自己のビジュアルと理想
どうも、ここのサンカクです。 喋っていこうかなと思うんですけれども、
皆さんはね、普段生きていて、自分の格好だったり、服装だったり、ビジュアルだったり、
全てにおいてね、こう、一番いいなーって思えるかなっていう話をしていこうかなと思うんですけれども、
今、あなた自身が自分の理想とするビジュアルなのかっていうところをね、ちょっと話ししていくんですけれども、
これは、他人からの評価っていうところは全く関係なくて、あなた自身が自分自身のビジュアルに満足しているか、
それとももっとよくできるんじゃないかっていう向上心を持っているかっていうところを解いています、これは。
で、これに対して、ないからといって別にどうこう、あるからといってどうこうっていう話じゃなくて、
パーソナリティのイメージと変化
そのもう一歩先の話をね、していこうかなと思うんですけれども、 ここのサンカクは多分いろんなね、イメージがあると思います。
私のことを知ってくれている人は、ヒゲだったり、サングラスだったり、 それこそコーンローだったり、いろんなイメージがあったりだとかっていう
なんか、固定されている印象が薄いのかなと思うんです。
その中でもやっぱりヒゲとサングラスっていうところは結構押してきていたので、 みんなのイメージの中に擦り込まれているかもしれません。
実際、私のサムネイルだったりっていうところは、ヒゲとサングラスになっているので、 そういうイメージがついていると思うんですけれども、
最近は割とサングラスというところをやめていまして、 理由が明確にありまして、これはね。
印象的なところ、私の印象を柔らかくするために、 サングラスをなるべくかけないようにしているっていうところを最近心がけています。
コーンローへの憧れと実現
で、その他のところなんだけど、 コーンローっていう髪型、
ものすごく憧れていました。昔、高校生の頃からずっと憧れていて、 なかなか費用が高かったんです。
なおかつ親の反応だったりとか、
親族の反応だったりっていうところも気にしてたりとかしてたので、 周りの人たちからどういう反応を受けるかなというところを気にして、
なかなかできなかったというところがあります。 目指していた夢というものも、コーンローではちょっと実現不可能だったというところがありまして、
なかなかできなかった人生だったんですけれども、 そこから2.3.人生がコロコロと転がっていって、
つい1、2年前ですか、2、3年前ですかね、 初めてコーンローをするきっかけがあったんですけれども、
コーンローかっこいいなってずっと思い続けてたんですけど、 嫁が編み物得意で、髪も編み込みできるよみたいな話になった流れで、
え、それってコーンローできるの?って話をしたら、コーンローって何?って聞かれて、 髪の毛をこう編んでいくんだよっていう
説明をしまして、できるかもしれないって言ってやったらできたんです。 もう、
何だろう、こういうのを何て言ったらいいんでしょうね。 渡りに船って言ったらいいんでしょうか。何でしょうかね。
本当に嬉しすぎたんです。 もう、言葉を包み隠さず言うと、嬉しすぎてぼっきしたんですよ。
そのね、あんまりね、よろしくないと思います。 いろんな人が聞いてますからね。
あんまりいい表現ではないと思うんですけど、 人間って本当に叶えたかった、自分の理想の姿になった時に、
ぼっきするんだって、その時に思ったのね。 みんなにもぼっきしようしようって話をしたいわけじゃなくて、
就職とアイデンティティの喪失
これはね、私がその頃は、 コンロでもヒゲでも何でもオッケーっていう職場で働いてました。
そこから転職をして、私も妻がいますから、 その妻を食わせるためにも仕事に就かないといけない。
で、その点々としている中で、ここの職場で働けたらいいなっていう、 安定してそうだなっていうところに飛びついたわけですよ。
無事合格しまして、今働いています。 その会社の社内のルールとして、まず髪染めるのがダメ。
で、多分茶色ぐらいまでならオッケーなんですけど、 あとヒゲがダメなんですよ。
で、多分その2つなんですけど、 身だし並みは社会人としてきっちりしましょうと。
あなたたち全員が会社の営業マンになるんですと。 営業マンいますけど、営業マン以外のところでもあなたたちが営業マンになる瞬間があるんですっていう話をされたわけですよ。
なるほどねってなって、そしたらコーンローのやつが営業してきたら、 皆さんは受けますか?その話を。受けないでしょ?ってなったら、
