00:04
笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。本日もよろしくお願いいたします。
本当の教養とは何かということでですね、古代ローマ時代に活躍したストア派の哲学者、エピクテトス。
彼は奴隷として生まれながらもですね、後に自由民となって、多くの人々に影響を与えた思想家なんですね。
特に彼の教えで有名なのは色々とあるんですけども、非常に現実的で実践的なことを説いてるんですよ。
意外とテーマはですね、幸福とは何かとか、どうすれば心の平穏を得られるかっていうですね、こういう問いかけ、これに対するものっていうのがまあまあ多いですね。
エピクテトスはですね、こう語ってるんですけども、自分の不幸のために他人を責めるのは無強要者、無強要がないよと。
自分を責めるのは諸学者、まあ小学校1年生だね、みたいな感じでね。
自分も他人も責めないのが強要者、学んでる人と。
他にもですね、こんなのもあるんですけども、完全に教育された者、自己完成した者は自分がどうすることもできない外的出来事に動じることなどない。
外からもたらされる不幸に対して自由な主体であることを得ると。
こういうふうに言ってですね。
このようにですね、彼が最も強調したのはですね、コントロールできること、自分でコントロールできること、できないことをですね、明確に分けるとこういうことだったんですね。
コントロールできることっていうのは自分次第ですから、例えば自分の意見や判断、欲求のあり方、何かを避けようとする態度、感情の反応、自分の行動。
思考だとか感情だとか本能だとかもこういうようなものですよね。
コントロールできないこと、自分次第では無理よということは、自分の肉体の健康や様子、財産や持ち物、他人からの評価、評判、他人の意見や行動、天候や事故、死などの運命的な出来事。
こういう感じですね。
これをちゃんと分類していこうねっていうところなんですね。
彼はですね、これら2つを混同している限り、人は決して幸福にはなれないと、こういうふうに言うわけですよ。
多くの人はですね、例えば失業病気、裏切り、批判とかね、こういう外的な出来事が起こると、あの人が悪い、運が悪い、世の中が間違っていると感じて苦しむわけですね。
しかし、エピックテトスによればですね、不幸の本当の原因は出来事そのものではなくてですね、それに対する自分の解釈とか態度、これにあるんだよというふうに言ってるんですね。
03:04
例えば、上司に怒鳴られた時、自分は無能だと思われているっていう、こういう解釈するとですね、恐怖とか自己嫌悪が生まれますね。
ところが、これは上司の感情の問題よねって、私の価値が下がるわけじゃないし関係ないんだっていうふうに判断すれば、動揺は最小限に抑えられますね。
つまり、出来事っていうのはただの事象ですから、あくまでも中立的なんですよ。
それにどんな意味付けを自分がしていくかで、自分の感情というものが決まってくるわけですね。
このエピックテトスはですね、この考え方をもとに人間の成熟の段階を3段階に分けたんですね。
1番目はですね、無強要な段階ですね。
これはだから、不幸が起きるとすぐ他人を責めたり、世間を責めたり、社会のせいにしたりするってことですね。
あのせいで、このせいで、あの人のせいで、社会のせいでっていう、多色思考ということですね。
2番目は、初心者の強要段階ですね。
他人を責めるのはやめたけども、今度は自分を責めるってことですね。
私がダメだからとか、もっと頑張れなかった私が悪いとか、こういう感じなわけですね。
3番目、本当の強要人の段階になると、他人も自分も責めないと。
ただ起きたことは起きたこととして、事実を受け入れて自分ができることに集中すると。
こういう感じですね。
この3番目に達した人をですね、彼は完全に教育された人とかね、あとは自由な主体っていうふうに呼んだわけですね。
じゃあね、どうすればそこに近づけるのかっていうふうに言うとですね、エピクテトスは3つの実践を強く進めてます。
1番目は感情のコントロール。
怒り、不安、恐怖、過度な欲望とかですね。
これらはすべて自分の思い込みから生まれるもんだよと。
だから理性を使って、これは本当に私のコントロール下にちゃんとあるものなのか。
これを問い直すですね。
習慣をつけることで感情を沈めて、理性的になるということですね。
