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今日のテーマトークは、『県警対組織暴力』ですね。はい、えーと、では、映画取得のより解説を読ませていただきます。
仁義なき戦いシリーズの深作錦二監督が、ヤクザと一着した警察と政界の腐敗を鮮烈に描いたバイオレンス映画。
福良島署捜査2課のベテラン刑事、久納は、6年前の構想で敵対組織の組長を射殺した大原組の若衆頭。
広谷の犯行を見逃して以来、彼と固い絆で結ばれていた。
広谷と対立する河出組が、ヤクザ出身の司会議員、友安良と手を組んで縄張りを拡張しようとすると、
久納と広谷は凶暴してこれを阻止、構想が激化していく中、久納の犯人、県警本部からエリート警部補の階段が不認し、
地区の暴力団と取締りが強化されることに、久納はヤクザとの私的関係を問題視され、捜査から遠ざけられてしまう。
悪徳刑事久納を菅原軍太、彼と手を組むヤクザ、広谷を松畑裕樹、エリート刑事階段を梅宮達夫が演じた。
では、ここから具体的な話を入っていきますので、ネタバレ気にされる方がいらっしゃったら、ぜひ見てから聞いていただけたらなと思います。
40年以上前の映画なので、ネタバレ気にする方ももしかしてあまりいないかもしれないですけど、
これはね、見る価値はある映画だと思います。
よかったら見てから聞いていただけたらなと思うんですけども。
じゃあまず、今回なぜ、県警対策知識暴力を取り上げることになったかっていう経緯を、前田さんに触りの説明をしていただこうかなと思うんですけど。
いや、まずですね、私がこのポッドキャストを始めて、1年ぐらい経って、皆さんのパーソナリティの部分とかも見えてくる中で、
山口さんが抱えている相反する矛盾って言ったらちょっとおかしいですけど、
そういうマッチョなものって言ったらいいのか、ホモソーシャルなものって言ったらいいのかわかんないですけど、
そういうものをすごいけぎらいしているように見えつつ、そういうものが好きなようでもあるっていうのをずっと感じていて、
それが何なのかなっていうのを、2回前の自己紹介会で、これを機に触れていいか、あかんか、わからんかったとこ触れてみようと思って、
というのがきっかけで、前回グループセラピーは私のターンだったので、今回は山口さんのターンにしようかなっていう。
はい、なるほどね。
この献血対組織暴力を見て、前田さんが気づきがあったと。
男って男が好きなんだねって気づきがあったってお話でしたよね。
そうですね。それまでも、何て言うのかな、結構、映画の話する中で、ジェンダーの話っていうか、男女の話って結構出てきたと思うんですけど、
なんか私、いつまでも男の人って何なのかみたいなのが、ずっとわかんない部分があったんですよ。
で、ちょっと前に人に借りて、ガルシアの首っていう作品を見たときも、
男心ってよくわからんけど、なんとなくちょっとその時も男心の裏側になんか、へばりついてるものみたいなのがちょっとだけ見えた気がしたんですけど、
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その時ってまだ男性単体って言ったらちょっとおかしいですけど、だったんですけど、
この原型体組織暴力を映画バージョンに来てくださった方に勧めていただいて、で、見たときに、
何これ?なんか本当に、暴力映画は好きなんで、暴力的な描写っていうのが好きなんで見るんですけど、
なんか初めて意識したっていうか、男性同士の関係性って、やっぱちょっと独特というか、女性の私から見たらちょっとよくわかんないなっていうところも結構あって、
めっちゃ好きやん、男の人って男の人のことっていうのを、なんかこう、初めて気づいた、やっと。
多分それまで触れてきた作品にもそういうのってたくさんあると思うんですよ。
例えば、たけしの映画とかもそうですし、私あの、大井龍馬っていう漫画めっちゃ好きなんですけど、
高知県民が全員読まされる大井龍馬っていう漫画あるんですけど、
あれはすごいなんかそんな感じの話なんですよ。
あれは歴史物ではあるんですけど、男の人同士の争いでもあり、憎しみ合い、愛し合うみたいな、そういう関係性がすごい描かれてて、
自分が今まで楽しんできて触れてきた作品にもすごいそういうことって入ってたんだなって、それになんか気づかないまま、
なんとなく自分の知らない男社会みたいな感じで憧れはあったんですけど、
ちょっとそこにこれを機に山口さんを通して踏み込んでいきたいなと思ってるんですけど、
事前に、直前になんか山口さんとマリオンさんのツイッター見て、
2人がちょっとガチすぎるなと思って、今日に対してちょっとガチすぎるぞと思って、
今日はすごい楽しみにしてます。
はい、じゃあマリオンさんの感想いかがでした?
そうですね、いやめちゃくちゃ面白かったですね、これ。
あの、東映のヤクザモノって僕は審議なき戦いの1作目ぐらいしか見てなかったんですけど、
断然こっちの方が好きって感じですかね。
本当なんか男たちの絆みたいなものの描いた絵がたくさんありますけど、
いやもうこれ究極系じゃんってぐらい、もうこれが究極であり原点みたいな、
昔にももっと作品はあったはずだけど、なんかそれぐらい濃いですよね。
もうロマンスですよ、あれは。
でも破局すること込みでもロマンスだなっていうふうに思いましたね。
でもまたしかも暴力描写もやっぱすごいなこれっていうシーンがもういっぱいあったし、
なんかこれよく見たらめちゃくちゃこれもう怖い話じゃんみたいな、
世界怖いねっていう話だったし、なんかいろいろ痺れるとこがあってすごかったですね。
まああと、やっぱりコローノチの話もちょっと出てたと思うんですけど、
コローノチと県警対組織暴力は違うって結構言われてたんですけど、
違うのはなんかわかるなっていうのはようやく今回見てわかりましたね。
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はい、そういう感じですね。
僕が県警対組織暴力は幽霊画って言ってたの、意味わかってもらえました?
そうですね、根源は僕一緒だと思うけど、なんか違うと思うっていうのはちょっとあって、
それを何だろうって言葉にするのがちょっとまだまとまりきってないところあるんですけど、
まああとどうなんでしょうね、今回そのユリとの話とかってこれ出るんですかね?
あんま出ないかなとか思って。
僕は出しますよ。
出します?
