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お疲れ様でございます、黙れヤドロクでございます。
お元気ですか?
まあね、毎日聞かれてどう?
もうなんか、うっ、ぎゅっとならへん?
それやってええねんけど、
本日、何のお話ししようかない?っていろいろ考えてたんですね。
考えてたら、この時間になってしまったわけで、
この時間って言われてもわからへんやろけどね。
まあ、多少時間かかったというようなことなんでございますけど、
ふと思い出したことがあります。
幼少の頃のお話でございます。
3つか4つやと思うんですよね。
記憶が曖昧やということは、
2つ、3つ、4つぐらいの話やと思うんですね。
4つぐらいになってきますと、結構残ってるんでね。
3つぐらいやと思うんですけどね。
今もあります、大阪市はイクノ区というところに、
今里筋という筋があるんですね。
南北に通ってる筋です。
その沿いにですね、レンガ・・・、
外階段で2階に上がるような建物、
ビルみたいなものですけど、小さいビルですけど、
スナックがありましてね。
本当に幼少の頃、一度だけ父親に連れて行かれまして、
夕方やったかお昼やったかの、そこも曖昧なんですけど、
夜ではなかったんですよ。
そのスナックに顔を出したことがあるというんですか、
連れて行ってもらったことがあるというんですかね。
特にお酒飲むわけじゃないですよ、実際ですからね。
何にも考えてなくて、ただただ思い出としてあったんです。
そこにおった女の方と父親がやり取りしてるという記憶は、
なんとなくあるんです。
年取ってきますとね、
自分も父親が昔おったあたり、
自分が住んでたあたりのほうに仕事で行くことがありまして、
もちろん父親の思いまでは、
僕は縁起ってしまってますけども、
縁起ってるから喋ったらいいっていうのもあるんですけどね。
そういう家族もあるやんか言ってね。
特に憎んでるとかそういうことではないんですよ。
一緒におったらろくなことないというだけのことでね。
深掘りしなんだ。
それはまた別の機会に話しますけども。
その父親に連れて行かれた店の女性が、
多分当時父親が母親以外に手をつけてた女性というんですか、
ことは悪いですけどね、
付き合ってた女性というんですか、のお店だったと思うんです。
もちろんその女性の方のマンションが、家からどうでしょうね。
子供の足で言うたらちょっとあれですけど、
何百メーターか離れたところにマンションがあったような記憶があるんですよ。
そこにも一度預けられてることがあるんですよ。
何時間かですけど、子供の頃にね。
全然それまでも見たことないような知らんお姉さんに、
何時間か相手されてた記憶があるんですよね。
後々考えますとあれば、
どうも囲ってた女性やというようなことやと思うんです。
大人になってからわかったんですけどね。
それは父親の古い知り合いからいろんな話が入ってきますから。
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いまだと筋沿いのスナックっていうところ、
2階の外階段があるようなスナックなんですが、
まだ僕が生まれる前、結婚もする前ですね、
父親が若き日にそこで大乱闘を起こしたお店なんですよね。
詳細に関してはまた個人的に聞きたい人がおったらお話しますけど、
ちょっとグロテスクな部分もありますのでね。
ここでは割愛させてもらいますけど、
そこで暴力事件があったという。
若い時、もう何十年も前ですよ。
今からで言いますと、だからもう50年ほど前の話ですからね。
事故も事故だと思いますし。
なんですけど、そこのお店に行ってたというところで、
一番最初に父親の逸話として聞いた話で言うんですかね。
その喧嘩ですわ。
野宮でのような話ですが、
野宮の喧嘩で隣に住んでたマンちゃんという父親の幼馴染らしいんですけど、
九州から一緒に出てきて隣に住んでたらしいんですけど、
そのマンちゃんという方が顔面を二本刀で切られたという。
まあちょっとグロテスクやもんな。
そのマンちゃんというオッちゃんの顔がものすごく怖かった記憶に残ってるんですよ。
お隣のオッちゃんが顔に縦に傷があるんですよ。
わかります?
