簡単に言ったら僕がね、息子にしてきた感じ、僕とか妻がね、
もうやってきたこととかをちょろっと思い出話みたいな感じで喋ったりとか、
あとは、現代はこんな感じなのかなとかね、その辺とかを喋っていこうかなと思います。
まあね、教育理論をね、うちの教育理論は多分出すのかもしれないですけど、
まあね、それを聞いている方々に押し付けるつもりもなかったりとか、
あとどうなんでしょうね、これ聞いていただいているかだって、
多分僕と似たような年の方が結構多いのかなと思うんで、
どうでしょう、もう子育て、ちょっと落ち着いてきちゃってたりする年齢の方も多いのかなと。
で、まあもしね、現在の子育て中ですと、まだ子供が小学生ですとかね、
まあ幼年期でもいいですし、中学生でもいいですしね、
またそういう方でも、何かの参考になればいいんですけど、何もしないかなという感じでね、
まあそういうのも本当に気軽に、ゲームでの話をするっていう感じで、
ゲーム周りの話をするっていう感じのうちの番組としてはですね、
まあなんかちょっと、そういえば昔ね、昔と本当に1ヶ月、2ヶ月くらい前にね、
神さんと話してた時に、
まあ、そういえばこういうことあったね、みたいな話をした時には、
これ喋ろうかなと思って、喋っていいかな、みたいな話をしたんですよね。
そうしたらいいんじゃない?みたいな感じで言ってたんでね。
ということでね、まあどんなことを話すかっていうとですね、
まずその、僕の立ち位置ですよね。
まあ今更なんですけど、
僕も妻もね、今は他の会とかでも言ってるんですけども、
51歳になりまして、妻も僕もね、ともに。
で、息子は28歳で、まあ子育ての必要はないですよね。
子育ての必要はないですよね、子供は28なんでね。
ちなみにですけども、年に1,2回僕は未だに28の息子に、
ゲームに関するとあることで怒ってるんですけど、
その怒ってる僕の様子を見て、妻が僕を怒るっていうことがあるんです。
これはまた後で話そうと思うんですけど。
ということでね、子育てからは手離れてるっていうのが正直なところですからね。
でですね、まあそうですね、
僕の立場みたいな感じで話すとですね、
まあ51歳なんで、
80年代ね、ファミコンに触れてきましたし、
いわゆるゲーム、アーケードゲームとか、
いわゆるテレビゲームですよね。
ビデオゲームね、ファミコンね。
これがちょっとやっぱり世間の風当たりが冷たかった、
悪と断じる人もいた時代を過ごしてきた世代ではあるんですよ。
ただですね、これはもううちの父も母も多解してるんですけども、
今にして思うと父と母にちょっとね感謝したいなと思うのは、
あのね、言うほど規制はされなかったんですよ、最初に言うと。
であの、ファミコンがね、我が家にファミコンが来たのはですね、
1984年の夏頃をですね、結構具体的に覚えてるんですよね。
僕はですね、ファミコンとの出会いが結構遅くてですね、
テレビでね、CMやってんのは知ってたんですよ。
で、どうだったかな、
任天堂がスポンサードしてる番組なんかでやっぱり出てくるんですけど、
まあね、なんなんでしょうね、子供のなりの疑いみたいなのがあったと思うんですよね。
だからテレビでやってるCMに出てくるあのゲーム画面が本物じゃないって思い込んでたみたいなんですよね、たぶんね。
たぶんそういう感じだったと思うんですよ。
で、カセットビジョンとかはね、友達の家でやらせてもらったことがあるんですよ。
もうね、こういうもんなんだろうどうせ、とかね。
あとLSIゲームとかゲームウォッチとかね。
だからその、これファミコンを初めてね、見たときっていうのは、
ゲームセンターと同じものが家のテレビで動いてるっていう感じだったんですよ。
これ友達の家でね、見たんですよ。
もうその頃には結構ソフトがもうある程度は揃ってたんじゃないかな、84年ぐらいの。
84年のね、それこそ4月とか、そんな春先ぐらいからかな、友達の家にあるとき、
その友達の家に遊びに行ったら、それが置いてあってやらせてもらったら、
なんだこれ!みたいな感じになって、それから毎日通うぐらいにね、遊ぶようになったんですけど。
そういうことがあってですね、当然親にねだりますよね。
親にねだって当時はね、親からしてもやっぱりなかなか豪華な、
ゲーム機って言っても、僕らの世代だとやっぱりゲーム機はやっぱりおもちゃの延長線上なんですよね。
当時のおもちゃの相場としてはやっぱり14,800円のファミコンっていうのは結構高かったと思うんです。
まあそんな感じの取り上げられ方だったんですよ。
だからね、そんなにずっと取り上げられたりとかね、
そういうことはなかったんですよね。
だから大体、まあゲームやり放題みたいな感じだったのかな。
ただ、いくつかのルールはね、設けられてたんですよ、当時も。
