今日のテーマトークは、クジラに落ちた男、です。 はい、ではマリオンさん解説お願いします。
はい、映画ドットコムより解説読ませていただきます。 2026年に小説、エンジェルダウンでピューリッツアー賞を受賞した作家、ダニエル・クラウスによる同名ベストセラー小説を実写映画化し、
巨大真っ黄クジラに飲み込まれてしまった青年の決死の脱出劇を没入感たっぷりに活写したサバイバルスイラー。
17歳の青年、ジェイは単身でのダイビング中に巨大な真っ黄クジラに遭遇する。
大王イカを捕食しようとするクジラから必死に逃れようとするジェイだったが、イカの足に体を絡め取られ、そのままクジラに丸呑みされてしまう。
絶対絶命の危機に陥ったジェイは、ダイビングの死だった亡き父、ミッドに授けられた知恵を頼りにクジラの体内からの脱出に挑む。
次々と襲いかかる危険を乗り越えていく中で、ジェイは父親の記憶をたどりながらいつしか自分自身と向き合っていく。
テレビドラマ、ウォーキングデッドシリーズや映画、ウェポンズなどのオースティン・エイブラムスが主演を務め、女子ブローリンが亡き父ミッド、エリザベス・シューが母ザラを演じた。
監督脚本は、プレディター・バッドランド、ザ・ベビーシッターなどの脚本を手掛けた、ブライアン・ダッフィールド。
はい、ではここから内容に触れる話に入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら是非見てから聞いていただけたらと思います。
では最後の感想、マリオさんいかがでしたか。
そうですね、個人的には結構楽しみな一本だったんですよね。
だってこんなシチュエーション見たことないですからっていう、その一点で面白そうだなと思ってたんですけど、
その希望というか楽しそうだなっていうのは余裕でクリアしてましたね。
いやもうとんでもねーっすよこれはみたいな、もうびっくりするような映像というかシチュエーションがおかしすぎますよっていう。
本当にクジラに飲まれるとかあるんですかねーとかわかりませんけど、
本当にあのなんか訳のわからない空間に閉じ込められ、そこにはダイオイカもいて、もうなんか危険がいっぱい過ぎるっていう。
もうちょっとね、あの真っ黒くじゃあのどぼとけから助けてくれーって言ってるシーンとかもよ。
何この絵面みたいな、なんかでも本当にそういうのにあふれていて素晴らしいなぁと思いましたね。
めちゃくちゃ辛そうですし、あと本当にエンジェルフォームも大変だなーっていう感じのね。
そういうある種のサバイバルもの、パニックモードとしてめちゃくちゃ一本として楽しかったっていうのもありますし、
あとドラマ部分で亡きお父さんとの角質というか、そことの折り合いのつけるみたいな話になっていて、
クジラといえばもちろんこれですよねっていう感じで白ゲーですか?みたいな感じで使っているのかなーみたいな話には載ってますよねっていう。
僕は白ゲーちゃんと読んだことないので、なんとなくのふわっとしたイメージで白ゲーのことを捉えてるんですけども。
まあでもまあそこもちょっと意識はしてるだろうなというか、本当になんか白ゲーっていう存在がものすごくもう、
自分の目の前にとってもものすごくデカすぎる存在、文字通りですけど、乗り越えられないようなもうデカい存在として立ちふさがるみたいな。
けどまあそれをある種乗り越える、いわゆる父殺し的なものでもあるんですけど、
今作の場合はその中で入って見つめ直すっていうところで、ちょっとツイストを加えてるっていう部分がまた今作の魅力なのかなというふうには思っていますかね。
ちょっとだいぶスピリチュアルっぽくはなってるなと思ったんですけども、まあ状況的にね、そういう幻想も見るでしょうということで。
という感じですごく僕はすごい楽しく見れましたね。
はい、大井さんいかがでした。
なんか最近オースティン・エヴラムスは触手に絡めとられて酷い目に遭うのがよくありますねという感じはしたんですけど。
バイオハザードに引き続きって感じですね。
引き続き、もう同時に公開してますって両方とも見に行っていただきたいんですけど。
そうですね、まあさっきマリオさんも言ってたようにとんでもない絵が見られるっていう意味では、見たことない絵がたくさんあったなという楽しみはありつつ、思ったよりシチュエーションが少ないっていうのが若干の
不満点としてはあるなと思っていて、
まあ仕方ないですけどね、だって消化されちゃいますから絵袋越えたら。
基本的には多分胃と食道をこう行ったり来たりするっていうワンシチュエーションな感じもあり、まあ絵的にそんなにこう、なんていうんですかね、新しさはないなっていうのが正直あったりはしたところではあるんです
けど、
まあモチーフの面白さはすごいあるなと思って、まあ今回それこそ女子ブローリーもね今年ね何回かこういうこんな感じのお父さん演じてる気がするんですけど、
不正の復元って多分今なんとなく用法問わずに結構トレンドかなって気がちょっとしてはいて、まあ男性性というか不正なんだと思うんですけど、
なんかその系譜にしっかり入るというか正面からそれを描いてるっていう意味で非常に面白いなと思いましたし、
これ多分リスナーでもあるんですけど竹嶋瑠衣さんがおっしゃってた、ツイッターでおっしゃっててなるほどなって思ったんですが、
なぜかクジラに飲まれる話というのは不正が絡むと、ピノキオもある意味そうですし、私の思い浮かんだのはマインドゲームとかも結構実はお父さんが中に入って、
お父さんっていうかまあ疑似的な別の文明での父親なんですが、そこの中で待っているという話だったりもして、
ある種のその不正の象徴としての、さっき白毛が出ましたけど、クジラっていうのは割と古典的なモチーフでもあるんだろうなとは思いましたし、
さっきおっしゃってた父殺しの話としての本作っていうところはあるんですけど、その理解するっていうところを迎えて父を殺すというか、
間接的な父殺しという話になっていくっていうところが、古典的でもあり新しくもあるよねっていう、
