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笑倍繁盛チャンネルの望月まもりです。本日もよろしくお願いいたします。
工房大師様ですね、空海さんですね。
スーパースターみたいな、時のスーパースターみたいな感じですね、昔はですね。
この方が説く仏教上の知恵ですね。知恵とは何なんでしょうかね。
知恵って頭がいいことなんでしょうかね。
法ですね、仏法とか真理ですね、これを理解したり実践すると悟りの境地に達するとは言いますけども、
それは達すものなのか、得るものなのかね。
それとも我々にもともと備わっているものなのかどうなんでしょうかね。
ということで、工房大師様はこう言ってですね。
促進成仏、あなたはすでに仏だよとこういうふうに申してるわけですね。
空海さんが説いた最も重要な教えなんですよ。
これはですね、厳しい修行を経て遠い未来に仏になるのではなくて、
この体のまま今ここで仏になれるよ、死んじゃうよとそういうことじゃないですからね。
違いますからね、誤解しないでくださいね。
これなんでそれが可能なのかということなんですけども、
それはね、我々一人一人の中に宇宙の真理そのものである知恵がですね、
種としてもともと備わっているということなんですね。
だからだよということなんですね。
今すぐにアドラーさんも空海さんもそういうことハードだね。
アドラーさん3日で性格変えられるって言われる。
あなたはすぐもうすでに仏なんだよと、今ここで仏になれるよ、空海さん。
まあ、あ、そうですかっていう感じですね。
で、2番目がですね、知恵は足し算ではなく引き算と磨きということですね。
空海さんはですね、我々の本来の知恵ですね、
これをですね、泥の中に沈んでいる黄金、金とか雲に隠れた満月って、
こういう例え方してるんですね。
現代人の今の状態ね、っていうのは煩悩ですね。
欲とか怒りとか迷いとかね、こういったものにですね、
これ泥とか雲に覆われてって、このですね、純金黄金の輝きですね、
知恵が見えなくなってるよと、そういう状態なんですね。
ところがですね、実践ですね、これ修行とかを通してですね、
泥を洗い流したりとか、雲ですね、
つまり煩悩とかね、怒りとか感情ですね、
負の感情だとか迷いだとか、こういったものを払う作業をしていくと、
するとですね、いずれですね、悟りの境地と。
これね、やっぱり付け加えるんじゃなくてですね、
もともとこのついてしまったもの、ついて隠れていたものですね、
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ついちゃったものを払うと、隠れていた本来の光が再び現れるよと、
ある意味で言うと本来の姿に戻れるよということなんですね。
なので、知恵は外から持ってくる知識ではなくてですね、
自分の中に眠っている命の輝きに気づくためのあれこれということなわけですね。
だからこの空海さんが説く知恵っていうのは単なる理屈じゃないんですよね。
それはね、全ては繋がっているという実感と確信と境地なんですね。
境地、やっぱりその境地に立つようですね。
それを自他一如、自分の自、他人の他、数字の一、訳詞により愛の二を自他一如と呼ぶわけですね。
自分と他者、自然と人間、さらには宇宙全体が実は一つの大きな命の現れであると気づいて、
感じて、自分だと知ることなんですね。
自分がその中の一部ですから自分という概念は溶けちゃうわけですね。
またね、マンダラ的視点っていうのもあるんですね。
多様な個性がバラバラではなくて、調和して存在しているっていうことをね、これ理解しようね。
だからデコとボコが合わさって一つの世界ができてるから、自分は自分のままでいいんだよ、
何者にもならなくていいんだよってこういうことを指すわけですね。
だからね、まさにマンダラですよね。
じゃあね、もともとあるんだったら何で実践修行が必要なのかってことなんですけども、
それはね、頭で知っているのと心や体を通して分かっているということは別だからなんですね。
境地とか実感とか体感とかあってこそ知ると、分かるということなんですね。
空海さんは三密という実践を重視したんですね。
まず身、体ですね。手で韻を結ぶですね。
神言密教はこの韻結びますからね、韻ですね。
で、口、言葉、語神言、マントラを唱えるということですね。
これはだから言葉ですね。
で、意、心、仏さんを思って心を集中させると。
こういうふうに、仏教ですからね、こういう感じなんですけども、
体、言葉、心っていうのは我々は我々なりにですね、
この現代社会の中でやれそうじゃないですかねっていうところなんですね。
で、この3つの実践で自分と宇宙の波長を合わせると。
ミクロとマクロの波長を合わせて煩悩を消し去ったり、
眠っていた知恵を起動させるというふうに言われてるんですね。
でも起動と言いますけども、
もともとはマトリックスで言うとソースですね。
膨大な知識がどこかにもちゃんとあって、
そこと繋がることによって自分がわざわざ得なくても、
全然繋がってから大丈夫ですよみたいな。
だからこのパイプを通すみたいな、通させるみたいな、
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こういう感覚なのかなというふうにも思うんですね。
でも空海さんのやり方はですね、
