1. ギャップトマッチ
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2025-04-09 26:12

#63「【感想回】いしだまの朗読劇にご来場いただきありがとうございました!」

3月16日に公演されたテクテクハニカムの朗読劇「宮沢賢治とめぐるひととせ-春夏秋冬-」を振り返る。宮沢賢治の目から見える世界は全てが対等だった。そして、舞台の上でも日常の中でも私たちの間には言葉にならないものが行き交っている。\お便り募集/SpotifyのQ&A「このエピソードについてどう思いますか」、もしくは、運営Studio HICCHOのWEBサイト「番組へのお便りはこちらから!」へ、番組へのコメントやお手紙、ご相談などお気軽にお寄せください。いしだまと和音が喜びます。https://studiohiccho.com/

Summary

今回のエピソードでは、石玉の朗読劇「宮沢賢治と巡る人と瀬」についての感想が述べられ、上演に参加した観客との体験や演出の工夫が紹介されています。特に、同じ舞台に立つことの意味や参加者の反応を通じた新しい表現の発見が語られ、コミュニケーションの重要性が強調されています。ポッドキャスト第63回では、いしだまが朗読劇の公演に感謝し、参加者との交流を振り返ります。また、このエピソードでは舞台の特性や人間の想像力についても考察されています。

朗読劇の概要
ギャップトマッチ。年齢も性格も趣味も異なる石玉と和音の2人が、日常のあちこちからギャップや共通点を見つけ出す番組です。
では、皆さん待ってたんじゃないですか。
皆さん待っていた?何が?
石玉さんの朗読劇がどうだったのか。
朗読劇、無事終わりました。ありがとうございました。
お疲れ様でした。
本当になんか、人生で初のサイズのホールで、こりゃー大事でした。
いや、大事ですよ。言ったけど、規模がでかい。
でかいよね。
もう、だって、上演とかする時って、前の日からとか、前の前の日からとかって言って会場に設営していくんですよね。
で、本番と同じように1回やってみるとかをゲネプロって言ってゲネとか言うんですけど、
私たちは今回3月の16日が上演当日で、3月15日に現場入りして設営をしていってゲネをやってっていう感じだったんですけど、
現地入りしたらやっぱ笑っちゃいますよね。でかくて。
たしかにね。何度もその会場に入れてたわけじゃないですもんね。
直前に改めてこの広さかみたいな。
今回ね、舞台の上に皆さん来てくださる方たちも私たちもみんな同じ舞台の上にいて、上演を見るっていうスタイルだったんですけど、
その場所以外の座席数の多さに笑いが出ますよ。
なるほどね。
なんやろ、向こう側にずっとそびえ立つ人が座れる椅子の斜めに競り上がっていくあの感じはみたいな。
私、椅子が見えない位置に座ったんで全然気にならず、ステージの上だけ見たらむしろその空間広々伸び伸び使ってるみたいに見えました。
観客からすると。
ステージの上だけでもとんでもなく広かったですよね。
本当に今回ね、いつもはみ出す朗読っていうコンセプトで私たちテクテクハニーカムがやってるけれども、
簡単にこれから先もう二度とできないかもしれないなっていうはみ出し方をまずその施設の文化施設の方がやっぱりご協力ご助力くださってできたなと思っていて。
それがもうさっき言った同じ舞台の上にみんなでいるっていうはみ出し方ですよね。
タイトル言っておきますか。一応。
宮沢賢治と巡る人と瀬っていうね。
宮沢賢治のお話聞きたいなって方もいただろうし、テクテクハニーカムの上演見に行きたいなって方もいただろうし、なんか笠川であるんだみたいな。石沢さんに会いに来たみたいな人もね、いろいろいたんでしょうね。
舞台の体験
本当ですね。ありがたい話で。本当に人と瀬っていうのが一年っていう意味だったんですけど、やっぱりその今回いろいろな部分ではみ出しを本当に文化施設の方もそうだし、
共演くださった方もそうだし、本当に来てくださってた皆さんみんな本当にはみ出しさせてくれたなって思ってるんですけど、やっぱりその同じ舞台の上っていうのがこんなに違うものかっていうのはすごく感じて面白かったですよ。
それはどう感じたんですか?こんなに違う。