しかもそれをおっしゃってるように、スピリチュアルになるのは多分内側に入ってるからですよねっていうところ、
文字通り飲まれるっていうのが心の内側に入る、そこの心の内側を理解するっていうメタファーにもなっているっていうあたりとかは、
こんな題材なんだけど、めちゃくちゃ文芸映画じゃんと思って、見てはいました。
なんで、期待してた方向性ではなかったんだけど、これはこれでなるほどなっていう感じの映画だったなと思ってます、っていう感じです。
大きい魚に飲み込まれてもう一回出てくるって、大本は旧約聖書みたいなんですよね。
あー、なるほど。
そうですね、なんか何でしたっけ、夜泣きでしたっけ、確かその名前だった気がする。
その魚に飲まれてもう一度出てきた絵、生まれ直すみたいな意味合いがあるみたいなんですけど、
イノキオもそうだし、マインドゲームもそうなんですよね、やっぱり。
そのあたりは何より本作がまさにそうというか。
文字通りそうっていう。
文字通りそう。
ですね。
なるほど、そっか。あるでしょ、復活の象徴でもあるというか、何ですかね、生まれ直すの象徴というか。
まあその、信仰とか自分を見つめ直すって意味が大きいんだろうなって思いますね。
なるほど、なるほど。
夜泣きじゃなくて夜泣書でした。
はい、僕はですね、この話にとてもよく似た映画を僕はめちゃくちゃ大好きなんですよ。
はい。
ゼログラビティっていう映画なんですけど、
はいはいはい。
あれも超極端な状況に一人で置かれている状況から何とか助かろうとするっていう、まあそれは宇宙なんですけど、
そういう中で、その自分の人生を見つめ直すっていう偶亜としての意味合いが重なっている映画にもなっていて、
非常に本作と構造がよく似ているんですけど、ちょっと僕は本作あんま入り込めてなくて、
全体的に無理だろって思いながらずっと見てたんですよ。無理だろって思いながら。
無理だろ。
ただ、ゼログラビティも無理なんですよ。
そうですね。まあそうです。
別に感覚的に正しい描写してないし、そっから助かるのは無理なんです、どう考えても。
本作もどう考えても無理だし、鯨のお腹の中そんなことなってないだろうみたいなのがめっちゃ思っちゃったし。
はいはいはい。
まあそれは本当にゼログラビティでも感性どうなってんだよとかいっぱいあるんですけど、
自分がゼログラビティの何を許せて本作の何が飲み込めなかったのかが、ちょっとまだ整理できてないんですよ。
はいはいはい。
ただ多分これかなっていうものはあって、宇宙であることと生き物であることの差なんですよね、それが。
なるほど。はいはいはい。
ちょっとそれは数字が通ってるかわかんないですけど、やっぱ僕自然を他者として見てるんですよ。
宇宙は外部として見ている。
で、その動物を人間が解釈できるものとして読み解くのあんま好きじゃないかもなってちょっと思ったんですよね。
あーまあはいはいはい。
その鯨を人間側の都合の存在として読み解きすぎなのではってめっちゃ思っちゃって。
で本作、現代であるホエールフォールってものすごい重要な単語として最終的に問い上げられるんですけど、
その鯨の死が新たな生態系を生んでいくっていうことと、
その主人公の父親の死っていうものが一人の人間のところからそのいろんな人間の人生がつながっていっているって意味を重ねている
方だと思うんですけど、また違うもんだと思っちゃうんですよ、僕どうしても。
その自然の中で起きていることを人間のことに重ねて読み解きすぎるのはちょっとあまりに人間中心主義すぎるなってちょっと思っちゃって。
でもそれはそうなんですよ、だって旧約聖書なんてもうキリスト教の根っこにあるもんだから、
もうそれは人間中心主義の思想を持っているんだろうけど、
いやその鯨は鯨だし飲み込んだのは偶然イカ食べようとしただけよみたいにちょっと思っちゃって。
あーだからある種日本人的なというかアニミズムに基づいた感じの感性ですね。
その野生の擬人化がちょっと苦手。
宇宙は別にそのそもそも個体でもないから別に擬人化されてはないじゃないですかやっぱり。
そうですね。
ゼログラフィッキーは。
あとまあその単なる空間でしかないからなんかそこに別に意味を重ねてもまあいいかと思うんですけど、
動物は動物でしかない。
人間の解釈の外にはいる存在、他者であるってもう絶対の他者であるっていう言語も通わないし、
なんかその他者であることに根差したリスペクトではない感じを僕は感じてしまったっていうとこなんですよ。
なるほどなるほど。
まああのこれ掘り下げて盛り上がるかどうかわかんないんでここで言い切っときますけど、
っていう感じなんですよね。
あとまあ単純にシチュエーション少ないなと思いました。映画として。
主人公がやったことがあんまり効果発揮してないし、ラストまで。
基本的に振り回されてるから映画的にもちょっとそこは振り回されてるなと思ってたっていうのもありました。
っていう感じです。
はい、では内容に触れる話はやっていきたいと思います。
どっからいきましょうかね。
まずあの、クジラに飲まれる手前までの話をしたいんですけど、
あそこまではだいぶリアリティあると思うんですよ。
そうですね。
でむっちゃ怖いんですあそこ。
海って怖いんですよやっぱ。海って怖い。
大陸棚のところのね、恐ろしさというか、底なし感。
実際カリフォルニアのあんなあたりってああいう地形らしくて、
海岸からちょっと行ったらすぐ一気に深くなる、もう谷のようになってるっていう地形らしいんですよ。
実際そのダイバーとしても危険な海域っていうのは言われてるらしくて、
絶対行きたくないと思って、僕自分が淡路島生まれだから、
海岸から100メートル行っても数メートルの深さしかなかったりするんですよ。
なるほどなるほど。
僕が住んでたあたりってむちゃくちゃ遠浅な海だったんで、
もう怖すぎて、あんな海に入るのが僕無理なんですよ、ほんと。
あれはね、下覗いた瞬間にちょっとキュッてなりますよね。
崖だなっていう感じというかね、
海の中であろうと陸の上であろうとアロラクサは怖いですよねっていうのはありますし、
