2025-01-25 36:13

#81 コミュニケーションを意識していくといい人になる?

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ある企業の人事トレーニング担当者からリーダーシップトレーニングについての依頼があった田中さん。その説明をしていたところ、先方から「コミュニケーションを意識するといい人になれるんですね」と言われたという話から。

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仕事でコミュニケーションを扱う 3 人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何か?を一緒に考えていくポッドキャストです。

出演者🎙️

田中 愼一 (Blog)

高木 恵子 (Facebook / LinkedIn)

中川 浩孝(twitter / Facebook / LinkedIn / note)

ご意見・ご感想、3 人に話してほしいトピック、3 人へのご質問などありましたら、以下のフォームからお送りください。https://forms.gle/ZGKtUCBn3m25Nr6J6

サマリー

ポッドキャストでは、コミュニケーションの重要性とその影響について、40年以上の経験を持つ専門家たちが議論しています。リーダーシップトレーニングとコミュニケーションの関係を探り、良い人になるためにはコミュニケーションを意識することが重要であると説かれています。このエピソードでは、コミュニケーションの重要性や、その力を利用して良い人や倫理観を持ったリーダーになることができるかについて考察されています。また、西洋とアジアにおける倫理観と教育の違いについても触れられています。コミュニケーションにおける戦いと共感の重要性が語られ、また日本の多国籍企業における日本人村の問題についても考察されています。さらに、コミュニケーションが倫理や人間形成に与える影響についても言及されています。

コミュニケーションの重要性
中川 浩孝
コミュニケーション力を究めるゴールデン・トライアングル。 仕事でコミュニケーションを扱う3人が、これまでの経験や最新の話題を語りながら、コミュニケーションとは何かを一緒に考えていくポッドキャストです。
田中 愼一
コミュニケーションを極めると、自分が見えてくる、世界が見えてくる。 コミュニケーションの世界に携わって40年以上、コミュニケーション命、シン・田中こと田中愼一です。よろしくお願いいたします。
高木 恵子
SEからPRコミュニケーション業界に転職して、はや四半世紀以上、高木恵子です。
中川 浩孝
外資系企業でマーケティングを経験してきたアメリカ在住、中川浩孝です。
田中 愼一
今日は新年の一部ということなんですけども、
昨日ちょっと面白い経験をしまして、それを皆さんにシェアして、コミュニケーションを意識していくといい人になる。
これが今日のテーマとして、皆さんの意見を聞きたいなというふうに思います。
田中 愼一
僕は冒頭で自分の挨拶の中で、コミュニケーションを極めると自分が見えてくるというのを、いつも唱えていくんですけども。
なんか今日これから話すことって、これにちょっと関係してて、自分が見えてくる。
やっぱり自分がどんどんどんどん見えてくると、どうも性格も良くなっていくみたいなのが、今日のお題でございます。
何が起こったかというと、あるグローバル企業の人事トレーニングの担当者の方からご連絡をいただいたと。
その担当者は、リーダーシップトレーニングってなるものっていうのはあるのかということで、
ご自分でいろいろ探されて、偶然うちのウェブなんかを見ながら入ってきて、
1時間ほどお時間いただいて話をしたんですね。
