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2023-02-19 09:26

#510 怒りスイッチ

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怒りスイッチ、アップデートのお知らせ。尊厳を軽視することは断固許さんぞの精神で臨む。


▼上水優輝

https://note.com/y_uemizu/

▼Twitter @y_uemizu

https://twitter.com/y_uemizu

00:00
みなさん、こんばんは。上水優輝でございます。
サイコパスのラジオ、ぜひ最後までお付き合いください。
今日は、怒りスイッチという話をしたいと思っています。
最近、珍しく怒ったんですよね。
僕、あまり怒らないんですけど、結構怒ったんですね。
怒ったのは普通に、コラッ!みたいなのではなくて、
フツフツと胸クソ悪いじゃないですけども、
本当に怒ると人って震えるんだなっていう感じで、
怒りで震えるみたいなやつですね。
もう、ずいぶん久しぶりに経験しました。
自分の怒りスイッチみたいなものを、これまでは、
自分の大事な人たち、身近な人たちがバカにされるとか、
理不尽な目にあっている、みたいな時に怒る、みたいなのが
自分の怒りスイッチだと思い込んでいたんですが、
今回、自分のことで怒ってみて、少しそれを統合する形で、
また最新版の、自分にとっての怒りスイッチみたいなのが、
こうかな、というのが自己理解できたので、
今日はその話をしたいと思っています。
具体例としては、タイムリーナーというか、
自分の今の生活の中で起こっていることなので、
あまり言うと周囲の方に迷惑がかかるので言いませんけれども、
尊厳を軽視された、踏みにじられた、というふうに僕は感じたことについて
怒ったという感じですね。
尊厳を軽視されるとか踏みにじられるというと、
ちょっと壮大で、抽象的で、分かりづらい、イメージしづらいと思うので、
具体的に言うと、その中の一つとして、
自己決定する権利みたいなものですね。
自分が個人として何かを決めるということ。
個人としてですよ、何かを決めるということ。
それを何か邪魔されるということに対して、
邪魔される、邪魔まではされていないけれども、
それに対して異議申し立てではないが、
言われるということは、とても不愉快であるということですよね。
自己決定する権利が僕にはあるから、
自分の決定に対して何か言われる筋合いはないという感じですかね。
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ここでいう意思決定みたいなものは、全てを指しているわけではないんですよ。
何が言いたいかというと、社会的な役割の中での意思決定ってありますよね。
機能を持っている、そして機能を責任として受け負っている人間の意思決定。
例えば総理大臣が何か意思決定するとか、会社の上司が意思決定するとか、
社長が意思決定するとかっていう意思決定には、機能と責任がありますよね。
責任と権限がありますよね。
そこで起こっている意思決定は、機能を果たさなければならないから、
機能を果たせていないということで批判されたりとか、
馬鹿にされたりすることはあっても仕方がない。
機能を受け負っている人間が機能を果たせていないんだから、
ダメだねという評価を受けることは良いと思うんですけれども、
僕がここで尊厳と言っているのは、
そういう役割を無視したところでの個人という存在が何かを決めることに対しての
批判とか馬鹿にするとか、いちゃもんをつけるというのは、
これは尊厳の啓示であるというふうに僕は思うんですね。
具体例で言うと、例えば僕がこれからハーバード大学を受験しようと思ったとすると、
それは僕の意思決定だから、それをどうのこうのという数字合いは誰にもないわけですよね。
僕がハーバード大学を受けたいと思ったら、それは僕が決めていることだからいいじゃん。
そこで落ちるかもしれないし、受験さえできないかもしれないし、
でも僕がそうしたいんだからいいじゃんという感じですね。
とか、僕がどう考えても社用産業で行ってもどうしようもないよという業界に転職をするとか、
それも僕がそうしたいと思ってそうするんだからいいじゃんと思うんですよ。
周りがとにかく言うことじゃないと。
誰と結婚するとか誰と付き合うとかも自分で決める権利があると思ってるんですね。
そういうのに、決める過程で何かアドバイスをするとか、心配をして声をかけるとかっていうのは、
境目が難しいのでそういうのまでは否定はしないけれども、
決めたっていうことに対して何かを言うってことは、やはりその相手の尊厳みたいなものを軽視している。
とか、自分で決める力のない人間と見成しているとか、そのような存在であると見成されているというふうに僕は思うので、
尊厳の軽視というのはちょっといかがなものかなと思っていますという感じですね。
それで言うと、僕自身の尊厳が軽視されたなとか踏み入れられたなということに対してもすごく起こることがわかったし、
もちろん身近な人の、最初に言った馬鹿にされているとか理不尽な目に遭っているみたいなことっていうのは、
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言い換えると大事な人たちの尊厳が軽視されているみたいなものに対してすごく勢いを感じる。
もっと言うと、もうちょっと遠い人たちでも尊厳が軽視されているなみたいなことはないし、
僕はすごく勢いを感じますね。
やっぱり機能を持っている人間には、機能を持っている部分においては、
そこに責任がありますからその機能を果たす。そこで何か意思決定が発生する。
であればその責任を負わなければいけないし、批判みたいなものを万事で受け入れなければならないと思うけれども、
そんなものを取っ払った存在としての個人の意思決定というのは批判すべきではない。
思っていてもいいけれども、どうじゃいこうじゃい、その本人に対して一言つけるべきではないというのが僕の考えですね。
なので、今回自分の怒りスイッチみたいなものを改めて理解したというか、
自己理解を深めた出来事だったんですけれども、
僕もこうやって表で喋っていますから、批判的なというかマイナスのコメントとかをいただくこともたまにあったりしますし、
今後いろんなメディアに出れば出るほどそういうのも増えてくる可能性はあるんですが、
マイナスのことはそう思っているんだぐらいでいいんですけれども、
尊厳を軽視されると断固許すまじという気持ちですね。
ちょっとそのように言うと物騒に感じるかもしれませんけれども、
そもそも尊厳を軽視されたい人はみんないないと思うし、
そもそもこの社会の立ちつけ上を尊厳大事ですよねということは謳われているわけですから、
僕は個人的に極端に言っているわけではなくて、
そういうことで合意してこの社会を一応運営していますよねという前提を改めて確認した次第ですし、
それを踏みにじられるというのはゲームルール自体が変わってしまうので、
そもそもそれってもうこの社会機能しなくなるじゃんと思うから、
そういった意味でもただ個人的にムカつくという話ではなくて、
この社会を壊すなよという気持ちがすごくあるという感じです。
建設的な批判とかマイナスな発言とネガティブな発言は僕は全然いいなと思うし、
どんどんそういうのが言えなくなる社会とか関係というのがやばいと思っているんですけれども、
ただそのときに尊厳を軽視するということはあってはならないというふうに同時に思いますので、
その高めがつかない人というのは確かにもうちょっと考えた方がいいんじゃないかなと思うんですけれども、
しっかり考えて、これがある機能に対して責任に対して言っているのか、
その存在を否定しているのかみたいなことは理解した上でやらないととても危険だと思うし、
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危険であるばかりか、断固許すましという感じですね。
本日は以上です。またお会いしましょう。さようなら。
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