ドキッとしたやろ。
僕も今息を呑んだわ。
口の真ん中からちょっと左になるのかな。
相手から見たら右のところの唇のちょうど真ん中ぐらいのところに、
鼻のあたりから縦にバッと切り傷があったんですよ。
ものすごい怖かったんですよ。
顔がね、どんな人やったか覚えてないんですよ、小さくて。
どうもその顔の傷っていうのは顔怖いオッちゃんで、
引っ越されたんで、
その後すごい優しい家族が引っ越してきて、
四人姉妹やったかのお姉ちゃんがおるご家族で、
すごいそのお姉ちゃんに可愛がってもらったんで、
記憶はうっすらしかないんですけど、
そのマンちゃんというオッちゃんの顔面が超度胸に怖かったイメージしか、
残ってないんですよね。
そのマンちゃんの顔の傷いうのは覚えてたんですけど、
その顔の傷はその時の喧嘩が原因で、
できたもんやというようなことを、
今ふとトイレ行った時思い出しまして。
どないやねん。
当時ですからね。
戦後からはだいぶ経っておりますけども、
大阪市はいくのくというとね、
まあまあ皆さんご存知の方はご存知。
半分違い方言みたいなとこですからね。
まあいろんなことあったやろうと思うんですが、
若き日の喧嘩というのはね、
時代もあるんでしょうね。
あと流行ってる映画ですか。
考えますと僕が生まれたのが昭和49年ですから、
そのちょっと前って言ったら、
もうそれは仁義なき戦いとかね、
あの辺のもう東映のもう、
いわゆるあちらの映画っていうのがもう大ブームでね、
映画館出たらみんな肩で風切って出てくるような、
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そういう時代というようなことでございますから、
ふと喧嘩になっても刃物が出てくると言われたらね、
まあ出てくるんかいなと思いますけども、
それで顔を切られた人がおると、
うちの父親っていうのは、
右手左手の拳のところに傷があるんですけど、
この傷はその時に全部破れたやつやと、
いうような話を後から聞きましてね、
頭おかしいなあ思ってね。
だからそういう父親ですから、
まあ一緒にはついとおられへんやろうなとは思うんですけども、
まあ暴力的なと言うんですかね。
特に僕も子供の頃なんていうのは、
怒られますとね、
正座後3時間とか4時間とかさせられるんですよ。
もう立てないんですよ。
今は飽きませんわな。
ほんまに大罰と言うんですか。
昔は当たり前です。
僕らの頃ぐらいまでですね。
この後になってきますとやっぱり、
うち弟の世代の弟なんかっていうのは、
体が線が細かったもんやから、
一つも叩かれよらへんのですよね。
悪いことしてもね。
僕らんかちらも、
大人ひまんじでしょ、その当時から。
なんかあったらもう、
どつかれてね。
手でどついたら手痛いでしょ。
しまいには、
木のハンガーになって。
その木のハンガーって割れるから、
さっさと危ない思ったんでしょうね。
今度は革のベルトになって。
ちょっと動物の状況チックやなと、
今考えたら思うんですけど、
あれはアウティやでと思うんですけど、
結構殴られたような記憶ありますね。
当時カセットテープレコーダーっていうのが、
録音できるやつが流行りだしてね、
小さいやつの。
子供の頃の3歳、2歳ぐらいの時の、
録音テープっていうのが残ってた時があって、
それを聞きますとね、横で、
子供ね、僕ですよ。
子供がキャッキャキャッキャなんか、
お母親と一緒に住んでるお兄ちゃんがおったんです。
このお兄ちゃんの話もいろいろ出てくる。
この親戚でもないお兄ちゃんと一緒に住んでるんですけど、
このお兄ちゃんにあやされてキャッキャ言ってたら、
うちの父親が矢川氏は言うてるのが録音されてたりとかね、
怖いなあ言うて。
3つぐらいの子供にそんな言うか言うてね。
自分の子やのにと言うような。
別にそんな家では暴力的な人というわけでもなかった。
暴力的やったかな。
ちょっとね。
美化しようとしてる、ちょっとね。
美化せなんだらもう、
語られへん。
そういう家で。
別に虐待とかそういう感じではなかったんですよ。
愛情深い人であることは間違いないと思うんですけど、
愛情表現の仕方がちょっとおかしいというような家庭で育ってたというんですかね。
その父親もそんだけ人には強いんですよね。
人には強いんですけど、おばけは怖いんですよね。
子供のころね、話あちゃこちゃ飛びますけどね、
子供のころお兄ちゃんが二人いてまして、