やっぱり今回その一緒に巡る、私たちは巡っているんだ、この時間の上をっていうのがすごくコンセプトの中にあって、生きてるっていうことは同じ時間の上を巡っているってことなので、やっぱり舞台上、舞台みたいなことっていうのが表現の一つになるかなっていうふうに思ってたんですけど、
やっぱりその同じ舞台の上にいると、秋のお話、春夏秋冬をそれぞれ一つずつお話をして1年巡ったうちの秋のお話で鹿たちが踊るっていうやつがあったんですけど、
それの時に踊ったり回ったり足踏みをして、自分たちでリズムを出してそれでぐるぐるぐるぐる回ったりとかっていうのをする演出をしてたんですけど、やっぱりそれにすぐ近くでそれが起こっているのを見てる。
自分たちもそれをどんどん体で感じていらっしゃるからだと思うんですけど、子どもが特にそういう感じになってたんですけど、ちっちゃい人たちが、だんだん本当に自分もそこにいるみたいな感じになってきて、口結構空いてる子がいたりとか、すごい自分がそこにいるだけになってくると口空いてきたりとかすると思うんですけど。
そう口空いてきたり、体がすごいリラックスした柔らかい体になっていくのとかが、私もそのぐるぐる回ったりとかお客さんたちと一緒にすぐ近くのところ行ったり来たり客席の中を練り歩いて出てきたりとかしてるうちにやっぱりそういうのがすごく見えるんですよね。
そんな感じながら上演してたんですね。
そういうのがもうつぶさにやっぱり感じられるぐらいの状態になってましたね。
確かに秋のシカの話はすごい入り込みやすかった。春夏秋冬の中でもシカどうなるんだろうみたいな。
朗読のスタイルをとってはいるんですけど、やっぱりそのはみ出すのところっていうのが、自分とか私たちにとってはやっぱり結構重要なポイントで、
いつもそこにいるあなたとか、ここにある空間とか、これが行われているエリアとかみたいな、そこにあるものっていうのをできるだけ自分たちも溶かし込んで作品を作りたいっていう思いがあるんですけど、
できなかったことももちろんたくさんあるんですよね。
ここがもっとああいうふうにやれたらよかったとか、本当にたくさん数え上げればきりがないんですけど、でもやっぱり今回はみ出すの部分。
この春夏秋冬フレア文化センターっていう文化施設のこのホールだから、そしてその文化ホールの舞台上舞台だからっていうこととかをやらせていただけたなぁとは思っていて、本当にありがたかったですね。
いやー、だって朗読して、踊れて歌えて、衣装とか小道具あんなに用意できて、音があって、照明があって、いやすさまじいものが盛り込まれてるなぁと思って見てたのと、さらに加えると石澤さん今回はただの演者じゃなくて、やっぱ全体を見てたんだろうなぁって思ってて、
なんていうんですか、監督なんですかね、そういう目線もさらにあったんじゃないかなと思って見てました。
そうですね、すごくやっぱり難しいなぁと思ったこともあって、今回私初めての広さってことは、今までやったことないこともやるわけですよ。
初めてご一緒するメンバーの方とかもいらして、やっぱりやりたいこととか、こういうふうなことをこの物語から受け取っていって、そういうことをやりたいっていう話をするときに、基準が外にない話になるんですよね、やっぱり。
自分がこう感じるとか、自分はこの物語がおそらく科学的に言うとこういう現象があるんだけど、それとすごく紐づいて近いものに思うとか、そういうこととかを伝えていくっていうのが、価値基準が外にあることについて話をしていくのとやっぱりちょっと意味合いが違う。
どういうふうに伝えていけば伝わるのかっていうことは、人数が多かったのもあるし、すごく考えるいい機会になりました。
その感覚とか、もしかしたらそれは個人的な感覚かもしれないことをみんなで共有して、石沼さんも普段から自分で自分のことすごい抽象的な話しちゃうって言ってるじゃないですか。
なんかそんなもどかしさみたいなあったんだろうなと思って。
そうですね、それこそお仕事とかでやらないといけないこととか、やりたいって相手が思っていることが、この方法の中だったらこういうやり方とかこういうやり方とかこういうやり方あるなみたいなことを受け取って話すことって結構そんなに大変じゃないんですよね。
そのツールの中で、だとこうだなっていうのが具体的にある程度あるので。なんだけど、自分の中にあるものを人に伝えようと思った時に、例えばウェブのお話ししたくて来てくださっている方は私もウェブの世界のお話しをしつつ、普段の日常のことに言い換えるならこうですっていう話ができるんですよね。目的があるから。
