なんかそうですよね、占い一つでもちょっと多分イメージしてるものが結構違ったりするのかなと確かに思ったんですけど、なんか僕が今話してイメージしてる占いは何ですかね、例えでこれで伝わるかわからないですけど、
もののけ姫の冒頭に出てくることなんですかね、アシタカが飲まれた後に石とか投げてこうマップ上でその石の飛び散り方で何かを見て行き先を決めるみたいな、なんかそういうような占いを想像してました。
メランさんの占いに近いものって、水晶玉か銅っていうようなものではないというか。
確かにそういった意味では、ちょっと私もののけ姫友達の伝承でしか見たことがないんですけど、たぶんおそらく石を投げるとか投げたり方向とか位置関係で見るっていう意味では通じてる気がします。
石決定とか何か行動を決めるっていう上での方法論として確かにやってるので、そういう感じだと思います。
なるほど。なんか全然違うってやったらおっしゃってください。
それの頻度がめちゃくちゃ多いっていう感じですかね。自分の場合は常にそれが行われているというか、日常生活で例えば必要な時に、じゃあ今日は占いに行きたいって占いをするっていうよりかは、
本当に物心ついた頃からそういうような石決定をやって育ってきたみたいなところがちょっとありますね。
それを始めたきっかけみたいなのがあるんですか。
きっかけは自分ではあんまりこの時だっていうのを感じてなかったんですけど、周りの人とかからよく指摘されると言いますか、
一つはやっぱり幼稚園が最寄りの幼稚園に通ってたんですけど、そこが人よりもウサギがすごい多い動物園で、園長先生がウサ子って名前を名乗ってたんですね。
ウサ子先生は占い師さんに飼い目を勧められたみたいなことを説明してて、ウサギがとにかくいる幼稚園でした。園長よりもウサギが多いもので、
ウサギとのコミュニケーションみたいなのがとても多かったんですけど、ウサギってポーカーフェイスじゃないですか。
だから言葉を覚えるよりも先にウサギが何かしてるのかを察するみたいな、あるそういうコミュニケーションが身についてしまい、
そこから小学校に上がるんですけど、義務教育を受ける過程で、ちょっと他の人と時間間隔だったりとか、コミュニケーションとか言語能力がちょっと違うのかなっていうのは、
そのときからたびたび指摘されてまして、時間割とかを決める授業でも、みんな一週間分の時間割とかを書くんですけど、小学校で。
私は小学校低学年の段階で、もう2022年ぐらいまでスケジューリングそのとき全部しちゃって、それが後から遅ればせながら占いのルーツと言いますか、占い的な活動だったのかなというふうに思います。
2022年までってもうめちゃめちゃ最近ですよね。
そうなんですよね。それまで未来っていう概念もあんまりわかってなくてですね。
人が思う未来と自分の考える未来みたいなのがわからなかったんですけど、2022年を越えてからその未来っていうものがちょっとずつ、こういうものかみたいな。
もう決まったものとしてあったみたいな。
そうですね、あとはどれだけ対応していくかみたいな、現実が対応してくれるのかみたいな、そういう心持ちでした。
どうなるか、未来に対する希望みたいなものを感じたのはここ最近ですね。
すごいですね。やっぱ面白い。
そしたら未来に対する不安みたいなものもない?
そうなんですよ。あんまり不安とかを感じたことがそこまでなくて、むしろ不安と言いますか、自分が予定だったりとか、しなくちゃっていう根拠のない、こうしなくちゃみたいなことを実行することだけにただ集中して生きてきたみたいな感じでした。
なんて言うんですかね、今未来っていうとすごく時間的な、実際時間の話だと思うんですけど、それとともにさっき言った場所、位置関係であるとか、そういうことを踏まえていくと、空間性と時間。
結構、メランさんの中では、同一的な相対として、いわゆる時空みたいなものとして、自分がアクセスできる、同じようなものとして取り扱ってるって感覚あるんですか?