リーダーシップトレーニングのルーツは一体どこから始まったのか。
それはメディアトレーニングというところから始まっている。
つまりマスコミ対応のトレーニングというところから始まって、
それが2000年代に入ってから、一つのリーダーシップのコミュニケーションをトレーニングする、
一つの方法論として確立したものがあります。
日本でどれだけの企業がこのリーダーシップコミュニケーションを提供してるかっていう、
コンサルがしてるかっていうのは、定かではないですがほとんどないみたいですね。
だから基本的には、もしやってるとしたらうちの業界の人間でも、
うちの業界でもみなさん見てると日本ではメディアトレーニングが中心になってるんですね。
あくまでマスコミ対応のトレーニングということで、それ以上の枠を超えてない感じですね。
ただうちはかなり昔からリーダーシップというものはコミュニケーションが必要不可欠で、
そのコミュニケーション能力を上げることがリーダーシップ。
リーダーは人を動かしてなんぼの世界ですから、人を動かすための最強の武器がコミュニケーションですから、リーダーにとって。
だからそこをトレーニングするっていうのは、昔からずっとやってたんでね、日本のオペレーションはね。
そういうこともあっていろいろ説明したら、コミュニケーションっていうのはこうなんです。
一番重要なのは相手を知るっていうこと、相手を素直に理解するってことが一番重要ですね。
相手を素直に理解すると相手の気持ちもわかるから、それに合わせてこちらからどういうメッセージを相手に届ければ、
相手はこちらの思った形で、期待した形で動いてくれるかっていうのがだんだんできるようになってくるっていうような話をしたんですね。
重要なのは相手を知るっていうことを邪魔する最大の敵は自分なんだと。
だからコミュニケーションっていうのは一言で言うと、まずその自分が持っている偏見とか、相手に対する偏見とか好き嫌いとか、
それから思い込みとか、さまざまなものを削っていくプロセスに似てますよねって僕が言ったんですね。
だから自分のコミュニケーションをずっと意識していくと、自分をどんどん削っていく。
そうすると相手がよく見えてくる。素直に受け入れられてくる。
そうすると相手に何を今伝えればいいのかっていうのがわかってくる。
こんなプロセスですよって言ったら、その人が感激したような表現で、
何を言ったかというと、コミュニケーションを意識するといい人になれるんですねって言ったんですね。
僕も想定外のコメントだったんで、コミュニケーションを意識するといい人になっちゃうの?っていう、
ちょっと不思議なところで言葉が止まっちゃって、考えさせられちゃったんですね。
僕の答えは、いやそうなんですって言わざるを得なくて。
だからコミュニケーションをやってると、私も最近人が良くなってきたなと。
40年もコミュニケーションを極めるとなんて、冗談半分の話をしながら、
その一応説明終わってどうもありがとうございますと言われてですね。
今後これが商売につながるかどうかは知りませんけども、
少なくとも一時間、非常に面白いひと時を過ごさせていただいたかなということで感謝してるんですけども、
ぜひともこのメンバーで一度皆さんのご意見を聞きたいなと。
やっぱり私も冒頭で申し上げたように、40年以上にわたってコミュニケーションを極めてきたという自負があるなら、
コミュニケーションを意識するといい人になるんですねっていう、その一つのコメントで絶句したっていう。
40年以上もやってきながら、まだその境地かよとね、その悟りの境地に至ってないのかよっていう、
ちょっと反省の点もありましてですね、ちょっと議題に挙げさせていただいております。
いかがですか皆さん、昨日の方がおっしゃった言葉っていうのは、どう受け取られます?
