1. ファンダメンタルズ ラジオ
  2. 【ラジオ部|みるらじお】 #2..
【ラジオ部|みるらじお】 #2 メランカオリ(占い)
2026-07-07 1:33:44

【ラジオ部|みるらじお】 #2 メランカオリ(占い)

spotify apple_podcasts youtube

ファンダメンタルズに参加しているアーティスト小宮太郎と、知覚心理学の研究者、北川 智利をMCとして毎回、アーティストや研究者の「みている」世界を探ろうという雑談番組です。
二回目にして、冒頭のコールをゲストの声を使い合成し始めました。。
 

第2回ゲスト: メランカオリ
1991年神奈川県出身。2017年東京藝術大学大学院美術研究科先端芸術表現専攻修了。同年より「土星プロレス」と称した独自の占いによる制作を開始。現在は、予備校で古文講師の仕事や工場で地球儀加工のアルバイトなどをしながら、「病院・刑務所・墓場に行き場がないものたちの管理人」の肩書で制作・発表活動を行っている。近年参加した展示に2024年「まつとしきかば今はちあわせ」(Syndicate/香川)、2023年「Artist in FAS 2023 入選アーティストによる成果発表展」(藤沢市アートスペース、神奈川)や「Geist Enclosure」(Studio Ghost、東京)、2021年「紀の国トレイナート2021」(那智駅、和歌山)、2020年「Video Edition Box」(HIGURE 17-15 cas、東京)、2018年「明け方の計略」(駒込倉庫、東京)などがある。


----
ファンダメンタルズ ラジオについて:
科学者とアーティストの長期交流プラットフォーム「ファンダメンタルズ プログラム」の音声配信番組です。
番組内では、プログラム参加者による自主企画「ラジオ部」と、運営による公式プログラム「フェス」と「バザール」(年に1回オンサイトで開催される)の記録配信をお届けします。科学とアートの完成した成果だけでなく、その手前にある世界の見え方、手の動き方、対話の途中を、さまざまな形で共有していきます。
ファンダメンタルズ ラジオ部は、プログラム参加者による自主的な音声企画です。企画・収録・編集は各企画者が行い、ファンダメンタルズ ラジオ内のシリーズとして公開されます。運営は公開作業と最低限の確認を担います。
https://fundamentalz.jp
お便り:contact@fundamentalz.jp

 


 

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、アーティストのメランカオリさんと、知覚心理学者の北川智利さん、そしてMCの小宮太郎さんが、「見る」という行為や情報の捉え方について深く掘り下げます。メランさんは、古文講師の傍ら、独自の「土星プロレス」と称する占いを用いたアーティスト活動を行っており、幼少期からの石ころや動物とのコミュニケーション、そして未来のスケジューリングといった経験が、現在の情報収集や意思決定の方法論に繋がっていることを語ります。北川さんは知覚心理学の観点から、人間の五感や情報処理のメカニズムについて解説し、メランさんの占いや直感的な情報収集との共通点や相違点を探ります。番組では、メランさんがどのように占いを作品制作や日常生活に組み込んでいるのか、具体的なエピソードを交えながら紹介。また、心理学における「選択盲」や「対称性の破れ」といった概念にも触れながら、人間がどのように世界を認識し、意思決定を行っているのか、そして「見る」という行為の多様性について考察を深めていきます。メランさんの話は、単なる占いを超え、自身の内面や他者との繋がりを探求するプロセスとして描かれ、リスナーに新たな視点を提供します。

オープニングと自己紹介
【ラジオ部<みるらじお】 メランカオリのコミヤですよ。
MCのコミヤです。よろしくお願いします。
この番組は、アーティストや研究者の方が、
普段どんなものを見ているのか、またどんなふうに世界を見ているのかを探る雑談番組です。
この番組のテーマは、ズバリ見るということにフォーカスしています。
第1回目の収録が、三亀玲奈さんのペインターの方だったんですけれども、
第2回目、ゲストとしてお越しいただいているのが、メランカオリさんに来ていただいています。
どうぞよろしくお願いいたします。
よろしくお願いします。
引き続き、一緒にお付き合いいただく、研究者の北川さんにもお越しいただいております。よろしくお願いします。
北川です。よろしくお願いします。
早速なんですが、簡単にでいいので、北川さんの自己紹介も都度やるのかどうかって今後の課題ではあるんですが、
もう一度だけ北川さんの自己紹介をしていただくのと、
あとプラスアルファ、その後にメランさんの自己紹介をしていただければなと思います。
北川則道と言います。
知覚心理学という分野を研究しています。
知覚心理学って多分あんまり馴染みがないと思うんです。
心理学は普通、もっと心の問題とかそういうのが多いんですけど、
知覚心理学は感覚の研究をする分野です。
いわゆる五感、視覚、聴覚、触覚、嗅覚、味覚とかですね。
あんまり馴染みはないかもしれませんが、一応一番心理学の中では一番古い伝統的な分野になってます。
見る、聞くって研究っていうと、普段何もしなくても見たり聞いたりしてるので、
あんまり研究の必要を感じないかもしれないんですけど、実はすごい難しいことをやっているということがわかっています。
それをどういうふうに人間の心の中というか脳の中でどういう情報処理がされているのかっていうのを研究する分野になります。
なので、今回の見るっていうのはすごく研究対象と言ってもいいようなことになりますので、とても楽しみにしています。よろしくお願いします。
メランカオリの自己紹介と占いのルーツ
じゃあメランさんの方で自己紹介していただければと思います。よろしくお願いします。
皆さんこんにちは、メラン香里と申します。私は普段古文の講師をしながらですね、占いを元にアーティスト活動をしております。
最近はですね、主に太平洋側のアーティストインレジデンスなどに参加しながら、その土地に伝わるような風習とかを調べたり、
あとそこで出会った方々と一緒に占いを一緒に考案して独自の占いを生み出しながら、どういう作品を作るかとか何をするかも決めつつ、主にそういった占いによった活動をしております。
物心をついた頃よりも自分の意思よりもですね、石ころの方の意思を信頼しているっていうのを基に政策活動しております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
「見る」ことへの疑問と占いの情報収集
ちょっと補足で、僕が今回2回目にメランさんをお呼びしたきっかけみたいな、呼びたいなと思ったことをちょっと説明させてもらうんですが、
初回がメランかおりさんじゃなくて三上さんをお呼びして、画家の方でかつファンダメンダルズの集まりがあったときにですけど、三上さんとお話して、三上さんが見ている世界の見方というか、
純粋にふとしたエピソードとして、グラスの端に見えるハイライトが物体より少し浮いて見えるんですっていう話とか、もしくはそのときに違うアーティストの方と話していた、
目の中でスクリーンが出てきて、そこに一つ映像が流れるというか、何か具体的にイメージをしたときに実際景色がそこに見えているっていう話をされているアーティストの方がいたときに、
僕が見ている世界っていうのを、実際に何ですかね、その見方そのものが僕はできているんだろうかと思ったときに、もしかしたら全然違う景色を見ているなというふうに思ったのがきっかけで、まず三上さんであるとか、その他のアーティストの方の見え方みたいなものが気になったんですけど、
同時にメランさんがお話ししている占いっていう分野のお話って、見るだけども、それこそ僕が見ている見方とは全く違う情報の捉え方をしているような気がした。
今先ほどおっしゃってた石、石ではなく石ころの方の心腹を寄せているって話とか、なんかそこがもしかしてこう、見るっていうのは目の情報だけじゃなくて、五感全てにおいてのその情報の捉え方が割とどうなってるんだろうという素朴な疑問を思ったというところで、ちょっとメランさんにお話いろいろ聞いていきたいなと思った次第です。
そうですね。最初に多分聞いてくれてる方に向けて、私がやってる占いがどういう占いなのかというところだけちょっとだけ補足させていただきますと、私は占いが好きで占い始めたってよりかは、なりゆきで占いを始めたようなものなので、
いわゆる密室とかでやるような一対一の占いってよりも、気づいたら占いが始まってて、それも一対一でやるってよりかは大勢でいろんなことを占ったりとか、気づいたら占いが始まってるみたいな形式が多いので、割とそういう巷であるような占いの館みたいなようなところでやるような占いってよりも、もっと開放的だと思いますから、そういうような占い。
だから結構情報をどうやって読み解くのかみたいなことを割と自分は大事にしてるんですけれども、そういった占いを普段やっております。