あとなんかシンプルにちょっとやっぱり波ですかね、
最初入っていくとき結構波ブシャーって当たりながら入ってくるじゃないですか、
あれもなんかきついなって思いながら見てたというか。
リアリティの話するわけじゃないですけど、普通あの日選ばなくないとは思っちゃいますよね。
もうちょっとね、いい天気の時にいた方がよくねって思いますけど、
まあそんな長い期間いないからかなとかも思いますけど。
まあね、若いじゃないですか、今日やるって決めたら今日しかないんだって思ってると思うんですよ。
だから波もむちゃくちゃ高いし、警察出てるのはあれ、シャチが着てるからだと思うんですよね。
そうですね、まあそういうことですよね。
むちゃくちゃ危ないですよ、よくぞまあみたいな。
まあね、一応まあ17歳の青年っていうことなのでね、
こういう状況を乗り越えて初めて僕は父を越えたんだみたいなじゃないですけど、
そういう気持ちもあるんじゃないかなと思うんですよね、やっぱりね。
イニシエーションのために行ってますからね。
そうそうそうそう、やっぱり遺骨を見つけるっていう部分、自分にこう課してるわけですけど、
まあ遺骨を見つけることでもまあ一種の通過儀礼的というか、なんか乗り越えたことになるでしょうし、
やっぱりちょっとそういう荒波というか危険な状況でもまあ習ったことというか、
父を越えてやるんだみたいな気持ちで入るっていう面持ちはあったと思いますよね。
だからある意味男らしさで父を越えるみたいなところを最初は目指して入るわけですよね。
そうですね。
いやでもあれ谷の方まで探しに行ってたじゃないですか。
はい。
ということはお父さんがあの辺りで沈んだってことは想定して行ってるわけだから、
谷の方行ってる可能性全然あるわけですよ。
あの下行くの?みたいな。
あのその場に行った知り合いというかまあ父親の友達がちょっと一言言っていくじゃないですか、
あの辺だよっていう。
それ聞いて心折れなかったんだと思って。
あれってもう見つかんないよって言ってるのはほぼ同義だと思うんですけど。
だからお父さんも当然そこを狙って落ちると思うんですよ。
でしょうね。
見つかるような場所に行こうなんて絶対思ってないはずだから。
そうですね。
ということはそっち行かんとダメな可能性大じゃないですか。
そうそう。
ちょっとね、なんかその無茶よ。
サウンドからに。
無茶よ。
クジラ飲まれなくても別の死に方してるんじゃないかと思うぐらいにはね、
まずいことしてますけど。
そうですね、確かにね。
そうだいぶね、無鉄砲なんですよねこの主人公ねそういう意味では。
まあその捨て鉢というか半分自殺願望にさえ見えるぐらいだとは思うんですよあれは。
もうエッカーぐらいの感じで言ってるなとは思うんですけど、
まあその死を覚悟してやったとしても大王イカとマッコクジラは怖いよねっていうのは。
あの大王イカのカラスとんびってこんなに怖いんだって思いましたね。
めちゃめちゃ怖い。
まあ確かにこの大きさであんなにパクパクするかなと思いながら見てましたけど。
最初僕あれ何なのか全然わかんなくて後で調べてカラスとんびって言うんだってなったんですけど僕は。
そうだから普通のイカさばいてても出ますよあれ。
ってことですよね。
ちっちゃいサイズのが出ますっていう。
それが大王イカサイズだとマジでこれは死ぬねっていう。
これに何か傷つけられようもんなら死ぬねみたいなサイズになりますよね。
申し訳ないけどめちゃくちゃバイオハザードも出しましたけどねあれ見てね。
イカ怖ってなるっていう。
本当触手となんていうか噛まれることに縁のあるオースティンイブラムスですけど。
そうちょっと言いたかったのが彼体型変わってませんでしたバイオハザードからだいぶ。
なんかねこっちの方が撮影先だったっぽいんですよ。
なんかそうらしいですね。
だからバイオになってから腹出したっぽい。
ウェポンズだったらむしろめちゃくちゃガリガリになってたような気がしていて。
そうですね。
ドラッグ中毒みたいな感じでしたからね。
結構なんかいわゆるデニールアプローチというか体型変えるタイプの役者さんなんだなこの人とは思いましたね。
ちょっと演技的なやつですよね。
今回も父親に鍛えられはしたけどもうやらなくなっている大学生の体型としてはまあなんか分からないんだったなとは思って。
程よく筋肉がついているがそんなに鍛えられているわけではないみたいな。
そうなんですよね。
一方でジョッシュブローリーの体よっていうことなんですけど。
あの年でね。
完全にあ、海の男ですねっていうね。
僕ちょっとうっとりして見ちゃいました、あの体。
で、なんか分かんないけどちょっとずつ傷があったりするんですよね。
いやーもう海に揉まれてるんですよねやっぱり。傷だらけもありますよね。
そうなんだよなーって多分コミュニケーションの仕方がマジで海しかない男なんだなーっていうのがすごいよくわかるというか。
だから多分ダイビングとかもね一緒にしてたんでと思うんですけど厳しいんでしょうね、当然のこと。
自然の怖さを知ってるからこそっていうのもあるんでしょうけど。
楽しくないだろうなーあのダイビングと思いながら見てましたけどね。
楽しくはないとは思いますよ。
むちゃくちゃ嫌。
カジュアルに楽しもうとかじゃないですからね。
海と共に生きろレベルの話でちょっとあのガチのダイビング術を教えるみたいなことだとおそらく思うんでね。
あれ教えてるのって別にそのスポーツダイビングとかじゃなくて、死なないために教えてるんですよねあれ。
ある種のもう信仰ですから海への、彼が持ってるのって。
今作に限らずですけど、ジョシュ・ブローリンってこういうアメリカ保守ど真ん中の男性像、父親像を演じること多いなと思って。
ラストサバイバーももろそうだったじゃないですか。
絶対この人全米ライフル協会会員やわって思いながら見てましたし。
絶対そうでしょうね、世界が終わる前までは。
キリスト教福音派とかあるいはオルトライトとかじゃなくて、本当に自主自立自衛自助を目指してる小さい政府を思考してるタイプの保守ですよねアメリカの。