大分県の田舎で離れで寝てたんですって、
兄貴二人とね。
寝てますと夜中ファッと目覚ますとね、兄貴二人がいてないんですって。
もう恐怖ですよね。
おばけ怖いもんやから怖い怖い怖いって言って、
もう大騒ぎになって、
もう半ば発狂すんぜんというようなとこまで行って、
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お兄ちゃんの二人がバッと出てきて怖かったやろうって言って、
ドッキリと言うんですかね、当時。
そういういたずらをよくされたそうなんですよ。
よくされたから、
兄ちゃんが逃げないように耳をつかんで寝るっていうのが、
日課になったらしいですね。
そのせいで、たぶん今でもなんですけど、
人の耳触りながら寝るんですよ。
僕子供の頃、生まれた頃からずっと耳を触られながら寝てたんで、
いまだに耳が柔らかいんですけどね。
耳触られても感覚がほぼないまではいきませんけども、
どういうふうに曲げようが何しようが痛くはないんですよ。
軟骨のところとかね。
触られすぎて、子供の頃から。
で、ある日旅行なんか行きますとね、
そういう父親ですからね、
フェリーに乗って雑魚寝ですよね。
二頭なんていうのは置いたてに帰るときに、
みんなでフェリーに乗るんですけど、
乗ったら隣には全然他人の人が寝るわけですよ。
おっちゃんとか全然知らんおっちゃんとかね。
寝てて朝になったら喧嘩なってるんですよ。
それは僕はもうそこそこ大きいですよ、小学生ぐらいですけど。
めちゃめちゃ喧嘩なっててね。
何揉めてんのかな言うたら、
寝てる間にどうも父親がそのおっさんの耳を触ってたみたいで、
何すんねや言うたね。
なんかそんなことがあった言うてね。
これはクセなんじゃ言うて言い合いになってて。
これはもう誰も入られへんわ言うたね。
帰りはおじいさんと一緒にフェリーに乗って帰ってきたんだけど、
どうもおじいさんの耳を触ったみたいで、
次の日の朝にはおじいさんにコンコンと説教されてましたね。
誰の耳触ったんじゃ言うてね。
そういうお家で育ったわけでございますけども。
昭和の時代ですからね、いろんなことがある。
本当にお話いっぱいしたいことあるんですけど、
海外が放送できへんことで面白いんですよ。
面白い言うたらハードル上がってまいりますけど、
言えないことのほうが面白いですわね。
そういう特殊な父親と言うんですかね。
今で言うと特殊。
今となればもう歳いってますから。
まだ存命ですよ。
縁が切れてるからね。
かまへんかと。
縁が切れるということは簡単に軽く言うてますけど、
寂しいことだっせ。
仕方なくというわけでもないけども、
やっぱり一緒におるとろくなことがないというのはあるんですよね。
取り合わせと言うんですかね。
組み合わせ。別に憎んでるわけではない。
めちゃくちゃ嫌いなわけではない。
せやけど一緒におられんというのはあるんやなと思いますが、
親子と言うても一対一の人間ですから、
あうあわんというのはありますね。
これは他人様になればもうちょっと
その幅というのは広くなってしまうというんですが、
無理して一緒におる必要はない。
でも会社とかね、
そういう経営体の中では
気の合わん人でも
どうしても一緒にやらなあかんという方もおられるんですけど、
縁を切るっていうのはそれだけ大変なことやなと思うんですよね。
その職場を辞めるって、
これは一大事ですわな。
だからあんまりおすすめはやっぱりされへんし、
自分でもやっぱりそんなことで
仕事辞めてまうのはと思うんですけどね。
やっぱり精神的に
持たなくなってくると、
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これは危険なわけですよ。
だからできればね、どっちを取る。
早めに判断をする。
準備をするということは大事です。
僕は祭りと準備ができる人間ではなかったという。
やっぱり自分の父親であったりというのは
大好きな部分があるというんですかね。
尊敬してたりとか。
子供の頃はですよ、大人になってからは
なんじゃこいつと思ってましたけど、
ずっとね、正直な話、
出てくる逸話出てくる逸話ね、
ほんまろくでもないんでね。
孫の教育に悪いというようなこと。
今となってはね、大人なれば
十分話したら面白話で
なんぼでもこたすもんですが、
やっぱりね、子供のときに
それ聞かすのはよくないなと思うんですよね。