中川 浩孝
田中さん自身がいつもコミュニケーションは単純にある意味ツールであって、良くも悪くも使えるっていうのはいつも、田中さんも言っているように私もまさにそうだと思うので、
必ずしもいい人、いい人にもちろん、もともといい人なら多分そういうふうに取ると思うんですけど、
なんか理解しちゃうとこれをうまく利用してやろうっていう人も出てくるだろうなっていうのは思いますよね。
田中 愼一
ありますよね。じゃあ何がいい人になるんですかね。
両方ともコミュニケーションを使うっていうのはツールだから一種の。
だからそれを使っていろいろなことを相手に期待するっていう、相手を動かしていくっていうことになるんだけど、その時にいい人になるってどういうことなんですかね。
高木 恵子
多分今回このリーダーシップトレーニングっていう位置づけの時にコミュニケーションを武器に使おうっていう、多分組み立て方だと思うんですよね。
その場合はだからやっぱり、もちろんリーダーシップ、リーダーであるべき人は当然、基本いい人じゃないときっと人ってついていかない。
田中 愼一
まさにその方は性善説、その性善説なんですよ。
いい人じゃないと人はついてこれないっていう一つの仮定、一つの仮説ですよね、性善説。
それが本当に仮説として成り立つのか、真理として成り立つのかっていうところはちょっと面白い議論のポイントかもしれないですね。
中川 浩孝
確かにね。
高木 恵子
だから基本的にまだ日本の場合、ちょっと海外はトランプさんみたいなリーダーとかいらっしゃるからなんとも言えないけれども、日本の場合はやっぱりそのリーダーであるべき人は基本はやっぱりいい人っていう。
田中 愼一
そういう考え方がありますよね。
高木 恵子
そうそう、いい人っていう定義は若干人によって違うかもしれないけど、やっぱりリーダーに立つ人っていい人なんだっていうのが基本にあるから、
そのリーダーシップトレーニングをするときに、コミュニケーションって重要だっていうのはわかるから、そこから裏返すと、じゃあコミュニケーションがうまくなればやっぱりいい人になる。
リーダーとコミュニケーションといい人みたいな三角関係が結ばれるんじゃないですかね。
田中 愼一
ただそれはあくまで、人はいい人についていくっていう、あくまで仮説でしかなくて、
倫理観とコミュニケーション
田中 愼一
これ真理というか、これ真理なのかなって見たときに、日本の社会の中ではある程度真理なのかもしれないけど、
昨日話した方の視点には、一つの前提があって、日本人はグローバルにこれから出ていくとボロボロにされるっていう。
そういう弱さっていうんですか、日本人のリーダーが持っている。
どうもそこぐらいになってグローバルっていう世界が入ってくると、これはますます方弁論というか、ツール化。
つまりコミュニケーションをツールとして見る考え方のほうが強くなってしまうっていうのはあるのかな。
だからもしかしたらグローバルにおいては逆にそれは、いわゆる真理ではない。必ずしもない。
もちろんいい人に人はついていくっていうのは、グローバルでも言えるところもあるけど、一方ではその逆も当然ながらあって、悪いことで利用するって。
実際の事象を見てると、悪いことに利用してるやつたくさんいますよね。
だからそうなったときに、例えば日本のリーダーの人たち、これからグローバルで戦っていかなきゃいけないリーダーの人たちに、
どういうコミュニケーションを教えるのかっていうのは、結構重要なポイントだなと。
別に我々は悪人製造機械じゃないんでね。
コミュニケーションを武器に好き放題の悪いことをやれっていうことを教えるつもりは全然ないんで。
やっぱりいい人になってほしいわけですよ。
そうするとトレーニングの過程で、いい人になれっていう要素を入れていくって結構重要なのかなっていう。
高木 恵子
いい人っていうか、私たちの場合って、やっぱり伝えたいメッセージとか伝えたいものがあるわけですよね。
会社や、もちろん企業、いろいろ伝えたい、それをメッセージというのか伝えたい、いろんな会社の思いとかっていうのがあるわけで、
やっぱりそれを理解してもらうのに一番、やっぱり今でいうシンパシーじゃないけど、