大きい政府とか大きい仕組みに期待していない、とにかく小さな政府思考の、さあ昔のアメリカの男みたいな。
だからとにかく自分の腕を鍛えるってどうなっても死なないってことを目指してる男みたいな。
だからこそ自殺するんでしょうしというか、ちょっとヘミングウェイ的でもあると言いますかね。
自分の力で自分で立てなくなった段階でそれはもう自分の死であるっていうふうに決められちゃう男と言えばいいのかな。
自然の節律に従って死にますみたいな、だと思うんですよねあれって。
いやわかるんですけど、誕生日のシーンむちゃくちゃ嫌で。
最悪なシーンでしたねあれね。
嫌ですよね。
どうすんねみたいなの言われて、友達の方行こうとした時の友達に対する短歌の切り方マジ最悪やなと思って。
本当にもうマジでやめてっていう、自分の人だったら本当に嫌だっていうことをやりますけども。
全然あるでしょうからね、父親。
だからそのアイオワでしたっけ、主人公が行く大学、完全に内陸なのちょっと笑っちゃいましたけどね。
めっちゃ海ないとこ行くやんと思って。
他に行きたいんだっていう。
俺は丘に行くんだって。
それで森林に、森林観察館でしたっけ、目指してみたいなことも途中で少し言ってるシーンとかありましたけど、
自然は好きだけど丘に行きたいんだなっていうのが滲み出てて、そこすごい面白かったですけど。
でもそこで自然が好きなのいいんですよね。嫌いなもの父親だけみたいな感じじゃないですか。
そうなんですよね。
やっぱり自然が好きってなったのも父親のおかげではあると思うんですよね。
そこの難しさがやっぱりあるというか、やっぱり仲良くはしたかったっていう気持ちはやっぱりあるとは思うんですよ。
それがどうしてもうまくいかないというのが船のシーンとかの出来事に繋がっていって、
本当に恐怖を覚えるみたいなことになっていくわけですけど、
その辺の難しさとかもやっぱり相まって結構後半部分、映画の後半部分で聞いてくるドラマの気欠とかとも相まって、
かなりいい物語を見たなという気持ちにもさせられるという感じではありましたかね。
いわゆる父殺し的なものではなく、割と父の弱さを理解する話になっていくっていうのは結構現代的だなってすごい思ってみてたりはして。
そうなんですよね、殺して越えるわけではなく内側を理解するっていう部分。
だからこそ内側に入るんですけど、やっぱり内側はどんな強い生き物でも弱いですからみたいな。
弱いところを見て自分の弱いところも見つめ直してっていう話にはやっぱりなってるよねっていうのは、
僕はやっぱり大平さんもおっしゃってましたけど、今っぽい話だなというふうにはすごい思いましたね。
そうですね、確かに父親の骨を拾いに潜って、例えばそれで実際に骨を見つけられたとして、
それって父殺しの意味になってしまうんですよね。
父親がやってきたことで上回るっていう意味が帯びてしまう。
だからこそあの過酷な状況でやらないといけなかったんでしょうね。
父殺しにするためには。
でもそれってやっぱりお父さんが持っていた町相撲を引き継ぐ形になってしまう。
男は海に潜るんだっていうのに対して、潜っててめぇの骨見つけてやるよってやったところで、
それは同じ因果をたどってしまうことになってしまうから、
そうならなかったっていうのは本作のある種の優しさの結論だなと思いますね。
結論が優しい割にはクジラの中は本当に過酷っていうね。
まあそりゃそうだろうみたいなね、話ではなっていくというか、
お二人はちょっと展開が少ないんじゃないかっていう話はしてましたけど、
確かに結構展開だけ見るんだったら横編で全部見てたかもしれないみたいな気は確かにするんですけど、
でも一個一個おもろいじゃないですか、やっぱりみたいな。
そうね、それはそうですね。
っていうのはあって、どう考えても実際ね、クジラの中入ったら真っ暗ですよ、どう考えたって。
お相撲もないこと言いますけど、絶対真っ暗だろって思うんですけど、いいじゃないか。
俺の描くクジラの中は光輝いているんだ、青と赤でみたいな。いいじゃんっていう。
ギリね、まだウミホタルまでは理解できるんですよ。
ウミホタル飲んでるから青いまではまだギリ分かるけど、赤くなんだと思って。
けどやっぱり場所が変わったことを伝えるにはあれが一番ですからね、演出として。
あれは本当にいい映画の嘘だなって思いながら見てました。
そうそう、あれはいい嘘ですよっていうのはあるというか。
なんかチラッと見た感じあれなんですよね、クジラって3つか4つぐらい胃があるらしいですね。
もともと偶定木の仲間なんでクジラって、だから牛とかと同じなんですよ。
牛も4つ胃があったりするじゃないですか、っていうところでクジラも同じような形態の胃を持ってるっていうことらしくて。
で、なんか一個は別に胃液とか出ないタイプの胃袋があり、でもう一個赤いところは完全にあ、胃液が溶けますねみたいな感じのね。
胃袋になっててね、面白いなという。
でもあそこのその第一の胃というか、その胃液が出ない胃のところのアイディアが僕結構好きで、あれ本当に学術的なのかわからないんですけど、
吸いつぶすため、要は歯を使って噛みつぶしてないから、そこで消化というか物理的に砕くために使われるみたいな描写があったと思うんですよね。
で、見ていくとその砕くっていうのは別にその筋肉というか、その胃の筋肉を使って砕いているというわけではなく、水圧でギュッとしているということがわかってくるんですよ。
で、確かにマッコウクジラって何回も何回も人々の間に深海と浅いところを行ったり来たりするっていうのが知られていて、なんでなんだろうってあんま多分よくわかってないはずなんですけど、
その多分一個の仮説が第1位で消化するっていうことっていうのを結構明確に描いているのとしたら、割と私はインターステラバリに面白いことやってるなって思って、科学描写としてね、科学描写として。
なるほど。
だとしたら死ぬだろうっていうのが僕ちょっとどうしても。
いやそうなんですよ。それはそうなんですよ。
