そこで仕方なく世の中で正しいとされてる使い方に沿うんですよね。
それしかなくなっちゃうんですよ。
例えば計画やスケジュールに沿って有意義っていう認定されてることをやるみたいなね。
この認定っていうのははっきりと誰がどういったとかって言うんではないんだけど、
なんとなくこの発言力の強い人とかね、インフルエンサーだとかね、
もしくはその実績を残した人ですよね、結果を残した人。
この人はいい人生を送ってるな、たくさんいろんなものを持ってるな、地位や名声をゲットしてるな、
この人は時間をどう使ったんだろう。
まさにこういった本を読んだりするんだけどね。
この使い方にのっとるしかなくなっちゃうんですよね。
で、それ以外のことをやるとどうなるかというと、
まさにさっき言ったもう一つの自分に罪悪感を抱くという結果になってしまうわけね。
これはね、やっぱり好きになる、思いが乗る、価値あるものになるの世界にはなかなかない話なんですよ。
この価値あるものを扱いながら、罪悪感を抱くっていうのはなかなかないんですよね。
ないでしょうね、たぶんね。
僕が一生懸命作ったリオレースの防具と、
それからとびきりの装中コフンを持ってモンスターに向かっていって負けたとしても、
装中コフンを作ったこととか、それに対して何か罪悪感を持つことはないですよね。
あるとすれば俺はまだまだ腕がダメだなっていうか下手だなっていう、
そういうテクニックに関する罪悪感はあるのかもしれないけどもね。
でもこの時間に関しては、やっぱりこの正しいとされているもの、
有意義と認定されていることっていうのがね、
自分の外側にあるっていうのがやっぱり一番大きな問題ですよね。
外側にあるから、それに合ってないっていうかね、
それをやることが全然自分に合っていなかったり、自分が好きでなかったりすると、
それをしないという選択をする方が多くなってくるんですよ。
例えば朝起きたら必ずジョギングをしなさいというのがね、
これが朝の正しい使い方なんだっていうことが認定されたとする。
私がそれを、そっか、じゃあやっぱり時間というのは価値ある大切なものだから、
朝はジョギングに使わなきゃいけないんだと思ってね、スケジュール表に書き込む。
自分を鼓舞するために毎朝走れみたいなことをこの紙に書いてね、
紙に貼ったとする。
でも私はまず朝起きるのが苦手だし、起きてすぐ体動かないんですよね。
全く動かない。
だから朝の運動みたいなものは僕の人生の中ではもう本当に採用する余地もないみたいなものなのね。
そうすると当然やらないことの方が多い。
そして僕は起きるときに眠いなと思ったら、
これはもう小学校の頃から、中学校、高校もそうでしたね、
寝るという選択をするので、
たまたまうちの親はですね、そういうのを全然咎めない親でもあったんで、
遅刻するのはあんたが起きんきゃ悪いんやんみたいな感じで、
起こして叩き起こして行かせようなんてことをしない人だったんでね、
寝坊したんやったら遅刻して怒られればいいやんみたいな人だったんで、
もうずっとそれを繰り返していたので、
頑張って起きるみたいな習慣はゼロなんですよね。
そうするとどうなるかというと、
1年363日ぐらい、2日ぐらいは走れるかもしれない。
1年363日は残厄感を抱きながら1日を過ごさなきゃいけないんですよ。
だから今お話ししてきた、
僕らの思いを乗せることで価値を想像するという力は素晴らしい。
でもこれは恐れや不安を起点にすると結構めんどくさいことになるってことですね。
結論から言うと、この時間を何に使うか、誰に使うかっていうのを、
いくら大切な価値があるというふうに思いを乗せて思ったとしても、
この使い方だけは自分で決めたほうがいいんじゃないかなというふうに思うわけですね。
合わない人がいるんでね。
面白いことに、世の中で正しい有意義って認定されているものにバッチリ合う人もいるんですよ。
ここが不思議なんですよね。
だからその正しい有意義っていう認定がされるんだと思うんですよ。
それが1人も世の中にいなければ、
こんなもん誰もできねえじゃんって育てていくんだけど、
結構な数やっぱりいらっしゃるんですよ。
おーバッチリだみたいなね。
僕のようにそれに合わなかった人はですね、そこで罪悪感を抱くんではなくて、
さっき言ったように、
そっかそっか、この価値というのは僕の思いを乗せて作り出したものなんだなってところにね、
戻してもいい気がするんですね。
なんかまさに子供がね、その牛乳のフタとかお酒のフタに価値を見出せなくなる瞬間というのがあるんですね。
それは思いが乗らなくなったってことなんですよ、きっと。
だからこう、特に子供の頃はね、
あんだけ熱中して遊んだヨーヨーみたいなものが、
