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#012|円空|12万体を彫ると誓った僧の謎|1日10体を超える誓願|現存5,386体の実績|愛知3,241体・岐阜1,684体・北海道51体の分布図|鉈彫り|一刀彫り|木っ端仏|荒子観音|仏師|彫刻|学芸員の事件簿
2026-10-30 17:13

#012|円空|12万体を彫ると誓った僧の謎|1日10体を超える誓願|現存5,386体の実績|愛知3,241体・岐阜1,684体・北海道51体の分布図|鉈彫り|一刀彫り|木っ端仏|荒子観音|仏師|彫刻|学芸員の事件簿

美術キュレーションプログラム、学芸員の事件簿。円空3話連作の第1話は「12万体」という数字の事件です。江戸時代の仏師・円空(1632–1695)は、生涯に12万体の仏像を彫る誓願を立てたと伝わります。63年の生涯で12万体——単純計算で1日10体を超える、常識では不可能な数字です。ところが実際に確認されている円空仏は5,386体(2015年の集成)。愛知に3,241体、岐阜に1,684体、北海道にまで51体が残る分布図は、そのまま彼の旅の地図でした。鉈彫り・一刀彫り・木っ端仏という方法が、なぜこの数字を可能にしたのかを掘ります。次回・第2話は「笑顔の事件」——円空仏はなぜ笑っているのか、を取り上げます。🎙 パーソナリティ:Hana × Daichi(+ノア)■声質変換:つくよみちゃん公式RVCモデル(CV.夢前黎) https://tyc.rei-yumesaki.net/work/software/rvc/■元の音声:本番組用に生成したDJナレーション音声言語交換アプリ「Moshilin」:Android版 https://play.google.com/store/apps/details?id=com.moshilin / iPhoneの方はブラウザで https://safekids.win からお試しいただけます■参照サイト- 名古屋市博物館 円空仏データ https://www.museum.city.nagoya.jp/collection/data/data_15/index.html- 円空仏(Wikipedia) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E7%A9%BA%E4%BB%8F- 美術手帖 https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/28407- nippon.com https://www.nippon.com/ja/articles/-/1390- 鹿沼市 円空 https://www.city.kanuma.tochigi.jp/0297/info-0000001797-0.html- 羽島市歴史民俗資料館 円空 https://hashima-rekimin.jp/ennkuu.html- 中川政七商店の読みもの https://story.nakagawa-masashichi.jp/45385

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なんと、現存する偏空物は5,298体。 所在不明などを含めた確認総数は5,386体。
5,386体に上ることが分かってるんです。 ええ、実際に5,000体以上も残っていること自体が奇跡的ですよね。
そうなんですよ。で、その都道府県別の分布がまたすごくて。 愛知県が圧倒的で3,241体。
ついで、故郷の岐阜県は1,684体。 そこから少し離れて埼玉県に175体。
そして驚くことに、北の果て北海道にも。
美術キュレーションプログラム 学芸員の事件簿。
花です。 ダイチです。ノアです。突然なんですけど、あの今これをお聞きのあなたにちょっと想像してみてほしいんですよね。
なんでしょ。 今日朝起きて、ナタと木材を手に取って、夜寝るまでに10個の木彫りの像を完成させる。
1日10個ですか。 そうなんですよ。で、明日も明後日も来る日も来る日もそれを30年間1日も休まずに続けるっていう。
いやいやちょっと待って。 あなたならそんなことできますかっていう話なんです。
想像しただけで手首と腰が砕けそうですよそれ。 ですよね。
でも今回私たちが突きつけられている歴史の事件の証拠はまさにそれなんです。
江戸時代の物資円空が立てたとされる生涯に12万体、12万体の仏像を彫るっていうあまりにも異常な誓いなんですよ。
12万体。計算すると仮に30年間毎日彫り続けたとしても1日に10体以上作らなきゃ到底届かない数字じゃないですか。
そういうことになりますね。今回の私たちのミッションはこの12万体という数字にまつわる事件を残された証拠品である作品からじっくり深く掘り下げることです。
彼はなぜそんな途方もない数に誓いを立てたのか、そして物理的にどうやってそれを実現したのか、今日集めた証拠と事実だけを使って作り話じゃないこの驚くべき謎の真相に迫っていきますよ。
どう考えても異常なペースですよね。よし、この点をじっくり紐解いてみようか。
そもそも、彼がこの誓いを立てた当時の背景ってどんな感じだったんですか?