思いましたよっていうか、これもっともともと重たいこと言いますけど、マッコウクジラとダヒオイカがあんなところでやり合わんやろっていうのはあるじゃないですか。
上まで来ないだろってことですか。
深海でやってるだろうああいうのっていうのは思うわけですけど、やっぱ浅瀬ぐらいで浅瀬というかだいぶ上の方で飲み込まれて、
でもクジラってめっちゃ潜るやんなみたいなことずっと頭に念頭に置きながら見てるから、途中そうなるって言ってやべえことになってましたけど、駒くん破れてとか。
そういうのはね、いや見たかったっすそういうのみたいな。そういう最悪な状況を見たかったですみたいな。
はいはいはいはい。
やっぱすごいなりましたよ。すごい嬉しくなりましたねって言うとあれですけど。
クジラの波乱の中描写に関しては、面白いのは認めますし、映画の嘘としていいのもわかります。
感覚として先週のバイオハザードと大体一緒やなと思った。
まあそうですね。
まあ生存率で言えばそう。
なんかネッチョネッチョした壁とかここに行ったら肌がボロボロになるとか、触手に襲われるとか、バイオハザードと一緒やなと思って。
そうですね。
なのでちょっとバイオハザードを見た後だとちょっと部が悪いとこはあるっていうのはちょっと正直ありますね。
そうね。
それはあります。これね、ポッドキャストで監督がインタビューか、このクジラに落ちた男の話をしてて、それをちょっと翻訳してるみたいなXのツイートを見た時に、
こういう話はやっぱ90分くらい収めたいよねって思ってたんだけど、どうしても100分超えちゃったんだみたいな。
ああ。
話してて、でその後にオースティン・イブロンスがバイオハザードを言って、バイオハザードは90分くらいになったって言って、悔しいってなったっていう話をしていて、
気持ちはわかるって思って。
確かに。
確かにこれ90分くらいで収めたいよねっていう気持ちはすごいわかる。
そうですね。
ちょっとやっぱ。
いやー。
うん。
確かにね、バイオハザードできてるんですよね、それを。
そう、できちゃってるからね。
できてる。
で、そのイニシエーションの失敗の話でもあるから。
そうなんすよね。そうなんすよ。
父親になること失敗する話だからあれって。
うん。
そうそうそう。
そういった意味でも、一方こうスチューの通ったドラマもやるし、ある種のシチュエーションとして最悪というかなものを見せてスリルを与えるみたいな。
ものも成功してる分、やっぱちょっと部が悪いっちゃ部が悪いんですけど。
ああ。
まあなんかそれだけでね、ちょっとあんまり面白くなかったっていうのもまたちょっと違うと思ってるんですけど。
これはこれでちゃんといい味がするじゃんっていうのは言いたいんですけど、全然旧大帝ではあると思う。
ちょっと部が悪いっていう。部が悪いところはあるっていう。
いかんせん同じ俳優で同じようなテーマ性っていうところがどうしてもねっていう。
なんでっていう。
交互被るかねっていうとあれですけど、どうしてって感じなんですよ。
まあやっぱオースティン・エブラムスにちょっとイニシエーションさせたいっていう、今映画界のニーズがあるのかもしれないですけどね。
そう、なんかね絶妙になよっとしてるっていうとこはあれですけど、そうなんですよね。イケメンではあるんですけど、なよっとしてて、そこがまたいいんですけど。
胃の中もうちょっと突っ込んでいいですか?
はい。
あそこに来たいやったら、潜ったり上がったりするときに大変なことになるんじゃないかなと思って。
そうですね、はい。
あとあそこって多分メタンガスがあるんじゃないですかね。だからむちゃくちゃ臭いと思うんですよ、あれ。
そう、そう、そう。
だからマスク外れた時点で多分もう行きたくないと思うんですよ。
いかにマスク外されたけど、いや臭そうだなって僕思ってて、なんかそういうとこ引っかかっちゃったっていうね。
まあそもそも明るいんだけど、明るいし、でなんか途中で光ってるクジラ見つけて明るいになるみたいになってるけど、そもそも明るいじゃねえかみたいなことを思ってたのと、
最大のツッコミどころなんですけど、スチールウール飲み込んでんのかい?は僕一番結構、ちょっと笑ってもったですわ、あれは。
はいはいはい。
まあまあまあ。
まあね、ちょうどいいものがあったなっていうね。
たまたまあったスチールウールがっていうね、話ですけど。
嘘音っていう。
まあそれはたまたまですよね、たまたまっていうと、なんか出前制というかね、伏線が張られてたわけじゃなく、そこにあったっていう感じですけど。
なんか途中まで一緒のクラゲとかがなんか限られるわけじゃないんだっていう。
まあね、でもなんかこういうすごく極限的な状況で、なんかちょっと心が通じ合えるというか会話する相手が出てくるって結構お決まりだと思うんですよ。
はいはいはいはいはい。
あれ、キャストアウェイのバレーボールのやつとか。
ああそうそうそうですね、とか。
まあゼログラビティでも、途中どっか分かんない人と無線と繋がるっていうシーンあるじゃないですか。
ああありましたね。
ああいうのとかもそうだと思いますし。
うんうんうん。
僕あとあれも思い出しましたけどね、ロストバケーションのカモメ。
ああはいはいはい。
とかね、ああいう存在かなっていう。
文字通り本当にクラゲとずっと喋って、お、お、もうちょっとだからな、お前も外に出たいだろうみたいな感じで喋りかけるところとかすごい人間味があるシーンですごくいいなと思ってますね。
だから意外とあそこでじゃあねするんだともちょっと思ったりもしたんですけど。
一緒に脱出してくれないんですね、あれ。
そう。その後クラゲどうなったか分かんないしっていう。
悲しいっていうね。
ちょっとね悲しくなりますね、あれね。
そうですね。
あのクジラ泣いてませんでした?ピケオかなんか泣いてた気がしたんですけど。
喉ぼたけ引っ張られてますからね。
それは泣くよっていうかね。
もう考えてくださいよ、本当胃物が入ってますからね、本当に体の中に。
あれさ、クジラもう苦しいと思うんですよ、あれ本当に。
苦しいですよ、ほら。
