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#1705 ピンチから転身した老舗
2026-09-03 05:09

#1705 ピンチから転身した老舗

#1705 ピンチから転身した老舗

明治維新による東京遷都は、京都の経済を根底から揺るがしました。

最大の顧客であった皇族や公家、幕府関係者が一斉にいなくなったため、生き残るために元の商売を捨てて全く新しい分野へ転換したり、伝統技術を近代テクノロジーへ応用したという、劇的変化を遂げた老舗がいくつもあります。

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笑倍繁盛チャンネル、望月まもるです。
本日もよろしくお願いします。
昨日は松前屋さんとですね、寅屋さんのお話をしましたけども、
明治維新による東京戦とですね、京都の経済、根底からも揺るがしたわけですね。揺るがされたわけですね。
最大の顧客だったさ、後続とか区下とかね、幕府関係者が一斉にいなくなるわけですから、
これは生き残るためにですね、商売どうしていくかということでですね、
昨日の松前屋さんはよしよ、一般に売るぞと、今まで、
区内庁御用達だったものを一般に売るんだってやりましたね。
で、寅屋さんはですね、いやもう天皇と一緒についてくぞ、つって東京に来たわけですね。
他にもですね、いろんなことを転身したですね、いろんなことをやった老舗があるんですよ。
今日はですね、代表的な3つの老舗をですね、ご紹介しようかなと思うんですけど、
まずは皆様ご存知の任天堂。
この任天堂ですね、花札を作ってた。
ゲームメーカーになったんだ。これ聞いたことありますよね。
ところが違うんですよ。もともと何かと言ったら、職人向けのですね、建材屋さんだったんですよ。
石灰売ってたの。もともと江戸時代からですよ。京都で高級な石灰ですね。
壁に塗る、ほら、漆喰の原料とかよ。これは使うですね、秋のやつなんですね。
でもこの明治維新による建築様式の変化とか、激変する時代の中でですね、
何があったかというと、明治22年にですね、任天堂骨牌っていうのを創業したんですね。
で、それまでの家業からガラリと業態変えてですね、
当時禁止されていた賭博用ではない花札の製造販売を始めたと。
これが世界的ゲーム企業につながるですね、最初の一歩だったんですね。
で、お次がですね、日吉屋さんですね。
これ今デザイナーズ証明機具とかやられてる会社なんですけども、
これね、もともとは和傘、和傘、雨具、五所専属の傘屋さんだったんですね。
これも江戸時代の後半に創業してですね、京都五所とか佐久宮の寮邸に和傘を収めていた老舗なんですね。
でも明治以降ですね、昭和にかけて洋傘ですよね、西洋の傘が急速に普及したことでですね、
和傘の需要は激減してですね、廃業の危機と。
で、日吉屋さんはですね、この和傘はやっぱりこの丈ですね、
これ美しく広げるね、パッと広がるね、そういう技術だとか。
和傘をですね、透けて映ってくるですね、美しい光とかね、こういうところのノウハウをそのまんまですね、
デザイナーズ証明、要はランプシェードですね、こっちに大きく舵を切ってですね、傘を売るのやめて光で売るというですね、
この大転換によって今でもですね、海外の高級ホテルとか注文が殺到するような人気ブランドになってるわけですね。
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で、3つ目はですね、島津製作所さんですね。
これ今、理化学機器とか精密医療機器の会社なんですけども、もともとなんだと思います。
物具、物具ですよ。
京都の伝統産業である物具の、しかも鋳造職人ですから、鋳物用、鋳造職人の家計だったんですね。
でもこの明治維新が起きて京都の街を近代化させるという政策が始まるとですね、物具の需要がもう減るなと。
これ見越してですね、この物具製造で培った金属加工の職人技術っていうのをですね、最新の科学分野に応用するということを決意したんですね。
で、明治8年ですね、教育用の理化学機器の製造開始。
だからもう結構早いですよね。本当に切り替えが。
で、日本初の医療用X線、レントゲン装置の開発などに成功してっていうですね。
やっぱりこのノーベル賞受賞者とかさ、排出してますからね。
で、世界的にも有名な最先端の精密機器メーカーに生まれ変わったというところなんですね。
昨日のお話とはまた違ってですね、マーティで大転換をしたっていう感じですよね。
もうさあどうするやつって。
いちかまちか、じゃあこれでやってみよう。
でも何を持ってる?こういう技術持ってる。よし、じゃあこれをこっち側に使っていこう。
つまりなんかね、転身転身って言うんですけども、やっぱりね、今自分が持っているもの、長所強みですね。
そういったものをですね、ちゃんと活用しながら次の道っていうのをですね、に足を進めたんだななんていうふうにも思うわけです。
ということで本日も最後まで聞いていただき誠にありがとうございます。
また明日お会いしましょう。それではバイバイ。
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