どちらかというと、比重としては時間の方が多分自分は意識してる気がしてまして、空間とかはですね、空間の把握も基本前後関係なんですよね。前後とかの関係とか、近いとか遠いっていう感覚なんで、空間把握が昔から苦手だったっていうのは結構指摘されることもありますけど。
なので、割と自分は時間ベースで結構占いする方が多くて、空間が、本当にあるアーティストの方から、その人は建築をずっとやってたりとか映像を撮ってた方なんですけど、大木裕之さんっていう方から、占いに全然空間が出てこないねって言われたことがあって、その時は初めてハッとしたんですけど。
そうなんですよ。あんまり空間がないねみたいな、そこまでないかもしれないですね。
なぜそれを思ったかというと、先ほどの自己紹介フェーズの時に、最近は太平洋周辺をリサーチとかレジデンスしながらっていう話をしてたので、太平洋周辺ってすごく空間的な言葉でも言えつつ、
でも、どっちかというと海という概念でそれを言ってるのか、どういったイメージとして太平洋周辺っていう感覚なのかなってすごい気になったんですけど。
一つは、本当に今までアーティストレジデンスを応募して広報が通ったりとか招待していただいたのが、全部マッピングした時に太平洋側だったっていう驚きが一つと、もう一つは太平洋っていうのが自分的な空間って言われますか、
波の流れみたいなところで、どうしてもこっち側に行くことが多くて、自分が育ったのがちょうど太平洋側だったっていうのもあるんですけど、そういうところから太平洋って言葉が身近にあったっていうのも一つだと思うんですけど、
あとは複数地名を言っていく中で太平洋っていうふうに3文字で言うことが次数の制限上多いっていうところから癖になってました。
なるほど。
ちなみに北川さんはどちらかと言えば日本海側?
いや、僕は東京、埼玉、関東が中心ですね。
今は日本?
今は島根県。日本海側、どちらかと言えば。
でも太平洋も結構すぐ出れる?瀬戸内海?
瀬戸内と日本海と両方とも1時間ちょっとっていう感じですね。
なるほど。
占いと作品、どんな作品を作ってらっしゃるかっていうのと、
それと占いの関係みたいなのを知らない人にもわかるように教えてもらえると嬉しいんですけれど。
わかりました。
作品、ラジオなんで。
じゃあちょっと語りで喋ると。
例えば最近ですと、高松、香川県の高松でアーティストインレジデンスっていうものに参加したんですが、
私はいつも企画書を書く段階でプランがないんですね。
なぜならばレジデンスっていう形で滞在してから、そこで占いをして何をするかを決めるっていう形なので、
他の方々はちゃんと応募の段階でどういうことをするかっていうプラニングがあるんですけど、
私の場合は高松に行ってどういう占いをするかっていうことと、
現段階占いで何が見えているのか、何がわかっているのかっていうのだけを企画書に書いて応募するんですね。
スケジュールとかのところで何月何日、例えば水が目覚まん月の日にはこういうことをしますみたいなこととかを占いで書いて、
ここら辺で多分作品が完成しますみたいなことを占いで読んでいくんですけど、
実際それで高松の方でレジデンスが受け入れられまして、
高松の松っていう植物の下で待ち人を待つっていうことをずっとしながら、
どういう占いをするかってことをひたすら考えてたんですけど、
高松に最初に来た満月の日に占いをしたんですね、そこで。
したら尻尾っていう感じ、尾ですね。尾っていうのが占いで見えたんですよ。松の木の下で。
尾かと思って、次の日に担当の学芸人さんと一緒に盆栽のリサーチに行って、
高松は雨が降らないんですけど、その日だけすごい雨が降って、雨の中松を千本見たんですよ、盆栽を。
私はそれでずっと残るはずだったんですけど、珍しい雨だから電車が止まっちゃうってなって、
学芸人さんについて美術館に向かうことになって雨宿りをしていたら、
ちょうどそこで出会った方が一人いまして、何か話したんですよ。
その人の名前が松尾さんって方で、松の尾と書いて尻尾の尾と書いて松尾さんって方で、
昨日占いで実話みたいな話をしたら、その松尾さんが高松の有名な公園のガイドをしてたりとか、
いろんなバックボーンを持つ方で、制作に協力してくださったんですよ、その方が。
で、ずっと松尾さんと話す中で、どういう作品を作るかとか、次の占いどこに行ってみたらどうかとか、
こういう松が実は、高松出ちゃうんですけど近くにあるよとか教えてもらって、
今度その先では神社の境内から猫がピョーンと出てきて、その猫が私にすり寄ってくるんですけど、
そのすり寄ってきた背中にくっついた砂とか松で、今度は占いをして猫の背中で。