西暦1695年に亡くなるまでの間に、エンクはこの聖岩、つまり神仏への誓いを立てたと言われてるわけですけど、当時の常識からするとこれってどれくらいおかしなことだったんでしょうか?
当時の正式な物資、つまり大きなお寺から依頼を受けて立派な本尊を作るようなプロの職人たちのペースを思い浮かべてみてください。
はいはい、プロの物資ですね。
通常仏像を一体彫り上げるには、まず木を何ヶ月も乾燥させて、
いくつかのパーツを整合に組み合わせるんですよね。より日作りとかそういうやつですね。
そこから漆を塗って彩色を施してってやると、数ヶ月から時には年単位の時間がかかるのが当たり前の常識だったんです。
03:10
ですよね。そう考えると1日10体越えっていうエンクの製作ペースはもはや非常識を通り越して物理的におかしいレベルですよ。
木を削るってものすごい重労働じゃないですか。
1日に何百回何千回とナタを振り下ろしてたら、普通は懸生炎になるどころか過労で倒れちゃいますよ。
間違いないですね。
ここまでくると、なんというか純粋な信仰っていうより、何かに取り憑かれたような狂気に近いものを感じちゃうんですけど。
あの、その素朴な疑問は。
これは一つの重要な問いを投げかけていますね。
おお、重要な問い。
つまりエンクはなぜ自分の体を壊しかねないほどのペースを上げなければならなかったのかという点です。
それは通常の物心は絶対的で基準としていた完成度とか美しさあるいは権威といったものを彼が意図的に捨て去った可能性を示唆しているんですよ。
完成度を捨てたと。
そうです。質を犠牲にしてでもとにかく数を追い求めなければならない切実で強烈な動機があったということですね。
なるほど、完成度を捨ててでもどうしても達成したい何かがあったわけですね。
うーん、でも待って、いくら細部の作り込みを諦めたからって、木を掘るっていう物理的なハードルは残るじゃないですか。
確かにそうですね。
一体どうやって1日10体もの仏像を掘り続けることができたんですか?
じゃあその手段に迫ってみましょうか。
お願いします。
そこで登場するのが骨葉仏と呼ばれる作品群なんですよ。
これが本当に驚きなんですけど、
骨葉仏、え?
えんくんが使ったのは綺麗に製材された高級な木材じゃないんです。
縦にパカッと割っただけの丸太とか、川に流れ着いた流木、倒木、さらには家を建てた後の廃材みたいな木片を使ってるんですよね。
えー、廃材とか流木ですか。
そうなんですよ。
しかも丸太を割ってできた角っこ、その尖った部分を、
そのまま顔の正面に見立てて、
ナタとノミだけで掘り進める一刀掘りっていう手法を使ってるんです。
角っこを正面に、装飾も採材も一切省いて、むき出しの木肌をそのまま生かすんです。
その土地でたまたま手に入った木を使って、その場で一気に掘り上げる。
へー。
サイズも、2メートルを超す巨大なものから、わずか5センチの、ほんと親指サイズの肖像までバラバラなんですよ。
いやー、ここからが本当に面白いところなんだけど、これって、見方を変えれば、ただの手抜きっていうか、
ファーストフード的な、
大量生産だったとも言えなくないですか?
まあ、そう見えちゃうかもしれませんね。
とにかく数を作るために、
でも極限まで、
06:00
省いただけなんじゃないかって、ちょっと意地悪な見方ですけど。
いやー、私はただの手抜きだとは思わないな。
なんていうか、絵画で例えるなら、
油絵みたいに何層も色を重ねて時間をかけて作り上げるものとは違って、
目の前にある木の形から、そこに宿る魂の形を一瞬で捉えて掘り出す。
いわば、ライブスケッチみたいなものだったんじゃないかなって思うんです。
あー、そのライブスケッチという例えは、エンクーの手法を本質的についてますよ。
本当ですか?
