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世の中は蛇に取り囲まれている、と言い続けた男がいた。
あの当時で、ようやく三十と言ったろうか。
風邸貧しく、灰色がかったような顔色をして、
その上から乱れ放題の砲発を残腹に垂らした、
どこか、蠢の落ち葉を思わせる、みじめな気のする男だった。
事実、あの男の背には、見えない足にいつも踏みつけられて、
泥をなすられているような、いじけた風邸があったのだ。
人間、三十年も生きておれば、それなりに姿勢の立ち方、
歩き方というやつを覚えてゆくものである。
また、人の世はそうでなければ生きていかれないようになっている。
しかれどもあの男は、一向そうした様子がなく、
いつでも身の置き場に困ったような、ぎりぎり鶴で吊り下げられたようにして、
地面に足を下ろすのも申し訳ない、踏みつけるのも申し訳ないと言って、
つま先立ちしている風邸。
なんなら呼吸さえも気兼ねしいし、と言った様子だった。
それをからかわれては、ボソボソと何かへんずるのだが、
聞き取れぬと言ってまたからかわれた。
そうするとあとはもう気を悪くするのもおかど違いだという風に、
背中を丸めてどこぞえ消えてしまうのである。
つまるところ、あの男は大変な気弱だったのだ。
喧嘩などしたこともなく、それに巻き込まれたこともなく、
実際、あの男が声を荒げたところなど、
誰一人目にした覚えがなかったのに違いない。
女とて、いたのかどうか定かでない。
酒は少しばかりやったようである。本当に少しばかり。
おかしいのは、ろくろく飲めもしないのに、
一丁前になじみの飲み屋を持っていて、
しかも行けば嫌がられるでもなく、隅の席にきちんと座って、
ただただ杯を舐めていたらしいことであった。
むろん酔うようなこともなければ、
いたずらに管をまくこともなく、
安いコップ酒をきっちり二杯飲み終わると、
勘定をおいて席を立った。
その席の立ち方というやつもまた、
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椅子を引く音も何もなく、
そこにあった影が、それこそ見えない鶴にひかれて、
すーっと浮き上がるかのような静けさだったそうである。
そういうおとなしい男だったのである。
かかわらず、あの男は一つだけ願として譲らぬものを持っていた。
それが蛇の話である。
何でも、ゆうには人の頭とは、
頭蓋だの脳だの神経だのという
部粋なものからできておるのではなく、
薙の海とそれを取り囲む一条の蛇に似ておるのだそうである。
その海はまんまんと水をたたえ、
蛇はその腹の内側のぐるりで持って、
水の流れるのを食い止めていて、
その蛇がもしもちぎれるようなことがあると、
水は見る間にあふれだし、
人は人でなくなる、という。
口頭無形な話である。
今日日、子供とて人間の体の構造を知らぬものがあろうか。
しかし男は誰にでも大真面目にその話をした。
いつと決まったことでなく、おりおりだったそうである。
あれほどいじけたふうの男が、
この時ばかりはいやにしっかりとした物言いで流暢にしゃべった、
というのであるから驚きである。
私も一度、たまたまその場に同席したことがある。
知人づての集まりで、酒場に入ると彼がいた。
私は当時、その奇妙な男のことを噂にしか知らなかったので、
知人の一人が彼を指さして私の袖を引いた時、
ちょっとばかり興味を持った。
あの男を自分たちの宅へ呼ぼう、
と言い出したのが誰だったのか覚えていない。
もしかしたら私であったのかもしれない。
ともあれあの男は、コップ酒を両手で持ったままスルスルとやってきて、
端の席にちんまりと腰かけ、
はじめ黙って飲んでいたが、
ふと気がつくとその話が始まっていた。
ふと気がつくと誰もが彼の話を聞いていた。
否、聞き入っていた。
それは予想外にも面白かったのである。
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それから何日か後、私は一つの幻想に取り憑かれた。
それは蛇の幻想である。
何らかの尋常でない手段でもって、