で、今度はここに行こうとか全部決めていって、最終的に占いを経てどういうものを作るかっていうのを決めて、
それは主に立体だったりとか写真だったりとかいろいろバラバラなんですけど、
その高松で行った記録として、平面立体いろいろ複合的に空間に展開したっていう感じでした。
今わかりやすくて大丈夫ですかね。
面白い。めちゃめちゃ。なんだろう。
正直まだ僕、北川さんがお聞きしたように、僕も実はメランさんの作品を、
こないだのYCAMで見せていたもの以外にちゃんと見たことがなくてですね。
ウェブサイトの方を少し見てたんですけど、やっぱりちょっとわからないですよね。
ウェブサイトもすごい独特で、でもなんかその情報の読み解き方みたいなものですかね。
今猫がパッと出てきて猫の毛に絡まっている小石を見てみたいな、
そこの情報が拾える感覚で物を見るってすごい面白いなと思うことと同時に、
ウェブサイトも一見すると、僕が例えばアーティストとしてウェブサイトを作っていくと、
情報としていろいろ削ぎ落として、作品だけ見てくださいって風になるものの手前のいろんな仕掛けがいっぱいあるウェブサイトだなと思って。
環境がそこにあるっていうような感じがしたんですけど、
ちょっと話がとっちらかっちゃうんですけど、ウェルアンさんの中での情報の拾い方で、
なんかアウトプット、拾ったままそのままアウトプットにパンって出す感じなんですか。
もしくは洗濯みたいなものっていうのがどこで行われるんだろうってちょっと気になったというか。
そういった意味では、洗濯って言いますか、占いで読んだ情報だけに忠実に行動に起こすっていう方が近くてですね。
例えば、ずっと続いている感じ、
行動がずっと自分の場合続いている感じがあるんですね。
どこで展示しても、例えば展覧会ごととか作品ごとで自分の思考や行動がリセットされている感覚っていうのがあまりなくてですね。
全部が繋がっている感じがすごくあって、展開していると言いますか。
なので作品の切れ目っていうのもちょっとすごく難しいんですけど、
例えばある高松でレジデンスが決まりましたっていうのも、そこから実は始まっているんじゃなくて、
例えば高松のレジデンスに応募しようと思ったのはこういうことがあったから、みたいなのがずっと繋がっていて、
それを元に戻っていくと2017年に、
女性の動きを自分が占ったときに始まった、女性とのプロレスっていう、
女性プロレスって作品を作ったことがあるんですけど、
そこからずっと二人三脚で女性の占いとか、占いと二人三脚でもやっていくっていうことが、
そこでそうなっちゃいまして、
そこからひたすら占ったことだけで行動と生活、制作全部やっていくっていうだけの人生でしたので、
何かを選択しているというよりかも、
例えば物を置くか置かないかも占いでしか決まらないので、
間に合えば何か作りますし、間に合わなければないっていうだけの展覧会と言いますか、
そういうふうに今までやってきた感じです。
うさぎのことはあまり分からなかったんですけど、
猫とは、猫もすごい自分のリズムを大事にしている感じがあったと言いますか、
例えば自分だったら、お昼3時ぐらいになったら必ず外で、
小学校の頃とか学校から帰って、3時になったら散歩するみたいなときに、
猫が決まった場所とかで、お気に入りの場所で寝てたりするわけなんですけど、
そういう自分の中で大事にしているサイクルみたいなものとかが、
猫とは重なる、何ですかね、
猫は猫の時間を過ごしているな、自分は自分の時間を過ごしているな、みたいな感じで、
あまり接続しないというか、流れがただ単に2つあるみたいな感覚があったんですけど、
うさぎはそういうのがあまり掴めなくて、どう接していいのかがちょっとわからないという感じだったんですけど、
猫は猫の行動パターンとか、猫が何を気にしているかとか、自分が何を気にしているかというのが把握しやすかったという感じがあったんですけど、
他の動物とも比較が、猫が多いのかわからないんですけど、
でもなんとなくわかります。猫ってわかるような気がしますよね。
でもうさぎって、たぶんうさぎが何を考えているかとかって、全然想像ができないっていうか、
猫は何かあっているかどうかわからないけど、何か考えている。
この何かを考えているんだ、こんなことを考えているんだろうな、みたいなことを思いますよね。
うさぎって、かわいいけど確かに感情を読めないですね。
言われてみると確かに。
目が何か、あれですかね、目が白目と黒目があるみたいなのって、
うさぎって赤いの?黒い?なんだろう?白目がないような気がするんだけど、あるのかな?