僕は出します。
出します?じゃあ、はい。
はい、えっと、じゃあまずはじまりに断っておくと、
今回の僕はマジで貴重いことを言うと思います。
本当に。
あのちょっと想定しといてもらった方が、
この人ちょっとって、あの引くとは思うんですけど、
引かれすぎないようにちょっと想定しといてください。
この人はちょっと今からヤバいこと言うなっていうつもりをしておいてもらえたらと思うんですけど。
で、今回見直して、僕もね、引いたんですよ。
県警対組織暴力見直して、
自分これは面白がってたんかっていうので、
おーって、ちょっと自分で引いたとこがあったんですよね。
あのね、特にとにかく女性の扱いがひどすぎるんですよ。
本当に。
あの、ここからもう直接的な下ネタが出てくるので、
そのつもりして聞いていただきたいんですけど、
あの、男同士で貸し借りをするんですよね。
女の人。
今からその、警察に出頭して肩借りしてこいっていうやつに、
おちょんちょん貸したりとか言うわけですよ。
ね、ほんとひどいなと思うし、
菅原文太が参っているときに、
自分の丈夫を住み込みで面倒見たりみたいなことを言うんですよね。
松方ひろきが。
で、この投影実力路線の話をできる知り合いがいて、
ちょうど最近知ってたんですね。
その人と県警対組織暴力の話を。
その人の言葉を借りると、
女体が貨幣の代わりに扱われているっていう言い方をされてて。
だから、お金を渡したり、食べ物を食べさせたりすることの延長として、
女の人を貸してあげるみたいなことが描かれてるっていうね。
まあまあ、それも初めとして、
全体的にひどいなってこれを面白がってたんだなって、
自分でちょっと引いたんですけど、
やっぱりこの映画はすごい純度の高い何かだなと思ったんですね。
やっぱりそれでも。
むしろだからこそなんですよ。
女性の立場がぐちゃぐちゃに扱いが悪いからこそ、
やっぱ男性の関係性の純度が高いものとして描かれてるんですよね。
それはこの作品がひどいからとかではなく、
現実の男同士の関係性ってそういう側面があるからこそだとは僕は思うんですね。
そのことに対する反省も含めて、
僕は今回見てひいたし、
それでもやっぱこの映画はすげえなって思いました。
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めっちゃ面白かったですしね。
てな感じで、具体的に話していこうと思うんですけども。
まずね、僕がなんで研究者組織暴力を有利映画って言い出したかっていう経緯を
多分説明しとかないと、
ちょっとその知り滅裂すぎる人だなって思われてると思うんで、
ちょっと説明させてください。
僕がその有利がどうこうとかって言い出したのっていうのは、
リズと青い鳥っていうアニメ映画がきっかけなんですよ。
それは水槽学部の女子高生2人の関係性。
1人は水槽学部内でエースと言われてるけれども、
実はそんなに頑張りきれてない生徒なんですよね。
で、もう1人、その水槽学部内のエースと言われてる生徒に憧れてるもう1人の生徒がいて、
その子は大人しいからあんまり自分を出さないけど、
実はそのもう1人より才能があるんですよね。
才能があるし、音楽とか芸術に対して根っこの部分で紳士なんですよ。
でも憧れられてる側は自分の方がすごいと思ってるから、
それに憧れてついてきてくれてる相手に対して、
ちょっと上から、線から見てる関係性とか微妙にあるんですよね。
それが実は、自分より下やと思ってたこの子の方が才能があるし、
何だったら音楽に対して誠実みたいなことが分かってきてしまって、
関係性が壊れていくっていう話なんですよ。
僕これを見て震えましてですね、本当に。
で、ユリってこれかってなったんですよ。
ちょっとユリっていう一言で片付けたくないんですけどね。
もうちょっと情報流豊かだと思うので。
ただユリってこれなんだなと思ったんですけど、
じゃあ自分こんな好きなんかなと思って、
そっから自分の好きな趣向みたいなものをトレースしていったんですけど、
それが女の人の話じゃなくて、
例えば機動戦士ガンダムのシャアとアムロとか、
アキラのカネタとテツオとかだったんですよ。
それと同じエモーションを感じたの。
あとピンポンのペコとスマイルとかね。
そこだったんですよ。
だからリズとアガリトリを見て、
あ、自分はユリが好きなんだと思ってそれを追っかけていったら、
男同士ばっかだったんですよ。
その僕が感じたエモーションがどうも、
むしろ今までの自分の感傷体験の中では、
男同士の関係性で描かれてきたものだったなと思って。
で、それとほぼ同時期に、
この県警隊組織暴力を初めて見たんですよ。
見た時に感じたエモーションが、
リズとアガリトリと一緒だわと思って。
そこで僕の中で、
県警隊組織暴力は実質リズとアガリトリっていう思いが生まれたんですよね。
だからどうもユリっていう名前を後から名付けてしまったので、
そこでユリだーとか言ってたけど、
多分そういう名前じゃないんですよ本当は。
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世紀一般ではそういう名前で呼ばれてないものだと思うんですよね。
ただこのユリっていう表現が、
的外れでもないなと思ってる部分があって、
そのリズとアガリトリと県警隊組織暴力を見て、
ユリだユリだーって言ってた時に、
じゃあなんでユリなんだろうと思って、
その植物のユリのことを調べたんですよね。
で、ユリの花って感傷用に飾る時って、
おしべを取り除くんですよ。
で、僕が調べた限りだと2つ理由があって、
まず受粉すると早く枯れちゃうからなんですよね。
あともう一つ、ユリの花粉ってすごい取れにくいらしくって、
汚れたらすごい困るらしいから、
そもそも取っちゃうらしいんですよ。
あともう一つ理由があるかなとしたら、
結構ユリってシリエット自体すごい可憐だけど、
おしべの部分って結構なんか雰囲気違うんですよね。
何だったら花びらの部分に比べて、
ちょっとグローテスクにさえ見えちゃうというか、
多分ない方が綺麗に見えるっていうのもあるかなと思ってるんですけど、
それでね、あ、なるほどと。
ユリの花自体がそういう関係性としてのユリを表現するのに、
すごい優れたメタファーなんだなって思ったんですよね。
だから、そういうおしべを取り除くことで、
保たれる純度みたいなものを描いたんだなと思ったんですよ。
それが、ちょっとヤバくなってきてますね。
この時点ですでにちょっと怖くなってきました。
話し残しようとしてます。続けてください。
今回は逆にブレーキ踏んでもらった方がいいかもしれないなと思うんですけどね。
だから、要はここでおしべを取り除くっていうのは、
最も直接的な意味で言うと、
男性を排除したことのメタファーだと思うんですけど、
もうちょっと解釈を広げたら、
異性を取り除くってことかなと思うんですよね。
だから、男性だけの中から女性を取り除くっていうことの意味でもあるし、
もっと広げて解釈すると、
すでに固まっている価値観の中に、
別の価値観を入れないようにすることのメタファーだなと思って。
だから、例えばその最も直接的なことで言うと、
男性と女性がいたら、
結婚しますよねとか、出産しますよねとか、
そうじゃないにしても、男同士で遊んでたのに、
女性が入ってきて、
一人が恋人ができて付き合いだしちゃって、
関係性変わりますよね、みたいなことが生まれちゃうかなと思うんですよ。
そういうことが起こらないようにされた、
閉じた関係性のことだなと思ったんですよね。
あと、花粉はつくとすごく取れにくいもの、
その百合の花の花粉はつくと取りにくいっていうものは、
そういう異物に対する穢れの意識みたいなのがあるなと思って。
この献血対組織暴力で言うと、
ある種のミソジニだと思うんですよね。
女なんてっていう、
本当に俺たち別れるのは男だけだっていう、
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女、子供に俺たちの本当の思いなんて分からねえだろっていう、
その穢れの意識。
だから性欲はあるし、女の人も抱くけれども、
これはしょうもない欲望でしかなくって、
俺たちの本当の思いとかっていうものは、
男同士でしか分かり合えないものだっていう、
異物に対する穢れの意識みたいなものがあるなと思って。
だから変化しない閉じた関係性の中で閉じこもっていたいっていうものであり、
そういう異物をある種の穢れとして捉えるもののメタファーとして、
百合ってすごい的確な表現なんじゃないかなと思ったんですよね。
それで見ると、結構献血対組織暴力解釈できるんですよ。
だから女なんて、俺たちの関係の中では単なるカフェの会でしかないっていう感じでやりとりしてる中、
でもそのやりとりをする俺たちっていう関係性はすごい強く意識されてるんですよね。
で、この俺たちも二人で上目指していこうぜっていう、
この時間がいつまでも続いたらいいよなとか言ってたら、
ウメミヤ・タツオウが来るんですよね。
で、あれで二人の時間終わっちゃうんですよ。
ウメミヤ・タツオウは、いわゆる入りの間に挟まる男なんですよね。
はいはいはい。
それは女性だからとかではなく、
要はこの閉じて完成された関係性を壊す異物なんですよ。
それは性別とかではなく、
その世界を壊すための登場人物としてウメミヤ・タツオウがいて、それを壊すんですよね。
そこで完成された箱庭みたいなものは壊れちゃうんですよね。
っていうのがやっぱこの献形体組織暴力の有利性みたいなとこかなと思ってて、
そのあたりの純度がむちゃくちゃ高いんですよ、この話の。
だから僕はもう究極系だなと思ってて、
ここまで何かありますか?
