあるんですね。
で、そうしているうちに何かね、ふとあれこれってこういうことなんかなっていう、こうひらめきというかそういうものが出てくることがあるんですよ。
で、それって作者がこう受け取ってください。私はこういうことが言いたいんですって言っているのを渡されるんじゃなくて、自分なりの解釈なんですよね。
自分なりの意味が生まれてくるみたいな、そういう瞬間がなんかすごい好きだなって思うんです。
今ってこのドラマだったり、曲の歌詞の考察ってすごい人気ですけど、実は私あの考察っていうのもあんまり好きじゃなくて耳に入れないようにしているんですよね。
それって別にこの人の解釈を否定したいっていうわけではなくて、たださっき言ったみたいな、自分とこの作品との間に生まれた世界を壊したくないというかいじりたくないみたいな、外側から変化させられたくないみたいな気持ちがあるんですよね。
だから正解を知りたくないっていうよりも、自分で感じるその世界とか時間とかを大事にしたいなっていう気持ちなんです。
ただその作者のご本人が語ること、どういう意図で作ったのかとか、そういうものは第三者の人が意味を断定することとはやっぱ違うなって思ってて。
作品のその正解を教えてもらうっていうよりも、どういう状況でどういう背景で生まれたものなのかっていうことを知る感覚なのかなっていう気がします。
それを知った上でさらに自分がどう受け取るかっていうのも自分では興味があるので、考察そのものが嫌というよりも、誰か第三者の解釈をこれが正解ですよみたいな感じで渡されることが苦手なのかもしれないです。
心が動く文章と人を動かす文章の違い
文章を読んでいて結果的に心が動くっていうことあると思うんですけど、それは私すごい好きなんですよね。
でも最初から読んだ人を特定の方向に動かすっていうことを目的に書かれた文章がすごく苦手だなっていうふうに感じてます。
この2つは似てるようで全く違うなって思っていて、心が動く文章っていう方は読む側に委ねられてる感じがするんですよね。
渡されたものを自分がどう受け取るかっていうこと。
人を動かすための文章っていうのは書いた人の考えとか書いた人の書き手が望む反応に導かれてるみたいな感じがして、
読む人のことを考える人っていうよりも動かす対象みたいに扱われているなって感じちゃうんですよね。
発信における「余白」の重要性
だから自分がSNSとかで発信する時にも決めつけたくないとか考えを押しつけたくないっていう思いがすごい強いんです。
私はこう思うんですっていう自分の考えはちゃんと書きたい伝えたいんだけど、
でもあなたもそうですよねっていう相手の内側の部分までは決めたくないっていうふうに思ってるんですね。
自分の考えとか気づきとか経験とかっていうのを発信はするんだけど、
それをどう受け取るかは相手次第だし、何かをどういうふうに受け取ってもいいし、どういうふうに感じてもいいし、何も感じなくても別にいいっていうふうに思います。
ただ自分の意見を断言するのが怖くて曖昧にしてしまうこともあると思うんですよね。
それは相手を尊重するための余白とは分けて考えないといけないなっていうのは思っていて、
自分の考えまでをぼかすこと、曖昧にすることが余白ではなくて、
自分の考えをちゃんと示しながらも相手がどう受け取るかを決めつけない。
それが私の考える余白かなっていうふうに思っています。
エンディング
今日も最後まで聞いてくださってありがとうございました。
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ではまた。