側面に目があるイメージですね、うさぎは。
猫はまだ正面でこっちに向かい合って表情が見えるけど、何か目ですかね、やっぱり目がこっち向いて、
ピッて両目で目が合わないっていうか。
そうか、馬とかも、馬も横にありますよね。
確かに馬とヤギと羊と牛が苦手でしたね、小学生の頃確か。
間違えてない。動物園とか行くときとかも大変だった気がする。
そのエリアを通らないと他の動物のとこ行けないっていうときに、結構ヤギとか怖かった記憶がありますね。
ちなみにその話がそれちゃうんですけど、メランさんは作品をもちろん作ってらっしゃるうち、占いも生活の中で組み込んでいると思うんですけど、
そうですね。結構サンタクロースからもらった本とかも占いの役に立ってましたね、今思うと。
ちょっと待ってください、どういう意味かあんまりわからない。サンタクロースからもらった本。
私結構学校が横浜だったんで、横浜中華街でよく遊んでたんですね、高校のとき。
友達が占いやりたいみたいな感じでつき添いで行くじゃないですか。
友達が会計してる間に呼び出されて占い師さんに、占い師にならないみたいな感じでスカウトをされることが結構あって。
それでこういうの、例えば駅とか、こういうの見せられて、こういうのわかるって言われたときに、
サンタクロースが昔くれた本とかで、西洋先生術ですとか、あるいは中国とかの言い伝えみたいなのとかをしてたんで、
なんかわかんないけど読めるみたいなことがあって、それでスカウトされたことがあったんですね。
それでサンタクロースから本をもらうこととか図鑑をもらうことが多くてですね、
西洋の五夫大勢みたいなチャームみたいな、西洋のお守りがいっぱい載ってるみたいな本とか、
そういうのに呪術図とかがいっぱい載ってて、そういうのを吸収してたので、サンタクロース本とかがすごい役立ちました。
なんかだから、本当に時間っていうものの尺度がすごい、
メランさんが生きてるだけの時間じゃなくて、もっと長い尺度の時間間隔みたいなのとかも、
割と自然に取り込まれてるって感じなんですか?歴史というか。
そうですね。確かに世界史とかもすごい好きだったんで、
もともと暗記術とかもすごいサンタクロースからの本で学んでたので、暗記術とか、
中世の暗記術とはみたいな、体と紐付けて覚えるみたいな、そういうので漢字テストとかもやってたんで、
そういうののところから世界史とかをひたすら覚えるじゃないですか。
流れる中で自分の歴史区分っていうのの単位が、1年単位とかじゃなくて400年ごとに何かを考えてみようとか、
そういうのを自然と身につきましたね。
400年ごとに変わり目が来てるとか、2000年ごとに変わり目が来てるんじゃないかとか、
そういういろんな境目みたいなのを、確かに占いとかでは今気にしてますけど、
そういう勉強とかも関わってるかもしれません。
僕ちょっと全然占いとかやらないんでわかんないんですけど、
歴史、人間の歴史、世界史とかやっていたらもちろん知っているだろうし、
古文っていうことも関わりながら、ある昔の人たちの言語を読み解いたりっていうことはあると思うんですけど、
その向こう側に、メランさんの場合木製に対してすごくこだわりがあるのかなと、
自分、関わり?