けど、舞台とかだと表現の方法っていうのがもう本当にたくさんあるし、私たちがそもそも舞台で表現しようと思った時に、私はやっぱり歌を歌ってきてるし、言葉もすごく使う人間っていう部分もあるし。
一緒にやっているもう一人のメンバーが建築とかをずっとやってきてて、やっぱり空間を作っていったりとか、それで何するかとか、空間を作る時とかに建築とかだとよくあるんですけど、そのエリアとかその建物で何をするのかどういうことができるのかみたいなこととかを考えて提案とかするんですよね。
そういう目線も含めて舞台の美術とかを作ったり、どういうことをやるかとか考えている部分とかもあって、何て言ったらいいんだろうな。文脈が複雑なんですよ。
みんなそれぞれの視点を持って見てる。
舞台の話をしてるっていうふうに丸めると一つの主語になるんだけど、話してる中身は結構本当はバラバラのことを話してるんですよね。でもそこが舞台の話っていう主語に丸められちゃってるので、なんか結構行き違いが起きたりとか。すごく勉強になりました本当に。
なるほどな。確かに舞台とか表現するってところだけが共通してて、実はどういう視点から見てるとか、何を表現しようとしてるかとか、なぜ自分がそれやってるのかっていうのは、この語られてない部分に実は違いがあって、そこの反り合わせが。まず違うかもって気づくところからだし。
そうまさに。本当に。これがやっぱり普段から私たちが生きていく世界の中で必要な作業でもあるんだろうなっていうのも改めて思った部分ではあるんですよね。
たしかに。一個のものを作り上げなきゃいけないっていう何か理由があるから、ずれに気づいたり、すり合わせようとしたりするけど、日常それがないから流れてるだけで、すり合わせないまま流れてるものあるかもしれないですね。
そういうことも本当にあるだろうし、いろいろ演出を考えていってる中で、背骨、筋を通さないといけないってなった時に、歌を一曲作ったんですよ。やっぱりそういう背骨がいると思って。
そういう経緯で歌が生まれたんですか。
表現の挑戦
エンディングの曲はそうですね。それを作っていく時とかも、自分たちは背骨が見えてるから、曲できるまですごく早かったんですよ。必要だなってなってからできるまでが。
やっぱり歌ができたことで、伝わりやすくなった部分とかもあって、だからやっぱり具体的な方法を何か持ってるっていうのは、すごく世界とか人と織り合おうとするときに力になるんだなと思いました。
エンディングの曲はすごい、一番石玉さんらしさが出てたなと思って。
それ言ってくれてたね。
やっぱりすごい伝わってくるものがありましたね。
そうなんですね。
あと地味にハミングとか好きでした。話が変わるタイミングの石玉さんのハミング。
あれそうなんです。エンディングテーマにつながってるハミングなんですよ。
そうなんだ。
エンディングテーマの曲を作っていってる途中の作業みたいな感じだとしたらどうかなみたいなのを、場面をつないでいくときにちょっとやっていて。
喋りだすとね、いっぱいあの曲についてみたいなこと喋れてしまうから、ちょっとでもそれは無粋だからやめておきます。
いいんですか?喋らなくて。
いやなんかね、いつも悩む。こういう自分が作ったものって。
どこまで説明するか。
自分の口でどこまで説明するかとか、なんかいつもすごく悩みますね。
受け取り手の自由の部分と、自分がどこまで伝えるのかみたいな。
相手の自由とすごく悩んじゃう。
なるほどな。違う質問してもいいですか?
宮沢賢治さんの詩をいっぱい読んできてるじゃないですか。今回改めて読んでみて感じたことってありますか?
今回4つの話、春夏秋冬を選ぶためにやっぱり。
そうですね。
だいぶ読んだんですけど。
宮沢賢治読んでてすごく思うのは、やっぱりこの人は相当いろいろなことをいろいろたくさん知っていて、
でもその知ってるが、体験のレベルまで結構落とせてる人なんだろうなって思うんですよね。
とにかく世界をよく見てる。
そして見てるっていうのは、視覚だけじゃなくて、だから観察なんですよね。
朗読劇への感謝
見るも、ルックの見るというよりは観光とかで使うほうの観に察するの察じゃないですか。
本当にただただよく見てよく触れ合ってをたくさん知ってる人だなって改めて読むたびに思うというか。
もう何でしょう、宮沢賢治は読んでると私結構歌が聞こえてきちゃうんですよね。
メロディー好きで?