いや、なんか抗議受けてるみたいな。
すっげえめちゃくちゃ考えた跡があるというか、
ここに至るまでにめちゃくちゃ考えたでしょ、これっていう。
当時むちゃくちゃ考えてました、これを。
ですよね。
確かにある意味共通してる部分は確かに多いと思うんですよ、本当に。
その2人だけで関係がある意味閉じてて、
その間に何か割り込もうものなら、本当に障害でしかないみたいな。
さっきも有利の間に挟まる男っていう、これもよく聞く話ですけど。
今回この回するにあたって、ホモソーシャルって何だっけって思って。
よく使うじゃないですか、今。
けどなんかちゃんとあんまりよくわかってないなって思って。
単純にWikipediaを見ただけなんですけど。
けどそのときに、いわゆる男性同士の性的なものがない結びつきみたいなものっていうふうな中で、
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何かが原動力っていうのはやっぱりミソジニーとホモフォビアなんですよね。
やっぱりそれを指摘した本みたいなのがあるんですけどね。
やっぱりそれがある意味、いわゆる男2人と女性1人の三角関係があったときに、
一番この三角関係の方向性の中で一番緊密にお互いを意識しあったりとか、
牽制しあったりしてるのって実は男同士だったっていうのを、
イギリス文学の中から見つけたっていう本が、
そこが革命的な見方やったみたいなふうに書かれてて、
なるほどやなって思ったんですけど。
僕がちょっとその根本的には一緒だけど、
ホモソーシャルとイギリスはちょっと違うんじゃねって思うのが、
そのやっぱ原動力が外向き、男は。
でも女性は内向きじゃないって思うんです。
その緊密さを強めるために、やれ女性を存在に扱うだ。
ホモなんて男じゃないみたいなノリ。
それに類するノリみたいなので強めていくみたいな感じですけど。
あと上下関係とかも結構きついかなと思うんですけどね、男だと。
女性でもあると思いますけど。
そこは結構如実な感じするんですけど。
なんか女性の場合は、例えば三角関係で、
間一人男が間に挟まろうとしてると。
そういう映画もありますけど。
けどそういったものはあるけれど、
最終的な物語の行く先っていうのが、
それでも二人の関係は絡まったままなんですよ、結局。
それは自分たちの中で完結してるので、
間が挟まってもそれをある意味取り込んでしまって、
絡まった状態でも二人は結局結びつくみたいな感覚だなって思ってて。
だから終着点として、
女性同士の関係性は、僕の体感ですけど、絡まるもので、
男性同士のそれは引き裂かれるものっていうふうに僕は捉えてますけど。
っていうちょっとまだ考えがまとまってない状態でこれを言いましたけど。
なんか私、マリオンさんの話聞いてて、
私も男性と女性のコミュニケーションの取り方で、
違う部分って、さっき上下関係つけるっていうところ結構大きいなと思うんですけど、
やっぱり女性同士って、実際心の中でどう思ってるかは別にしても、
表向きに女性が複数に集まった時に、
私たちは対等だよねっていうことを強調するって言ったらおかしいですけど、
そこに上下とか優劣はつけないように配慮するんですよ、基本的には。
男の人ってそれをあえてつけるっていうか、
友達とかだとないかもしれないですけど、
でも主従関係って言ったらおかしいですけど、
どっちが上とか、それを悪い意味じゃなくて、
コミュニケーションを取る中でつけたり、
その中で憧れたり敵対したり、
そういうものを悪い意味じゃなくて、
いい意味って言ったらおかしいですけど、
そういう関係性の作り方をするよなって結構思うことがあって。
それが女性だったら年上の人と年齢の差があったとしても、
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もちろん尊敬とかはすごいありますけど、
あんまりコミュニケーションを取る上では、
ここと私とあなたにすごく上下とか優劣はないですっていうことを、
基本的には発信し合ってるような気がするんですけど、
男の人って結構それ逆というか、
可愛いがあったり、すごい敬ったりっていうところが、
結構コミュニケーションの取り方で一番違うように見える部分というか。
そうですね。
だからすれ違う方向性が、男同士だと上下なんですけど、
女性同士だと横なんですよね。
左と右みたいな。
そうですね。
それで言うと、やっぱり歴史的なロールの差があるのかなって思うんですよね。
男女の間での。
女性は内側を守るじゃないけど、
例えば家庭を守るであるとか、
内情の好的な、
家にいてとか、あるいは内側で守る。
で、それが女の人同士で結びつきを持たないといけない。
ただ別に互いに共通の思考性を与えられてるわけではないって言ったらいいのかな。
ちょっと言葉がちゃんと出ないんですけど、
逆に男性は外部に対して何らかの目標を達成するように、
役割を与えられてきてるなと思うんですよね、歴史的に。
例えば狩りをするであるとか、戦争をするであるとか、
あるいは仕事をするとかでもそうだと思うんですよ。
働きに出て会社に行って金を稼いでくるとかっていうのは、
集団というよりも組織としての意味合いが大きいと思うんですよ。
そうなった時にやっぱり関係を作るにあたって対等ではない。
だから命令系統が必要なので、
やっぱりそこに上下が作られる必要があるのかなって思うんですよね。
だからそこは多分男性の方がより成長過程の中で、
上下いるんだなって思わされる機会が多いかなって思うんですよね。
この人側の方が上だし、それに従う必要があるんだなみたいなのを、
思い知らされるタイミングが多分多いんですよね。
いつの間にかそれが染み付いていくみたいなとこがあるかなと思いますね。
そうですね、正直マリオンさんのおっしゃる通りだなと思って、
やはり僕は強引な論法を使ってたなと今。
マリオン いやいやいやいや、言えない。
でもやっぱり、いろいろ違いはあるけど、根源的なものは一緒だと思うんですよ。
やっぱり相手のことに憧れたり、逆に憧れてもらったりみたいな。
恋したいし、恋いこがれたいしみたいな。
そういうのは別にどの性別関わらずあることなので、
やっぱりそこにロマンというか感情、エモーションがこもってるじゃないですか。
そうですね。
やっぱりそういう、例えば献血や組織暴力で描かれているような男性同士の関係性が、
やっぱりどこかカッコいいなとかって思えるのは、
やっぱり戦争とか殺し合いというか、戦うっていう部分がベースにあって、
そこにそういう覚悟があるからだと思うんですよね。
その上に立っているからこそ、女子供にはその覚悟はないっていう見出し方をされていると思うし、
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だから自分たちを鼓舞するじゃないですけど、そこが結構ポイントなんですかね。
そこを抜いちゃうと、ちょっとただのしょうもないっていうのは起こられるけど、
やっぱりそこの覚悟っていうか、生きるか死ぬかっていうところっていうのは、
ちょっとやっぱり欲しい部分ではありますよね。
そうですね。だから実際、ミソジニなんですよ。
女なんてっていうのは思いがある話なんですよね。
でも実際そういうのはあるから、そこをごまかしなしに描いている話だなとは思ったんですよね。
ここでコロノチの話をちょっと踏まえたいんですけど、
前田さんは近畿一帯組織合力とコロノチが違うように思えるっていうふうにお話しされてたじゃないですか。
ちょうど僕そのタイミングで知人と、さっき言ってた上実力の話をできる知人と、
コロノチが何が違うかっていう話をしたんですよね。
