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#1729 天国地獄は今ココに
2026-09-26 07:27

#1729 天国地獄は今ココに

#1729 天国地獄は今ココに

シュタイナーは「天国と地獄など無い」と説きました。天国や地獄は、宇宙の何処かではなく、また別次元に存在するのでもなく…我々1人ひとりの魂が「どのように生きているか?」の結果であり、「今ココ」だけなのです。


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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いします。
人知学とかシュタイナー教育のシュタイナーさんをですね、天国や地獄なんかないよって、こういう風に説いたんですね。
天国とか地獄っていうのは、宇宙のどっかにあるだとか、別次元にあるとか、ではなくて、我々一人一人の魂が、どのように生きてるかっていうですね、
今ココ、それだけだと言うわけですね。シュタイナーの人知学はですね、魂の訓練にしようとやってたんですね。
でも仏教でもさ、天国や地獄ってのはですね、遠い世界の出来事とかではなくて、今この瞬間の私の心の状態そのものだという風にも説かれてもいるわけですね。
シュタイナー曰くですね、地獄っていうのは神が与えた罰じゃないよと、生かされる場所じゃないよと、それはね、人間が自分をですね、感覚的な快楽に縛り付けた結果だと言うんですね。
人はほら肉体持ってるでしょ、その間さ、食事だとかさ、何かを所有するとかさ、地位をね、お金をとかね、エロとかね、こういう感覚的な欲求を満たすための機関を兼ね備えてるわけですね。
ところがですよ、死んじゃったらさ、肉体から離れるわけですね、脱ぎ捨てるわけですね。
そうすると魂的には自体一変するわけですよ。
例えば欲望が残っちゃうわけですね。
生前さ、物質的な刺激のみに執着していた魂はですね、死んだ後もその渇望っていうものがですね、取れないって言うんですね。
でも手段は消えるわけですね。
本当だったら胃袋もないし手もないしさ、物質的なお金だとかさ、地位だとかさ、そういうもの一切存在しないわけじゃない。
だから渇望があってもさ、それはもう叶えることができない。
要はすごく渇いてるのに、喉が渇いてるのにね、水を飲むための口がない状態。
この激しい渇望とそれを満たす手段がないと、その苦痛こそがですね、シュタイナーが言う地獄なんですね。
魂はさ、自分が地上で育てて大きくしてしまった執着の重さですね。
死んだ瞬間にそれに直面せざるを得なくなると。
これだから仏教的にも言われてるね、この執着だとかね、煩悩っていうことはね、一緒なんですね。
日本人である我々は地獄って聞いたら死後にさ、閻魔大王に裁かれて針の山、血の池に送られるっていうイメージなんですよね。
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でも仏教でもね、それらを引き起こすのは外部の神物とか、そういうのではなくて自分自身のカルマ。
これは心の習慣というふうに説かれてるわけですね。
だから生きている自分のね、今の自分の心が決めてるということですね。
過去の自分が決めたことが今花が咲いてると、そういうことなんですね。
仏教における地獄っていうのは最も苦しみの激しい世界とはされてるんですよ。
ところがですね、この苦しみを生んでるのは、実は自分自身の怒りとか貪り、貪欲だということですね。
例えば灼熱地獄みたいなんでしょう。
身体を焼く炎っていうのは外の火に炙られるわけじゃないですね。
これは自分の思い通りにならない激しいね、あの息通り、クソみたいな。
これが自分の魂を焼き尽くしている状態を自由的に表現しているとも言われてるんですね。
あとは孤独な地獄ですね。
孤立しちゃってる地獄ですね。
周りに誰もいないとか、あるいは誰とも通じ合えないっていう状態ですね。
これはだからエゴに固執してるわけですね。
自我ですね。
自分が自分が自分がとやり続けたことによる地獄だと。
シュタイナが説いた、手段を失ってしまった欲、これと同様に仏教もガキ道っていうこと言われてますよね。
いくら食べても飲んでも満たされない、終わりがない渇望状態ですよね。
物質的な刺激だとか、この世的なものに幸福を見出そうとする習慣とか心の癖だとか価値観っていうものがですね、
思いとですね、肉体を失った後もですね、魂がですね、そのまんまの価値観、そのまんまの思いで結局それ、達成できませんからね。
だから苦しみになって現れるということですね。
対照的にですね、天国ってのはどうなんですか。
目に見える物質世界で生きてきた中で得た現実ではあるんですよ。
死んだ時ですね、我々が持っていけるのは銀行の残高でもない、お金でもないし、世間的な名声とか権威とかでもないし、
世間的に綺麗になった顔でもないんですよね。
自分が内面的にどうなったのかっていうの、ここだけなんですよ。
これがあちらでの現実になるというだけなんですね。
それはだから物事の表面なぞるのではなくてですね、やっぱり本質、本質をちゃんと理解しようと苦闘してですね、
心理の探求をしたと。
本能とかね、理解だとかそんなものは超えてですね、
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相手を、誰かを深く慈しんだ純粋な愛であったりだとか、それからあとは日常のですね、この些細な出来事ですね。
一個一個の中にですね、宇宙の調和とか法則が絶対的に存在しているというね、これをちゃんと見つけてみたりとか、
あるいはこういう精神的な意味、裏側の意味合いであったりだとか、
その出来事が教えてくれている何か、物は何であるかっていうものを感知してたかとかね、こういったことなんですね。
こんなのは肉体が滅びても消えることはないって言われてるんですよ。
むしろ天国ではこれが実態になってですね、自分の魂が結局あちらで調和するというふうに言われてるわけですねということで、
天国地獄はですね、今の自分の心が、自分の境地が決めてるというふうになった場合、あの世はある。
だけどもそれは今決まるというふうに言っても過言じゃないのかなというふうにも思うわけです。
ということで今日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
また明日はお会いしましょう。
明日お会いしましょう。
ということでバイバイ。
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