という補足でした。
メランカオリの占いの特徴と幼少期の経験
なんかそうですよね、占い一つでもちょっと多分イメージしてるものが結構違ったりするのかなと確かに思ったんですけど、なんか僕が今話してイメージしてる占いは何ですかね、例えでこれで伝わるかわからないですけど、
もののけ姫の冒頭に出てくることなんですかね、アシタカが飲まれた後に石とか投げてこうマップ上でその石の飛び散り方で何かを見て行き先を決めるみたいな、なんかそういうような占いを想像してました。
メランさんの占いに近いものって、水晶玉か銅っていうようなものではないというか。
確かにそういった意味では、ちょっと私もののけ姫友達の伝承でしか見たことがないんですけど、たぶんおそらく石を投げるとか投げたり方向とか位置関係で見るっていう意味では通じてる気がします。
石決定とか何か行動を決めるっていう上での方法論として確かにやってるので、そういう感じだと思います。
なるほど。なんか全然違うってやったらおっしゃってください。
それの頻度がめちゃくちゃ多いっていう感じですかね。自分の場合は常にそれが行われているというか、日常生活で例えば必要な時に、じゃあ今日は占いに行きたいって占いをするっていうよりかは、
本当に物心ついた頃からそういうような石決定をやって育ってきたみたいなところがちょっとありますね。
それを始めたきっかけみたいなのがあるんですか。
きっかけは自分ではあんまりこの時だっていうのを感じてなかったんですけど、周りの人とかからよく指摘されると言いますか、
一つはやっぱり幼稚園が最寄りの幼稚園に通ってたんですけど、そこが人よりもウサギがすごい多い動物園で、園長先生がウサ子って名前を名乗ってたんですね。
ウサ子先生は占い師さんに飼い目を勧められたみたいなことを説明してて、ウサギがとにかくいる幼稚園でした。園長よりもウサギが多いもので、
ウサギとのコミュニケーションみたいなのがとても多かったんですけど、ウサギってポーカーフェイスじゃないですか。
だから言葉を覚えるよりも先にウサギが何かしてるのかを察するみたいな、あるそういうコミュニケーションが身についてしまい、
そこから小学校に上がるんですけど、義務教育を受ける過程で、ちょっと他の人と時間間隔だったりとか、コミュニケーションとか言語能力がちょっと違うのかなっていうのは、
そのときからたびたび指摘されてまして、時間割とかを決める授業でも、みんな一週間分の時間割とかを書くんですけど、小学校で。
私は小学校低学年の段階で、もう2022年ぐらいまでスケジューリングそのとき全部しちゃって、それが後から遅ればせながら占いのルーツと言いますか、占い的な活動だったのかなというふうに思います。
2022年までってもうめちゃめちゃ最近ですよね。
そうなんですよね。それまで未来っていう概念もあんまりわかってなくてですね。
人が思う未来と自分の考える未来みたいなのがわからなかったんですけど、2022年を越えてからその未来っていうものがちょっとずつ、こういうものかみたいな。
もう決まったものとしてあったみたいな。
そうですね、あとはどれだけ対応していくかみたいな、現実が対応してくれるのかみたいな、そういう心持ちでした。
どうなるか、未来に対する希望みたいなものを感じたのはここ最近ですね。
すごいですね。やっぱ面白い。
そしたら未来に対する不安みたいなものもない?
そうなんですよ。あんまり不安とかを感じたことがそこまでなくて、むしろ不安と言いますか、自分が予定だったりとか、しなくちゃっていう根拠のない、こうしなくちゃみたいなことを実行することだけにただ集中して生きてきたみたいな感じでした。
なんて言うんですかね、今未来っていうとすごく時間的な、実際時間の話だと思うんですけど、それとともにさっき言った場所、位置関係であるとか、そういうことを踏まえていくと、空間性と時間。
結構、メランさんの中では、同一的な相対として、いわゆる時空みたいなものとして、自分がアクセスできる、同じようなものとして取り扱ってるって感覚あるんですか?
どちらかというと、比重としては時間の方が多分自分は意識してる気がしてまして、空間とかはですね、空間の把握も基本前後関係なんですよね。前後とかの関係とか、近いとか遠いっていう感覚なんで、空間把握が昔から苦手だったっていうのは結構指摘されることもありますけど。
なので、割と自分は時間ベースで結構占いする方が多くて、空間が、本当にあるアーティストの方から、その人は建築をずっとやってたりとか映像を撮ってた方なんですけど、大木裕之さんっていう方から、占いに全然空間が出てこないねって言われたことがあって、その時は初めてハッとしたんですけど。
そうなんですよ。あんまり空間がないねみたいな、そこまでないかもしれないですね。
なぜそれを思ったかというと、先ほどの自己紹介フェーズの時に、最近は太平洋周辺をリサーチとかレジデンスしながらっていう話をしてたので、太平洋周辺ってすごく空間的な言葉でも言えつつ、
でも、どっちかというと海という概念でそれを言ってるのか、どういったイメージとして太平洋周辺っていう感覚なのかなってすごい気になったんですけど。
一つは、本当に今までアーティストレジデンスを応募して広報が通ったりとか招待していただいたのが、全部マッピングした時に太平洋側だったっていう驚きが一つと、もう一つは太平洋っていうのが自分的な空間って言われますか、
波の流れみたいなところで、どうしてもこっち側に行くことが多くて、自分が育ったのがちょうど太平洋側だったっていうのもあるんですけど、そういうところから太平洋って言葉が身近にあったっていうのも一つだと思うんですけど、
あとは複数地名を言っていく中で太平洋っていうふうに3文字で言うことが次数の制限上多いっていうところから癖になってました。
なるほど。
ちなみに北川さんはどちらかと言えば日本海側?
いや、僕は東京、埼玉、関東が中心ですね。
今は日本?
今は島根県。日本海側、どちらかと言えば。
でも太平洋も結構すぐ出れる?瀬戸内海?
瀬戸内と日本海と両方とも1時間ちょっとっていう感じですね。
なるほど。
太平洋側のレジデンスと作品制作の関係
北川さんいかがですか?いろいろ突っ込んで聞いていくと、面白い話しか出てこないなっていうのが正直。
どこから聞けばいいのかよくわからないなと思いまして。
でも例えばレジデンスに応募して太平洋側のところが多かったみたいなので、
多分太平洋側のほうが人口が多いからきっとレジデンスの数も太平洋側のほうが多いですよね。
そうすると誰が応募しても太平洋側のほうが多くなるような気がするんですけど、そんなことはないですかね。
確かにどうなんでしょう。
一つは実際に日本海側のほうのレジデンスも応募したことがありまして、実は。
あるいは考えたこともあるんですけども、結構条件が合わなかった。
例えば山を登れないとダメとかもあったり、
あと単純にちょっと企画書とかも送ったりしたんですけど、ちょっとダメだったってとこもあって、
今まで通ったのが本当に太平洋側は太平洋側でもメインしてるところなんですよ、海に。
もう海が見えるところみたいな。
神奈川、静岡、愛知、三重、和歌山、香川っていうふうに来てるんですよ。
確かに。
なんでかわかんないんですけど、そこは今まで企画書を受け入れてくれる行政の方が多くてですね。
他にも京都とかいろいろ応募したことあるんですけど、石川県とか。
面白い。
その、どういう受け入れられやすい文化圏みたいなのがあるのかな。
そうですかね。
占いを基にした作品制作プロセス
占いと作品、どんな作品を作ってらっしゃるかっていうのと、
それと占いの関係みたいなのを知らない人にもわかるように教えてもらえると嬉しいんですけれど。
わかりました。
作品、ラジオなんで。
じゃあちょっと語りで喋ると。
例えば最近ですと、高松、香川県の高松でアーティストインレジデンスっていうものに参加したんですが、
私はいつも企画書を書く段階でプランがないんですね。
なぜならばレジデンスっていう形で滞在してから、そこで占いをして何をするかを決めるっていう形なので、
他の方々はちゃんと応募の段階でどういうことをするかっていうプラニングがあるんですけど、
私の場合は高松に行ってどういう占いをするかっていうことと、
現段階占いで何が見えているのか、何がわかっているのかっていうのだけを企画書に書いて応募するんですね。
スケジュールとかのところで何月何日、例えば水が目覚まん月の日にはこういうことをしますみたいなこととかを占いで書いて、
ここら辺で多分作品が完成しますみたいなことを占いで読んでいくんですけど、
実際それで高松の方でレジデンスが受け入れられまして、
高松の松っていう植物の下で待ち人を待つっていうことをずっとしながら、
どういう占いをするかってことをひたすら考えてたんですけど、
高松に最初に来た満月の日に占いをしたんですね、そこで。
したら尻尾っていう感じ、尾ですね。尾っていうのが占いで見えたんですよ。松の木の下で。
尾かと思って、次の日に担当の学芸人さんと一緒に盆栽のリサーチに行って、