めちゃくちゃタイムリーだなと思ったんですけど、
コロノチは女の人によく思われたいっていう思いが入ってるんですよね。
そうそうそう。そこ違うと思った。
牧陽子、あの地区で一番のクラブのママ、牧陽子が役所工事のことを慕ってるじゃないですか。
あと薬局の娘さんも、昔夫の暴力で苦労したのを役所工事に助けられたから、
そこで慕ってくれてるっていう。だから女性によく思われたいっていう思いが入ってるんですよ。
コロノチはね。逆にその松坂通りと役所工事の関係性はあんまりホモソーシャル感がないんですよね。
役所工事側から感情を向けないんですよ。むしろ背中だけ見せて黙ってついてこいって感じなんですよ。
対話自体は拒否してるんですよね。結構あれはホモソーシャルというより父親って感じなんですよね。
なるほどね。だからコロノチってヒーロー映画なんですよ。でありメンター映画なんですよね。
松坂通りを教育する映画だし、役所工事があの街を救っていく話でもあるんですけど。
でも県警対組織暴力とか他の投影実力路線って、ああいう暴力の主体になる人たちを曲がりなりの善だなんて描くつもり全くないんですよね。
そう。それがいいですよね。だから女子供に優しくなんて描かないし、女性に愛されたいとも思ってないし、もう要はやれたらいいんだっていう感じじゃないですか。女なんてっていう。
で、それにあともう投影実力路線は基本的に搾取したい側の人たちの話なんですよ。
だからこの場の平穏を保ちたいなんて考えなくて、ああよく場上に立ちたいと思ってる人たちの話なので、比較的悪といいかそうじゃないかの差はあるんですけど。
例えばその仁義なき戦いの菅原文太の役回りだと、比較的仁義を持ってる側の役者だけど、それでもやっぱりうまいことやって、要は仁義を通した上でいい思いをしたいと思ってる人たちなので。
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で、それがまあ仁義をないがしろにする人たちに負けていくっていうだけの話なので、基本的に全員悪なんですよね。
そこが全然違うなと思って、フレーバーは一緒なんですけどね。コロノチとそれらの映画群って。でもやっぱり根本の思想が違うなと思うんですよね。
しかもね、そのコロノチってね、その女の人に好かれた上でやらせることが募ったせやらせてるんですよ。
で、その知り合いの方はコロノチのそこが好きになれないって言ってて、その好かれた上で利用しようだなんて思うんだったら、初めから物扱いされた方がマシっていうふうにおっしゃられてて、その通りだわと思ったんですよ。
そこにねコロノチのずるさがあるんですよね。好かれながら利用したいっていう。そこはねやっぱ違うかなって思いますね。
僕もそれ聞いてなるほどって思いました。
いや、もう言語化能力高すぎるでしょ。
なんとなくで言ったことをこんなに解像度高くしてくれるんやみたいな。
僕はその人から話聞いたんで、すげえなと思って、その人の話がね。
いやでも本当、結構的を言ってるなっていうか、役所講師と松坂トーリーの関係性の中に、あんまりミソジニーとかが感じられなかったのなっていうのは改めて思い直したんですよ。
今回、県警対組織暴力を見て。
やっぱりそこがちょっとある種のヒーローものでありメンターものでありっていう話。
で、その次回作レベル2で出てくる鈴木良平っていうのが、まさにそういったもの、県警対組織暴力的なるものの象徴みたいな感じで出てくると。
ヒーローものとして捉えるんだったら、あいつはジョーカーみたいなものでっていうふうに捉えられるんじゃないかなっていうふうに改めて思いましたね。
そこがね、県警対組織暴力は、欺瞞がない分純度が高いなと思うんですよね。
だって男ってそう思ってますよねっていう。
女の子と利用したいなと思ってるし、他人を利用して甘い汁を吸いたいと思ってますよねっていう。
でもそう思ってる男同士は固く見合って、同じ方向を向いて何かを目指してたりしますよねってね、めちゃくちゃあると思うんですよ。
例えばね、そのクラブとかでうわーって言って、なんか金ばらまいて酒ばらまいてみたいなしてる人、男数人で来て女遊びしててますみたいな人って、やっぱり女遊びを使って俺たちってやりたいわけじゃないですか、基本的にはね。
あと、これもあんま言うのも好きじゃない概念なんですけど、風俗をおごるみたいな概念もあるんですよね、男同士って。
あれって、なんでって思うんですよ、本当に。
もう意味あんのって思うんですけど、結局それって行く前とか帰り道とかで、どうなんとかどうやったんとかを話したいんですよ。
結局その性的なものっていうのは、男同士の結びつきを確認するためのだしなんですよね。
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そこが際立ってるんですよ、県警対組織暴力は。
いやそう、それは本当ちょっと女性にはないですね。ないのかな、ちょっと私はよくわかんないですけど。
なんか、絆を確認し合うものみたいなのってあるんですかね、女性と。
絆というか、なんていうの、でもそれに男性を絡めるっていうのも、マウントを取るっていうことはあるのかもしれないんですけど、付き合う人とかによって。
なんかあんまりちょっと私はピンとこないんですけど、県警対組織暴力の中で描かれる女性たち、私結構好きで、
なんか、ひょうひょうとしてるって言ったらいいように言い過ぎかもしれないですけど、
結局やっぱりあの辺の話って、さっきも言いましたけど、生きるか死ぬかみたいなところがやっぱりベースにあって、
それがやっぱり女性もそうで、だからより強い男の人について生きたいとか、
男性のその味噌じんにというか、そういう面があったとしても、より強い男の人のところに行って守られたいとか、自分の地位を守りたいとか、
っていうようなところも女性側にもやっぱりあって、なんかその感じもちょっと見てて、面白いって言ったらあれですけど、
結構好き、好きって言ったらちょっと、あの価値観が好きなわけではないんですけど。
興味深いみたいな感じなんですかね、そういう。
なんか、みんな必死でいいなっていうのは純粋に思って、
だから、ある意味守られることとトレードみたいなところはあると思うんですね。
だから男の人もその代わり養ったるわみたいなところはあると思うんで、
そこの責任と覚悟を抜いたら、ちょっとダサいことになってくると思うんですけど、
それがある上で踏み台にお互いしている部分もあったりするっていうのは、
一つの価値観として成り立っているようなと思うんですね、見てると。
それって例えば解消っていう言葉が当てはまると思うんですけど、
女子どもを癒し得ない男は一人前じゃないみたいな言葉かと思うんですよね、解消って。
それって同情圧力のための言葉だと思うんですよね。
そうやらないとお前はダメだっていう楽園を押すためのものだと思うんですけど、
ある種の守られる側の生存戦略のための概念って気もして、
解消っていう言葉があることで、守られる側が守る側に
守らせることができるカードかなって気がするんですよね。
だって、あなた私のことを養うかったら解消なしのボンクラじゃんっていうカードを突きつけられる。
で、男性側は同情圧力の中で生きてるので、
そのカードを切られたらやれなかったら犯人前扱いされるのでやるしかないっていう、
守らせるカードみたいな側面があるかなって気はしましたかね、今聞いてて。
そっか。
なんか正直どういうふうな価値観でも、そこからこぼれる人って絶対出てくると思うんですよ。
その価値観から。その時々で良しとされている価値観に合わない人たちというか、