コーンローもなるべく辞めないといけない。 そもそもできないっていう状態になった瞬間、ここの三角のアイデンティティがなくなったわけなんです。
今まではずっとヒゲを生やして、サングラスをかけて、 ビジュアル、自分のキャラクリ、とてもいいなと思って生きていました。
キャラが立ってるし、すぐ人に覚えてもらえるし、印象も強いし、いいところだらけだなと思ってたし、自分もそれを気に入っていた。
でも、そうやってずっと生きてきた社会人生活だったんですけれども、 そんなアイデンティティがなくなった時にどう感じたか。
ものすごい自信を失ったんです。
自分のビジュアルってこんなにも良くなかったのかなとか、 自分ってこんなにイケてなかったのかなとかっていうところで、
ものすごく落ち込んだと言いますか、自分の自信がない部分、 ネガティブな部分っていうのがものすごい出てきたんです。
活動の変化と過去への依存
そこからあんまり偶像という活動をしてるんですけど、 自分の写真を撮って、それを投稿してるんですけど、
あまりしなくなったっていうのと、 偶像という活動をする代わりに他のことをしていた。
自分の画像が出てこないような形であったりとか、 過去に撮った写真を加工してTシャツにしたりとかっていうところで活動をしていたわけです。
偶像というものを絶やさないために、 自分の活動というものを絶やさないために、
過去のものにすがっていた、 過去の自分の姿にすがっていたっていう状態でした。
なので、ものすごく今の自分イケてないなとか、 太っても来てたし、
今までは太っててもキャラクターとして成り立ってたけど、 髭もなくして没個性というか、
そういう感じになった瞬間にただのデブになってしまう。
ものすごく醜く見えたんですよ、自分の姿が。 キャラ立ちしないなーなんて思ってたわけです。
新たなスタイルへの挑戦
これを踏まえて、俺はコーンローに戻ることができたんです。
髪の毛これぐらいの長さだったら会社でも許してもらえるだろうなっていう長さで、 コーンローが編めることに気づいたんです。
なので、週末だったり長期の休みだったりっていうときは コーンローしてもいいのかなって。
その間だったらヒゲも生やしてもいいし、 会社に行く瞬間ヒゲ剃ればいいわけですから。
自分の中で今までの自分がいいなって思ってたスタイルも貫きつつ、
自分の新しい姿っていうところも切り開けていけたらものすごいいいなと思って。
最近自分と向き合う時間というか、自分のビジュアル、自分のキャラデザー、
そういうところと向き合う時間がものすごい長かったなと思っていたんですけど。
だからこそ伝えたいことがあるなと思って。
「やりたいこと」への挑戦の勧め
今日はここから本題なんですけど、今までの話は、
ここの三角がビジュアルについてどういう思いで ここまで来たのかっていうところを話した、
その先、みんなに何を伝えたいかっていうところなんだけど。
学生でもいいし、髪型とか服装とかが自由な職場で働いている人たちっていう、
そういう人たちに声をかけたいんです、俺は。
やりたいこと全部やっといたほうがいい、本当に。
ちょっとでもいいなって思う髪型はできるならやったほうがいい。
髪の毛足してもできるなって思えるなら髪の毛足せばいいし、
髪の毛この色にしたいなって思うならしたらいいと思う。
それって自分がそういうことができないところに 押し込まれたときにめっちゃ後悔するのよ。
もしだよ、それを気に入った場合、
この姿気に入ったなって思った場合は、
その姿で入れる職場に入ることもいいと思う。
でもそうじゃないときもあるわけよ。
大学生の状態でめちゃくちゃ好きなファッション、
めちゃくちゃ好きな髪型とかっていうところで活動してたけど、
実際社会人になったときにそれって許されるのかっていったら
許されないことがほとんどなわけですよ。
ってなったら、多様性の時代とは言われているけど、
やっぱり社会人として働くならちゃんとスーツは着ないといけないとか、
ちゃんとした髪型にしないといけない、
言葉遣いをしないといけないっていう、
その社会性っていうところが求められるわけですよ、
どう足掻いてもね。
社会への適応と選択肢
ってなったときにそこにアジャストできるかっていうのは
自分次第なわけですよ。
それを今までやってたから、
これを貫きたいからその職場にはいかないっていう選択肢もやらないとできないし、
今までやってたからここからは切り替えてやろうっていう思いもできる。
でもやらなかった場合はそのまま進んでしまう。
で、なんとなく進んでる中でやりたいなって思ったときにできないわけよ。
それってものすごくハンデがあると思うわけ。