高松は雨が降らないんですけど、その日だけすごい雨が降って、雨の中松を千本見たんですよ、盆栽を。
私はそれでずっと残るはずだったんですけど、珍しい雨だから電車が止まっちゃうってなって、
学芸人さんについて美術館に向かうことになって雨宿りをしていたら、
ちょうどそこで出会った方が一人いまして、何か話したんですよ。
その人の名前が松尾さんって方で、松の尾と書いて尻尾の尾と書いて松尾さんって方で、
昨日占いで実話みたいな話をしたら、その松尾さんが高松の有名な公園のガイドをしてたりとか、
いろんなバックボーンを持つ方で、制作に協力してくださったんですよ、その方が。
で、ずっと松尾さんと話す中で、どういう作品を作るかとか、次の占いどこに行ってみたらどうかとか、
こういう松が実は、高松出ちゃうんですけど近くにあるよとか教えてもらって、
今度その先では神社の境内から猫がピョーンと出てきて、その猫が私にすり寄ってくるんですけど、
そのすり寄ってきた背中にくっついた砂とか松で、今度は占いをして猫の背中で。
で、今度はここに行こうとか全部決めていって、最終的に占いを経てどういうものを作るかっていうのを決めて、
それは主に立体だったりとか写真だったりとかいろいろバラバラなんですけど、
その高松で行った記録として、平面立体いろいろ複合的に空間に展開したっていう感じでした。
今わかりやすくて大丈夫ですかね。
情報の読み解き方とアウトプットのプロセス
面白い。めちゃめちゃ。なんだろう。
正直まだ僕、北川さんがお聞きしたように、僕も実はメランさんの作品を、
こないだのYCAMで見せていたもの以外にちゃんと見たことがなくてですね。
ウェブサイトの方を少し見てたんですけど、やっぱりちょっとわからないですよね。
ウェブサイトもすごい独特で、でもなんかその情報の読み解き方みたいなものですかね。
今猫がパッと出てきて猫の毛に絡まっている小石を見てみたいな、
そこの情報が拾える感覚で物を見るってすごい面白いなと思うことと同時に、
ウェブサイトも一見すると、僕が例えばアーティストとしてウェブサイトを作っていくと、
情報としていろいろ削ぎ落として、作品だけ見てくださいって風になるものの手前のいろんな仕掛けがいっぱいあるウェブサイトだなと思って。
環境がそこにあるっていうような感じがしたんですけど、
ちょっと話がとっちらかっちゃうんですけど、ウェルアンさんの中での情報の拾い方で、
なんかアウトプット、拾ったままそのままアウトプットにパンって出す感じなんですか。
もしくは洗濯みたいなものっていうのがどこで行われるんだろうってちょっと気になったというか。
そういった意味では、洗濯って言いますか、占いで読んだ情報だけに忠実に行動に起こすっていう方が近くてですね。
例えば、ずっと続いている感じ、
行動がずっと自分の場合続いている感じがあるんですね。
どこで展示しても、例えば展覧会ごととか作品ごとで自分の思考や行動がリセットされている感覚っていうのがあまりなくてですね。
全部が繋がっている感じがすごくあって、展開していると言いますか。
なので作品の切れ目っていうのもちょっとすごく難しいんですけど、
例えばある高松でレジデンスが決まりましたっていうのも、そこから実は始まっているんじゃなくて、
例えば高松のレジデンスに応募しようと思ったのはこういうことがあったから、みたいなのがずっと繋がっていて、
それを元に戻っていくと2017年に、
女性の動きを自分が占ったときに始まった、女性とのプロレスっていう、
女性プロレスって作品を作ったことがあるんですけど、
そこからずっと二人三脚で女性の占いとか、占いと二人三脚でもやっていくっていうことが、
そこでそうなっちゃいまして、
そこからひたすら占ったことだけで行動と生活、制作全部やっていくっていうだけの人生でしたので、
何かを選択しているというよりかも、
例えば物を置くか置かないかも占いでしか決まらないので、
間に合えば何か作りますし、間に合わなければないっていうだけの展覧会と言いますか、
そういうふうに今までやってきた感じです。
イレギュラーな要素と他者の協力
あとはイレギュラーなこととしては人の助けですかね。
占いだけじゃなくて人の手助けで、
例えば差し入れとして作品がないのはちょっと心配だからということで、
親の差し入れとして何かこれ置いたらどうとか、
そういう差し入れをもらって作品ができていくとかもあります。
それはちなみにどんなものだったかって聞いてもいいですか?
主に親からは本ですね。
この本とか置いといたらとか、
図書館から帰ってきた本を置いてもらったり、
あと友達からは椅子とかを、
この椅子だった方がいいよとか椅子を置いてもらったりとかして、
私が占いで色だけはこの色でっていうのを指定させてもらって、
そういうふうにやってたりとかしました。
占いと人の手助けという感じです。
占いの開始トリガーと「辻占」
占いで何かを決めるときにどこまで決める?
何かを決めるのの何かはメランさんが決めるんですか?
何かこれを知りたくて占うというよりかは困ったときに、
思考停止というか心配というか、
本当に何もできなくなっちゃうことがあって、
どうしようってなったときに占いが始まるみたいなことが
普通の話なんですよ、思考の中で。
意思決定みたいなときに。
だからオノズと始まることの方が多いんですけども、
あと勝手に自分が望んでなくても、
例えば平安時代とかでよく言われるような辻裏って占いがありまして、
それは四筒になっているクロスロードみたいなところに立って、
聞こえてきた人の言葉とか見たものがそのままその人の占いというか、
情報になるみたいな占いが万葉集とかでも読まれてたりするんですけども、
そういう感覚にちょっと近いと言いますか、
実際に生きてて目についたものとか聞いたもので、
何か自分にそれが影響を与えて勝手にこうしようみたいな、
その次に繋がっていくっていう感じがありますね。
なんかある種、感受性がすごい強いっていうか、
感受性の強さと環境との関わり
今の普通の人はほぼ気にしないとか、
猫の背中に乗ってる砂とかみたいなもの、
そういうどうでもいい、それが自分に関係あるとは思わないようなものにも、
自分との関係性を感じるみたいなことなんですかね。
まさにです。
先ほどちょっとお話ししたの、
幼稚園でウサギとずっと一緒にいましたので、
本当に表情とか言葉ではないところでですね、
ウサギとかとは関わらないといけなかったので、
そういう、例えばウサギと対峙してたとしても、
その時の天候だったり気温だったりとか、
そこにある環境っていうものが結構自分とウサギの関係とかに
すごい影響を与えてたなっていうのは思いました。
あと今の話でちょっと思い出したのが、
幼稚園の時の遊び道具とかも、
遊び方が決まっているようなおもちゃとかが一切なくてですね、
家庭から寄付されたシャモジとかがその辺に置いてあるんですよ。
なんとかしてシャモジがすごい人気で、園児から。
シャモジ争奪戦みたいな感じになって、
みんなで何をしてたかっていうと、
シャモジとザルを使って一生、
幼稚園が終わるまで、
校庭の砂をサラサラにこすっていうことをずっとみんなでやってて、
そういうコミュニケーションを幼稚園の頃みんなで遊びとかでやってたんで、
環境みたいなものとか砂ってものがすごい身近にありました。
なるほど。
なんかでも、シャモジはともかくとしても、
砂遊びって昔子供の頃すごいやった記憶があるんですけど、
いつの間にか触れてた情報とか、
行動の中からそれが排除されているなって確かに思ったりして。
ちっちゃい頃は、砂との関わり方とか、
言語以外の非言語的なコミュニケーションって、
環境とともに一緒にしているっていう意味では、
それをどんどんアップデートしていくと、
メランさんの言う占いみたいなものになっていくんだろうかと思いましたね。
「見る」感覚と占いの感覚の近さ
でも、何て言うんだろう。
それが僕の言う、見るっていう感覚、
何か見たりとか聞いたりする、もしくは触れたり、
熱いと思う感覚と、
どれくらいメランさんのパッと小いちょを見た時に、
その読み解く感覚っていうのは近いものなんだろうっていうのが、
すごく気になってるんですけど、
メランさんももちろん、でも当然、物差って熱いとか、
何か物を見たりしているじゃないですか。
それと感覚としては分けているわけではないんですか?
そうですね、あんまり分けている感覚はないですね。
詩っていうなら、人との活動とか約束事とか、
そういうものに関しては義務教育とかで習ってきたことがあるので、
そういうので、人間の中でいうと適用と言いますか、
例えば、あそこで遅刻しないみたいな、
そういうことは学んできた記憶があるんですけども、
日常生活で何かを味わったりとか、
熱いな寒いなみたいな、
そういう感覚とうだねをしている時の感覚っていうのは、
あまり区別はして考えていないです。
うん、なんだろう。
知覚心理学と占いの研究
北川さん、ちなみに北川さんの研究分野で、
知覚心理学、認知の話で、
そういった占い、もしくは語感ではない感覚領域の話って、
研究分野としてもあったりするんですか?