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そのルールの中で勝てないっていうところを、ルール設定をどうするかっていう話かなってちょっと思って、
そこに倫理とか平等とかっていう話を入れてくるともっと複雑になってくるんですけど、
そのルールがむちゃくちゃ明確だった時代の話みたいな。
その中でひたすら価値を目指している人たちみたいな感じで。
明確だしめちゃくちゃシンプルですよね。やるかやられるかっていう。
そのデンジャラスな世界っていう。
明確やしシビアやし。
やっぱそういう世界の方がそういうのが際立つんだろうなっていう。
そう。勝ちも負けも激しい。それは多分男女共にそうやと思うんですけど。
より良いところを目指していくっていう。
お互い容赦ないんだなというところ。
それで言うとね、この献金対組織暴力の二人って、
会商って意味ではダメの楽に押されてる二人だと思うんですよね。
まず菅原文太の方は奥さんに逃げられてる人なんですよ。
で、警察署に見下り犯を突きつけられにくるっていう展開があって、
あれってすごい恥だと思うんですよね、当人にとって。
要は妻をコントロールできなかった男として見られる。
しかもそれを警察署?職場?だから戦場にそれを言いに来られるって、
もうどんくらの楽園を押されてもおかしくないところだと思うんですよね。
奥さんもそれを分かっていたんですよね。
だからカードなんですよね。
こうしないとあなた聞いてくれないんじゃないの?みたいな展開あったじゃないですか。
だから奥さんもそこをしたたかにカードを使ってるし、
松倉裕之の側はそもそも配偶者みたいな存在が見えないというか、
丈夫はいるんですけどね。
あと、これ僕あんまり意識してなかったんですけど、
その話してた相手の人から言われて気づいたとこで、
あの人、セックスしてるとき相手を痛がらせてるらしくて、
だからセックスがしたというか、独りよがりなので、
そういう意味で、だからある種の解消なしなんですよね。
なんかその視点で見たら、ちょっとまたこの映画の見え方も変わってくる部分もあります。
「仁義なき戦い」とかだと、
妻子がいる人、ちゃんと家庭を持ってる人とか出てきて、
その人が殺されるみたいな展開がよくあるんですけど、
あの二人って家庭を持ってないとか、家庭をなくしてる二人なんですよね。
だからそこしか残ってないんですよ。
男の世界しか残ってないんですよ、あの二人って。
だからやっぱり、より戦異化するというか、
よりミソジニー的になるし、よりホモソーシャルが強くなる。
そこしかないからっていうのがあるかなっていうのがあって、
だからこそその純度が高いんですよね、ホモソーシャルを描いたものとして。
家庭とかが描かれてないから。
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なんか私は、女性なんである意味客観的に、
客観的にというか、映画として見てるんですけど、
お二人ってなんかその、なんて言ったらいいんですかね、
さっきも言いましたけど、そういう価値観に対して結構NOっていう感じじゃないですか。
思いたいですけどね。
でも、なんか、でもやっぱりああいう映画を見て、憧れるっていう部分はやっぱりあるもんなんですか?
その、別に深い意味じゃなくて、価値観がどうとかっていうことじゃなくて、純粋に。
いや、正直あるなって思いました。
ありますよ。憧れはあります。
あるな。
面白いですよね。なんか複雑な生き物ですね。
なんかそれが男の差がですって言われたらしょうがないんでしょうけど、
でもほんとやっぱあの世界観に僕の居場所は絶対にないなって思うんですけど、
というかもうなんかそういうのを、なんかこれまでの人生やっぱりそういうのいっぱいあったわけですよ。
やっぱりなんというか、職場でも結構部署によって結構雰囲気が違うんですけど、
もうホモソーシャル的なというか、もうそういう結びつきが強いところはやっぱりもう話すは大抵ギャンブルが付属しかないとか。
あのほんと一回行ったんですけど、マジしんどいなって思って、
もうそこで癒しだったのは、最近お子さんが生まれたっていう方がいたんで、
そのお子さんの話ずっと聞いてたのがめちゃくちゃ癒しだったんですけど、
もうほんとそういう話しかしてないとか、
あとやっぱほんと中学校とかぐらいの、あのマセタガキの時とかって、
もうなんかそういう、俺の方がエロい知識知ってるんやぜみたいなマウント取ってくるみたいなやつとかいて、
で、そんなんも知らんの?みたいな言ってくるやつがいるわけですよ。
あのもうほんとね、はーうるせーなーって思ったりとか、
もうなんかいろいろこういう関係性のなんか嫌なところいっぱい見てきたはずなんですけど、
けどなんかその、なんていうんですかね、結びつきみたいなのはめちゃくちゃ欲してるっていう感じ。
ねー、なんか不思議というか、不思議です。
男ってなんか結構孤独を求めがちなとこありません?なんか。
まあ、苦笑い。苦笑いですね。わかる意味に苦笑い。
男ってね、孤独とか孤高を求めがちなんですけど、めっちゃ寂しいガリアなんで、
なんだかんだ繋がりを求めたがるんですよ。
なんかそのアンビバレットな感じ、だなって思いました。
うん、それねー、めっちゃあるんですよねー、そういうの。
マドンナたちのララバイって歌あるじゃないですか。
一挙一挙出してくるものが面白すぎるっていうか。
さあ眠りなさい、疲れ切った、身体を横たえてって歌詞があるじゃないですか。
この街は戦場だからね、あなたたちは戦士ですよね、みたいな。
でもまあこの時だけ私の前に帰ってみたいな、なんか俺は戦士で孤独だけどっていう、
なんかね、マザコンの裏返しがめっちゃ現れてて、あの歌聞くとむちゃくちゃしんどいんですよね。
これ聞いて酔ってるの、だいぶきついな、みたいな。
39:02
あとあのね、ハイ&ローってあるじゃないですか、不良たちの喧嘩のやつ。
で、僕映画見て、面白いなと思ってテレビドラマシリーズを見出したんですよ。
で、テレビドラマシリーズ見出したら、映画版って本当に、おい、やるでって喧嘩ばっかしてるみたいなだけだけど、
テレビドラマの方だと結構日常が描かれるんですよね。
そこでね、ちょっと容量の悪い先輩をいじるみたいな場面があって、僕そこでハイ&ローダメになっちゃったんですよね。
あ、もう映画版で、うわーイェーって言って勇ましくやってかっこよかった奴らが、実は日常ではちょっとバカにしてる人のことをいじってるみたいなのが見えたのが、
あ、僕、三脳入ってコブラとかヤマトと一緒に戦えたらいいなと思ってたけど、僕、灰色世界行ったらむしろいじられる側やっていうのに気づいてしまって。
なんかね、あの、映画版だけだったら憧れられたんですよ、あのホームソーシャルにね。
でも、急にそのホームソーシャルの良くない面をテレビ版で見てしまって、うわーってなって、ちょっと反動でハイ&ローめっちゃ苦手になっちゃったんですよね。
うわー、めっちゃかっこいいこと言ってるけど、こいつら多分いじめとかしてるのやろなと思ったら、もう無理やーってなって。
いじる側といじられる側のポジションって明確ですよね、なんかね、すぐ。
なんかね、そういうのが、だからやっぱハイ&ローの映画版は僕の憧れの対象には入ったりはするんですよ。かっこいいなーみたいなね、思えるんですけど、
やっぱその日常?そういう上下関係の日常みたいなのを見ると、やっぱ引いちゃうとこがあって、
献血対組織暴力はもうエクストリームなので、そこをちょっと距離を置いて見れるとこもあるかなとは思いますね。