僕もだから、長男がある程度大きくなってから
いろんなことをバラしたという部分も
あったりしますね。
話の内容というのはこうやったんや、
うちっていうのはこういうもんやったんやとか、
こんな感じやったんやぞとか、
大人になってやっと、
そうなんかというようなことは
よく出てくるわけでございますね。
次男がそろそろ18歳、今成人ですけど、
就職するということで、
ぼちぼちその辺の話を、
うちっていうのはこういうことや、
こんなんや、こんなんやという話はして、
残していかなあかん。
いい歴史でも悪い歴史でも、
やっぱり伝えていかなあかん部分っていうのはあるんですね。
こんだけ悪いことがあったんやから、
これはやったらあかんよとか、
こういうことは認めてないよとか、
ということですね。
一度家訓とかね、
家の決まりとかいうようなことの
お話したことあると思うんですが、
なぜあえて今、
そういうお話をさせてもらうことがあるかと
言いますと、やっぱりね、
父親、祖父を
見てるからって、
祖父は立派な方でしたけど、
この方も別に立派だからっていうのは、
後々ついたことで、
この方だってやっぱり、
歴代でいうとちょっと暴力的な人
ではあるなと思う部分はやっぱり、
逸話が残ってんのはものすごく、
もう全然しゃべられへん逸話ばっかり
残ってるので、やっぱりちょっと
一族的にそういう感じ。
僕はそこからちょっと逸脱したかったんですね。
ほんまに。
なんかこう、
残していいもの悪いものを
選定してこなかった。
3代4代にわたって。
ここに来てね、
もう本当に僕が父親、
自分の家と縁を切るという
選択をせざるを得なかった。
いや、したかったという部分というのは、
もちろんその個人の人間性ということよりも、
その自分より
後に残すもののことを
考えたというようなことですね。
人間の縁を切るというのは良くないことではないと思うんです。
だけど、皆さんご存知、
いろんなところに縁切り寺とかね、
あるでしょう。
そんなの考えたら、人間というのはね、
自分の力でなかなか
切れんもんなんやなと思うんですよ。
だから神さんの力を借りてでもとかね、
仏さんの力を借りてでも、
縁を切ろう、切らせてくださいと。
頼みにいくぐらいのこと。
そうじゃないと自分が、
自分として生きていけない。
この後、自分の下のものが
生きていけないというような
選択をするためには、
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神頼みするぐらいのことやったんやなと思ってね。
そう考えますと、
自分の力でできるものならば、
人の力ではなく、
縁を切るという
方向というのはありなんやなというふうに
僕は考えたわけでございます。
皆さんそれぞれご意見があると思います。
寂しいじゃないですか、そんなの。
仲直りできないんですか。
これね、喧嘩して別れてたら
仲直りできるんですけど、
そうではないんですよ。
だからこそ、
仲直りもクソもないわけですよね。
そうなんですよ。
だから寂しさっていうのは
まことにあるんですけど、
やっぱり個人を
リスペクトするとか、
大好きだということと
一緒にいて良いかどうかっていうのは、
別問題なんやなというようなこと
っていうのがよくよくわかったわけでございます。
そう考えますと、
親子や親戚だけやのうて、
自分の伴侶ですね、
奥様とか、
親子でもそう、
自分の息子たちともそうなんですよね。
長男なんかはやっぱり
家のそばに住むのではなく、
家から離れて、
成人したら18なったらもう出るんやと、
ずっと言い続けて出ましたから、
やっぱり彼も、
僕と、縁を切るまではいきません。
つながりはあるので、
正月お盆であったり、
たまに帰ってきたりしますので、
そんなに切れるということはないんですけど、
ほぼほぼ切りたかったんちゃうかなと。
そんなに考えたら、
でも自分がやっぱり親との縁というのを
そういうふうにしてますので、
そこに対してダメっていうようなことはないわけですね。
それはそれなり彼なりの
理由があるんだというような、
もちろん就職とか仕事のことで
っていうのもあるんですよ。
だからそれになっていくというのもあるんですけど、
やっぱり離れると僕は、
寂しいと感じる方ですね。
長男というのは、やっぱり生まれた時のことから
徐々に育っていくのを、
一番神経を解かして