あー、ありますね。
あの、優待離脱が本当にあるかみたいな研究で、
もうだいぶ若い頃に読んだやつだから忘れちゃったけど、
優待離脱ができるのであれば、
寝っ転がっててお腹の上にカードを置いて、
それが読めるはずだみたいな、
それで優待離脱ができると言っている人に、
寝っ転がってお腹の上にカードを置いて、
それを読ませるみたいな実験をやったりとか、
いうのは読んだことがありますね。
それで、できなかったとかいう話だったような気がする。
でもそれはできる時とできない時があるし、
いろんな条件が揃わないと優待離脱できないし、
いろいろそんなのがあったりとか、
あとはもうちょっとサイエンス寄りだと、
関係あるかどうかわからないですけど、
自分がコントロールできる範囲が狭いと、
新人深くなるみたいな。
因果関係があるかどうかわからないですけど、
コントロールできる範囲が狭いほど新人深さがある。
例えば漁師さんとか、漁師さんって今は魚群探知機とかあるわけだけど、
昔で言えばもう本当に経験に頼って、
きっとこの辺に魚いるはずみたいな感じでやっていくわけですよね。
だからいなくても取れない時もあるし、取れる時もあるし、
運が悪ければ海が湿けて死んでしまうみたいな、
すごく不確定要素が多いわけですよね。
そういう人たちはすごい新人深くて、
日本でも神社とか港町には必ずあって、
漁に出る前に神社に行くとかいうのがあるし、
それは日本に限らず世界的に漁師さんは新人深かったりするらしいですね。
あとはスポーツ選手とか、原活技とかあるじゃないですか。
バッターボックス入る前にこういうポーズをするとか、
こういうことをやってからやるとか。
野球だったらバッターで3割打ったらすごいいいわけですよね。
3割って10回に3回しか打てないわけだから、
結構打てないことが多い。
そういう状況だと原活技みたいなのをやるように、
そこに因果関係を見出すっていうか、
そういう研究はありますね。
そういうものが物の見え方とかにも影響してるんじゃないかっていうことはあるかもしれないですね。
猫とのコミュニケーションと観世界ユニット
確かにその因果関係とか、漁師さんやスポーツ選手の原活技とか、
その因果関係みたいなものとの捉え方みたいなところで言いますと、
確かに1対1で考えるみたいな因果率ではないようなところで、
確かに育ってきたなっていうのはありました。
幼稚園に卒園して小学校4年生ぐらいの時は、
野良猫と一緒によくいたんですけど、家の近くの。
猫はすごく節約すぎてですね。
猫と自分っていう関係性よりかは、
もっとその時の猫の気分とか、猫が見ているものとかと、
自分っていうのがいろんなところに因果関係に結ばれたような感覚がありまして、
それはコミュニケーションとしてはしやすかったなっていうのを覚えてます。
面白い。なんか、観世界ユニットって入ってらっしゃったんですか?
はい、入ってます。観世界ユニット。
いわゆる観世界というものの、
人間の見えている世界と猫が見えている世界とは、
そもそも見え方が全然違うよねっていうところの、
それぞれの観世界があってということが、
多分そこでは一つ議論の中心にあると思うんですけど、
逆に言うと、僕はメランさんの話で聞いていると、
情報を共有している部分の見つけ方みたいなのも結構あるのかなと思って、
いわゆる野良猫と共有している環境とか、匂いとか湿度とか、
うさぎのほうもそういう話かなと思ったんですけど、
そういう観世界のユニットに入りながら、
メランさんが逆に思う、見えている差とか、他の動物も見えている差とか、
何かあったりするんだろうかと思いながらお聞きしたいと思うんですけど。
猫とウサギのコミュニケーションの違い
うさぎのことはあまり分からなかったんですけど、
猫とは、猫もすごい自分のリズムを大事にしている感じがあったと言いますか、
例えば自分だったら、お昼3時ぐらいになったら必ず外で、
小学校の頃とか学校から帰って、3時になったら散歩するみたいなときに、
猫が決まった場所とかで、お気に入りの場所で寝てたりするわけなんですけど、
そういう自分の中で大事にしているサイクルみたいなものとかが、
猫とは重なる、何ですかね、
猫は猫の時間を過ごしているな、自分は自分の時間を過ごしているな、みたいな感じで、
あまり接続しないというか、流れがただ単に2つあるみたいな感覚があったんですけど、
うさぎはそういうのがあまり掴めなくて、どう接していいのかがちょっとわからないという感じだったんですけど、
猫は猫の行動パターンとか、猫が何を気にしているかとか、自分が何を気にしているかというのが把握しやすかったという感じがあったんですけど、
他の動物とも比較が、猫が多いのかわからないんですけど、
でもなんとなくわかります。猫ってわかるような気がしますよね。
でもうさぎって、たぶんうさぎが何を考えているかとかって、全然想像ができないっていうか、
猫は何かあっているかどうかわからないけど、何か考えている。
この何かを考えているんだ、こんなことを考えているんだろうな、みたいなことを思いますよね。
うさぎって、かわいいけど確かに感情を読めないですね。
言われてみると確かに。
目が何か、あれですかね、目が白目と黒目があるみたいなのって、
うさぎって赤いの?黒い?なんだろう?白目がないような気がするんだけど、あるのかな?
側面に目があるイメージですね、うさぎは。
猫はまだ正面でこっちに向かい合って表情が見えるけど、何か目ですかね、やっぱり目がこっち向いて、
ピッて両目で目が合わないっていうか。
そうか、馬とかも、馬も横にありますよね。
確かに馬とヤギと羊と牛が苦手でしたね、小学生の頃確か。
間違えてない。動物園とか行くときとかも大変だった気がする。
そのエリアを通らないと他の動物のとこ行けないっていうときに、結構ヤギとか怖かった記憶がありますね。
ちなみにその話がそれちゃうんですけど、メランさんは作品をもちろん作ってらっしゃるうち、占いも生活の中で組み込んでいると思うんですけど、
古文講師としての仕事と占いの繋がり
今、日常でお仕事で古文の先生をされる。古文の先生っていうのは、教えてるのはどこで教えてるんですか?
本当に大学受験の予備校ですね。大学入試を控えてる人の予備校です。
その古文っていうのは何がきっかけで、それも聞いていくといろいろ繋がってるのかなってすごい興味があるんですけど。
厳密に言うと、自分で古文をやりたかったっていうよりかは、試験を受けたときにいくつか他の科目も登録科目であるんですけど、厳密に言うと古文だけではなくて他の科目も実は担当してるんですけど、
その校舎のニーズが圧倒的に古文が多くて古文の先生が少ないっていうのがあって、私は結構古文を担当することが多くてですね。
もともと受験するかとかも悩んでた時期があって、私は学習とかも全部小読みに応じて勉強するかしなか決めてたんで、
ちょうど2010年の周期に入ったときに、これは勉強できるときだってなりまして、スケジュールで。
そこで1年勉強したんですよ、予備校で。
偏差値はたぶんすごく伸びまして、それを見た横浜校の予備校の先生が採用試験受けてみたらみたいなんで、学生講師から始めて、でもずっともう十何年続いてる仕事なんですけども。
それで社会人になったときにもう一回プロ講師で試験受けたときに、いろいろ科目を登録した中で、今は古文が講師として担当がとても多くて、今は古文を主にやってるっていう背景でした。
なるほどなるほど。
じゃあ古文以外も実は普通に教えて、今でも教えてあったり?
そうなんですよ、実は。世界史とか現代文とか。
そういう感じですよね。
なるほどな。いろんな情報とじゃあ本当に接続して占ってそうですね。
サンタクロースからの本と占いの関係
そうですね。結構サンタクロースからもらった本とかも占いの役に立ってましたね、今思うと。
ちょっと待ってください、どういう意味かあんまりわからない。サンタクロースからもらった本。
私結構学校が横浜だったんで、横浜中華街でよく遊んでたんですね、高校のとき。
友達が占いやりたいみたいな感じでつき添いで行くじゃないですか。
友達が会計してる間に呼び出されて占い師さんに、占い師にならないみたいな感じでスカウトをされることが結構あって。
それでこういうの、例えば駅とか、こういうの見せられて、こういうのわかるって言われたときに、
サンタクロースが昔くれた本とかで、西洋先生術ですとか、あるいは中国とかの言い伝えみたいなのとかをしてたんで、
なんかわかんないけど読めるみたいなことがあって、それでスカウトされたことがあったんですね。
それでサンタクロースから本をもらうこととか図鑑をもらうことが多くてですね、
西洋の五夫大勢みたいなチャームみたいな、西洋のお守りがいっぱい載ってるみたいな本とか、
そういうのに呪術図とかがいっぱい載ってて、そういうのを吸収してたので、サンタクロース本とかがすごい役立ちました。
なんかだから、本当に時間っていうものの尺度がすごい、
メランさんが生きてるだけの時間じゃなくて、もっと長い尺度の時間間隔みたいなのとかも、
割と自然に取り込まれてるって感じなんですか?歴史というか。
そうですね。確かに世界史とかもすごい好きだったんで、
もともと暗記術とかもすごいサンタクロースからの本で学んでたので、暗記術とか、
中世の暗記術とはみたいな、体と紐付けて覚えるみたいな、そういうので漢字テストとかもやってたんで、
そういうののところから世界史とかをひたすら覚えるじゃないですか。
流れる中で自分の歴史区分っていうのの単位が、1年単位とかじゃなくて400年ごとに何かを考えてみようとか、
そういうのを自然と身につきましたね。
400年ごとに変わり目が来てるとか、2000年ごとに変わり目が来てるんじゃないかとか、
そういういろんな境目みたいなのを、確かに占いとかでは今気にしてますけど、
そういう勉強とかも関わってるかもしれません。
土星プロレスと天体の動き
僕ちょっと全然占いとかやらないんでわかんないんですけど、
歴史、人間の歴史、世界史とかやっていたらもちろん知っているだろうし、
古文っていうことも関わりながら、ある昔の人たちの言語を読み解いたりっていうことはあると思うんですけど、
その向こう側に、メランさんの場合木製に対してすごくこだわりがあるのかなと、
自分、関わり?