暴力の類が非日常になっちゃってるので、ある種のその暴力ジャンル映画として見つつ、そういう関係性萌え映画として見つつっていうところで見てるとこがあるかなって思いますかね。
全然僕、マッチョ憧れありますよ、本当に。いや、なんなら私もあるぐらい、あるというか、単純に男性に生まれてたら、なんかヤンキー漫画とかすごい好きだったんで。
全然触れることのない世界やから、憧れというか、勝手なイメージを持ってるところはあるんですけど、なんかそのすごい思うのが、ちょっとこれ偏見かもしれないんですけど、
そういう県警対組織暴力みたいな男性同士の関係を描くときに、それでもちょっと思い上がりかもしれないんですけど、どれだけ男同士のって言ってても、絶対女の人いるやんって私は思うんですよ。
絶対必要とどっかで知ってるやん。それをどういうふうに思ってたとしても。でも、もし女性同士の話だけを描こうと思ったときに、そこに別に男性入れなくても正直成立するんですよ。
正直求めてないんですよ、絶対的には。それがちょっと可愛らしさを感じてしまうというか、男性の。それ結構いつも思いますね。なんやかんや必要なんでしょっていうのは思ってしまいながら映画とか見てしまいます。
42:12
結局私たちのことが必要なんでしょみたいな感じっていうんですかね、それなんか。
必要なんでしょって、ちょっと思ってます。
思いやがってこう生きてるけど、どうせ私たちのことがいるんでしょみたいな感じですかね。
あったらいらんふりするけど、絶対いるやろって。っていうのはちょっと正直思っちゃってる部分ありますね。
それね、そうなんですよ。それめっちゃそうなんですよ。
もうなんなん。
これもね、僕めっちゃ自分の偏見で言いますけど、男ってね自分がエロいの嫌いなんですよ。
あー。
ちょっとわからんわからん。難しいです。
自分が女の人を求めてるっていうこと自体は嫌いなんですよね。
だから、女の人を求めるけど、女の人を求めてるということは嫌いなんです。
はいはいはい。わかります。ニュアンスは。
だから、澄んだらめっちゃドライなんですよ。
もうその関係を澄ませてしまったら、むちゃくちゃドライになっちゃうんですよ。
だってさっきまでの自分が嫌いだから。
面白い言い方しますね。
基本ね、むっつりすけべみたいなこともありますけど、
ほんとなんか、基本むっつりというか、あんま明けすけじゃないと思うんですよね。
なんかそういうことって。
だから支配しておきたいっていうのもあるのかもしれないですよね。
かもしれないですね。
結構表裏一体というか。
あとまあその要は、そういう女遊びとかで関係性を確かめ合うのとかって、
ある種のその弱みを見せ合うみたいなところがあるかなと思うんですよね。
あーそうですね。
そっかそうですね。
腹をさなけ出し合ってる。
だからお互いの弱い部分を見せ合ったから、
俺たち仲間だよねって言いたい。
みたいなのはあるとは思います。
うんうんうん。
ですかね。
うーん。
だいぶ。
大丈夫?ほんまに今回。
大丈夫ではない気がします。
大丈夫じゃないかもしれないですね。
権刑対組織暴力の本編、触れてましたっけ?
これの話今はみたいなぐらいの。
外回りの話ばっかしてませんかね?みたいなちょっと思ってきて。
ループ開きますから。
全然ね、類似する話なんで多分聞いてて面白いと思うんですけど、
あのシーン良かったねみたいな話全然してないなって今思っていると。
あ、その話もしたかったんですよ。
あのね、初めの前半でね、
菅原文太と松片裕樹が、
警察署の廊下から二人並んで出てくるシーンがむちゃくちゃいいんですよ。
で、松片裕樹はオレンジとピンクの間のような、
ちょっとその明るい色のいなせなスーツを着てるんですよね。
うんうんうん。
で、菅原文太の方がちょっとシックな色のスリーピースを着てるんですけど、
二人とも足長いからむちゃくちゃ決まってるんですよね。
うんうんうん。
でもこの映画の菅原文太のスリーピースは、
本当にうったりするほどかっこいいと僕は思ってるんですよね。
山口さん、男性のスーツ姿好きですよね?
好きですよ。
45:00
たびたび言ってますね。
いつもその話してる気するなと。
たびたび言ってる。
好きなんです。あの、シルエットがシュッとしたスーツ姿むっちゃ好きなんですよ。
マイティー・ソウ、ラグナロクのトム・ヒドルストンが黒のスーツ着てるシーンとか、
僕もうわーってなってましたからね。
もうあれだけであの映画見てほしいぐらい。
いやだからあの憧れなんです、そういう。
かっこいい男憧れなんですよ、もうズバリで。
へー。
ただあの警察署のシーン二人並んで喋ってることを、
あの女にしゃぶらしたいんじゃーみたいなことを言ってる最悪のシーンなんですけどね。
本当に。
まあね。
あれがホモソーシャルということなんです。
カッコつけてエロい話して、
俺たち仲間んだぜって言うっていうのがホモソーシャルっていうことなんですよね、やっぱり。
うーん。
あとあの、僕この映画のハクビのシーンだと思ってるシーン。
松嶋裕樹が菅原文太の部屋で茶番を笑うシーンですね。
あーそこねー。
あそこね。
あのモノクロになってもう、もうあそこやばいですね。
かっこよすぎでしょ、ほんとに。
敵対する相手を殺して出頭してきた松嶋裕樹を、
かくまってお茶漬けを食わせてあげるんですよね。
でその、あの茶漬けの味は忘れたことがないみたいなことを言ってるんですけど、
その後茶番を洗ってるんですよ。
で、それを見て、
菅原文太は松嶋裕樹に惚れるんですよね。
あのシーンは本当にうっとりして見てしまうんですけど、本当に。
ただ、むっちゃ良くないシーンで、
あの茶番を洗うシーンがなぜ美しく見えるかというと、
あの松嶋裕樹は普段茶番なんか洗わない男だからなんですよね。
だから基本的に食器の片付けなんて女にやらしてるからなんですよ。
その男が自ら茶番を自分の指で洗っているっていうのが美しく見えるっていう、
そのすごい歪みの上に成り立った美学があるシーンなんですよね、あそこって。
お前ほどの男が茶番を洗うのかって、そんなもんみんな茶番洗っとるわいっていうシーンだとは思うんですよ。
でもやっぱりこれほどの男に茶番を洗わせるのならば、俺は助けなければならないってなるっていうのが、
そのこの映画の持っている退廃的な端微が詰まってるシーンだなと思うんですよね。
それは正しくはないんです、絶対に。
間違っているんですよ。良くないことなんですけど、
それともその良くないことに人生を懸けた男たちのドラマはあそこにあるんですよね。
伝わってます?前田さん。
伝わってしかないです。
あ、良かった。
頑張りすぎてます。
あと、この映画の存在感を際立たせているのって、梅見渡荘の楓刑部法だと思うんですけど、
本当にドライな存在、冷淡な存在として出てくるんですけど、
でもよくよく考えたら、市民としてはまだあっちの方がマシなんですよ。
どうせ政治と癒着して利権を貪る側なんだったら、せめて暴力を振るわない側であって欲しいっていうのが正直な心情だと思うんですけど、
48:08
菅原文太と松片博の側は、利権も貪りたいし、何やったら市民に暴力も振るい側なんですよね。
全然良くないんですよ。
まだ、消去法で言ったら梅見渡荘側の方がマシなんですよね。
そこにこのドラマというか、惚れるということの歪みがあると思うんですよね。
やっぱり見てる側として間の二人に惚れてるわけなんですよ。
そこでもう梅見渡荘を許せんってなってるけど、いやいやちょっと待ってよ、まだマシでしょってそっちの方がってなるっていうね。
そこがね、味わい深いというか、最後のね、石油会社に転職した後のラジオ体操のシーンとか、めっちゃもう呪縛の極みなんですけどね。
あそこほんと凶悪やなって思いましたね。