苦しい苦しい。だって人間だってその胃袋に寄生虫が入っただけで相当胃腸炎起こすじゃないですか。
もう大変な逸だと思うんですよね、あいつね。
大変なことになってますねとは思いましたけど。
映画的な嘘は一旦置いとくのは言っちゃいいかなとは思ってて、
やっぱり僕はゼログラビティの嘘を飲み込んだ人間なので、
これぐらいの映画の嘘は当然許されるべきだとは思うんですけど、
ちょっとクジラに入れ込みすぎだなって思っちゃったっていうのはあって、
僕はそっちの方が大きいかもしれないです、どっちかというと。
特に後半の展開と言えばいいのか、あそこのほぼ父イコールクジラなってからの展開ですよね、たぶんね。
そうですね、そういう存在に見たてがちっすよねっていうのは、
クジラだね。
思いますからね。
うーん。
そうっすね、だからさっきさわりの感想で山口さん言ってたので、
ちょっと日本人的だなってすごい私は思ったっていうのは、
やっぱり海外とか、特にハリウッド映画における自然描写と、
やっぱ全然日本の感覚と合わないなって思うところは確かにあって、
自然というものを威風の対象というか、さっき他者っておっしゃってたと思うんですけど、
ある種神のようにあがめはするが、他者だからあがめるしかないっていう、
それしかもうコミュニケーション手段がないって諦めてるのが多分アニミズム的な感覚だなと思ってて、
それこそゴジラとかが完全にそうだと思うんですけど、初代のね、一番最初のゴジラとかがそうかなと思うんですけど、
多分日本人的な結構素直な自然に対する感覚ってそれに近いような状態なんじゃないかなと思うんですよね。
災害とかも意思は通じない、コミュニケーションは取れないからただあがめるしかないみたいな、
そことコミュニケーション取れて何ならコントロールできたりするっていうのはもはや自然とは呼べないという感じがすると言いますか、
に対してやっぱり海外ってそれこそアバターとかを見ててもすごい感じるんですけど、
最終的に支配して上に立てる、それは理解ができるからだっていうそういう価値観があるんだろうなっていうところが結構見てると、
映画見てると思うところはあって、なんかその感じが今作はかなり強い、
まあメタファーだからっていうよりはそれこまでなんですが、でも自然をそのメタファーにできちゃうっていうのがまず西洋的な考え方だなというふうに、
やっぱ見てて思ったりするんですよね。
そうですね、なんかそこまできっぱり分かれるものでもないとは思ってはいるんですよね。
その一神教的な自然の捉え方と自然信仰的な自然の捉え方が完全にきっぱり分かれてるってこともないとは思うんですよ、おそらくね。
ただやっぱり最終的に動物とかも人間側の理屈で読み解ける、その解釈できるっていうものはなんか違うのかなって気はしていて、
別に動物が生きているのは人間にこの世界の豊かさを感じてほしいから生きてるわけではないはずなんですよ。
動物はただ生きているだけで、そこに豊かさを人間が読み取っているのは人間が勝手にやっているだけなので、
動物は別に自然の豊かさの象徴ではないはずだし、鯨は海の優しさの象徴ではないとは思うんですよ。
海の生態系を一番大きいところで支えている存在ではあるんでしょうけど、それはあくまで生態系の話であって、それはメタファーにはなり得ない。
メタファーになったとしても、それはあくまでアナロジーであって、似ているものを勝手に例えているだけでしかないとは思うんですよ。
で、僕はその人間同士でアナロジー使い合うのは人間の勝手だからいいかなと思うんですけど、
動物にアナロジーを使うのはちょっとずりーなって思っちゃうんですよね。
動物は動物じゃんって、そのずるさは僕にその動物を解釈させることを拒ませる時があるんですよ。
なるほどなるほど。
そうっすね。なんかそのニュアンスで言った時に、ここでまた名前を出しますけど、スピルパークって割と動物を動物として描く人だよなってちょっと気がしてて。
うんうん。それはそうかも。
ジョーズもジェラシック・パークもそうなんですけど、あんまり人間側に解釈させないじゃないですか。
ワールドになるとちょっと話は別なんですけどね、ジェラシック・ワールドになるとね。
ただ、その辺がなんかしっくりきやすいんだろうなとか話を聞いてて思ったりはしたんですけど。
それすげえわかりますね。やっぱジョーズのサメって本当にサメでしかないんですよ。
モンスターですらないというかサメっていう。
サメなんですよね、あれは。人を食べるサメでしかなくって、それ以上の解釈を与えてるのは映画の力でしかない。
映画の中であのサメを何かサメではないモンスターに仕立て上げてるわけではないかったりとか、
あるいはそのジェラシック・パークにおいてティラノサウルスを自然の最も強大な力の象徴みたいにしてるわけでもないというか、
その最後の旗がパターと落ちてきて、ちょっとティラノが地球の頂点なのだみたいな感じに見えるんだけど、
それは映画の演出がそう見せてるだけで、なんかそれをジェラシック・パークが語ってるわけではなかったりはするっていう、
その距離感はすごいなと思うんですけど、スピルバーグは宇宙人になるとその距離感がバグるなとは思ってるんですけど。
それはそうですね。
宇宙人はフィクションの象徴だから、ちょっと話は別なんだと思いますが。
だからそこを、だから僕、本作を僕が飲み込めたとしたら、単に深海に取り残されるだけの話だったら飲み込めたかもなとは思って。
深海に取り残されるシチュエーションが何なのか分からないんですけど、
ただ海の底から脱出するだけだったらもしかしたらいけたかなとは思って。
まあ、中盤以降本当にそのクジライコール父の第二のシーンみたいなものを立ち会うっていう話になっていくじゃないですか。
で、そのクジラが助けを呼ぶっていうのは、実際の父が助けを呼べなかったっていうところに対する後悔の念を報うようなシーンになっていくっていう。
そうなんですよね。
だからそこをあまりにも重ねすぎてはいないかっていう。
正しいんだよな、だから正しいんですよ。
物語的に正しさは分かると思う。