土生ですね。
土生か、すみません。
すみません、本当に失礼いたします。
土生っていうの、土生って、要は天体とかもう少し人間の行動とか歴史とかをさらに超えた範囲での天体の動きみたいなのって、
どういう形で今のメランさん個人とフィットしたりとか資格したりしてるのかなっていうのをちょっと聞いてみたいんですけど。
あの、ちょっと最初に話した、小学生の頃に時間割を決める過程で、
2022年までスケジューリングしてしまったっていうところとちょっと関わりがあるんですけど、
自分でそのスケジュールを組んだ時に、何でこういうスケジューリングだったのかって自分でもわからないわけなんでしょう。
やっぱり生きていく中で高校生とかになってくるとみんな振動で悩むじゃないですか。
でも私はもうこれがあるからっていう、このノートがあるからみたいな感じで、
そうなった時に理由がわからないんですよね、自分でも。
当時、図書館のワンフロアの本を全部読むってことを自分でやってて、受験勉強の代わりに。
その中で、横浜市立図書館の4階の人文フロアを全部読むみたいなことをやった中で、
路線の周期について知ったんですよ。路線がどれぐらいの周期で回ってるのかとか、
路線が何なのかみたいなところを読んだ時に、自分のタイムスケジュールと重なるところがあって、
自分の中でこの年がとても大事みたいなところが、結構路線が自分の星座のところに戻ってくるタイミングだったりとか、
それを調べていくと占いではそういうことを読んでるっていうのを西洋戦争術とかだと知って、
結構占いの考え方と自分のサイクルっていうのはかみ合ったと言いますか、厳密に言うと今はかみ合ってないんですけど、
占いに対して思うこともあるんですけど、その時はそう考えて、それで路線に注目したりとか、
自分が歯が痛くなるタイミングとか、熱が出るタイミングに路線で何かあったかなって調べると、
必ず路線に何かがあるみたいなことが重なったのもあって、路線について2017年頃考えることになりました。
でも2017年からなんですね。
そうなんですよ。路線についてやってたのは。それまでは自分が占いをやるってことも全然思ってなかったんで。
なるほど。
占いの技術化と他者への還元
はい、そうなんでしょうね。
なんか不思議ですね。占いをして続けてきているように聞こえるけど、でも占いは2017年からだんだと思って。
占いっていうのはやっぱり技術みたいなものになるんですかね。
何かそこで2017年で知覚してたものが占い、そこに占いが入り込んだっていう感じか。
それまでは自分の中では生活の暮らし、暮らしの中でのノウハウみたいなものだったんですけど、
やっぱり占いとしてやりたいと思ったのは、一つはきっかけとして友達の専属占いをするという流れになったっていうところと、
たびたび占い師にスカウトされる中で、結構占いってものが自分の中で大きくなってて、なんでそんなに言われるんだろうとか。
そういうのになった時に、自分の中で占いって方法をもうちょっと更新することで表現活動と結びつけれないかなと思ったのが、ちょうど2017年として。
その話を身近な人とか親とかにしたときに、やっぱりそういうのは小さい頃からそういう予兆があったみたいな話を聞いたんで、やっぱり何になるのかなってところでやりました。
何か土星の、メランさんに何かあったときに、土星にも何かがあるみたいな。
それってでも多分土星以外のものでもきっと何かはあるじゃないですか。
でも土星に何かがあって、そこにつながりを感じるみたいなのっていう。
なんか人間そういうことはよくありそうな気がするなと思って、なんか偶然起きたことでもそこにすごい意味を感じたりとかってあるじゃないですか。
どういうことなんですかね。それが何、そのことの役割。
まあ多分なんかユングとかね、きっとそういうの言ってるんで、僕は全然臨床心理学みたいなのは全く知らないので、なんか全然わからないんですけど。
なんかそういう偶然、シンクロニシティみたいな、偶然一緒に起こったことが意味を持つみたいなことを心理学でも言ったりするんだと思うんですけど。
いや、なんか面白いですね。すみません、なんか。
そうですよね、なんかいろいろ起きる中で何かそこと、そこ、そうなんですよね。
なんで土星だったのかって言われると、そのあんまりわからないんですけども、なんか土星とはそういう、なんかわかんないけど、なんかありましたね。
なんかすごく自分の話になったんですけど、僕は基本的に自分自身が自覚できる、まあ人間誰しも自分が自覚できるもので自分しか自覚できないっていう。
宇宙の描き方というか、もう結局のところ僕が中心にいて、その周りに僕の今いる部屋があって、その周りに今滋賀県があって、ちょっと超えて日本全体で世界があって地球があって、どんどん宇宙の方に広がっていってみたいな。
まあちょっと僕自身の世界の認識の仕方ってそういうイメージがあるんですけど、すごく当たり前にすべてのものと実は接続はしているけれども、なんかそれをすべて自覚することはできないような感覚があって。
なので僕は自分の作品では自分自身の見るっていうことをテーマにはしてはいるんですけど、同時に興味があるのは他の人が何をどういうふうに見ているのか、どういうものと接続しているのかっていうのがおそらく興味があるのかなと思っていて。
だから全然結構他の人が持っているものがその人の見え方だけではなくて、何だったらその人が持っている宇宙みたいなものとしても捉えているのかもなぁと思った節があり。
僕はその上で、ちょっとメランさんの話ではないんですけど、最近お話したアーティストの方となんか予知無の話をそれこそされる方がいて、予知無の話も結構近い感じがするなと思って占いと。
なんかそのやっぱり見た夢の中で出てきた情報とか言葉みたいなものを外側の人たちと接続していくとそれが意味を成して、他の人の行動に繋がっている。
他の人が例えば台湾に行くときのそのきっかけのエピソードとそういう予知無とか重なる。で、その人自体の行動ではなくて、それ以外の人の行動とも重なっているっていうこととかが、なんかAさんBさんって今登場人物が現れたんですけど、Aさんの宇宙の中でそのBさんと関係しているっていうところがすごく面白いなと思って聞いてて。
メランさんの占いの話っていうのも、メランさんが情報として知覚している占いをもう一回他者に還元したりもできるじゃないですか。要は人の行動に干渉できるみたいな。
それって結構よく考えると不思議だなというか、なんか知覚がダイレクトに他人に影響を及ぼしているともそれが言えるのかなと思ったんですけど、伝わってますかこれ。
はいはいはい。
占いを僕は基本的にあんまり全然やったことはないんですが、メランさん自体が占いも他人の占いをした者から占いを受けてやるってこともあったりするのかっていうことをお聞きしたいのと、
あと同時に北川さんって占いされるのかなっていうのもちょっと気になって、それを聞いていきたいんですけど。
まず人から会ってるのは本当に最初に占いをするきっかけとなった友人のためだけにはしたことがあって、
あとは本当に自分の場合は占いを職業にはしてないんですけど、
占いは占いってちょっとジョークめいた感じで、占いを金銭的に仕事としてはやらないっていう感じです。
その理由としては自分が占いっていうのが好きでやってるわけではなくて、
何か情報のある種のノウハウとしてこのタイミングはできるみたいな、そういう自分の行動とか能力に対してやってることだったので、
例えば特定の期間は占いできるけどできない期間はもちろんあるので、そういう感じでやってまして、
なので専属の友達の時には他社としてやってました。
あと占いができる期間が長かったんですね。自分の場合2017年から始まって活発になって。
その時はオープンにして、例えばJR西日本さんから、この電車の中で占いのワークショップしてくれませんかとか言われた時は、
1日で30人ぐらい占い電車の中でしたりとか、そういう感じで人と一緒に占いをするってことがあるんですけど、
でもその時もどちらかというとですね、例えば手相にしてもタロットにしてカードとか一緒占いにしても、
一緒にその情報を読む中で自分が見えたのか聞いたのかちょっとわかんないんですけど、
情報として知り得たことを発言して、それが占いになっていくみたいなことが結構多くてですね。
そういう感じで人とやってました。
プラス、メアンさんが占い受ける側?これ受けるって言いましたか?正しいのか。
メアンさんが占う側じゃなくて占われる側っていうのはあったりするんですか?
ありますあります。
それこそ、よく占いのワークショップの時とか、私が占いできない時は、
代わりに代々でこの人が、一緒に占いましょうとか占ってくださいとか、
あるいは友達が占いしたいとかで、占いやりましたみたいなときに占ってもらうこととかもありました。
占いの休止期間と活動自粛
占いできないときっていうのはどういうときなんですか?