もう本当にね、ゴミのように部屋の片隅に放っておかれてるみたいなことはしょっちゅうありますよね。
だからこの思いをスッと取ってしまうとね、
しかもこの思いというのは恐れや不安だったわけだから、
この時間に対する恐れや不安みたいなものをスッと取り除いた瞬間に、
僕は生きている限り時間は永遠に供給され続けるっていうところにね、
いけるんじゃないかなと思うわけですね。
元々、なんでこんなにね、
今のようなその時間に対するこの今のような価値観というのかな、
とにかく一秒も無駄にしちゃいけないみたいな感じが生まれたかというと、
これはもう私、世界史を勉強してたんで、高校の時に。
この世界史の中に書かれてますよね。
最初は多分僕らはね、もう古くかつて中世とかその前ぐらいかな、
自分の家っていう単位で、これが一番ちっちゃい単位ですよね。
ここで数人の家族とかね、ちょっとした職人さんとかで少人数でものづくりをしてたんですよ。
それは工業用語なんですけどね、東宮製屋内工業とか工場製手工業とかね、
それから工場製機械工業みたいなまさに産業革命かな、
そのあたりでどんどんどんどんそのものづくりの規模が大きくなっていくわけね。
そうすると当然これはそうすることによって生産する能力が高まるわけですよね。
よりその多くのものを作れるようになる。
そこにいろんなたくさんの人が集まるようになるね。
最初は家族の少人数だったのがもう一つの工場にね、何百人何千人みたいな単位で人が入るようになる。
そうするとこの過程で様々なコストというのがね、時間で算出されるようになりますよね。
当然だけどもその働く人の賃金も時間で計算されるようになったりすると、
ここで効率という概念が生まれてきますよね。
できるだけ時間をかけずにより多くの製品もしくはサービスを生産することというのが無視できなくなるんですよね。
そうするとそういうふうに社会が移行していくと将来のこの働き手である子どもたちに
世の中はそういう価値観で動いてるんだよってことを伝えなきゃいけないですよね。
これが多分高度成長期ぐらいの感じなんだろうなと思いますね。
まさに私が育った頃、貴重な時間を一秒も無駄にしてはいけない。
生産性の高い時間の使い方をしなさい。
これがまさにそのさっきの正しい有意義に当たるんでしょうけどね。
そして人生は短い時間には限りがあるっていうね、こういうその教えを僕も相当受けてきましたよね。
要はこれ単純に言うと早く動かすっていうことですよね。
人を早く動かすためと言っても過言ではないですよね。
あまりにちょっと単純化しすぎてる部分はあるんだけども、
そういう結論にたどり着かざるを得なくなると僕は思いますね。
早く動くっていうことですよね。
効率よくっていう言葉で言うともうちょっと賢い感じがするんだけど、
結局はやっぱり早く動くってことになるんでね。
早く動く教育をされてこられたと。
そしてそれと同時にこの一秒も無駄にしてはいけないんだなと。
そして生産性の高い時間の使い方と低い時間の使い方っていうのがあって、
それがこの短い人生、限りある人生にものすごく大きな影響をもたらすんだな、
結果として帰ってくるんだな、まさに恐れや不安ですね。
怖いな時間ってのはってことになるわけ。
だから大切にしなきゃいけない価値があるんだっていうふうに言ったんでしょうね。
でもなんかね、これって僕が今喋っていてね、
これは僕は本当結構自分でラッキーだと思っていてね、
昭和37年からこの2023年まで60年生きてきたっていうのはね、
このいろんな変化みたいなものを目撃できてね、
とてもラッキーだったと思っているんだけども、
途中インターネットが登場したりもしたしね。
この発想というのかな、これはやっぱりね、
高度成長期に生まれ、今でもずっと引きずってるし、
途中そのネットが出てきたところでもう1回ね、
このデジタル化っていう波が来たところでもう一度この強力にね、
ちょっとそのそれ以前のアナログとかね、
モルタルの世界とはまた別にデジタルならではの効率っていうところがね、
そこに組み込まれてきて、ここでちょっと強化されてきたんだけども、
なんかこれはどうもそんなに新しくはないなって感じがするのね。
なぜかというと、今まさにね、まさに時代はこのキロを迎えていてね、
さらに効率化しなきゃいけないみたいな課題を僕らは抱いているわけですよね。
もうとにかくね、進みすぎてるんですよ、それが。
だからもうAmazonのハイテクな倉庫とかよくニュースでありますけど、
あの中に人がいないんですね。
もうAIと機械にはこの効率とかスピードでは立ち打ちできない時代になっているわけですよ。