やっぱり共感してもらうってことが一番、特に今の人たちの中では入りやすいわけじゃないですか。
共感するようなコミュニケーションを取るっていうふうに今考えると、
結局、特に日本の場合はいい人っていう入り方で共感を生むっていうのをやっていくと、
田中 愼一
まあ確かに、そうですね。ただその共感を悪く使うやつもいるわけですよ。
いわゆる一部の宗教とかね、昔、今でもある例とか、共感っていうのを使って人を動かしちゃうから、
これもやっぱり共感っていうのもツールになっちゃうんですよね。
そうすると、例えばうちの業界っていうのはPR業界っていう業界なんだけど、
PR業界でやっぱり結構唱えられるのがエシック。
倫理観っていうものを培えっていうのは、たまに効く話なんですよ。
だからそうすると、じゃあ倫理観を育てることがね、逆に言うとリーダーシップにとっては、
実は一番まずは寛容なことで、倫理観を培えたら基本的にはそのツールを使う。
コミュニケーションっていうツールを使ったときに、ある程度そこに自制が効く。
っていうふうに理解するのか、でもトレーニングで倫理観を教えるって難しいですよね。
高木 恵子
そうですね、そこはね。
田中 愼一
だから結局今僕がやってることを見ると、コミュニケーションを武器化することを教えてるんだけど、
倫理観を育てるという要素っていうのが、唯一あるとしたら、僕がトレーニングをやるときに、
少しだけなんですけども、コミュニケーションの力って何?っていうことを説明するときに、
武力・財力・権力、さらにコミュニケーション力っていう四つの力を説明する中で、
基本的には武力・財力・権力に比べると、コミュニケーション力ってのは反作用がないんで、行使したときに。
基本的には相手が納得・共感して動いてくれる力なんで。
だから反作用は少ないんですよ、武力・財力・権力は。
人類が基本的には人を動かすために使ってきた力としては、コミュニケーション力ってのが一番使われてるし、反作用も少ない。
納得と共感があるから素晴らしいと言うんだけど、そこで素晴らしいんだけどっていうのを一言加えて、
でも一方で使う人間によっては悪にもなるよっていう、そこでいじめの現象の分析をするんですね。
いじめっていうのはあれまさにコミュニケーション力を行使してるんです。
でも基本的には相手に何らかのメッセージを伝えて、
基本的には相手が自らの命を断つっていうことをですね、誘導してるわけです。
あれは悪ですよ、完全に。
だから怖いもんなんだっていうのを、唯一そこの部分だけで言ってるんだけど、多分それだけじゃ、
昨日の話を聞いた後ですね、もっとしっかりした倫理観っていうものをリーダーシップトレーニングの中で設けないと、
なかなかこれはなるほど難しいのかなっていうのはちょっと反省したというか、なんかそんな感じなんですけど。どうなんですかね。
倫理観とビジネス
中川 浩孝
なんかでも今のお話を聞いてて思ったことは、
良い人とか倫理観とかって、もちろんその人を好きになれるかとか、その人について行きたいかっていうことを規定するときに大切な一つの指標だと思うんですけれど、
企業のトップっていうことをマネジメントっていう視点で考えたときに、その会社がやっぱりちゃんと伸びていくかとかっていうことを考えたときに、
それが本当にその会社にとっていいのかとか、その会社のビジネスにとってはいいのかっていう部分はあると思うんですよね。
だから多分力強さっていうのもすごく大切だと思うんですよね。それこそアメリカのじゃあね、今度大統領になるあの人は良い人なのかって言ったら、ん?ん?ってはてながらつくわけじゃないですか。
でも間違いなく何かパワフルなものを感じるわけですよ。人によっては。だからそれ必ずしも良い人とか倫理観があるっていうことと、
この人はやっぱり良い方向に何か連れてってくれるんじゃないかっていうその力強さであったりとか、なんかそういう部分を考えたときに、
本当に日本のリーダーはこれから今までの倫理観みたいなものだけでやっていいのかっていうのは私はすごい思うんです。
っていうのは、やっぱりアメリカの会社で働いている私の立場から考えると、日本の会社の人たちってやっぱりすごく法律遵守とか、もちろんその法律遵守は大切なんですけれども、