すごいっすよね、あそこ。
あんな白々しいラジオ体操初めて見たっていうか、ひどいこと言う。ひどいことひどいみたいな。
俺悪い人ですみたいなことをお首にも出さないじゃないですか。警部補ってね。
で、最後のシーンもみんな頑張って仕事しようねってラジオ体操してるけど、お前さぁみたいな。
また悪い顔して悪いことしてる奴の方がちょっとマシに見えるぞみたいな。
ほんとこの世界極悪やわって思うっていうか、それが真実でしょうけどね、この世界のね。真理でしょうけど。
あと暴力シーンもやっぱ目を引くの多いじゃないですか。
極悪な取り調べ室とか、すごいって思いましたけど、ほんとすっぽんぽんじゃんっていう。
しかもちゃんと大事なとこ見えないっていう、そのギリギリ感も含めてよく撮ったなって思ったし。
なんかちゃんと見えないことが偉いみたいな。
完全に人格を破壊する拷問してますからね、あそこ。
ほんと酷いことやってるし、あと今日は赤ちゃんを流しながらなかなか見にくい争いをするっていうシーンとかもありましたけど、すごいこと考えますね、ほんと。
あのコントラストはちょっとびっくりしました。
あと、ラストですね。
セアラ文太が左遷させて交番勤務になるじゃないですか。
で、雨の日に事故があったからって言って見に行ったら、その謎の車に轢かれて最後死んじゃうんですよね。
結構あれ異質なシーンだなと思ってて、この実録系のヤクザ映画って、人を殺すシーンってものすごいドタバタドタバタと人を殺すんですよ。
カッコつけた人の殺し方しないんですよね。
まずその、殺し合って基本的に手だれがいないんですよね。
一番シーンで困らない下っ端が鉄砲棚に出されるので、人殺しの要領はむちゃくちゃ下手くそなんで、いつもドタバタするんですよね。
で、人を殺すということは無様なことであるっていうことを描いてるかなと思うんですけど、
あのセアラ文太が車に轢かれて死ぬシーンって、殺す側の死体も描かれないし、なんかそのドタバタした感じも全くないんですよね。
51:07
あそこ、なんか本当にこの実録系の中ではすごい異質だなと思ってて、あれって本当に松方博紀が死んで、あの男の運命は既に終わってるから、あとはもうその運命が殺しに来るだけっていう状態だったと思うんですよね、ラストシーンって。
だから運命が殺しに来たってシーンだなと思ったんですよね。
おー、言い回しをしますね。
本当ですね。
だってあれって多分、警察関係の何者かが殺してきたとか、あるいは松方博紀の射手が復讐のために殺してきたとかっていうのは、何らかの事情が描かれてもおかしくないと思うんですよ。
そうですね。
で、そいつらに殺されましたみたいな方が、その実録的な意味での話としては隙間りはいいと思うんですけど、そうなってなくって、もうあの時の菅原文太にとって誰が殺しに来るとかもう関係なくなっちゃってるっていう。
なぜならもうあいつの人生はもう終わってるからってことなんですよ。
そこにやっぱり関係性が終わると男の人生は死ぬと、っていうことが描かれてるっていう。
大きな古時計はおじいさんが死んだら止まるんですよね。
よくそんな例え思いつきますね。
なんか使おう今度とか言って。
こういうところで吸収して、さも自分の例えのように使うっていう。
今の例えめっちゃおもろかったよ。
そんなとこから引っ張ってくると。
そんなに上手じゃない気もするし。
すごいドヤって感じ。
だから本当にね、その男の物語という箱庭の話だなと思うんですよね。
その箱庭は男が自分勝手に振る舞って女の人もないがしろにしていいし、
自分と関係ない人たちのことは暴力的に扱ってもいいっていう歪んだ男二人の箱庭の物語だと思うんですよ。
それをウミミやタツオが壊しに来るっていう。
花園を壊しに来るっていう話だなと思って。
やっぱ歪んでいるし正しくないけど、正しくないからこそその歪さに、
そこを自覚しながら端撃すると最強の映画だなと思ってて。
無自覚に端撃するとヤバい映画だなと思うんですよね。
そうですね。だから本当に改めて見て、この映画にかからずですけど、
やっぱりホモソーシャルって言葉が最近よく聞くようになってから、
結構ネガティブな捉え方がされる。
どうしてもその起源がやっぱりミソジニとかホモフォビアと繋がってるからっていうのはあるんでしょうけど、
なんか良いホモソーシャルってないのかなってずっと考えるんですよね。
それは良い議題だと思います。
54:00
別に男同士の繋がりとかってあっていいじゃないですか。
けどそれがミソジニとか繋がっちゃうのが問題なだけで。
そういう良い関係性を男同士で築くって、どうしていったらいいんだろうかなってずっと考えちゃうんですよね。
逆にこれからこういう人形映画というか、
ちゃんと作ることできるのかなって不安になっちゃうというか、
時代の価値観ってももちろんありますし、
そもそもそういう概念をちゃんと理解した人が作り手にいるのかというか、
ちゃんと残っていくのかっていう。
だから結構形は変わっていくのかもしれないですけど、
だからその一つの形が子老の死みたいな、またちょっと違うものとして、
題材としては残るっていう形になるのかもしれないんですけど、
ちょっと興味深いですね。
結構一つのジャンルとして日本では確立されてるものじゃないですか。
だから余計なくなってほしくもないなと思いますし、
それを今の価値観に。
今の価値観にっていうのは無理やりそんなことする人もないのかもしれないですけど。
だからそういう意味で子老の死ってそのチューニングを頑張ってやろうとしてるんだなっていうのは改めて思いましたね。
あんまりそのミソジニーな部分が、主人公二人の間柄に見られないみたいな部分とかっていうのがやっぱり。
白石監督がそういうのに意識的に取り組んで、今過去の反省も含めてそういうのを取り組んでるっていうことの意思の表れだと思うし。
そうですね。ただね、僕がトイ・ジツロクのロセンの映画の話してた知り合いの人とか、
あと他にもそういういわゆるノワールとか、韓国ノワールとか好きな人とかも知り合いにいるんですけど、
その人たちってちゃんとフェミニズム的な考えを持ってる人だったりするんですよね。
ノワールとかって本当に女性を物扱いしがちなジャンルだと思うんですよ。
物扱いしてなんぼみたいなとこもあるかなって気もしますしね、あのジャンルは。
でもやっぱご本人としてはフェミニズム的な考えを大事に持ってたりとかしてて、
それなんでなんだろうって思って、前ちょっと聞いたんですよね。
なんかノワール好きな人とかって結構フェミニズム大事にしてる人多いんですけど、
なんでですかねって聞いたら、その半端に女性は強いとか歌われるより、
いっそ物扱いされた方が疑問がなくていいっておっしゃってて、なるほどなって思ったんですよ。
だから最近の女性が強いヒーローをしてる話とかも好きになれない人がいるっていう風におっしゃってたんですよね。
いや、めっちゃわかるかも。
それっておっしゃる通りだなと思って、それを意外と女性が強い時代ですみたいなことを言ったって現実そうなってないじゃないですかと。
そこにそんな疑問に満ちたものを作るぐらいだったら、
いっそ完全に女性を物扱いした男だけの世界の方が嘘がなくて、純度が高くて楽しめるみたいな言い方。
57:08
ちょっと僕のその話を聞いて、僕の解釈の言い方ですけどね今のは。
っていう風におっしゃられてて、なるほどなって思ったんですよ。
その考えすごい理解できるし、私も結構それに近いかもしれない。
なんかこう単純にフィクションというか映画として楽しめる。
やっぱりそのさっきおっしゃったみたいな女性が活躍するみたいな映画見てると、