私は一つの全く自由な病のようなものになり、
それを今まさに間近に見ようとしていたのだ。
幻想には、まずあの男が出てくる。
こちらを向いて無表情に立っている。
私は小さな病であるから、一切が物理の法則を無視して、
彼に向かって飛んでいく。
あの男の額に近づき、
残腹髪をすぎ、
灰色の肌をもすぎると、
透き通る頭蓋の中に、
やがて悠々と水をたたえる海が見えてくる。
どこから来てどこへ行くのか知れぬ水は、
時折さあさあと白波を立て、
その他は水墨画のように淡く静まり返っている。
あたかも人の無限の栄一がそうであるごとく、
一種の神聖を感じさせる景色である。
そしてその周りを取り囲むように陸がある。
ああ、これはまるで巨大な湾のようだと私は気づく。
陸は途方もなく大きく、
陸というより山外のように雄大に切り立っており、
見上げてもそのてっぺんは望めない。
私はいつの間にか水際にいる。
そこでふと私は疑問する。
何かがおかしい。
私は陸をよく観察する。
そしてそれが静かにうごめいていることを知る。
うごめいている。なぜか。
呼吸しているからだ。
呼吸する腹を間近に見上げて、
私はそれが何であるかを了解する。
蛇だ。そういう幻想である。
あの男はその後、ふいと姿を消し、
何年も戻ってくることがなかった。
私は二年ほどは彼のことを覚えていたが、
三年目には忘れてしまった。
失踪事件であったのかどうか、
それとも自ら何らかの理由でもって消えたのか。
誰もまともに彼を探したものもない。
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あの当時、
あのガラクタバコのような横丁では、
人ひとり消えるのも住みつくのもご随意に、
といった暗黙の決まり事があったからだ。
来るもの拒まず、去るもの探さず、
というわけである。
戦後の混乱に乗じて、
良きも悪しきも様々なものが
日本という大きな腹に入り込み、
腹渡を駆け巡ったが、
その目の回りそうなうねりの中で、
誰もが明日にギリギリ手を伸ばして生きていた。
自分の命を明日に繋ぐのに精一杯な毎日で、
他人のことなど一体どれほど気にかけたものか。
だからあの男がいようといまいと、
それだけのことだったのかもしれん。
酒場でちょっと面白い話をする他は、
取り立てて惜しまれるべき何ものも持たなかった男である。
事実、死んだという話も聞かぬ。
どこぞで見たという話も聞かぬ。
あの男はふっつりと姿を消してしまって、
それきりだった。
あの男の住んでいた家は、
まるで十年この方人が入らなかったかのようにきれいに引き払われて、
余儀の一枚、茶碗の一辺に至るまで何も残っていなかったという。
ただ残ったのは蛇の話だった。
むろん誰も信じてはいなかった。
自分の頭蓋の中に詰まっているのは血と脳みそで、
それが痛めば人は死ぬ。
当たり前のことである。
それを疑うものはない。
だが、酒場ではいささか違った。
酔うと誰かがふとそれを思い出し、
その奇妙な壮大な景色をめいめい思い描いては、
みんなして見えるようなことがあった。
それは実に不思議に心を落ち着かせるようなところがあったのである。
古い水墨画にも似た、色も人もない素朴な景色に、
時折風が吹く。
水面がさあさあと鳴る。
そしてそれを取り囲む大蛇の呼吸を聞くかのように、
我々はちょっと目を閉じてみたりもしたものである。
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誰もが私が見ていたような幻想と同じものに取り憑かれていた。
頭に棲む蛇。
否、我々が蛇の腹の内側に棲むのか。
あるいは少々遅れた。
あの男は名を茂原と言ったと思う。
確か茂原利夫と言ったはずである。
思うというのは、私自身彼と面と向かって人角の話をした覚えがないからだ。
酒場での一見では、彼はいつの間にか席を外して帰ってしまったので、それきりになった。
以来、一対一で向かい合って何かを言い合ったことは一度もない。
それでどうして私があの男のことをこんなにもくっきりと覚えているのかというと、
それは実に奇妙な話をたどらねばならないことになるが、
それはまた後日、何かの檻に話すこととしよう。