さっき言った前者ね、やってた方だと全然心の持ち量が違うと思う。
タトゥーと髪型・服装の比較
で、これってまた他のやりたいことっていう項目で言うと、
タトゥーが多分出てくると思うんです、こういう系って。
自分の体に刻みたい、いろんな思いがあると思う。
自分の心差しとか思い出とか、
一生背負っていきたいとか、いろんなかわいいとか何でもいいけど、
とにかく体にそれを刻みたいんだっていう思いから
タトゥーとか墨を入れるっていう行為に移ると思うんだけど、
ここの三角にはタトゥーが入っていません。
それは踏み出せなかったのは何でかって言ったら別に理由はないんですよ。
きっと一個入れてたらどんどん入れてたと思うんです。
何か踏み出す一歩があれば、その後はハードルがめちゃくちゃ下がってたから
めちゃくちゃタトゥーを入れてたと思う。
でもその一歩を踏み出していない状態で今に至るわけですよ。
だから別にタトゥーが入ってる人を否定してるわけでもないし、
入ってない人が偉いって言ってるわけではない、これは。
それぞれに思いがあるし、それぞれに志すものがあると思うから
別にいいと思うんだけど、それって消すの大変なのよ。
実際問題ね。
一生背負っていくっていう心意気で、仕事とか人間関係とか
いろんなものを自分でちゃんとききり進めていける人間だったら問題ないと思うけど
それを自分に刻んだものを消さないといけないってなった時に
ものすごい時間と労力と心を削らないといけないわけよ、それって。
でも髪型とか服装とかってその瞬間で追われるわけよ。
ってなったらこれは俺的にはタトゥーぐらいの影響力があると思うわけ。
髪型とか服装って。
でもそれをやらなかったことによって後悔するんだったら
先にやっておいたほうが絶対にいいなって思う。
幸運と環境による制約
今俺はなんとなくやってて幸運ローに行き着いて
今もなんとなく幸運ローができている幸せな存在なわけです。
恵まれてるんです私は。
だけどそれが絶対にできないという環境に置かれている人はいるわけよ。
それが髪型だろうと服装だろうとタトゥーだろうと何でもいいけど
それができないって思った時に
一歩踏み出したら後戻りするの大変だなっていうのはタトゥーだと思うわけ。
だったら自分の好きな髪型っていうところは我慢しなくていいんじゃないかなって思う。
学生の頃ならなおさらね。
だからそれを伝えたかった俺は今日ね。
ビジュアルと自己表現の繊細さ
今まで自分っていうビジュアルっていうところで結構悩んできましたけど
あまり自分自身がこうやって発信するのもどうかなって正直思ったんです。
このビジュアルとかこういう事柄ってかなり繊細じゃない?
人それぞれあるから。
でも自分が思っていることを伝えてね。
そうだなって思ってくれて後悔しない未来をつかめる人が一人でもいるなら話してよかったなって思えるし
なおかつ自分自身の思いの振り返りというか整理というか
こういうこと思ってたんですよねっていう話をできたらいいなって思って話したわけなんですけれども
まとまりがなくなってしまったね。
自由と制限の関係性
感情でワーッと走りすぎたからね。
自由に生きていいっていうのは簡単だけど
自由に生きるってどうやって生きたらいいかって考えるのって難しいと思うのよ。
自由って制限がある中でその制限を破ろうとする行為だと思ってるのね俺。
だから制限がない世界っていうのには自由ってないと思ってるのよ。
不自由があるから自由があると思ってるの。
それ俺の考えねこれは。
だから聞いてくれてる人が自由を得たいとか自分らしく生きたいっていうのを考えたときに
それがまず第一歩として髪型変えてみようかなっていうものすごい軽い気持ちで変えられるんだったら
それはその人が自由をつかみ取るためのめちゃくちゃ大きな第一歩になると思う。
でも髪型変えるのってそこまで難しいことかって言われたらそうではないわけ。
俺はコーンローから学んだしコーンローを一旦やめて自分と向き合って気づかされた。
これってものすごく大切なことなんじゃないかなって思ったから話をしている。
そういう感じです。
エンディング
今日はこの辺にしようかなと思います。
この後は皆様の視聴コメントによって成り立っております。
また次回も見に来てくれると嬉しいです。
コメントしてくれるともっと嬉しいです。
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この放送はココロ三角がお送りいたしました。
また次回どこかでお会いできることを楽しみにしております。
それでは皆様、じゃあね。
バイバーイ。