えーとね、母親が部屋を掃除機で掃除するときは絶対にゲームはやらないとかですね。
で、84年だったと思うんですけども、
84年はロサンゼルスオリンピックがね、あった年なんですけれども、
まあね、母親がオリンピックとかスポーツ中継見るの好きだったんで、
これを見てる間は絶対にするなって。
うちのおかんが見たい競技の時は絶対にやっちゃいけないでしょうね。
で、これ夏休みなんですよね。ロサンゼルスオリンピックやってるのもね。
これがきつかったっすね。
だから昼間やってるんですね、しかもね、日本時間のね。
だいたい競技はね、なぜかね。
まあまあまあ、そんな感じでね、できなかったっていうのはあるけど、
たぶんね、僕がスポーツ中継を見なくなったのは、あれが原因なんじゃないかなと思うんですけどね。
そこは我慢しましたね。
あと、そうですね、それ以外だとやっぱり、
その父親が帰ってきてテレビを見るとかね、
まあそういう時もやっちゃダメぐらいなもんだったんですね。
で、まあね、そんな程度のルールだったと思いますね。
まあ要は、父や母が今はやるなって言われたらやらないぐらいの。
でも、だいたいは父親は仕事ですし、母親もね、なんかいろいろしてたんで、
ちょっと当時はなんかね、家でお店をやってたんですよ。
うちの母親がね、趣味でね。
コンビニってほどじゃないんですけど、
そっちが忙しくてっていうのもあって、
まあまあ結構やれましたかね。
で、まあその後ね、うちの父親と母親っていうのは離婚しちゃうんですよね。
僕はね、それで父親に、弟は母親についていくことになっちゃうんですよね。
別にここね、暗くなるところじゃないんで、皆さん別に気にせずに聞いておいてください。
なぜならね、父と母が離婚したのは僕が11歳で、小学校5年ぐらいの時なんですよ。
これね、当時もっとゲーム化できるということで、内心だいぶ喜んでたと思うんですよね。
まあただ、うちの父親、そしてその後もね、母親とはね、会えたりするんですけども、
まあ今にして思うと、この両親がね、そもそもね、まあまあ変わってる人だったのかな。
当時、高橋名人あたりが、ゲームは1日1時間なんてね、言ってたんですよね。
確か言ってたと思うんですよね。
言ってたのは、うちの母親とか父親も見てるんですけども、
まあ別にね、高橋名人もああ言ってるから1日1時間にしなさいなんてことを、僕は両親から言われた記憶がないんですよね。
で、それどころかですね、まあ勉強しろ的なこともあまり言われたことがなかったんですよね。
まあその結果が今のここになってるんですけれども、
まあ実はですね、まあちょっとね、自慢ってわけでもないんですけどもね、
うちの父親がですね、そこそこ有名な大学の出でですね、まあ大学出てるんですよ、いい大学を。
で、僕が知ってる父親っていうのは建設業を当時営んでる、いわゆる経営者ですよね。
なんですけれども、まあ彼はね、父親のことを彼って言いますけど、
彼はですね、建設業を営んでる割に教員免許を持ってるんですよね。
で、じゃあね、結構勉強熱心なのかなと思ったらそこもないんですよね。
で、結局ね、ある時聞いたことがあるんですよ。
まあ僕が中学校ぐらいの時に友達がね、お前のとこいいなと、
親は何にも言わないで好きなだけゲームさせてくれるんだろう?みたいな感じで言われたんで、
まあまあそれをね、結構言われるようになったんですよ。
で、うちこんな風に言われたわ、友達にって言ってね、親父にね、言ったんですよ。
そしたら、親父がね、言うにはですね、結局ね、息子がゲームしたいんだったら勝手にやればいいしね、
勉強したくないんだったらもうやらなきゃいいぐらいの人だったんですよね。
はっきり言われました、僕はね。
ゲームばっかりして勉強しなかった、それで大した大人になれなかったとしたら、
それはお前の責任だろって言われたんですよね。
おっしゃる通りですけどね。
で、勉強したくて参考書が欲しいとかね、辞書が欲しいとかね、
塾に通いたいとかね、家庭教室つけてくれって言うんだったら助けてやると。
全てはお前の人生だから、みたいなことを言う人だったんですね。
これね、結構周りの、僕のよく当時つるんでた友達の親とかも僕は見てるんですけども、
やばいちょっと異質な人だなぁと思いました、当時自分の父親ながらにね。
で、まあ母親もちょっと似たようなことを言う人だったんですよね。
まあ離婚してましたけど、この当時は。
それでも何ヶ月かに一回ぐらい会うんですよ、母親ともね。
だからやっぱり似たようなことを言う人でね。
まあこの父親もこの母親も結局ね、その裏で僕に隠れてゲームしてるっていう。
僕にとか、僕とか弟が知らないところでゲームしてたりとかしてたわけですから。
まあね、ちょっと、当時のいわゆる会社勤めをして真面目に、
いわゆるサザエさんに出てくる並兵さんみたいなお父さんではなかったっていうのはね、
