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商売繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
自分以外の他者との関係ですね。例えば、相手に約束を破られたとか、裏切られたとか、傷つけられたとか、期待が外れたとか、そういうことがいっぱいあるとですね、人間不信になっていくものですね。
ところがですね、それはこちら側にも課題があったからですね、過剰な期待をしていたり依存していたり、相手が本気じゃないのに入れ込んだりしているのも原因だったりするわけですよ。
だから相手との関係を冷静に見つめて適切な距離感を取れるかとか、自他の境界線を把握できるかだとか、それもせず他人を自分都合で見ていたり、感情で判断したり、自分から見える状態を真実って勘違いするのは、これね、幼稚的万能観って言うんですけども、それの一種なんですね。
この幼稚的万能観から抜けていくためにはですね、自分の思い通りにならない経験が必要なんですよ。
子供の頃にですね、親との境界線が曖昧だった人ほどですね、他人も自分と同じように感じていると思い込んだりとか、察してもらえるのが当然だと思い込んだりとか、期待が外れた時に一気に人間不信になるなどなりがちなんですね。
でもですね、実際は自分と他者はですね、全く別の存在だからこそ、個々の事情や背景、感情や価値観があるものなんですね。みんな一緒じゃないからね。むしろこの多様性が入り混ざるのがですね、普通であり当たり前なんですね。
それが腹落ちするのは体験ありきなんですね。だからね、僕はできれば若いうちの思い通りにいかないとか、自分と他者は違うとか、伝えなければ伝わらないし、伝えても伝わらないこともあるんだなっていうこの現実を味わうのは本当に大事だなと思ってます。
だってそれは失敗ではなくてですね、自他の境界線を学ぶため、自分と他人は違うんだということを学ぶための実践だからなんですね。
人間不信になっておいた方が大人になるにつれ、人に期待しすぎて傷つかなくなるし、適度な人間関係を、距離感ね、これを取れるようになるんですよね。
でも人を信頼するってさ、これで終わることでもありませんからね。
他者に心を開いたり預けたり弱さを見せるのはとても怖く感じるかもしれないんですけども、信じられる人に少しずつ心を開く。頼ること、頼むこと、お願いすることは決して迷惑じゃないし、これはむしろ信頼の表現なわけね。
だから一旦やっぱね、人間不信を味合わないとですね、自分も信頼ってこういうものなのかっていうふうに学べないんですね。
むしろ自分が生まれてくる前にさ、今回の人生では信頼を学びたいですって言ってる可能性もあるわけじゃない。
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そうするとそこからやっぱり逃げないでですね、うまい言ったような感じのことをやっていくのが、やってた方がいいんかなとも思うわけですよ。
人間不信に一回なるからこそ人を信頼するってことが学べるのね。最初から人を信頼してる人っていうのは学べないですからね。
だから自分が学びたいからこそそれを選んでるっていう可能性もあるわけですからね。
だから何歳からでもいいですよ。練習から始めてってね、少しずつやっていけばいいんじゃないのなんていうふうに思うのよ。
なので今日はですね、こんな真逆ですね、人間不信っていうね、それで終わらせない。
それは真逆にですね、自分の希望があるから今そうなってるんですよという、こんなお話でございました。
ということで今日も最後まで聞いていただきありがとうございます。また明日お会いしましょう。
それではバイバイ。