やっぱり現実をすごく意識して作ってるのがわかるし、それがすごくしんどくなったりもするんですよ。
結局その時代が変わる時ってそういうのは仕方ないのかもしれないですけど、結局一方的な感じもすごいしちゃうというか。
映画はフィクションなのでって言う。割り切ってもいいやんっていうのを私はすごい思ってて。
その中で好き放題、作品っていうのは映画に限らずですけど、
その中で好き放題できるっていう人間に残された唯一である本当の自由みたいなところやから、
そこにあんまり現実のルールとか持ち込まないで欲しいなっていう気持ちもあったりはするんで、
そのために現実を良くしていこうっていうところもあるんですけどね、もちろん。
だから僕もケンキイッター組織暴力は嘘だから好きなんですよね。
でもあれ元実話ベースなんですけどね。
まあそうですよね。綿密な取材のもとで作られてるやつですよね、あれってね。
でもやっぱりあれ、作・金治監督らによって劇的な映画として再解釈されてるとは思うんですよ。
無残な現実をロマンチシズムを含めた男の世界として捉え直した話だなとは思うんですよね。
それは嘘として楽しめるし、僕は嘘として楽しみたいなとは思うんですね。
そこにあるエッセンスは僕は好きなので。
ただやっぱ現実はそうじゃないよね、それは良くないよねって思いながら楽しみたいなっていうのは、
今回改めて思い直しましたね、本当に。
まあそうか。
僕は結構、今までの二人の話を聞いて分かるなと思ってたんですけど、
僕は結構映画に理想を求めがちやなっていうのを改めて思ったというか、
理想を描いて欲しいなっていう気持ちも結構僕の中で強いんだなって思って、
どっちもあるからいいんだと思うんですけどね、それが自由だと思うので。
だし現実のありのまま描いた映画ももちろん僕も見て大好きだし、
それも今できてない理想をちゃんと描く、
そこに表現として残すっていう方も僕はすごくどっちも大切にしたいって感じなので、
バランスというかかなっていう感じは僕はしますかね。
あとなんかさっきの人気者とかノワールが好きな人はそういうフェミニズム的な考えを持ってるみたいなのってちょっと思ったんですけど、
その良いホモソーシャルを作る上で、男同士の関係が外部に頼るものなのだとしたらやっぱそのミソジニとかホモフォビアを別のものに置き換えればいいんだっていうふうに思って、
それが例えば映画でもいいし、スポーツとかでもいいんじゃないかなって思って。
1:00:02
例えばですけど、これが例としてあっているかわからないですけど、ロッキーとアポロの関係とかって特に3ですよね。
2人でビーチでトレーニングするシーンって、あれって良いホモソーシャルなんじゃないかなって思ったんですよ。
最高。ロッキー3最高ですよ。
お互いに別にミソジニとかホモフォビアがなく、ただその試合に勝ちたいと。
そこに1個に向けてお互いに繋がり合うというか、一緒になってトレーニングするって、やっぱあの関係性すごくいいじゃないですか。
あのトレーニングシーン大好きなんですけど、なんかああいうのに良いホモソーシャルのヒントがあるんじゃないかなって今ちょっと思いました。
ロッキー3は理想に近いですね、確かに。
ロッキー4になると復讐とイデオロギーっていうノイズが入ってきちゃうんですよね、そこに。
キー3はね、純度高いですよ。本当にあれはいいですよね。
現実はそんな単純じゃないし複雑ですけど、やっぱりそういう理想も僕は欲しいなっていうふうに思いましたね。
フィクションに現実を求めるのか理想を求めるのかってとこで、いずれにせよ、じゃあその現実を描いたとしてそれを描く意味は?とか、理想を描いたとしてそれを描く意味は?っていうのは僕は問いかけながら見たいなと思うんですよね、映画を見るときって。
理想を描いてるけどそれ疑問じゃないですかっていうのもあるし、現実を描いたからって何か言ってやったみたいな気になってもそれ意味ないですよねみたいなの思うこともあるし、
やっぱりその現実を描く意味とか理想を描く意味ってその都度問われるべきかなと思うんですよね。
だからそこをちゃんと問いながら作ってる映画は僕は好きだなと思うんですよ。
そこを問うてない映画ってただやったったのだけでしょそれって思うんですよね。
そういうものはやっぱり見たときに嫌だなって思うことが多いかなって気は自分としてはしてますかね。
なんか初め僕が喋ってるときどうしようって思って言いながら喋ってたんですけど割といい感じに収まったんじゃないですか。
いやほんま山口さんのコメントもコメンタリーとして収めたいぐらいですもん。
はい。
あのね今回はねちょっと僕ねかなり気合い入ってたんで、気合いは入ってましたね。
あの前も言いましたけどこういうことって今ちょうど僕が日々考えてることなんですよ。
自分の持ってる思考とか世の中のこととかとどう折り合いをつけたらいいのかなっていうのを日々思ってることだったんで、
ちょっとねそこが爆裂しましたね本当に。
いやでもなんか自分がなんとなく感じていたことがこんなに明確に理由というか裏付けがちゃんとあるんだって感動しましたね。
それをなんか普段考えてなくてもなんとなく感じるぐらいやっぱり作品のパワーがやっぱすごいんだなって改めて思いました。
1:03:05
すごい映画だと思います。
あと実力系だと女性の立場がある種男と対等に描かれているのが北陸大理戦争っていう映画があって、
これはねちょっとその男女のある程度その鏡合わせな対等性みたいなのが描かれてるんですよね。
ちょっとそれはね、県警邸組織暴力の対として見てみてもいいかもしれないですね。
北陸と沖縄は見ます。
ぜひぜひ。
まゆみさんが見るんだったらその銀座警察が一番色黒してるのでいいかもしれないですね。
基本地名で覚えてたりですね。
そうですね。大体場所に気も付いてるので。
その土地土地でやってますってことですね。
北陸と銀座です。
覚えました。
よかったら見てください。
銀座は本当に情のかけらもないから感情移入しやすいと思います。逆に。
へー。
まあそんな感じで終わっときましょうか。
はい。
では県警邸組織暴力とホモソーシャルに関する話ですかね。
はここで終わりたいなと思います。
次回ドクターストレンジでいいんじゃないですかねって思ってるんですけど。
うん。いいと思います。
まゆみさん行けそうです?
はい。行きます。
僕も侍名映画ちょっと見てから参加したいですね。次回は。
あ、やっぱこれパロディーやってんやみたいなのが思い当たることがありそうで。
うん。てか次って一応シンウルトラマンになるんですよね。
あ、そうですね。
多分ちょっと紛らわしいですよね。今のやつだと。
自治会のテーマって言った方がいいですよね。
そうですね。シンウルトラマンは公開翌日に我々全員で見てその直後に収録するのでお便りを募集するタイミングがないんですよね。
なのでお便りを募集できる次回はドクターストレンジマルチバースオブマッドネスですが配信としての次はシンウルトラマンになるかと思います。
なのでシンウルトラマンドクターストレンジでドクターストレンジのお便りを募集するって感じでいきたいなと思いますのでよろしくお願いします。
はい。
ではお知らせになります。この番組ではリスナーの皆様からお便りを募集しています。番組の感想次回テーマ作品の感想などご自由にお送りいただけると幸いです。
受付先は番組説明文をご確認ください。また次回場開催情報、ポッドキャスト次回テーマ作品の告知も行っておりますのでツイッターのフォローもよろしくお願いします。
はい。それでは映画の話し助けラジオリニューアル第62回県警隊組織暴力の回を終わりたいと思います。
それではまたお会いしましょう。さよなら。
さよなら。