正しいんですよ。言えたじゃねえかってなるわけじゃないですか、あそこで。
そうですよね。そうなんですよね。
そうですね。そこはやっぱ僕が好きなポイントの一個ではあるというか。
そうそうそう。お前助けてって言えよっていうのを気づくまでの話。
そのシャチに襲われて仲間のクジラ達が助けに来てっていう展開が、ちょっとあまりにもできすぎてるかのように進行するっていう部分。
けどやっぱり物語の力強さにはやっぱり紐づいてくるので、そこはすごく僕は良かったポイントではあったんですけど。
だから文芸映画としての文芸感をより強く出すのがやっぱ後半だと思ってはいて。
そうですね。
あくまでもメタファーとしてのクジラっていうふうに割り切るのが後半からだなと思うんですよね。
いわゆるもう生物としてのクジラをかなぐり捨てて、もうここから先はメタファーです。
細く破れてから全部メタファーですっていうふうに押し切っていくっていう。
あそこからちょっと確かに映画のテンションが若干変わるので。
そうですね。
それはもう明らかでこの映画、どう見てもそういう映画なんですよ。
グーアですって言ってるから、基本的にグーアとして見るべきだし、
リアルなことなんてするつもりないですっていうのは飲まれてからというか、
ダイオウイカ出てからずっとリアルなことするつもりはないってなっているから、
僕がスイッチ入れるタイミング間違えたんですよね、たぶん。
ここでスイッチパチって変えないといけないところを、
ダイオウイカと一緒にクジラから逃げるシーンでもまだスイッチ切り替えられてなかったんですよ。
飲み込まれた後もまだサバイバルものとして見れるのかなってスイッチ残しちゃってたんですけど、
サバイバルもののリアリティとはまだ違うフェーズにいってる段階で、
まだリアルなサバイバルものなのかなってスイッチ残しちゃってたんですよね。
それは確かにだいぶノイズかもしれないですね、その期待感は。
まあそうですね。
でも確かにゼログラビティが意外とサバイバルもの兼内製ものっていうところの両方をある種満たしてたってところはあるから、
たぶん満たせないことはないんでしょうけど、文芸映画というかそこの内製の方に完全に振り切っていくっていうのが、
たぶんこの映画の独特の味わいであり魅力でありノイズだと思うんですよね。
そうですね。だから元が小説だから、小説だとこの内製的なところってむちゃくちゃ飲み込みやすかったりするのかなって思うんですよ。
一人称だけが見えるから、なんか周りの起きてること見えちゃうと明るいなとかってもう、
ちょっとね、そこでこう違う方向に針が振れちゃう瞬間があったりとかして、
ゼログラビティは科学考証さえ取っ払ってしまえばサバイバルものとして見れるっていう感覚はあったのと、
あと僕、動物に異形の念は感じてるけど、宇宙に異形の念、たぶん感じてないんですよね。
宇宙は単なるスペース、空間でしかないって感覚がある。宇宙空間はね、宇宙そのものには異形の念感じてるけど、
なんかその一角は単にその宇宙の一角でしかないなっていう感覚ぐらいなのかなっていう。
ちょっと生き物には僕結構異形の念感じているので、あんまり人間を代入できないなっていう感覚はあります。
でもなんかこういう飲み込まれて系ってもうあんまり累作がない気がして。
ないですよね。
そこが初めなんですけど、この映画のある種。
そうですね、人間を飲み込むサイズのものがこの世にあんまりないっていうのはあるんですけど。
確かに確かに。
本当にマッコクジラぐらいしかいないんですよね。
あーらしいですね。だから他のクジラ、例えばザトークジラとかだと口の中まではいけるけど、すぐ吐き出されちゃう。
喉がちっちゃいんですぐ吐き出されちゃうらしくて。
ちょっとしばらく前にクジラに飲まれた人が。
ニュース出ましたね。
ニュースがあったりして、マッコクジラだと飲めちゃうっていうので。
ギリ飲めると。
動物チョイスとしては必然なんですけど、ただ本当に動物に飲み込まれるものって、それこそスターウォーズみたいな話になってきちゃう。
確かに。
現実ではあまりに起こりようがないから、一応この地球に根差した話として描く上でマッコクジラであることは、
唯一の解ぐらいなんだと思うんですけど。
これをフィクションの巨大モンスターであって、哲学的にしてもしょうがねーしなっていうのもあるしね。
それはそうですね。
そうなんですよね。
それ意味がなさすぎますもんね。
やっぱりちょっと現実ベースで起こりそうな嫌なシチュエーションに持っていくっていうのがやっぱりすごい大事だと思うんですよね。
そこはね。
考えたくないな、こんな状況みたいな。
だからこそそこにドラマが代入されるとめっちゃこう、意味のこもった物語になるっていうか。
っていうのはやっぱありますよね。
さっき、昨今のトレンドとしての不正の復元っていう話をしてたんですけど、
昨今確かにちょっと予報問わずにそれをモチーフにする作品多いなと思ってはいて、
今アサドラでやってる、私も全部まだ見れてないんですけどブラッサムっていうアサドラが始まってますけど、
あれも第1週から割と不正の話から始まるっていう作品なんですよね。
宝刀な父親がいるんだけど、その父親のちょっとした寂しさみたいなところに娘が共感しているみたいなところから物語が始まっていって、
その父親をやってるところを結構ある種の根源として物語が進んでいくんですが、
なんかこう、悪しき男性性としてこれまである種こう捌かれてきた存在としての不正から少しそこだけじゃない、
なんていうんでしょう、その情の部分っていうのももう少し、
もちろん悪しきものは悪しきなんだが、それの奥にあるものを寂しさとか辛さみたいなものを見てみた方がいいんじゃないかっていうフェーズにだんだん円溜めが入ってきてるのかなって気がちょっとしていて、
悪しき男性性のさらに内側にある孤独みたいなものにどうアプローチすればいいかっていうのが割となんか昨今、
結構自覚的に作品として描くってものが増えてきてるのかななんて感じてるんですけど、
お二人で思いつく類作とかってあります?