土生ですね。
土生か、すみません。
すみません、本当に失礼いたします。
土生っていうの、土生って、要は天体とかもう少し人間の行動とか歴史とかをさらに超えた範囲での天体の動きみたいなのって、
どういう形で今のメランさん個人とフィットしたりとか資格したりしてるのかなっていうのをちょっと聞いてみたいんですけど。
あの、ちょっと最初に話した、小学生の頃に時間割を決める過程で、
2022年までスケジューリングしてしまったっていうところとちょっと関わりがあるんですけど、
自分でそのスケジュールを組んだ時に、何でこういうスケジューリングだったのかって自分でもわからないわけなんでしょう。
やっぱり生きていく中で高校生とかになってくるとみんな振動で悩むじゃないですか。
でも私はもうこれがあるからっていう、このノートがあるからみたいな感じで、
そうなった時に理由がわからないんですよね、自分でも。
当時、図書館のワンフロアの本を全部読むってことを自分でやってて、受験勉強の代わりに。
その中で、横浜市立図書館の4階の人文フロアを全部読むみたいなことをやった中で、
路線の周期について知ったんですよ。路線がどれぐらいの周期で回ってるのかとか、
路線が何なのかみたいなところを読んだ時に、自分のタイムスケジュールと重なるところがあって、
自分の中でこの年がとても大事みたいなところが、結構路線が自分の星座のところに戻ってくるタイミングだったりとか、
それを調べていくと占いではそういうことを読んでるっていうのを西洋戦争術とかだと知って、
結構占いの考え方と自分のサイクルっていうのはかみ合ったと言いますか、厳密に言うと今はかみ合ってないんですけど、
占いに対して思うこともあるんですけど、その時はそう考えて、それで路線に注目したりとか、
自分が歯が痛くなるタイミングとか、熱が出るタイミングに路線で何かあったかなって調べると、
必ず路線に何かがあるみたいなことが重なったのもあって、路線について2017年頃考えることになりました。
でも2017年からなんですね。
そうなんですよ。路線についてやってたのは。それまでは自分が占いをやるってことも全然思ってなかったんで。
なるほど。
はい、そうなんでしょうね。
なんか不思議ですね。占いをして続けてきているように聞こえるけど、でも占いは2017年からだんだと思って。
占いっていうのはやっぱり技術みたいなものになるんですかね。
何かそこで2017年で知覚してたものが占い、そこに占いが入り込んだっていう感じか。
それまでは自分の中では生活の暮らし、暮らしの中でのノウハウみたいなものだったんですけど、
やっぱり占いとしてやりたいと思ったのは、一つはきっかけとして友達の専属占いをするという流れになったっていうところと、
たびたび占い師にスカウトされる中で、結構占いってものが自分の中で大きくなってて、なんでそんなに言われるんだろうとか。
そういうのになった時に、自分の中で占いって方法をもうちょっと更新することで表現活動と結びつけれないかなと思ったのが、ちょうど2017年として。
その話を身近な人とか親とかにしたときに、やっぱりそういうのは小さい頃からそういう予兆があったみたいな話を聞いたんで、やっぱり何になるのかなってところでやりました。
何か土星の、メランさんに何かあったときに、土星にも何かがあるみたいな。
それってでも多分土星以外のものでもきっと何かはあるじゃないですか。
でも土星に何かがあって、そこにつながりを感じるみたいなのっていう。
なんか人間そういうことはよくありそうな気がするなと思って、なんか偶然起きたことでもそこにすごい意味を感じたりとかってあるじゃないですか。
どういうことなんですかね。それが何、そのことの役割。
まあ多分なんかユングとかね、きっとそういうの言ってるんで、僕は全然臨床心理学みたいなのは全く知らないので、なんか全然わからないんですけど。
なんかそういう偶然、シンクロニシティみたいな、偶然一緒に起こったことが意味を持つみたいなことを心理学でも言ったりするんだと思うんですけど。
いや、なんか面白いですね。すみません、なんか。
そうですよね、なんかいろいろ起きる中で何かそこと、そこ、そうなんですよね。
なんで土星だったのかって言われると、そのあんまりわからないんですけども、なんか土星とはそういう、なんかわかんないけど、なんかありましたね。
