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  2. 戦争・紛争・震災について。
2026-03-12 13:10

戦争・紛争・震災について。

オーランドへの出張のさなかに、AKIKOさん企画フェスと東日本大震災15周年をきっかけにお話してみました。

感想

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こんにちは、GreenFielderです。
ただいま私は、出張でですね、フロリダ州のオーランドに来ています。
私が所属する会社の幹部会という形で、各拠点の人が集まっていて、そこに来てて、
今日こちら3月11日の競技は、会合は終わりまして、この後出席者で夕食を食べに行くという風な形で、
その今、合間にちょっと録音をしています。
今回は、今秋子さんが企画して開催中の、ペドロ・サンチェス首相のスピーチを味わうフェスというのがあって、
あとは、これのきっかけとなっているアメリカ・イスラエルからイランへの攻撃と、それに対するイランの報復攻撃ということで、
また多くの罪のない人々が亡くなっているというのと、ちょっと時間は違いますけれども、
3月11日という日付という意味では、こちらの時間の今日が東日本大震災の15周年の日ということで、ちょっと感想を述べたいと思って録音しています。
この秋子さんの企画したこのフェスに参加しようかどうしようかと、かなりいろいろ考えたんですけれども、
このサンチェス首相のスピーチの英語訳のスクリプトは一通り拝見しました。
やり方としては、これをAIに読み込ませて、どこかの方言をスクリプトに作り直して、それを喋るというやり方と、
あとは秋子さんのこのフェスの用紙のところで、方言がない方は感想だけでもいいですと書いてあったので、それにしようかなとも思ったんですね。
私はもともとほとんど育ちが関東です。生まれは石川県で、祖父祖母もしくは両親が喋っていた石川弁というのもありかなとか、
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社会人になって最初に配属された長崎弁というのも考えたんですけど、いずれも特に喋れるわけでもないところを無理に喋っても、ちょっと逆に嘘くさい方言で喋るのもなというのと、
感想をと言ってしまうとちょっと私の場合なんかいろいろと、なんとなく評論家的な話になってしまいそうな気もして、それもちょっとなということでフェスには参加しないんですけれども、
私ごととしてこの二つの事象及びこのペドロー・サンチェス首相のスピーチに出てくる過去の戦争、紛争など、そして東日本大震災、それ以外の震災を含めて亡くなられた方がたくさんいると思います。
そういう方に対して何をどう私が考えているかという話を少しさせてください。
私個人はですね、幸いにもまだ80にはなっていますが、両親はまだ健在で、でかつ自分の身の回りで、それは親族、知人含めてですね。
例えば過去の戦争ですとか、震災ですとかで亡くなったという人がいません。
私自身も阪神大震災の時は東京にいて、東日本大震災の時は私は広島県に当時いまして、大きな震災を直に経験もしていないです。
さらに当然のことながら多くの日本人は直接的に戦争なり戦闘なりに巻き込まれた、もしくは近くで体験したという人がほとんどいないと思うんですけど、当然私もその一人と。
最も身近にあった人の死というのは、私が高校の三学部にいた時の二つ下の後輩がですね、高校を卒業して大学のワンダーフォーゲル部に所属している時に、
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同じ元高校三学部の一つ上の、つまり私の一つ下の子と二人で関東の山を登って下っている途中に滑落して亡くなったというのが周りの人の死という意味で聞くと、
一番身近な死だったのかなと思います。
私の祖父祖母は全員もう亡くなってはいるんですけれども、その祖父祖母の死よりもその後輩、高校三学部の後輩の死の方が何というか心に重く響いた経験です。
あとは、こちらアメリカに来てですね、夜中にハイウェイを走っていた時に、目の前をおそらくあればアライグマだと思うんですけれども、アライグマが道をバッと横切ってきて、
私もですね、その時にはとてもじゃないけど止まれる距離にはなくて、そのまま突き進むというか下手にハンドルを切るのも危険なので、そのまま真っ直ぐ進むしかなかったんですけれども、
その時にちょうどアライグマと思われるその動物が私の車の右前輪に当たって、その時の感触というのが一番感覚として忘れられない経験かなと思います。
何が言いたいかというと、そこにある人の命が亡くなっていくという体験というのをほとんどしたことがないということで、それはある意味幸いなことなんですけれども、
生命が消えていくという瞬間を身近で感じたことがないという意味で、いろいろなものの死というのがあまり自分の身近なものと思えていないというところもあるんですね。
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なので、死というものがどういうものなのか、どれだけ辛いものなのか、そういうところがわからないままにどんどん年を取っていくのも嫌だなというところがおそらく心のどこかにあったんだと思うんですけれども、
そういうことで過去の、例えば第二次世界大戦のドキュメンタリー映像ですとか、中東で起きていたガザ紛争で亡くなっていくガザの罪のない人々の映像ですとか、
あとはシリアで、もともとは罪のないはずの人々が当時の政権から刑務所に入れられて亡くなっていき、そしてその行方すらわからないというドキュメンタリー映像ですとか、
ドキュメンタリー映像も見ましたし、震災の映像ですとか、心臓がキュッと縮まるような映像も目を背けることなく見るようにしていました。
それもきっと、死というものがどういうものなのかをちゃんと向き合って見ておかなきゃいけないという思いがあったからなのかなと思います。
でもどこまで行っても、所詮は身近でそういうふうな愛する人が亡くなったという経験がないので、どこまで行っても疑似体験でしかなかったということで、何かを言える立場にもあまりないのかなと思いつつ、
それでもちょっと一言、何かに記録しておきたいということで話してみました。
アメリカにいるからということではないんですけれども、私がちょっと感じるのは、今回このアメリカ及びイスラエルがイランに攻撃をした、その報復攻撃を受けたという一連の流れの中で、
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アメリカ兵も何名もが命を落としているという事実があります。
私はその命を落としたアメリカ兵のご遺族の方々には、攻撃を仕掛けた側だからとかそういうことは関係なく、同じようにイランで亡くなっている方々、ガザで亡くなっている方々、震災で亡くなった方々と同じように御冥福をお祈りしたい。
と思います。
以上です。
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