僕はこの変化はとてもいいなと思っているのね、朗報として受け取っているんです。
なぜかというと、もうこのAI、機械に立ち打ちできない時代になってきたら、
この人を早く動かすみたいな教えはいらなくなりますよね。
どんだけ僕が早く動いたところで、もうアレクサにはかなわないわけで。
アレクサと僕が勝負することはないんだけども、
そうするとあの嫌な教えから解放される、
僕みたいに朝起きられない子供にとっては本当に嫌な教えだったんで、
解放される絶好のチャンスかなってそんな感じがするのね。
でも時代を巻き戻すことは当然できないから、
だからできるだけ時間をかけずにより多くの製品を生産することっていうのはね、
もう機械に任せられるんじゃないかなと。
そうすると僕らはね、もう一度この時間の縛りというかね、
恐れや不安によってこの作り上げてきた、
この価値あるもの、大切なものっていうここから解放されてね、
もともとそもそも僕らの人生の中に流れていた時間というのは何なんだってところに戻って、
もっとね、僕らが得意な分野っていうので貢献すればいいんじゃないかなっていう、
そんな感じがしているのね。
おそらくそれはもしかしたらAIがどれだけ進んでもね、
もしかしたら追いつかない、もしかしたら追いつくのかもしれないけども、
なんとなくここは無理かなって感じがちょっとしてるんだけどね。
ひらめきとかアイディアとかね、それから表現力ですよね。
こういうものが僕らの得意な分野の一つじゃないかな。
あと今でもね、職人さんの世界で、
例えば新幹線の丸いところとかね、
ああいうところはやっぱり職人さんが手でやってるっていうね。
この指先の感覚というのかな、これで1ミクロの違いを触り分けるというか、
ある意味その器用さというのかね、手先の器用さみたいなもの。
これも今相当な部分機械に置き換わっていますが、
どこまで行っても多分この人がやらなきゃならない部分っていうのは残るんじゃないかなって気がする。
それから私がその緑の本、グッドバイブスご機嫌な仕事で書いた。
ここはまさに怪しいと言われれば怪しい部分なんだけど、
私はですね、やっぱりこの製品とかサービスにね、
思いを乗せるっていうことができるような気がしてるのね。
これはあの本でもたっぷり書いたんですけどね。
iPhoneを初めてiPhone3GSかな、手に持った時になんかゾワッとしたんですよね。
もちろんここにはすでに好きというさっきの思いが乗ってたから、
そのように感じたっていう可能性はなくはない。
でもなんかその楽器とかね、とてもいい楽器、オールドの楽器、
古い今で言うと60年代、50年代みたいなギターをクッと持った時にね、
ゾワッと感じるものがやっぱあるんですよね。
それはなんか作った人の僕は思い、バイブスなんじゃないかなと思っていてね。
こういうものをやらせる想像力っていうのが多分僕らの得意分野なんだろうなと思う。
だからギフトモードなんですよね。
ギフトモードで思いを乗せながら作るというのはまさにこの時代のね、
もう早く動くというのは機械にはかなわなくなった時の、
僕らがもう一度これ使っていいわけみたいなところに戻れる、
そのなんか一つの大きなキーワードかな、この思いとバイブスっていうのがね。
今言ったね、例えばひらめきアイデア、表現力とか、それから器用さとかね、
そしてこの思い、バイブスっていうのはどれもね、
やっぱり僕は時間の制限のないところで生まれる感じがするんですよ。
よくありますよね、あと5分で考えてみたいな。
ひらめきアイデアっていうのはそういうもんじゃないんですよ。
さすがにその10分でひらめけみたいなことがどうにかなる世界ではない。
最近私もね、あの面白い経験をしましてね、
何度かこの番組でもお話したんだけど、
そのザ・ギフトというね、まさにそのギフトのお話を本にまとめたいんだけども、
1月1日にやるぞというふうにね、一年発起して、
まさにこの時間の有益な使い方ができなくて、
今日までまだ書いてないんですよね。
もう2月の15日だから45日経ってる。
その間には本当に別にサボってたわけではなくてね、
もういろんな執筆教室の構成だとか、
さまざまなことがね、ワントレとかが詰まっていて、
そしてこの番組だとか、その日刊のワークアウトとかを書きながら、
その時間がやってこなかったってことなんですよ。
でもこの間、写真ワークの中にもあるんですけどね、
やりたいことができない間に不満を持たないようにするっていうね、
いじけないようにするっていう重要なメソッドがあるんですよ。
この間は例えるならば、遠距離でお付き合いしてるパートナーに会えない時間のように過ごすと、
早く会いたいなという、この待ち遠しさを持ちながら過ごしましょうっていうメソッドがあるんですよね。