なんかすごく自分の話になったんですけど、僕は基本的に自分自身が自覚できる、まあ人間誰しも自分が自覚できるもので自分しか自覚できないっていう。
宇宙の描き方というか、もう結局のところ僕が中心にいて、その周りに僕の今いる部屋があって、その周りに今滋賀県があって、ちょっと超えて日本全体で世界があって地球があって、どんどん宇宙の方に広がっていってみたいな。
まあちょっと僕自身の世界の認識の仕方ってそういうイメージがあるんですけど、すごく当たり前にすべてのものと実は接続はしているけれども、なんかそれをすべて自覚することはできないような感覚があって。
なので僕は自分の作品では自分自身の見るっていうことをテーマにはしてはいるんですけど、同時に興味があるのは他の人が何をどういうふうに見ているのか、どういうものと接続しているのかっていうのがおそらく興味があるのかなと思っていて。
だから全然結構他の人が持っているものがその人の見え方だけではなくて、何だったらその人が持っている宇宙みたいなものとしても捉えているのかもなぁと思った節があり。
僕はその上で、ちょっとメランさんの話ではないんですけど、最近お話したアーティストの方となんか予知無の話をそれこそされる方がいて、予知無の話も結構近い感じがするなと思って占いと。
なんかそのやっぱり見た夢の中で出てきた情報とか言葉みたいなものを外側の人たちと接続していくとそれが意味を成して、他の人の行動に繋がっている。
他の人が例えば台湾に行くときのそのきっかけのエピソードとそういう予知無とか重なる。で、その人自体の行動ではなくて、それ以外の人の行動とも重なっているっていうこととかが、なんかAさんBさんって今登場人物が現れたんですけど、Aさんの宇宙の中でそのBさんと関係しているっていうところがすごく面白いなと思って聞いてて。
メランさんの占いの話っていうのも、メランさんが情報として知覚している占いをもう一回他者に還元したりもできるじゃないですか。要は人の行動に干渉できるみたいな。
それって結構よく考えると不思議だなというか、なんか知覚がダイレクトに他人に影響を及ぼしているともそれが言えるのかなと思ったんですけど、伝わってますかこれ。
はいはいはい。
占いを僕は基本的にあんまり全然やったことはないんですが、メランさん自体が占いも他人の占いをした者から占いを受けてやるってこともあったりするのかっていうことをお聞きしたいのと、
あと同時に北川さんって占いされるのかなっていうのもちょっと気になって、それを聞いていきたいんですけど。
まず人から会ってるのは本当に最初に占いをするきっかけとなった友人のためだけにはしたことがあって、
あとは本当に自分の場合は占いを職業にはしてないんですけど、
占いは占いってちょっとジョークめいた感じで、占いを金銭的に仕事としてはやらないっていう感じです。
その理由としては自分が占いっていうのが好きでやってるわけではなくて、
何か情報のある種のノウハウとしてこのタイミングはできるみたいな、そういう自分の行動とか能力に対してやってることだったので、
例えば特定の期間は占いできるけどできない期間はもちろんあるので、そういう感じでやってまして、
なので専属の友達の時には他社としてやってました。
あと占いができる期間が長かったんですね。自分の場合2017年から始まって活発になって。
その時はオープンにして、例えばJR西日本さんから、この電車の中で占いのワークショップしてくれませんかとか言われた時は、
1日で30人ぐらい占い電車の中でしたりとか、そういう感じで人と一緒に占いをするってことがあるんですけど、
でもその時もどちらかというとですね、例えば手相にしてもタロットにしてカードとか一緒占いにしても、
一緒にその情報を読む中で自分が見えたのか聞いたのかちょっとわかんないんですけど、
情報として知り得たことを発言して、それが占いになっていくみたいなことが結構多くてですね。
そういう感じで人とやってました。
プラス、メアンさんが占い受ける側?これ受けるって言いましたか?正しいのか。
メアンさんが占う側じゃなくて占われる側っていうのはあったりするんですか?
ありますあります。
それこそ、よく占いのワークショップの時とか、私が占いできない時は、
代わりに代々でこの人が、一緒に占いましょうとか占ってくださいとか、
あるいは友達が占いしたいとかで、占いやりましたみたいなときに占ってもらうこととかもありました。
占いできないときっていうのはどういうときなんですか?