でもやっぱりその次の何か新しいことをやるためには、法律すれすれのことをやらなくちゃいけない時もあるわけですよね。良くするために。
そこってやっぱり日本の人たちはすごく自分で自分のここのこれやっちゃダメ、あれはやっちゃダメっていうすごい制限を自分でかけてしまって、それによって新しいビジネスがやっぱり起こせないっていう部分があると思うんですよね。
そういうところってやっぱり外圧使ったりすると思うんですけど、もしそれでいい人であったりとか、すごく倫理観っていうところだけを追求していくと、会社としては成長するのかなって私はちょっと思ってしまったりするんですよね。
教育における倫理観の比較
田中 愼一
でもそれ逆の見方もあって、やっぱり今、稼ぐだけじゃ企業評価されなくなってきて、つまり貢献っていうことが評価されるようになると、
ある意味、エシックが全てとは言いませんけども、倫理観を持った企業じゃないと生存できないっていうのは、
だからそういう意味ではエシックっていうのはやっぱりある程度一つの要素としてやるんだろうなっていうことと、
あともう一つは、実際過去を振り返ったときにアジアの教育と西洋の教育っていう中を比べていくと、
西洋の場合はやっぱりギリシャでしょうね。ギリシャの中で倫理観とかそういうものをどう取り上げていくかというと、
かなりギリシャの中では取り上げてるような印象があるんですけども、
アジアでも基本的には、いわゆる人徳の徳ですよね。
例えば中国のリーダーシップ論の中では、少数の徳人、徳を持った人だけが社会をしっかりと支配すればいいというような概念があるじゃないですか。
だから徳を持って人を引っ張っていくっていう概念がアジア的にはあるし、
たぶんギリシャの時代においても、キリスト教の出てくる前の時代においては、
結構倫理観というものがリーダーにとって、少なくとも市民にとっては必要な能力。
ポリスの市民にとっては。となってたような記憶があるんで。
決して今になったから倫理観っていう話じゃなくて、昔からそういう発想はあるんでしょうね。
だからそれがいろいろな形で、今はリーダーシップトレーニングっていうふうに言ってもそれが何なのかって定義されてないからあんまりわかんないけども、
いろいろな要素が混ざってる感じはあるとは思いますけどね。
ただ、変な話やってるとよく思うんですけど、
僕のトレーニングをずっとやってると、とにかく反省点としてはコミュニケーションを武器化する。
コミュニケーションの進化
田中 愼一
なぜかというと、僕の場合、開口一番に言うんですよ。
コミュニケーションは戦いだ!って言ってる。
これちょっとミスリーディングなとこがあると思ってて、
そのためにコミュニケーションっていうのを徹底的に使うための方法論を中心に教えちゃうんですね。
その方法論を教わった後、受けた人たちはもう二つの道しかなくて、
善人の道と悪人の道。
少なくとも70%は善人の道を歩んでほしいなとは思うけど、
多分、何人かは悪の道に走っちゃうって人も出てくるね。
中川 浩孝
ダークサイドにね。
田中 愼一
え、これ面白いなって。
だって正直言って詐欺じゃんって、みんなこのコミュニケーションの近くにいるから。
中川 浩孝
そうなんですよね。そこが上手いですもんね。
高木 恵子
そう、上手い。そうそうそうそう。
田中 愼一
だってあのね、オレオレ詐欺じゃなくても、あの電話構成の巧妙さ。
しかもこれからAIっていう、非現実を現実に見せる技がどんどん増えていく中で、
あの巧妙なあれはですね、下手すとそっちで学校を開いたほうが儲かるかもしれないですね。
中川 浩孝
本当ですよね。
田中 愼一
いやーだから、ずいぶん自分のやってきたことが本当に正しいのかどうかってのは、少し揺らいでるってこんな感じですね。
中川 浩孝
まあでもおっしゃる通り、どちらに使うかはその人の結局ね、こう委ねられてますから難しい。
それ以上の倫理観というのはやっぱり別のところで、なんかこう身につけるしかないですよね。
田中 愼一
まあそうでしょうね。多分あのサステナビリティっていう言葉が流行ってるけども、