こうしておかないとね、僕ら問題作り出すんですよ。
こいつが悪い、この環境が悪い、だから俺はやりたいことができないっていうふうにね。
そのように不満を持ちながら、怒りを持ちながらその時間を過ごすと、
せっかくできる時間がやってきても、そこで気持ちが切り替わらないんですね。
だから一番いいのは、遠距離でずっと会えなかったパートナーにね、
東京駅でも大阪駅でもいいんですが、どちらかがそこに行って、
ホームで、ああ、やっと会えたねっていうこの感じ。
この感じで、例えば僕であれば、文章の執筆に迎えたら最高ですよね。
もう楽しくて楽しくてしょうがない。
もうやらないですけど、3日未満でも書いていられるようなそんな感じになりますよね。
だから僕はそんなふうに過ごしていたんですよ。
これは全然問題ではないと、まだその時ではないんだなと。
必ずやってくる、必ずあの愛しいパートナーに会える日が来るっていうね。
そうしたら、何回か前かな、ヤママちゃんという方と
Good Vibes TVの収録をしたっていうお話をしたと思うんだけど、
その時にあるエピソードを僕がお話したんですね。
その収録が終わって、数日間は僕は気がつかなかったんだけども、
3日目ぐらいかな、ふってこう、ほってしてね、
この話が出だしじゃんっていうことに気がついたんですよ。
僕がね、なかなか筆が進まない理由の一つにね、
もちろんそのタイミングがやってこなかったっていうのもあるんだけど、
出だしにはものすごくこだわりたいなと思っていて、
出だしのエピソードは何にしようかなっていうのが本当に浮かばなかったんだけども、
このヤママちゃんとの対談の中で、本当に彼女のおかげなんだけども、
私が彼女の質問に対して最初にお話したエピソードっていうね、
例え話みたいなものなんだけど、フィクションなんですけどもね、
これがまさにこのギフトの出だしにふさわしいし、
書きたいなというかね、このシーンを書いてみたいな。
ちょっとね、中身はね、まさにその出だしの話で書くんでね、
ちょっとここでお話しするわけにはいかないんだけどね、
いつかノートに上がるんで楽しみにしていただきたいんですが、
僕が前からこのショートフィルムというかね、
5分か10分くらいの撮りたい映画みたいなイメージがずっとあってね、
これがまさにこのグッドバイブスのギフトモードと全て力を
象徴するようなストーリーなんだけども、
この話、ある電車の中で巻き起こるストーリー、ショートストーリーなんだけどね、
これを一発目のドア玉に持ってくればいいじゃんっていう風にひらめいたんですよ。
で、これが確か先週か先々週なんでね、まさに2月の頭、
1月1日から書き始めようと思って40日ぐらい経ったところなんですよ。
これが僕はね、やっぱりひらめきアイデアに必要な時間だなと思っているんですね。
そしてこれさっき言ったその指先の器用さ、
それからその思いやバイブスを載せる、
これ全部ね、時間の制限のないところで生まれるんじゃないかなと私は思っているわけです。
で、残念なことにやっぱりこの高度成長期からね、
この最近で至るまでこのようなところで時間をかけるというのは非常に贅沢な話で、
まあ相当売れている作家とかね、会社とかだとなかなかもうほとんど無理ぐらいな感じね。
よっぽどお金が余ってて、
新規授業やってみ、1年好きにやっていいからみたいな、
それでもやっぱり許されないかなっていう感じだったと思うんですよね。
これをなんか僕らはね、そろそろこのやり方を取り戻してもいいんじゃないかな、
取り戻せるんじゃないかなっていう、
まあこれも私のね、楽観的な読みというか希望的観測なんですけどもね、
でもやっぱりこのもうAIや機械に立ち打ちできなくなったスピード効率がね、
これはいい話だと思いますね。
まあこれによって業界にもよる、職種にもよると思うんですけどね、
人があまり早く動かなくても良くなるみたいな、
そんな風な流れになっていってくれたらいいなと思うんですよね。
そうすると、まさにね、
あ、そっかそっかと、時間というのは生きている限り永遠に供給され続ける、
決して無くならないものなんだなっていうかね、
まさにこの地球上で生きている空気と同じようなものね、
酸素、まあ酸素ももしかしたらいつか無くなってしまうのかもしれませんけどね、
少なくとも僕らが生きている時代にはそれはまだ起こらないでしょうね。
そういう意味で時間というのはその後もずっとずっと流れ続けますからね。
地球が消えた後も時間というのは消えないでしょう、きっとね。
無くならないんですよね。
まあだからその中で僕らが生きている間っていうところを区切ってしまうと、