厳密に言うと占いだけじゃなくて、いろんなことができないときなんですけど、
この期間は、表だった行動をやめておこうという期間が定期的に自分の中で周期としてありまして、
それは例えば、成績で言うと2022年ぐらいとかは、展覧会とかも一切控えていたんですけど、
7歳の時とかに決めたスケジュールの中で、活動休止期間みたいなのとかがありまして、
この後は特定の、この辺は暦ですね。四季があると思うんですけど、春夏秋冬と。
だいたいこの月のこの辺は、一週間ちょっと休むとかは決めてまして、
そういうときは占いとかしませんね。
例えば人が亡くなった後は異味期間で物異味をするとか、
決まったこと、こういうことは今できないとかあると思うんですけど、平安時代の方の暮らしとかで。
その感覚にちょっと近いと言いますか、不吉だからやめとくかとか、
活動自粛みたいなのを取りましたね。
あと厳密に言うと占いも毎回今やってるんですけど、
やってみるまではできるかわかんないっていうのもちょっとあります。
やってみてどうなんだかちょっと本当わからなくてですね、っていう感じですね。
だからあんまり約束ができないっていう意味で、商売とかにはできないっていう感じなんですよね。
それこそ、今日選説祭を渡ってるわみたいな、そうじゃないときみたいな感じに近いんですかね、もしかして。
そうですね、それもありますし、それがあらかじめ、何となく時期的に読んでるっていう感じですね。
トゥデイってよりかは、あらかじめちょっとここはみたいなのがあったりしますね。
ちなみに北川さんは占いとかは?
やらないですね。
全くたぶんやったことがない、おみくじ引くぐらい。
あとは、何ででしょう。
でもなんていうか、直感みたいなのと似てるのかなと思って。
直感で決めるとか言っても別に、直感って根拠がない、ただランダムに決めてるわけじゃないじゃないですか。
何かしら何かがあって、こっちしかありえんみたいなことを思うみたいなのって何かをたぶん感じてるんだと思うんですけど、
そういうものがもっとはっきり占いとかだと、見える人がいるのかなと思ったりはしますね。
だから、あとはきっと人間ってもっといろんな可能性があるっていうか、
もっと能力的にもっと発揮できてない能力があるような気はする。
今みたいにいろんな技術があって、それを外部に出しちゃう。
例えば時計とかだったら、時間ってだいたい時計なくても本来人間わかるんだと思うんだけど、
時計みたいなのがあると、それを見るみたいなことをやると時間を知る能力みたいなのなくなっていくみたいな、
いろんな技術で外部化能力を外部に出しちゃうと、それが失われちゃうみたいなことがあるような気がして、
そうすると本来もっといろんな能力が人間あるのかもしれないなと思って、
それが占いとかができる人っていうのはそういうのをまだ持ってる。
まだというか、まだと言うべきかどうかわからないですけど、そういう能力がまだあるのかなと思って。
能力の外部化ってすごい面白いと言いますか、
私が占いを考える上でもすごいキーワードが、
外部化してしまった能力みたいなものと、外部化できなかった能力みたいなのが、
自分の中に間違いなく一つあるのが物差しとかですね、
小学校の頃とかも一切使えなくてですね、物差しが。
長さが測れないみたいな。
長さの概念がですね、苦戦しましたもん。
そういうところで結構ありますね。
何ですかね、僕すごい外部化の話は、
北川さんがおっしゃるように、時計って外部化するし、
それによって失われる知覚もあるけれども、占いって同時に外部的な
比較の方法論なのかなと思ったところがあって、
そう言われてみると、実はすごくいろんなものを外部の近く、
機械を使いながら僕らも色々、それこそ研究分野でもそうですし、
測っているなと思っていて、
そういったものと占いっていうものと、
じゃあ実際、もちろん全然違うものではあるけれども、
考え方として突き詰めていくと、どこまでそれが違うのかっていうのは
ちょっと気になりますね。占いっていうものが、
すごく占いって言ってしまうと未知で、すごくオカルティックなものとして聞こえるけど、
僕、メランさんと話をしながらする占いの話って、
自分自身の行動原理の中の知覚サイクルの一つな感じで聞こえてくるというか、
だからそういう意味では、
今日、自分気だるいなと思った時の体温計みたいなものと突き詰めると、