やっぱり存続し続け、成長し続けるっていうことっていうのは、やっぱり人間の本能的な部分で絶対の善なんですよね。
だからそこが真理であって、じゃあ生き延びるためにはどうするかって言ったときに、
倫理観すれすれのことを行ったり、まあいろいろやるんだけども、
でもいずれ結果はね、中長期的に見ると、やっぱり生存するためにふさわしくないような行為を取った場合は、
基本的にはなくなっていくっていうか、生存はできないっていう、そういう原理原則を働いているような気がしますけどね。
中川 浩孝
私が言ったさっきのスタートアップの倫理観のすれすれっていうのは、悪いことをするっていう意味では全然なくて、
今ある法律であるとか、そういうものを必ずしも守るっていうことが意味がないことかも、
ずいぶん昔に決まった、例えばその法律とかに対して、
やっぱり今の状況を鑑みてこう変えたほうがいいんじゃないのかっていうところも含めて考えていると思うので、
必ずしも倫理観、倫理観という意味で、倫理観と法律、すれすれって言い方をすると聞こえちゃうんですけど、
今の法律自体がやっぱりちょっとおかしいんじゃないのかっていうふうに、
そこに問いかけていくっていうこととはまたちょっと別なのかなっていうふうに思いますね。
田中 愼一
まあそうですね、あとね、実際コミュニケーションをずっと長年やってると見えてくるのが、
あの、したたかさって何?っていう。
で、まさに今ね、ヒロさんが言ったその考えっていうのは、したたかに動くっていうのにちょっと近い。
中川 浩孝
そうですね。
田中 愼一
いろいろな規制がある中で、そこをどうひたたかに動いていくのかっていう。
中川 浩孝
で、その先にはその人にとっては崇高な何かやりたい、すごくやりたいことがあって、
世界を良くするために、ここはちょっと変えたほうがいいんじゃないかっていうことがあったりするっていうことですよね。
田中 愼一
その最大の崇高な本質だってのは、さっきから言ってる生存なんだと思うんですね。
やっぱり生存するっていうことが絶対必要で、あの生き物は。
で、その生存するために、したたかにどうするのかっていう要素があって。
だからコミュニケーションっていうのは、前ちょっと三段論法じゃないな、三段解説っていうのかな。
コミュニケーションはまずどこからスタートするかっていうと、お友達、みんなと仲良くなってから始まって、
で、それから徐々に次の段階は、コミュニケーションは生き残るための戦いだっていうところに入る。
そうするとね、次が基本的にはですね、コミュニケーションは共感だっていう。
つまり戦いから共感にシフトするんですよ。
で、共感をずっとやっていくとですね、どうしてもぶち当たってくる世界が次の世界で、このしたたかさって何?っていう話が来るんですね。
で、これ何回か学生が教えてたときに直面したことなんだけど、
コミュニケーションはしたたかっていう言葉と相反するっていう話になって、
それは騙し合いじゃないですかとか、したたかっていう言葉は適切ではないっていうような議論がたまに出てくる。
多数じゃないですよ、たまに。
でもコミュニケーションを極めていくと、まずはじめに仲良くする。でも違うんだ、戦いなんだ。
いやいや戦いだけでは終わらない、共感なんだ。
で、だんだん上がっていくと、次にしたたかっていうのがボーンと入ってきちゃうんですね。
そうすると、したたかっていうのは一体どういうことなんだっていう。
そのしたたかさって何?って言うんで、今僕が使ってる教材としては水。
つまり中国の古典で老子っていうのがあるんですが、老子の中でしたたかさの究極なものは何か。
それを象徴してるのが水であるっていうわけですよ。
その水っていうのは、あらゆる形に自分を合わせる。
つまり、さっき言った相手を知るときに自分をなくせるわけですよ。
だからあらゆる相手に合わせて自分を形を変えさせる。
それから二つ目、いざとなったらとてつもない岩を砕くパワーを出す。
三つ目、なくてはならない存在。
これはしたたかだろうが何だろうがいいんですよ。
なくてはならない存在になるっていうことが、ある意味で言うとコミュニケーションの究極、
