家族旅行中の予期せぬ一人時間
こんにちは、hattoです。
昨日、おとといと家族旅行に行ってたんですけど、
その中で思っていた以上に心に残ったのが、
一人になった場面が2回ほどあって、そこだったんですよね。
私たちhattoは、家族の絆をより濃く、より強くをコンセプトに、
使うほどに愛着が深まるもの、夫婦2人の小さなアトリエからお届けしています。
この番組では、家族のこと、暮らしのこと、日々の出来事や、
そこから考えたことを少し深く掘り下げながらお話ししています。
旅行の中で心に残った場面の一つ目が、サイクリングなんですけど、
家族3人、息子は小児なんですけど、息子と夫と私と家族3人でサイクリングをしたんですけど、
私1人だけ途中ではぐれちゃったんですよね。
で、その2人が来るのを待つ間に、ちょっと思いがけず1人の時間っていうのができたんです。
その時に、なんか改めて景色を見てみると、
この景色を景色としてだけ楽しむことができたなっていう感覚があったんですね。
だから、例えば息子がちゃんとついてきてるかなとか、危なくないかなとか、
この後どうしようとか、
そういうことを一切考えずに景色だけ見て、
すごい快晴だったんで、空すごい青いなとか、
木がたくさん生えてたから、青と緑のコントラスト、
すごいなぁ、もう本当写真みたいだなぁとか思ったりして、
すごい本当に景色を見るっていう、それだけを楽しむことができたっていう感覚があったんですね。
大浴場での自分だけの時間
で、心に残った場面2つ目は大浴場なんです。
息子も7歳なので、夫と2人で男寄りの方に行ったんですね。
だから私はもう一人でゆっくりお風呂に入ることができたんですけど、
ここでもやっぱりいつもだったら息子が危なくないかなとか、
周りに迷惑かけることしてないかなとか、
ちゃんと楽しんでるかなっていうのを自然と気にしてしまうんですけど、
その時はやっぱり自分のことだけを考えることができたんですよね。
ジャグジーの泡をしっかり感じるとか、
暑くなったからとりあえず一旦出て、スポーツドリンク買って、
で、ちょっと休憩してまた大浴場に戻る、湯船に戻るみたいな行動をしていました。
それをすごい振り返っても覚えてるんですよね。
自分が今どう感じているのか、何を思っているのかっていうのを
素直にそのまま拾って、そのまま行動できたっていうことがありました。
一人時間の本質:感覚をそのままに
最初は一人時間があったからよかったのかなっていうふうにも思ったんですけど、
それだけじゃないんじゃないかな、ちょっと違うんじゃないかなっていうことを
帰ってから考えてたんですよね。
例えばこのあらかじめこの日は一人の時間があるってなったら、
それはそれでせっかくだから遊戯に過ごそうとか、せっかくだから休もうみたいな、
なんか別のプレッシャーみたいなのが出てきちゃうんですよね。
今回のこの今言った2つの時間は予定して作った一人時間じゃなかったんですよ。
気づいたら一人だったっていう感じで、短い時間ではあったんですけど、
その時間をどう使うかっていう考える必要がなかったんです。
ただその瞬間の自分の感覚を元に行動できた。
普段がどうだったかなって考えてみたら、
普段は自分の感覚を拾った後にほとんど必ず何かが入ってきてると思うんですよね。
だからこのお風呂のことで言ったら、のど渇いたなって思ったら、
息子とか夫ものど渇いてるかもしれないなとか、
そういう家族の都合だったりとか、
あとはこの周りの人への配慮だったりとか、
あと一人だったとしてもこうした方がいいんじゃないかとか、
こうしなければいけないんじゃないかっていう自分の判断が入ってきたりすることもありますね。
それ自体が悪いっていうわけではないと思うんですけど、
でも今回に限って言うと、
そういう自分の感覚を拾った後の何かの判断っていう、
それが入らない時間があったっていうのが、
すごく心地よかったなっていうふうに思います。
必要なのは「余白」と「判断しない時間」
だからこの旅行で感じたのは、
もっと一人時間を作ったらいいとかっていう話ではなくて、
私に必要なのは一人時間を作るっていうそれ自体よりも、
自分の感覚、何をしたいっていう感覚とか感情を拾ってあげられる余白、
その感覚の後に何も足さなくていい、何も判断しなくてもいいっていう、
そういう状況っていうのがすごく大事だったんじゃないかなっていうふうに思いました。
今日も最後まで聞いてくださってありがとうございました。
また次回お会いできたら嬉しいです。
ハトでした。