ええ。
通常の彫刻家って、
木材の自然な形に逆らって、
自分の理想の形を作るために、木目と格闘するんですよね。
確かに、削り出していくイメージです。
でもエンクーは逆なんです。
木材の形状に逆らわない。
ナタで木目に沿ってパカッと割る。
そうすると、一瞬で大きな面が出来上がるじゃないですか。
はいはい。
割った木材の三角形の両角、つまり尖った部分を、
そのまま仏様の鼻の膨らみとか、
胸の厚みに似たてるんですよ。
最初からある形を利用するんですね。
その通りです。
数回ナタを振るうだけで、すでにそこに仏の姿が立ち上がるんです。
なるほどな。
木に逆らって削り出すんじゃなくて、
木の割れ目そのものを、
デザインとして利用したのか。
そういうことですよね。
それなら物理的な時間も、体力の消耗も劇的に減らせますもんね。
ええ。たくさん掘ることを至上命題にして、
無駄を極限まで削ぎ落としたからこそ生まれた、
これはもう、究極のミニマリズム芸術と言っていいと思います。
ミニマリズム、確かに。
美しい美術品を作ることではなくて、
速さと祈り、これを最優先した非常に合理的な手法だったわけですね。
その土地で手に入る木で、その場で素早く掘る。
この機動力こそが、彼が日本列島全体に巨大な足跡を残すことを可能にしたんですね。
実際に彼がどれだけ移動したのか、ちょっと数字を見てみましょうよ。
はい。
最近の西暦2015年に行われた修正調査で、すごく面白いデータが出てるんですよ。
なんと、現存する偏空物は5298体。
所在不明などを含めた確認総数は5386体。
5386体に上ることがわかってるんです。
ええ。実際に5000体以上も残っていること自体が奇跡的ですよね。
そうなんですよ。で、その都道府県別の分布がまたすごくて、
愛知県が圧倒的で3241体。ついで、故郷の岐阜県が1684体。
そこから少し離れて埼玉県に175体。
そして驚くことに、北の果て、北海道にも51体の偏空物が残ってるんです。
北海道に51体もですか。
これ、当時の交通事情を考えたら信じられない移動距離ですよ。
この分布状況そのものが、偏空の旅の範囲を示す動かぬ証拠、
いわば現代のGPSログみたいなものですよね。
確かに足跡がそのまま残ってる。
特に北海道。当時の江戸地にあたる松前とか、
09:02
険しい崖の上にある大田山神社なんかに51体も残っているという事実は、
彼が道なき道を歩き、獣道を越えて過酷な旅をしていたことを裏付けてますよね。
本当にそうですね。ちなみに今お聞きのあなたも、
身近な場所で偏空の足跡を見つけることができるかもしれないんですよ。
もしあなたが地元の散歩とか旅先で、
これ偏空部掴もうっていう荒々しい木掘りの像を見つけたら、
ぜひ私たちが作っている言語交換アプリ、
モシリンの写真投稿機能を使ってシェアしてみてほしいんです。
いいですねそれ。
22以上の言語に対応してるんで、各地のリスナー同士はもちろん、
世界中のユーザーと日本のローカルな発見を共有できるんですよ。
自分が気づかなかった地元の歴史を、世界の人と一緒に面白がれるっていいですよね。
ダウンロードリンクは番組の説明文に載せていますので、
ぜひ覗いてみてくださいね。
はい、ぜひぜひ。
ここで今日の一曲をお楽しみください。
今日はジャズでお届けします。
それにしても、
彼が掘った仏像の残されている場所の偏りって、すごく不思議じゃないですか。
偏りですか?
名古屋の荒子観音、荒子観音には群像とか骨葉物なんかが約1900体も集中する。
巨大な拠点みたいな場所がある。
一方で。
1900体すごい数ですね。
そうなんですよ。
でもその一方で、名も無き民家が代々一体だけを大切に守り継いできたような、
ポツンとした点のような場所もあるんです。
そしてここで非常に興味深いのはその残り方の極端なコンテラストなんですよ。
コンテラスト。
そうです。荒子観音のように大寺院に残された数え切れないほどの群像、
それに対して名も無き農家の神棚で囲炉裏のすすにまみれながらもずっと大切に拝まれてきた一体の小さな仏像。
この両極端な残り方こそが、遠空の足跡の特異性を物語っているんです。
権力者のお抱えになって立派なアトリエで製作する、そういう定住型の物資とは全く異なる、
ボロボロの衣で能を歩き続けた遊行僧としての姿が、このデータからまざまざと浮かび上がってきますよね。
なるほどなぁ。そこで最大の疑問にぶつかるわけですね。
なんでしょう?
12:00
なぜ彼は大きなお寺や権力者のためじゃなく、わざわざ北の果てまで過酷な旅をして、出会った名もない人々に仏像を配り歩いたんでしょうか?