煩悩まみれの現代人にマッチしないなというふうにも感じるわけですよね。
現代人が煩悩とか泥をね、
蜘蛛とか泥を取り除くために実践できる方法があるのかなということですね。
でもところがですね、空海さんの面白いところはですね、
世俗、我々の世俗の営みの中、
一般社会生活の中にこそ、
仏様の活動があると考えていた、そういう部分なんですね。
だから煩悩を敵として消し去るんじゃなくて、
そのエネルギーをどう変換するかというところなんですね。
この密教にはですね、煩悩即母大と、
煩悩はすぐに母大寺の母大ですね、という考え方があるんですね。
欲や怒りを無理に消そうとすると、かえって執着が強まるわけですね。
だから怒りとか欲だとか、こういうものが湧いたときには、
あ、今自分の中に強いエネルギー湧いちゃってるなと、
これ客観視なんですよ。
ここも仏教も心理学も客観視、ここなんですね。
空海さんはですね、欲をですね、悟りを求めるエネルギーに変えてしまいなさいと、
そういうふうに説いてましたね。
だから出世したいとか、お金欲しいとか、資産がどうのこうのみたいな、
こういう欲をですね、例えば社会貢献する力に変えたい、
こうですね、公やけですね。
この向き、エネルギーの向きを少し変えるだけで、
知恵に繋がりますよということなんです。
エネルギーの向きを自分から他社や社会へと、
みたいなね、そういう感じに向けていくということですね。
だから本格的な修行は無理としてもね、これくらいだったらできそうよねっていうのがですね、
他にもですね、あるんですね。
空海さんに達成した巧妙心言とかね、阿弥陀仁心言だとか、
いろんな短い言葉を1分だけ心を込め、集中しながら唱えると。
私、朝晩ずっと半寝心行をね、唱えてるんですけども、
この音の振動に集中するということですね。
だから集中しながら読むという、こういうことだけでも全然OKだと。
このラジオでもですね、たびたび話してるのが書き出しによるデトックスですね。
泥ってのはやっぱり煩悩とか悩みですから。
頭の中だけでこねくりばわさないでですね、紙に全て書き出すんです。
で、客観的に眺めると。
これは自分そのものじゃないよと、自分についた汚れなんだと。
ただの汚れだと、切り離しながら眺めるわけですね。
またね、現代人は下ばっかりですね、スマホとかね、ばっかり見て過ごしてるでしょ。
1日1回空を見上げて、自分はこの広大な宇宙の一部なんだなって思い出す瞬間、
時間をですね、少しでも持つわけですよね。
私はいつも朝ですね、日光浴しますんで、
お日様見ながらコーヒー飲みながらですね、
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お日様にあたりながら読書したりだとか、こういう風にしたりだとか、
あとはもう本当にぼーっとですね、ただただお日様眺めてるみたいな、こういうことをやっぱりやってます。
いいもんですよ、冬でもね。
体温まりますからね、日光で。
実際にですね、我々はですね、この体をなくした時にですね、
ダメにふされるわけじゃないですか。燃やされるわけよね。
煙になって天に昇って青空や星になるわけですよ。
この体だってですね、今ですよ、現在ご先祖様がいなければなかったわけですよ。
これまでの人生の中でいっぱいですね、ご飯食べてきましたね。
肉、魚、野菜とかお米とか、命をいただきながら維持してきたわけじゃないですか。
だからこういったもの、あるいは多数の人たちの力がなければ、生きることすらできてなかったんですよ。
そんな繋がりに思いを馳せながらですね、自然の風景を眺めたりだとか、空を仰ぐわけですよ、
という意識を持って生活するだけでも、我々は生きながらにしてですね、
自分自分という狭い視点ですね、いわゆる煩悩の煩悩ですよ。
そこからですね、空海さんが説いたマンダラ的ですね、
全体的な視点に視野が広げられるんじゃないかななんて感じるわけ。
空海さんはですね、迷える時はただこれ、ボンプ、悟る時はこれ、すなわちこれ、仏なりと言ったわけですね。
24時間仏でいる必要はなくてですね、1日のうち数分でも、自分は生かされているんだなと、
泥から顔を出す瞬間があれば、それだけでも十分じゃないのって感じるわけ。
だから一番取り入れやすそうなものがあれば、やってみたら如何かなと思うわけですよ。
例えばね、食事の最初の一口だけ集中するとかさ、何も見ないでですね、
味わうことだけに集中してみるみたいな、これ小さいことからですね、やるだけでも、
現代においては立派な修行なんじゃないかななんていうふうにも思うわけです。
ということで、本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
食べることに集中しているとですね、この味わいという行為がですね、
よくね、いろいろあるじゃない、やっぱりさ、見てとかね、香りを嗅いでとかね、
歯触りとか舌触りだとかね、喉越しだとかね、そういう味はもちろんなんだけどさ、
咀嚼して噛んでいるうちにだんだんだんだんね、味も変わっていったりだとかさ、こういう変化があるでしょう。
だから集中していくってことはですね、やっぱりすなわちこれ、生きるということにつながるのかなとも思いますので、
さあ、今日もですね、おいしくご飯をですね、集中して食べてみましょうということで、また明日お会いしましょう。
それでは、バイバイ。