つまり生き抜くためのコミュニケーションはパワーなんだから、
生き抜くためには、周りからなくてはならない存在って見られることが、
基本的には生存する一番のね。
それはしたたかなんです。
このしたたかっていうのが今の段階では、お友達、戦い、共感、したたかさって四段解説かな。
今使っている四段解説で使ってる教材っていうのが孫子なんですよ。
孫子っていうのはその発想がものすごく強いところで、
ある意味単なる共感で止まってなくて、共感の上のしたたかさまで入ってるんですね。
だからもしかしたらその上にもう一つあるのかもしれないけど、
あと60年ぐらいコミュニケーション追求してたら、そこの世界が見えてくるのかもしれないけど、
まあ僕の限界はその四段解説までですかね。
なんかね、分かんないけど、昨日の会話っていうのはいろいろなものを考えさせられましてですね。
今日朝起きたら、これもうみんなの意見聞かないとやばいなって。
昨日ちょっとね、夕方あたり、けいこさんにちょっとその話をチラッとして、あそこあたりからずっと考えてるんですよ。
すいません、なんかそんなことで。
中川 浩孝
その会社にとってはでもあれなんですかね、そのいい人になることはいいと思っているのか、
あるいはそういう、今はもうみんないい人だから違ういらないやって思ってるのか。
田中 愼一
個別的な能力は優れてると英語もできるし、その他もろもろはできてるんだけど、
やっぱり丸め込まれる。グローバルはね。
中川 浩孝
なるほど。
田中 愼一
これはね、僕も長年外資に勤めてるから、そういう丸め込まれそうなシーンってのはもうたくさんあって、
そのときにどう生き抜いてきたかっていうのは、いろいろそれなりにあるけども、
丸め込まれるっていうことで言うと、しかも我々ハンディがあって、英語でしょ?
日本語だったら負けないんだけど、英語だとやっぱりかなり考えていかないと丸め込まれる。
だから逆に言うと、ヒロさんなんかさ、毎日そういう中で生きてるわけじゃん?
しかもヒロさん帰国子女ですか?
中川 浩孝
いや、私は違いますよ。
田中 愼一
じゃないでしょ?帰国子女でもいろいろランキングがあるんだけど、
小学生だけの帰国子女と、高校まで行った帰国子女と、大学まで行った帰国子女、もうレベル違う。英語のレベルが。考え方のレベルも違うわけ。
僕は一番古代に生きた、小学校の時の帰国子女なんで、ある意味言ったら中途半端なんですけどね。
でもそうじゃまるっきりないね。ヒロさんみたいな人が、アメリカの中で切ったハッタやってるっていうのは、
そこにすごい、これからの日本のリーダーにとって役に立つノウハウが隠されてる。
中川 浩孝
確かにノウハウはたくさんあるでしょうね。
コミュニケーションの戦いと共感
中川 浩孝
私は本当にね、最初から外資系とか日本の会社で働いたことがなくて、いきなりアメリカの会社で働いて、
もちろん周りは日本人という環境ではありますけれど、やっぱりそこで訓練されたんでしょうね、いろいろ。
田中 愼一
たぶんね、間違いなく。だからそこがね、なかなかにして、例えば、
僕なんかもホンダだったんだけども、会社にいた時っていうのは、海外で鍛えられたってことがあるんだけど、
日本の企業、多国籍企業たくさんいますから、実は海外経験を持つっていうのは、かなりの人材が持ってるんですよ、日本人が。
でも、日本の海外と多国籍企業の一つの欠点っていうのはですね、日本人村なんですよ、どこ行っても。
だから下手すと何百人って、工場なんか下手すと何百人って技術者が行くわけですよ、日本人が。
で、ずっと長年、10年、15年ってみんないるわけですよ、中に。でも結局日本村の中で生きてるんですね。
そうするとね、これ外資系は、外資系というかグローバル系はそうでもないんで、そういう環境ってあんまりないんだけども、
韓国とか中国はもしかしたらそういうのあるのかもしれないけども、アジア系はね、基本的には日本はですね、
長年向こうにいるけど、結局日本村みたいなところの中でやってるから。
中川 浩孝
固まりがちですよね。
田中 愼一
だから僕なんかアメリカにいたときっていうのは、幸いにして日本人がいないとこにずっといたんですよ。