類作って言うとあれですけど、なんだろう。
そうだな。
でもまあ、確かにこれ僕の感覚ですけど、
2010年代男材一遍倒立ったイメージはあるんですよ。
全部がとは言いませんけど、なんとなくの風潮的ですよ。
ですけど今はそこも描きつつ、けどそれをなんか男材じゃないけど、どうしたもんかねこれっていうのをそのまま出すっていうのは多いと思っていて、
それで言うと別にあのラジオでも取り上げたドリームシナリオだってそういう映画だったっちゃそうちゃそうなんじゃないのって気はしますし、
敵とかもそうだと思いますしっていう、そういうのはあるのかなっていうのは思いますけどね。
私見れてないですけどキレッパシの愛とかも結構それに近いような。
あーそうですね。
あったりするんですかね。
あーキレッパシの愛はそうですね。
キレッパシの愛すごい好きなんだよな。
すごい良かったんですけど、
あの旗から見てると劇中に出てくるキレッパシの愛の話ですけど、
それお父さんが本当に最後ここで終わり?みたいなところでマジ突き放されて終わっちゃうみたいな部分とかもあるんですけど、
けど彼のちょっと憎めなさというか。
もう結構そのまま出してる。
そういうバランス感の映画でありましたね。
あとそれこそこれ入れなきゃいけないんだ。
私は最悪の監督の新作なんですっけ。
すいません。
センチメンタルバリュー。
あ、そうセンチメンタルバリューなんかまさにそうじゃそうですしね。
夜明け目とりで今年の新作ですけど、やっぱりあれも不正の復権の話だなというふうにも見れたなと思っていて、
結局父親が提案した映画にするっていうところに家族全員で乗っかっていくわけじゃないですか。
もちろんその親父がいかにひどいやつかっていうのは映画の中で散々描かれるんですけど、
ただだからと言って突き放すわけではなく寄り添ってはあげるっていうところで最後終わるところとかも、
なんとなくそのトレンドの切り替わりだなってちょっと今年、あるいは去年あたりを見て思ってはいて、
なんかその系譜に結構クジラに落ちた男も入るのかなという父殺しではなく、
父の内側に入って父をある種抱きしめるみたいな映画になるっていう。
そうですね、確かその系譜に入れてもいいんじゃないかなって気はしますね。
そう、悪しきことは悪しきことなんですがっていうところですね。
だからどう落としどころを見つけるかみたいな話と言ったらいいんですかね。
別にそれを許さないぞってしても全然いいし人によっては。
けどいや全く捨てられるものでもないみたいなバランスでもあるっていう。
まあそれは結構人間誰しもそういう感覚はあると思って。
それをちょっと映画でやってる、それがメインストリームになってきてるのかなって感覚はありましたね。
なるほどな、ちょっと今聞きながら思ってたんですけど、
父に対する意思は象徴で語れるのはなんかやっぱ男性って象徴の世界で生きてるというか、
象徴の世界で生きたいのかなってちょっと思ったりもしました。
なるほどね、確かに。
なんか母親に対する許しって象徴でやらなそうじゃないですか。
より直接的に描きやすいのかなっていうのもありつつ。
現実的な方が許しになるような気がするんだけど、
なんか象徴で許すっていうのがなんか男性の好きなもの好きなものっていうのもあれなんだけど。
本作がよりかなりそうだからっていうのもありつつ、
どちらかというと不正の復権って言いつつ、
多分描きたいのは男性の中の弱さの部分だと思うんですよ、多分本作って。
そうですね。
主人公もまちずも一直線っていうタイプではないし、
それってそれこそ私大好きな映画のアフターサンとかにも描かれてたことだなと思っていて、
男性性の復権って言ってるのは、要は弱さを開示することの許しを描こうっていうムーブメントだと思うんですよね、どちらかというと。
それこそセンチメンタルバリオンもそういう話だったよなって振り返ってみると思ったりはするんですが、
これまで描かなかったのは不正の有害性は描いてきたけど、その裏にある弱さは描かなかったよねっていうそこのアンバランスだと思っていて、
本作に並ぶこの2016年代の系譜はやっぱり弱さに注目してる気がする。
センチメンタルバリオンとアフターサンの2作と本作の違いに気づいたんですけど、
父娘と父息子の違いだなと思って、
センチメンタルバリオンとアフターサンは具体的な日々の中に許しを設けてるんですけど、
本作は非日常の中に許しを設けてる。非日常というか象徴の中に許しを設けてる。
僕これはね、テレやと思います。
そうですか。
テレテレから日常の中で許しを作れないんじゃないかなって思いました。
息子と父は象徴を返さなきゃ許しを得られない。
テレるから。
テレるから。
そうか。
でも結構その父息子のコミュニケーションの大きな障害の一つだと思いますね、テレ。
分からなくはないかもな、なるほどな。
だからそうかもですね。
一緒に趣味やることでちょっとこうコミュニケーション取ろうとするとか。
目的のないことを一緒にやれない。
それはそうかも。
そうですね。
本質的に男性はコミュニケーションが苦手であるっていうのはまあそういうことですけど。
それがより弟となるともう相当弟でっていうのは難しくなると。
それはまあ分かります。
ただ本作のお父さん娘とは割とぬるたいコミュニケーション取れてたんですよね。
取れてましたね。
釣りごっこだって言ってポニーテールをくがえようとする遊びをやってたりして。
結構娘と息子に対する表情違ったんじゃないかなって気がしますね。
それは確かに言われてみたらそうですね。
最後の方とかも娘は全然お見舞い行ってるけど息子だけはやっぱり行けないってなってたわけで。
ちょっとその一面だけじゃないとこはあったのかもしれないなって気はしましたね。
確かにな。鯨返さないと結局最後までコミュニケーション取れなかったかもしれないのか。
手紙読まなかっただろうし。
キャッチボールの代わりなんですね。
クリアがね。ダイビングでそれをやってた親子ですからね。
それは確かにそうかも。
そういう意味で男性間というか息子父間のコミュニケーションにおける象徴というかやっぱりツールっていうのはやっぱ大事っていうのもなんか飲み込める感じありますね。
確かに父息子で直接和解を描くってなかなか効かないっちゃ効かないかもしれない。
めちゃくちゃ難しいんだと思います。
逆に嘘っぽくなっちゃうとか。
こんな急にわきあいあいと喋らないだろうみたいなのになっちゃうと思うんで。
何かを返す必要がある。
それが鯨だったのかなって。
なるほどな確かに。
だから系譜としてはもしかしたら父の弱さを描くって意味で近いけど、鯨というものを返さなければならないのは父息子だからであるっていうのはなんかなるほどなって思いながら聞きましたね。
すみませんちょっと時間がやばいので。
そろそろ終わろうかなと。
では鯨に落ちた男の話は終わろうかなと思います。