見てきたというのもありますね。
今でも顔を見たら、
本当は抱きつきたいというような感覚に
襲われることがある。
気持ち悪いですよ。もう二十歳超えとるんやから。
向こうからさ、なんじゃこのおっさんと思うんですけど、
愛情表現というのは難しいですよね。
言葉で言うのはおかしいし、
だからアメリカの映画なんか見てますとね、
愛してるよ、お父さん愛してるよとか、
息子よ、僕は愛してる
っていうことを使うじゃないですか。
あれは便利でんな。
案内して言えんのは便利やなと思います。
言えばええんでしょうけど、
ちょっとおかしな感じになるからね、やっぱり。
でも十分伝わる部分が伝われば、
まあいいわけでございますけどね。
要は怒られてますよ、長男にもね。
その部分でちょっと
怒られたい願望とかいうのもあったりね。
息子が立派になったなと感じれる部分じゃないですか。
だから怒られることばっかりしてるからこそ、
遠くに行ってしまうという部分もあるんでしょうね。
でもそれは、
自分もそうしたもんやから、
できれば独立という意味で、
家に寄生することなく、
もう俺は俺で生きるんじゃ、
つって出てくれることに関しては、
それは立派やなと思うわけですよね。
ついと僕は
実家で長いこと暮らしましたから、
18:01
これができないんだ、
人間という考え方もあるわけで、
そう考えますと、
自分の息子ちゅうなり一人でね、
今はもう結婚して奥さんもいますから、
立派なことやなと思うんですよ。
僕にはできなかったことを彼はやってるわけですよね。
素晴らしい。
リスペクトですよね、その面に関しては。
僕の知らないことを彼は知っているというのがね。
あと、
僕を超えてる部分もありますよ。
チャーハン作るもんなんで、
僕を超えてますからね、今。
それは間違いなく、
高校生の時点でチャーハン作りは
僕を超えましたね。
中華鍋でかいの一人でこうできたときには、
自分のバイト代の給料で、
鉄の中華鍋こうできたときには、
こいつやるよなと思いましたからね。
君はどこまで行くんやと思った。
料理人になるんかと思ったんですけど、
そうじゃない会社に入りましたけども。
でもまあそうやって、
親離れ、つかず離れずという距離感が、
うまくできる距離感が取れるので、
あれは有に越したことない。
僕はついぞ、
人との距離感というのをうまく取れなかったんですよね。
今もそうです。変わらないです。
近いのは近いできるとするし、
遠いのはパチンと切ってしまうようなことしか、
極端な人付き合いしかできない人間なので、
なんかうまいこと距離感を測って、
付き合いできる人達は羨ましいなと思う限りでございます。
話がいろんなとこ飛んでおりますけども、
何か思い出したことというか、
父親の昔の彼女のことを思い出すというところから、
そうか、そういうことあったなと思うことですね。
時代背景か、
あまりなんじゃというふうに思わへんかったりとか、
あのときの空気感というんですかね。
あるんですよ。
今まだ彼は生きてますけどね。
奈良に会社があったんですよね。
当時ね、本社がね。
母親とともに奈良の会社に車に乗って会いに行くことがあるわけですよ。
幼児でね、たまに大阪から車に乗りまして、
たぶんあの当時、あれなんやろな、
半田道路を通ってね、
奈良の市内の会社までね、
ちょうど安らぎの道という道がありますわ。
どん月のところぐらいに会社があったんですよ。
警備会社ですけどね。
その会社の2階にね、
あの従業員が寝泊まりするところがあるわけですよね。
夜勤もありますから。
そこを母親と母と階段が上がっていってね、
ビルの2階のところをガランと扉を開けた布団が
こんぼり盛り上がってるんですよ。
ええ。
母親がね、ケッスをかいて、
何してんのって叫んだわけですよ。
何してんのって、母親わかってたんでしょうね。
布団べらっとめぐったら、
父親と知らんお姉ちゃんが裸で抱き合っててね、
それ現場見てるんですよ。
だからもう、あんまり他のことってびっくりせえへんのね。
その時父親が言うたセリフ、今でも忘れません。
いや、なんかお腹痛いって言うから。
って言うてました。
僕より先に、
彼が黙れ野郎くん言うて、
怒られるべきやと思う。
彼はもっと怒られるべきだな。
うん。今思い出したけど。
うん。ほんと、お腹痛いからって、
女の人と布団入ることあるんだ。
21:00
と思ってね。
馬鹿野郎と思ってますよね。