あの頃もすごい印象を持ってた父親だったんですね。
まあそういう感じだったんで、ゆうゆうと自由にさせてもらえたのも良かったし、
それなりの押し付けはちゃんと受けてたつもりなんですね、僕なりにはね。
まあ自慢するほどではないにしてもそこはね。
で、そうですね、僕がいざ父親になった時に、
僕はならなくてもなる前ぐらいからかな、
俺は絶対子供に、あの何て言うんですかね、
ゲームやるなとかね、ゲームは1日1時間だとかそんなね、
堅苦しいことを親にはならないでおこう、みたいなことをずっと思ってたんです。
まあ今もね、まあそれは思ってるんですけども。
でですね、まあ子供がね、
まあ僕はゲームが好きなんで早く子供にゲーム一緒にやってくれないかなって思ってたんですね、子供が、息子が生まれてね。
最初は僕が物心ついたら僕のゲームを見るんですけども、
たまに見るんですけども、まあプレイしてくれないわけですよ。
で、プレイするようにやっと興味を持ってプレイするようになったのが結構遅くてですね。
んー、まあ幼稚園の年中組とかなのかな、それぐらいだったとは思うんですよね、本当に。
興味本位で触って僕のデータ消すとかはあったんですけれども、
そうですね、そんなにでもあれやりたい、これやりたいとかね。
あの当時うちの息子が97年生まれなので、
まあ簡単に言ってしまえばね、マリオもカービィもいました。
で、僕らが知っているマリオ以上にかわいいマリオになってましたし、
子供を受けするうちの息子ぐらいの幼児にも受けるようなゲームのキャラクターっていっぱいいたんですよね。
ポケモンもそれこそポケモンもそうなんですけども。
ただ、なかなかね、最初はあんまり興味を示さなかったんですね。
で、ある時からやっと少しずつやるようになっていって、
まあ僕がこういうゲーム大好きなんで、で妻もゲーム別にやるんで、
特に規制も何もしてませんでした。
でね、規制をするっていうかゲームに関しては、
あの小学校に入ってからもうちの妻があるルールを設けてたんですよね。
それは帰ってきたら最初に宿題をしなさいっていうね。
宿題を終わらせない限りはテレビを見るのもダメとか、
遊ぶのもダメとか、まあゲームするのもダメみたいな感じのね、
ルールを最初に設けてたみたいで。
これがね、うちの息子がゲームをやるようになってからも結構、
なんていうんですかね、セーフティーネットのように働いてですね。
やっぱり別にゲームをしたいわけでもないし、何かをしたいわけでもないけども、
帰ってきたら宿題を絶対しないと気が休まらないってね。
あとあと聞いたら言ってたんで、
すごい徹底できてるというかね、いいように働いたなーとか、
僕はね、それで思ってたんですけども、
ただね、そうは言っても我が家でも問題は出てくるんですよね。
えーとね、いわゆるインターネット、
うちはね、実はね、結構皆さんどうでしょうね、
これ聞かれてる方っていうのがどういう感じの方かはわからないですけども、
僕結構ね、今の職場だったりすると、
これ言うとびっくりされるんですけども、
うちの息子よりWi-Fiとの付き合いの方が長いっていうぐらいね。
そうなんですよ、僕、我が家はですね、息子が生まれるよりも前にね、
Wi-Fiを導入するぐらい、もうすでにネット環境をね、
1996年とかには構築してたんですよ。
で、当時ね、Macだったんで、MacでWi-Fi環境もやってまして、
ただね、そのゲームの方、コンシューマーゲーム機自体が
インターネットに接続してやるゲームっていうのが、
まあ、ドリームキャストとか、そうですね、ありましたけども、
うちの息子が興味を示すような、いわゆるニンテンドーのゲーム機で
ネット接続して遊ぶっていうところに行き着くまでには
だいぶ時間がかかったんですね。
で、それが何だったのかっていうと、DSぐらいまではかかったんですね。
で、うちの息子がですね、結局我が家でね、後にも先にもめちゃくちゃ怒った。
僕とかね、妻が怒ったことがありまして、
それがですね、タイトル何だったかな、DSのソフトで
ニンテンドーが出してるんですけども、
開発はね、ガンバリオンっていう会社が開発してるんですけど、
ジャンプアルティメットスターズの方だったか、ジャンプウォールスターズだったか、
あれ2作ぐらい出てるんですけど、言ってしまえば
週刊少年ジャンプのね、歴代のキャラが
一同に集結してやる2Dの格闘アクションというか、
がっつりした格ゲーではないみたいなんですけどもね。
そういうのがあったんですよ。
しかも、ニンテンドーブランドでリリースしてるんですね。
これがね、当時DSのWi-Fiコネクションっていうね、
ネットワークサービスにですね、
当時はね、Wi-Fiコネクションは今のニンテンドーオンラインと違いまして、
サーバー利用量がかからなかったんですよね。