心の揺らぎを減らしていくと。
2番目はですね、知識ではなくて実践を重視するということですね。
哲学をたくさん知っていることは強要ではないと。
これも哲学者であるですね、彼がこういうふうに言ってますから。
学んだことを日常生活で生きると、生かすということこそが本物なんだよと。
エピクテトスは立派な言葉を並べるのではなくて、立派に生きようと繰り返し説いてきました。
3番目はですね、運命を受け入れて最善を尽くすということですね。
これ運命愛って呼んでるんですよ。
人生を一つの演劇に例えたんですね。
06:01
脚本運命は自分では選べないよと。
しかし与えられた役をどれだけ誠実に精一杯演じ切れるかは自分次第なんだよと。
どんな役でも文句を言わず最善を尽くして、それが真の自由であり強要なのですと。
こういうふうにおっしゃってるんですね。
エピクテトスにとって強要っていうのはですね、単なる知識の蓄積ではないわけですね。
それは外的要因に左右されない心の自由を手に入れるための訓練、訓練の一環として知識があって、
だからその知識を応用、ちゃんと自分の人生に生かしていかなければ意味がないんだよということなんですね。
恐怖や欲望に振り回されずに、自分の心の在り方を自分で統治する、コントロールするというですね、こういうことですね。
それこそが彼の言う真の幸福であり心の平穏ということになるわけですね。
現代社会、SNSの評価とかさ、経済状況とかさ、健康不安とか人間関係のトラブルだとかさ、
まあキリがないぐらいね、コントロールできないことがいっぱいあるわけよ。
それに本能しやすい環境なんですよね。
これね、2000年以上前のこの教えなんですよ。
だから今でも全然通用するというかね、だからすごいですよね。
やっぱり真理真髄みたいなことを説いてる人っていうのは風化しないんですよね。
だから今日なんか嫌なことが起きたとしてもですね、
これは私の支配できる領域か、コントロールできる範囲にあるか、
それとも私の解釈が苦しみを増幅させてるんじゃないの?
これ自問自答してみるだけでもですね、
エピクトテトスのいう教養人の階段を登れるということですね。
彼はですね、人は出来事によってではなく自分の意見によって悩むのだとこう説いたんですね。
まさにだから認知論の話かな、これは。
自分の価値観や捉え方、見方などの認知で自分が悩むんですよ。
またね、我々に降りかかる不幸は実在するものではない。
不幸とは人がそれを不幸として見るから不幸に見えるだけだ。
我々が不幸になりたくないなら、まず自分自身を不幸に陥れている原因、
これをコントロールしなければならないよとこういうふうに言ってたんですね。
自分自身を不幸に陥れている原因というのは自分の考えですからね。
価値観とか捉え方だとかね、感情だとかね、見え方だとかね、この世界観とか認知ですからね。
だからそれをちゃんと先ほど自分がコントロールできるものなのかできないものなのかっていうね、
こういう判断軸ですね。
そういうものを持つっていうことですね。
エピクテトスのこの判断軸って非常にわかりやすいなっていうふうに思いますね。
09:05
コントロールできることとコントロールできないこと、自分次第のことと自分次第ではないこと、
外的なこと、これは明確に分けることっていうこの判断軸ですね。
この判断軸を持つぐらいで、アドラーさんはこの判断軸は自分や自分の周りにとって建設的か未来思考か、
あるいは刹那的かマイナスかみたいな、これで決めればいいんだよって言ってたんですけども、
なんかこのエピクテトスもですね、この判断軸っていうのもですね、非常に何か役に立つんじゃないかななんていうふうにも思うわけです。
実在するのは何らかの具体的不幸ではなくてですね、不幸と捉える自分の価値観なわけですね。
人を不安にするそのものは事柄ではなくて、当人の価値観、世界観だというふうなことなわけですよ。
だから人はね、もしかするとね、自分で自分を幸福にしたり、自分で自分を不幸にしてるのかもしれないなぁとこういうふうに思うわけです。
ということで本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
今日もですね、一日幸福な、幸福な見え方、幸福な捉え方、幸福な進み方、こういうことするですね、一日で参りましょうということでまた明日バイバイ。