自分一人と、あとみんなアメリカ人。
だからその中で仕事をやってきたっていうのは幸いして、7年間やってきたけども、
なんとか丸めこまれずにやっていくって言いましたけど、
ロスにいた連中、僕はデトロイトとかワシントンだったから、
ロスにいた連中ってのはもう日本人ぐらいになっちゃってるわけですよ。
ましてやロスにいると本社なんでね、アメリカの。
そうするとですね、やっぱり日本人は特別扱いされちゃう。
だからアメリカ人が気を使ってくれるわけですよ。
僕みたいに周りがアメリカ人ってのはもう気も使わないですからね。
とにかくバシバシやってくるから、下手に英語ができるとますますバシバシやってくるから。
だからそういう環境だったからなんとか僕は幸いしたんですけども、
他の日本企業のそういう人たちって結構日本ムラが強いから、なかなか育たないんですよね、そういうノウハウってのはね。
中川 浩孝
まあでも丸め込まれちゃってるっていうことはやっぱり今の段階ではその会社では戦いの部分が必要なんでしょうね、きっと。
大人と倫理観の形成
田中 愼一
まあそうでしょうね。まずは戦いから入らないと。
だから僕自身もコミュニケーションって言ったらもう戦いだと思ってるんで、初めから。
だから戦いから入って、初めてレベルアップして共感っていうものが使えるようになって。
で、共感を学んでいくとその共感っていうのは、
性善説なんだけども、いいものというふうに見るんじゃなくて、
その共感という得た武器をどういう形でしたたかに使っていくのかっていう、第4段階の説ですね。
ここあたりがやっぱり今の僕の中心になってるから、
そのしたたかの上を行けるっていうのは唯一ね、たぶんね、宗教だと思いますね。
たぶん。
したたかさを超えると、後光が指していくんじゃないですか。
だからもしかしたら仏教に興味があるのかもしれないですね。
何かを求めてるんですよ。
中川 浩孝
何かを求めている、なるほどね。
まあでもなんかコミュニケーションとその倫理とか、
そういう部分との最終的な融合というか、したところがその辺なのかもしれませんね、だからね、やっぱり。
田中 愼一
まああるかもしれませんね。
逆に言うと、例えばキリスト教の布教の歴史を見ていくと、上から下に降りてきてるような感じなんですよね。
今僕は、仲良くする、戦いだ、共感、したたか、さらにその上の理想的なね。
それに対してキリスト教の歴史、布教の歴史、プロパギャンダって言われてますけど、
あれはまず始めに崇高な光があって、その下にしたたかにコミュニケーションという力を使って、
新約聖書みたいな、世界で初めてのPR書と言われているものを作り、
その次に共感をうまく成長させながら、実は戦いっていうことで他の宗教をどんどんぶっ潰していって、
それで最後、お友達ですみなさんっていう形で入っていくっていうのと共通するような感じがしますけどね。
いずれにしても上から来るか、下から登っていくか。わけのわからない話になってきましたね。
高木 恵子
なんかでも大人、会社企業にいる人たちってもうある程度大人だから、人間形成はやっぱりできちゃってるじゃないですか。
だからそこでのコミュニケーションのトレーニングって、その人に合わせてコミュニケーションのトレーニングをするんだと思うんですよね。
子供の頃だったら、そのコミュニケーションで、もしかしたら人格って、作るところのプロセスに影響を与えられると思うんだけど、大人になってからだと、
多分そこはやっぱり難しいから、あくまでもツールなんじゃないのかなって思いますけどね。
田中 愼一
そうだと思います。ある程度大人だから倫理観は育っているはずなんで。
高木 恵子
良くも悪くも、その人のもありますよね。
中川 浩孝
その人の倫理観だからそれはね。
高木 恵子
だからそこをやっぱりある程度ひっくり返すのは、本当だから仏教なのか、なんかいろいろもっと強制的になんか、
例えば会社がこのAという倫理観に皆さんうちの会社しますぐらいにやらないと揃わないと思うんですよね。
でもまあそれはさすがにできないと思うから。
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