結構近いものがあるのかなって思ったりするんですけど。
確かに、自分が生きていく中でできない行動とかが、
能力的にできないというよりかは、これはしないみたいなのがありまして、
生きていく中で、いろんなものだったりとか、
いろんな人だったりとかに頼ってずっと生きてきたので、
そういった意味で占いっていった時に、
例えば石を通して何かを決めるとか、
何かこういうのを見て決めるとか、
そういう判断力だったり意思決定だけじゃなくて、
あるいは、私いつも制作する時に必ず一人でできなくて、
協力者が必ずいるんですけど、特定のことを手伝ってもらう。
その人たちにも結構やっぱり、
占いっていうものが、自分を超えて他の人のところに行っちゃってる感じはありますかね。
集合地じゃないですけど。
そういうのはちょっとありますね。
例えば、これは自分でできるけど、
これは自分がやらない方がいいだろうなみたいなこととかもあるんですよ。
その時に自分の場合、例えば、
でもそれを人に頼んだらちょっと迷惑だからやめとこうっていう気持ちが一切なくてですね。
自分がやらない方がいいなと思ったら、頼みに行っちゃうみたいな人間だったので。
それでずっときついかもしれないですね。
ちょっとその生き方、意思決定とか、そういう自覚サイクルもありますし、
あとは単純に恐れ知らずで発言しちゃうとか、
それにとても従ってしまうというところがありますね。自分の中では。
占いって不思議だな。
ちょっと分野としては占いとは違うんですけど、
前に一緒に今活動してる宇宙物理学の坂井さんと話してたんですけど、
宇宙空間の対称性が破れることについて伺ったことがあって、
極論全ては対称性で保たれている中で、
例えばペンがあって、ペンが置くとどこかに傾くと、
対称性が破られるみたいなことが言われるみたいな話があったんですけど、
例えばなんとなく、分からないですけど、
みんながハンガーとか何でもいいですけど、
こっちの向きでかけるかどうかってのはどっちでもいいわけなんですけど、
一回右にかけだすと右にかけちゃうみたいなことだったりとか、
本当はどっちでもいいけどどっちかに転ぶみたいなことの連続っていうのが、
宇宙空間とかそういうところでは、
対称性の破れとして法則化されているみたいな話があった時に、
結構そういう物理現象と、宇宙とかだと物質のすごい、
人からするととても遠くで起きている物質レベルのことですけど、
人の心でもそういうものがもし起きているのだとすれば、
それはすごい意思決定とそういう物事の法則みたいなものとかが、
もうちょっと結びついていくと占いにおける決定とか方法論が、
もうちょっといわゆるスピリチャーなものだけではないところで、
占いが実践できるのかなとかは最近考えてまして、
なかなか占いって幅も広いですし、
どうしてもちょっとそういう心理的な部分ですとか、
信じるみたいなところに関わってくると、
なかなか法則化したりとか一般化するのが難しい話だと思うんですけども、
意思決定というレベルとかで考えていくと、
それが一つの方法とかパターンとして言えるのかなとか、
ちょっと考えたり最近してましたね。
自分からすると占いで何かを読むっていうことは結構そういう、
すごい大きなことが起きてるようで、
あんまり本当に都度にならないことっていうところも事実ありまして、
流れ星とかを見るときの感覚とちょっと近いですね。
流れ星って見えたらすごいラッキーだなと思うじゃないですか。
見えなかったからといって、
アンラッキーだなと思うわけでもないみたいな、
そういう感覚に近いと言いますか、
いつも目の前を流れ星がめちゃくちゃ通りまくってて、
それに気づいて占いというか、
自分の思考パターンが決まっていったりとか、
印象づくみたいなことなのかなとか思ったりしましたね。
面白い。
なんかそういう、あってもなくてもいいとかっていう言い方はよくない。
そこまで言うことじゃなくて、
そこに因果関係を見なくても別にいいんだけど、
見ることに意味があると思う。
かつ、多分それって人にとっては意味があることで、
これのせいでこうなったみたいな、
因果を感じるみたいなことは人間にとってはすごくいいことで、
おそらくそれが良い効果を生むんだと思うんですよね。
そういうことなのかな、占いっていうのはと思ったりしました。
そうですよね。