厳密に言うと占いだけじゃなくて、いろんなことができないときなんですけど、
この期間は、表だった行動をやめておこうという期間が定期的に自分の中で周期としてありまして、
それは例えば、成績で言うと2022年ぐらいとかは、展覧会とかも一切控えていたんですけど、
7歳の時とかに決めたスケジュールの中で、活動休止期間みたいなのとかがありまして、
この後は特定の、この辺は暦ですね。四季があると思うんですけど、春夏秋冬と。
だいたいこの月のこの辺は、一週間ちょっと休むとかは決めてまして、
そういうときは占いとかしませんね。
例えば人が亡くなった後は異味期間で物異味をするとか、
決まったこと、こういうことは今できないとかあると思うんですけど、平安時代の方の暮らしとかで。
その感覚にちょっと近いと言いますか、不吉だからやめとくかとか、
活動自粛みたいなのを取りましたね。
あと厳密に言うと占いも毎回今やってるんですけど、
やってみるまではできるかわかんないっていうのもちょっとあります。
やってみてどうなんだかちょっと本当わからなくてですね、っていう感じですね。
だからあんまり約束ができないっていう意味で、商売とかにはできないっていう感じなんですよね。
それこそ、今日選説祭を渡ってるわみたいな、そうじゃないときみたいな感じに近いんですかね、もしかして。
そうですね、それもありますし、それがあらかじめ、何となく時期的に読んでるっていう感じですね。
トゥデイってよりかは、あらかじめちょっとここはみたいなのがあったりしますね。
ちなみに北川さんは占いとかは?
やらないですね。
全くたぶんやったことがない、おみくじ引くぐらい。
あとは、何ででしょう。
でもなんていうか、直感みたいなのと似てるのかなと思って。
直感で決めるとか言っても別に、直感って根拠がない、ただランダムに決めてるわけじゃないじゃないですか。
何かしら何かがあって、こっちしかありえんみたいなことを思うみたいなのって何かをたぶん感じてるんだと思うんですけど、
そういうものがもっとはっきり占いとかだと、見える人がいるのかなと思ったりはしますね。
だから、あとはきっと人間ってもっといろんな可能性があるっていうか、
もっと能力的にもっと発揮できてない能力があるような気はする。
今みたいにいろんな技術があって、それを外部に出しちゃう。
例えば時計とかだったら、時間ってだいたい時計なくても本来人間わかるんだと思うんだけど、
時計みたいなのがあると、それを見るみたいなことをやると時間を知る能力みたいなのなくなっていくみたいな、
いろんな技術で外部化能力を外部に出しちゃうと、それが失われちゃうみたいなことがあるような気がして、
そうすると本来もっといろんな能力が人間あるのかもしれないなと思って、
それが占いとかができる人っていうのはそういうのをまだ持ってる。
まだというか、まだと言うべきかどうかわからないですけど、そういう能力がまだあるのかなと思って。
能力の外部化ってすごい面白いと言いますか、
占いの比較論と意思決定
私が占いを考える上でもすごいキーワードが、
外部化してしまった能力みたいなものと、外部化できなかった能力みたいなのが、
自分の中に間違いなく一つあるのが物差しとかですね、
小学校の頃とかも一切使えなくてですね、物差しが。
長さが測れないみたいな。
長さの概念がですね、苦戦しましたもん。
そういうところで結構ありますね。
何ですかね、僕すごい外部化の話は、
北川さんがおっしゃるように、時計って外部化するし、
それによって失われる知覚もあるけれども、占いって同時に外部的な
比較の方法論なのかなと思ったところがあって、
そう言われてみると、実はすごくいろんなものを外部の近く、
機械を使いながら僕らも色々、それこそ研究分野でもそうですし、
測っているなと思っていて、
そういったものと占いっていうものと、
じゃあ実際、もちろん全然違うものではあるけれども、
考え方として突き詰めていくと、どこまでそれが違うのかっていうのは
ちょっと気になりますね。占いっていうものが、
すごく占いって言ってしまうと未知で、すごくオカルティックなものとして聞こえるけど、
僕、メランさんと話をしながらする占いの話って、
自分自身の行動原理の中の知覚サイクルの一つな感じで聞こえてくるというか、
だからそういう意味では、
今日、自分気だるいなと思った時の体温計みたいなものと突き詰めると、
結構近いものがあるのかなって思ったりするんですけど。
確かに、自分が生きていく中でできない行動とかが、
能力的にできないというよりかは、これはしないみたいなのがありまして、
生きていく中で、いろんなものだったりとか、
いろんな人だったりとかに頼ってずっと生きてきたので、
そういった意味で占いっていった時に、
例えば石を通して何かを決めるとか、
何かこういうのを見て決めるとか、
そういう判断力だったり意思決定だけじゃなくて、
あるいは、私いつも制作する時に必ず一人でできなくて、
協力者が必ずいるんですけど、特定のことを手伝ってもらう。
その人たちにも結構やっぱり、
占いっていうものが、自分を超えて他の人のところに行っちゃってる感じはありますかね。
集合地じゃないですけど。
そういうのはちょっとありますね。
例えば、これは自分でできるけど、
これは自分がやらない方がいいだろうなみたいなこととかもあるんですよ。
その時に自分の場合、例えば、
でもそれを人に頼んだらちょっと迷惑だからやめとこうっていう気持ちが一切なくてですね。
自分がやらない方がいいなと思ったら、頼みに行っちゃうみたいな人間だったので。
それでずっときついかもしれないですね。
ちょっとその生き方、意思決定とか、そういう自覚サイクルもありますし、
あとは単純に恐れ知らずで発言しちゃうとか、
それにとても従ってしまうというところがありますね。自分の中では。
占いって不思議だな。
メランカオリの説得力と物語の紡ぎ方
ちゃんとやっぱり占いのことが僕は分かって、
メランさんと話しながら占いが分かってないような気がしてきました。
占いが何なのかどうなんですかね。
何を持って占いというのかみたいなのって難しいですよね。
そうですね。
僕の根本に戻って今回のミルラジオというラジオトークのテーマに戻ると、
僕の中ではそのミルっていうことをどのくらい自覚として捉え直せるかっていうのも
今回の試みの一つかなと思っていて。
視覚的なことだけ以外のミル。
しかもそれがいろいろなアーティストの方とかが持っているそれぞれの資座というか、
多分培ってきた環境によってやっぱりそれを見るっていう能力も鍛えられ方が違うような気がしているので、
今のそのメランさんの占いの前からの占いみたいなものですかね。
ウサギの話から始まる。
なんかそれがやっぱり今の生活の中にもフィードバックされているっていうことは、
その見方みたいなものがそこには織り込まれてるんだろうなと思って。
でもそのどうしても見方っていう風にすると、
もしくは近くっていう風にすると、
すごい部分的に切り取った言葉になってしまうんだろうなというのは占いの話を聞いていると思いまして、
もう少し占いっていう言葉の幅自体はその前後含めた、
時系列的に言うと過去からそれこそ未来まで含めた、
包括的な空間性、軸を触れるようなものなのかなって思いながら聞いてるんですけど、
僕のイメージとしてはそんな感じなんですけど、
北川さん、僕のイメージどうですかね。
いや、どうって言われると困ってしまいますが、そうですね。
北川さんの中で持っている占いに対してのイメージとかってあったりするのかなと思って。
僕は北川さんとぜひメダンさんの話を聞きたいなと思ったのは、
北川さんとお話しているときに瞑想の話をしたりするときの、
瞑想のときの知覚の在り方みたいなので、
普通に過ごしているときと全然違う感覚だと。
僕はやったことがないのでわかんないですけど、北川さんはそれを存じているというのもあるので。
関係するかどうかはわかんないですけど、
なんか突き詰めていくと、以前お話聞いた感じだと、
瞑想中、今のその知覚をすごく、
すっごいディティールを拾い上げていくような、
そういう話なのかなと思って。
今ここの今を知覚するのと、
メダンさんの今ここで起きていることを探るけれども、
すごい幅のもった時間軸っていうのと、
別のベクトルだけれども、
僕はその辺近いような感じがあるのではないかと思ったので、
北川さんにもいろいろ占いのこと、占いについてのイメージと同時に、
「見る」ことの自覚と多様な視点
その瞑想のことを聞いてみたいなと思ったんですけど。
瞑想と知覚の在り方
なるほど。
今、僕はそこまで全然その境地に行ったことはないですけど、
なんか音楽が音楽じゃなくなるみたいなことをよく言うんですよね。
今にずっと集中していくと、今音が鳴ってる。
だけどさっき鳴ってた音はもうない。
次に来る音もまだ鳴ってない。
次の瞬間はまた次の瞬間音が鳴ってる。
だけどもうその前に鳴ってた音はもうなくて、
また次の音はまだ来てないっていう風になっていくので、
今に集中すると、もう今音が鳴ってる。
それが続くだけで、
音楽にならない、メロディーを構成しないみたいなことが起こるとかっていう話を聞くんですよね。
それはすごい面白いなって。
でもいろんなことが時間的に情報を統合しないと、
例えば物の動きだって見えないんですよね。