その動機の根幹を知る鍵が彼の老いたちにあると伝えられているんです。
遠空は美濃の国の竹ヶ浜、竹ヶ浜、現在の岐阜県橋間市で生まれました。
竹浜県ですね。
そして幼い頃に長良川の激しい洪水で愛する母を亡くしたという伝承が残されているんですよ。
大きな悲しみを背負って出家した彼が彫ったのは、立派なお寺の奥に安置される、ちょっと近づきがたい仏像じゃなかったんですね。
例えば、村人が病気になった時に、神棚から借り出されて、その枕元に置かれて治癒を祈られた三十三冠能像のように、庶民が個人的に、
直接すがりついて、救いを得るための仏像だったんです。
でもさ、純粋に人々の安寧を祈るだけなら、わざわざ自分の身を削ってまで木を掘らなくても、目の前でお経を読んであげるだけで良かったんじゃないかって思いませんか?
ああ、確かに。
お経を唱えるのは、僧侶の本来の仕事だもんね。
ただお経を読むだけじゃダメだったのかな?
つまり、これってどういう意味なんだろう?
うーん、当時の貧しい人々の視点に立つと少し見えてくる気がするんですよ。
彼らにとって、難しいお経の言葉って、少し遠くて抽象的すぎたのかもしれないなって。
ああ、なるほど。
不安で苦しくて、病気に怯えている時、彼らには物質として手でギュッと握りしめられる救いが必要だったんじゃないかな?
その通りだと思います。
そして、これをさらに大きな視点と結びつけてみると、非常に心が揺さぶられる事実に行き着くんですよ。
なんですか?
レン君は、
そうそう、ナブルゴーナス。
水害で亡くしていますよね。
はい。
なのに、彼が仏像を掘るために好んで使ったのは、川や海に流れ着いた流木だったんです。
ああ。
つまり、母の命を奪った忌まわしい水が運んできた木片を拾い上げて、それに菜太を入れて人々を救う仏の姿に変えていったんです。
悲しみの象徴を救済の象徴へと反転させていたんですよ。
わあ、鳥肌が立ちました。ただの廃材や流木にそんな深い意味が込められていたなんて。
彼にとってたくさん掘ること、それ自体が祈りの行為であり厳しい修行だったのだと理解できます。
彼は後世に残る立派な美術品を作ろうとしていたわけじゃないんです。
旅先で出会う、病に苦しむ人々、貧しい人々のために、一つ一つの捨てられるような木片に命と慈愛を吹き込んで直接手渡していく。
その行為の連続こそが、遠空という人間の生き様だったんです。
仏像の長い歴史において、質や大きさではなく圧倒的な量を祈りの誓いにしたことの居礼さは、彼が出会った救済すべき人々の数そのものだったからなんですね。
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なるほどな。生涯に十二万体という異常な数字は、決して自己満足のギネス記録への挑戦なんかじゃなかったわけだ。
苦しんでいる人を一人でも多く救いたいっていう切実な思いの結晶だったんですね。
今日の事件を振り返ってみると、遠空仏の十二万体という数字は、ただの異常な政策記録じゃありませんでした。
それは、江戸時代の日本列島を泥だらけになって歩き続けた一人の層の、果てしない祈りと慈愛の証でしたね。
荒々しい那多の掘り跡が残る骨葉仏が、名もなき人々の手から帝都を何百年も大切に守られてきた。
そう考えると、明日地元のお寺や神社に出かけた時、つい遠空仏を探してみたくなりますよ。
そういえば、名もなき人々の姿を木に刻むといえば、姉妹番組の過去の回で、ドイツの現代彫刻家バルケンホールを取り上げたのを思い出しました。
ああ、あの回ね。
彼も一本の丸太から、あえて荒々しい掘り跡を残して、ごく普通の無名の人々の像を掘り出す作家でしたよね。
そうなんですよ。時代も国も、作っている目的も全く違いますけど、
木を掘って、
名のない人の姿を残し、
そこに魂を込める、
っていう精神性の部分で、江戸時代の遠空と現代のバルケンホールが、
遠く響き合っているような気がして、すごく面白いなって思いました。
ハートってそうやって時空を越えて繋がっていくからやめられないですよね。
さて今回は異常な数字に焦点を当ててじっくり掘り下げてきましたが、
実は遠空物にはもう一つ最大の謎が残されているんです。
17:13

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