メロディーのように音が鳴るときもあるし、音階を持ってないんだけどすごく高いパーっていう細い音が鳴ってる感じになるとか、
そういうのとかがあってすごく、でもきっとこの人も音とかリズムがむちゃくちゃあったはずって文章読みながら思う。
確かに何か谷川俊太郎さんとかももちろん文章を書いてるけど多分そこにはリズムがあってリズムってちょっと音みたいな感覚で言葉を捉えてたりすると思うから、
宮沢賢治さんもね文章が残ってるけど結構メロディーが頭の中に体に感じてたのかもしれないですね。
めちゃくちゃ面白い。宮沢賢治は学校の先生もしてたんですよね。その頃に教え子だった人たちの、教え子たちの証言をいっぱいまとめたみたいな本があるんですよ。
もうね、最高だなって思うんですけど、先生は授業の時に生徒を連れ出して、春の燃えるのとかのその感覚とかをみんなにこう説明したりとかするとか、そんなことしたり、
授業中に教えてくれる内容がもう歌のよう、本を読んでるっていうよりはもう歌とか、そんな感じに聞こえる感じで、ていうかもうむしろ歌ってたみたいな。
子供たちから見て、そう伝わってたんですね。
実際に歌ってたんだろうと思うんだけどね。よくそんな感じでいたりとか、生徒たちと一緒に授業してる時とかも面白いこととかがあると、ほーって言って、ほうほうって感じですごいほうほう言いながら、ほうほうほうって話をすごく聞いたりとかしてたらしいんですよね。
もうめちゃくちゃいいなと思っていて。
それはね、子供もしゃべりたくなりますね。いろいろね、意見言いたいし、聞いてもらいたいし。
そしてもうめちゃくちゃわかるんですよ。その感覚が個人的に。
たしかにね。
石沢さん言ってますもんね。よくほうほう言ってる。
そう、だからもちろんね、違う人間だから一緒じゃないのはもう大前提なんだけど、わかるーって宮沢賢治を読んでると思うことがよくあります。
なんか私が印象的だったのが、最後冬の話で結構怖かったじゃないですか。
で、なんか宮沢賢治さんがああいう物語、でもなんか別にこう自然の脅威を言ってるわけでもないけど世界観ちょっと怖いみたいな。
なんかあのなんか独特のなんでしょうね、表現。いいとも悪いとも言ってなくて自然ってこんな感じですよね。
本当に私もそう思う。
いいとか悪いとかじゃなくて自然って本当にそうですよねっていう感じがあるよね。
だから何とかじゃなくて自分はこう見えてるし、そこに自然と人間の上下がないっていうか。
本当にそう思う私も。
そんな感じがしました。
あの全てのものが等しい感覚って本当に宮沢賢治の特徴だなぁと思うんですよね。
なんかそのやっぱ私たち人間だから、これはいいとか悪いとかの話じゃないんですよ。
やっぱりこういろいろな物語とかを読んでいるとすごく人間にレンズがフォーカスしてる感じがする。
まあそれは当たり前っちゃ当たり前なのかもしれないんだけど。
でも宮沢賢治読んでると本当に何だろう全てに焦点が当たってる感じがするっていうか。
なんかすごくそうですよねって思うんですよね。
石沢さんが見ている世界と宮沢賢治さんとの見方、レンズ焦点の合い方にそうですよねっていう感覚があるんですね。
私はその違うから、宮沢賢治ってこんな風に世界見てたんだって感じなんですよ。
こんな感覚こんな距離感で見てるんだって思った。
石沢さんはそうだよねみたいな。そうだよねって感じで多分読んでるんでしょうね。
わかるってすごくよく思ってるかもしれない。
どうですか?他に感想を言いたかったこととか。
舞台と人間の特徴
毎回こういう機会をいただいてやるたんびに思うけど、やっぱり舞台って本当に仮想現実だなと思うんですね。
私仮想現実が共通して持ってる特徴っていうのが、それを維持しようと思って維持してる状態のものがなくなったら一気にそれが出来上がる前の状態にすぐ戻っちゃう。
っていうのがあると思ってるんですけど、やっぱ舞台もそうで終わったらすぐさらに戻るし。
なんだけど人間はそこにそういうものに何かを見出す生き物なんだなぁって毎回深く感動するんですよ。
これ人間の特徴だなぁと思って。
こんなにほら私たちこうやって毎週話してるじゃないですか。
放送して、こういうふうに言葉を交わしてやりとりするのも根っこは同じところにあって、
そうやって今本当は目の前にあるわけじゃないもののこととかを話したり、目の前にはないんだけど体の中に溶けてたりとか仕組みの中に溶けてたりとかするものとかのことを喋ったりとかすごくするじゃないですか。
なんかややこしいっていう部分と本当に全く同じ強さでなんて愛しいと思う。
本当に人間の特徴ですよね。そこに何かを見つけたりとか想像したりとか。
言ったら思い描くこともできるし、振り返ることもできるし、目の前にないけど共有することができたり。本当に人間のなせる技だなって思いますね。
これめちゃくちゃ面白いなぁと思います。改めてこういうことをやるたんびに深くそういうことを思うなぁっていうのはありますね。
というわけでまだまだきっとこの後また思い出したりすることがありそうですが。
お便りも募集しておりまして。スタジオヒーチョーのウェブサイト、番組へのお便りはこちらから。ぜひ感想やお悩み相談なんでもお寄せください。
そしてなんと公式の。
インスタグラムのアカウントをやっとやっと作りました。遅いですね。1年経ってるけど。
いやこれが1年ってことですよ。
そっか。そちらにコメントもらってもメッセージもらってもかまいませんので。
Please follow meですよ。
本当ですね。
フォローアス。
はい。そしてすでにフォローしてくださっている皆さんありがとうございます。
本当にありがたい。
ギャップとマッチお届けしたのは石玉と和音でした。聞くほどに心がほぐれ何かとの境界線が解けてちょっと豊かな気持ちになりますように
ご視聴ありがとうございました。
26:12

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