人間が外を認識するときってやっぱりある時間の幅の中で情報を統合しないと認識が成立しないような気がする。
成立しないんだと思うんですけど、
それが瞑想して今っていうのに集中していくと、
そういうことが起こるとかいう話を聞くんですよね。
それすごい面白い。
面白いって何が面白いのかわからないけど、
ちょっと体験してみたいっていう風には思いますよね。
そういうのと、でもメランさんの話を聞くと、
すごい子供の頃からの繋がりみたいなのがすごいあって、
それが今の自分とか、
女性との繋がりとかいったらもっと時間も空間も超えた繋がりになるわけですよね。
そういうのってなんかあるんですかね。
でも一方でその瞑想のときも、
集中して今に集中していくみたいな形だと、
この情報が統合されない状況に、
そういう状態になっていくっていう方向と、
もう一方でもっとイメージを使うような瞑想みたいなのもあって、
例えば慈悲の瞑想みたいな、
生きとし生けるものの幸せを願うみたいな瞑想なんかだと、
いろんなものとの繋がりを、
まず地面との繋がり、そこから他の人との繋がりみたいなことを、
いろんなものとの繋がりをイメージして、
それで最後はみんなの幸せを願うみたいなことをやるんですけど、
そういうのに近いのかなと思ったりもします。
なんか繋がりを感じる。
でも惑星との繋がりとか、
星との繋がりとかって、
感じられるようになるのかなとちょっと思ったりもしますけどね。
どうなんですかね。
土星との繋がりとかってどういうものとして感じるんですか。
土星との繋がりと選択の仕方
確かに私がいうとの繋がりがひょっとしたら、
すごいこう、何でしょうか、
端的なものかもしれないですね。
ただ土星って言うとすごく遠いというか、
スケール感が違うものに感じてしまうかもしれないんですけど、
私からする感覚ですと、
例えば北川さんがこれ島根のお土産だよ、
みたいなのを持ってきてくださって、
何種類か味がありますと。
4つぐらい味が違いますとなったときに、
どれを食べたいかって考えるじゃないですか。
そのときに自分の前でどれが食べたいかっていうのがわからないんですよ。
何がしたいかとかが昔から。
そのときでもこれかなって選ぶことができる。
なぜか知らないですけど。
それが結構土星との繋がりも近くて、
いろんなことがある中で、
土星だけには選べる何かがあるみたいなこととか、
それが繋がりに近いので、
だから本当に土星との繋がりっていうのは、
何か選択肢を一つみたいなことに近いのかもしれないですね。
それはすごい小さい頃からの意思決定の仕方といいますか、
極論どれかを選んでも自分では一緒というかわからないっていう風な、
混乱みたいなことが子どものときありまして、
そのときにでも何か選べるっていうことが結構あって、
それが何なのかわからないんですけど、
選べるっていうことがあって、
そういう連続にちょっと近いですかね。
心がそこにすごい揺れ動くみたいな。
なんか知らないけどこれみたいな。
そうなんですよ。
それは好みとか人が言う好みとか、
色とかもそうですかね。
色を何かいろんな5色ぐらいある食器の中から選んでっていうときに、
これが好きだから選ぶっていうのと一緒なのかもしれないんですけど、
自分の中から好きかどうかっていうのを、
あんま自分で自覚してない段階で選ぶみたいなことが、
すごい意思形成の中で老少期からありまして、
そこが結構そうです。
それにちょっと近いですね。
女性に何かが繋がりを感じるっていうのも、
それにちょっと近いところですね。
心理学で選択毛っていう現象があって、
選択盲の実験と意思決定の理解
選択毛って選ぶ、チョイスブラインドネスっていう、
選択したことに気づいてないっていうか、
選択してることを知らない、
選択したことについてあまり知らないみたいな現象があって、
それどういう実験かっていうと、
2人の写真を見せるですね。
男性が実験に参加している人だったら、
2人の女性の写真を見せて、
女性が参加者だったら2人の男性の写真を見せて、
確かどっちの人とデートしたいですかみたいなことを聞くっていう、
そういう実験なんですけど、
それで、その設定自体が無理がある気はしますけどね、
写真だけ見てどっちとデートしたいかみたいなのは無理がある気がするんですけど、
それで選んでもらうんですね。
こっちって2枚のうちのAさんBさんだとしたら、
Aさんを選んだとします。
そしたら、その実験をやってる人はなんか手品しかないかで、
選んだ写真、
じゃああなたが選んだのはこの人ですねって言って写真を渡すんですけど、
その時に選んでない人の方の写真を渡すんですね。
Aさんを選んだんだけどBさんの写真を渡す。
この人なんで選んだか教えてくださいって言って、
違う人の写真を渡すんですけど、
そうすると、6割か7割くらいの人が写真が入れ替わったことに気が付かない。
かつ、どうしてその人を選んだかみたいなことを理由を話しちゃう。
こっちの人の方が魅力的だからとか、
理由を話しちゃうみたいな実験があって、
人間は自分の意思決定についてそれほど理解してないみたいな言及があるんですよね。
それはかなり特殊な状況というか、
2人の人が一般的な魅力度で言ったらだいたい同じぐらい。
人をそういう組み合わせで出すとか、すごく特殊な状況を作るんですけど、
そんな研究をちょっと思い出しました。
それとどう関連するかっていうのはまだ考えがまとまらないですけど。
面白いですね。
確かに選択は。
自分だけじゃなくてワンニュースがどういう風に意思決定とか選択してるのかっていうのは、
すごい占いにとっても密接なテーマな気がしてて、
宇宙空間の対称性の破れと意思決定
ちょっと分野としては占いとは違うんですけど、
前に一緒に今活動してる宇宙物理学の坂井さんと話してたんですけど、
宇宙空間の対称性が破れることについて伺ったことがあって、
極論全ては対称性で保たれている中で、
例えばペンがあって、ペンが置くとどこかに傾くと、
対称性が破られるみたいなことが言われるみたいな話があったんですけど、
例えばなんとなく、分からないですけど、
みんながハンガーとか何でもいいですけど、
こっちの向きでかけるかどうかってのはどっちでもいいわけなんですけど、
一回右にかけだすと右にかけちゃうみたいなことだったりとか、
本当はどっちでもいいけどどっちかに転ぶみたいなことの連続っていうのが、
宇宙空間とかそういうところでは、
対称性の破れとして法則化されているみたいな話があった時に、
結構そういう物理現象と、宇宙とかだと物質のすごい、
人からするととても遠くで起きている物質レベルのことですけど、
人の心でもそういうものがもし起きているのだとすれば、
それはすごい意思決定とそういう物事の法則みたいなものとかが、
もうちょっと結びついていくと占いにおける決定とか方法論が、
もうちょっといわゆるスピリチャーなものだけではないところで、
占いが実践できるのかなとかは最近考えてまして、
なかなか占いって幅も広いですし、
どうしてもちょっとそういう心理的な部分ですとか、
信じるみたいなところに関わってくると、
なかなか法則化したりとか一般化するのが難しい話だと思うんですけども、
意思決定というレベルとかで考えていくと、
それが一つの方法とかパターンとして言えるのかなとか、
ちょっと考えたり最近してましたね。
自分からすると占いで何かを読むっていうことは結構そういう、
すごい大きなことが起きてるようで、
あんまり本当に都度にならないことっていうところも事実ありまして、
流れ星とかを見るときの感覚とちょっと近いですね。
流れ星って見えたらすごいラッキーだなと思うじゃないですか。
見えなかったからといって、
アンラッキーだなと思うわけでもないみたいな、
そういう感覚に近いと言いますか、
いつも目の前を流れ星がめちゃくちゃ通りまくってて、
それに気づいて占いというか、
自分の思考パターンが決まっていったりとか、
印象づくみたいなことなのかなとか思ったりしましたね。
面白い。
なんかそういう、あってもなくてもいいとかっていう言い方はよくない。
そこまで言うことじゃなくて、
そこに因果関係を見なくても別にいいんだけど、
見ることに意味があると思う。
かつ、多分それって人にとっては意味があることで、
これのせいでこうなったみたいな、
因果を感じるみたいなことは人間にとってはすごくいいことで、
おそらくそれが良い効果を生むんだと思うんですよね。
そういうことなのかな、占いっていうのはと思ったりしました。
そうですよね。
メランカオリの話の説得力と具現化する力
私が占いは、確かにそういうところがあるかもしれない。
やっぱり大事なポイント。
感じる力みたいなのがいいのかな。
メランさんのその説明って、
なぜこんなに説得力があるのだろうという、
ちょっと絵文字の話とは別の、すごい不思議さがあって、
いろんなトークとかいつもお聞きしてても、
やっぱりめっちゃおもろいなと思うし、
なんだろう、そのきっかけとしてのウサギの話も、
なんか分かるんだけで、分かった気になっちゃうんで不思議さ。
なんかすごい、でもなんかそれって何て言うんだろう、
多分分かってる部分ももちろんあるんですけど、
メランさんの説明力の高さももちろんあるような気がしてるんですけど、
ちょっとその占いそのものの話よりかは、
メランさん自体が結びつけて、
それをある種具現化する力もかなりあるのかなと思いながら聞いてました。
だから因果の話も、
でもその因果を強く結びつけすぎて、
いわゆる陰謀論みたいな感じに、
悪い物語みたいなものを創出することもできると思うんですけど、
なんだろうな、そうではない物語の紡ぎ方が、
メランさんの話し方にはあるような気がして、
ちょっとこれ全然違う方向の話なんですけど、
なんか結構それは占いの、
人間の選択の可能性の話で留めておくことって結構重要で、
原因と結果論に持っていくと、
すごく多積になっていくような物語が、
結局全部運命に支配されているっていうふうなところに、
結局収束していってしまうような気がするので、
そこがメランさんの話の中での、
過去も未来も選択できる話し方みたいな、
それが今日聞いてて、
一番僕の中で踏み落ちたところというか、
学びになったところであるんですが。
確かに。何かが勝手に決定されてるっていう感じではないですよね。
メランさんという人がいる感じはすごくあるので、
そこが面白いです。
占いの情報伝達とセラピー的要素
確かに占いを人にするときは、そういうところがあるのかもしれないですね。
私が何かを読んで、私にしかわからない情報を伝えていくってよりかは、
一緒に見ているものについて、自分が見えた範囲だけを伝えていく、
みたいなところが多いと言いますか。
占いってすごいセラピー的な要素も含んでると思うんですけど、
悩み相談みたいな。
自分がいるならばそういうよりかは、
人が知りたいことを解釈するとかそういうものではなくて、
今場に出たカードの並びとか石の並びみたいな配置で、
分かった情報だけを言うみたいなことに近いんで、
本当にあれと近いですね。
空見て月がどう見えてるのかみたいなのは、
本当にレポートするにちょっと近いと思いますか。
それは意識してます。
逆に言うと一方で、人への配慮もそこでいっさいなくなるので、
普段話してるときはすごい優しい雰囲気なのに、占いになると、
言葉がすごい普段と違うものになるってことも言われまして、
それも本当に人への配慮とかは占いでないので、
なんとかなったりします。
面白いですね。聞いてる。
犯罪者予言のエピソード
議事的に、ちなみに今そういう喋り方にしていただくことって難しいですか。
再現として前にお届かれたのが、
友達と、それも別に占いやろうってわけじゃなくて、
メランさんは占いやってるんですよねみたいな話から、
占いをみんなで駅のホームでしてたんですよ。
5人くらいで。
初めて会った方と占いをしてたときに、
そのときは手相か何かだったと思うんですけど、
物が使えなかったんで駅のホームで。
手相って線を読むわけなんですけど、
この線はこうやって読むみたいな解釈じゃなくて、
線を見てる中で私が得た情報を伝えたときに、
あなたの家にあともうちょっとで犯罪者が来ますみたいな。
犯罪者がもうすぐ来るんですよみたいな。
言葉を読みましたみたいな。
きらめきみたいな言ったら耳がちょっとザワザワみたいな。
でもそのとき犯罪者が来るみたいな、
すごい端的に言ってるみたいなことを言われたんですけど、
2ヶ月後に実は本当にそうなってみたいな話を聞いたのが、
お父さんの仕事の関係で保護観察をするみたいな感じで、
誰かの面倒を家で見ることになりました。
ある意味犯罪者が来たと一緒でしたみたいな。
あとで僕が出てるみたいなことがありました。
言い方次第ではドキッとするけど。
そうですね。
そのときは犯罪者以外のディティールは全然わからなかったんで、
どういうふうに来るかとかも。
そのままお伝えした感じだったんですけど。
なるほど。
そういうのがありましたね、過去だと。
占いの情報源と感覚
なんかどっかのタイミングでメロンさんに、
いつか占ってほしいって言って。
確かに。
そういうのってどうやってわかるんですか?
情報としてはですね、
どうやって言ってるのかわからないですけど、
見るのか聞くのかそこらへんわからないんですけど、
ダイレクトに頭に情報がわかるみたいなイメージが近いです。
図像として見えるとか、具体的な言葉で聞こえてくるというよりかは、
情報としてわかるみたいな。
そんな感じにちょっと近いんですよね。
白い。
おでこらへんがでもいつも熱くなります、考えてると。
こえー。
ええー。
何でしょう。
脳のこの辺使ってるんですかね、わかんないですけど。
脳のことあんま詳しくないんで。
温度測ってみたいですね。
やっぱ面白いですね、メロンさんの持っている情報値というか。
なんかちょっと普通という言い方がよくないな。何だろうな。
なんかやっぱり違う方法で物を見ているような感覚があるなと。
まあその頭、米、米噛み?額?額が熱くなる。
ちなみにそれ、ちょっと細かいところ、もうちょっとだけ突っ込んで聞きたいんですけど、
文字なんですか?なんか、ビジュアルなんですか?
それはわかんないんですよね。
なんか、両方ある時もあるんですよね。
言葉っていうか、サウンドだったりなのか文字なのかとか、いろいろあったりすると思うんですけど。
結構複合的な感じなのかなと思うんですけど、どうなんでしょう。
でも例えば、犯罪者の顔を教えてくださいと言った時は顔は見えないって感じなんで、視覚ではないのかもしれないですね。
音で犯罪者ってなんか出てきたらちょっと怖いなって今思ったりしたとか、犯罪者みたいなビッパーな感じなのか。
声の雰囲気の質感もないので音でもないのかな。何なんだろうこれは。
不思議ですね、なるほど。
物なんだ、これが降りてくるみたいな。
ですかね。
でも形、文字でももし仮に文字でもなく絵でもなく音でもなくっていうことであれば、
犯罪者っていう言葉にするとなんかややこしい。
例えばリンゴとかっていう風になったとしても、今言った文字でも色でも形でもない、匂いでもないみたいな。
でもリンゴってもし思ったとしたらすごい、そのリンゴとは一体何なんだろうってすごい気になりました今。
今リンゴって言われると自分の中では、記憶の中でヒットする感じがありましたね。
自分が今までリンゴに触れてきた情報が、記憶とか感覚として生み出てくるみたいな。
何がいいんだろう。
これ感覚変わりますかね。
リンゴは僕が今言った情報だからあれなんですけど、占いの時に出てくる、ポロッと出てくるものっていうのは、
どういう風な、
ここのね、前頭領であったじゃないですか。
はい、おでこの方。
全然わかんない、ここで何なんでしょう。
おでこのあたりで想起される形がどういうものなのかっていうのは結構気になりますね。
とはいえ、おおよそ2時間近く喋っていただいたんですけれども、
エンディングと今後の展望
いろいろお聞きしながら、このメランさんの見るラジオが、
三亀さんの時とはまた全然別の脳を使うなと思いながら話しながら、
それは一体どういうことなんだろうっていうのを、
ちょっといちくち表情をピンと合わせるような感覚を持ちながら話してたんですけど、
すごいお話が面白かったなと思っております。
よろしければ最後、北川さん、メランさんから一言ずつ感想とかお聞きできればと思います。
いやー、結局わからないことがたくさんあるなと思って、
これどういうことなんだろうってもうちょっと理解したい。
どういう世界なんだろうっていうのが、
ちょっと理解したいなと思いながら、
あまりちょっとはわかったような気もするけど、
でも大変、話は本当に面白いですよね。
魅力的な方だなと思ってお話を聞いていました。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
メランさん、
ちょっと圧迫面接的なインタビューになってなければいいんですけど、
メランさんの方から簡単にでいいので感想いただければ。
そうですね、結構一時期はですね、
ちょっと表に出て喋るっていうのは結構、
マネージャーNGじゃないですけども、
大したことに聞かれた方がいいんじゃないかとアドバイスされることもありましてですね、
一時期はトークイベントとかで通訳の方に来ていただくとかもあったんですよ。
一時期の友達とか、
教え子の子を呼んで通訳してもらうみたいなこともあったんですけれども、
ここ最近ですと言いますか、
ファンダメンタルですね、とにかくこのプログラムとかに参加する中で、
いろんな方と話す。
自分の話もあまり説明できないところもあるんですけども、
話すことで何か意見を交換できたりとか、
それこそ今日もですけども、
自分もちょっと分かってないようなことでも、
一回話す中で気づくことも多々あったので、
本当に優しくしてくださってありがとうございますということと、
これからも話す中でもうちょっとですね、
自分の中でも自分がやってることが何なのかとか、
何を見てるのかとか、占いは何なのかとか、
考えていきたいと思いました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ということで、
ファンダメンタルズ内ポッドキャスト部、
みるラジオ第2回、
ゲスト、メラン・カオリさんでした。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
楽しかったです。
ありがとうございます。
01:33:44

コメント

スクロール